虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

広告が掲載されているようです・・・。

2006-11-17 01:27:39 | 生活
昨日はと天気の勢ぞろいでした。
土曜日まで、天気は悪いようです。

我がgooブルグに、とうとう広告が載るようになりました。
広告は↓の通りです。
ブログ開設者は、広告をポチクリしてはならん!となってましたので、知沙さんとこのブログをポチクリしてみてきました。

広告は次のようなものでした。
①ストレス性疾病でお備の方へ!
②ブログで恋は育つのか?
③旬食材を詰め合わせ☆宅配OK

ふむふむ。ブログの性格に合わせた広告を掲載しているようです。

私のところでは「おでん具材」が笑わせます。
酒好き→おでん→具材という連想ゲームでしょうか?
確かに、おでんは好きです。寒くなると、お酒におでん!いい取り合わせですね。
焼き豆腐、はんぺん、卵、がんも、などなど。
美味しいですよぉ~。
おでん具材は、一刀斎商店をご利用くださいませ!
てなことでしょうか?

そういうことで、お暇な方は、一刀斎商店でポチクリしてお買い求め下さい。
一刀斎商店の広告案内でした。

あらら、書いているうちに具材が無くなっている。


雪が降りました。

2006-11-13 02:56:06 | 生活
かも知れません。

日々、寒さが増し、温度が毎日半分ずつ下がっていきます。
8度→4度→2度→1度。
先ほどは、1度で雪が舞っていました。
素足、サンダル履きで、外を歩くと流石に冷たいです。
ふと、奇妙なことに気づきました。
毎日、温度が半分ずつ下がっても、決して0度以下にはならないのになぁ~、ということです。
<1∞0>の間にあるはずなのですが、現実はマイナスになるのですね。
水=雨が雪に劇的に変化するなどの現象を、物理学では<相移転>というらしいです。
案外、<0~-1>へ変化する温度の変化も、相移転といえるのかもしれません。

人間の心も、ある時、劇的に変化することがありますね。
確か、関西方面の方で、ヤクザをやめ、突然、牧師になった方がいたように思います。
こういう方も、心の相移転があったというのかも知れません。
人間の心も含め、不思議がいっぱいですね。

では、またね。

労働と歌

2006-11-07 01:19:18 | 宗教
うぅ~、ついにが続きそう。
でも、割りに暖かい日々が続いています。

現在の仕事に就いて気がついたのですが、働いている時、まぁ、体調のいい時であすが、自然と脳裏に歌が思い浮かびます。
一度、こういう歌が思い浮かびました。
「タッチ」です。
呼吸を止めて・・・♪
で、思わず苦笑しました。
何故かというと、「タッチ、ここにタッチ、あなたから~、<タッチ>」の<タッチ>の前の部分に「どこさわっとるんじゃ~」というフレーズを入れることを思い立ったからです。
脳裏で歌っている分には、このフレーズが多重にはいるのですが、実際に歌うと絶対不可能なのですね。
これは実際に歌ってみて、確かめたので不可能なことが分かります。
厳しい肉体労働していると、何故、民謡が生まれたのか、身をもって実感できます。
これは私にとって新しい発見かもしれません。

さて、本筋はこの話ではなく、音の性質と情報伝達が今回の話です。
音は波動-空気の-であることは、皆さんもご存知だろうと思います。
ところが、この音の波動が幽界や霊界といわれるところに住む住人に伝わるようなのです。
植物もある音楽を聞かせると、成長が良くなることは実証され、応用されています。
よく、マントラムという呪文のような言葉・・・というより音韻がありますが、主にそれは母音系が主体なように思います。

オーム、イーン、ウーン、アーン(”あぁーん”ではありません!)

もう一つは歯切れの良い音韻でしょうか?

いずれにしろ、音の波動は他の世界に繋(つな)がる一つの手段であるだろうと思います。
このことは15年以上前に充分思考したので、様々な本の中で、あの世が波動をベースとしているという話を聞いても、驚きはしません。

ま、そんなわけで、音・・・音楽は貴方の魂の開放へ向かう一つの手懸りになるかも知れませんね。

・・・しかし、私は全くの静寂が好きなのですが。地球の回る音が聞こえるからです。

では、またね。

秘密の開示

2006-11-04 03:00:51 | 宗教
今日もらしい。

少しの間、書くことを休んでいましたが、現実的な問題やらその他のことがあって休んでおりました。

さて、竹内氏の次に何を書くかは、既に決まっているのですが、12月に入らないと書くことができません。

そこで少しの間、繋ぎとして雑多なことを書こうと思います。
今回のテーマは、秘密の開示です。
宗教の本を読んでいると、不思議とまず”神”について、それは何かなんて書いていませんね。
何故なら、それは、余りにも恐れ多く、不可触、不可侵な存在だからでしょう。
しかし、私はアッケラカンと、神とは何かについて書いてきました。
現代とは、そういう時代だと私は認識しているからですし、神について”ああだ、こうだ”と書いたところで非難されるわけでもありません。

過去の時代では、様々な制約があり、そうしたことについて詳しく論証することはタブーだったようです。

例えば、ある宗教の奥義は特定の人(一定の修行をした人)のみに口述でのみ教え、それは秘密とされてきたようです。
現代でもそうしたことはあるようで、どうもお金に換算されるようです。

この間まで読んでいたローム太霊の疑問を記述してみましょう。

「この人間の生活に重要な背後霊の存在を、釈迦やイエスなどの大宗教の開祖が知らぬ筈はないのに、その教えの中でなぜ詳しくこのことを説かなかったのかと不思議に思っておられるのである。」

その時代、時代において人々が信じているベースに、新たな発想あるいはアプローチによる教えは、ある程度その時代の人々の生活基盤、心情などを考慮にしつつ提示されるものだろうと思います。

もう一つは、原理的な部分は話すが、具体的な部分は提示しないというのが、これまでの宗教だったのではないでしょうか?

もう一つの理由は、その秘密を獲得することにより、人間の欲の部分を増長することが多々あるからです。
現代では、「貴方も億万長者になれる○○の法」とか「金持ちになれる何とかの法則」といった本がずらりと本屋に並んでいます。
これらは、その秘密の部分的な応用なのですね。
まぁ、皆が億万長者になったとたんに、皆がただの人になるのが経済法則ですけど・・・w。

既に、秘密はそこら中に開示されているのです。
ただ、それが何処からくるものかは知らないだけです。
TVが何故映るのかは分からなくても、TVは確かに映るのと同じように、秘密は分からなくても、こういうことを信じて懸命に実践し、行動すると確かにそうなるのでしょう。

ローム太霊の話は、そのような時代背景を踏まえて語られるわけで、過去において<時代の限界>であったことを一気に乗り越えるわけです。
現代に、秘密は既に存在しません。
何故なら、開示され、どの道を進むかの選択の時代だからです。

では、また、お会いしましょう。