goo blog サービス終了のお知らせ 

時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

グローバル化に追いつけない労働組合:AFL・CIO分裂の危機

2005年07月26日 | グローバル化の断面

労働組合はどこへ行くのか

  グローバル化が進み、企業の海外移転、リストラ、パート化などが日常化している今日の働く世界で、侵蝕される一方の労働者の立場を擁護してきたのが労働組合であった。しかし、その基盤は急速にもろくなっている。リストラ旋風が吹きすさんだ日本の90年代後半、しかし、反対する争議もほとんど起こらなかった。70年代には、8000件を越えたこともあった争議件数だが、2003年には全国で872件、そのほとんどは、争議行為も伴っていない。争議をすることが良いといっているのではない。働く人たちの権利は、正当に守られているのかということが問題である。

分裂不可避なAFL-CIO 
  アメリカでAFL-CIO(米労働総同盟産別会議)の年次大会がシカゴで開かれている。1955年にAFL(労働総同盟)とCIO(産業別組織会議)が合併して発足したアメリカ最大の労働組合の全国組織である。組合員数は1300万人を越える。58にわたる産業別組織をひとつの傘の下に擁してきた。アメリカの政治においても、一大勢力であった。
  AFL・CIOは「ビッグ・ビジネス」の国アメリカにおいて、一時は「ビッグ・レイバー」と呼ばれ、巨大企業を相手に労働者の労働条件改善に多大な政治的・経済的力をふるった。ワシントンD.C.のホワイトハウスの前に本部があり、一時は新大統領が就任すると、すぐに挨拶に出向いたというほどの力を持っていた。

民主党の付属物?
  10年前の1995年、AFL-CIOの新委員長に選出されたジョン・スィーニ委員長は「われわれは民主党のラバースタンプ(深く考えずに承認する)ではない」と宣言したが、いまや事態は逆に近く、民主党の付属物のようになっている。昨年のケリー大統領候補の擁立過程でも、形通り民主党側に立ち、動員をしてきた。
  しかし、その組織率(労働者全体に占める組合員数)は、過去10年間で15.5%から12.5%へと低下、民間企業部門だけみると8%になってしまった。1950年代は、全米労働者の3分の1以上を組織化していたのだが。衰退の原因はひとつではない。これまで組合員の多かった製造業が地盤沈下に、組合側の対応は遅れた。政治に資金を使いすぎたとの批判もある。

離反する加盟組合  
  さらに、今回の年次大会で、サービス従業員労組(SEIU)、トラック運輸労組、食品・商業労組、縫製・繊維労組など4つの産別労組が欠席し、AFL-CIOからの離脱を図っている。内部対立の原因のひとつは、スィーニー委員長が今年5月、組合員の獲得のために年2250万ドルを使うという予算案を公表したことにある。 他方、今回欠席したSEIUのスターン委員長は「組合員獲得には年6千万ドルを投じ、このうち2500万ドルを巨大企業の組織化に集中投入すべきだ」と主張、対立が激化した。
  対立の具体的焦点のひとつは、小売り最大大手のウォールマート・ストアーズの組織化である。同社は全米最大の小売業で170万人の従業員を抱えるが、労組がない。そのため、低賃金で医療費福利厚生が不十分と指摘されてきた。同社が進出してくると、地域の賃金率が下降するともいわれている。分裂はいまや不可避の段階に来ているが、別の背景として、産別労組の連合体というAFL-CIOの組織自体が行き詰まったという指摘もある。

変化に対応できない組合
   インターネット技術の進歩で、夜間は仕事をアメリカからインドへ送って委託生産させるという「24時間企業」まで現れる時代となった。「仕事の世界」は激変の途上にある。かつては労働者の力強い味方であり、民主勢力の基盤の一角を構成したAFL-CIOだが、時代の動きについていけないという感じもする。

  経営側は、(たとえば、組合の扇動家になりそうな人物を雇用しない、職場の人員配置をティーム制にして不満を表面化させないなど)労働者に組合を必要と感じさせないような対応を巧みにとっている。かつて1970―80年代には、アメリカ労使関係の調査のために何回も訪れ、強大な力に圧倒される思いもしたAFL-CIOだが、いまや老大国と化したのだろうか。1955年、AFLとCIOの統合の時からの推移を見つめてきた者の一人として、多くのことを考えさせられる。このまま分裂が進んでも、労働者を支える基盤は脆弱化するばかりでグローバル化の進行の前に見通しは暗い。「仕事の世界」が大きく変わっていることへの認識と新しい労働運動のヴィジョンが必要な時である。日本の組合にとっても、「対岸の火事」ではない(2005年7月26日記)。


*この記事を投稿してまもなく、AFL-CIO参加のサービス従業員労働組合(SEIU)とトラック運輸労組が、AFL-CIOからの脱退を表明した。このふたつの組合の組合員数は320万人と、AFL-CIO全体の25%に達する。さらに、他の産別組合が同調し、脱退する可能性がある。しかし、残存側と脱退側の組合の間には、労働組合運動についての基本的なヴィジョンや方針に大きな差はなく、労働運動全体の一段の地盤沈下は不可避である(7月27日記)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎮魂曲となった「カヴァレリア・ルスティカーナ」

2005年07月09日 | グローバル化の断面





ありし日のマルコ・ビアッジ

  2001年、9月11日の同時多発テロ事件以来、なにが起きてもおかしくない世界となってしまった。その後も世界を衝撃的な事件が襲った。そして、今回7月7日のロンドンの同時爆破テロ。たまたまロンドンに行っていた友人からのメールを読んだ直後のことであった。本人は幸い無事だったが、なんともやりきれない。

  世界が狭くなると、時に信じられないようなことも起きる。2002年3月のことであった。郵送されてきたばかりの経済誌 The Economist (March 23rd, 2002) を読んでいて、イタリアの欄に友人の写真が掲載されているのに気がついた。そして、本文を読むなり、言葉を失った。

マルコを偲んで
 記事は、イタリア、モデナ大学の労働法担当教授のマルコ・ビアッジ (Marco Biagi)が、2002年3月19日夜、ボローニャで二人の極左分子によって射殺されたことを告げていた。52歳の働き盛りで、仕事から自転車で帰宅の途上であった。労使関係・労働法研究者を中心に日本にも友人が多く、見識も広い親切で立派な人物であった。友人・知人は皆マルコを信頼していた。"The International Journal of Comparative Labour Law and Industrial Relations"の編集者でもあった。 2000 年の国際労使関係学会 (IIRA) がボローニャで開催され、マルコは開催責任者として八面六臂の活躍をした。その次の開催地は東京であったこともあり、プログラム委員長であった私はマルコに相談したことも多かった。

 ビアッジ教授は、当時ベルスコーニ首相が率いる中道右派連立内閣の福祉労働大臣の顧問として、イタリアの硬直的となった雇用法制を、時代に対応して緩和するための法案作成に力を貸していた最中であった。彼が殺害された日の新聞 Il Sole 24 Oreに、ビアッジ教授はイタリアはヨーロッパで最も硬直的な労働市場を持つ国であり、改革する以外に生き残る道はないと寄稿していた。マルコ・ビアッジは、この労働改革の原案作成にあたった最重要人物とみられたのである。

 ロイターによると、この事件のため、内務大臣はアメリカへの出張途中で引き返し、緊急議会を招集するという騒ぎになった。マルコ・ビアッジを殺害したのは、1999年にも労働法の教授で、政治家でもあったマッシモ・ダントニアを暗殺した「赤い旅団」Red Brigadesと呼ばれる極左テロリストではないかと推定されたが、決着はついていないようである。イタリア政府は国葬でその非業な死と功績を悼むことにしたが、家族は断った。マルコは帰ってこない。

ボローニャの夕べ
  マルコとは世界のさまざまな場で出会った。今、思い出すのは、ボローニャでの IIRA世界会議終了後、ボローニャ・オペラ劇場でヴェリズモ・オペラの代表作のひとつ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を共に楽しんだことである。「会議は終わった。さあ、オペラだ!」と言った時の笑顔が未だに目に浮かぶ。文字通り、劇的な生涯であった。この時以来、「カヴァレリア・ルスティカーナ」は私にとって鎮魂の曲となった。今日もあの美しくも哀しい間奏曲を聴いた。





Source: The Economist、March 23rd, 2002


旧大学HP(2002.3.21)の一部を転載・使用

Marco Biagiの業績
Marco Biagi Selected Writings, edited by Michele Tiraboschi, Kluwer, 2003
マルコ・ビアッジの追悼記念。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化と労働時間

2005年07月07日 | グローバル化の断面
ご注意:長いので、時間とご関心のお有りの方だけお読みください。

  土日も仕事を家に持ち帰って働くという、仕事自体が楽しみであり、生活の中心的存在となっている「ワーカホリック」(働き中毒?)の人々を別にすれば、ほとんどの人は週末が来るのを楽しみにしているではないだろうか。週末の土日は働くことをやめて休息にあてるという慣行は、世界、といってもほとんどが先進国だが、かなり広く浸透しているといえる。

  ところが経済学者の中には、週末休日のあり方について疑問を持つ人がいることも分かった*。どうして、人は毎週同じ曜日に休む必要があるのか。経済の観点からすると、休日を分散して交替制度を導入するなど工夫すれば、今の時代に高額な機械設備を2日も休ませる必要はないのではという考えである。

失敗に終わったスターリン時代の実験
  かつてソ連の独裁者であったスターリンは、こうした考えの持ち主だった。ソヴィエットのカレンダーは、1929年に書き換えられた。労働者は5日ごとに休日を与えられた。しかし、シフト(交替制)は固定できないため、休日は、土日とは限らなくなった。一寸考えると、工場は中断することなく操業でき、効率的であるように思えた。しかし、休日の曜日が定まらないことについて、労働者は歓迎しなかった。

  1991年、 経済学者の リプチンスキー Witold Rybcynski は、余暇についての著作「週末を待ちかねて」で、スターリンが導入した4日働き1日休むこの方式は、それ以前に試みられた週6日働き1日休む方式よりも人気がなかったと記している。新しい労働・休日制では、家族も友人も同じ休日をとれなかった。行政スタッフは同じ時に働くことが少なくなった。結果として、不人気がつのり、3年経過することなく、この方式は放棄されてしまった。

文化や制度の力
  多くの人々は自分が週あるいは月にどれだけの時間働くかについて、自己中心的な行動をしていない。他の人々の行動に相互依存して働いたり、休んだりしている。他の人が同じことをすれば、傷跡は小さい。失業している青年は、友人も同様に失業していれば、耐え難いとは必ずしも思わない。
広い意味では、労働時間の長さは、文化が生み出した産物と見られる面がある。アメリカとヨーロッパでは、労働時間はかなり異なっている。

  ある調査では、1980年頃でも製造業・生産労働者の年間総実労働時間は、日本は約2162時間、アメリカは1893時間、ドイツ1719時間、フランス1759時間という統計がある。アメリカはその後、労働時間が伸び始め1997年には2000時間を上回り、統計上は日本よりも長時間労働の国となった。そして、2002年時点で両国はおよそ1950時間でほとんど肩を並べる長時間労働の国である。他方、ドイツは1525時間、フランスは1,539時間である。このように、フランス、ドイツとアメリカ、日本の差異は驚くほど大きい(厚生労働省『労働統計要覧』平成16年度版)。
  こうした違いが発生するのは、ある経済学者は、税金の違いという。また、MITの経済学部ブランシャール教授のように、アメリカとヨーロッパに住む人の生活に関わる好みの違いだという人もいる。彼はヨーロッパでは余暇の時間が高いという。

労働組合の力?
  他方、時間短縮は、労働組合の功績とする見方もある。ヨーロッパでは労働組合の力は1970年代に最も強く発揮された。労働時間はその頃から短縮され始めた。1973年の石油危機以降、ドイツの労働組合は「働く時間は短く、十分に働く」work less, work allのスローガンをかかげていた。フランスでは、組合は1981年に労働時間を39時間に下げることに成功している。さらに政府と抗争を続け、2000年には35時間にまで短縮した。EUの労働時間指令は、1993年に採択され48時間が上限とされてきた。2004年12月には欧州委員会が改正案を発表しているが、競争力についての政府の認識や労使の立場に、大きな差異がありまとまらない。

労働時間の収斂は可能か
  ヨーロッパの状況が十分理解されれば、経営者やワーカホリックスを別にすれば、多分アメリカ人も家族や友人たちの間では余暇を増やす時間短縮に賛成するのではないか。第一次石油危機の前であったが、ニュージャージーの友人の家にホームステイしていた頃、ニューヨーク市内の大銀行の支店長(クライスラー社担当)であった父親が毎日、6時30分には帰宅し、家族と食事を共にするのを知って、大変驚いたことがあった。当時の日本人は6時頃からまた仕事が始まるのではないかと思われる長時間労働の国であったからだ。日本の総実労働時間は年間2000時間をはるかに上回っていた。

ワーク・ライフ・バランスの考えは根付くか
  日本でも少しずつ知られるようになった「ワーク・ライフ・バランス」の運動は、実はこのアメリカから出発している。

  近年のヨーロッパの組合は、収入は減少させることなく、時短を要求してきた。しかし、結果として、労働コストを引き上げ、他国との競争で雇用機会を失った。

  昨年、フランス政府は35時間労働を後退させることにした。国民の間でも、「就労」より「余暇」に大きな価値が置かれてきた国だが、雇用不安や競争力維持にも配慮しなければならなくなっている。グローバルな競争は、時間短縮を労働運動の大きな目標とし、短く働き、沢山稼ぐというフランスやドイツの考えを改めさせようとしている。

注目されるジーメンス労使の今後
  イツの雇用不安は年を追って高まってきた。最近のドイツの組合は、ジーメンスやダイムラー・クライスラーの場合のように、賃上げなしで長時間働くことに同意している。たとえば、ジーメンスの労使が締結し、本年4月1日に発効した新労働協約では、2009年9月まではすべての事業所の閉鎖は回避され、解雇も実施されないが、年間所定労働時間を1575時間にまで延長することになっている。週35.8時間に相当し、金属産業における協約上の週35時間を少し上回る。旧東ドイツの東部の事業所では、年間1672時間で、同地域金属産業協定上の週38時間に同調している。

  ジーメンスの新労働協約で注目される点は他にもある。そのひとつは、ドイツ西部の事業所が対象だが、年間の所定労働時間とは別に、年50時間の労働時間を導入し、個々の従業員が自分の職業能力を向上することを目指す技能訓練に当てる仕組みである。

  そして、もうひとつの注目点は、賃金スケールの最下部に新たなグループを設定したことである。これはアウトソーシング(外注)されてしまった作業を再び事業所に取り戻そうとする条件作りとも考えられ、深刻化した雇用状況に対応しようとするものである。

  グローバル化は雇用の危機を介在して、労働時間短縮の歯車の進行を押しとどめ、逆転させそうな力を持っている。長すぎる労働時間を漸く改めようとするアメリカ、そしてグローバル競争に押されて時間短縮の歩みを止めねばならないフランスやドイツ。日本はいったいどこを目指しているのだろうか。日本は相変わらず先の見えない国である。(2005年7月7日記)


主な参考資料:
Relax! It’s the law, The Economist May 21st 2005/06/10

*Alberto Alesina and Edward Glaeser and Bruce Sacerdote, “Work and leisure in the US and Europe”: papers, nber.org/papers/w1278.pdf. Prepared for the NBER Macroeconomic Annual 2005.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激変する仕事の世界

2005年07月02日 | グローバル化の断面
オフショアリングへの不安
  2004年2月、アメリカ議会下院で世界的に著名な経済学者の発言が、議員から相手にされないという、ほとんど例がない光景が展開した。前大統領経済諮問委員会委員長、グレゴリー・マンキュー氏が「人件費が安く優秀なインドの放射線技師にX線写真をインターネットで送り、翌日に検査結果をアメリカの病院に送り戻してもらえば、大変経済的だ。海外で物やサービスをアメリカより安く提供できるなら、国内で生産することをやめて輸入した方が、アメリカはより豊かになれる」と発言し、海外調達(オフショアリング)を弁護したとたん、騒然たる非難の的となった。   
  同氏は、かつてハーヴァード大学の最年少教授で、世界的なベストセラーの経済学テキストの著者でもある。国際貿易理論上、十分に確立された比較生産費の法則が教える通りを述べたにすぎなかったのだが、政治の世界は大学の教室のようにはいかなかった。「仕事の機会の輸出」を擁護するのかなど、議員ばかりか労働組合その他から、轟々たる非難が寄せられた。

「24時間企業」の誕生?  
  インターネットの発達は、「仕事の世界」を劇的に変化させつつある。アメリカの消費者が購入した製品の使い方について知りたいと思い、サービスセンターへ電話したところ、うまく話が通じないのでセンターの所在を尋ねたところ、なんとフィリピンのマニラ郊外だったというような話もある。シリコンヴァレーの企業で、社員が帰り際にインドのバンガローの企業へ仕事を委託し、翌朝出社して、その結果をインターネット上で確認するというような「24時間企業」の話も、大分誇張されて広がっている。   
  重要な個人や企業のデータが流出し、不正に使用されるという問題は、日本でも最近の事件もあって、よく知られるようになった。6月23日、イギリスのタブロイド紙Sunが、1000人分のイギリス人の銀行預金データが、銀行が外注しているインドの企業を通して流出するというニュースを報じた後、2日後にはワシントンポスト紙が「インドへのアウトソーシングの危機」という大見出しを掲げた記事を掲載した。   
  企業が自社の仕事を外部へ委託するアウトソーシング、とりわけ海外企業へ移転するオフショアリングについては、アメリカやイギリスではメディアの関心はきわめて高い。しかし、いったいどのくらいの量の仕事が海外へ移転しているのか、信頼できる統計数値はない。大きな問題だが、正確なところは分からないというのが、最近のOECDレポートの内容でもある。なにしろ、インターネット上で一瞬にして仕事が他国へ移転してしまい、その実態は第三者にはまったく分からない。   
  それでも、多くの企業がアウトソーシング、オフショアリングをしていることは周知のことであり、その範囲も広がっている。消費者サービスを受け持つコールセンター、給与計算、ソフトウエア開発、R&Dなど、事務サービス労働者、ホワイトカラーの仕事で、かなりの部分を占めつつある。世界的に著名なマッキンゼー・グローバル・インスティテュートのReport:The Emerging Global Labour Marketも、「これまでのところ、オフショアリングについての議論は事実より逸話で過熱している」と述べている。

確かな証拠を求めて  
  それでも、マッキンゼー社は、8産業部門の調査から2003年には、150万人相当の仕事が先進国から海外へ委託されたと推定し、2008年までには410万人分になろうと推測している。他方、OECDはオフショアリングで失われた仕事量は最大に見積もっても一般的な労働移動より小さいと見ている。   
  インドがオフショアリング先としては大変著名だが、OECDの調査ではオフショアリングの相手先には、先進国も入っている。OECDは1995-2000年のビジネス・サービスの輸出をオフショアリングの代理変数とすると、インドの成長規模が最大であったとする。しかし、伸び率の高かったのはエストニア、アイルランド、スエーデン、中国、モロッコなどの諸国である。ヨーロッパ企業はイギリスを除くと、今のところヨーロッパ内部にオフショアリングの相手先を求めているようである。   
  他方、海外へ流出した仕事を取り戻す試みも進んでいる。銀行は自動化コールセンターを設置しようとしている。たとえば、イギリスの銀行ロイズ/TSB, ハリファックスなどはアデプトラ社によって開発されたシステム使用している。これは消費者に連絡し、クレディットカードの不正使用がないかをチェックするシステムだが、人間の音声は使わない。

激変する「仕事の世界」  
  先のマッキンゼー社は、オフショアリングへの現在の需要が継続するならば、イギリスとアメリカだけでも中国、インド、フィリピンにおける英語力があり、顧客に対応できる労働力は使い切ってしまうと警告している。   インドがアメリカ、イギリス企業にとって、人気があるのはいうまでもなく英語を話す人口が多いためである。中国は人口は多いが、英語を話す人材という点に制約がある。言語がオフショアリングの範囲を定めていることは注目すべき点である。いずれにせよ、アウトソーシングは、大きなコスト節約と価値創出の効果があり、世界の労働コストの驚くべき格差を考えると、さらに拡大するだろう。このインターネット上でのヴァーチュアルな労働移動は、移民労働というフィジカルな移動にも影響を与えつつある。   
  
  英語圏でない日本では、あまり話題となっていないが、こうしたグローバル・ソフトウエア・ワークという動きは、伝統的な仕事の世界を大きく変えることは間違いなく、その動向は今後も引き続き注視したい(2005年7月2日記)。 Source: "Getting the measure of it," The Economist, July 2nd-8th, 2005その他。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史を変えた写真

2005年06月12日 | グローバル化の断面

  一人の少女がなにかにおびえたような顔で、じっとこちらを見ている。彼女の着ている衣服も粗末なものだ。そして、背景には機械の列のようなものが写っている。とりわけ、少女の思い詰めたようなまなざしは、時代を超えてわれわれになにかを強く訴えているように思われる。そこには見る者の姿勢を正させるような厳しさが張りつめている。
  彼女は紡績工場で働いていた。その一瞬をとらえた写真である。少女は、なにを語りかけようとしたのか。思い詰めたような顔は、時空を超えて現代のわれわれに迫ってくる。

苛酷な労働と子供たち
  アメリカの写真家ルイス・ハイン(Lewis Hine)が、20世紀初めの繊維産業で働く子供たちを記録した写真の一枚である(詳細は2005年2月12日本サイト)。子供たちは、当時ほとんどあらゆる産業で劣悪な労働環境の下で働いていたが、ここに紹介する写真は、ニューイングランドやカリフォルニアの綿紡績産業で働く子供の実態を伝えている。子供たちは、週6日、一日11-12時間という長時間を、どならないと話もできないようなものすごい騒音と綿くずが舞い上がる高い湿度の中で、立ちずくめで働いていたのだ。綿紡績工場で働く子供のうちで、生きて12歳をむかえる数は、通常の半分にも満たなかったといわれている。肺結核、気管支炎、そして工場での事故などが幼い命を奪っていた。

  写真家ルイス・ハインが撮影したこの写真はアメリカを変えた。1938年にフランクリン.D.ルーズベルト大統領が署名した労働基準法(Fair Labor Standard Act)には、すべての州に適用される最低賃金と労働時間の上限が定められているとともに、工場や炭坑が16歳未満の子供を雇うことを禁じた児童労働の制限も盛り込まれた。

グローバル化と児童労働
  しかし、世界から厳しい環境の下で働かされている子供たちの姿は、消えてはいない。現代のアメリカですら、児童労働は根絶したわけではない。それどころか、グローバル化に伴う企業間競争の激化は、開発途上国を中心に、少しでも低賃金の労働者を求めて、児童労働の増加に拍車をかける要因となりかねない。21世紀半ばに向けて、先進国の人口が増加しない反面、開発途上国を中心に地球上の人口は増加するばかりである。ILO(国際労働機関)によると、世界中で5歳から17歳までの人口の6分の1にあたる約2億4600万人が働かされている。

今日、6月12日は、「児童労働反対世界デー」である。

Source: Lewis Hine Collection

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「列車は速すぎたのだろうか」~オランダ国民投票の背景~

2005年06月03日 | グローバル化の断面

  フランスに続いて、オランダも6月2日、EU憲法条約に“nee”(否)の結論を出した。事前に行われていた主要な世論調査(Maurice de Hond)の結果でも、「反対」が55%と賛成45%を上回っていたから、「否決」はかなりの程度予想されていたことではあった。しかし、実際には「反対」が62%近くに達し、衝撃的な結果になった。

小さくないオランダの影響力  
  オランダはフランスと並んで、1950年代にEEC(European Economic Community)を創設した6カ国のひとつであった。それだけに選挙結果の影響は大きい。ユーロの導入を決定する協定は、最初はオランダのマーストリヒト、そしてその後アムステルダムで調印されている。初代のヨーロッパ中央銀行総裁もオランダ出身であった。オランダの人口1600万人とはいえ、その存在は大きい。今月16日に開催されるEU首脳会議は、予想しなかった大きな課題を抱えてしまった。   
  EU憲法条約に対する対応は否定的という意味では同じ結果になったが、フランスとオランダの国民的反応は、かなり異なるところがあった。フランスの場合、EU本部の「超リベラルな」官僚によってEUがハイジャックされているという不満があったが、オランダの場合は自国がEUという超国家の一地方に低落してしまうという不安や警戒心が高まっていた。この点は、イギリスの反応に似ているところがある。

イスラームへの不安  
  さらにオランダの場合、国民感情はこのサイトでもすでに報じたように(3月18日)、イスラーム社会のあり方に厳しい批判をしてきた二人の著名なオランダ人の暗殺にかかわっている。2002年5月6日の反移民の政治家ピム・フォルテインの暗殺、2004年11月20日の映画監督テオ・ヴァン・ゴッホの暗殺という衝撃が一般国民の間に強く刻みこまれている。前者の場合は、犯人はモロッコ系青年であった。後者の犯人はオランダ人青年であったが、背景が明らかになるにつれて、反移民への国民感情をあおってしまった。過激な行動に走るイスラーム原理主義者は数の上では少ないとはいえ、オランダのイスラーム教徒は100万人近く、90年以降に流入した不法移民は10-20万人に達しているとされる。

エリート層への反発     
  オランダは一人当たりのEUの分担金負担が加盟国の中では最も重い。オランダはもはやEUで最も富裕な国ではない。オランダ通貨ギルダーのユーロ通貨転換も、インフレを引き起こしたと考える国民が多い。こうした事態を招いたのは、EU官僚のいいなりになっている政府エリート層だという反発も強い。国民レベルでの十分な議論なしにユーロ移行、大量移民受け入れというような決定をしてきた指導者への反発である。

「並立社会」?  
  オランダに限ったことではないが、とりわけ、この国の移民政策の舵取りはきわめて難しくなった。西欧民主主義の価値に自分たちの価値を並べることを拒否する移民の増加によって、オランダ社会は爆発を待つ時限爆弾であるとの考えまで生まれてきた。異なった宗教・文化を持つ人々が、同じ国境の中に、互いに交わることなくただ並立しているだけという「並立社会」parallel societyという概念さえ提示されている。社会の中に隔離された別の「社会」が出来てしまうともいえる。    
  9.11以降、政治家は宗教的原理主義やテロイズムを恐れる国民の考えに配慮しなければならなくなった。非西洋系の「外来者」が大都市の貧困化した古い地区に集中する傾向があることを認めないわけにはいかない。国民はこうした現実に次第に不安を感じるようになる。当初は、外来者の集住地域から離れるという行動が生まれる。そして、不安は他の過激な事件と結びつけられて増大する。

不安を抱える社会  
  オランダ市民はゴッホの殺人者といわれるモハッメド・ボウイェリは国際テロ組織の一員であったとの捜査結果に驚愕する。そして、加害者はモロッコ出身、学校でもよくでき、地域活動も熱心だったこと、ちょっとしたきっかけで原理主義者の運動に入っていることなどの事実に改めて驚き、態度を硬化する。そして、投票などの政治的行動でも、しばしば右傾化する。   
  ある調査では、オランダに住むモスレムの第二世代は、モスクへ行く回数も少なく、それほど信仰に篤くないといわれる。オランダの公安機関AIVDは95%のオランダモスレムは穏健とみているようだ。しかし、残りのわずかな原理主義者の間に危険分子が隠れているかもしれないとなると、大変難しい状況が生まれる。国民は、絶えず不安感を抱えて生活することになりかねない。

「多文化主義」は幻影  
  これまで、いくつかの移民受け入れ国が掲げてきた多文化主義社会の考え自体が、形式的あるいは保守的にすぎるといえるかもしれない。なぜならば、移民は受け入れ国の人々や文化を変えてしまうからだ。   
  オランダ国民の間には、働くより福祉に依存して生きることを容易にしてきた政策によって、この国の社会的問題は悪化してきたとの理解が蔓延し始めている。10年ほど前、オランダのティンバーゲン研究所(最初のノーベル経済学賞受賞者を記念して設立)にフェローとして招かれ、しばらく滞在した頃の落ち着いた、円熟した国という印象とは、すっかり変わってしまった。   
  昨年半ばまではオランダはEU議長国の立場もあって、EUが協同で取り組む課題として、移民を管理することと「統合」を促進することを強調してきた。ゴッホの殺害後すぐに、オランダ政府は最初のEU規模の「統合」担当者の会議を開催した。移民援助が加盟国共通の課題とされた。   
  オランダは「社会的結合のための広範な取り組み」を率先、着手した。しかし、これは次の事件が起きるまでのつかの間の平穏であったのかもしれない。今やオランダはいかりを失い漂流状態に入った。 コモンセンスはまだ働くか  
  オランダはアムステルダム、ロッテルダムのように元来国際商業センターであり、宗教的にも新教国でありながら、プロテスタント、カソリック、ユダヤ教も共存してきた。あのトレイシー・シュヴァリエの『真珠の耳飾りの少女』やデボラ・モガーの『チューリップ熱』にも、夫と妻が日曜日、それぞれプロテスタントとカソリックの教会に通う話が出てくる。(5月15日「工房の世界を覗き見る」)それでも、社会的秩序は保たれていた。オランダは常識・コモンセンスの国であったといえる。   
  イギリスの経済誌The Economist(June2,2005)は、フランスの国民投票の実施に先立って、「ノン」が正解かもしれないという社説を掲載していた。イギリスは、これまでのEU拡大の過程においても、よく言えば慎重であり、自国の国益優先で、ぎりぎりの所で列車に飛び乗るような決定を繰り返してきた。今振り返ってみると、「拡大EUへの列車」はスピードが速すぎたのではないか。速度制限オーヴァーは、決して良い結果を生まない。(2005年6月2日記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化の衝撃:繊維産業のケース(3)

2005年04月24日 | グローバル化の断面
吹き荒れる「チャイナ・バッシング」の嵐
  中国繊維製品が世界市場にもたらした衝撃は、予想を超えたすさまじいものがある。特に先進国の中でなんとか生き残ってきたアメリカ繊維産業にとっては、今回は存亡をかけたせめぎあいといわれている。最近のアメリカ議会には、最後の攻防手段ともいえる繊維製品の輸入制限に加えて、人民元の切り上げ要求などが重なりあって「チャイナ・バッシング」の嵐が吹き荒れている。議員立法などの対抗措置が目白押しである。しかし、そうした措置がどれだけの効果があるのか。グローバル化の衝撃は大きく、対応も困難をきわめる。グローバル化の激流から逃れられないとすれば、その中で対処する道を選ばねばならない。
  繊維産業を抱える南部あるいはニューイングランド諸州出身の議員は、上下院を通して中国製品の競争力削減に懸命になっている。確かに、2004年のアメリカの対中貿易赤字は過去最大の1600億ドルに達した。中国製品の輸入が急増している繊維産業を中心に、アメリカ企業の経営破綻や人員解雇が相次いでいる。その実態を伝えるレポートを素材に展望してみよう。

繊維の町カンナポリス(注*)
  ノースカロライナ州カンナポリスは、南部の繊維工業の町として知られているが、その実態は、グローバル化の衝撃に壊滅寸前の姿を示している。この町は1906年、繊維産業王のジェームス・キャンノンが工場を設立、君臨したカンパニー・タウン(企業城下町)である。カンパニー・タウンの通例として、会社と従業員とその家族である住民が一体となり、パターナリスティックな雰囲気が漂っている。会社が住民の生活まで目を配ってきた。そのかたわら、1920年代大恐慌時、従業員の生活の面倒をみた経営者に「キャンノンおじさん」の愛称がつけられたような町である。会社と共に生きてきた住民にとっては暮らしやすい小さな世界を形作ってきた。高い賃金、州が無償で提供する電力、雇用の安定などが、この日常は平穏な町を今日まで存続させてきた。(長年、この産業を研究対象のひとつとしてきた私にとっても、良くこれまで存続しえたという思いと同時に、ついに来るべき日が来たかという複雑な感じである。)

記録的な失業者
  このキャンノン・ミルズは、かつては一日30万本のタオルを生産していた(画像は同社のタオル製品)。しかし、滔々たる中国製品の流入に対抗できなくなってきた。2003年7月末には傘下のピローテックス社が全米にあった16工場を閉鎖し、およそ6500人の従業員が職を失った。ノースカロライナ州では、わずか一日に生まれた失業者数としては記録的なものとなった。カンナポリス地域だけでも4300人が失業者となった。過去10年間にノースカロライナ州だけで25万人の製造業労働者が職を失っている。そのうち、9万人が繊維工業で働いていた。このシリーズでも記したように、本年1月1日から繊維製品の輸入割当が撤廃されたので、失職する人はさらに増えそうである。

再訓練の困難さ
  失職しても、他の産業に雇用されればよいではないかという考えもある。確かに、ノースカロライナ州のハイテクやサービス産業は拡大している。しかし、繊維産業のような工場労働者は新しい技術に対応できない。ピローテックス社が閉鎖した時、労働者の3人に1人は高校教育を受けていなかった。10人のうち一人は読み書きが十分できなかった。そして半数近くは50歳以上であった。
  アメリカには「貿易調整援助」Trade Adjustment Assistanceと呼ばれる連邦の再訓練プログラムがあることは、よく知られている。輸入の急増などによって危殆に瀕した産業の労働者などに対して実施される救済と次のステップへの移行措置である。こうしたプログラムの対象となった労働者が再訓練を受けている間は、生活に差し支えないほどの給付がされている。給付期間も2002年から従来の78週が104週になった。しかし、ピローテックスのようなひとつの会社に30年も勤続した労働者が、突然しかも多数失業した例はほとんどない。そのために、今回はこうしたプログラムにとっても試練のケースとされている。
  2000人近い労働者が再訓練プログラムを希望したが、計算機(コンピューターではない)も使ったことのない人々も多い。地域に貢献するために、会社は多数の身体障害者も雇用してきた。しかし、再訓練でこれらの人々が新たな仕事につける可能性は少ない。

外国人労働者には恩恵
  皮肉なことに、このプログラムで救われるのは、長年この地に住むアメリカ人労働者ではなく、外国人労働者だといわれている。合法的にアメリカに居住できる資格さえあれば、カナポリスにいる数百人のラオスや中南米からの労働者も再訓練を受けることができる。それまで、下積みの肉体労働しか仕事がなかったが、思いがけなく無料で教育・訓練を受ける機会が生まれた。彼らは、英語とコンピューターの教育を受けた後、カンナポリスを出て仕事を見つけることができる。「キャンノンおじさん」の町にずっと暮らしてきた人たちにとっては時代の変化はとりわけ厳しい(2005年4月23日記)。

(注*)カンナポリスについての記述は、主として下記の資料による。
“The human cost of cheaper towels”, The Economist, April 23rd, 2005 digital edition.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化の衝撃:繊維産業のケース(2)

2005年04月07日 | グローバル化の断面
グローバル化の衝撃:繊維産業のケース(2)

  前回概観したように、中国の急激な台頭は先進諸国の産業、雇用に多大な影響を与えている。産業再編の方向、雇用を中心に見てみたい。今回の数量規制の完全撤廃は、世界の産業史でも最大の合理化促進であり、それだけに変化も顕著である。
  繊維品貿易の完全自由化に伴って、アメリカなどの国内企業は、このままでは産業が破滅してしまうと主張しており、組合も35万人分の仕事が過去3年間で失われたとしている。セーフガードなどの緊急防衛措置が発動されなければ、残った695,000人分の雇用機会も中国などへ流出してしまうと危機感を強めている。
他方、中国は、セーフガードは現在の問題に対し発動されるもので、未だ実現もしていない貿易を対象として発動されるものではないと反論している。
  アメリカなどの一部の富める国の繊維産業だけが、危機にさらされているわけではない。中国のWTO加盟に対して、50を越える国がトルコに集まり、“イスタンブール宣言”に署名し、WTOに対しクオータを3年間延長するよう求めた。この中には、バングラデッシュ、スリランカ、インドネシア、モロッコ、チュニジア、トルコなど、経済水準の点で貧困な国と中位の国が含まれている。

中国に続く国は
  宣言の署名国はクオータの終焉に伴って、関係国でおよそ3000万人分の仕事の機会が失われると恐れる。原糸から衣服まで繊維産業のすべての工程が、中国の傘の下に入ってしまうともいわれている。しかし、貿易自由化で、浮上するのは中国ばかりでなく、インド、パキスタンなどもそうである。
  インド最大の衣服輸出業者のオリエント・クラフト社 のディングラ会長は、彼が繊維機械を1台買うごとに国内に4人の仕事が生まれ、海外に他の4人の機会が生まれると豪語している。インド繊維産業の典型的な企業では労働者の5分の4は貧しい村落の貧困者として人生を始める。義務教育を受けた者も少ない。
  繊維は人類の最も基本的なニーズのひとつであり、クオータ制度もそうした背景の下で、市場をゆがめる仕組みだが、やむをえないものとして設定された。皮肉なことに、その当時は貧困な開発途上国は、貿易自由化で先進国に圧倒されると考えられていた。しかし、
これらの国は豊富で低廉な労働力を武器になんとか生き残ってきた。それを支えたもうひとつの要素は、特恵関税であった。
  そのため、インド洋の小さな国モーリシャスのような国でもこれまでは競争力を維持することができた。ヨーロッパの旧植民地であるこの国は、75年のロメ協定により、EUに関税なし、数量規制なしで繊維製品を輸出できた。03年において、モーリシャスの繊維・医療品の輸出額は約15億ドル、国内雇用の約40%を担い、GDPの12%、外貨獲得額の60%を稼ぎ出してきた。しかし、数量規制の撤廃でこの国の繊維産業は、大打撃を受け、急速な衰退に追い込まれている。
  今日の世界の繊維産業はかつてない大変化の渦中にある。実態は、今の段階では、ダリの絵のようといわれるように大変複雑である。インドの原糸が、イタリアで織られ、アメリカで裁断され、ホンジュラスで縫製後、アメリカで売られるという構図である。さらに、かつては、低賃金以外に競争力の源がなかった開発途上国が新たな先進設備という新たな武器を手中にした。最新技術を生かした機械化によって、カンボディア、ベトナムなどが輸出市場へ参入してきた。

インドの期待
  もっとも、中国だけが一人勝ちするとは考えられていない。二番手にはインドが台頭すると目されている。さらにパキスタンなどが後に続くだろう。
  他方、敗退が予想されるのは、メキシコ、南ア、バングラデッシュ、ネパール、スリランカなどである。しかし、これらの国々では産業内部の近代化が前提となっている。その点を考えると、中国などはさらに拡大するかもしれない。
  バングラデッシュでは、繊維産業は1990年には約800社が40万人を雇用していた。それがいまや、4000社が2百万人を雇用するにいたった。労働者の10分の9は女性であり、1千万人近くが繊維産業に依存している。クオータ制廃止で、バングラデッシュの輸出は25%近く減少するとIMFは予想している。

守る立場のEU、アメリカ
  先進諸国の中では、アメリカに並びイタリアの受ける打撃が大きい。ビエラ、コモ,などに約5万の繊維企業がある。多くは零細、家族企業であり、平均規模は従業員で10人程度である。そして、製品の約3分の2は輸出される。すでに、これらの企業は影響深刻で、生産立地の移転、従業員削減などを実施している。
  フランスでも1993-2000年の間に数10の企業が消滅した。約3分の1の雇用がなくなった。今日、フランスブランドの6割以上は、他国で生産されている。EUの繊維業界は、状況が大きく変化した新たな世界に向けて産業再編に乗り出している。その場合に、品質と革新が勝負の柱である。イタリアのヴィエラはかつてないエネルギーをマーケッティング分野に投下し、「卓越のアート」art of excellenceを掲げて積極的なキャンペーンを開始している。(画像はヴィエラの町全景)

セーフガード発動の動き
  他方、EU繊維産業の最大のロビー機関ユーラテックスEuratexは、ブラッセルに本拠があるが、セーフガード発動を検討してきた。EUに加盟したばかりのトルコは、1月9日に中国製品の43カテゴリーに発動を決定した。アルゼンチンも同様な割り当てを中国製品に発動している。EUもまもなく発動するのではないかとみられる。2002-03年に中国からのアノラック輸入は3-4倍になり、価格は75%下落したとスポークスマンは話す。
  他方、中国も制限をすることを検討中といわれる。いくつかの製品に2-4%の輸出税を課するとともに、いくつかの繊維製品に最低価格を設定すると報道されている。しかし、こうした施策も実態にはほとんど影響ない。
  こうしてみると、繊維貿易の完全自由化が雇用に与える影響は、中国、インド、パキスタンなどに大きな増加を生む反面、アメリカ、EUそして中進国については厳しい状況を生むことが予想される。繊維産業のあり方をひどく歪めていた数量規制がなくなり、国際貿易理論が予期する線に近い姿に近づくだろう。
生産立地は中国を中心に大きな変化を見せることは、ほとんど確実である。しかし、繊維製品は人類の歴史において各国、地域で、微妙なニッチ市場も確立してきた。そのため、ある限度に達すると、その後の変化は、予想ほど急速でないかもしれない(2005年4月6日記)。

追記:2005年4月7日
  
 このタイトルで書いた直後、全米繊維協会など繊維関連4団体は、4月6日、中国製の繊維製品14品目について、輸入急増で国内業界に被害が発生しているとして、緊急輸入制限(セーフガード)の発動を米政府に正式要請した。対象となるのは、合繊製シャツ、綿製および合繊製セーター、合繊製ズボンなど、今年1-3月の中国からの輸入が前年同期に比較して、1.3から8.7倍に急増した品目という。EUの欧州委員会も6日、中国製繊維に対するセーフガード発動の検討に入った。

参考:
“Special Report: The World Textile Industry” News Week, January 26,2005
“Special Report: The Textile Industry” The Economist November 13th,2004
“European Textiles: The sorry state of fashion today”, The Economist, January 29, 2005
「日本経済新聞」2005年4月7日夕刊

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グローバル化の衝撃~~繊維産業のケース~~

2005年04月06日 | グローバル化の断面
グローバル化の衝撃:激変する繊維産業(1)

 最近、東京銀座の並木通りあたりを歩くと、以前と景観が一変しているのに気づく。店の多くが外資系のファッションや装飾品関係の店になっている。とりわけ、フランス、イタリア、アメリカなどのファッション関係の店が多い。その中には、かつて調査に訪れたイギリスの名門繊維企業などもあり、驚かされた。どの店もそこそこにお客が入っているようだが、内情に通じている人の話では、どこも経営はかなり大変らしい。
 「ヨーロッパのファッション業界の苦境」という記事(注)を読んだこともある。それによると、ジバンシー、イヴ・サン・ローラン、ヴェルサーチ、ヴァレンチーノ、プラダなどの名店は、このところいずれも損失計上しており、わすかにシャネルだけが利益を上げたと書かれている。
 ヨーロッパの衣服産業は5年以上にわたり、低迷、苦境をつづけており、資本関係も変わったところが多いらしい。その背後にはなにがあるのか。実はここにも中国が大きく影を落としていることが分かった。グローバル化のひとつの現れである。

繊維製品の貿易完全自由化の衝撃
 2005年1月1日、欧米諸国を中心に設定されてきた繊維製品の輸入数量規制が完全撤廃された。その結果、世界の繊維、服飾・衣料、ファッション業界に多大な影響が出始めており、世界の繊維産業史上、最大ともいえる変化が展開しつつある。物財・サービスの貿易分野で完全に自由化されているものは少ないので、繊維産業のケースはグロバリぜーションの影響を測るについて大変参考になる。
 EUは現在の段階では繊維の主たる輸出者であり、衣服の第二の輸入者である。産業としては2003年時点でおよそ270万人を雇用し、225億ユーロ($250bill.)以上の売り上げを記録した。しかし、EUの中国からの輸入は2001-03年でほとんど倍増した。その急増の原因の一部は、10年前に始まった輸入割当制度(クォータ制)の段階的撤廃によるとみられる。WTO(世界貿易機構)は、2年以内に世界の繊維市場の約50%を中国が占めると予想している。世界中に生産・供給網を築きつつある中国は、3500億ドル規模の巨大市場の覇者となると推測されている。中国製品は、2005年末でアメリカの衣料市場の50%、EU市場の29%を占めるだろう。
 現在は欧米、日本など先進諸国向けに衣料を輸出している国は60カ国以上にわたるが、数十カ国が市場から締め出される可能性が大きいと予想されている。そのため、今後、生産コストの大幅削減、中間業者の消滅、小売価格の下落、生産拠点の集約化など、この産業には劇的な変化が起こるだろう。繊維製品は、そのどれをとってもMade in Chinaという状況が生まれることになる。
欧米諸国では、すでに労働組合やロビイストが新たな貿易規制の導入を要求し、活動をしている。その要求は、中国の競争力の秘密は、国営の苦汗労働制度、劣悪な労働環境と低賃金にあるとしている。アメリカの繊維産業の労働組合は過去3年に35万人の仕事が失われたという。
 しかし、実際には中国の優位と賃金水準の間に直接的な関連性はない。インドやインドネシア、ベトナムの方がずっと低い。シャツ1枚の生産コストに占める人件費の比率は、10%前後である。中国の真の強みは、最先端の生産設備、急成長する物流ネットワーク、不合理な数量規制を逆手にとる才覚などが重なったものとみられる。先年、上海近傍の繊維企業を見学して驚いたことがあった。最新鋭の設備と数少ない女子労働者で、高級シャツを製造しており、日本のデパートの商標から価格タグまでつけて出荷していた。その前に、日本で老朽設備のこともあって若い人が集まらず、高齢者と中国からの研修生に頼っている工場を見ていたので、時代の移り変わりのすさまじさに瞠目した。いまや、中国が生産するアパレル製品は年間200億点以上、4万社の企業が1500万人を雇用していると推定される。(画像は中国最先端の繊維工場)

数量規制の思わざる結果
 イギリスそして日本も、戦前は世界の主要な綿製品輸出国であった。競争力を失ったアメリカ繊維業界は政府に働きかけ、50年代半ばには日本政府に圧力をかけて「輸出自主規制」を設定させた。欧米諸国は開発途上国に特恵関税を与えてきた。
 その後アメリカは、1999年11月、中国のWTO加盟承認の際に、繊維製品の数量割当制(クオータ制)を中国側譲歩の一部として、アメリカと中国間で協定したものである。しかし、この仕組みは、皮肉なことに中国に対する間接的な国際援助になり、成長の起爆剤の役割を果たした。
中国産業の急速な拡大は、先進諸国の繊維・衣料産業などに多大な衝撃を与え、雇用機会の喪失など、大きな影を落としている。次回は、この点を中心に問題を整理してみたい。
(続く)

"European textiles: The sorry state of fashon today", The Economist, January 29th 2005.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライブドア・フジテレビ事件の先にあるもの

2005年02月25日 | グローバル化の断面
 2月になって突如としてマスコミの舞台に登場したライブドアとフジテレビジョンの経営権をめぐる争奪は、第3者としてみると、きわめて興味深い問題を含んでいる。巨大メディアグループと新興メディア、両者の基本的な考え方の相違、旧世代と新世代の対立を象徴するような当事者の対応、服装、話し方など、ある程度は映像化を意図した対応とはいえ、大変面白い。ついに日本も「株主主権論」の本格的洗礼を受けることになったのかという思いもある。両者、虚々実々の策略を尽くしての展開となっているが、私の関心はそれを超えたところにある。
 事態はニッポン放送がフジテレビジョンを割当先とする巨額の新株予約券を発行する事実上の増資を打ち出したことで、新しい局面に入った。ライブドアは2月24日新株予約権発行を差し止めるための仮処分を東京地裁に申請し、抗争の舞台は司法の場へ移りつつある。仮処分申請を受けた東京地裁は、「企業価値」を維持するためなら支配権の維持や争奪を目的とした新株発行が認められるか、同放送にとってフジと親密な状態の方がなぜライブドアと提携するより「企業価値」が上がるのか、といった点について裁定を下すことになる。会社法の専門家などは、どちらに転ぶか分からないと態度を留保しているが、実際にも新たな判例を築くことになる。コーポレートガバナンス(企業統治)上の最大の課題に裁定を下すことを意味しており、起こりうる将来の問題を考えると、司法の判断はきわめて重いものとなろう。
 興味があるのは、裁判所が「企業の価値」をいかなるものと考えるかにある。きわめて簡潔にいえば、「企業の価値」は狭く考えれば、株主の観点からする企業の評価である。長年にわたり蓄積された配当と株式評価の結合したものといえる。
 業績を上げていない役員を敵対的なビッドで取り替えるとか、競争的な脅威を与えることで経営者に圧力を加えることは、産業組織論でいうコンテスタビリティ(新規参入圧力の維持)の観点からはうまい方法であるかもしれない。しかし、日常の経営者の動向を監視するには適当とは思われない。取締役会で監視する方が効果的である。しかし、取締役会もたやすくコンテスタビリティを失ってしまう。というのは、理論上、監視する者と監視される者の目標が同じだからである。
 現代の大企業では、株主以外の利害関係者、ステークホルダーが多数関与している。そうした状況で経営者が株主を最上位に置くことは他のステークホルダーの利害を損なうことにもなる。とりわけ、日本企業のひとつの特徴である経営者層と従業員層が連続的な状況において、ある日突然経営者が入れ替わり、新しい経営指針やシステムが導入されることについて、従業員はいかなる反応を示すだろうか。攻めるライブドアは現在の経営陣より、もっとうまい事業拡大の道があるといい、守る側のフジテレビは社員の大多数は現状を維持することを支持していると主張している。仮に経営陣が入れ替わるような事態が発生するとしたら、従業員はいかなる対応をみせるだろうか。双方、それぞれの思惑があり、本音のところは見えていないが、今後の展開は日本の労使関係に転換をもたらすものとなるかを占う上で十分注目に値する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする