本日の行程:(車)…【楠公誕生地】 → 【千早赤阪村郷土資料館】 → 【下赤阪城址】 → 【上赤阪城址】 → 【千早城址】 → 【楠木正儀の墓】 → 【南法華寺(壺阪寺)】 → 【高取城址】 → 【土佐街道】 → 【日本武尊琴弾原白鳥陵】
連休に1泊2日で千早赤阪、高取、和歌山方面に行くことにした。
車での移動。
お弁当を持って出かける。
楠公誕生地の碑
千早赤阪村へ向かう。
初めに訪れたのは楠公誕生地。
楠が植えられている。
楠公誕生地の碑の奥には千早赤阪村郷土資料館がある。
2階建ての小さな資料館だ。
名所旧跡を示したジオラマ模型があり、ボタンを押すと、その場所の解説ビデオが流れるようになっている。
ビデオは分かりやすく、実にまじめなものなのだけれど、どことなくおかしみがあった。
車の中でお弁当を食べ、下赤阪城址へ向かう。
千早赤阪中学校の坂をのぼるが、どこにあるのか分からない。
道は細く、対向車が来ると怖い。
場所が分からないので、いったん坂を下り、もう一度同じ道を。
車を降りて、中学校の裏手に回ると、下赤坂城址の石碑があった。
下赤阪の棚田が見える。 田植えの後はきれいだろうなあ。
城址のおよその場所は分かっていても、どの城も山の中にあるので、入口を見つけるのに苦労した。
上赤阪城址へ行くには山道をのぼっていかなくてはならない。
標高約350m、よくこんな山の中に城を築くことができたものだ。
20分ほどで本丸跡に到着。
上赤阪城址
山の上からは富田林市まで見える。
気持ちのよい場所なのだが、道中出会った蛇のことが気になって仕方がない。
同じ道を帰るのかと思うと苦痛だ。
帰り道、蛇と遭遇した場所を一目散に駆け抜けてホッとしていたのだが、夫の証言によれば、なんとまあ、同じ場所に蛇はいたそうだ。
千早城址へは、金剛山登山口からのぼっていく。
石段が続く。その数500段余り。
しかも石の大きさが揃っていないので歩きづらい。
攻め込む敵に上から石を落としたらしいが、こんなところで石が降ってきたらひとたまりもなかっただろう。
千早城址
楠木正儀の墓
千早神社の脇の道を行くと、楠木正儀の墓がある。
囲いの中に、五輪塔が見える。
「正成の首塚」とも言われているそうだ。
のどかな千早赤阪村をあとにし、高取町へ向かう。
南法華寺(壺阪寺)の観音様は目の観音様として信仰されている。
礼堂の入口や土産物店では目薬が売っていた。
大きなお寺である。境内のあちこちに置かれた大仏や観音様も巨大である。
巨大な像はどれも新しく、どうも心にしっくりとなじんでこない。
ばちあたりな発言だが、あくまでも好みの問題である。
三重塔は美しく、遠くから仰ぎ見ると、
この三重塔と八角円堂のコントラストがすばらしい。
高取城址は南法華寺(壺阪寺)からほど近い。
高取山の標高は584m、高取城は日本三大山城のひとつに数えられる。
くねくねと山道をのぼっていくと、やがて石垣が見えてくる。
城址には石垣しか残っていないが、
石垣をたよりに在りし日の高取城を想像してみるのも楽しい。
山を下り、高取城の城下町である土佐街道を行く。
古い武家屋敷が残っている。
「土佐街道」と呼ばれる所以は、大和朝廷の都造りの労役のために土佐からやってきたけれども、任務を終えた後に朝廷の援助がなく、帰郷できなかった人々が住み着いたことであるという。
日も暮れかかってきたので、宿泊場所へ急ぐ。
カーナビをみれば、「日本武尊白鳥陵」の文字が。
寄り道してみることにする。
目的地近くのはずなのだが、民家と田畑と農道があるだけで、どこにあるのか分からない。
通りかかった近所の人に尋ね、やっとのことで辿り着く。
これは案内なしでは分からないなあと思われる場所に日本武尊琴弾原白鳥陵はあった。
連休に1泊2日で千早赤阪、高取、和歌山方面に行くことにした。
車での移動。
お弁当を持って出かける。
楠公誕生地の碑
千早赤阪村へ向かう。
初めに訪れたのは楠公誕生地。
楠が植えられている。
楠公誕生地の碑の奥には千早赤阪村郷土資料館がある。
2階建ての小さな資料館だ。
名所旧跡を示したジオラマ模型があり、ボタンを押すと、その場所の解説ビデオが流れるようになっている。
ビデオは分かりやすく、実にまじめなものなのだけれど、どことなくおかしみがあった。
車の中でお弁当を食べ、下赤阪城址へ向かう。
千早赤阪中学校の坂をのぼるが、どこにあるのか分からない。
道は細く、対向車が来ると怖い。
場所が分からないので、いったん坂を下り、もう一度同じ道を。
車を降りて、中学校の裏手に回ると、下赤坂城址の石碑があった。
下赤阪の棚田が見える。 田植えの後はきれいだろうなあ。
城址のおよその場所は分かっていても、どの城も山の中にあるので、入口を見つけるのに苦労した。
上赤阪城址へ行くには山道をのぼっていかなくてはならない。
標高約350m、よくこんな山の中に城を築くことができたものだ。
20分ほどで本丸跡に到着。
上赤阪城址
山の上からは富田林市まで見える。
気持ちのよい場所なのだが、道中出会った蛇のことが気になって仕方がない。
同じ道を帰るのかと思うと苦痛だ。
帰り道、蛇と遭遇した場所を一目散に駆け抜けてホッとしていたのだが、夫の証言によれば、なんとまあ、同じ場所に蛇はいたそうだ。
千早城址へは、金剛山登山口からのぼっていく。
石段が続く。その数500段余り。
しかも石の大きさが揃っていないので歩きづらい。
攻め込む敵に上から石を落としたらしいが、こんなところで石が降ってきたらひとたまりもなかっただろう。
千早城址
楠木正儀の墓
千早神社の脇の道を行くと、楠木正儀の墓がある。
囲いの中に、五輪塔が見える。
「正成の首塚」とも言われているそうだ。
のどかな千早赤阪村をあとにし、高取町へ向かう。
南法華寺(壺阪寺)の観音様は目の観音様として信仰されている。
礼堂の入口や土産物店では目薬が売っていた。
大きなお寺である。境内のあちこちに置かれた大仏や観音様も巨大である。
巨大な像はどれも新しく、どうも心にしっくりとなじんでこない。
ばちあたりな発言だが、あくまでも好みの問題である。
三重塔は美しく、遠くから仰ぎ見ると、
この三重塔と八角円堂のコントラストがすばらしい。
高取城址は南法華寺(壺阪寺)からほど近い。
高取山の標高は584m、高取城は日本三大山城のひとつに数えられる。
くねくねと山道をのぼっていくと、やがて石垣が見えてくる。
城址には石垣しか残っていないが、
石垣をたよりに在りし日の高取城を想像してみるのも楽しい。
山を下り、高取城の城下町である土佐街道を行く。
古い武家屋敷が残っている。
「土佐街道」と呼ばれる所以は、大和朝廷の都造りの労役のために土佐からやってきたけれども、任務を終えた後に朝廷の援助がなく、帰郷できなかった人々が住み着いたことであるという。
日も暮れかかってきたので、宿泊場所へ急ぐ。
カーナビをみれば、「日本武尊白鳥陵」の文字が。
寄り道してみることにする。
目的地近くのはずなのだが、民家と田畑と農道があるだけで、どこにあるのか分からない。
通りかかった近所の人に尋ね、やっとのことで辿り着く。
これは案内なしでは分からないなあと思われる場所に日本武尊琴弾原白鳥陵はあった。