虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

脳と霊の関係は?

2005-11-30 03:24:59 | 宗教


昨日は小嵐でした。
今日は晴れていますが、小雪もちらほら・・・。

2~3日前、寝ていると頭が勝手に脳と霊との関係を考えていました。
以前、霊に関心を持ってから、脳関係の本を数冊購入して、少し考えていたことがありました。
随分、昔のことですが・・・。

結局、何もわからずじまいでしたが。

しかし、思うに、人間が霊的に感ずる時は往々にして前頭葉(ぜんとうよう)が半分眠っていることが多いように思います。

人間が思考する部分と霊的に感じる部分は拮抗(きっこう)しているのだろうと思われますね。

聖書で知恵の実を食べたということと、何か関係があるのかも知れません。

知恵の実を食べる=小利口になる=霊的に劣るようになるという関係かも知れないと思い当たったのは、その眠ったままで考えていた時のことです。

聖書にいう言葉は比喩(ひゆ)が多いので、「知恵の実」を食べるということは、何か違うことを表現していることは確かだと思います。

「知恵の実」とは何か? もう少し考えてみます。

では。


悪人は善人を駆逐する?

2005-11-27 02:58:11 | 社会
のちのち

最近、ぜんぜん書いてませんorz。
さすがに仕事疲れかな?

何事もとことんやらなきゃならん性格なので、まず、肉体からorz
の状況です。

で、久々に「悪貨は良貨を駆逐する」という命題について、お話しましょう。

これ経済用語ですが、日常の社会にも通用する言葉かもしれませんね!


あなたの会社?・・・周りの人々・・口のうまい人、立ち回りのうまい人・・orz


奇妙に生真面目な人が隅に追いやられていませんか?

この世で富を求める人々は、・・・の支配下にあります。
とはいえ、富なくしては生きてはいけないわけですから、さて、どうしたらいいでしょうか?

今日、仕事をしながら、表題の言葉が思い浮かびました。

これは社会にもいえることでしょうね。

この言葉を「悪人は良人を駆逐する」と置き換えると、う~ん、思い当たる人は多いいかも。

表題と内容が違う? 

そうなんです。給料日後だったので、今回、仕事を強引に紹介した人にお礼も兼ねて、一杯やった帰りだったのですね。このブログを書いたのは・・・。

で、脳はアルコールでクルクル状態なので、どうも2つのことを考えていたようです。

何か、言葉事体も間違っていましたね。(訂正しました)

PCの状態は8割方回復しましたので、また、ブログを再開したいと思います。

まだ、時々、ブチと電源が落ちることがありますが、ホコリが溜まっているためかも・・・と予想しています。(掃除しろ!!!)

話題不足なので、少し仕入れをしてから再開することになると思います。

ま、思い当たることがあったら、少しずつでも書いていきます。

では、また。





最悪・・・?

2005-11-15 09:40:44 | 宗教


久々のブログだが、ここ1週間というもの最悪じゃ。
昨日、仕事から帰るとプーンと臭い。猫のウンチの匂いなのだ。
1週間前から風邪で体調がすぐれないのに加えて、過労が重なり調子が悪いのに、帰宅したらこれである。

匂いの原因は我が居候君(猫である)が、粗相をしたのであった。し、しかもである。よりによってベッドの上にでかいウンチがぁ~。

で、朝まで洗濯やら処理やらで、寝る場所も失ってしまった_| ̄|○。
仕事に出てから、まず、PCの状態がおかしくなった。
突然、電源が落ちるというアクシデント。しかも、同じ電源の差込口では、PCに電源が入らないという摩訶不思議。

ウイルスだろうということで、ウイルス処理をするといたいた・・・orz。
でもシステムはガタガタで、思うように動かないという状況である。

我が居候君は、以前に粗相をしてひどく怒られたので、流石に昨日、今日と謹慎している。

多分、息子が居候君のサインを見落としたのであろう。

世の中で摩訶不思議なことはよくあるものだと思うが、これは私だけだろうか?

昔、不思議な事故が連続して起きたことがある。
それは自分の誕生日の夜から起きたのであった。
誰も祝ってくれないので、一人で飲みに行った帰りにタクシーがお釜を掘られたのである。その時は大丈夫と思った(なにせ十分酔っていた)が、次の日、明らかに鞭打ちになっていた。タクシー会社とスタモンダして、通院し始めたのであるが、次の月にもタクシーでお釜を掘られた・・orz。
そうこうするうちに、外注していた相手が失踪し、締め切りに間に合わず最大の取引先から大目玉をくらう。以降、半年間、仕事が貰えなかった・・・orz。
終いには、保険会社が通院費を支払わないとのたまう。保険会社と喧嘩になり、保険機構のようなところから支払ってもらったが、それ以来、外資系の保険会社は大嫌いだ。

で、とうとう、理髪店で耳をハサミで切られたのである。
床屋さんの親爺曰く。「もう、50年も床屋をしていますが、耳を切ったのは、初めてです・・・」
度々、耳をハサミで切るような床屋に来るもんか!
通院していた病院へいくと、院長曰く。「今度はどうしたの?」
一刀斎「床屋で耳をきられましたぁ~」
院長「ん~、縫うかなぁ~。どうしょうかなぁ」

てなことが半年間続いたので、流石に周りの人も御祓いを勧めたが、一刀斎も考えた。「何か、おかしい・・・」

無論、事故はこれだけではないが、まぁ、その間(6ヶ月間)、たくさんあったのだ。

考えた末、髭を生やすことにした。閃いたからである。

その後は何事も起こらなくなり、髭を生やすことで一件落着。

世に因果応報という言葉があるが、自分が何もしていなくても、災難はやってくることは往々にしてあるようである。

普通、このような事態を霊障というらしいが、自分の意思を強くもち、追い払う気概があれば充分追い払い可能だといえるであろう。

ただ今、一刀斎は霊障中であることは間違いない。

髭は効果なしであるから、耳を澄まして、内なる声が聞こえるまで、のんびり待つとする。

霊障なんて、なんも怖くないのである。

皆さんも、変な御祓い屋に引っかからないよう、自分の内なる声が聞こえるように自分を磨いてくださいね。

では、また


メルキゼデクという人とは?

2005-11-08 00:47:22 | 宗教


旧約聖書には色々な人の名前が登場する。ただ単に、系図の一人として登場する場合もあるし、当時のどこどこの王なども登場する。

旧約聖書探検隊は、一人の名前「メルキゼデク」という人に注目してみた。

この人はイスラエル人の始祖と言われるアブラハム(アブラム)が、甥(おい)のロト(ソドムとゴモラが神に滅ぼされたとき唯一助けられた人である)と共に父の故郷(ハラン?)を出発した時の物語に一度きり出てくる人である。

登場にいたる物語は次のようになっている。

アブラハムは神に言われてカナン地方へ移動したのであるが、その時甥のロトを連れて行った。途中、飢饉でエジプトへ非難する。やがて、エジプトからネゲブ地方へ移動したのであるが、ロトと左右に分かれた。ロトはソドム地方へ移動したのである。

たまたま、ロトの住んでいる地方で戦争があり(部族戦争みたいなものだろう)、ロトの住んでいるソドムの王連合側が敗北。ロトは捕虜になってしまう。

そこで、アブラハムは自分の訓練された奴隷を使って、ロト救出作戦を決行。無事、ロト一族を救い出すのである。

「アブラハムがケドルラオメルとその味方の王たちを打ち破って帰って来たとき、・・・いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラハムを祝福して言った。
『天地の造り主、いと高き神にアブラハムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡されたいと高き神がたたえられますように。』
アブラハムはすべての物の十分の一を彼に贈った。」(メルキゼデキの祝福)

新約聖書では「ヘブル人への手紙」の中で『あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である。』とイエスのことを言っている。

新旧の聖書の中で、僅か2度のみこのメルキゼデクという人が出てくるのだが、他に何んの説明もない。

はて? この人は何者なの?

分かっていることはサレムの王であること、祭司であることの2つである。

祭司であることは、アブラハムが”すべての物の十分の一を贈った”ことにより、彼が祭司であることを示している。

普通、ユダヤ教、キリスト教の唯一神信仰は、アブラハムから始まっているかのように言われているが、実際は違うのだということが、このメルキゼデクという人物の登場によって明らかにされる。

つまり、ユダヤ教に先立つ唯一神信仰がアブラハムの時代に既にあり、アブラハムはその信徒であったということである。

全ては歴史の闇に葬られているが、その断片がここでもみることができる。

メルキゼデクをアトランテスの祭司だという人もいるが、真偽のほどはわからない。

何れにしろ、アブラハムの時代に一神教の祭司がいたということが重要なのであり、一神教を伝えた者がいたのである。

その集団が何者であったかは、もう分からない。が、そこには古代に存在した古い古い宗教の根源が存在するはずだ。

旧約聖書から、そんなことも予想できるのである。

では、また。





旧約聖書・創世記探検隊-洪水の原因

2005-11-05 23:15:06 | 宗教
←昨日 今日→

キリスト教に興味のない人でも、ノアの話や洪水の話について知っている人は多いでしょうね。

キリスト教に興味のある人でないと、洪水とノアの話について具体的に知らない人もいると思うので、少し長いですが、洪水前後の話を旧約聖書から引用しておきます。

「洪水
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのをみて、おのおの選んだ者を妻にした。主は言われた。『わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。』こうして、人の一生は百二十年となった。
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。
『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。』しかし、ノアは主の好意を得た。」

洪水の話の中に”神の子らが娘たちを妻にした”話はポカっと入っており、その後に人間が悪いことばかり考えているという話がある。

”何かおかしい?”と思う人は、なかなか見所がある。

探検隊も、ここに注目したのだ!

実は、この話は連続した話をゴマカシタらしい。何故、ゴマカシタのかは分からないが、信じられなかったのではないだろうか?

話はこうである。

エノクの黙示録によると、セミアザスという光の子(神の子=天使=永遠の生命を持つ霊)を長とする一団(200人)の者達が、人間の娘と同衾(どうきん)し、子供が生まれたらしい。

その子供達は巨人(ギガンテス)であり、その巨人からさらに大きな巨人が生まれ、自分達の妻に施薬、呪文、軍刀、鎧、その他戦具の作り方、鉱石と金の作り方、女達の飾り物、染料、星辰研究、太陽の特徴などなどを教えたのであった。

聖書では地上に人間により悪が蔓延したと言われているが、天使達が起こした事件により地上に悪が蔓延したというのが真実らしい。

エノクによると、巨人達は人間達を食い始めたので、人間達は神に助けを求めた。

そこで神は6人の大天使を遣わし、セミアザス達(天使達)を地獄へ落とすとともに、巨人達や天の奥義を知った人間などすべてを破滅させることにしたのである。

それが大洪水の真実という訳である。

聖書では”大昔の名高い英雄達”とされているが、これは堕天使たちの子孫(ギガンテス及びタイタン族)であり、悪をもたらした張本人である。

このように聖書の洪水の部分は、前の部分と後ろ(人間の悪が増した)は連続した記録なのであり、天使達と人間達が係わった記録の断片であることがわかる。

世界には巨大な石の遺跡が多数あり、巨人がいたという記録の断片が聖書に残されていたことが判明する。

このように旧約聖書探検隊は、ここで新しい記録を発見したのであった。

旧約聖書の話、第2話であった・・・。終わり。

注)同衾とは、昔、袋のようなものの中で寝ていたので、その中で男女がムニャムニャすることをいいます。















旧約聖書で人間は2回造られている?

2005-11-03 23:57:33 | 宗教


旧約聖書の最初の方(創世記)を読んでいると、不思議がいっぱい。

まず、神が人間を創ったという話では、明らかに神は2度人間を創っていると思われる記述に出会う。

まず、最初は『神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。』とあり、その後の記述で『主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。・・・人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。』

一見、旧約聖書の話は神はまず、アダムを造り、その後にそのあばら骨から女(エバ)を造ったように理解されているが、本当は2つの話をくっつけたものと考えられる。

●神は神の形に似せて人間の男女を造った・・・これが1つの話。

●神はまず土からアダムを造った・・・・・・・これがもう一つの話。

神が人間を造ったという話が、多分、複数あったのであろうと思われるが、その中からストーリーの似た2つの話をつなぎ合わせたのだろうと思われる。

よく読むと、旧約聖書の話は全体的に一貫性のない不思議な点が沢山あって、例えば、普通、エデンの園では人間は働かないと思われているが、『人がそこを耕し、守るようにされた。』となっており、「耕す」→「働くという行為」が記述されていたりする。

創世記では、一神教のはずが、”我々”と表現している箇所がみられるのも面白い。

「主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』」(蛇の誘惑)

「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。『・・・我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。』」(バベルの塔)

まぁ、これらを捉えて、おかしいじゃないかというのは簡単だが、逆にこの部分をミステリアスな部分として考えるほうが面白い。

無論、神は自分に似せて人間を創ったなどということはなく、象徴的な表現として考えないと随分おかしなことになる。残念ながら、神は人間のような姿形はしていない。

しかし、創世記をよく読んでみると、非常に面白い部分もある。

「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。こうして、人の一生は120年になった。」

この部分は霊が神からきたもであること、人間の肉体的限界が概ね120年であることがわかる。

医学的にも人間の肉体は最大120歳位が限度だと言われるので、この点は奇妙な一致が見られる。

このように、旧約聖書の創世記は奇妙な部分が沢山あって、旧約聖書探検隊を組織して、探検すると面白い冒険ができること請け合いである。

暇な人は一度、旧約聖書の冒険にいってみないかい?

私は最近忙しいので、今回、少しだけ探検してみようと思う。

では、また、明日か明後日に冒険談をお話するとしょう。では、











御霊(みたま)はどこへいく?

2005-11-01 10:30:44 | 宗教


靖国の問題で周辺アジア諸国とギクシャクしているが、当の祭られた御霊の側からすると、おかしなことになる。

私もまだよく分からないのだが、人間が輪廻転生するとするならば、日本風な考えである御霊なるものは存在しないし、御霊があるとしても果たして靖国神社に鎮座しているかどうか分からない。

元々、御霊を祭るという行為は、生きている人間の側の発想であり、死者の霊の祟りを恐れる-それだけではないが-が故に行うことが多い。

神、日本風に言えば御霊が生きている人間を守るだけでなく、祟るという発想は極めて日本風ではあるが、ユダヤ教などの歴史からいえば神の罰が下るに似ているとも考えられる。

考えてみると、日本の神道には天国(極楽浄土)も地獄もないように思う。黄泉の国は古事記などに少し顔をだす程度だから。

もし、大半の御霊が輪廻転生するとしたならば、靖国神社は単なる戦争記念碑的存在に過ぎないし、御霊なるものがこの世でウロウロしてるとするならば皆がみな靖国神社にいるとは考えられない。

何故なら、靖国で会おうと誓って戦死した人もいるし、戦争を憎んで死んだ人もいるからである。後者は靖国へいくはずはない。

祭るという行為は生きている人間の側の勝手な行為であり、必ずしも死者の魂が祭られることを望んでいるとは限らないからである。

と言っても、私も死者の魂がどのようになるのかは不確かであるので、判断のしようがない。

ま、霊=魂の視点から言えば、存在そのものが人間であると思っているので、あの世でも多少は選択の自由度があるのではないかと考えているが・・・。

果たして、この点はどうなのであろうか?