虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

旧約聖書に出てくる神は”創造主”ではない!

2007-02-16 02:21:12 | 宗教
北海道は急に寒くなりました。全国的に暴風雨(雪)に見舞われ、雪崩による痛ましい事故がおきるなど、暖冬は何処へやら・・・。とはいえ、雪質はベタベタとして非常に重く、雪かきが大変です。雪ダルマを作るのにはいいかも。

さて、A.モンロー氏の本に面白い記述が出てきます。
さわりを抜粋してみます。

『・・・何だ? このエネルギーは―目が見えない、身動きがとれない!
頭の中に、声が響いた―冷たい、厳しい声だ・・・
<我は、汝の仕(つか)うべき、主なる神である>
・・・(略)
<我を、汝の神として受け入れぬのか?>
・・・脅迫する神というイメージが、滑稽に思える・・・このイメージを放出しよう・・・
<我を恐れぬのか?>
・・・(略)
<呪わしき者よ! 汝は、汝の主、我のエネルギーの滓に過ぎぬというのに!>』

この場面は、モンロー氏が創造主の放出口へ向かう途中で出会った<エネルギー体>です。
奇妙に、旧約聖書の<神>の口調に似ていることに気づきますね。
どだい、創造主=神は、この三次元宇宙をすら創造したエネルギーの持ち主でしょうから、人間の前に出てきたら、その瞬間に我々は消滅してしまうでしょう。
そう考えるほうが、妥当性があるように思います。

そう考えると、旧約聖書に出てくる<神>は疑わしいということになります。
例えば、モーセの前に出てきた<神>が、そうですね。
旧約聖書を読んだことがない人が多いでしょうから、少しだけ抜粋します。

『そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現われた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。・・・(略)
主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、・・・』(出エジプト記.3-2~4)

この記述をよく読むと、神の概念がゴチャゴチャなのがわかります。
<燃え上がる炎の中に>現われたのは<主=神の御使い>であって、神ではないはずなのに、いつの間にか<神>とされていますね。

御使いの言葉=神の言葉と解釈し、<神>と置き換えたのかも知れないのですが、<御使い>は御使いに過ぎません。
怪しい<御使い>もいるわけですから、一概にその言葉を信じることは出来ませんね。

神の一人子と称されている、かのイエスの前にすら<神>は登場しません。これは当然のことなのです。登場したら<The End>です。

このことは、全ての宗教に言えることです。
<神さまは、こう仰(おっしゃ)いました>と聞いたら、このように解釈するのが正しいと思います。
<霊界にいる霊の一人が、こう仰いました>と。
その霊が、天使か悪魔かおっちょここいかは分かりませんので、要注意ですね。

では、また。


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