アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

現代のタブーを破り人間進化へ-2

2016-12-06 05:31:18 | ザ・プライベート・ファイナリストの道
◎情報の信憑性

最近キューレーションサイトの情報の信憑性が問題になっている。特に薬事法、医師法にからむ部分は安直な情報は出せない。

これに対して宗教はどうか。教祖の宗教的体験については、基本は伝聞であり、後での再評価ということになる。仏典などは、かくの如く我は聞いたで始まるので伝聞そのものであり、また何百年も何千年もたってからそのことを再編集したりしているので、伝聞としての信憑性は落ちると言わざるを得ない。

また霊界イベントの描写みたい(法華経)のや釈迦前生譚みたいに出所の怪しいのまである。

新約聖書のイエスの生涯の記録も目撃者はいたのだろうが、イエスと12使徒しかいない密室に記者がいたわけではなく、あらゆるシーンが目撃されたわけではなく、多くは伝聞が入っているのだろう。

しかし宗教書というのは、起きたリアルな外的現実の描写が主眼なのではなく、教祖の内面に起きた事象の描写と評価のほうが主眼である。

ある教祖が神と出会った、あるいは釈迦が明星を見て成道したというのは、客観的科学的に第三者が認定できる何かではない。

たとえば釈迦が涅槃に入る直前に第四禅から入ったという、そのことを誰がどのように、いつ証明したのか。

キューレーション情報を批判する基準は科学的ではないということだが、事が冥想修行、宗教体験に及んだ場合、その「科学的」という規範は何の意味をも持たない。宗教では時に論理を超えたことが最大のメルクマールとして登場してくるからだ。
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現代のタブーを破り人間進化へ

2016-12-05 05:36:20 | ザ・プライベート・ファイナリストの道
◎悪弊を超えてフロンティアへ

現代社会あるいは現代宗教には以下のようなタブーあるいは迷信があり、これらを打破することが人間の進化につながるのではないかと考えるに至った。

それは、次のようなものである。
1.神秘体験
2.霊
3.カルマ
4.孤独

1.神秘体験
アストラル体で体外離脱して、他人とコンタクトするとか、音声ではないテレパシーで他人と意思交換するなどというのは、ヘミシンクを待たなくとも、昔からある現象である。
悟りを説くうえで、こうしたものは付随的なものであって本質ではないが、これをタブーにされると本題を語れない。

2.霊
霊がかりはいけないが、人間が神とコンタクトする手法は大別して以下の3つ。
神降ろし、神を見る、神と合一する。こうしたものはいずれも伝統的なものであり、正統的なものだが、あまりにもまがいなもの、似非なものが横行しすぎた結果タブーとなり果てている。
しかし正統的な冥想の途中には霊的と分類される状態を通過するものであり、こうしたものまで一緒くたに排除されるところが現代社会、政府、法制、マスコミの問題点である。

3.カルマ
カルマには善悪がある。善行をすれば善いカルマとして還り、悪行をすれば悪いカルマとして本人に戻る。こうした絶対の法則が社会として無視されるようになったのは、さほど古いことではない。
民主主義政権下での資本主義経済のもとでは、合法のみが強調され、合法でありさえすればその行為が悪行が善行かは問われない。
合法の名のもとにほとんどの国民が悪業を積み重ねれば、国は亡びる。それでよいのだろうか。

4.孤独
おひとりさまという気楽な語感とは裏腹に日本社会は、一人で生まれて一人で死ぬ人生に対応した個人主義人生に対応した社会システムを持たぬまま家族制度が急速に崩壊。中年以上の独身率は高く、離婚率は3割になろうとし、子供の片親比率は高い。
人間は最初から孤独でやっていける人は少なく幼少期は親からの十分な愛を受けるべきである。
人は人生で本質的には孤独だが、長じてからは、それをオープンマインドで見つめることが必要ではある。
孤独の先には自由がある。
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中島修一氏の体外離脱

2016-12-04 06:28:50 | クンダリーニ・ヨーガ
◎頭頂から出て天網

『密教の可能性/正木晃/大法輪閣』は、副題が「チベット・オウム・神秘体験」であり、オウム真理教事件以後の宗教者、宗教学者たちの反省あるいは真の宗教の姿を世に問いたいとの意図から出版された書籍群のひとつ。正木晃氏にはこの他にポア行法を紹介した本もあったかと思う。

この本では密教を中心とした神秘体験が複数紹介されたいるのだが、その中に画家中島修一氏の体外離脱も入っている。

中島修一氏の体外離脱では、ヒュンヒュンという音が聞こえてきた後に頭頂付近から脱身する。脱身して信じられないスピードでひたすら上昇しつつ、いくつもの宇宙を通り抜ける。

この辺はダンテス・ダイジがニルヴァーナのプロセスとテクニックで紹介しているとおりである。中島氏によればそこで通過する世界の数は無限であり、最後に中心の中の中心にたどりつく。

そこへ至る途中あるいはそこの風景を絵画にされているらしい。ただし本人は何が起こったかわからず、妖精に教えてもらっているらしい。

起こることは起こったが、知覚できたかと表現できるのかは別。また表現も言及もできない世界もあり、依然として数ある霊界の一つに留まっている可能性もあり、これだけでは推定もできない。

ヘミシンクなんかでもいくつかの宇宙を通過するが、最後のポイントだ究極だと言っている割には、中心太陽らしくはなかったりする。また中心太陽を望見するのと突入はまったく違う。

ご本人の著作もあるようなので、今度はそちらを読んでみようと思う。
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役行者と空海

2016-12-03 06:21:12 | 修験道
◎知られざるご神業

修験の山大峰では、役行者信仰一辺倒だそうだ。その大峰でも修行した近藤得海氏。今も存命なら90代だろう。

『神奈川県大和市の近藤得海師(75歳)。一本歯のゲタで、のし歩く。

「まあ、役行者さんのあとのくくりをしているのが、お大師さんだな。イロハはお大師さんがつくったろ。
じゃ、アイウエオはだれがつくったんだ。役行者さんよ。そういう関係だよ。」

当方絶句するほかなかった。』
(異界を駈ける/藤田庄市/学研P133-134から引用)

役行者と空海の他と隔絶した高評価は出口王仁三郎と同様である。修験にそういう伝承があるのか、あるいは、チベットにおけるパドマサンバヴァのように、日本の霊界シーン自体を根本的に革正したのか。

いずれにしてもその時代に、仏教が入ってまもない若い日本に、役行者と空海ペアが出て、古神道・修験と仏教との調整、あるいは宗派を超えて一千年以上続く宗教ロードマップを敷いたのだろう。

こういうのをご神業と呼ぶのだろう。
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古事記言霊解通読-5

2016-12-02 05:28:39 | 古神道の手振り
◎神と出会った人だけが黄泉比良坂攻防戦へ

古事記言霊解の骨子を挙げると次のようなところか。

1.火力文明により、近代西欧文明はほとんど滅びる。

2.マスコミの大量情報による洗脳の中で、人類には、暖かみがなく、冷酷さが蔓延し、しかも道義心、公徳心が失われた。

3.ここで大神は世界戦争を以て時代の弊風を除くことを決断する。

4.最初は議論でもって世界の神政への改革を目指すがいつまでたってもらちがあかない。逆に利己主義、現世利益主導のグループに大神は追い込まれてしまう始末。

5.正しい神側は、正しい信仰についての宣伝、布教を行うものの、これに対する妨害は激しく、すでにそうした宣伝合戦を受ける人々の側は何が正しくて何が間違っているかわからない状態にまで混乱した精神状態に陥っている。

6.大神の側は、こうして敗走に次ぐ敗走を繰り返し、黄泉比良坂に到着。黄泉比良坂の坂本は世界の根源。ここで人々は、神に出会い、世界の根源を知る。光明に出会った人が増えたのだ。

7.神知る人と神知らぬ人とのせめぎあいは激しくなり、ついに大神は、両者をはっきりと分断させる。これで「善と悪とを立て分ける」となり、すべての人が神を知っている霊的文明がスタートする。

アトランティス滅亡時に想定されていた至福千年は、ここに成就する。アトランティス滅亡時に古事記に散りばめられていた栄光の時代はこれで実現する。

古神道はクンダリーニ・ヨーガ系だから、古事記仲哀天皇の段にあるように、クンダリーニからアプローチする。底筒男、中筒男、上筒男

第84代順徳天皇の著された「禁秘御抄」の冒頭に、「凡(およ)そ禁中の作法まず神事、後に他事」とあるように天皇も神事がまず先。人々も食べられるなら、神事すなわち冥想がまず先。

黄泉比良坂の坂本にたどり着けるのは、日々の冥想により神と出会った人だけなのだ。
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古事記言霊解通読-4

2016-12-01 03:33:07 | 古神道の手振り
◎黄泉比良坂の坂本は世界の根源

伊弉冊命は、黄泉醜女に加え、八種の雷神と千五百の黄泉軍も加勢して跡を追わせた。伊弉諾命は、十拳剣を抜いて、後手に振りながら逃げ、なるべく戦わない姿勢を見せつつ退却を続けた。

黄泉比良坂の坂本は世界の根源。ここで伊弉諾命は、三個の桃の実を取って投げたところ、黄泉軍は初めて壊走したのだった。

伊弉諾命は、桃の実の功績に感じ、桃の実に対し、意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を与え、また世界人民が苦難の時になったら助けるように命じた。

実に現代は黄泉比良坂の、善悪正邪治乱興廃の別かれる大峠の上り口である。
最後に伊弉冊命が自ら追ってきた。これぞ神軍と魔軍との戦いの分水嶺。

伊弉冊命は、黄泉比良坂に千引岩(ちびきいわ)を立てて、正神国と邪神国との交通を完全に分断し、毎日千人の命を取ってやると言い放った。これにより、従来の正邪混交の時代は終了し、この世の人民は立て分けられる。

伊弉諾命は、それに対抗し、一日に千五百(ちいお)の産屋(うぶや)を立てると宣言した。

千五百(ちいお)産屋(うぶや)とは、大神に対する赤誠の精神を持つグループのこと。彼らが中心となって、物質肉体優先の世界観を排し、霊的文明の導入を図る。とは言ってもそれは、いわゆる霊主体従主義思想・イデオロギーの伝播ということでなく、個々人がすべて神を知る体験を有するのだから人間の一側面が霊であることが当たり前に思う人間たちでの出来事であることに注意が要る。

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インナーラビリンス/ナルタン/めるくまーる

2016-11-30 03:52:32 | 現代冥想の到達点
◎バグワンの高弟たち

バグワンものの訳者として知られるナルタンさんの冥想修行記。

大手出版社からは、神秘体験のところを問題にされてお蔵入りだったのが、めるくまーる社から出ることになった由。一読したが、問題になるような神秘体験の記述はなかったように思う。

がらくた神秘体験ものの本は世の中に多いが、まじめな求道者のそれは知っておく価値があるのではないか。究極の神秘体験は、「体験とはいえない体験」であり、その神秘体験について大手マスコミは勿論敏腕記者も文豪も、大聖者も表現する術を持たぬ。

ナルタン女史は、草創期のバグワンの弟子のひとりであり、かの有名なマニーシャは勿論、実力者のラクシュミやシーラとも知り合いだった。さらに光明を得た21名にも入ったそうだし・・・・。

彼女はもともと霊媒体質のようではあったが、ビジョンで見えるタイプではない。ただしバグワンからテレパシーで指示があったり、バグワンがアストラルで飛来してきたりと十分にバグワンの高弟のひとりといえるのではないかと思った。

とても冥想に熱心に取り組む姿勢がある。

日本での生活を捨離し、アメリカでの生活をも捨離し、完全なる出家者としてインドに渡った。そうした環境の作り方こそ、十分に準備ができている人物であるといえる。

バグワンについていえば、集団が初期の頃は、一人一人の準備のできている弟子についてはとても親身に面倒をみていたようだ。ところが何千人もの大所帯になると、彼自身の体調不良もあってか、それまでの熱意は一歩引いたものになっていった印象がある。

質問すれば教えてくれるけれど、必ずしも質問者本位でなく、人間本位でもなく、神本位な教え方と言おうか。

バグワンの講演集のシリーズには、秀作もあるが、冗長すぎて全部読み切れないのがいくつかあった。昔は、そういうのも我慢して?一生懸命読んだものだった。

バグワンと個々の弟子の関係は、確かに一度コンタクトのあった弟子はそれなりに大切にしたに相違ない。だが、弟子には準備のできた弟子とできていない弟子がいる。それは如何ともしがたい。縁の濃淡というべきか。

バグワンの弟子の書いた作品はいくつかあるが、このインナーラビリンスは、最もまともな求道記録であるように思う。

彼女の過去世記録もあまり愉快なものではないがゆえに、過去世というものはそういうものなのだろうと思った。
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古事記言霊解通読-3

2016-11-29 03:32:22 | 古神道の手振り
◎正しい教え、誠の信仰

さて伊弉諾命は、黒御鬘(くろみかづら)を投げ捨て給うたところ、誠の教えの信仰の若い信者が出てきた。ところが追ってきた黄泉醜女はこれを拾って取って食らうという挙に出る。

この妨害行為にたまらず伊弉諾命は、今度は御角髪(みみづら)にまかせる湯津津間櫛(ゆづつまぐし)を引きぬいて、世間に正しい教えを宣伝したところ、箏(たかむら)という上流階級の貴紳の理解を得るようになった。ところが黄泉醜女軍団は、これをも抜いて食べ、この試みをも亡きものにしようとした。その隙に伊弉諾命は逃走を続けた。

さて、正しい教え、誠の信仰と気軽に使っているが、ある宗教教団が無条件に正しいと言えることはなく、またずれたような教団でもちゃんと神仏に出会った正しき人は時にいるもの。また一方で万教同根と云い、宗派を問わず正しい教えはあるものだという主張もしている。

よってその教えが正しいかどうかはその人次第ということでもあり、加入している教団が正しいかどうかは、神仏がどういうものかを知らない本人には見分ける術はないということでもある。また正しい教団でも正しからざる信者もいる。


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古事記言霊解通読-2

2016-11-28 05:24:55 | 古神道の手振り
◎世の上流から下流まで濁りきる

古事記では、腐敗した伊弉冊命(いざなみ)の死体に巣くう神々の名を挙げるが、これらはいずれもこの火力文明の暴虐のシンボリックな説明になっている。

この惨憺たる有様にしびれを切らした伊弉諾命(いざなぎ)は、自ら黄泉の国に入り、伊弉冊命に改心せよと直接談判に臨むが、彼女はここでもう食事をしたので改心できないと申し出を拒絶した。よくよく彼女の姿を見ると、頭にも腹にも胸にも女陰にも手にも足にも悪神が巣くい、手の付けようがない状態である。つまり世の中の上流から下流まで嘘と虚飾、メリットデメリットだけの強欲な悪人、偽善者ばかりとなり果てていた。

世界のゴッドファーザーたる伊弉諾命のお出ましに、各国首脳たち(黄泉神)は鳩首して今後の方針を議論するが、なかなかまとまらなかった。

結局、世直しをしようとお出ましになった伊弉諾命のことを、その妻たる伊弉冊命(いざなみのみこと)は、汚いところを見られ恥をかかされたと逆恨みし、黄泉醜女(よもつしこめ。世間の人の9割がたは黄泉醜女の如きもの)を派遣し、追手をかけたので、このような社会全体の矛盾撞着に神様も驚いて跣足(はだし)でお逃げになることになった。
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古事記言霊解通読-1

2016-11-27 07:19:30 | 古神道の手振り
◎伊弉冊神(いざなみのかみ)火の神を生んで亡くなる

古事記言霊解(霊界物語第八巻)は、何度も読んだつもりだったが、読み始めると個々の字義や言霊の説明に気をとられ、全体の流れをなかなか汲み取ることができなかった。

まず伊弉冊神(いざなみのかみ)が最後の出産で、火の神である迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだことで亡くなる。迦具土神は火力文明たるこの近代西欧文明のシンボルであって、火力がこの文明の交通機関、戦争兵器、生産機関などのメインとなることを云う。それによって本来の健全な地球の姿が失われ、滅亡に瀕したことが、伊弉冊神が出産で亡くなったことで表象される。

伊弉諾命(いざなみのみこと)は、彼女の死体を生気がないか日本魂が残っていないかと調べてみたが、ほとんど生命のないことを確認した。このことで世の中に、暖かみはなく冷酷さが蔓延し、しかも道義心、公徳心が失われたことを大いに泣き悲しんだのでこれを泣沢女神(なきさはめのかみ)と呼ぶ。

以後、伊弉冊神は悪神の代表として機能する。

神去(かむさ)りました伊弉冊命は、死人として出雲の国と伯耆の国の境に葬むられた。出雲は何処(いづくも)ということで、また雲出ずる国ということ。これは世の中のどこでも乱れきっているということ、害となる情報がどんどん流されるということ。

一方伯耆の国というのは、掃はきということで雲霧を掃き払うと云うこと。よって伊弉冊命は、善悪正邪の分水嶺に立ったということ。

このままではいけないと伊弉諾命(いざなみのみこと)は、わが子迦具土神(かぐつちのかみ)の首を十拳剣(とつかのつるぎ)で切って葬った。これは、戦争を以つて物質文明の悪潮流を一掃するということ。世界戦争は既に2回あり、大本事件は2回だが、物質文明の悪潮流は隆盛であるがゆえに、次の世界戦争あることが示されている。
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ダライラマ来日

2016-11-26 06:40:48 | シャンバラ
◎慈しみと悲しみ

ダライラマが、来日していた。コンビニで紅茶を買ったニュースも流れていたが、オバマ大統領はダライラマと何度も会っているのに、日本の首相は会おうとしないのはなぜだろう。

国際的に有名な覚者で、現代日本の物欲主義ぶりにあきれて来日しなかったの人は二人いて、OSHOバグワンとクリシュナムルティ。なおクリシュナムルティは訳者の日本人と日本の空港でのトランジットの時に会ったということはあるらしい。

それにしても、こんな日本人を見捨てずに毎年来日されるダライラマは有難いことだ。一方マスコミがローマ法王の動静はガンガン報道するのに、難民たるダライラマ来日は報道しないのは、赤い国との約束のせいか。

さて櫻井よしこブログに「ダライ・ラマ法王14世が語った3つの事柄に対するコミット」という記事が上がっている。

第1は、70億人の地球人口の1人であること。
第2に、仏教徒であること。
第3は、チベット人であること

コミットとは、信条くらいの意味なのだろうが、この三つに通底しているのは、慈悲である。慈悲とは慈しみと悲しみ。悟りは通俗人間体験における喜びの一兆倍もの喜びをはるかに超える喜びであって、また一兆倍もの悲しみをはるかに超える悲しみであるというようなニュアンスでダンテス・ダイジは悟りの側面を語った。慈悲とは悲しみのサイドなのだ。

慈悲の慈しみの側面は、〇〇羽募金や、歳末〇〇募金でわかっているとする人も多いだろう。それは実は本当の悲しみから出てくるものでないと本当の慈しみにはならないと改めて考えさせられた。

本当の悲しみを受けいれるには人間のキャパがでかくないとね。だから釈迦やダライラマはすごいと思う。

道元などは、悲しみサイドはあまり得意でないようだ。
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こころを至上我へ合一させる

2016-11-25 05:37:27 | クンダリーニ・ヨーガ
◎グルへの帰依

ヨーガ経典の一つゲーランダー・サンヒターの最後の方に、
『こころを肉体から分離して、それを至上我へ合一させる。これがサマーディなりと知るべし。これはダシャー等からの解脱と名づけられている』
(続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平川出版社p131から引用)とある。

ゲーランダー・サンヒターでは、観想修行がメインなのだが、サマーディの説明の先で、突然至上我への合一が登場する。これは、グルへの帰依に基づき、グルの慈悲と恩恵により起こるということが意味深長。

個的ボディがあるのは、メンタル体までだから、脱身は、肉体からメンタル体で出てなどと露骨には表現しない。こころが肉体から出ると云う。

佐保田鶴治は、ダシャーを訳出していないが、忘我トランスのようなものとも考えられるとしている。ダンテス・ダイジは、こういうプロセスにおいても意識清明と説くので、この前段で忘我トランスであっても、そこを清明にはっきりしていなければならないのだろう。

ダンテス・ダイジが中心太陽への突入を説いた文を初めて見たときは、独自説かと思い、ただ目新しかったが、その後このような古代インド文献や道教やアイルランド神話出口王仁三郎の霊界物語などにこうしたシーンが記載されているのを確認して、その正当性に改めて思いを致したのだった。

※体外離脱には3種あるが、これは最も正統的なものである。
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釈迦の見る他人とのかかわり

2016-11-24 05:38:46 | 究極というものの可能性
◎真の聖者

釈迦の説く他人とのかかわり方は、以下のようなスッタニパータにみられるが、その姿は孤高であり。絶対的な孤独の影が差している。

勤勉であり、慎重であり、道心堅固なのだが、その姿は、戦後の新興?宗教の教祖に見られた、金満で、人格者で、周囲の取り巻きにより近寄りがたく、政治好きで、ファッショナブルで贅沢な私生活で、艶福家という姿ではない。

二度の食事は、信者からもらったものであり、少々腐ったり、量が少ないことにも文句を垂れない。そして生活スタイルの基本は、冥想であること。

『213 独り歩み、怠ることのない聖者、非難と賞讃とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

215 梭のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに考察している人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

216 自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

217 他人から与えられたもので生活し、[容器の]上の部分からの食物、中ほどからの食物、残りの食物を得ても、(食を与えてくれた人を)ほめることなく、またおとしめて罵ることもないならば、諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

218 婬欲の交わりを断ち、いかなるうら若き女人にも心をとどめず、驕りまたは怠りを離れ、束縛から解脱している聖者──かれを諸々の賢者は(真の)<聖者>であると知る。』
(ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)p48-49から引用)

釈迦の時代は聖者は、リーダーとして存在していたが、21世紀には聖者は、低所得で質素な生活の友人として登場する。
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物理的エネルギー、金、食料、寿命、そして心的エネルギー

2016-11-23 07:00:44 | 時代のおわり
◎余剰心的エネルギーの調整へ

物理的エネルギーとは、石油、石炭、そして原子力が主たるものだが、先進国は後進国や、150年前の先進国の1千倍を消費するとする。先進国においては、その物理的エネルギーは、生存のために使われるのはごく一部であり、大半は、ぜいたくな生活のために消費される。先進国では当たり前とされる、冷暖房、洗濯機、テレビ、電子レンジ、マイカー・・・・。

原爆ができてからは、兵器のメイン・ストリームは核兵器となり、エネルギーは、人類の自殺のために用いられることが当然の世界ともなった。

金も人類の生存のために用いられるのは、全体のごく一部で、為替相場の変動理由を聞くとよく出てくる実需というのが、生存のための部分。生存目的以外の金は、実需の20倍ともそれ以上とも言われ、これが投機。世界の金の大半は資金運用という美名のもとにゼロサムのギャンブルに投じられている。

食料の用途は原則食べるだけだが、21世紀になって穀物燃料で車を走らせるバイオ燃料が盛んになったことで、発展途上国と先進国の一人一日の食事エネルギー供給量の格差は広がった。一人一日の食事エネルギー供給量では、北朝鮮は2000kcalちょっとなのに、日本は約2800kcal、アメリカは、約3800kcal。

食料をガソリン代わりに使うのはバチ当たりな発想だと思う人は多いのではないか。でも本来食べられないものや普通には人が食べないで捨てている部分や材料から作られるサプリメントを食するのも逆の意味で怖いと思う。

こうして食料も浪費され、先進国が本来の必要以上に浪費している。

そして寿命。一人当たりのエネルギー消費量が高い中東産油国や先進国は、平均寿命が70歳を超えるが、一人当たりのエネルギー消費量が低い低開発国では、平均寿命が30台、40台の国はざらにある。このように先進国等では生活での高い消費エネルギーが長寿を支えてきたが、それもせいぜい平均寿命90歳までが頂点であることが見えてきた。

石油、石炭、原子力が長期間止まる大峠の時期には、それだけでも平均寿命は短くなるのだろう。

こうしてエネルギー、金、食糧の実質的な浪費で支えられている日本人は幸せかというと、貧困化が広がり、家庭は半ば崩壊し、限られた集中力は、マスコミや手許のスマホなどから無駄な情報の洪水と宣伝で浪費され、正気すらも脅かされている。

本来肉体の体力の余剰は心的エネルギーを増加させる。その心的エネルギーを人間の進化に向かわせようとするのが宗教の本義だが、この近代西欧文明は、エネルギー、金、食料の大量投入で高まった心的エネルギーのはけ口を金儲けやセックスや娯楽という平板なレベルのもので摩耗させ、本来もっと鋭敏たるべき感性を鈍麻させ続けている。これでは精神病者が大量に出るのは当然である。

余剰心的エネルギーには、本来流されるべきルートがある。それを調整するのが冥想。まともな社会はまず日々の冥想から。
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比叡山延暦寺の侍真

2016-11-22 05:20:38 | 究極というものの可能性
◎12年籠山行なるトランス

最澄の御廟である比叡山延暦寺の浄土院。浄土院を守る役目が侍真

侍真制度は江戸時代中期に成立。侍真には、希望してなれるものではなく、12年籠山行をして仏を見ないと満行とならない。これを仏の好相をみる行、すなわち好相行とし、浄土院の仄暗い一角で五体投地により、一日に三千仏、つまり三千回の礼拝を繰り返す。

すると釈迦を見たり、観世音菩薩を見たり、阿弥陀仏をみたりするのだが、これをもって満行とする。(出所:修行と信仰/藤田庄市/岩波現代全書P12-13)

トランスに入って見るというからには、見るという自分を残している。見神、見仏は、禅の十牛図でいえば、第三図。見神、見仏でも世間でこれを成し遂げた人は稀であり、世間では十分に評価される。

ただし、見るという自分がなくなった先もある。よって12年籠山行で仏を見た京都大原三千院の門跡堀澤祖門師は、自分のことを求道者と自称する。
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