アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

副守護神とエーテル体の近似

2017-02-21 04:39:58 | 古神道の手振り
◎神憑というトランス

出口王仁三郎は、人間の守護神を3分類している。曰く、我が魂の本体は、本守護神。本守護神とは、クンダリーニのエネルギーコード(大神の直接内流)につながった個別な魂のこと。
これを常時エスコートしているのが、善玉である正守護神であり、悪玉である副守護神

副守護神については、ザ・ジャンプ・アウト215の記事で、アストラル体に分類していたが、肉体にあまりにも近いことを考えれば、副守護神とはエーテル体のことではないかとも考えられる。

副守護神の悪玉扱いは、「神的」という視点からすれば、肉体に近いがゆえに悪玉分類だが、肉体生命の維持に必須の機能も有しているので、単純に排除という方針をとるわけにもいかない。

さてエーテル体とは、肉体では検出することはできないが、針灸で用いる経絡図の経絡をそのまま抜いてきたような形状であって、傘の長い骨状。

一方副守護神のことをまとめると、
1.肉体の睡眠中は副守護神がその精神の支配を任され、これが夢として認識される。

2.出生直後から幼児期は、正守護神よりも副守護神の方が、本人のことをより強くサポートするものであり、また成長した後も、睡眠中は副守護神がイニシアティブを握るもの。


3.正守護神、副守護神とも、自分のついている人間が自分とは別のものであるという認識がなぜかなく、人間が自分のものであると信じ込んでいるがために、一生懸命その人間を守護するという。

もう一つ注目したいのは、神降ろし・憑依は、帰神・神懸・神憑(しんぴょう)に3分類されるが、この神憑(しんぴょう)の説明。

『3.神憑(しんぴょう)
 外部より、人件の肉体に侵入し罪悪と虚偽とを行うところの邪霊を悪霊または、副守護神というが、副守護神に侵入されたこの状態を神憑という。

チャネリング(交霊術)の達人には、神憑が多く、このような副守護神は、地獄の団体に籍を置き、人間の善霊を亡ぼし、肉体をも亡ぼそうとするもの。』
(霊界物語第48巻/出口王仁三郎/天声社から引用)

こういう説明をされると、副守護神のエーテル体説は揺らぐかもしれないとも思うが、さにあらず。意識の表面がエーテル体意識優勢となった状態であって、要するにトランスである。いわゆるローレベル・トランスの一種がエーテル体意識優勢のトランスであり、出口王仁三郎は、これを副守護神に侵入された神憑の状態と見ているのだろうと思う。

副守護神は悪の属性をも有するので、神憑というトランスを世間的に見れば、「悪霊の憑依」と見えるというメカニズムではないかと思う。
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ダンティスの悪影響

2017-02-20 05:34:08 | 究極というものの可能性
◎神聖極まりない何かすら余計なもの

ダンテス・ダイジは、本人の発音では、ダンテスであり、ダンティスではなかった。以下のダンテス・ダイジの遺作の一つメディテーション・トラベル・ガイドの一節では、なぜかダンティスになっている。

『ダンティスの悪影響

中国の臨済禅宗の開祖・(臨済将軍)臨済義玄は、ダンティスの霊系に属する分身の一人だったが、こうしたダンティス・ケンタウロスの系流が、その逆説的な表現ゆえに、多くの誇大妄想狂やデカダンスやニヒリズムや野狐禅者を生み出してしまう結果になったのは、各時代に現れたダンティスの分霊分身達の言動の悪影響としての社会的な事実である。

これは、ダンティスの教示が、ステップや方便を越えて単刀直入に「現実」に言動せしめることからくる誤解であるが、ダンティスの系流は勿論誤解や悪影響など知ったことではない。

 ダンティスは方便を好まない。ダンティスは聖者を好まない。ダンティスは人間的人格性と人間的努力を認めない。何故なら、こうしたものは、常に人生を「あるがままである」ということの真意から遠ざけることになりやすいからである。

それ故、無数の時代の無数のダンティスたちは、常に戯れるものとして生きた。ダンティス・ケンタウロス、クリシュナ、臨済・・・・・・。彼等は、本質的には己の真実を生きただけであって、宗教などという神聖極まりない何かすら余計なものであったと言うべきである。』
(メディテーション・トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジから引用)

この文章を最初に見たのは30年も前になるだろうか。あの黄砂舞う河北省の寒村で活躍した臨済が、喝一本でもって衆僧を驚かせては普化にきりきり舞いさせられていたが、彼もダンテスの系流だとダンテスは指摘していた。

当時ですら冥想は日常生活に根付いていたとはいえず、それは現代においても変わらない。冥想なしで、このバランスを崩しながら進む時代に適応してまともに生きられるかといえば、それは相当に頑張らないとダメだし、頑張ってもダメな人も相当いて、そんな人は退行したり薬物治療の厄介になったりしている。

その時代と人間のアンバランスぶりが、普通に学校や職場や街頭で見られるようになったというのが30年前と今の違いというところだろうか。

方便なしで悟りそのものを生きるにはまず悟らねばならないが、既に悟った者にとっては、悟った人と悟っていない人の差などないから、こうした表現の仕方となる。だが、悟っていない人が、人生あるがままなどと言ってわがまま放題に生きたり、冥想はよいものだとして洗脳や願望実現に用いたりすると、いろいろな人生上、社会上の悲劇を引き起こしまくる。

冥想の可能性は無限であるがゆえに、未悟の者こそその対応には慎重であるべきだと思う。
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ブログ開始満12年

2017-02-19 06:17:10 | 時代のおわり
◎わかってきたこと

ブログを開始してから満12年を迎えた。コンサートでは、聴衆の皆さんが素晴らしかったので、演奏も良かったなどというが、ブログも読者あっての記事である。

最初の頃は、意外にものを知らない自分に愕然とすることが多かったが、今となるとむしろほとんど何も知らない自分のことがもっとわかって来たというところ。

このブログは、内容的には、自分の求道方面における私的メモなのだが、まとめの一つである「悟りとはなにか」と「ザ・ジャンプ・アウト」を出してからは、記事は書きやすくなった。

最近「ザ・ジャンプ・アウト」を読み返してみたが、見出しの快調な進み方とは裏腹に、内容はなかなかさくさくとは行っていないことに気がついた。もともとこの分野はそう簡単に進めたら誰も苦労はしない分野である。

だが、ブログを始めた2005年では絶対に書けなかったことが今なら書けるというものはある。

OSHOバグワンは、2005年には、没後ではあってもその熱気は生存しているが如く残っていたが、いまや過去の人のようだ。

クリシュナムルティは、その純粋さとその生きぶりの一徹さは、2005年当時にも理解されることは稀だったが、いまも同じ状況。

ダンテス・ダイジは、日本人であるせいもあるが、当時よりは関心を向けられてきているように思う。

出口王仁三郎は、最近は天皇家がらみで語られることが多くなったが、その宗教観の全容は、古神道の再興であって、鎮魂帰神という行法から出てくるところのクンダリーニ・ヨーガ風の世界であり、霊界物語がその本体である。ところが未だに教義の全容把握を大本事件の裁判資料によっているのは情けないように思う。

さて日本国の精神世界は数名で負っている訳ではなく、日本全国津々浦々の善男善女が負っているが、昭和以降は、出口王仁三郎とダンテス・ダイジの負うところは大きいように思う。

この12年で最大の天変地異は、東日本大震災だった。これは、地震津波被害以外に原発災害を伴うもので、政府とマスコミ報道、政治のあり方、利権誘導と地方など各方面に問題提起をしたが、千年に一度の天災でありながら半分は人災と言われるからくりを多くの国民が気がついてしまった。そして文明生活が停電や断水などで途絶するとは、こういうものだというリハーサルを奇しくもやることになった。

3.11以前は家庭の食料・水備蓄は3日分と言われていたが以後は7日分に変わった。

不滅の神国日本は、青森から千葉にわたる海岸線を津波に急襲され、これは、出口王仁三郎の一連の予言に影響が出るほどの天災(一部は実現した)であるという印象を持った。

2000年以降の日本社会の世相は、ITの進展と生活への浸透とは裏腹に悪がさらに発達してきたという側面は見逃せない。要するに生活の表面はよりスマートになったが、内実は貧困と悪の相乗でもって、より地獄的になってきたということ。

まともな宗教ももちろんあるのだろうが、組織宗教は金もうけの手段と仕組みになり、スピリチュアルの多くは人を騙して金をもらうテクニックとなっている側面もある。世間的にはまともな宗教の中にも実はカルト的な面があり、そうした中に本物のカルト集団も混在し、無垢で純粋な素人には、何が正しい宗教、スピリチュアルなのか見分けのつかない時代になって久しいのではないか。実はそうなっていたのは、1990年代からではないかと、最近になって考えるようになった。

オウム真理教事件は20年以上を経過。これが世間の組織宗教離れを決定づけたと思う。だが、こうした宗教的にノンポリの個人には何も冥想法のガイダンスは与えられていない。そこが時代のニーズではある。

人は正しいものなしには生きられないし、正気でない状態をいつまでも続けることはできない。ちょっと異常であることが、この時代に適応するコツではあるが、そうしたノーマルでない状態が、いつまでも続くものではないと思う。

この12年ご来訪いただきありがとうございました。歳星である木星は12年周期ですが、これが一周し、明らかに変わった部分があります。もうひとつ別のシリーズを始めようと考えています。

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夢窓国師の大悟まで

2017-02-18 06:31:57 | 丹田禅(冥想法8)
◎思い上がりがあっては悟れない

日本の禅カルチャーの源の夢窓国師。夢窓国師は、20歳で建仁寺で出家し、翌年の冬鎌倉の建長寺に入学した。

最初一山国師に師事し、禅語録を読みふけった。ある日、万寿寺の仏国禅師のところに入室参禅し、禅語録の内容を説明してくれと頼み込んだところ、仏国禅師は驚いて、「禅語録の内容は説明できないし、自分で悟らなければいけない」と答えると、

夢窓は、「どんどん読書していけば、自然に悟れますか」などとなおも云うので、

仏国禅師「悟りたければ自分で究わめよ」、と。

以後、夢窓は、白隠みたいに全国を行脚し、深山幽谷でも坐禅した。

ある日、仏国禅師が別れに際して、求道者が世間と出世間を毛先ほども区別するところがあれば、その人は悟れないと教えてくれた。

要するに出家僧をやっていることに、出家は偉いんだみたいな毫毛もの思い上がりがあっては悟れないということ。

これを聞いてただぽかんと坐るだけの日々が続いたが、ある夜、大悟して、仏国禅師の教えが本当だったことを知った。

夢窓国師は旅フリークで、集団坐禅でなく一人坐禅だと殊更に言われるが、いまは個人個人で分断された生活が普通なのだから、一人坐禅が基本で、たまにはグループ坐禅もあるというペースの方が多いのだろうと思う。

禅では、その密儀は、教えられるものではないが、大悟後の感激のインタビューの中に教えてくれなくてありがとうという感謝の言葉が入ることがある。それは、もちろん教えられないが、ヒントも教えてくれない方が、その歓喜は大きいということなのだろう。
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ヘーラクレースがわが妻子を殺す

2017-02-17 05:38:39 | 現代冥想の到達点
◎英雄も気が狂う

ギリシア神話の英雄といえばヘーラクレースだが、冥界から帰ってきたヘーラクレースは、知り合いを見分けることもできなかったし、自分の名前も失念してしまっていた。

そのうえ彼の妻メガラーとわが子3人を仇である人々と誤認し、子の一人をこん棒で撃ち殺し、残り二人は射殺し、メガラーをも矢で殺してしまったという。

この話は、単に冥界のような深い無意識に入った場合、人間は、見当識を失い、自分のアイデンティティも忘れ去るシーンがあることを言っていること。あるいは、死の世界に入る修行法によって死の世界に入った場合、生還の後はしばし自分が誰であるかもわからない状態になることのどちらかを示しているのかわからないところがある。

悟りというピーク・エクスペリエンスにおいては、大徳寺の大燈国師のように、乞食を9年やらないと戻らない状態になったり、荘周胡蝶の夢のようにまったくどちらの状態も真の現実であって区別のつかない状態になったり、そうした社会的には危険な状態が隣り合わせになっているということなのだろう。

ギリシア神話では、アテーナーが目覚めの石を彼に投げつけて深く眠らせ、容易には目覚めなかったという。
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プロメテウスの解放

2017-02-16 05:35:35 | 冥想アヴァンギャルド
◎火力文明の終焉

不死なるプロメテウスは、ゼウスを騙して人類に火を与えたかどで、大岩に縛られ串刺しにされ、毎日肝臓を大鷲に食べられるという責め苦を与えられ続けている。

この苦痛は永遠ではなく、解放される日が来た。英雄ヘーラクレースが、その大鷲を矢で殺したからである。彼が岩に縛り付けられていたのは奇しくも三千年。

火力を用いて救済がないのが、三千年
火力を用いても責め苦のない時代、至福千年がその後に続く。

大鷲はそれまでの世界のシンボル。それまでの世界が死んで、初めて新時代が到来するのだ。

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クンダリーニと神話

2017-02-15 05:34:31 | クンダリーニ・ヨーガ
◎リビドーの変容

クンダリーニ上昇の秘儀において、クンダリーニのエネルギーコードは、背中のチャクラから外れていき、脱身し、アートマンを目指し、「なにもかもなし」へと進む

クンダリーニのエネルギーコードは、燃える火として表象されるが、錬金術などのシンボリズムでは、スワジスターナ・チャクラの三角の炉の下方にいるとぐろを巻く蛇ともされる。

古代インド・ペルシャのソーマは飲み物ではあるが、その実、火でもあり、最初は飲み物だったが、火に変容した。ギリシア神話のプロメテウスは火を奪い取るという形で、一歩進んだ。

蛇は、もともとリビドーであり、蛇が火に変わると、火は英雄を生む。英雄とは、自由と無限の力を持ち、遠方に旅をすることから脱身のイメージではないか。

英雄の誕生周辺では、母なる死からの再生を伴うものであり、クンダリーニ上昇プロセスにおいて、肉体死と同時に脱身が起こるとは、死を経て再生する英雄のイメージそのものである。

更に太母から自由になるシーンが待望される。これは、アートマンそのものが中心太陽に突入しモクシャとなるくだりだが、アートマンそのもの、自我いや全宇宙なる自我を犠牲に捧げないとこれは起きない。

著名神話のプロットは英雄と神々の死と犠牲、再生、困難との闘いが散りばめられているが、神話こそは人間進化の最重要のテキストでないはずはなく、順序とシンボルの意義を悟った者だけが、英雄の自己犠牲の彼岸に到達できる。
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買い物とプチ洗脳

2017-02-14 07:12:07 | テレビの前の正気
◎何かとやたらに人をはまらせる世界

ジョン・ブアスティン(Jon Boorstin)は、映画は情動の三つの異なるレベルで訴えかける、すなわち本能(原初的情動:スリル、破壊、セックス、残忍、恐怖、嫌悪)、代理(その行動を眺め観察している自分)、のぞき見(新しく素晴らしいものを発見したがる詮索好きな観察者)だと指摘している。

これに対してドナルド・A・ノーマンの三つのレベル、本能、行動、内省は上記の3レベルに対応していると主張する。

ドナルド・A・ノーマンによると、この3レベルは情動に関する脳機能の3レベルであって、以下のように刺激され得る。

本能:自動的生来的機能→外観から刺激
行動:日常の行動を制御する機能→使うことの喜びと効用から刺激
内省:熟慮機能→自己イメージ、個人的満足感、思い出から刺激
(以上参考:エモーショナル・デザイン/ドナルド・A・ノーマン/新曜社)


こうして見るとよくできた印象的なコマーシャルは、この三つを兼ね備えているように思える。

コマーシャルで情動を起動させられ、その製品を使うことで、機能を再確認し、使った・消費したという体験は、思い出となり潜在意識の水底にしまい込まれる。

こうしてその製品は再度購入されることを期待できるようになる。

しかし、そのコマーシャルに揺り動かされた買い物って、プチ洗脳ですよね。そういう目でみると、テレビというのは、極めて洗練されたプチ洗脳手法のオンパレードであって、一日に30分以上も見れば、頭の中は既にテレビ次元の世界に生きるバーチャル・ヒューマンになっていること疑いなし。パーフェクト・ヒューマンではなくて、夢想の世界に生きるバーチャル・ヒューマン。

現実世界は一時的に意識の視野から消え、一時的に出したヴァーチャル世界で注意力が活動し、まず注視、次に買い物、最後に消費へと誘導される。

ポイントは、注意力を固定させず、次から次へと、彼の意識の中では「合理的」に動かしていき、目指す行動へとはめ込んでいくこと。

こうしたプチ洗脳の結果は、『むだ使い』という結末を招く。
モバゲーなども注意力の誘導という点では似たような洗練された手法に進化してきている。

こうして何かとやたらに人をはまらせるのは、求道的にみれば、人間本来の感じ方、あり方を忘れさせ遠ざけさせる邪境とも言うべき世界だが、もはやそういう世界になっちまっている。
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西欧古代から中世の迷路

2017-02-13 05:27:33 | 究極というものの可能性
◎無文字の謎

オリエントから西には、古来王侯の庭園や教会の内部あるいは外の敷地に迷路を置くことがあった。

今やモバゲーやPCゲームにダンジョンは欠かせないが、ネタバレを見ながら解くのが一般的になっているので、迷路本来の機能は失われている。

人間社会のあらゆる問題は死の恐怖から来ている。生保、損保、そして生活を安定させ余計な死のリスクを分散させる税の再配分のシステム、家庭、社会秩序、軍備、政治イデオロギー、そうしたものは本来時々刻々直面している自分の死のリスクから来る緊張を緩和するために作られたものである。

死のリスクを論じるならば、死のステップチベット死者の書などで見ていくことも避けられない。死の初段は、肉体死から「原初の光」を意識しつつ、エーテル体の崩壊、中有へ移動、アストラル体への移行と進む。

そしてアストラルに留まればそれは単なる霊がかりであって、本質的な解決には程遠いものに終わる。

東洋では迷路などを置かなくてもそういう問題意識や解決の方向性は、自然や社会の中に備わっていたところがある。

西洋では、人間知性の限界と闇を無文字な謎という形で訴求しようとしたのだろう。

【ローマ時代の迷路_イタリア_クレモナ】



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一休 禅僧の画像投稿に怒る

2017-02-12 06:00:54 | 丹田禅(冥想法8)
◎絵像大きなる迷惑なり

ある僧が自撮りの自画写真をinstagramに掲載した。これを一休に自慢したところ、一休は怒ってそのスマホを床に叩きつけ、踏みつけ、彼に賛を与えた。

世を捨てて 形を捨てず
鬢髪を切って煩悩を切らず
仮に画像をかきて
おのが悪業をかづけ置く
絵像大きなる迷惑なり


僧はこの賛を得て自分も出家者だから反省を示したそうだが、他人に言われる前に気が付かないほど緩み切っていたわけだ。

実は『一休ばなし』では、instagramの写真は、自分で書いた自画像になっているのだが、今の時代に置き換えればこんなところだろう。

緩んでいる人もいれば、真面目に密かに求道している人もいる。
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家族

2017-02-11 06:09:37 | 時代のおわり
◎絶対的な孤独者たちのグループ

『家族は、無数の悪弊の根本原因だ。

それは国家が作られている、民族が作られている、宗教組織が作られている基本的な煉瓦だ。

しかも、家族は全人類の男性と女性の至福を破壊してしまった。

今日西洋では、三つに一つの結婚は子供たちと財産に関するひどい法的な争いをともなう離婚に終わっている。

世界のあらゆる暴力犯罪と殺人の大多数は、家族の中のその構成員の間で生じている。』
(大いなる挑戦・黄金の未来/バグワンP75から引用)

日本の離婚率も三分の一に達しようとし、中高年の半分は、『おひとりさま』。

OSHOバグワンは、冥想コミューンの中で家族のない集団社会を夢想し、実現にチャレンジしたが、神知らぬ構成員のほとんどである中、そのイデアの結末は皆が知る通りである。

毛沢東が実権を掌握している頃、中国では人民公社という集団農場が組織され、家族は存続してはいたが、子供は集団養育されることにより、実質的に家族の破壊が広汎に起きていたようで、人民公社はまもなくとりやめとなった。

来るべき千年王国では、家族の姿は今と異なるのかもしれないが、現代のように社会の大多数の構成員が未悟にとどまっているのであれば、家族なき社会は単なる乱交乱倫社会を出ないことを、このOSHOバグワンのコミューンや人民公社が示しているように思う。人は実親の愛を幼少期に受けることで、まともな社会性の萌芽が育っていく。

だが釈迦は家族を捨て、イエスには家庭がなく、空海も家庭がなかった。

悟りという現象が肉体的生理的健康の対極にある以上は、宗教における聖性を持ちながら家庭を持つというのは至難なのだろう。それでもそれを両立しようとするチャレンジャーはいて、親鸞や谷口雅春はそうした実例だったのだろう。

山水画を見ると絶対的孤独の影が差しているものがある。本当に寄る辺なき人に結婚や家庭の入る余地はない。それが、OSHOバグワンの無家庭哲学の基盤なのではなかっただろうか。
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トロギールの大聖堂

2017-02-10 05:46:08 | 錬金術
◎天の露を受ける

このレリーフは、クロアチアの人工島トロギールの島の大聖堂にあるもの。古都トロギールは世界遺産。人物は錬金術師であり、天井から吊るされた炉に何かをくべている。そして左手の聖杯を高々と上げそこに天使からの天の露を受けている。

この大聖堂は13世紀から建造されたが、当時既に、錬金術なるクンダリーニ・ヨーガ冥想が認識されていて、このダルマチア海岸の大聖堂の目立つところに、この異教的なレリーフを彫らせるほど、訳のわかった冥想修行者がいたことは、特筆される。

禅なら卒啄同機であって、人間の努力に加え天から来る如きものがないとそれは成らない。

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古史古伝の考え方

2017-02-09 05:37:34 | 古神道の手振り
◎文明滅亡を生き延びてきたサンカ

最近山の民であり漂泊の民であるサンカ関係の本を見ているが、曰くサンカと部落民は違うとか、大和朝廷による被征服民族であるとか、皆寡少の物証、伝承を集めては想像を膨らませている。

そうなるとどうしても古代史を遡って見れる超能力者に古史古伝の真相を質問に行きたがるのは、研究者もファンも同じ真情。

戦前の超能力者出口王仁三郎のもとにもこうした研究者や古史古伝ファンが押し寄せて、彼も往生していたというつぶやきも残されている。

ホツマツタエ、上つ記(うえつふみ)、竹内文書など日本は神代文字と古史古伝の宝庫。朝鮮のハングルも神代文字の一種に酷似しているので、将来神代文字研究者の中には、「朝鮮で復活した神代文字」などという学説を立てる人もいるだろう。

それはさておき、日本の古代史は、宗教と政治・軍事の聖俗二面の統治の変遷で見なければいけないと思う。

嚆矢は、1万2千年前のアトランティス滅亡時にスサノオ尊が、アトランティス密教の精髄を携えて日本にやってきたところから。アトランティス密教は、鎮魂というクンダリーニ・ヨーガ技法と帰神というシャーマニズム技法が中核になった古神道に姿を変え、万世一系の天皇を司祭とする形で現代にまで継承されてきている。

政治・軍事面では、世界の文明の復興と破壊が何回か繰り返してきた大きな時代サイクルの中に日本は翻弄されてきた側面があるように想像する。直近では三千年少々前に世界的大洪水があったと見られ、それで飛行機や先進通信文明が世界的に発達した時代は一旦終了したのだろうと思う。

私は、石器文明からスタートして、情報の蓄積の結果飛行機や潜水艦のできる時代は3千年くらいではないかと思っているが、そのつど世界的大洪水や核戦争で先進文明は烏有に帰す。こうした繰り返しが、過去1万2千年の間に四度くらいあったのではないかと思っている。

ただし文明の最盛期の時代であっても、今の時代のように世界中どの大都市に行っても話す言語は異なっても皆スマホを持っていて、コンビニがあってデパートがあってというような広がりのあったことはなく、最先端の文明都市、あるいは文明国家は世界全体でも数えるほどしかなかったのではないかと思う。

そして文明滅亡時にも全文明が一気に原始時代に戻るのではなく、何年かは飛行機や戦車の技術は残っているがいつのまにかその技術は失われていく。こうした経緯はインドの叙事詩マハーバーラタや墨子やオーパーツに痕跡をうかがうことができる。

こうして世界文明は、三千年くらいで滅亡を繰り返してきたのだが、プラトンのいうように、大洪水や核戦争で生き残る人々は、奥山の無学の羊飼いのような人々であって、箱船のノアのようなインテリが生き残るのはまず稀。

そこで日本は地震国であり、火山国であり、東日本大震災クラスの津波や地殻変動が何度も襲ったに相違ないから、文明滅亡のサイクルは、もっと短いのかもしれない。そこで生き残るのは、やはり山の民サンカということになる。

山の生活となれば修験道となり、役行者、空海という山で修行した聖者が、山から日本の精神文明を戦前までリードしてきたのは偶然ではないと考えられる。

出口王仁三郎は、古史古伝の説明には全く熱心ではなかった。最初九州に入った熊襲は、東に追われてアイヌとなったくらいが説明のせいぜい。

彼は古事記の内容が「わや」にされたものであると指摘し、現代版古事記として霊界物語を出したのだが、霊界物語は、ノンフィクション風でなく、神秘主義的に書かれているのは、お愛嬌である。

古神道もクンダリーニ・ヨーガであるからには、肉身でない師匠から伝承されるほうが普通かもしれないので、そういう特質を念頭において古事記や天皇家の古神道を見なければいけないのではないかと思う。

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アメリカのゴールド・ラッシュの頃

2017-02-08 05:42:29 | 時代のおわり
◎人は金のためなら何でもした

アメリカンフットボールのスーパーボールは、2月5日、AFC王者ペイトリオッツが史上初の延長戦でNFC王者ファルコンズに34-28で大逆転勝ちを収めた。

アメリカンフットボールには、別にSan Francisco 49ersという名門もあるが、この名前はゴールド・ラッシュにちなんだもの。

1849年にカリフォルニアの金鉱発見によるゴールド・ラッシュのにわか景気が起こり、金を目指して西へ西へと一攫千金を夢見る人々が大量に移動した。こうした人々をフォーティ・ナイナーズと呼ぶ。

法治の及ばない当時のカリフォルニアはでは、人々にもっと残酷な運命が待ち構えていた。

フォーティ・ナイナーズでは、12人に一人が金鉱に向かう途中で死亡し、それ以外に現地や帰途で、亡くなる人もいた。

死因で特筆すべきは暴力による死が少なくないことで、殺人発生率は、10万人あたり500人と、2014年のアメリカの3.86人と比べると100倍以上である。
なお2014年の第一位はホンジュラスの74.55人。

当時の医師によると、1851年から1853年までにカリフォルニアにやってきた人のうち五分の一が到着して6週間以内に死んだという。現地では警察も裁判所もなく自主警察という名のリンチが盛んだったそうだ。

現地では白人優位であり、中国人移民やチリ人移民などは劣悪な扱いを受けたが、最悪だったのはインディアン。原住民のインディアンは、カリフォルニア州で1844年に12万人いたが、1870年までに3万人に激減したという。

その殺害の手口は、彼らの公営住宅襲撃や、宴会に招いての集団毒殺や、百人単位の虐殺が少なくなく、白人は十字軍の時代と変わらない残酷さを発揮している。
(以上参考:図説 金の文化史/原書房/レベッカ・ゾラックP209-212)

トランプ大統領が低所得白人層の復権を掲げて登場したが、それが本気かどうかはともかく、こういう(白人による)無辜の民の大量虐殺はカルマ的に響くものであり、簡単ではあるまい。また生活に困ればそういう人が出がちなものであるが、白人はのためなら何でもやったのですね。

アメリカはまず法と秩序というのは、こうした歴史のなせる業。日本とはあまりにも風土が違いすぎる。
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五大の生成と消滅

2017-02-07 05:22:00 | 究極というものの可能性
◎シヴァ・サンヒターに見る世界の展開

シヴァ・サンヒターでは、地水火風空の五元論であるが、その生滅の根本をスラリと書いている。インドから東は五元論。

まずプルシャが意欲して万生を生み出したが、マーヤ(無明)がその時現れたので、万生は本来偽物である(実体がない)。

そして清純な梵(ブラフマン)に無明との結合が生じた。これが虚空(空)。

虚空から風が生じ、虚空と風の結合から火が生じ、虚空と風と火の結合から水が生じ、虚空と風と火と水の結合から地が生じた。

これをわざわざ、空から風が生じ、風から火が生じ、火から水が生じ、水から地が生じなどと言い換えている。

以上は現象の生成方向だが、現象の消滅方向の説明もある。

地は水の中に溶け込み、水は火の中に溶け込み、火は風の中に消え、風は空の中に消える。空は無明の中に消え、無明は梵(ブラフマン)の中に消える。
(以上参考:ヨーガ根本教典 続 佐保田鶴治/著 平河出版社P163-166)

現象の消滅方向のステップは、チベット死者の書における人間の死のステップとそっくり同じとなっている。これにより五大の生成消滅が、単なる観念論でないことを知る。ただ、それを実際に観察するためには、梵まで見抜く目がないといけないので、凡人にはかなうことではない。

人は、臨死体験したり、実際に死んだりするが、それと宇宙意識に接したことを感知できるかどうかは別問題なのである。
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