京都府京都市下京区堀川七条上ル花園町に興正寺があります。
興正寺は西本願寺の南隣りにある真宗興正派の本山です。大谷廟堂3代留守職覚如(かくにょ)の子・存覚(ぞんかく)の弟子・空性房了源(くうしょうぼうりょうげん)が山城国山科郷に一宇を建て、覚如が興正寺と命名したといわれています。
その後東山の汁谷に移り、仏光寺と改称し、天台宗妙法院に属しました。長禄元年(1457)本願寺8世となった蓮如が宗派再興の活動を起こし、延暦寺の弾圧で北陸に移りました。文明13年(1481)、仏光寺14世の経豪が蓮如に帰依したため、天台宗から追放され、仏光寺を去りました、
経豪は名を蓮教と改め、山科にあった本願寺の中に一宇を建てて、旧名の興正寺と称しました。蓮教は蓮如と力をあわせて念仏弘通に奔走しましたが、天文元年(1532)の天文法華の乱で、興正寺は本願寺とともに兵火で焼失し、大阪に移りました。
永禄10年(1567)、興正寺に本願寺11世・顕如(けんにょ)の弟・顕尊(けんそん)が入寺し、本願寺との関係を深め、天正19年(1591)に本願寺とともに現在地に移りました。その後、明治9年(1876)に真宗興正派として独立し、本山となっています。
興正寺の本堂は知恩院の三門、日光本廟とともに日本三建築の一つに数えられていましたが、明治35年(1903)の火災により焼失してしまいました。10年後に今の御影堂・阿弥陀堂が再建されています。
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