これからも路の途中

市民ランナーの日々の出来事

野辺山完走記2018⑦(完走後)

2018年05月25日 04時51分19秒 | 日記
ゴール後
ゴールできてほっとした。

4年ぶりに完走を目指すということで
自分にプレッシャーをかけ過ぎた。

このブログで宣言した。
職場で話した。
当然走友にも話した。
お得意様にも話した。
整骨院でも話した。

練習から
「野辺山野辺山 完走 完走」
と唱えながら練習した。

プレッシャーをかけ続けたから、心が折れなかったのかもしれないけれど、
正直、うれしさよりも
「ほっとした」
と言うのがゴールできた時の気持ち。

13時間32分というのは
自己記録は更新できなかったけれど
考えてみればよくやったなぁと自分を今はほめてあげたい。

さて、メダルを女の子にかけてもらい
(今年は女の子しかいなかった)
記録証をいただき、プロティンゼリーもいただき、
目の前の体育館で荷物を受け取る。
(スタート前の荷物と42キロ・71キロに預けた荷物が結束バンドでまとめられていた。)

沢山の完走者の中に混ざり、靴下を履き替え、上着を羽織り、ゼリーをいただきながら
ストレッチ。
完走メダルをかけながら、ほっとする時間をしばし過ごす。

87キロのエイドで私に
「完走できると思いますか?」
と、不安げに話しかけてきた女性が完走して体育館に入ってくるのが見えた。
「やっぱり完走できたでしょ。」
と、心の中で話しかけた。
彼女が仲間に
「満身創痍」
と話しているのも聞こえてきた。
その通りです。

翌日の月曜日はお休みを取っていたので急ぐ必要はないけれど
宿泊するわけではなく、車で帰るので少しして体育館を後にする。

素晴らしい、筋肉痛なのか痛みでうまく歩けない。
下りの階段を足を引きずりながら歩く。

駐車場のフラットな部分を車に向かって歩く。
ほっとした感じから少しずつ満足感に変わっていく。

車につくと隣の車でも帰り支度をしている。
疲労感で早く着替えて出発したかったが
お隣さんに
「お疲れさまでした。」
と、声をかけてみました。

すると、ここから長話が始まってしまいました。
(話しかけたことを少し後悔するくらい)
でも、来年は13時間切りたいですね。
とか、このコースの攻略法とかを話し、実際には2・3分で
「では」
と終わったのだと思います。

着替えて、出発。
本当にこの駐車場に停められたので、助かりました。

途中のローソンで水を購入して飲みながら進む。
高速の最初のPAで休憩するのがいつものパターン。

トイレまで歩くのもしんどい。

でも、今までの完走した時より疲労感も眠くもないから
仮眠しないでこのまま、自宅に向かおうか?
とも思ったが、
「中央道 渋滞」
の表示を見て、やはり今年も
「仮眠 & 食事」をしてから帰宅することに決定。

レストランで豚丼の小にしたのは
胃をやられていたからではなくて、お財布の中身が心配だったから。
胃をやられていなかったので帰宅後はおなかがグーグーなっていました。
それもよし、と思って放置しましたが。

食事後、仮眠。
しかし、足が痛くて目が覚める。
それほど仮眠を必要としていないんだなと思い
30分としないうちに出発。

しかし、ここでの休憩の間に渋滞が解消していたようで
スムーズに進みました。

もう1回だけ途中でトイレ休憩をして
自宅についたので日付が変わった12時少し過ぎでした。
同じく月曜日にお休みのかみさんは起きていました。
「どうだった?」(そうか、ラインしたのに見ていないのか)
「完走したよ。」
「あぁ、そう。」
メダルと記録証を出しても全く興味はなさそうでした。
娘はメダルを見て
「いい感じ」
と、さすがJK、ボキャブラリィが貧困です。

月曜日がお休みなので最低限の片付けとシャワーを浴びて
寝ることにしました。

長くなってしまったので、番外編をアップしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする