虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

日本の古代史と神々(その14)

2008-01-23 06:47:04 | 宗教
最近、新聞の投書欄で2回ほど環境保護で割箸について意見を拝見しました。
両方とも(日にちは違います)、割箸は使い捨て=無駄、木である=森林破壊、輸入=海外森林の破壊ということで、環境保護のために<my箸>を勧めるとのことでした。

こうした意見は正しいようで、必ずしも正しくないんですね。my箸を多くの人が使うのもいいのですが、割箸が全てダメというわけでもないのです。
実は、森林を維持・保護するには間伐という作業が必要なのですが、間伐した木材の使い道は限られているものですから、割箸にしていることが多いのですね。
<森林保護・保全>―<間伐⇒間伐材の発生>―<割箸へ加工>ということで、間伐材で作った割箸を使うことは、森林保護・保全に役立つわけです。

<過ぎたるは及ばざるが如し>で、理屈だけではなく、中身をよく調べてその成否を決めたら良いと思います。その場合、知識=具体的な知識が必要でしょうね。
気になったので、少々、述べさせて頂きました。

さてはて、このシリーズ、いよいよ泥沼に首をつっ込んだ感があります。
最初は、まさかこのような方向に向かうとは夢にも思っていませんでした。
しかし、3ヶ月考え続けてきたものですから、ボンヤリと開始したことも、様々な閃きが生じるんですね。

どうも本邦初公開のトンデモ説になりそうな予感ですw。
HPを探した限りでは、木島神社の三角鳥居がソロモンのシールだなどと言ってる人はいないと思います。カバラと結びつくなどと考えもしないようです。
M・ドーリル氏の「カバラの真義」によると、『三母字は中央に点、つまり、目(古代一者たるホア)のある三角形で象徴され、三角形の各点は、三母字の各字を表わしている』(カバラ入門の章より)とされています。

カバラは元々、ユダヤ教からでていますから、古代イスラエルの民の神官がいるとすれば、当然、カバラやソロモンのシールくらいは知っていたでしょう。
だからといって、秦氏の一族がイスラエルの民(ユダヤ人)とする必要はないと思います。ユダヤ教徒であればいいだけです。

秦氏に関しては、新羅人説、百済人説などがあるようですが、日本書紀の記述を信じれば、両説は否定されます。朝鮮半島を通過してきた人々だというだけです。何故なら、新羅や百済からの移民はそのように書いているからです。
また、徐福伝説などもありますが、その真偽のほどはわかりません。

秦氏が景教徒だという説がトンデモ説とされるのは、景教の中国伝播と秦氏の移民に明らかな年代差があるからです。
つまり、秦氏は景教が中国へ伝播されるず~と以前に日本にきているからですね。秦氏=景教徒とするには、基本的に無理があるのです。
ですが、ユダヤ教徒であるとすれば、景教を受け入れる素地があったと考えても良いと思います。メシアが現われるという希望は、ユダヤ教徒に根強くあったからです。
ですから、秦氏が建てた広隆寺(別名、太秦寺)に弥勒菩薩があるのは偶然ではないと思います。弥勒菩薩は、仏教における未来の救い主=メシアだからであり、マイトレーヤ→ミロク思想となったと言われているからです。
更に、広隆寺には大酒(古くは大辟)神社があったそうです。「秦氏ゆかりの広隆寺の鎮守の一つでもある。」とされています。(大酒神社の伝承による)
まぁ、この辺のことは、様々な本で取り上げられているので、興味のある方はそちらをどうぞ。きりがありませんので。

ところで、記紀ですが、前回「3」とか「7」という数字について書きました。記紀の伝承では、旧約聖書と明らかな一致がみられたり、ギリシャ神話との類似が指摘されています。
つまり、記紀の元本には、旧約聖書やギリシャ神話を知っていた人がいたということでしょう。
そこで「3」と「7」なのですが、先にあげたカバラ入門には、3母字と7複字という言葉がでてきます。一方、記紀には三柱の神とか神代七代などというふうに出てきます。カバラの言っている意味とは必ずしも一致しないのですが、奇妙にこうした数字を意識していると思います。
特に、古事記の最初に現われる神、天之御中主神―高御産巣日神―神産巣日神の三神に注目したいと思います。

何故、注目するかといえば、既に、カバラを知っていると思うからです。生命の木によると、最上部の三角形をなす部分は、ケテル(冠頭:両性:アブ-アイマ)―チョクマー(智慧・男・父・頭・頭脳)―ビナー(知性・理解・母・心)という三角形をなします。
思い出して欲しいのですが、高御産巣日神は男神であり、神産巣日神は女神として古事記では表されています。
これは奇妙な一致だけなのでしょうか?
木島神社(秦氏の神社)の祭神は、天之御中主神でしたね。そして、それはソロモンのシールのことだということを明らかにしました。
すると、聖徳太子―秦氏のラインからみると、完全に否定できないと思うのですが、どうでしょうか?
この三神のあとに二柱の神がでてきますが、まだ、そこまでは解明していません。

何れにしろ、三柱の神はあちこちにでてきます。例えば、有名な<アマテラス―ツクヨミ―スサノヲ>、<ヤソマガツヒ―カンナオヒ―オオナオヒ>、<ソコツツオ―ナカツツオ―ウワツツオ>、<ソコツワタツミ―ナカツワタツミ―ウワツワタツミ>等々。(日本書紀より)

何故、これほど「3」に拘(こだわ)っているのか、まだ、私にも分かりませんが、古事記の最初の三柱は聖徳太子―秦氏の呪縛があり、日本書紀はその呪縛を避けたのではないかと思う節あるのですが、どうでしょう?

記紀のこの辺の話は、珍説ぐらいにしておきましょう。

日本の古代史に首を突っ込むと、底なしなので、このシリーズはここらで終わりとしたいと思います。
また、何か気づくと、新たに書くかも知れません。

では、またの機会に


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