2月1日(日)
当日の行程:(車) → 【博労淵】 → 【野田城跡】 → 【木邨長門守重成表忠碑】 → 【備前島】 → 【大長寺】 → 【若宮八幡大神宮】 → 【鴫野古戦場跡】 → 【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】 → 【本町橋】 → 【三光神社】 → 【真田丸跡あたり】 → 【史蹟岡山又御勝山】 → 【増福寺】 → 【安居神社】 → 【一心寺】 → 【四天王寺】 → 【今宮戎神社】 → 【志紀長吉神社】 → 【真田幸村休憩所跡】 → 【全興寺】 → 【大念佛寺】 → 【杭全神社】 → 【安藤正次墓所】 → 【樋ノ尻口地蔵】
平安初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂の子・野麿がこの地を荘園として賜り、居を構えた。
野麿の子・当道が、貞観4年(862年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが杭全神社のはじまりといわれる。
杭全と書いて「くまた」と読む。
杭全神社には、日本で唯一の連歌所が残っている。
室町時代から神社の重要行事として催されていた連歌会は、明治になって一旦廃れたが、昭和62年(1987)に百年ぶり復活した。
現在では、毎月一回連歌会が開かれている。
樟社
参道の標柱の横にあるクスノキ。
樹齢1000年だとか。
狛犬
狛犬の足には、紐が結ばれている。
これは「走人足止め祈願」の紐なのだそうだ。
狛犬の足に結んで願をかけた紐を持ち帰り、家出人の履物に結んでおくと、居なくなった人が家に戻ってくるという。
拝殿
訪れたのは節分の頃だったので、拝殿の前には「豆入」が置かれていた。
中門
中門の向こうに本殿(重要文化財)がある。
本殿は、向かって左手から第一殿、第二殿、第三殿と並ぶ。
杭全神社の御朱印
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平安初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂の子・野麿がこの地を荘園として賜り、居を構えた。
野麿の子・当道が、貞観4年(862年)に氏神として素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが杭全神社のはじまりといわれる。
杭全と書いて「くまた」と読む。
杭全神社には、日本で唯一の連歌所が残っている。
室町時代から神社の重要行事として催されていた連歌会は、明治になって一旦廃れたが、昭和62年(1987)に百年ぶり復活した。
現在では、毎月一回連歌会が開かれている。
樟社
参道の標柱の横にあるクスノキ。
樹齢1000年だとか。
狛犬
狛犬の足には、紐が結ばれている。
これは「走人足止め祈願」の紐なのだそうだ。
狛犬の足に結んで願をかけた紐を持ち帰り、家出人の履物に結んでおくと、居なくなった人が家に戻ってくるという。
拝殿
訪れたのは節分の頃だったので、拝殿の前には「豆入」が置かれていた。
中門
中門の向こうに本殿(重要文化財)がある。
本殿は、向かって左手から第一殿、第二殿、第三殿と並ぶ。
杭全神社の御朱印