アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

受胎と出産

2017-05-29 05:27:27 | 冥想アヴァンギャルド
◎肉体、空想力、形態、影響

パラケルスス受胎と出産を分析する。注目点は、その願望と現実化の要素とプロセスである。

『受胎と出産には四つの部分が属する。すなわち肉体、空想力、形態、影響がそれである。

「肉体」は、はじめから定められたように一つの肉体と成り、それ以外のものには成らない。
なぜなら樫の木が樫から成立せねばならないのが自然の法則であり、人間の肉体においても同じことがあてはまる。

「空想力」とそれが向けられる対象から、子は自らの理性を受ける。そして天がその運動を、良きにつけ悪しきにつけ、ときには強く、ときには弱く刻印するように、人間の空想力も――星と同じく――軌道をもち、子供の理性をより高きものにもより低きものにも向けさせる。

第三のもの、すなわち「形態」は子供がそこから由来したもの、つまり親に似るように彼を強制する。

最後に「影響」が肉体の健康と病気を条件づける。それは強力な建築家が強固な建物を建て、劣悪な建築家が劣悪な建物を建てるのと同様に、受胎の場合も同じような結果になるからである。

妊娠している女性の空想力はきわめて強力なので、種子に影響を及ぼし、子宮内の胎児をいくつもの方向に変えることができる。彼女の「内なる星」はきわめて強力に胎児に影響を及ぼし、それによってその本質を深く固く刻印し、形成するのである。

なぜなら母体の中の子は母の影響にさらされ、粘土が陶工の手にゆだねられているように、いわば彼の母の手と意志にゆだねられているからである。

陶工は粘土から、彼の欲するものを、彼の気に入るものを作り出すのである。

こうして子供は恒星も惑星も必要としない。彼の母がその恒星であり惑星である。』
(自然の光 パラケルスス/[著] 人文書院P70-71から引用)

パラケルススは、受胎と出産に以下四つの要素を立てる。肉体、空想力、形態、影響であるが、このうち肉体は遺伝子情報に近く、形態は家系の因縁に近いイメージ。

空想力は、子供の理性、精神を醸成する。

影響は母の内なる星からの影響であり、母のメンタルの潜在力というべきもの。

こうして四要素中の肉体と形態の二要素は母自身ではどうしようもないものであるが、残り二要素は自ら創造するものである。

人は意識的に無意識的に願望実現のために観想法をやっているものだが、受胎・出産においても同様に観想法が行われているとパラケルススは見ている。

いわゆる魂は受胎時に入る。人間のエーテル体、アストラル体も肉体形成に合わせて形成されるのだろうから、その形成に際しては、妊娠中の母の影響は大きいと思う。その辺を意識してか星辰の影響ということをパラケルススは言及している。

人は肉体だけではない。
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神様のお守り

2017-05-28 06:57:34 | 冥想アヴァンギャルド
◎仕事が成ること、変えること

人間は、自分の力では髪の毛一本白くも黒くもできない。いわんやこの悪魔の横行する時代において、何か善いことをしようとする場合、本来成功すべき仕事であっても善い仕事にはかえって悪魔が邪魔をする。

これは甘い果実に悪い虫がつくようなものであって、これを防ぐには神様のお守りを受けるより他にこれを防ぐ道がないものである。

どんな筋の良い仕事で性格素行の良い人でも、神様のお守りがないと虫や鳥に食われた果実が途中で落ちていくように、十分に成熟せぬまま事は中途で頓挫するものである。

社会は一皮むくと地獄のようであり、悪魔も闊歩しているので、何かと思うようにはいかない世の中ではあるが、神様に守って頂きながら、人は思う道を勇敢に進んで行かなければならない。

勇気を出せば悪魔は退くもの。断じて行えば鬼神もこれを避ける。

出口王仁三郎は、40歳を越えて仕事を変えてもあかんと言った。

社会の全員が公務員だったソ連は、ソ連崩壊に際して、若年も中年も老年も全員が職業を変えるハメになり、そのためにアル中と自殺が急増したという。ことほど左様に職業を中途で変えるというのは、転職あっせん会社や人材派遣業がうたうように前途洋々で気楽なものではない。人間関係と人脈を新たに作り、慣れない仕事のノウハウも積み上げていかなければならないもの。

一つの職で仕事を完遂するのも転職も、神様のお守りなしには何も成らない。
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エメラルド・タブレット(ドウリル)

2017-05-27 06:08:02 | 究極というものの可能性
◎アメジスト・タブレット・プロローグへ

エメラルド・タブレット(ドウリル)は、ドウリル博士が霊視したか自動書記したかわからないが、そのような形で、ピラミッド内にある12部中の10部を読み取ったものというふれ込みのもの。

30年前に読んだものは改訳され、本文と注釈に分かれているものが出されている。

以前のバージョンは恐ろしく霊がかりであって、このブログでもほとんど言及してこなかった。改訳版の本文はだいぶすっきりしていて、だいぶましになったように思う。

興味を惹かれたのは、スフィンクスの下に宇宙船が埋められていることとで、その宇宙船は優勢な軍事能力を有するということ。

もう一つは、ピラミッドの中にトス(アトランティスの聖王)の秘密があるという部分。

さらに最終戦争の始まり。人間が大洋を征服し、空を飛んで、稲妻を甲冑として戦う時とあるが、稲妻つまり電磁波は矛ではあっても防御兵器ではないので、それはまだ実現していないとみる。

またこの最終戦争では人類の半分が滅亡と予測しているので、大本教の予言よりは、全然楽観的な数字である。

またこの本は輪廻転生からの解脱を狙わず他の天体への転生を当然のように書いているところが、霊がかりと言われる理由の一つ。

神知るものにとって転生しようがしまいがどうでもよく、そういうことは天意に任せることなのではないのだろうか。

個であることは孤独であることで、そこには絶望と不条理がつきまとう。霊的大師がいかに強力にサポートしたとしても、死は必ずやってくる。すべてのものが一つながりということは、闇も光も善も悪も生も死も一つながり。一つながりであるところに人間的悲劇はない。

だから、光を体験する自分というのが他の天体に転生しても当然残るみたいな書きぶりが霊がかりに感じられる。

ただ、これにインスパイアされて、ダンテス・ダイジがアメジスト・タブレット・プロローグを出版したということは、そぞろに想像されるのだ。
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ヌミノース

2017-05-26 06:24:47 | 究極というものの可能性
◎深い感情的動きを伴う情動付きエネルギー

悟りを心理現象として捉えることに意味はないが、敢えて悟りを心理現象として捉えれば、意識が無意識をコントロールしようとトライを始めるが、無意識の圧倒的な力と存在感を感じることで常に不安と絶望に直面させられる。それは必ず自分の死を思い起こさせるものである。

その不条理との葛藤の中で、自分の無力さが極限まで追い詰められ、足元の大地ががらがら崩れるが如き崖っぷちに追いやられる。

そこで、人は自殺か発狂か悟りへという三つの分岐点に立つ。

悟りにあっては、無意識が意識をコントロールするという逆転が起こる。神が人となる。

そうした局面に追い詰める、心理的には無意識だが、現実的にはのっぴきならない抵抗するすべもない状況の力、それを心理学者ユングは、ヌミノースと表現しているのだろうと思う。

ヌミノースとは、心理学者ユングが無意識の元型中の一部についてその力感と無慈悲について総合的な意味を込めたものである。


アンドリュー・サミュエルズのユング心理学辞典によれば、ヌミノースとは以下。

『1937年,ユングは、ヌミノースにつ
いて以下のように述べている。

「意志という恣意的な働きによって引き起こしえない力動的な作用もしくは効果である。逆に,ヌミノースは,人間という主体を捉えコントロールする。つまり,人間がそれを創り出すというよりも,つねにその犠牲になっているといえる。

ヌミノースは, その作用の源泉がいかなるものであろうと,主体の意志にかかわりなく生じる経験である。
… ヌミノースは目に見える対象に帰属しうる性質でもあれば,目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり,意識の特異な変容を引き起こす。(CW11 , para.6)

ヌミノースは,説明できないものであるが, 神秘的で謎めいているにせよ,深く印象的なメッセージを個別にもたらすと考えられる。

意識的であれ無意識的であれ,超越的な力をあらかじめ信頼しようとする準備態勢,すなわち,なんらかの信仰が,ヌミノース経験にとって必要条件だとユングは考えた。ヌミノース的なものは,克服できるものではなく、ただそこに自らを開くことができるだけである。

しかし,ヌミノース経験には,強制力をもった莫大な力を経験すること以上のものがある。つまり,この経験は,それまで明らかになったことのない,魅惑的で運命的な意味を暗示する力に直面することでもある。』
(ユング心理学辞典/アンドリュー・サミュエルズ他/創元社p127-128から引用)

ヌミノースには、オープンマインドしかできないというのは、ケン・ウィルバーが東日本大震災でオープンマインドを唱えたタームリーさを思い起こさせる。

ヌミノースは深い感情的動きを伴う情動でもあるが、これを心理と捉えれば経験ということに留まるが、これぞ願望の現実化へのエネルギーの性質であるとみることもできると思う。

カオスな宇宙に遍満するエネルギーを情念と意思の力で、特定の形に整流成型していく、それが現実化ということではないかと思う。これが密教あるいはクンダリーニ・ヨーガの行き方。

それは、初めには、肯定でも否定でもなく、どちらでもない形で存在しているが、非合理な第三のものこそ創造である。
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黒化、白化、赤化

2017-05-25 03:46:44 | 錬金術
◎冥想とその結果の不確実性

黒化、白化、赤化は、心理学者C.G.ユングが錬金術研究の結果、心理の統合過程として分類しえたプロセスとされる。

心理の統合と言うと何のことかわかりにくいが、実は、その深層では、心理どころか現実そのものとなる。

黒色、黒化、ニグレドは、プリママテリア第一質量そのものであって、要するに本来の自己を悟っていない状態のことである。

この最初の黒化では、世俗的欲望実現の経験を蓄積拡大することによって自我が膨張し、とある絶望に至る。それによって、プチ自我の死が起こる。ニグレドという言葉は死を示す。

次の段階は白化。白化には三種あって、洗滌(沐浴)や洗礼によって、直接白化するケースと、死に際し体外離脱した魂が、体に生還し、肉体が蘇生するケースと、多くの色を経て白に至るケースとある。

これは銀あるいは月の状態であり、最終目的ではない。最終目的はもちろん黄金あるいは太陽である。

最終目的は、「永遠なる水」とも「われらが火」とも賢者の石とも表現されるが、その方法は、対立物の結合とシンボリックに言われるが、手番の順序の記述も錬金術書によっててんでんばらばらであり、具体的に何を指すかは判然としない。

これは、ある一つの冥想を行ったからと言ってその結果が一つではなく、その結果は何が出てくるかどうかはわからないという冥想特有の性質が絡んでいるように思う。

最後は神人合一、大悟覚醒なのだが、ある冥想を行えば、確実に悟りに至れるというような単線な進行は取らないということ。

換言すれば、冥想とその結果はリンクするものではないということ。これが冥想とその結果の不確実性である。
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出口王仁三郎の既成宗教評価

2017-05-24 05:43:56 | ザ・ジャンプ・アウト
◎時代遅れの寝息

出口王仁三郎の歌集言華から。
『根本的改革せざれば 現代の宗教死滅の他なかるべし

在来の惰力によりて 命脈を保てる既成宗教さびしき

我が国の神道仏教ことごとく 時代遅れの寝息ものなる

不徹底なる教理をいまにふりまわし 得意然たる宗教家の愚劣さ

人心を収攬すべき宗教が 今は大衆にかえりみられず

極楽地獄をつくり人心をおびやかしたる宗教の末路

無始無終 神の御霊(みたま)の分派たる人は必ず不老不死なり

身体は人間そのものの容器なり 容器はをりをり破ることあり

霊に偏し体に偏せる論説は決して正しき教理にあらず

霊力体一致せざれば真実の世を救うべき教にあらず

数千年以前の教理を現代にひろめむとする宗教家の迂闊

人心を脅迫しつつ命脈を保ちし法の滅びは来たれり

到るところ宗教の殿堂ありながら その福音に浴する者なし

凡俗よりきたなき心もつものは既成宗教の僧侶なりけり』
(言華 下巻/ 出口王仁三郎/みいず舎P44-45から引用)

さればモダンな宗教の姿とは、この夜ふかしで多忙な現代人のライフ・スタイルに冥想が組み込まれ、善いことをし悪いことはしないという当然の行動スタンダードを履み、日々神仏に至ろうとする気持ちで、いつかは悟りを得ようとする姿勢だろうと思う。

宗教は、天国地獄の脅迫でなく、ひたすら悟りへのテクノロジーを説く。
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生きながら畜生となるしるしには

2017-05-23 05:33:48 | 丹田禅(冥想法8)
◎至道無難四首

至道無難
の道歌、四首。

神仏に祈れば寿命が延びるかという人に

浮世のしなは 変われども 死ぬる一つは変わらざりけり


道を問う人に

の子は紛いなきほととぎす
何とて声の別に鳴くらん


ある人に

たちまちに死に果ててみる心こそ
かりに仏と
名はつけにけれ


坐禅

生きながら畜生となるしるしには
坐禅の床にをられざりけり

寿命が少々延びても死ぬという一事に変わりはない。

スマホでSNSやらゲームやら、生きながら畜生となる人の多いことよ。
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黙想で気が散る対策

2017-05-22 05:34:37 | キリスト者の秘蹟
◎オープンマインドとマントラ

「何を、どう祈ればいいか アントニー・デ・メロ/著 女子パウロ会」から。黙想を行うための準備は次のようなものである。

カトリックでも黙想では、一日中沈黙を守りじっと座っていることができるようにならなければいけない。
読書をせず、気が散ることを避ける。
沈黙での神との語らいにひたすら時間を費やす。

これが黙想時のスタイルで、修道院の中でも日に5、6時間も黙想するのは長い方らしいが、禅の接心では日に12時間以上座るとして、これでも時間が短いのではないかと疑問を投げかけている。

でも一般に日に5時間も座れるようになるのは相当に進んだ人だろうと思う。

アントニー・デ・メロ氏が初心の頃、祈りを始めると1、2分で気が散り、気が散るのと黙想の間の往復が始まり。祈りの時間の9割は、気が散っていたという。

それを指導者に相談すると、気が散ったら、ロザリオの祈りを何十回も唱えなさいということであった。

それは単なるロザリオの祈りというマントラ念唱でなく、キリストの愛を体験する恵みを乞い願うという、オープンマインドの心構えを伴うもの。

黙想が深まっていけば、神を知る、聖霊に感じるというところへ進み、やがて観想も行うのだろうが、今の人は、それ以前であって、「黙想」の時間がとても不足している。それに伴う弊害も無視できないほど広がっている。
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NHKスペシャル「緊迫 北朝鮮 危機の深層」

2017-05-21 06:24:24 | 時代のおわり
◎5大核保有国による支配の危機

5月20日(土)のNHKスペシャル「緊迫 北朝鮮 危機の深層」を見た。ほぼ全編、海外の軍事専門家のコメントでできていて、岡目から見た北朝鮮のミサイル開発の現況と近未来の予想であった。

北朝鮮の保有する様々な性能のミサイルは1000発。うちノドンは日本の全域を射程に収めて久しい。

核開発の主眼は、ICBMの宇宙からの再突入技術獲得と小型化。小型化はすでにその技術を獲得しているのではないかという疑惑があり、それを専門家たちは否定しているシーンはなかった。大気圏外からの再突入技術はあと5年くらいかかろうというもの。

いずれにしても、複数の軍事専門家の話を総合すると、再突入技術が完成する5年以内には、北朝鮮は核技術を放棄する方向性はあり得ないがゆえに、全面戦争と核戦争が起こる可能性が高いという予想となっていた。

日本を狙うノドンには、核搭載できてはいないという確証はないので、今でも日本を核攻撃をちらつかせながら恫喝するということは、某国のようにありえるのだろうと思った。

さらにICBMが現状のPAC3などの最新防衛兵器で防御できないという認識が広まれば、日本でも先制攻撃と核兵器保有の議論が当然に起きる流れになる。

そうなれば、核兵器は拡散し、戦後5大核保有国のバランスで維持されてきた国連中心の国際秩序は、5大核保有国の核保有の相対的地盤沈下により、世界は核による戦国時代に突入していくことになる。

核兵器を友邦に持たせるというのは、一歩政治情勢が変われば、本能寺の変のように、その核兵器で味方だった大国を撃つという可能性が発生することを意味するので、ソ連ですら東欧諸国には核ミサイルを配備しなかったらしい。

こうした偶発的核戦争発生リスクが世界至るところに散在すれば、小国ですら北朝鮮のように大国の意向には従わないことになり、世界は、政治的にも軍事的にも無極となり大乱の時代となる。

政治家も庶民も北朝鮮問題は、外交的解決が望ましいという。しかし外交に得た果実でさらに軍備強化するに決まっているので、それは問題の先送りにすぎない。

非現実的と見るかもしれないが、結局世界全体が武装解除するのが最終解決。

しかし一旦核兵器を得た国は死んでもその技術を手放さないので、このチキン・レースは、結局核戦争してみて一瞬にして何十もの大都市が焼け野原になるのを見るところまで行かないと、世界全体が核廃絶の方向には動かないのではないか。

この70余年の核兵器を持った国に守ってもらう平和な時代の末路はそんなものだろう。

ダンテス・ダイジは、数少ない予言の中で「荒野に火の玉が燃える」と言っているが、荒野に核ミサイルがさく裂するわけはなく、何百万もの人々が生活する都市を核ミサイルが急襲し、荒野になってしまうということなのだろうと思った。
それが「美しくも悲しい花火を見る」ということ。

それは十分予感ではなく、予想できる時期に入ってきた。

今日も冥想を。
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ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの生ける光

2017-05-20 06:17:07 | キリスト者の秘蹟
◎もうひとつの光

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、12世紀ドイツの修道女。幻視者の常として身体が弱く病気がちであった。

彼女は霊界宇宙を幻視したが、当時は天動説であり、物質界宇宙と霊界宇宙の区別もわからない時代。ただ彼女は光には2種あることをわかっていた。

『それゆえ、私が見ます光は空間的なものではなく、太陽を運ぶ雲よりもずっとずっと明るいものです。私はその高さも長さも幅もはかることができません。ですから私はそれを「生ける<光>の反映」と呼んでいます。

そして太陽や月や星たちが水に映って現れるように、著作、聖書訓話、徳、ある種の人間的行為も、その内部で私のために形をとり、輝くのです。

(中略)

さらに、太陽をまともに見られないのと同じように、この光の形がどのようなものになっているのかも私にはわかりません。

しょっちゅうではないのですが、ときどき、この光の内部にもうひとつの光が見えます。
私はそれを「生ける〈光〉」とよんでおります。

いつ、そしてどのように私がそれを見るのかは述べられませんが、それを見ているあいだは、悲しみや苦しみがすべて私から離れています。ですからその時は、自分が年老いた女ではなくて無垢な少女のように感じられます。』
(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学 バーバラ・ニューマン/著 新水社P27-28から引用)

神は言葉では、言い表せないが、彼女は神を生ける光として見ている。

彼女は2種の光というが、アヴィラのテレサは奇跡には2種あると言った。

彼女はこの文章(手紙)を70歳で書いている。

苦悩も悲劇も苦痛もない、生ける光、それは、人間に属するものではあるまい。
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キリスト教と善悪の結婚

2017-05-19 05:28:04 | キリスト者の秘蹟
◎善悪同格の罠

母性を欠いた三位一体モデルのキリスト教は、当然に女性的なもの、母性の補完を要求する。

キリスト教は善であり、母性はより物質や肉体に近いものであるが故に悪と位置づけられる。よって母性はキリスト教社会にあっては、闇であり、光の影であり、悪であり、錬金術や魔術などとして、キリスト教の底辺に連綿として存在し続けてきた。

もっとも聖母教会は、エリファス・レヴィの活躍したフランスでは多く、モンマルトルにはノートルダムという聖母教会があり、南フランス、スペインには黒い聖母を含む聖母教会が点在しているので、キリスト教サイドも母性、女性性の欠如に全く無関心だったわけではない。

心理学者C.G.ユングは、『悪は善と同じように考慮されるだろう。というのは善と悪は結局行為の観念的な延長と抽象にほかならないからである。

その両者は人生の明暗の現象に属している。悪が生まれえないような善は結局ないし、善が生まれえないような悪はない』
(C.G.ユング/ゲルハルト・ヴェーア/青土社P161-162から引用)

いわゆる神には善と悪の面がかならずペアになっていると言っているわけだ。

出口王仁三郎は、人間の母性的で肉体に近い部分を悪ではあるが必要なものとして副守護神とよび、それはエーテル体を指すと思われるのだが、人間の一部であると指摘した。

確かに論理的には善と悪は並列かもしれないが、並列ということを前面に出して進むと人は悪に落ちる可能性も高く、その危険性は、覚者たちが指摘しているとおりである。

つまり見神、見仏、見性してもそれだけでは、悪の側に落ちる可能性が大いにあるので、禅でも悟後の聖胎長養として一旦得たそれを大切に守り育てねばならないとする。

悪の側に落ちた典型例は、チベット密教のドルジェタクなのだが、神知らぬまま悪の側に落ちた冥想修行者、錬金術者、魔術家、あるいは、自殺や狂気に終わった人々は決して少なくあるまいと思う。

鉛から黄金を作ろうとした人々は、そのような人々だろうと思う。

魔術書、錬金術関係書にはあまりにも善悪同格みたいな主張が強く、それはどうかと思った次第。



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奥義中の大奥義-2

2017-05-18 05:40:09 | クンダリーニ・ヨーガ
◎善と悪の統合


「大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ」の奥義中の大奥義の続き。

『あらゆる死のなかでも最も迅速で恐ろしいものに身を委ねることである。

限度を超えて知ろうとする者に災いあれ。なんとなれば、過剰で無謀な知識は命を奪わずとも、正気を失わせるであろうから。

善悪の知恵の木の実を食することは、悪と善を結び付け、両者を同一化することである。それは、テユポンの仮面でオシリスの輝かしい顔を覆うことである。
イシスの聖なるヴェールを持ち上げ、聖域を汚すことである。
影なき太陽をあえて見ようとする無謀な者は盲となる。そのとき、この者にとり太陽は黒い。

筆者にはこれ以上言うことは禁じられている。この啓示の書を三つの五芒星の図を掲げることで締めくくろう。』
(大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ/人文書院P296から引用)

※テユポン:ギリシア神話の怪物。

この文章に続いてタロットカードの構造についての説明があり、棍棒、杯、剣、貨幣の4元素と七惑星であるが、七惑星は三色で塗り分けることで21の大アルカナを構成すると言う(大アルカナは22枚)。

※大アルカナの『運命の輪』の怪物がテユポンだと説明する場合もある。(藤本緑のザ・タロットでは、最もポピュラーなRider-Wait版タロットの『運命の輪』で左側を落下している蛇みたいな怪物がテユポンだと説明)

さてここでは、まず『同時に神と悪魔になろうとすることは』危険であるとしているが、悪魔に実体がないという立場は採らない。そして神と悪魔を両方見ている自分があるという点で、見ている自分を残している。

その点では、徹底しているとはいいがたいし、この本自体あまりにも悪について言及が多すぎるという印象がある。

肉体を持って冥想修行する以上は、肉体を維持するために植物動物を食らうという悪業を積まねばならないという部分があるので、カルマ論的に厳密にいえば悪を完全に免れた人間はいない。だからといってこの本の説くように悪の部分にかかずらわって行く生き方は疑問なところがある。

そういうのを残して進んでいくと最後にはそこで叩き落されるのではないかと想像する。

またタロットについて大奥義で言及するなら愚者こそ言及すべきだったろうと思う。世界を越えなければいけないのだから。
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天下に死霊ありて

2017-05-17 05:39:35 | 超能力・霊能力
◎霊に四種類あり

至道無難禅師の自性記から、霊がかりではない霊の話。

『ある人曰く、天下に死者の霊があって、人も家も亡ぶことは事実ですと。

私曰く、霊に四種類がある。

一に国の霊。国の霊は、昔の国主が、国を子孫に伝ヘようと思ふ念が残ったのだ。二に屋敷の霊。三に家の霊、城の場合も同じ。以上の三つは、その場所を去れば別に何といふこともない。

家の苗字の霊は、どこへ行つても免れられぬ。立派な高徳の僧にお願ひして弔へばよろしい。』
(日本の禅語録十五 無難正受/講談社P149-150から引用)

死者の霊とは原文では死霊のこと。現代では国の霊はほとんど影響はない。屋敷の霊、家の霊、城の霊は、その場を去れば影響ないとしているので、ネガティブ・パワースポットというものはあるが、引っ越せば問題ないとする。

ところが名字の霊は、家系の因縁のことであり、こればかりは逃れられぬ。これについて至道無難は、高徳の僧に頼んで弔ってもらうべきとする。

人間もいい加減年齢を重ねいろいろな出来事に出会ってみると、確かに家系の因縁というものはあるように思いあたる。そう思う人も少なくあるまい。

これについて至道無難は、自分が悟れば九族昇天すというように自分が大悟覚醒することもその解決の一ではあるが、ここではそれは言わずに、別の善知識による法要を勧めた。

この相談者は、そういう感じではなかったのだろう。

家族の中には、そうした影響を中心的に受けてしまう人もいる。

人の魂は出産時に飛び込んでくるのではなく、受胎時だという。その時点で自ら家系の因縁をも選んできたのだろう。

そうした一方で生活基盤が田舎の菩提寺から、都会に移ってきてしまって、菩提寺と墓所に縁遠くなるケースも多いようだ。

それでも日々できる精進、できる冥想はしていかないと。
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坐禅成就時

2017-05-16 05:08:27 | 丹田禅(冥想法8)
◎心身なきとき、たしかに知る、色即是空


江戸時代の禅僧至道無難は、白隠の先々代の師匠に当たる(至道無難→正受→白隠)。白隠と違ってその徹底ぶりは、見事なものがある。

至道無難の自性記から。

『六祖大師坐禅の次第。言句に及ばず有りがたきことなれども、童女の聞くには、及びがたき所あり。
予、御心を請けて、

坐禅

色々妄想起る時、つよく禅定にはいるべし。
清浄になる。
禅定の功徳なり。

坐禅成就時

心身なきとき、たしかに知る、色即是空、空即是色におちつく時、諸悪莫作、衆善奉行、疑い無し。』

六祖大師は、禅の六祖慧能のこと。彼の説は女子供にはわかりにくいところがあるという信者の話を請けて、無難が説明している。

クリティカルなのは、坐禅成就とは心身ないとしているところ。臨済系でありながら、道元の身心脱落を認めている。

その境地は、色即是空、空即是色であり、そうなれば善いことばかりを行い悪いことを一切しなくなる。

ここは俗人に対しては証明不可能なことだが、至道無難は太鼓判を押している。

冥想が社会を善くするというのは、まずはこの一点にある。まずはそれを本当だと思うかどうかにかかる。
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奥義中の大奥義-1

2017-05-15 05:48:28 | クンダリーニ・ヨーガ
◎神と悪魔になろうとすること

「大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ」の奥義中の大奥義から。

『人格化された善、それが神である。
人格化された悪、それが悪魔である。
神の秘密あるいは知恵を知ることは、神となることである。
悪魔の秘密あるいは知恵を知ることは、悪魔となることである。

同時に神と悪魔になろうとすることは、自身のうちに究極の二律背反、これ以上ないほど張り合い相反する二つの力を吸い込むことである。それは、限りない対立を抱え込もうとするに等しい。


それは)太陽の火を消し世界を焼き尽くす毒を飲むことである。
デイアネイラの纏わりつく服を着ることである。』
(大いなる神秘の鍵・エリファス・レヴィ/人文書院P295から引用)

※ヘラクレスの妻デイアネイラは、自分から他の女に気持ちを移そうとするヘラクレスに媚薬を含んだ服を着せるが、その毒に苦しんだヘラクレスは纏わりつくその服だけでなく、自分の身をも引き裂くことになり、ついには焚死することになる。


この視点は、悪魔を実在とする視点から出ていないし、統合された神の側からの視点ではなく、どちらかというと人間の側の視点となっている。

色即是空な「空」の相対的視点ではなく、対立相反をあおるような表現に特徴がある。
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