アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

禅に生きる日本?と禅が盛んなアメリカ

2016-05-27 05:37:11 | 只管打坐
◎器はあるが魂入らず

アメリカでの仏教伝道は、最初は西本願寺が隆盛だったが、後に臨済、曹洞の禅宗が盛り返し、1980年代には、大きい禅道場は会員に入るのも難しいほどで、小さい3、4人のグループあちこちにあって、そういうのが百日とか二百日の参籠をやっていて、さながら中国の唐代が禅の黄金時代だったが、それと同じような禅フィーヴァーになっていたらしい。

アメリカには何万人も日本人がいたが、師家によれば、当時も禅堂を訪れる日本人はほとんどいなくて、外人だけだったという。

そうしたアメリカのZENムーブメントの結実の一つがケン・ウィルバーだが、それだけの社会的うねりになっていれば、大悟徹底した者も相当数出ているのではないか。ケン・ウィルバーだって、結構な年だし、若い人の中にも当然覚者が出ているだろう。そういうのがほとんど日本に伝わってこないのは私の不勉強のせいだろうか、日本の禅宗の姿勢の問題なのか。

いずれにしても、アメリカで相当フランクに、どの師家は本物偽物から始まって、悟りそのものの点検と議論が行われていたからには、日本より、相当に禅そのものの研究が進んでいるのだろう思う。

1980年代は、日本では、禅ブームのぜの字もなく、いわゆるOSHOバグワンなどのニューエイジ系の宗教が盛んになっていた時代。

日本人は社会全体として禅に生きているから、その器はあるが、それに冥想という命を吹き込むことができていない。そうして2016年になっている。
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洗脳を成功させるには

2016-05-26 05:35:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎ころりと無意識のうちに洗脳

エドワード・バーネイズは、1891年ウィーン生まれで、広告・宣伝の父と呼ばれるアメリカ人広報マン。

彼は、1955年に発表した『合意の製造』という本の中で、宣伝を成功させる8つのポイントを挙げている。

1.目的を明確化せよ。
2.徹底的に調査を行え
3.調査で得られた結果に基づいて目標に修正を加えよ
4.戦略を立案せよ
5.テーマ、シンボル、宣伝文句(キャッチフレーズ)を決めよ
6.その戦略を実行するための(第三者による)組織を立ち上げよ
7.タイミングと具体的なやり方を考えよ
8.プランを実行に移せ』
(プロパガンダ教本 こんなにチョろい大衆の騙し方/エドワード・バーネイズ/成甲書房P245から引用)

まず宣伝、洗脳の対象となるグループを、年齢、性別、趣味ややっている社会運動の種類等で細分化する。次にそのグル−プに理解しやすく、印象的なテーマ・アイドル(人物)、シンボルを定め、タイミングを見て、宣伝を開始するということ。

これにより大衆の頭の中には、宣伝・洗脳したい事項に関するステレオ・タイプができあがり、大衆はころりと無意識のうちに洗脳されているというわけ。

こうして我々は、崩落する世界貿易センターの映像をテレビで見て、テロとの戦いをしなければならないなどと思い込んできたのだ。

ただ3.11後に毎日余震がある中、「直ちに人体、健康に害はない」という政府発表は、日本の伝統であるお上への信頼を揺るがしたかもしれない。これは、失敗した宣伝の例であり、なんだかその失敗の自覚もないようではある。
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毒湛遺訓

2016-05-25 00:01:05 | 丹田禅(冥想法8)
◎禅は何よりも真参実悟が大切

毒湛は、明治42年から大正3年まで妙心寺派管長だった老師。勿論印可を得ていたが、中年になってから2~3週間の法華懺三昧を修したというから、南無妙法蓮華経のマントラ・ヨーガの修行をやったのだろう。

七か条ある彼の遺訓の第一は、
「禅は何よりも真参実悟が大切である。文字禅や口頭禅であってはならぬ。」
文字禅は文字により実相を求める禅。口頭禅とは、公案解釈などの学問や理屈の禅。

彼の経歴には、地震で崩壊したお寺の再建の話が多いが、それは本質とはあまり関係ない。
唐代の禅僧薬山は、牛小屋を改造したところで50人も坐禅していたという。二人、数人であっても、集団で求道する勢いがあれば、環境はなんのそのというところはある。
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良寛とスーパー・リッチ

2016-05-24 05:54:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎貧すれば鈍す

スーパー・リッチとくれば、何かよいことのように宣伝されているものだ。

良寛は平素から、人を批評することはなかった。しかしそういう彼でも時には一言あった。

江戸時代の越後のスーパー・リッチたる、ある村の庄屋が非常に立派な邸宅をこしらえた。

これを見て良寛は、「貧すれば鈍す」と言った。


何が貧なのか。イエスは愛に飢えている者を「心の貧しき者」と呼んだが、ここの貧は、愛の不足を感じない者のこと。

スーパー・リッチは、愛のスーパー・プアであり、しばしば鈍す。


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寂室の遺誡

2016-05-23 05:40:41 | 丹田禅(冥想法8)
◎一人あるいは小グループでの修行

寂室は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。

寂室は、入寂に際して、弟子たちを集めて、山の中や人気のない沢に閑居して修行を続けなさいと命じた。

枯禅は、禅寺では独り坐禅と読み、忌むべきものだったが、白隠盤珪なども一人坐禅を相当にやってきている。そもそもネットのない唐代とかであっても、有力禅マスターのところには、口コミで何百人も真剣な求道の修行者が集まって来るもの。こうした専門道場での集団修行は、薪や水、食物の便は良いが、それがゆえに失うものも多いのだろう。

そこで独りあるいは数名での修行を勧めた寂室は一つの見解ではある。

唐代は、破仏があって、禅は禁教だった。今は宗教の自由こそあれ、駅や繁華街にいけば、カルトの勧誘が待ちかまえ、ネットでは、ネットワークビジネス(しばしばカルトの集金手段なのだが)や自己啓発セミナーのワンクリック勧誘がはびこり、まともな宗教者に出会いたいという志を持った人が、真正のマスターに出会うのも困難な時代に成り下がった。そういう点では、環境こそ異なれ、唐代の中国や宗教禁止の現代中国と現代日本の状況は大差ないとも言える。

それでもまともな求道の志さえ持ち続けて、正師に出会うことを期待して冥想修行する人は終わりの時代には貴重である。
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臨済が坐禅中に居眠りする

2016-05-22 06:29:56 | 丹田禅(冥想法8)
◎只管打睡してなにができる

「参禅は身心脱落であるべき、只管打睡してなにができる」とは、天童如浄が、道元の隣席の修行僧に言った言葉。

さて臨済が、僧堂の自分の席で居眠りをしていた。臨済の師匠の黄檗は、これを見つけて杖で臨済の席をたたいた。臨済は顔を挙げて黄檗であることを見たが、そのまま眠り続けた。

そこで黄檗は、坐禅している上座の首座のところへ行き、「下座の後輩がちゃんと坐禅しているのに、お前はここで妄想してどうするのか」と言った。すると首座は「このじいさんは何をやっているんだ。」となじった。すると黄檗は、首座の席を一回叩いて行ってしまった。


坐禅する者が叱られて、眠っている者が認められるということではない。大悟に近い者は眠っていても認められるということ。
只管打睡は、天童如浄も道元も戒めたところだが、こういうのもある。
禅匠は一生をかけて一人でも半人でも覚者を出すことに命を懸けているからである。

御簾を巻き上げても一人は認められ、一人は叱られるのと同じ。不平等とか言ってもしょうがない。形式、儀礼、手順、教義などの形は論じやすいが、それは本質ではないことがある。
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南泉の猫を斬った後

2016-05-21 06:21:20 | 丹田禅(冥想法8)
◎やり過ぎた咎め

南泉が猫を斬ったのは、猫好きにとってはありえない話である。ところが、傑僧趙州の師たる南泉は猫を斬ってからは、そのことを負い目に感じていたようだ。というのは、猫を斬ってから利他行=カルマ・ヨーガのことでもある異類中行を、南泉は言い出したからである。猫も異類である。

そこで、趙州は、南泉さん本気でそんなことを主張するのですかと言わんばかりに以下の問答を仕掛ける。

趙州は、南泉に問う。「(異類中行)の異についてはお尋ねしません。では、その(異類中行の)類とは、どんなものですか?」

南泉は、四つんばいになってみせた。

趙州は、その南泉を踏み倒した。それから自室の涅槃堂に帰って「残念だ、残念だ」と大声で叫んだ。

それを聞いた南泉は、人をやって何が残念か尋ねさせると、趙州は「もう二踏みしなかったのが残念だ」と答えた。


また別の日、南泉は、自室の戸の前にぐるりと灰をまいて、弟子たちに「諸君らがちゃんとした一言を言えたら戸を開けよう」と宣言し、多くの雲水の言葉を聞いたが、どれも気に入らず、結局「がっかりだ、がっかりだ」と嘆き、自分で戸を開けた。

このように猫を斬ってからの南泉は、昔日の平常心是道で颯爽としていた南泉ではなく、勢いを失ってしまった。趙州を大悟させるような力量ある人物でも一回の修羅業をきっかけに、迷いの世界に戻る。

本来、弟子たちがダメだからといってやる気を失う老師は、禅ではありえない。OSHOバグワンは、冥想コミューンを立ち上げたが、途中で弟子の指導に飽きたふしがある。長い一生のうちには、大悟したといっても行動が大きく振れることがあるのだろう。




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一休の自殺未遂

2016-05-20 05:38:21 | 丹田禅(冥想法8)
◎繊細で虚無をかかえた青年期

一休は、破道無慙にして豪放磊落にも見えるが、その実、繊細で虚無をかかえて青年期を生きていた。

彼は16歳の頃から5年間、謙翁宗為の下で修行した。謙翁は、妙心寺開山関山慧玄(大徳寺開山大燈国師の弟子)の弟子無因の印可を謙遜して辞退したので、謙翁と称せられる。食事は托鉢だけ。

一休は、宗純という道名までもらい、更に謙翁から「あなたには何もかも上げた、これ以上上げるものはない。印可を出したいが、私にはその資格がない」とまで言ってもらったという。

ところがこの謙翁が、一休21歳の時に突然死去する。一休は、金がなくて謙翁の葬儀もだせないまま、裏の山に師謙翁の亡骸を埋めた。絶望した一休はその足で、厳冬の瀬田の唐橋から投身自殺を図った。

胸騒ぎを覚えた母の伊予局の侍女玉江が一休を救助したという。

この広汎にメンヘラな時代に、精神病が自殺の前駆となることは広く知られているので、自殺そのものは、かつてのようなひたすらネガティブなイメージはないかもしれない。悟る前の人は誰でも生きづらいものだ。一休であってさえも。 
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主を畏れ、彼を信ずる

2016-05-19 05:35:28 | 究極というものの可能性
◎永遠の喜びと恵み

ベン・シラの言葉から。

『子よ、主の僕たらんと欲するならば 試錬を覚悟せよ。
気持ちをととのえてじっとこらえよ。 災難にあってもあわてるな。

最後に勝利を得るためには 彼に鎚りついて離れるな。
身にふりかかることはすべて甘受せよ。 運が傾いて落ちぶれても忍耐せよ。

金は火で試され 人はみじめというかまどを経て一人前になる。

彼を信じ、彼の助けを得よ。きみの道を正して彼に望みを置け。
主を畏れる者たちよ、彼の恵みを待ち望め。転ばぬためには脇道にそれるな。

主を畏れる者たちよ、彼を信ぜよ。そうすれば報いにもれることはけっしてない。

主を畏れる者たちよ、幸福を期待せよ、永遠の喜びと恵みを。』
(聖書外典偽典2 教文館/P88−89から引用)

永遠の喜びと恵みは、人間の側に属するものではないが、それでも、主を畏れ、主を信じ続けるならば、報いにもれることはない。
最後の勝利も人間側に属していない以上は、昔期待していた自分勝手な勝利の姿ではないかもしれない。それでも主を信じ、己の道、己れの生き方を正して待ち望めと説く。

すらすらと読むことができるが、一句一句の蘊奥は深い。
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見る、聞く、知る

2016-05-18 05:33:18 | 丹田禅(冥想法8)
◎達磨も老子も無為にして為さざるなし

達磨の二入四行論は、1900年に発見された敦煌本の一つ。二入とは、理入、行入。
四行とは、報冤行、随縁行、無所求行、称法行。

以下は達磨の二入四行論の一節。

『法身(永遠なる仏体)は身体を持たぬ。それゆえに見ないという見方で、はじめて法身を見る。

正法は、音声をもたない。それゆえに聞かぬという聞き方で、はじめて正法を聞く。

般若は、分別知をもたない。それゆえに分別知を使わないで、はじめて般若を知る。』
(人類の知的遺産 第16巻 ダルマ P167から引用)

見ないという見方、聞かぬという聞き方、分別知を使わないという方法論こそが禅である。

これにより、
見たものも見ないものも見ることができる。
聞いたものも聞かないものも聞くことができる。
知っているものも知らないものも知ることができる。

老子も無為にして為さざるなし、と同じことを説く。

それが起こるのはZEN Meditationである。


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巌頭の最期

2016-05-17 06:42:17 | 丹田禅(冥想法8)
◎寺を出て冥想するスタイル

875年から884年まで唐では、黄巣の乱が吹き荒れた。880年には黄巣は長安を陥れ、国号を斉とし帝位に就くなど、唐の威令は地に落ちた。
885年から光啓帝の時代が始まるが、唐は実質的に長安付近を支配しているにすぎず、諸国は群盗割拠し、治安は乱れに乱れていた。

修行者たちは難を逃れて地方に散ったが、巌頭だけは坐禅を続けて悠然としていた。巌頭は洞庭の臥龍山に初住し、後、湖北省の鄂州唐年山の巌頭院に住した。

887年4月8日大群、小群の盗賊が入り込んできて、食料を要求してきたが、それが叶わないことがわかるや、刀で切りつけてきた。巌頭は顔色一つ変えずに大声を出して果てた。
その声は数十里に聞こえた。
巌頭は60歳であった。会昌の破仏は845年だから彼の修行生活のスタート時から既に破仏の環境だった。

破仏は不幸なことだが、この時代から寺を出て冥想するのが始まったと見ることもできる。昼は船頭(巌頭)をしながら余暇で坐禅するスタイルだから、これは現代人の冥想スタイルでもある。

でも冥想が深まってくれば働けなくなることがあるので、専門道場、修道院、メディテーションセンターは、あることが望ましい。

それと正師。ただし未悟者には、誰が正師か見分ける目はない。よって正師に出会って、その下で冥想を修行するというのは、まことに縁であると思う。いつかどこかで正師に出会っているかもしれないが、そのチャンスを生かすかどうかも縁である。
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船頭になった巌頭和尚

2016-05-16 05:42:37 | 丹田禅(冥想法8)
◎杜鵑 月に叫んで夜三更

巌頭和尚は、徳山の嗣法。845年会昌の破仏に遭遇し、寺を焼かれた上、追放されたため、還俗して船頭をやりながら修行。最後は賊に襲われて首を斬られて死ぬがその「 吽 ( うん ) 」と叫ぶ声が数里の外まで響いたという。

一休が、巌頭和尚を歌った詩がある。

会昌以後 僧形を破る
一段の風流 何似生
トウ(木へんに早)を舞わして未だ為人の手を懐にせず
杜鵑 月に叫んで夜三更

巌頭は杜鵑が月に叫ぶような自然法爾に生きたと歌っている

白隠は、この巌頭の無残な最期を知って、修行を積んだ高僧でも賊に首を斬られて死んでしまうのなら、禅も大したことはないなどと高をくくっていたが、後に、「巌頭はまめ息災でであった」と悟る。

今は国家による信仰弾圧こそないが、風俗紊乱で冥想修行が難しい時代、社会であることには変わりはない。まず自分から。
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鈴木大拙の背水の坐禅

2016-05-15 06:34:04 | 丹田禅(冥想法8)
◎禅と霊界探訪

鈴木大拙は、釈宗演老師から無字の公案を与えられていたようだ。

彼が26、7歳の頃、洋行を前にして、アメリカに行けば参禅することができないということで、臘八接心にて「背水の坐禅」を行い、見性した。その時、山門を下ろうとして、月明の中の松の巨木と、己れとの区別をまったく忘じつくした自己を自覚したという。

ZENがアメリカにこれほど盛んになったのは、鈴木大拙の功績は大きく、いまやzenbook,zenphoneなどの最先端のデジタルディヴァイスから、zendog(柴犬)まで、zenは、かっこいいものの代名詞となるまで、カルチャー化した。

しかしその後、彼がスェデンボルグの「天界と地獄」の翻訳をやったのは、いかがなものか。当時の時代の趨勢は、霊的なものをオープンにしてみせるという時代であったことは確かだが、禅者がやるべきことであったかどうか。まあ彼の悟後の修行の一つと見れば理解できないことはない。

禅には絶対や、永遠、全体はあるが、霊は扱わない。禅には、霊界探訪を位置づける棚はないはずなのだが。

おまけに鈴木大拙は老子道徳経の英訳までやった(鈴木大拙没後40年/松ヶ岡文庫/河出書房新社 P128)そうだから、自身の活動が禅という宗派を越境することにあまり抵抗はなかったようだ。
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貧しい人の多い時代を評価する

2016-05-14 05:58:03 | 時代のおわり
◎チャンスは長く続かない

人間の文明の最初は狩猟採集生活である。
生産力、獲得力が少なければ人間は一人で生きていくことはできないので、家族、血族単位で狩猟採集に必要な役割をその中で分担して、生きていく。狩猟採集で得られるものは乏しいので、家族、血族の集団的自意識が優勢であり、個人としての意識はあまり明確にはならない。

農業が始まると鍬やクワなどの道具が利用されはじめ、段々生産効率が上がって収穫量も増えていくと、それらの収穫物を個人で所有しておきたいという意識が出てくる。耕作に適した土地では、古代の4大文明のように為政者が生産物を収奪して都市・国家を成立させるほどに物が増えた。

要するに物がある程度増えないと個人性の自覚は発達しない。換言すれば、物が豊かになればなるほど人間の個人性は強まる。その一方で人間の社会性は弱体化していく。

戦後の日本社会では、最初は物の豊かさを追求してきたが、1970年代頃から心の豊かさも意識されるようになってきた。

ところが1990年代後半からの失われた20年により、物も豊かではなくなり、「子供の貧困」という言葉で象徴されるように国民全体が貧困化していることがはっきりしてきた。

この結果、孤立した個人が乏しい物の中で逼塞して生活するというライフスタイルで暮らす人間が激増し、8人に一人が生涯でうつ病をり患するという精神を病むのが当たりまえの国になった。

孤立した個人が乏しい物の中で逼塞して生活するというのは、自由気ままな人にとってはやや不如意な生活かもしれない。

しかし文明評価は何人悟った人を打ち出せるかであり、個人の評価は、自分が大悟できるかどうかであるという目で見れば、「孤立した個人が乏しい物の中で逼塞して生活する」というのは、継続する冥想修行のためのライフスタイルでもあるのだ。

禅でも密教でも山の洞窟に籠ったり、個室に籠ったりして何か月か何年か孤独に冥想修行するエピソードはいくらでもある。いつの時代も冥想修行者は真摯であればあるほど乏しいものの中で修行してきた。こうした時代は逆に各人に与えられた最後のチャンスの時代であるとも思う。でもチャンスは長く続かない。

人間の数に比べて獲得できる動物の獲物や作物の数が多ければ争いは起こるものだ。それは物の方に問題があるのではなく、人間の方に問題があるからである。
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慧可のことば

2016-05-13 05:17:15 | クンダリーニ・ヨーガ
◎石ころの心

達磨に肩ひじを切って差し出した慧可のことば。

『ある人が、可法師にきいた。「どうすれば聖人になることができます」

答え、「およそ凡聖というものは、すべて勝手に妄想して、これがよいと考えだしただけのものだ」

さらに、「すべてが妄想である以上、どんな風に道を修めるのか」

答え、「君は道を何にくらべて、修めようなどというのか。法には高い低いの特徴もなければ、法には行ったり来たりする特徴もない」』
(人類の知的遺産 第16巻 ダルマ P259から引用)

これは一見、木で鼻をくくったような取りつく島もない回答に聞こえるが、法そのものはそういうものだ。ダンテス・ダイジが石ころの心と言ったやつだ。
それにとりついてみれば、いつかは開けることもあるらしい。

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