なんとなく
模様・・・後
らしい。
ユダの福音書は、グノーシス主義による福音書だと言われる。
グノーシスとは、知性、叡智をさす言葉であるが、簡単にいうと自分の頭で考えて神へ至る道を獲得するというものと言っていいだろう。
そのような捕らえ方をすると、私はグノーシス主義になるわけだ。
グノーシスには神話といわれるものがあるが、私は必ずしも、この部分=神話の内容には同意しない。
神話の中身については、ネットで探すと詳しく記されたホームページがあるのでそちらを探して欲しい。
一応、概略を、超簡単に述べると、
源初の神(霊)が自ら生まれ、その源初の神が次々と神々を創り出していく。
そんな中で、ソフィアという女神が源初神の同意なくして、自分も創造をしてみたいと考え、”おろかな神”を創造してしまった
。
その”おろかな神”が、この物質世界を創造し、自らを神として拝めというわけだ。
それで、その”おろかな神”とその創造した世界=物質世界は悪であり、悪の世界から源初の神へたち返る道を探すことがグノーシスというらしいのだ。
一方、初期キリスト教の一部の団体が、この神話を取り入れ、旧約聖書の神=おろかな神=悪として捉えたらしい。
その流れをキリスト教グノーシス主義というらしいが、かなりの影響力があったことは、新約聖書にもその影響が垣間見られることからも確かである。
私がみる限り、グノーシス主義はカバラの影響を強く受けており、源初神の創造部分とその派生などはカバラから剽窃したのであろうと推察される。
それでもグノーシス神話は、神自身の創造からこの世の仕組みまで、ある程度の論理性をもって対応しているので、論理性のない正統といわれるキリスト教団体にとっては脅威であったようだ。
ユダの福音書でも、イエスがユダに奥義を語る部分があり、奥義のない新約聖書では困るわけだ。
しかも、奥義は公表しないのが原則であったはずだから、文字として書かれるとこれまた困る。
あとは正統争いで、現代でも正統とされるキリスト教団体が勝ち、まずいものは歴史の闇へと消されていったわけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
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ユダの福音書は、グノーシス主義による福音書だと言われる。
グノーシスとは、知性、叡智をさす言葉であるが、簡単にいうと自分の頭で考えて神へ至る道を獲得するというものと言っていいだろう。
そのような捕らえ方をすると、私はグノーシス主義になるわけだ。
グノーシスには神話といわれるものがあるが、私は必ずしも、この部分=神話の内容には同意しない。
神話の中身については、ネットで探すと詳しく記されたホームページがあるのでそちらを探して欲しい。
一応、概略を、超簡単に述べると、
源初の神(霊)が自ら生まれ、その源初の神が次々と神々を創り出していく。
そんな中で、ソフィアという女神が源初神の同意なくして、自分も創造をしてみたいと考え、”おろかな神”を創造してしまった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
その”おろかな神”が、この物質世界を創造し、自らを神として拝めというわけだ。
それで、その”おろかな神”とその創造した世界=物質世界は悪であり、悪の世界から源初の神へたち返る道を探すことがグノーシスというらしいのだ。
一方、初期キリスト教の一部の団体が、この神話を取り入れ、旧約聖書の神=おろかな神=悪として捉えたらしい。
その流れをキリスト教グノーシス主義というらしいが、かなりの影響力があったことは、新約聖書にもその影響が垣間見られることからも確かである。
私がみる限り、グノーシス主義はカバラの影響を強く受けており、源初神の創造部分とその派生などはカバラから剽窃したのであろうと推察される。
それでもグノーシス神話は、神自身の創造からこの世の仕組みまで、ある程度の論理性をもって対応しているので、論理性のない正統といわれるキリスト教団体にとっては脅威であったようだ。
ユダの福音書でも、イエスがユダに奥義を語る部分があり、奥義のない新約聖書では困るわけだ。
しかも、奥義は公表しないのが原則であったはずだから、文字として書かれるとこれまた困る。
あとは正統争いで、現代でも正統とされるキリスト教団体が勝ち、まずいものは歴史の闇へと消されていったわけである。