アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

メルジーネ

2016-08-28 06:11:53 | 冥想アヴァンギャルド
◎血液とアストラル体

『メルジーネは、フランスの民間伝承に伝わる半獣半人の生き物で、魚の尾あるいは蛇の尾をもっている。

地電流に関係づけられ、地電流のあるところは生命が活発になり、そこの大地が豊穣となる。

蛇は地中の宝である鉱物の番人で、鉱脈の守り神である。

パラケルススでは、メルジーネは、血液中に住む魂の力と言われ、植物的魂であるとされる。』
(奇蹟の医の糧/パラケルスス/工作舎P189から引用)

地震も地磁気と関係があり、鹿島の地下のナマズが、メルジーネに相当するものなのだろう。

メルジーネは、出口王仁三郎が、人間の血は霊なのだと述べているところを見ると、かなり物質寄りの部分であるから、神経系と重複するエーテル体ではなく、アストラル体のことを言っているのだろうと思う。ただし、物質である血液を以て物質ではないアストラル体であるということはできないので、血液にはアストラル体との感応作用があるものと見るのが穏当だろうと思う。

『霊は血液を機関として居る事は毎度云ふ通りである。水死者などが死後数十時間を経過したる後、父母兄弟など身寄りの者の来る時は、鼻孔等より血液の流れ出づるものである。之は霊と霊との感応作用が起るからである。』
(玉鏡/出口王仁三郎より引用)

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天津罪と国津罪-2

2016-08-27 03:22:44 | 古神道の手振り
◎国津罪

さらに出口王仁三郎の国津罪の定義。国津罪とは、天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。
己が母犯せる罪、己が子犯せる罪など字面は倫理道徳的に問題のある言葉が並ぶが、実質は、祖先、祖神に対してその本来の権能を無視したり、リスペクトせぬことや、自分の子孫の権能を無視し、食い物にしたり、虐待、酷使すること。

クンダリーニ・ヨーガ系では、故意に糞尿的言葉を並べることがあるが、この主要祝詞たる大祓祝詞にそうした一見下品な言葉が並ぶのも、古神道がクンダリーニ・ヨーガ系である証左である。字面を故意に汚して、真に求道の情熱ある者だけを選別していた仕掛けでもある。

巨大台風は、「高津神の災」であり、出口王仁三郎は、これを世界中の守護神、人民の堕落が招ける神罰と見ている。

『△国津罪  天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。

△生膚断  天賦の徳性を保ち居る活物の皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有してゐる。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、徒に人体毀損の罪を積ぬる訳になる。

△死膚断  刃物を以て生物一切を殺す罪。

△白人胡久美  白昼姦淫の事。白日床組といふ醜穢文字を避け、態と当字を用ひたのである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米の人士は概してこの方面の弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分その影響を受けてゐるが、元来はこの点においては世界中で最も淡白な人種である。淫欲の結果は肺病となり、また癩病となる故に白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、または白癩疾者を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。

△己が母犯せる罪  母の一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するのである。大体において親といふ如し。犯すとはその本来の権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝の罪を重ぬる事である。

△己が子犯せる罪  自己の子孫の権能を無視し、非道の虐待酷使を敢てする事。元来自分の子も、実は神からの預かり物で、人間が勝手にこれを取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜などを自己の食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。

△母と子と犯せる罪、子と母と云々  上の二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せるまでで別に意義はない。

△畜犯せる罪  獣類の天賦の徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事。

△昆虫の災  天則違反の罪をいふ。蝮、ムカデなどに刺されるのは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるのである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。

△高津神の災  天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして罪過の甚い所に起るのである。災は業はひ也、所為也。鬼神から主観的に観れば一の所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、その他八百万の眷属を使はるるのも祝詞のいはゆる高津神の災である。皆世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。

△高津鳥の災  鳥が穀物を荒す事などを指すので矢張り神罰である。

△畜殪し  他家の牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種のマジナヒ也。

△蠱物  呪咀也、マジナヒ物也。丑の時参りだの、生木に釘を打つだのは皆罪悪である。』
(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)
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天津罪と国津罪-1

2016-08-26 05:17:24 | 古神道の手振り
◎天津罪

天津罪と国津罪とは、原罪のことである。出口王仁三郎の天津罪の定義。

『天津罪  天然自然に賊与せられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、いはゆる積んで置く罪、包んで置く罪也。

宝の持腐れをやる罪也。従来は文明だの進歩だのと云つた所が、全然穿き違の文明進歩で一ツ調子が狂へばたちまち饑餓に苦しむやうなやり方、現在世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間がいかに天津罪を犯してゐるかが解る。』
(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)

この大きな定義を受けて、例の「畔放ち(あはなち)」などの個別の罪の解釈をしてみせるのだが、それはいずれも学者の解釈とは全く異なったものになっている。「生剥ぎ」「逆剥」の解釈は、一般の想像も及ばぬところ。

字義にとらわれず、字義を用いるのはいわば全体の三分の一程度で、あとはインスピレーションによる。そのインスピレーションの正統性が問題なのだが、そこに出口王仁三郎の持つ至高至聖の境地が反映している。

『△畔放ち  天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字にてアメを約めたもの也。田の畔を開つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である。

△溝埋め  水力の利用を指す。埋めには補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。

△樋放ち  樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。

△頻蒔き  山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。しき(シキ)は、敷地のシキ也、地所也。蒔きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国の現状は果して如何。彼等が世界の土地を横領せる事の大なりしだけ、彼等が頻蒔の天則を無視せる罪悪も蓋し世界随一であらう。しかしその覚醒の時もモー接近した、これではならぬと衷心から覚る時はモー目前にある。イヤ半分はモーその時期が到着してゐる。しかしこれは程度の差違だけで、その罪は各国とも皆犯してゐる。

△串差し  カクシサガシの約にて、前人未発の秘奥を発見する事。

△生剥ぎ  一般の生物の天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当の本務のあるもので、軽重大小の差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫などを殺すので、絶対的有害無効の動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。蚕をはぐなどの語を参考すべし。

△逆剥  逆(サカ)は、栄えのサカ也。酒などもこの栄えの意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥の剥と同じく開発の義。即ち全体の義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒蕪の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむる事を指す。

△尿戸  宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。

△許々太久  その他種々雑多の義。

△天津罪と詔別て  以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。』
(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)

一般に冥想修行者にとっては、日常の勤倹節約をもって、水の一滴だにムダにしないのはあたりまえのことだが、ここではもっと大きく人間の土地や宇宙開発利用や天然資源の開発利用、動植物の利用にわたるまで、現今の科学知識の埒内では問題がないとされることまでやり玉にあげている。

軍事力の威嚇をもって他国を植民地にしたり、経済的収奪をするのは許されざること(しきまき)であって、21世紀の今もその状況は変わらないので、今現在も「世の立替え」以前の状態にあることがわかる。

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ロハス国家だった日本

2016-08-25 05:40:10 | 冥想アヴァンギャルド
◎肉食禁止の風潮

675年、天武天皇は仏教の立場から落とし穴や飛び出す槍を使った狩猟を禁じた。また、4月から9月の間、牛、馬、犬、サル、鶏を食することが禁止されたが、鹿と猪は禁じられていなかった。

平安時代には陰陽道が盛んになったこともあり、獣肉食の禁忌は強まり、代わって鳥や魚肉が食されるようになった。

安土桃山時代には、日本人は、牛、豚、羊の肉を忌み、牛乳も飲まなかった。また猟で得た野獣肉を食べるが、食用の家畜はいないなど、肉食が多くはなかった。さらに宣教師フランシスコ・ザビエルは日本の僧の食習慣を真似て肉食をしなかったが、その後の宣教師は信者にも牛肉を勧め、1557年(弘治3年)の復活祭では買った牝牛を殺して飯に炊き込んで信者に振舞っている事例はある。

江戸時代には建前としては獣肉食の禁忌が守られた。特に上流階級はこの禁忌を守った。一方で、1643年(寛永20年)の刊行とされる『料理物語』には、鹿、狸、猪、兎、川獺、熊、犬を具とした汁料理や貝焼き、鶏卵料理等が紹介されているので、禁令としては厳しくはなかった。

明治に至り、キリシタン禁令が解かれると、牛肉食も解禁となり、仏僧の妻帯も認められ、一気に人の心が、肉食人特有の殺伐で、利にさとい気風が優勢になって今日に至る。

奈良時代以降肉食を戒めてきたのは、仏教が支配的であった影響が大きいが、その結果として、人々の感性が神をよりナチュラルに感じ取れることができる惟神(かんながら)の状態を維持し得てきたのは大きかったと思う。

誠に日本は、江戸時代まではロハスな国家だったが、明治になってそれを崩す動きが、廃仏毀釈なども含めて立て続けに起こったのは、明治維新が英仏米など西洋主導で運営されたことがうかがわれる。
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千年王国の始まり

2016-08-24 05:33:49 | 冥想アヴァンギャルド
◎三人世の元

イエスのグループも貧しい12人とイエスのグループで始まった。出口王仁三郎は、よく『三人世の元』と言い、時代を革新するような大事業も3人で始まるものだと見ている。

大本教は、出口ナオと出口王仁三郎の二人で始めたので、『三人世の元』とは、明治から昭和の時代のことを言っているわけではない。

以下は、出口ナオと出口王仁三郎の出会いの頃の貧しさのこと。
『私が初めて綾部にいつた時に持つて行つたものは、手帳一冊、鎮魂の玉一個、天然笛一個、会員名簿一冊、唯それだけであつた。それを小さな鞄に入れて持つていつた。着いた綾部の教祖様の御住宅は六畳一間の土蔵で、教祖様のお膳が唯一個あつたばかり、私が行つたら忽ち私のお膳や茶碗を買ふと云ふ始末で他に何もなかつた。』
(水鏡/出口王仁三郎から引用)

大伽藍や何億円何兆円もの資産を作るために宗教をやるのではないが、まず自分が道を履むことから始まる。他人に何かあるわけではない。いくら他人が悟っても、自分が悟るわけではない。
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火の洗礼、水の洗礼

2016-08-23 06:21:36 | 究極というものの可能性
◎起こることは起こる

ヨハネはで洗礼し、イエスは火で洗礼した。

水の洗礼とは、道義的、物質的、肉体的、現在的な救済のことである。風災、水災、火災の大三災や、飢病戦(飢餓、病気(パンデミック、バイオテロ、生物化学兵器)、経済戦、思想戦、物理的戦争、通常戦争、核戦争)などは、物質的、肉体的被害を生じ、しかる後に復興し得るので、これらは、水の洗礼である。

物質文明は、肉体生命維持に不可欠なものであるが、人間の自然、ナチュラリティからあまりにもズレが大きくなった場合、文明破壊としてこうした洗礼が起こる。阪神大震災、東日本大震災などもそうで、台風も水の洗礼。しかし、こうした自然災害や戦争が起こったからといって、それを体験した万人が大悟、覚醒するわけではない。

そこで道義を超え、経済的メリットを無視し、愛のために愛する真の愛、永遠の命、大慈大悲を万人が生きるべく、人間の精神、心理はおろか実存までも別次元に革正するもの。それが、火の洗礼である。

火の洗礼は一朝一夕にして成るものではなく、また何か世界的イベントが起きて全人類が一斉に見性したりするとは考えにくい。仮にそうしたイベントが起こってそこに居合わせたとしても、悟るか悟らないかはその人によるからである。

例のポルトガルのファティマの聖母降臨の奇蹟にしても、それを目撃した全員が悟ったわけではないからである。神に出会うには日々の準備が必要なのである。よって火の洗礼に出会うかもしれないが、それで救済が起こるかどうかは、自分の日々の冥想修行によるというところは外せない。

でないと、起こることは起こったが、わかったかどうかは別ということになりかねない。

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マインドフルネスの課題

2016-08-22 05:37:51 | 冥想アヴァンギャルド
◎冥想大国に向かうアメリカの芽

マインドフルネスで行われているのは、宗派のない冥想だが、効果を期待している冥想。効果とは、慈悲の心とか、平静とか、ストレスの軽減とか、新たなアイディア、集中力増進、癒しなどだが、効果を求めるというところが邪道ではある。

マインドフルネスで行われている冥想は、観想法だったり、只管打坐だったり、呼吸を見るだったり、クンダリーニ・ヨーガ風の起こっていることを見守る聞き守るだったりといろいろだが、禅にしてもクンダリーニ・ヨーガにしても浄土門にしても、単一の冥想だけやっているわけではなく、様々な坐法の組み合わせになっているので、坐法・ポスチャーが複合的であることについては、とやかく言うことはない。

問題なのはそのマインドフル冥想のセッションやリトリートを指導している師匠・グルがちゃんとしているかどうかということである。ちゃんとしているとは大悟徹底した人物かどうかということ。

大悟していれば、その人物には、必ず他心通(他人のこころがわかる)、宿命通(他人の運命がわかる)などの超能力が備わっているものであり、なによりも冥想が進化していく過程で起こる精神の危機(スピリチュアル・エマージェンシー)で、適切な指導をできるのはそういう人物しいかいないからである。

こうした根本的な問題点はあるものの、CEOが冥想しているとか、スティーブ・ジョブズが冥想しているとかで、冥想はアメリカに広汎に広がり、アメリカは一つの冥想大国に徐々になろうとしている。

日本もこういう上からの行きかたが出てきても良いかもしれない。日本では、見る眼のある人がひそかに心得た人に冥想指導してもらうという形が良いはずだが、過去40年そういう動きにはならなかった。

日本では、目的を持った邪法な冥想は見抜く人が多く、上からの行き方は根付かないのではないか。また本物の覚者が表立って出ると、いまだによってたかってカルトとして潰すということもある。

ただ日本の宗教も「外国勢力によって立て直し」のパターンにはまるということはあるかもしれない。マインドフルネスは今後も動向に要チェックです。
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すみきり-2

2016-08-21 06:28:44 | 古神道の手振り
◎◎(ス)の水火(いき)たる言霊

 宇宙の始めに何もなかった大虚空において、宇宙の根源である◎(ス)の水火(いき)たる言霊が、すみきり澄みきらいつつ鳴り鳴りて鳴り止まない。

このスの生言霊(いくことたま)が、次々に以下のものを生んでいく。
すなわち、神、宇宙、大宇宙の主宰たる日本国、天の主宰たる天照皇大神。
このようにして出現した日本には、万世一系の天皇が鎮まられ、その天照皇大神の洪徳は、全地球の上に及んでいく。

言霊学上からは、日本は、◎(ス)の本の国であるから、「ニホン」ではなく「スホン」となるべきだが、なぜだか「ニホン」になっている。
また伊弉諾の降臨された淡路島に「スホン」なる洲本という地名が残る。

勢力相互の争闘を平和裏に収めるには、両勢力の認める権威者の存在があることがベストな構造。世界の平和を成立、維持させるためには、そうした権威者が必要だが、世界が認める権威者たり得るものを「天皇」とネーミングしたのであろう。

天皇は日本では尊崇の対象だが、世界各国においてはそうなってはいない。そうした世界的権威が成立するには、世界共通にそれを認める目が成立しなければならない。そうした目は公平、厳格なことは勿論のこと、誰にでもそれと認められる目でなければならない。

それは権威者の側の属性の問題でもあるが、むしろ大衆、人民の側の眼が開けるかどうかがクリティカルなポイントとなる。誰が悟っているのかいないのか見分ける眼が万民に備わるということだと思う。

いまの社会通念とライフ・スタイルでは、それは厳しいのではないか。


『本来神皇国日本は、大宇宙の中心に永遠無窮の神護を以て、天津神祖の神の生みなし給ひし聖域なれば、皇御国と称し奉り、万世一系にこれを統御し給ふ主権者を、スメラミコトと申し奉るも、◎(ス)の言霊の神徳によりて、なり出で給ひし神国なればなり。

大虚空中にスの水火(いき)のすみきり澄みきらひつつ鳴り鳴りて鳴り止まざるスの生言霊は、神を生み宇宙を生み大地を生み、永遠無窮に渉りて終にスの神国我葦原の瑞穂の国なる中津国を生り出で給ひ、大宇宙の主宰として日の本の国を生み給ひ、

天照皇大神の生り出で給ひて、天上の主宰と任け給ひ、御皇孫永久に平らけく安らけく知召す本つ神国にして、現人神に在す万世一系の 天皇鎮まりませる日の本は言ふも更なり、全地の上に皇大神の洪徳を発揮し給ひ、神人安住の聖域となし給ひしぞ畏けれ。

言霊学上より見る日の本の日は、則ち◎にして◎の本の国なり。故に日の本は日の本なるの意義を知る可し。』
(霊界物語第74巻 総説)
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すみきり-1

2016-08-20 07:08:45 | 古神道の手振り
◎形も見えず声もなき

「すみきり」とは、霊界物語中の重要なキーワードの一つ。「すみきり」とは、もともとは古神道のニルヴァーナたる天御中主神の形容詞、枕詞である。(澄み切る

隠身而(すみきりて) 形も見えず声もなき
    まことの神は御中主なり 
    (霊界物語第三巻余白歌)

独神成而(すになりて)隠身居(すみきりゐ)たる 月日神(いきがみ)は
    国常立(くにとこたち)と豊雲野(とよくもぬ)の神
    (霊界物語第六巻余白歌)

国常立尊は、国祖であり、艮の金神のこと。神代七代の一代目。退隠させられて世の混乱のもととなる。神政発揚直の御魂を機関とする。
豊雲野尊は、神代七代の二代目。神息統合の御魂を機関とする。口腔口唇、口蓋等の発音の根本機関は豊雲野神(霊界物語第六巻第二八章)。国常立尊と同様に退隠させられて世の混乱のもととなる。

この二神が退隠させられたとは、ほとんどの人間が神知らぬ時代、ほとんどの人間が神とコンタクトしない時代になったということ。

久方の空に雲なくスの水火は
澄み切り澄みきらひて神国を照す
大太陽は宇宙のあらむ限りまで
稜威を伊照し給ひて日々に栄行く
神国のこの瑞祥ぞ畏けれ
(霊界物語第73巻第一〇章)

これはいわゆる永久不滅のイデアの世界を歌ったものであり、盛者必滅、毀誉褒貶のこの世や霊界のことを歌ったものではない。すみきりとはこうした根源のこと。

すみきりの現われは、次のところで感じ取ることができる。 

すみきりし朝の太陽(おほひ)は大空に
    真如の光 投げてかがやく    
(霊界物語第64巻余白歌) 

すみきりて清くかしこき 天界に 千万(ちよろづ)の神 生れましけり 
(霊界物語第73巻余白歌)
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夫婦は同心同体

2016-08-19 05:30:52 | 古神道の手振り
◎霊的婚姻

出口王仁三郎は、天国にあっては、夫婦は二人でなく、一体であり一人として数えるという。霊界物語第47巻では、天国の様子を詳述するのだが、地上天国になろうとする時代にそれを心得ておくことも意味があることだろう。

ただし、人間が生涯の魂の伴侶に出会うチャンスは一生に一回あるかないかであり、出会ったとしてもそれに気づかなかったり、そのチャンスをものにできなかったりということの方が多いのかもしれない。

天国で夫婦は同心同体とは、両性具有イズノメの具現であって、世間感覚とは異なるが、重要なファクターではある。

『『夫婦は愛と信との和合に依つて成立するものです。

所謂夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に深く入り込み、茲に始めて天国の結婚が行はれるのです。言はば夫婦同心同体ですから、面貌の相似するは相応の道理に仍つて避くべからざる情態です。

現界人の結婚は、地位だとか名望だとか、世間の面目だとか、財産の多寡によつて婚姻を結ぶのですから、云はば虚偽の婚姻です。

天国の婚姻は凡て霊的婚姻ですから、夫婦は密着不離の情態にあるのです。故に天国に於ては夫婦は二人とせず一人として数へることになつてゐます。現界の様に、人口名簿に男子何名女子何名などの面倒はありませぬ。只一人二人と云へば、それで一夫婦二夫婦といふことが分るのです。それで天国に於て百人といへば頭が二百あります。

これが現界と相違の点ですよ。君民一致、夫婦一体、上下和合の真相は到底天国でなくては実見することは出来ますまい。』
(霊界物語第47巻第18章から引用)
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救世主再臨のタイミング

2016-08-18 05:35:24 | 古神道の手振り
◎近代西欧文明破壊後

出口王仁三郎は、この文明が徹底的に破壊され、ほぼ再建不能になった段階で救世主再臨があると考えているのではないか。

霊界物語64巻は、新時代の宗教のありよう、今後の世界情勢の行く末など、未来への大方針が散りばめられている重要な巻である。この中の一章である大相撲というのは、世界の二大勢力の角逐のことであるが、二大勢力とは、日本とアメリカのことであり、惟神文明と民主外征文明のヘゲモニー争いのこと。第二次世界大戦で日本は一敗地にまみれたが、未曽有の経済発展により世界の強国の地位を占めている。軍事的には日本はアメリカに敵すべくもないが、神秘家の眼から見れば、日本対アメリカの主導権争いはまだ決着を見ていない。

霊界物語では、日本とイスラエルの役割の違いを説明しているが、イスラエルがその目論見どおり、世界統一を進める過程の途中でハルマゲドンの大戦が起こるのではないか。ハルマゲドンの結果は、悲惨なものであり、各国とも現今のスタイルの文明生活は営めなくなるだろう。全面核戦争ともなれば、生産財、消費財生産の国際分業は停止され、食料、原油、石炭、鉄鉱石などの調達ルートも確保できなくなれば、比較的簡単に、各国同時に生活機能が維持できなくなるのではないか。

同時に、当然各国とも継戦能力をほとんど喪失する。こういう状態を出口王仁三郎は、『人間の力つき鼻柱が折れ、手の施す余地がなくなつて』と表現し、そのタイミングで、救世主が再臨する。救世主は、当然日本から出る。

文明的な技術は、ほとんど壊滅するが、通信技術だけは保持され、その後の世界全体が地上天国となる、人口が大減少した時代の世界統合に資する。

こんなところだろうか。

『『救世主は屹度御降臨になつて世界を無事太平に治めて下さる事を私は確信してゐます。然しそれ迄に一つ大峠が出て来るでせう。

ハルマゲドンの戦争は私は今後に勃発するものと思ひます。今日は世界に二大勢力があつて虎視眈々として互に狙ひつつある現状ですから、到底此儘では治まりますまい。

世の立替立直しは今日の人間の力つき鼻柱が折れ、手の施す余地がなくなつてからでなくては開始致しますまい。九分九厘、千騎一騎になつて救世主が降臨なされるのが神様の経綸と存じます』』(霊界物語第64巻上 第15章 大相撲/出口王仁三郎から引用)
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水晶の世に致す

2016-08-17 05:42:42 | 古神道の手振り
◎澄み切る準備

水晶の時代、水晶の身魂は、大本神諭だけの専売特許ではないが、改めて、立替え立て直しの意義を見る。

以下の神諭では、
まず文明破壊は、戦争と天災で起こるが、それだけでクリスタル・ピープルになるのではない。曇り切ったスピリットをクリアなものにすることがポイントなのだという。

生き残る三分に入るかどうかがポイントなのではなくて、その精神の澄み切るかどうかが肝心なのだと力説する。

事実第二次世界大戦とそれと同時期に起こった天災では、結局人類全体が澄み切ったわけではなかった。

澄み切るには澄み切る準備なくしては、澄み切れない。毎日の冥想によって。

『二度目の世の大革正(たてかえ)は、戦乱と天災とで済むように思うて、今の人民はエライ取り違いを致して居るなれど、

戦争と天災とで人の心が直るのなら、埒(らち)能(よ)う出来るなれど、今度の世の立替えは、其んな容易(たやす)い事でないぞよ。

昔から立替えは在りたなれど、臭い物に蓋をした様な事ばかりが仕(し)て有りたので、根本からの動きの取れん立替えは致して無いからこれまでのやりかたは、御魂(みたま)は猶悪くなりて、総曇りに成りて居るから、今度は一番に、霊魂界(みたま)の世の二度目の立替えであるから、何に付けても大望であるぞよ。

是程(これほど)曇り切りて居る三千世界の身魂を、水晶の世に致して、モウ此の后(さき)は曇りの懸らんように、万古末代世を持ちて行かねば成らんから、中々骨の折れる事であるぞよ。』
(大本神諭 大正4年旧12月2日)
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日本の三度のgreat change

2016-08-16 05:37:44 | 時代のおわり
◎国産革命と外国勢力による革命

日本の立替立直を考えるには直近三度のgreat changeが参考となる。最初は、信長、秀吉、家康と続く、宗教も含めた立て直しの時代、そして明治維新、三度目は、先の敗戦。

明治維新については、最近次々と明らかになっているところでもあるが、英国と米国のバックアップを受けた20名ほどの若者(出口王仁三郎が20人くらいでやったといい、フルベッキ写真という妙な写真もある)が中心になって、武家と寺(特に禅宗と浄土系)で組み上げた幕府の社会を大改革した。これは西郷隆盛など維新の元勲が成し遂げた大革命ということになっているが、実は外国の脅迫と指導の下に成ったものであって、国産の革命ではなく、外国勢力の手になる革命であった。

先の敗戦も、これも最近明らかになってきていることが多いのだが、軍部だけが悪いのではなく、国家神道体制、思想言論の統制、天皇の絶対化など舞台装置を整えておいて、ソ連やアメリカ、英国の強力な多方面にわたる影響力の下に、日韓併合、日露戦争勝利、満州国樹立と調子に乗せておいて、最後は対米戦争を仕掛けさせられ、敗戦に誘導されたもの。これも国産ではなく、外国主導の革命と言え、この敗戦の結果、GHQ憲法とGHQ皇室典範を戴く、妙な国家に変わってしまった。

これら2度の変革に対して、日本人オンリーの力で変革を成し遂げたのは、織田、豊臣から徳川幕府成立までの時期だけ。この時代にしても日本全土が戦乱に次ぐ戦乱となり、関ケ原など大会戦が何度も繰り返され、出口王仁三郎もこれをして血で血を洗う争いを繰り返さなければ変革できなかったみたいなことを書いている。

出口王仁三郎は、この国産革命を見て、明治維新、先の敗戦は、外国人の手による荒療治になったとしており、次も外国勢力の手によるものであろうことを暗示している。次は誰にも知られず突然起こるのだろう。第二次大本事件のように。
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原田雪渓の身心脱落の説明

2016-08-15 03:35:32 | 只管打坐
◎自分とものとがひとつになっている状態を自分で知る

道元の正法眼蔵でも身心脱落についてすっきり説明しているところはない。そこで曹洞宗の原田雪渓禅師の身心脱落の説明。

『ですから、眼耳鼻舌身意の六つの働きを、本当に働きのままにまかせておくことのできる状態というのが、いちばん人として安心であり、平和の状態であります。

坐禅のひとつの方法に「ひたすらに坐る」、すなわち「只管打坐」という方法があります。只管打坐という坐禅は、いまご説明いたしましたように、六根―――眼耳鼻舌身意の働きを、自分の考えをまじえずに、まったくその働きのままにまかしている。見るもの、聞くもの、考えること、それを一切相手にせず、邪魔にせずして、凛として坐る。

それを只管打坐の坐禅といいます。

そういう六根のままにまかして、それを続けることによって、自分とものとがひとつになっている状態を自分で知ることができます。それを「身心脱落」と呼んでおります。』
(THE・膳/原田雪渓/柏樹社P69-70から引用)

普勧坐禅儀で、只管打坐の坐法はわかるが、身心脱落のイメージは初心者、門外漢には形成しにくいものだ。只管打坐はイメージ実現の観想法ではないが、ある程度はわかるように教えてもらわないとね。

ネットで道元の映画がyoutubeで置いてあったが、それに身心脱落シーンがあって、空中に昇っていくのだが、それで只管打坐をイメージするのでは大いに誤ろうというものだ。
こういう文章はありがたい。
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愛が偽りに終わる時

2016-08-14 06:18:08 | 時代のおわり
◎まともな宗教に出会うには

『愛が偽りに終わる時/山﨑浩子/文芸春秋/1994年』は、新体操の全日本選手権で個人総合5連覇を果たした山﨑浩子さんが、統一教会の定めた相手と合同結婚式まで挙げたが、後脱会した話。

統一教会の合同結婚では、見ず知らずの韓国人男性と日本人女性が結婚させられるケースが多く、その規模は何千人とも言われる。かなりの割合で離別したらしいが、もちろん子供ができたケースもある。この結婚で生まれた子は他からニーズがあればそちらに養子に出さねばならないそうだから、子供は統一教会の共有財産みたいな形になるらしい。(この事件は規模からして十分社会問題なのだが、韓国にやられ放題のマスコミも政治家もこれを大きく取り上げなかったようだ。)

そこまでやるところがカルトである所以だが、そうした子供が成長し、時々妙な失踪事件などを起こして報道されることがあるようだが、それが事件性があるのかないのかわからないけれど、子供自身の人権は確保されているのだろうか。

さて山﨑浩子さんの洗脳を晴らした経緯は実に簡単に書いてあり、統一教会を脱会した牧師に福音主義と統一教会の教義の比較を説明してもらったところ、統一教会の教義が福音主義と正反対であったことに気が付いたのが大きかったようだ。

実際は、そう簡単に洗脳が解けたわけではなかったようだが、彼女は教会内でエリート扱いされていたので、わりと自由な思考ができる環境下にあったのが幸いしたようだ。

この本はオウム真理教事件の前であり、カルトが社会的に脅威であると公的に認知される以前の時期の本。いまやカルトは「私はカルトでございます」などと正体を明かして接近してくるものではなく、もっとも巧妙なアプローチで来る。

その結果、カルトの金集め手法は、ネットワークビジネス、マーケティング、特殊詐欺などに応用され、相互にノウハウを高め合って現代に至る。

若くて信仰心の芽のある人は、とりあえず手近な宗教グループやサークルにコンタクトすることが多いが、まともなグループばかりではない。だからといってカルトの知識もないまっさらな求道心だけの人が、どれがまともで、どれがまともでないか見抜く目を持つには、ある程度の知識と直観は必要である。

悟っていない者にその真贋を見抜く目はなく、縁だけが本物に出会えるかどうかを決めるというのは、その通りなので、そこは厳しいけれども祈るしかあるまい。
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