虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

宗教の違いはあの世を眺める窓の違い?

2011-01-01 04:52:01 | 宗教
今年も残すところ1日。明日は2011年になります。
とか書いてたら2011年になりました。
ということで、”明けましておめでとうございます!”

長い間、ブログを休んでいましたが、最近、体調もすぐれず本を読んでもすぐ寝てしまうという体たらくです。
頑張って読んだのが「天界の秘義」第1巻:イマヌエル・スエデンボルグです。この本はスエデンボルグが最初に書いた本だそうで、全28巻もあります。全巻読むのは無理でしょうね。
スエデンボルグは明治時代でも知識人には知られていたようで、かの出口王仁三郎もちゃっかり文章を替えて借用してるそうです。
http://www.onisavulo.jp/mm/data/028.html(「霊界物語の中のスエデンボルグ著作からの流用箇所の一例」より)

王仁三郎も認める霊能者のスエデンボルグの本ですが、少し読んでは寝、また少し読んでは寝の繰り返しで、ちっとも頭にはいってこなかったというのが実感ですw。
また、翻訳が古いので最近使わない漢字も多く、辞書と格闘というのも面倒な点かもw。

12月27日に本屋へ行き、ロバート・モンローの「体外への旅」を買いました。表題からわかるように、”第二の体”(=私的には”魂”)が肉体から離脱する過程を記録した本です。宗教臭がなく-本人も宗教にあまり関心がないためか?-現代の科学実験にも参加したり、統計的にまとめたりでスエデンボルグと相当内容が異なります。
スエデンボルグの本では「霊界日記」と同じ類(たぐい)の分類に入ります。

私が思うには、スエデンボルグはキリスト教の範囲内で霊界の事実を暴露していますが、モンローはキリスト教文化の人でありながら、そうした色合いがないという特徴がみられます。モンローはいわゆる宗教的な概念を受け入れない人だったため、彼の体外離脱は彼の意思の従う方向=自分が生きている世界と同様な霊界を見たのだと思います。

少し考えてみましょう。

スエデンボルグは、キリスト教の範囲内で霊界について既存キリスト教とはおおいに異なる事実を報告しました。そのため彼は既存キリスト教会から異端者とされましたが、出口王仁三郎が多大に借用しているように新しい宗教に多大な影響を与えたことは事実です。
スエデンボルグの主張を基にしたキリスト教団体があるくらいです。

一方、キリスト教文化圏にありながら現代科学を信奉する人々に霊界の存在を示したのがモンローかもしれません。
もともと、モンローの体外離脱は、ヨガの技術を知っている私にとって不思議ではないのですが、それを違う方向から体験する記録は非常に参考になるとともに、そうした魂の離脱が古典的な方法(=例えばヨガ)以外でも達成できるということに興味がひかれます。

世界にいろいろな宗教があります。しかし、それはあの世=霊界をどの方向からみたかによって変化するようです。宗教以外でもモンローのように、あの世があることを証明しています。でもその世界は、宗教の世界とはだいぶ違う世界です。が、類似点はたくさん見出せます。悪の領域があったり、神がいるような領域があったり、平行世界があったり、手助けする霊がいたりで、それを天国と天使などとよべば宗教の世界になることがわかります。

自分が信じている思考で霊界をみると、そこには信じている世界と類似した世界がみえる=意思の反映として類似世界が存在するということが言えるのではないでしょうか?
無論、自分が信じている世界、そのままではありません。類似の世界、似たような世界がみえるだけだということでしょう。

但し、基本原則があります。人間は<霊+肉体>で構成され、肉体は物質の原則により崩壊=死滅しますが、霊は本来の霊界へ帰るということでしょう。そういう意味では、人間は死なないのですね。

新しい年に、新しい世界がある話でしたw

この世とあの世とでは価値観が異なることに注意しましょうね。
お墓いりませんよね。戒名いりませんよね。でも、この世で必要なんでしょうw

貴方が信じる世界が、あの世にはあります! これは真実です。

では、またお会いしましょう