虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

この世とあの世では、構造も価値感も違う

2012-11-27 05:08:58 | 宗教
本格的な冬到来で、体調を崩す方もいると思います。暖かくしてお風邪をめさないようご注意ください。

ここのところ、”ふっ”と思いいたることが多々あります。
なるべく、気が付いたらすぐ記録するようにしたいと思っています。

風呂に入っていて気が付いたのですが、どうも我々、人間は自分の立ち位置からしかものごとを判断しない傾向が強く、この世とあの世との関係をみても
この世の思考がそのままあの世に持ち込まれていくと考えるようです。
あの世にはあの世のルールがあり、ある次元毎に決まったルールがあるように思います。
我々の次元=この世に近い次元界では、地獄=天国の事例でみられるように、割とこの世の現象に近いものがあります。

我々の次元界=この世には、どうもルールなどというものは無いようように感じますが、この世は基本的に”自由”であって、その中で下降した魂=人間の行為によって形成していく、あるいは組み立てていくように仕組まれているのでしょう。

そういう意味ではあの世のルールが貫徹しているのですが、我々人間からすると、余りにも理不尽な事態が人間界には蔓延しており、”神も仏もあるもんか!”と言いたくなるような現実が横たわっています。

見方を変えてみると、あの世は既に完成した、創造(=神)の意思が貫徹した世界、この世は創造が創り出した”未完”の世界なのかも知れません。
弱肉強食の世界もあれば、人々が共生する世界もあります。
どういう世界をつくるかは、この世の魂=人間たちに任されているのでしょう。
ただし、創造の大まかな目標は明らかですから、この世での間違いは、あの世のルールでたっぷりと<地獄=天国>で矯正されることになるのだと思います。

創造は、私たちの世界を含めて”創造”したわけですが、最後に造った”この世界”=この世では、下降した魂たちが”自ら創造するチャンス”を与えたのかも知れません。
そう考えると、世の中へのアプローチも少しは積極的なものになるのかも知れませんね

短いですが、思い付いたことを記録にとどめてみました。

また、お会いしましょう



あの世に天国はあるのか?

2012-11-24 04:31:14 | 宗教
冬も本格的になってきた北海道です。
薬のせいか、鼻風邪のような状態が続き、芳(かんば)しくありません。まぁ、回復途上ということなのかも。
今年の冬は、全国的に放射性物質の影響がでると思います。
基本的に体の抵抗力が落ちてきますので、奇妙な病気が増えるでしょう。
お体には充分お気をつけてくださいね
大阪でも放射能をばら撒くそうで、日本全国総放射能汚染状態になるようです。
馬鹿な首長を選択したばかりに、貴方も加害者になり、かつ、被害者になるのです。
たかが1票、されど1票です。
貴方の1票が、貴方の命と家族の命を守るのです。
絶対に”戦争をしたい!”という愚か者を支持してはいけません。
貴方や貴方の家族が戦争に行かされ、死ぬのであって、”戦争したい”連中はノウノウと生きるのですから。
何百万人も死んだ戦争で、天皇の血の一滴でも流されましたか? 天皇の許可なく軍隊の一兵卒も動かせなかったという事実の前で、あの戦争の責任が誰にあったかなどは、自明のことなのです。
責任体制が不明であるが故に、戦後も戦争遂行者たちが政治の主導権を握ったままでした。
そして、敗戦後は日本をアメリカに売り渡し、国民を騙し、血税をアメリカに貢ぎ続けてきたのです。
日本は1000兆円の借金があるって?
何のことはありません。アメリカに貢いだお金を返してもらえば、せいぜい200兆くらいの借金になるでしょう。
売国奴の官僚を締め上げ、財政を組み替えると2~3年後には借金なんてなくなるかもw
しかし、革命でもおきない限り、そんなことにはならないでしょう。
そもそも、アメリカは日本からの借金を返しませんからね。

まぁ、そんなこんだで、この世は大変な事態に突入している今日この頃なんですが、今年の12月で世界は終わると騒いでいる人々もいるくらいですから、しっちゃか、めっちゃかな世の中になりそうな気配です。


話し変わって、以前、一刀斎は”地獄はない”と言いました。
何故、地獄はないと言いきれるのかといえば、何せ、神の心は”愛”ですから、欲望にまみれた魂といえども見捨てたりしないのです。
よく、”地獄に落ちる”と言いますけど、これは言葉の綾(あや)であって、”落ちる”のではなく本人の希望で勝手にいくのです。
例えば、人を苛(いじ)めるのが大好きな人は、苛めあう人々の集団にはいっていきます。
好き好んで本人がいくわけですから、”地獄に落ちる”ではないことは自明です。
スゥエーデンボルグによる地獄の情景も同類が集まると言っていますし、モンローが描写している性欲に囚われた人が同じ仲間のなかに入っていく様子など、そのシステムが自己の欲求によって決定づけられていることがみてとれます。

まぁ、そのようなシステムがあの世の構造にあるわけですから、本人の希望どうりにすすむので、そこは”天国”なのです。
ですから、あの世には地獄などなく、全てが”天国”であることは言うまでもありません。

さて、私たちが”天国”という場所を想定する場合、何か”素晴らしい場所”を想定しますよね。
でも、よく考えて下さい。
貴方が天国へ行きたいと欲するそのことも、貴方の”欲望”なわけです。
ですから、その”天国”もいわゆる”地獄=天国”と同じ場所であることに気づいてほしいのです。
貴方にとって”素晴らしい理想の場所”であっても、そこは”仮の場所”なのです。

本当の”場所”は貴方の欲望を越えた向こうにあることに気づいてください。
そこに”平安と愛”の世界が広がっているはずです。
それが天国であるかどうかは一刀斎は知りません。
ただ、そういう世界に到達することが、ゴータマさんが目指した世界だろうと推測するだけです。
そこには転生はもうありません。
モンローも、転生のないランクの世界があることを語っています。


貴方はどこへ行きたいですか?
貴方の欲望の先は全て”天国”です。
何故なら、貴方が真に欲している世界は、貴方にとって”天国”だからです。

あの世に”天国”あるのでしょうか?
それはあります。貴方の欲望と共に存在するのです。
何故なら、貴方はその世界を創り出す一員(一因)だからです。


また、お会いしましょう

あの世は多彩であり、一つの宗教観でみることはできない!

2012-11-21 11:54:47 | 宗教
18日に雨からみぞれへ、そしてに変わりました。今年の初雪です。11月18日の初雪は、明治以降、観測史上一番遅い初雪とか新聞でみたような?w

宗教研究のブロブでありながら、最近はこの世的な記事を多く書いています。

今日は、総集編的な意味で、私が得た宗教の本質的な内容について、詳しく述べてみたいと思います。


(1) 宗教の基本について

宗教とは何か?という問いに対し、私は「この世からみたあの世への希求」、或いは、「あの世から啓示(メッセージ)を受けたこの世のあり方」だと思います。
つまり、「この世」と「あの世」の関係なくして、宗教は成立しないと考えます。
ただ単に、”宇宙の法則”などと答える論理は、私は哲学であるとみなし、”宗教”とはみなしません。
”宗教”とはかなり”具体的で、生々しい現実”であるのです。
仏教にしろキリスト教にしろ、現実世界を描写し、この世での生き様を正し、そしてあの世的な場所に移動しなさいと言ってます。
ただし、あの世には”地獄的な場所”もあり、この世での行いによって”地獄的な場所”に移動してしまうことも充分語られています。
このように、この世とあの世の相関は、かなり生なましい現実が語られるのです。
それは抽象的な世界観ではありません。
私たちは、現実に生きており、その生なましさをある意味”あの世”へも持ち込む存在なのです。
ですから、宗教は”具体的で、生々しい現実”なのです。

宗教にシャーマニズムであろうが、一神教であろうが、多神教であろうが、上下はありません!
一神教は唯一正しく、シャーマニズムが邪教だと決めつけるのは例えばキリスト教などが持つ思い上がりにすぎません。
では、一神教の”神”なるものをキリスト教的な宗教において証明したのでしょうか?
もし、証明できる、あるいは証明したなどという者は、大嘘つきか詐欺師に違いありません。
"神”を証明することなどできないのです。
私たちは”創造”の中にあり、”中”にある者が創造を外から眺める、或いは客観的に証明することは不可能なのです。
人間の科学なるものがどんなに発達したところで、それを証明することはできません。
私たちは”直観”のみにより、彼=”神”を知ることができるのです。
”知る”こと=”証明”ではありませんね。
”知る”ことは主観的なことであり、”客観性”を欠きます。自分にしかわからないことなのです。
このように、宗教は”主観的な直観”によって成り立ちます。
それが集団的な形態をとろうが、最後は主観的な個人へと還元されるのです。


(2) あの世は多次元界である

創造の世界は、多次元界によって構成されています。
私たちが住む3次元界は、その一つの表現にすぎません。
色々な宗教関連のHPなどをみると、やはりあの世は多次元界であると書いてある記事を目にします。
ただ、私が気になるのは、多次元界の表現において、かなり一面的な表現が多いということです。

例えば、キリスト教では第一天から第十天までとかあるように書いてますが、ものによってはものすごい数の次元界があるとしています。
しかし、ある特定の宗教観にとらわれているため、どの多次元界の表現は一面的であるといって良いでしょう。
ですが、これらは全て正しくもあり、間違いでもあるのです。

具体的に説明しますと、人間の魂(霊)は”主観的な意識”によって全てを判断します。
例えば、貴方の現状意識が、全ての世界観を形成するのです。
それは歴史的でもあり、貴方の現状の知識であり、貴方の主観的な感情であり、貴方の現状の理性など、もろもろの現在意識があの世の世界を認識させるのです。
例えば、スゥエーデンボルグはアンチキリスト者でありましたが、やはりキリスト教世界に住んでおり、その知的影響を受けていますから、彼の見るあの世の構造は色濃くキリスト教的世界となるのです。
日本の優秀な霊能者である竹内満朋氏が見てきたあの世は極めて東洋的です。
一方、ロバート・A・モンロー氏の見たあの世は、極めて現代的で宗教観の少ない世界でした。

これらを総合的に分析しますと、現状の主観的な意識構造が、あの世を見せる土台となっていることが分かります。

つまり、あの世の多次元界は、”貴方の持っている現状意識によって見え方が異なる”ということです。

このことは普遍的な事実と考えられますから、特定の宗教による”あの世はこれが正しい!”とすることはできないのです。
それは”一つのあり方”としては正しいのですが、全体的な見方としては間違っているということです。
あの世は多次元界であり、かつ多面的であるということを覚えておいてください。


(3) 多次元界を支配する基本理念は”愛”の一言

この多次元界は、創造の”意識”により形成されたと言われています。
ですから、創造から派生した”意識”として、私たちの”魂(霊)の基本は意識により形成されている”といって良いでしょう。
この”意識”なる存在は不確かなるものであるが所以に、私たちの”真実の実態である”とは信じがたいのですが、物質としての肉体は解体するわけですから、実態として残るのは実際に”意識=魂=霊”のみなのです。

このように、私たちの”意識=魂=霊”は創造の意識から派生した存在なのです。
故に、私たちは”神”であるといわれる所以なのです。
”意識体”はすべて”神”の分身であるわけです。
ただし、人間だけが”意識体”であるわけではありません。
”意識体”は低級なものから、より高級なものまで、多様に存在します。人間意識はその一部にすぎません。
キリスト教系の驕(おご)っているところは、人間の魂のみを崇高としている”無知”にあります。
この部分は、宗教としての大きな欠点であると言ってよいでしょう。
現状の欧米文明は歴史の一つの過程にすぎませんが、欧米文明がその野蛮さを持っているのはキリスト教の驕りと密接な関係があります。
そしてそのキリスト教の驕りを煽ったのは、ユダヤ教徒であるということです。
ここに歴史の秘密があります。
そして現代の歴史の秘密があるのです。

さてさて、イエスが人々に教えたのは”神”とは”愛”であるということです。
”神”とは意識の存在ですから、それは”愛”だと言って間違いないでしょう。
しかし、一刀斎は凡人ですから、その”愛”なるものは理解できません
まぁ、言葉で言えば、それは”無限の愛”ですから、善も悪も包括する大きな許(ゆる)しなのでしょう。
具体的には、心の小さい一刀斎では、理解不能ですw。

色々な霊能者が理解した言葉を、一言でいえば神の心は=愛であるようです。
とりあえず、現状の創造がなした意識は”愛”から派生し、そして”愛”帰るということなのでしょう。


(4) 創造もやがて上昇する

新約聖書に”この世の終わり”という言葉がでてきます。

イエスの言葉では、ユダヤ人がユダの地から追放されるという”終わり”と真実の意味で”この世の終わり”という二重の説明がなされています。
ユダヤ人がユダの地から追放されるという”終わり”は、歴史的にイエスの預言通りローマによって実行されました。多くのユダヤ人がユダの地から追放され、奴隷とされ、流浪の民となったのです。これは歴史の教える通りです。

さて、もう一つの終わりですが、これは”神”のみぞ知るであって、イエスだって知らないと言っています。
つまり、いつそうなるかはわからないのです。あと千年後かも知れないし、10万年後かも知れないし、百万年後かも知れません。
まぁ、そんなわけで、”この世の終わり”なんて気にする必要はないのです!

ところで、”この世の終わり”とは何でしょうか?

三次元の物理的法則から言えば、この地球もいつかは太陽に飲み込まれて消滅する運命にあるようですが、イエスの言った”この世の終わり”はそれとは別でしょう。

”この世”という意味では、”創造が終了する”という意味と同意語と思います。
何故なら、イエスはこの世をベースにあの世についても語っているからです。

よく、この世で肉体が引き上げられ、より高度な人類に進化するような”超アホ”な主張をする宗教者がいるようですが、信じてはいけませんねw。
次元界の法則は厳然と守られていますので、それを超えることは通常できないのです。
ま、たまに乗り越える人もいますが、それは稀(まれ)です。
一人、二人が超人になったところで、何の意味があるのでしょうか?
そういう人はマンガの読み過ぎ、空想の世界だといっていいでしょう。
特殊な人間がいることは、私は否定しませんが、空想もほどほどにした方がいいということです。

さて、”この世の終わり”の話に戻しますが、”この世の終わり=創造の終わり”とは何もなくなることではありません。
それは新たな始まりを意味します。
創造が終わる=新な創造世界が始まるということです。
それは現在の創造界の多次元界が、更に高度な多次元界へと飛翔する展開を意味しています。
そこへ創造と共に移行できる精神(=魂=霊)たちは、少なくとも現創造において選ばれたものたちであることは確かでしょう。

では、新な創造へと移行できなかった精神たちはどうなるのでしょうか?
聖書では”打ち捨てられる”と書かれていますけど、悲観しなくて大丈夫

現在の創造世界はそのまま残るからです。
そこに”打ち捨てられ”た貴方はそのまま残るから、心配無用です。
思い出して下さい。神の心は”愛”なのです。
決して見捨てるわけではありませんねw
永遠の時間をかけて、貴方は次の飛翔へと意識を成長させればいいのです。

この世の終わりとは、そういう意味なのです。

決して、悲観することも恐れることも必要ないのです。
おどろおどろしい宣伝に騙されてはいけません。
それが、真実なのですから。


以上、わかったような、わからないようなことを書きましたが、私が辿(たど)りついた宗教の世界とはこんなところです。

また、何か思い付きましたら宗教の話をするかもしれません。
それまでは、この世の話を続けたいと思います。


また、お会いしましょう。














明治から昭和までの仰天史-その4

2012-11-15 15:45:55 | 社会
来週はマークがついています。そろそろ初雪の季節になりました。

さてさて、一刀斎、ここ数週間、息ができない状態になりついに病院に駆け込みましたw。2年前、高血圧と腎臓の関係で病院に通っていたのですが、さぼったせいで、肺に水がたまったそうです。ま、溺れた状態ですね。どうりで、いくら息を吸っても酸素が体に入ってこないわけです。そんな訳で、水死に近い体験をした一刀斎でした

本題にはいりますが、維新といえば、何か”かっこいい”イメージを持つ人もいるようですが、残念ながら明治維新にはそんな”かっこいい”ことなんてありません。そこにあるのは陰謀と殺害(テロル)、裏切り、そして底辺層の利用と切り捨てという事実が隠されているのです。
明治維新は徳川封建制体制を倒した革命であり、四民平等という理念を掲げてはいますが、結果的に旧勢力と結びつき、一部の成り上がった下級武士と一部の商人資本とが政府を形成した資本主義国家であるといえましょう。しかし、国民の大半は封建的な風土を残した農業(地主制度)に従事していたのであって、封建的風土を残した地主制度の解体は、戦後、アメリカの指示によって行われた農地解放を待たなければなりませんでした。
明治の天皇制については、その根拠が虚構であることは確かで、いまだに明治以来の天皇制の虚構に踊らされている洗脳された人々が多いことに驚きます。天皇制の歴史はねつ造された”幻想”であり、その”幻想”をただ”信じる”という観念のみで語る多くの日本人がいることが現実の日本でしょう。
一刀斎が面白く思うのは、天皇制の支持者=どちらかと言えば保守的・右翼的思考の人々は、朝鮮や中国嫌いの人びとが多いようで、”朝鮮人は朝鮮に帰れ!”などと言っているようです。天皇が韓半島から来ていることは確かですから、そういうなら天皇ともども韓半島にお帰りになっては如何と思うことがあります。
古代の天皇の出自と近代韓半島の人々では民族的に異なるでしょうが、韓半島から来たという意味では同じでしょう。
我々日本人が、どの時点から日本人であるかは微妙で、現自民党の総裁である安倍晋三氏の一族が半島人出身であることは自明とされています。
保守的・右翼的思考の人々は自民党支持者が多いのでしょうが、安倍晋三氏にも韓半島に帰れ!と言うのでしょうかねw。


(4)立ち上がった、そして捨てられた

明治維新を語る場合、その思想的基盤として吉田松陰が語った「草莽崛起」(そうもうくっき)という考えがあるようです。
この言葉は、簡単に言うと「民衆よ立ち上がれ」という意味だそうで、徳川封建体制を倒すべく、民衆に呼びかけろ!ということだったのでしょう。

案外、この言葉は懐古趣味の方々=どちらかと言えば保守的な方々が好きなようで、HPでも見かけます。
言葉の意味を現代的にとらえると、虐げられた労働者=アルバイター、派遣社員、その他低賃金労働者などに「立ち上がれ!」と呼びかけていると解せられるのですが、保守的な懐古趣味の方々がそんなことをするか?といえば、しないでしょうね。
彼らは言葉の意味も、そこに込められた情熱も理解していない、単なる懐古趣味者に過ぎないからです。

吉田松陰の言葉を実践した例としては、長州の奇兵隊があります。町民や農民を軍隊として組織したものですが、維新政府ができると解散させられ、反乱を起こした末、大半の兵士は処刑されてしまいます。

奇兵隊の上層部のみが維新政府に参画し、甘い汁を味ったようです。

http://j-net21.smrj.go.jp/watch/sanpo/entry/20090223.html(『高杉晋作が実現した「草莽崛起」という思想』 悠久散歩―史実にみるビジネスのヒント)

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/627015/528771/62799902(「長州奇兵隊の最期」鳳山雑記帳ココログ版)


同じような末路を辿ったのが「赤報隊(わずか二ヵ月で切り捨てられた草莽の悲劇)」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A0%B1%E9%9A%8A(赤報隊)

ウイキペディアの説明では、

『赤報隊は新政府の許可を得て、東山道軍の先鋒として、各地で「年貢半減」を宣伝しながら、世直し一揆などで旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。しかし、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにした。そして、新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は相楽らが勝手に触れ回ったことであるとして、公家の高松実村を盟主としていた高松軍とともに偽官軍の烙印(同年2月10日付け「回章」)を押した。』

と、明らかに利用するだけ利用し、彼らを抹殺(処刑)しています。

公家の高松実村は処刑されていませんから、庶民出身者は利用して、処刑するという明治政府の反革命的性格が如実に表れている事件といえます。

赤報隊の一番隊隊長に相楽総三という人がいます。彼は薩摩藩の陰謀に加担し、その先方を務めた人なのですが、都合が悪くなると敢え無く処刑されてしまうのです。相楽総三を利用したのは、西郷隆盛、大久保利通らだと言われています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A5%BD%E7%B7%8F%E4%B8%89(相楽総三)

赤報隊および相楽総三についての詳しい動向については、下記のHPが参考になります。

http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/minaosu10.htm(「10、武士になりたかった男たち」日本史をみなおす)


以上の事例は、明治維新における割と有名な事例ですが、その他に多くの庶民層が利用され、捨てられていったのが明治維新の現実なのです。
吉田松陰が語った「草莽崛起」を、明治維新の象徴のように理想化し、現代の改革-エセですがw-にはせ参じるがごとく語る拝がいるようですが、現代から眺めると明治維新はほとんど”終わった似非革命”であったことは明らかです。

何か、マスゴミが創り出すニセ情報によって、”維新”だとか”草莽”といえば世の中を新しく改革するかのごとくイメージづける作戦のようですが、それは単なる言葉の遊びの世界です。

現代において多くの下層民を創り出したのは誰ですか?
人災である原発の被害にあっている福島県民ほか多くの国民を放置しているのは誰ですか?
尖閣諸島を領有するとして、民族意識を焚きつけ、日本企業に莫大な被害を与えたのは誰ですか?
貿易自由化を名目としてアメリカに、日本を売却しようとしている人は誰ですか?

12月には選挙があるようです。

国民はたった1票の投票によってしか、国を動かす権利がありません。
ですから、その1票を大切に行使しなければならないのです。

市民・国民を騙し、裏切り、見捨てている政治家を断罪し、”ただの人”にしなければなりませんね

それが誰であるか、マスゴミのニセ情報に踊らされないように注意し、慎重に考え、貴方の1票を行使することをお勧めします。


一刀斎は、脱原発、反TPPを”真に”掲げる政治家を選択するつもりでいます。

さて、貴方はどうしますか?


またお会いしましょう。