情報発信を通して日本人のメンタル患者・自殺者を減らしたいという筆者に激しく共感し応援している。
本書で筆者は、「心の健康」のために「遊ぶ」ことを強く勧めている。遊びとは仕事以外の楽しいことと定義し、多くの人に実践可能な方法も多く紹介している。今回、本書を読んで気が付いたことのうち3つ紹介する。
①私の毎楽(まいたの)
第1位:散歩
とにかく散歩が楽しい。
歩くだけで楽しい。歩くのが億劫な日もまず、歩き始める。
すると血流が良くなり始める。気分もハイになってくる。いつもは通らない横道に入るのも面白い。「おぉ、ここにはこんな車が止まっているんだ。」と車好きの私にはたまらない。
12月5日の駅伝でアキレス腱を切って以来、1ヵ月はギプス生活で散歩もできなかったが、ギプスが取れて「歩いていいよ。」と言われるとすぐに散歩に出かけたほどだ。
散歩にちょい足しするのも楽しい。今の季節なら「春を探しに散歩」桜の開花具合を毎日撮影してブログにアップするのも楽しい。最近は、「夕ご飯の食材買い物散歩」や「古本屋さんにナルトを買いに行く散歩」「休日に朝ごはんを食べに行く散歩」などがマイブームだ。以前なら車で行っていた場所も歩いていく。未だ満足に走れず(アキレス腱回復期)運動不足気味なので一石二鳥である。
第2位:料理
結婚して初めに作った料理はオニオングラタンスープだった。
若かったかみさんは「美味しい。」と言って食べてくれた。
子供ができてからは、子どもが喜ぶ味のパスタを作り、完食してくれるのがうれしかった。市販のパスタソースにちょい足ししたり、子どもの好きなソーセージをちぎって入れてみたり工夫する楽しさを味わった。
年を取り30代の頃は仕事も忙しくなり料理を作る機会はめっきり減った。
しかし、40代になると逆に仕事にも余裕が出て、かみさんより早く帰り夕ご飯を作ることが多くなった。平日は、食材配達サービスの決められたレシピで作ることが多い。この経験が後にオリジナルを作れるようになるベースになってきたのだと思う。
昔は「食べられればいい」だったのが
「美味しければいい」になり
「体にいい」「旬の食材を使う」ようになり、
今は「見た目にもこだわる」になってきた。美味しそうに見えるように盛り付けることは「遊び」以外の何物でもないと思う。それはまさに「脳トレ」。
週末は、「夕ご飯作ってもいいですか?」とかみさんに尋ねるようになった。
第3位:読書
お風呂でリラックスしながらお気に入りの小説や漫画を読んでいるとあっという間に1時間ぐらい経ってしまう。ロング風呂読書を楽しむと決めているときは、ペットボトルの水とブルートゥーススピーカと入浴剤を持っていく。面白い映画を見ると原作本を購入して読んでみてブログにショート感想を書くこともあるし、映画を見る前に原作を読んでみたこともある。先に小説を読んで、映画の予告編などを観るともう映画を見たような気分になって面白い。「スマホを落としただけなのに」は本気で見た気になっていたが念のためにDVDを借りてみてみたら「見てなかったんだ。」と気が付いた。人間の脳なんて簡単に騙されるんだなと感じた。
②どうして、メンタル疾患がリバウンドしなかったのか?
今から7年ほど前、仕事と家庭のストレスで「うつ状態」になり休職したことがあった。
当時は、主治医の出す薬を飲みながら、趣味のランニングを続けていた。結果的には3か月未満で職場に復帰することができた。しかし、そのように早く職場に復帰した場合、再発のリスクが多いはずだ。では、なぜリバウンド(再発)せずに通常の勤務を続けることができているのだろうか。
この頃から、ランニング中心だったブログに「楽しかったこと」を書くことが増えてきたからではないだろうか?と思う。日常の生活で楽しかったことをブログに書き、アウトプットする。アウトプットするネタを作るために楽しいこと(遊び)の計画を立てる。計画通りに楽しいことが実行できるとうれしいし、ブログを書く時にはそのことを思い出し、もう一度脳内で体験することができる。すると自己肯定感が上がる。プラスのスパイラルが回っていく。
例えば料理で「新作を月に1つ以上作りブログでアップしていく」というような目標を立てた年があった。ネットで料理を検索する。作ってみて写真を撮る。ブログに書くだけでなく、同僚に画像を見せて紹介する。喜んで聞いてくれる同僚がいたこともメンタルを安定させる効果があったかもしれない。でも、それは自分が行動したから起きた出来事であると今ならばわかる。
料理と言えばコロナ禍の始まりの頃、職場ではランチ時に外食に行きづらいときがあった。自分のために職場のキッチンで昼ご飯を作り始めた。そのうちに同僚のF君を巻き込んで「スパイスカレー作り研修」と称したランチ会をした。それを同僚が広げてくれ、10人分のスパイスカレーランチ会となり、16人分の豚汁定食会へとなっていった。その時の職場の皆様の楽しそうな様子、協力して片づけをしてくれた時の達成感は今でも忘れることができない。これは遊び心を持ち続け「職場で昼ご飯を作って会食するなんて無理だよな」という思い込みを様々な方法で克服し乗り越えたからできたことではないかと感じる。
③私がウルトラマラソンにはまったわけ
ウルトラマラソンとは42.195キロのフルマラソンを超える距離を走ること。私が走るウルトラマラソンは長野県の野辺山を舞台にしたアップダウン満載の100キロマラソンだ。
「ウルトラマラソンは大人の遠足だ!」
と、言い続けてきた。非日常空間に出かけて14時間の制限時間の中、100キロ先のゴールにたどり着くことだけを目標として走り続ける。前日に現地入りして、ゴール後自宅にたどり着くまで自分の時間を自分でコントロールして一切を決めることができる「遊び」以外の何物でもない。そして、現在6回完走するまではまっているのは「没入感」だと思う。
レースでは、前半景色を楽しみながら走ることができる。フルマラソンの距離を超えてもまだ半分も走っていないという感覚は尋常じゃない。50キロ超えても難所は続く。この坂を超えたら次のエイドだ。「次のエイドでイチゴを食べよう。」とか、「次のエイドでコーラを飲もう。」とか小さな目標を次々にクリアしていく。とても走れないような激登り坂が75キロ付近にある。ここは、早歩きで何人抜かせるかにチャレンジだ!などとメンタルを上げる工夫もする。ただ、ひたすらゴールに向かうことだけに没入する。ゴール後の達成感は他では味わえない。体中が疲労感に襲われ、あちこち痛くてもひたすらゴールに向かえるのはたぶんフローに入っているのではないか?とも思える。ウルトラマラソンにはまったわけは、他では味わうことができない「没入感」ゆえだと信じている。
この4月からは、仕事上でも3月までよりも厳しい役割が回ってくる。それでも、今まで通りに
「毎日を楽しみ」「ブログをアップし」「新しい楽しみを探す」
ことを通して、人生を輝かせて行きたい。できるなら、誰かの人生も輝かせるお手伝いもしたい。
この本を読んでそう思った。
本書で筆者は、「心の健康」のために「遊ぶ」ことを強く勧めている。遊びとは仕事以外の楽しいことと定義し、多くの人に実践可能な方法も多く紹介している。今回、本書を読んで気が付いたことのうち3つ紹介する。
①私の毎楽(まいたの)
第1位:散歩
とにかく散歩が楽しい。
歩くだけで楽しい。歩くのが億劫な日もまず、歩き始める。
すると血流が良くなり始める。気分もハイになってくる。いつもは通らない横道に入るのも面白い。「おぉ、ここにはこんな車が止まっているんだ。」と車好きの私にはたまらない。
12月5日の駅伝でアキレス腱を切って以来、1ヵ月はギプス生活で散歩もできなかったが、ギプスが取れて「歩いていいよ。」と言われるとすぐに散歩に出かけたほどだ。
散歩にちょい足しするのも楽しい。今の季節なら「春を探しに散歩」桜の開花具合を毎日撮影してブログにアップするのも楽しい。最近は、「夕ご飯の食材買い物散歩」や「古本屋さんにナルトを買いに行く散歩」「休日に朝ごはんを食べに行く散歩」などがマイブームだ。以前なら車で行っていた場所も歩いていく。未だ満足に走れず(アキレス腱回復期)運動不足気味なので一石二鳥である。
第2位:料理
結婚して初めに作った料理はオニオングラタンスープだった。
若かったかみさんは「美味しい。」と言って食べてくれた。
子供ができてからは、子どもが喜ぶ味のパスタを作り、完食してくれるのがうれしかった。市販のパスタソースにちょい足ししたり、子どもの好きなソーセージをちぎって入れてみたり工夫する楽しさを味わった。
年を取り30代の頃は仕事も忙しくなり料理を作る機会はめっきり減った。
しかし、40代になると逆に仕事にも余裕が出て、かみさんより早く帰り夕ご飯を作ることが多くなった。平日は、食材配達サービスの決められたレシピで作ることが多い。この経験が後にオリジナルを作れるようになるベースになってきたのだと思う。
昔は「食べられればいい」だったのが
「美味しければいい」になり
「体にいい」「旬の食材を使う」ようになり、
今は「見た目にもこだわる」になってきた。美味しそうに見えるように盛り付けることは「遊び」以外の何物でもないと思う。それはまさに「脳トレ」。
週末は、「夕ご飯作ってもいいですか?」とかみさんに尋ねるようになった。
第3位:読書
お風呂でリラックスしながらお気に入りの小説や漫画を読んでいるとあっという間に1時間ぐらい経ってしまう。ロング風呂読書を楽しむと決めているときは、ペットボトルの水とブルートゥーススピーカと入浴剤を持っていく。面白い映画を見ると原作本を購入して読んでみてブログにショート感想を書くこともあるし、映画を見る前に原作を読んでみたこともある。先に小説を読んで、映画の予告編などを観るともう映画を見たような気分になって面白い。「スマホを落としただけなのに」は本気で見た気になっていたが念のためにDVDを借りてみてみたら「見てなかったんだ。」と気が付いた。人間の脳なんて簡単に騙されるんだなと感じた。
②どうして、メンタル疾患がリバウンドしなかったのか?
今から7年ほど前、仕事と家庭のストレスで「うつ状態」になり休職したことがあった。
当時は、主治医の出す薬を飲みながら、趣味のランニングを続けていた。結果的には3か月未満で職場に復帰することができた。しかし、そのように早く職場に復帰した場合、再発のリスクが多いはずだ。では、なぜリバウンド(再発)せずに通常の勤務を続けることができているのだろうか。
この頃から、ランニング中心だったブログに「楽しかったこと」を書くことが増えてきたからではないだろうか?と思う。日常の生活で楽しかったことをブログに書き、アウトプットする。アウトプットするネタを作るために楽しいこと(遊び)の計画を立てる。計画通りに楽しいことが実行できるとうれしいし、ブログを書く時にはそのことを思い出し、もう一度脳内で体験することができる。すると自己肯定感が上がる。プラスのスパイラルが回っていく。
例えば料理で「新作を月に1つ以上作りブログでアップしていく」というような目標を立てた年があった。ネットで料理を検索する。作ってみて写真を撮る。ブログに書くだけでなく、同僚に画像を見せて紹介する。喜んで聞いてくれる同僚がいたこともメンタルを安定させる効果があったかもしれない。でも、それは自分が行動したから起きた出来事であると今ならばわかる。
料理と言えばコロナ禍の始まりの頃、職場ではランチ時に外食に行きづらいときがあった。自分のために職場のキッチンで昼ご飯を作り始めた。そのうちに同僚のF君を巻き込んで「スパイスカレー作り研修」と称したランチ会をした。それを同僚が広げてくれ、10人分のスパイスカレーランチ会となり、16人分の豚汁定食会へとなっていった。その時の職場の皆様の楽しそうな様子、協力して片づけをしてくれた時の達成感は今でも忘れることができない。これは遊び心を持ち続け「職場で昼ご飯を作って会食するなんて無理だよな」という思い込みを様々な方法で克服し乗り越えたからできたことではないかと感じる。
③私がウルトラマラソンにはまったわけ
ウルトラマラソンとは42.195キロのフルマラソンを超える距離を走ること。私が走るウルトラマラソンは長野県の野辺山を舞台にしたアップダウン満載の100キロマラソンだ。
「ウルトラマラソンは大人の遠足だ!」
と、言い続けてきた。非日常空間に出かけて14時間の制限時間の中、100キロ先のゴールにたどり着くことだけを目標として走り続ける。前日に現地入りして、ゴール後自宅にたどり着くまで自分の時間を自分でコントロールして一切を決めることができる「遊び」以外の何物でもない。そして、現在6回完走するまではまっているのは「没入感」だと思う。
レースでは、前半景色を楽しみながら走ることができる。フルマラソンの距離を超えてもまだ半分も走っていないという感覚は尋常じゃない。50キロ超えても難所は続く。この坂を超えたら次のエイドだ。「次のエイドでイチゴを食べよう。」とか、「次のエイドでコーラを飲もう。」とか小さな目標を次々にクリアしていく。とても走れないような激登り坂が75キロ付近にある。ここは、早歩きで何人抜かせるかにチャレンジだ!などとメンタルを上げる工夫もする。ただ、ひたすらゴールに向かうことだけに没入する。ゴール後の達成感は他では味わえない。体中が疲労感に襲われ、あちこち痛くてもひたすらゴールに向かえるのはたぶんフローに入っているのではないか?とも思える。ウルトラマラソンにはまったわけは、他では味わうことができない「没入感」ゆえだと信じている。
この4月からは、仕事上でも3月までよりも厳しい役割が回ってくる。それでも、今まで通りに
「毎日を楽しみ」「ブログをアップし」「新しい楽しみを探す」
ことを通して、人生を輝かせて行きたい。できるなら、誰かの人生も輝かせるお手伝いもしたい。
この本を読んでそう思った。