虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

宗教関係でこれまでにわかったこと-その2

2012-04-04 11:15:36 | 宗教
少し暖かい日が続いたかと思えば、また寒波><;
融けた雪が凍って、歩道はツルツル
まぁ、毎年のことですが・・・・。

さて、前回の続きです。

(8)宗教は何故、色々な種類があるのか

あの世の構造が分かれば、この世に様々な宗教が生じるのは自明のことです。
あの世は3次元以上の多次元構造であり、そこには多様な存在形態があります。
3次元の現世から感じられる、あるいはその能力があれば移行できる多次元世界(あの世の一部)は非常に多様であり、多分、3次元空間である全宇宙より更に広大だと言っていいでしょう。
端的に言うと、3.1次元世界に3次元の全宇宙空間がスッポリとはまり、3.2次元世界は更に広いと考えればいいのです。
そこには膨大な霊達が存在し、彼らから得られる情報も多様なのです。
この3次元地球に関する限り、ある限定的な霊達が関わっているようですが、それでも彼らの表現をどのように受け取るかは、霊と交信できる人間の能力によって変化しますし、現代の宗教を眺めると、相当、いい加減な人間が教祖として偽宗教を広めているようです。
まぁ、それはさておき、一人ひとりの精神的・霊的向上が非常に大切なのだと思います。
私たちは遠い昔にこの地球上に降りてきた霊であり、それが連綿と現在の人間としての”命”を保ってきたのです。
ですから、”人間としての命”は大切なのであり、この世で為すべきことを完成させねばならないのです。
それが、私たち一人ひとりに課せられたこの世での課題であり、この世で為すべき課題を”思い出す”こと、或いは、前世に為した間違いを正し、或いは、前世で得られなかった情報を獲得し、或いは、前世で得られなかった生存を達成するなど、人それぞれで為すべき課題が異なるのでしょう。
現世の宗教はその手助けにすぎません。
シャーマニズムだって立派な宗教です。
むしろ、腐敗した現代宗教より、その純粋さにおいて人々の役に立つと言ってよいかもしれません。
宗教行為に優劣をつける行為は、最も真の宗教から遠い考えですし、恥ずべき非宗教的思考です。

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以上は2月7日に書いた部分です。

ここまで書いて、書くことがないことに気づきました。
そのうち、何か書くことに気づくだろうと思ったのですが、だんだんと気力も失せ、あっという間に4月になってしまいました。

今日は4月4日、昨日はだったのですが、今日はというより吹雪です。もう2~3cm雪が積もりました。
折角の春らしい土の香りがフイになりました

まぁ、そんな北海道ですが、もうすぐ春になります。今日降った雪もすぐにでも融けてなくなるでしょう。


さて、自分なりに宗教の勉強をしてきましたが、このような展開になるとは思いもよりませんでした。
当面の結論は、個々の宗教を云々しても埒(らち)があかないということです。
何故なら、向こう側から提供される情報は多岐(たき)にわたり、決して一面的な情報ではないからです。
しかし、情報を受け取る側-ここでは霊能者としておきます-は、一定の時代、民族的・歴史的体験と情報、個人的体験などに制約されており、受け取るべき情報も限定的にならざるをえません。
そのため、キリスト教ならばユダヤ教をベースにその教理が述べられ、仏教ならばバラモン教を土台として新しい教理を人々に提示したのだと思います。
そのような理由からどの宗教が正しいなどということはできないと言っていいでしょう。
ただし、胡散臭(うさんくさ)い宗教も世にはびこっていますので、その点は注意したほうが貴方のためになるでしょう。

現在はあまり書く気がしません。
また、何か思い付いたら宗教の探求をすると思います。
それまで、少々、”宗教の旅”はおやすみになるかも知れません。
ということで、途中まで書いた部分を復活してみました。

では、また、いつかお会いしましょう。