虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

輪廻転生-part2

2007-01-30 01:12:00 | 宗教
北海道は、最近、雪が降ってます。当たり前のようですが、昨年から今年にかけて降雪量が少なかったので、何かホッとするような、雪かきが面倒なような複雑な心境です。

最近、仕事で疲れすぎてブログを書く気にもなれない日々が続いています。最も辛い仕事の部分をやればやるほど、<貴方にお任せ>状態になります。このような人間たちとは早くオサラバしないとならないな、という気持ちになってきます。今年中には、この職場とも<さようなら>になるでしょう。

さて、輪廻転生について、以前からず~っと疑問がありました。基本的に仏教の教えは怪しいと思っていましたので、何が真実かを知りたいと思っていたのですが、なかなか真実に近いと思われる説、或いは体験に出会わなかったということです。
アメリカや中国の研究報告では、明らかに輪廻転生があることを伝えています。
古代の文献でも、輪廻転生は常識とされていたようですが、ユダヤ教-キリスト教-イスラムの系譜の中で、輪廻転生の常識は失われたようです。
そして、それが中世から現代にいたる宗教世界の常識になったのでしょうし、現代のような物質文明の中では、現存する<自分と物>しか信じられない観念が行き渡っています。

《続き》
昨日は余りにも仕事がきつかったので、帰ったからバタンQ、11時間も寝て体力を少々回復しました。

さて、輪廻転生はキリスト教にないと言われていますが、新約聖書にはその名残が見受けられます。引用すると、次のイエスの言葉にあります。

「確かに、エリアがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリアはすでにきたのだ。しかし、人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう。」そのとき、弟子たちは、イエスがバステスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。(マタイによる福音書・17.11~13)

無論、この預言者エリアがきたという言葉は、どのようにも読み取れます。
キリスト教徒の方には、当然、違う解釈がなされると思います。
しかし、イエスが死してからまた現われることを念頭におくと、預言者エリアが再び輪廻転生してバプテスマのヨハネとして現われても不思議はないはずです。
弟子たちが納得した前提には、輪廻転生が自然に受け入れられていたからだと思います。

<魂>或いは<精神>でもいいですが、それは物質的な肉体とは別に存在し、そしてそれが生き続けるという観点からすると、輪廻転生は不思議なことではないように思うのです。

私の聖書好きは、ひょっとすると、前世にキリスト教世界で生活していたからかも知れませんね。
貴方の前世は何だったでしょう? それは貴方の心・・・精神の核に仕舞われているようです。ぜひ、自分で探してみてください。

では、また、お会いアしましょう。

輪廻転生

2007-01-21 01:48:52 | 宗教
本当に今年は雪が少ないです。後からドッと降って、雪かきが大変かも。
最近、<あやや+や>さんのコメントが頂けないないので、病気でもしたかと心配です。

さて、私にとって”髪”おっと、最近、危ない。じゃなくて、”神=創造する何か”が存在するのは自明のことなのですが、ずーと気になっていたのが”輪廻転生”です。
アメリカの何とかいう大学で行なったインドの調査報告にあるように、輪廻転生は間違いなくあると思います。
輪廻転生はインドの古い死生観ですが、世界的には色々な地域に痕跡がありますので、多分、古代で常識、今、非常識なんだろうと思います。
現代で知られている輪廻転生は、バラモン教(現、ヒンズー教)の教えの中にあるのでしょうが、どうも納得できなかったのです。嘘臭いというのが実感です。
仏教にもこの死生観は取り入れられ、チベットの死者の書には確か死んでから49日後に選択した世界は畜生に生まれ変わると書いてあっような?(古本屋に売ってしまったので確認できません_| ̄|○)
スェーデンボルグは、まれに見る不思議な事例として輪廻転生について語っています。

さて、真実はどうなのでしょう?
ロバート.A.モンロー氏の語った中に、少しだけ、その真実がありそうです。
引用してみましょう。

『教えてくれなくちゃ。覚えてないよ。(モンロー)
<だろうね。君は存在しなかったんだから。私たちは、もう一度人間になる決心をしたのさ。時と場所を選び、DNAを合成した―肉体的要素と、私たちの要素を混ぜあわせてね。・・・>
・・・略・・・
<人間として前世を持たない者はたくさんいるよ。でも、人間以外の経験は山ほど重ねているんだ―肉体、非肉体をとわず、ね。前世に動物だった者もいるよ>
・・・略・・・
<今のところ、人間の人生はあまりにも行きあたりばったりで、一回だけの人生では幅広い経験を得るところまでいかないんだ。それで、必要なものが得られるまで、転生を繰り返すというわけさ。わかるかな>』

これは、モンローとモンローの過去世との会話です。
このことから分かることは、全ての人間が輪廻転生してる訳ではなく、人間として生きてきて輪廻転生している人、全く新たに生まれてきた人間―他の生き方をしてきた魂、或いは初めての魂など―がいることが示されたいます。

この言葉を信じれば、一般的な(ヒンズー教・仏教)意味は、全く間違いだということになります。
私は教条的なとり方はしたくないので、モンロー氏の過去生が語っていることのほうが正しいと思います。
何故なら、”精神=魂”の自由性を考えると、人生の行いではなく、”魂の想い”によって次の世界がきまる=決めれるからだろうと思うからです。

貴方は、どんな世界に生きますか? 或いは、生きたいですか?
それが、貴方の逝くべき世界だろうと思います。
一刀斎・・・えへへ、何処へいくんでしょうね?

では、また、お会いしましょう。


少し、整理します。

2007-01-16 02:25:16 | 宗教
今年は、まだ。雪が多くありません。と言っても北海道は広いので、私の住んでいるところだけかも知れませんが。

さて、モンロー氏の話は、突然、体外離脱から始まりましたので、少し、整理したいと思います。
モンロー氏は既に故人ですが、唯一、体外離脱という精神(魂)が、あの世へ行けるという能力を持っており、それを数十年にわたって経験した人だそうです。
彼は、あの世で自分が経験してきたことを淡々と語っており、宗教関係者は全くでてきません。
どうも、彼はそういうことを嫌っていたようです。
彼は、宗教関係や人間の持つ強い思い込みを<信念体系>という言葉で一くくりしています。

この<信念体系>という言葉-彼独特の言葉ですが-は、例えば、ある宗教にのめり込んで、それを唯一の支えとして生きている人々がいるとしたら、そのような世界があの世に現出(創造)し、そこにとどまってしまう世界だということです。
同じように、物欲しかない人々は、物欲の世界を創造し、そこにとどまるということになります。
つまり、人間集団の理念があの世に一つの世界を創造し、その思念を強くもつ人々がその世界にとどまるという空間(?)が存在するようです。それらをひっくるめて<信念体系>と言っています。

ところが、<信念体系>の世界の向こうに、また新たな世界があり、彼はその世界をみてきたようです。
<信念体系>の世界にとどまってはいけないのですね。

面白いことに、モンロー氏は宗教的言語を拒否しながらも、経験によって創造主が存在することを自覚するわけです。
彼は創造者を見た、或いは、会ったわけではありません。
が、しかし、彼、モンロー氏は「知識」として、否定できないものとして自覚したわけです。
彼の創造主の「知識」を、引用してみましょう。

「この、我々の創造主とは、
・我々が人間として生きている限りは、我々の理解を超えている。
・我々もその一部として参与している進行中のプロセスの設計者(デザイナー)で ある。
・我々の理解の及ばないようなことにも、目的を持っている。
・右のプロセスにおいて、必要に応じて調節、微調整を行なう。
・万人、万物に適用される単純な法則を定める。
・崇拝も賛美も、おのれの存在を認めることも要求しない。
・『悪』や『あやまち』を罰しない。
・我々の人生での行ないに関して、勧めたり妨げたりしない。」

これが、モンロー氏が創造主について得た「知識」です。
モンロー氏の「知識」は、下から読んでいくと、"なるほど"と分かります。
貴方は、この「知識」をどのように解釈するでしょうか?
僅かな言葉の中に、多くのことが語られています。

では、また、お会いしましょう。

体外離脱、そう難しいものではありません。

2007-01-05 03:48:54 | 宗教
北海道、奇妙に暖かい日が続き、雪も少ないです。
仕事の上では非常に助かりますが・・・、最近、仕事場の皆さんが力仕事を怠けるようになり、そのしわ寄せがキツイです。
そろそろ、この仕事からリタイアしょうかなぁ~、と考える今日この頃です。
すっかり、余分な脂肪も無くなり、スッキリした体つきです。只今、53Kgです。

さて、モンロー氏は体外離脱をして、最終的に<過去の自分達>に出会い、様々な情報を得たのですが、体外離脱はそれほど難しいことではありません。
昔のことですが、私も一度だけですが、体外離脱をしたことがあります。怖くなって二度としてませんが。真っ暗な暗闇の中に、ポッンと自分がいました。ただそれだけですが、そこは宇宙だと感じました。まずいと思い、直ぐ現実の自分に戻りましたが、この経験は今でも克明に覚えています。

何故、そんなことになったのかといいますと、精神集中の訓練をしていたのです。薄暗闇の中で、ジーッと蝋燭の炎をみ、その炎を脳裏に映すようなことをしていました。すると、突然、ポンと飛んだのですね。真っ暗闇の中に・・・。
多分、暇があれば出来ると思います。但し、そのまま帰って来ないことが濃厚ですから、現実のしがらみにへばり付いていなければならないのですね。

こうしたことは誰でもできます。別に霊能力者である必要はないのです。精神(魂)は、確かにこの肉体とは別に存在するからです。
無論、肉体は精神(魂)に影響を与え、精神(魂)は肉体に影響を与えます。
この三次元世界では、双方が現実なのですから。
ですが、そこ(三次元世界)を抜けると、肉体は現実のものではありません。
モンロー氏が(M)と名づけたエネルギーのみの世界です。
そこでは、貴方がこの世で感じた全ての記憶を持って行くことができるのです。
肉体があると思えば、貴方はそう感じ、それから逃れられないということになります。それが貴方の持つ精神(魂)エネルギーの法則だからです。

私はモンロー氏の本を読んで、ゴータマさんの言っていることが少し理解できたような気がします。
私たちがこの世に来るには理由があり、それを探すのが貴方自身の役割なのかもしれません。足りないものを付け加えて、また、精神(魂)エネルギーの世界へ持ち帰る。その繰り返しによって、貴方(私もですが)は、より完全な者へと帰還していくのではないでしょうか?
悲しみ、憎しみ、怒り、そして愛。
それらをない混ぜて、持ち帰るのです。より普遍的な、より濃厚な”愛”を創造するためです。
精神(魂)は創造する世界なのです。

では、また、お会いしましょう。

もう一人の妹

2007-01-03 01:34:26 | 宗教
私は、このブログを始めて、奇妙な体験をしました。
私は、この世でもう一人の私(自分)に会ったからです。
私は、似ているのではなくて、自分だと感じたのですから不思議です。
しかし、その私は、現在の私ではなく、ず~と昔の<私>なのです。
ある一点から分かれたニ方向の<私>の一人なのではないか?
そんな人に出会ったのですから、世間は狭いといえば狭い。

で、その様なことがあるのか?
どうもあるようです。
モンロー氏が話した多くの自分が、語っています。引用しましょう。

「そうか・・・しかし-この人選が正しいっていうのは、確かなのかい? 今、この時代にもう一人、人間として生きている者がいるような気がするけど-この『向こうの私』の一員で。
<その通り。いわば、予備とか補欠というような者だよ。バックアップさ。でも、君が第一候補なんだよ>
そのもう一人は・・・もしかして、女性かい?
<そうさ>
その女性(ひと)に会うべきかな?
<そのうちにね。生き別れになっていた妹みたいに感じると思うよ>」

この世にいる、同じ精神(魂)から分かれた<2人の現存する人間>について語られているのは、僅かこれだけです。

私が感じたことが正しいかどうか分かりませんが、モンロー氏が体外離脱をして出会った<過去の自分>から聞いた話では、私が感じたこともあり得ることだということになるようです。

多分、モンロー氏は、その女性に会っていないだろうと予想されます。
モンロー氏は1995年に亡くなっていますし、この本(「究極の旅」)は多分、1994年に出版されているからです。

そうした点では、私は非常に幸運な人間かも知れません。
まぁ、その女性に悪戯して、嫌われましたが・・・w。

私たちは、何のためにこの世に”生”を受けたのでしょう?
そう、私たちは、逝くことのためではなく、この世で様々な生を経験するために来たのではないでしょうか?
ですから、様々な生きざまを、充分、蓄積していくことが大切なようです。
但し、その”生”に囚われないという条件の下にです。

では、また、お会いしましょう。

明けましておめでとうございます。

2007-01-01 02:49:22 | 宗教
2007年になりました。私にとっては、本日(1月1日)も仕事なので、何の変哲もない日曜日の後の月曜日に過ぎませんが・・・w。

さて、モンロー氏の続きです。彼は(M)エネルーギー場における「信念体系」という言葉を使って、人々が作り出す想念の世界について語っています。
何のことかと言うと、人々がある信念(宗教、科学、世界観など)を強く持ち、その信念を持つ人々が多ければ、その信念体系は更に強くなり、そのようなエネルギー磁場が形成されるということです。
このことはスゥエデンボルグの本を読んでいて感じたことなので、表現は異なりますが、ほぼ同じことだろうと思うわけです。
しかし、それでは精神(魂)の本源へと戻れないのですね。
もっと自由に、信念体系を突き破って、精神(魂)の本源へと、進まなければならないのでしょう。
ここに、ゴータマさんの言っている本質をみます。
現代の仏教は、ほとんどそのことを理解してないと思います。
言葉に囚われ、経典に囚われているからです。そして自らの信念体系に囚われているからですね。
百八つの煩悩、それも結構。私たちは、煩悩を体験するために、この世にあるのです。それでなければ、この世にいる必要がないからです。煩悩を沢山ためて、あの世を豊かにしましょう。
それが、私の、今年の課題です。
新年、おめでとうございます!