虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

日本の古代史と神々(その15) -追加編-

2008-01-23 14:35:36 | 宗教
忘れるといけないので、緊急追加しました。

古事記の最初の三神∔二神&神代七代(夫婦神を一代とする)=12代の神々。
これは明らかにカバラの思想です。

私は、最初の三神に二神が繋がっているため、思いつかなかったのですが、生命の木は10のシンボルから成り立ちます。
3∔7(3母字∔7複字)を意識し、生命の木が10のシンボルからなっていると思っていたからなのです。

ところが、物界を表すマルキュト(足:父、母)には、更に足首から下に2を足し全体で12とし、創造すべてを表現します。

10に2を加えた12が、古代象徴学での顕著な数字だということです。イスラエルの大祭司胸当の12の石、黄道帯12宮、イスラエルの12部族、イエスの12使徒等々、すべて聖なる一者が物質界へ顕現した秘密のシンボルとされています。(「カバラの信義」より)

こうして神は、物質界に顕現し、イザナギ-イザナミが国生みを開始する物語は完全にカバラを前提として組み立てられているといえます。

つまり、古事記の元資料にはカバラを意識した思想が組み込まれていたと言っていいでしょう。
古事記は、元資料に忠実だったと考えられます。

一方、日本書紀は一定の形式(3とか7)を踏みながらも、その内容にはカバラ的思想がみられません。
意味が分からないために、適当に編纂したものと考えられます。
ただし、形式だけは整えたといったところでしょうか。

こうした視点からすると、古事記が日本書紀に先だって成立したことは明確になります。
多分、元資料、古事記を参照しながら編纂したのでしょうが、渡来人が多く携ったことにより、元々の意味も分からず、意味不明な神々を並べたということだろうと思います。
もっと深い意味があるかも知れませんが、取敢えず、そのようなことでしょう。

ふと、閃いたので、忘れないように追加いたしました。
多分、このような視点から古事記、日本書紀を考えた人はいないと思いますから、<トンデモ説>とされるでしょうが、根底にある宗教思想的流れには自信があります。

興味のある方は、このような視点から日本古来の神々を紐解いてみたらいかがでしょうか。

では、またお会いしましょう。


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