虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

心の許容範囲

2006-10-31 01:20:31 | 生活
今日もならいいな。
いつも天気を気にしていますが、実はだと仕事が物凄くきついのです。それで、天気が気になるのです。

さて、今日は心の許容範囲について考えてみました。
人間はその生まれた環境、生きてきた過程、知識や教養、そして一番重要なのが個々人が持って生まれた性格でしょう。
私は子供を零歳から育てていますから、子供が生まれつき個性を持っていることを知っています。よく観察しましたから、このことは間違いありません。
確かに、育てられる環境によって性格が変化することはありますが、最初からもっている個性は一生変わらないと思います。

心の許容範囲ですが、これは生まれ持った個性が経験や知識によってどこまで広がるかの問題だろうと思います。
ですが、例え経験や知識によって心の知識範囲が広がったにしろ、人間は普通、ボーダーラインを引きます。
そんなことは知っているが、ここまでしか許せないというものを自分の心の許容範囲とすると思います。

しかし、心の許容範囲というものは時に変化し、親しい仲、恋人同士、夫婦間、親子などによって、少しずつ異なるのだろうと思います。

例えば、恋人同士を例にとりますと、普通はお互いの心の許容範囲はかなり狭まるものと思います。例外もありますが。
ちょっとしたことで、お互いの心の琴線に触れ、喧嘩になることが往々にしてあります。
皆さんも経験がありませんか?

実は心の許容範囲は、個々の個性+経験(知識を含む)が大きく影響すると考えられますので、ただ一人として同じという人はいないのでないでしょうか?
大雑把な意味で、似ているという人々が一定の類化(一まとまりという意味です)が可能であるといえる程度でしょう。

ですから、人と人との心はすれ違いが頻繁に起きるといっていいのかも知れませんね。

今、私が最も大切に思う人との心のすれ違いで、考えたことを客観的にまとめてみた次第です。

では、またね。


神の配剤

2006-10-30 04:33:55 | 生活
今日はだそうです。

最近、ず~と二代目の縞ちゃんが顔をみせないので心配です。
誰かに飼われているといいのですが・・・

私は時々、神の配剤というものを感じるときがあります。
私のように、宗教関係の記事を書いている人は毎日お祈りをしているとお思いでしょうが、私は全くしません。
普通の信仰心がないという人と同じです。
仏壇もなければ、神棚もありません。
キーホルダーに、出雲大社と書かれた金属の板に「お願い神たま。使っても使っても減らないお金を私に恵んで下さい。」と記され、可愛い天使がプリントされてます。
このように普通の人間です。
一般的には、むしろ不信心な人間かも知れませんね。

そんな私ですが、このようなブログを書いて、一つ一つ神と人間の関係を確かめようとしているのです。

最近、一つの出来事がありました。
私がサポートしている店(ボランティアです)に税務調査が入りました。
調査が入ることは、私も税務署に同行しましたから知っていたのですが、入る前日、領収書を確認していたら(私のところに全部あったので)、大きなミスを発見したのです。
概ね、二月半にわたり、ある科目の入力ミスがあったのです。
考えてみると、薄々気づいていたのに・・・
「あぁ~、ミスった」と思ったのですが、その数分後、「やったぁ~」と神に感謝しました。
あぁ~、なんという神の配剤でしょう!
私はその時、ワクワクしました。
良かった、これですべてうまくいくと感じたからです。

次の日、私はサポートしている店で3時間缶詰。
一応、私が仕事に出かける時間までということでした。
私がミスった部分は、いの一番に言いました。先制攻撃が必要だからです。
あれや、これやサポートしている女性が聞かれ、まずいことに誘導尋問にひっかかってしまいました。
明らかに書類と矛盾があるのです。
あれや、これや計算され、最後に調査員が、こう言うのです。
「こうしましょう。他のものは領収書があるので、間違いないと思います。でも、領収書がないものは普通認めないのですが、記入漏れもあるようですから、それを再提出しないという条件で領収書のないものも認めましょう。領収書のないほうが多いですけどね。」と言い、ニャっと笑いました。
「それでいいですね」
「はい」(内心、やった~)。

核心の部分を、僅かなミスでクリアできたのです。
これをして神の配剤といわず、なんというのでしょう。
私が喜んだことは、確かにその通りになりました。
神に感謝して、今日は寝ます

「神さまありがとう。今度は、使っても使っても減らないお金を、私に恵んでください!」と思いつつ・・・・。

では、またね

ローム太霊を読んだ感想・・・最終回

2006-10-28 00:59:48 | 宗教
昨日はでした。

最近、我が家の縞ちゃんが顔を見せません。心配です。
縞ちゃん(メス)とその息子のプリンは現在、別行動をとっているようで、今年生まれた生き残りのメス(まだ、名前はない・・・募集します!)が一緒に行動しています。
昨日、プリンがやってきて(毎日きますが)、奇妙に悲しい声で鳴き、食事もほどほど。
言っていることを聞くと、いないよぅ~ と言ってます。
また、出かけて、漸く今年の縞の子供と会ったようです。連れてきました。
子猫が食事をしてるあいだ、外を見張るなど、なかなか愛情豊かです。

さてはて、今回はローム太霊の最終回ということで、まとめてみたいと思います。
まだ、全部読んでいないのですが、ほぼ、わかりましたので。

ローム太霊は、竹内満朋氏(故人)が主催していた紫光会という団体で、竹内氏が語った講話を寺見文夫氏(会員)がまとめたものです。
ですから、かなり実利的な話も多々でてきます。
会員の生活を豊かなもの(経済的・心理的に)とすることにより、人々が神界へ達するように指導しやすくすることがその根底にあるようです。

ローム太霊の考えでは、この世に生まれた以上、何らかの使命が神から与えられているとしているので、その使命をまっとうするためにも、様々な実利的な方法が披露されています。
無論、その実利的方法を利用して生活が豊かになったからといって、放漫な生活や態度をとるようになることは厳しく戒められていることは言うまでもありません。
また、人生における苦難は試練と受け止め、苦難を修行としてとらえる点でも特色があるかも知れません。
<苦難→修行である→乗り越え>という構図が浮かび上がります。
人生には苦難が多いほうが良いという点でも、単に実利的な方法により会員を集めようとしている訳ではないことがわかります。
むしろ、苦難が多くて投げやりになるのを避ける方法の一つとして、実利的方法を教えているとも考えられます。

さて、ローム太霊の講話は、実利的な面を含みながら、死の直前とその後すぐの幽体の状況が詳しく書かれている点に、もう一つの特徴があります
自殺したらどうなるか、心中の場合はどうか、事故死の場合はどうか、戦争で死んだ場合はどうかなど、極めて具体的です。

もう一つは背後霊と協調・提携しながら人生を生きることを勧めています。
背後霊には、自身の先祖の霊=主護霊、もう一つが支配霊(一人又は複数)があると言っており、この辺は先にあげた”つのだじろう”氏の本が分かりやすいのでご覧ください。

第三が、仙道・天狗道など一般に馴染みのない”道”の紹介などです。

その他、寺見氏の解説には三光道太神なるものの説明やら、聞いたことのない言葉が多々でてきますので、簡単に説明はできません。

ローム太霊は、これは宗教ではなく、様々な宗教の欠点を補正した”道”であるとしていますが、私には一つの宗教表現、形態であろうと思われます。

全体的に霊界の一つのありかたが表現されているのではないか?という点で、奇妙で面白い本だと思います。

では、また、お会いしましょう。

何故、聖書に詳しいのか。

2006-10-26 03:05:09 | 宗教
先ほど外に出てみると空でした。

私は聖書好きです。
結構、批判的な文章を書きますが、座右の書であることは間違いありません。
私が聖書、新約ですが、手に入れたのは高校時代です。
今はどうか知りませんが、昔の英語の試験には聖書の文書がよくでていました。
それで、ラジオで「あすへの祈」という番組があって、応募すると無料で聖書がもらえるといっていたので、もらいました。
それが聖書との始めての出会いです。
ただ、受験のために参考になる・・知っておいたほうがいいという程度の気持ちです。
それから、ん十年たちました。今でも、手元にあり、ボロボロです。
このブログで新約の引用は、このボロボロの聖書を使います。

昨日、17年間の付き合いのある動物の名前をハンドル名にしている方のブログにこっそりお邪魔しました。
あちこち荒しまくったのですが、ゴミが落ちてたらごめんなさい。
でも、そこで覗いてビックリしたのですが、聖書に現世利益の言葉があると書かれていて、ビックリ!
残念ながら、新約聖書には現世利益の言葉は一言もないと思います。
旧約は読み方によって、結構ありますが。
旧約の世界は、神々の戦いの世界です。
ギリシャ神話もそうですが、旧約の世界も同じなのです。
それは、人間の世界を通して表現されるわけです。
そのことを念頭において読むといいのではないでしょうか。

今日は覗き見した方の感想を含めて、書いてみました。
皆様のブログにお邪魔するかもしれません。

一刀斎は、老年探偵団員の一人なのです。
これは秘密結社なので、誰がそうなのかは教えられません。
明日、貴方のブログは調べられる・・・な~んてね。

では、お休みなさい

愚息、怪我をする・・・バランスのバランス?

2006-10-25 00:35:16 | 宗教
今日もならいいな。

昨日は、我が愚息が学校のクラブ活動中に怪我をして、職場に電話がきた。
話の内容では、膝が痛くて動かせない状態なので、病院に連れていくとのこと。
それで、仕事は早引き。
サボリマン君が私を送るということで、2名早引き。
病院まで送ってもらう予定が、家の前にクラブ活動の先生が待っていて、先生の車で病院へ。
担任は病院に愚息と待っていた。
怪我の状態は、膝の皿の下にある軟骨が少し剥離している可能性があるとのこと。
それで、足を固定して、松葉杖で帰宅とあいなった。
帰宅は担任の先生が送ってくれるなど、関係者の皆さんに色々と世話になった。
また、子供が学校へ行くのに不都合だろうと、我がサボリマン君が朝、学校まで車で送ってくれるそうだ。
有難いことだ。感謝!感謝!

見出しにある”バランスのバランス”となんの関係があるかといえば、全く関係ありません。
昨日、働いている時、休憩が15分あるのですが、ボーっとしているとふとこの言葉を思い出したのです。
この言葉は、モーゼが燃え盛る芝の中で、神の名を問うのですが、一般には神は「ありてあるもの」と言ったと説明されています。

M・ドーリル氏は古代ヘブライ語で訳すと「バランスのバランス」と訳されると語っていたように思います。
言語的には”アヘイエ、何とか、アヘイエ”といったと思います。(一部忘れました)
今日、その言葉が思い出されたのですが、日本語的には「バランスによる調和」が聖書の神が答えた回答(名)であると思い至ったわけです。
無論、それが神の名であるわけではないのでしょうが、神は”バランスによる調和”を求めているという意味だったのでしょう。
今日、一つ聖書の言葉の意味が氷解しました。

では、またね。

模(かたど)っての解説

2006-10-24 12:21:36 | 宗教
前回の記事は、重要な意味を含んでいるのですが、説明不足の感がありますので、追記ということで、もう少し詳しく説明したいと思います。

人間という存在は、4つの体を持っていると多くの霊能者が指摘しています。
竹内氏の言葉を借りれば<肉体-幽体-霊体-神体>の4つ、シュタイナーでは<肉体-エーテル体-アストラル体-自我>となります。

そうすると、私たちが気味悪がる幽霊という存在は、肉体を失った部分<幽体-霊体-神体>からなり、幽体を=肉体部分として表現した存在であるといえるでしょう。

神は4つの界を形成(創造)したとカバラではいっています。
<霊界-聖心界-アストラル界-物質界>の4つです。
ですから、神=4つの界ではありませんが、神が創造した世界のずべてが、神の体(=姿)に対応すると言われる所以(ゆえん)です。

言葉(表現)は違いますが、4つの界がある=神の姿(創造した世界)に対応して、人間にも4つの体(世界)があるわけですね。
とすると、「神の姿に似せて人間を造った」ということは、既にお分かりのように、神が創造した4つの世界を人間の存在にも付与したことを意味します。
神の創造世界と人間の4つの体は、丁度逆転した構造をもっています。

私たちは普通、体=物質の視点から神の姿を想像するわけですが、実は体=物質の形や容貌、特徴などは何の意味もないわけです。

「人間が神の分霊であり神の子である」(ローム太霊)と言われるのは、神の世界の小宇宙をすべて持っているからでしょう。

図式して説明を終わります。

<神>→創造界<霊界>→<聖心界>→<アストラル界>→<物質界>=人間<物質体=肉体>→<幽体・エーテル体・アストラル体etc>→<霊体・アストラル体・心体etc>→<神体・自我・魂(霊)etc>

神にかたどって創造された?(感想その5)

2006-10-24 00:16:52 | 宗教
昨日の朝は、寒い朝でした。天気は良かったのですが、なんと2度!。マイナス目前です。冬来たりて、春遠からじ。早くもはぁ~るよこい!の心境です。

竹内氏の本で、次のような文章に出くわしました。少し引用します。

「神はその理想に従ってあらゆるものを創造されたが、その中で殆(ほとん)ど神自身の姿その儘(まま)を現されたのが人間である。」(「第六十八話 神の力を得るための祈りと行」より)

おいおい、あんたもかい!。
そんなことはありません。御伽噺(おとぎばなし)は聞きたくないぞ、という心境です。
確かに、旧約聖書に、次のように書いてあります。

「神は御自分にかたどって人を創造された。」(創世記1.27)

また、ホピ族の伝説でも、このように伝えられています。

「クモ女は、、今度は赤・黄・白・黒という四つの色の土を集め、・・・形を造り・・・そして覆いをとると、ソツクナングそっくりの人間たちがそこにいた。」

ソツクナングとは、無から創造された有の神のことですから、上の文章は「神そっくりの人間たちがそこにいた。」となります。

竹内氏が言おうが、聖書に書いてあろうが、ホピの伝承であろうが、神の姿が人間と同じようであることは、それこそ神かけて違うと断言できます。
ならば、何故、そう言われるのだろうか?
そんなことを考えながら、遅い眠りについたのですが、・・・眠れません。日曜日に寝過ぎました。
目を閉じながら、ぐずぐず考えていると、ピカ~ン(別に光ったわけではありませんが)と分かったわけです。

今まで、このことを明確に説明している人や本に出会ったことがありません。
ひょっとすると、本邦初公開かも・・・。

つまり、こういうことだったのですよ。
神に似せてとは、その姿は人間の外形であろうがクモ女であろうが、猫娘であろうが、目玉おやじだろうが関係ないのです。
受け取る人間が、単に自分たちの外見に似ていると勘違いしたに過ぎません。
答えは、昨日書いた記事の中にあるのです。
何故、こんなことを今まで説明しなかったのだろう?
簡単なことではないかと、気がつくと思うのですが。

答えはこうです。
神が創造した4つの界、これが神の姿と言われるものです。
何故なら、神自身が創造したのですし、神がそこに命=光を注入しているからですね。神のエネルギーが行き渡っているんですね。

一方、人間の構造については、昨日の記事で取り上げました。
そうです、人間は<神の姿=創造した全体>と同じ構造になっているのですね。
外見ではなくて、その構造・構成を視点にいれて考えなければならなかったのです。
器ではなく、その中身が問題だったのですね。

何故、今日まで、ハッキリとこうしたことが言われなかったのかというと、神は恐れ多く、神そのものを分析的視点で考察することをしなかったからだと思います。
何せ、YHVH(神の名と言われています)という言葉すら、その読み方(発音の仕方)が秘密だったくらいです。
現代でも、聖書には読み方が分からないと書いてあります。

現代は、間違いなく開示の時代です。
開示されるということは、終わりの時代でもあるわけです。
私のような、たいして信仰心のない人間が、極めて客観的に物事をみていかないと言い出せないのかも知れません。

霊感的な見方からすると、一つ一つ、指示されている可能性もありますが・・・。
私自身、直観力=啓示と感じることもあります。
が、しかし、私の性格として、論理的、具体的な回答が望むべき方向であり、神秘主義的な方向は拒みたいと思っています。
少し難しくなりました。
結論を急ぐと、今回の直感の回答は、非常に重要な意味があります。
神の意図と人間を結ぶ回答が、そこにあるからです。

では、また、次回まで。

人間の構造は?(感想その4)

2006-10-23 01:56:32 | 宗教
今日はらしいですが、今頃の天気はころころ変わります。

さて、私は以前、様々な神話を神の創造について話しました。
神が霊界を創造したところまで話したと思いますが、霊界と人間の関わりが竹内氏のローム太霊にも書いてあります。

ですが、その前に人間の構造-肉体的なものではなくて-について、お話したいと思います。

竹内氏(≒ローム)が言うには、人間の体というのは、4つの構造から成り立っているといっています。
それは、<肉体><幽体><霊体><神体>の4つです。
霊能者と言われる人々が人間の体について言う場合、ほとんどの人が4つの分類をします。
R・シュタイナーは、<物質体><エーテル体><アストラル体><自我>と表現しています。

もう一つ、カバラを思い出してください。
こう記されています。

「聖アダムは十の尊厳光(生命の木)によって象徴されており、・・・四の存在界に分かれている。
一.霊界
二.聖心界、つまり聖心
三.アストラル界、つまり形成界
四.最低界つまり物質界」   ※( )内は一刀斎の注です。

それぞれ言い方は違いますが、人間が4つの構造体から成り立っているとい点では皆一致しているわけです。

以前にお話したアメリカ先住民ホピ族が、奇妙に”4”という数字にこだわる理由がここにあるものと思われます。
4つの構造は人間を表すとともに、現界と次世界の表れでもあるからでしょう。

竹内氏も、人間の構造に対応した界を述べており、現界-幽界-霊界-神界という世界を指摘しています。

他にも人間の構造について語っている事例は挙げることはできますが、何れにしろ同じです。

こう考えてはどうでしょう。
人間の裸の状態は、竹内氏の神体=シュタイナーの自我=カバラの霊であり、これ以外は服みたいなものです。
人間は死ぬことによって肉体という服を脱ぎ、あの世にいって生活して次々と服を脱いで、最後に<神=自我=霊>の成長を促(うなが)すものといえそうなのです。
永遠に生きる命とは、実にこの<神=自我=霊>であると考えられます。

まぁ、竹の子の芯みたいなもので、最初の皮は泥つきの皮=肉体と考えるといいかも知れませんね。
竹の子はほおっておくと、どんどん成長して食べられません。何せ、竹になってしまいますからね。(使い道は沢山ありますが・・・)
食べるためには、皮を剥いて、灰汁だし(悪だし?)して、湯がいて美味しく食べられますね。
落ちがよろしいようなので、この辺で。

では、また。


今日感じた気温のこと

2006-10-22 01:08:41 | 生活
昨日はでした。

今日というか、昨日になりましたが、仕事に行く途上、気温をみると11度。
随分、寒くなったと感じたのですが、春先の感覚からすると暖かい温度のはず。
今年の春先に、温度が+10度を超えた時、暖かくなったなぁ~と感じたことを思い出したからです。

ところが、今は寒いと感じるのですね。
人間の感覚というのはプラスへ進む時は心地よく感じるのですが、マイナスに転じると寂しい気分になるものです。
懐(ふところ)具合もそうですね
同じ金額でも、その位相によって感覚は全然違うということ。
ふと、そんなことを思いながら、仕事場へ向かいました。

では、また、

霊界は増殖する?(感想その3)

2006-10-20 03:49:19 | 宗教
仙道なるものの意味が分かりました。
仙道とは、その名の通り、仙人になる道ということらしいです。
天狗道なる言葉もでてきますが、どうも竹内氏の思考・想念の形がそうしたもののようです。
如何にも変わった思考・想念ですが、彼独自のものらしいのです。
彼(ローム≒竹内氏)が語っている内容は幽界・霊界から伝えられた節が色濃く表現されていますので、一概におかしなことを言っていると否定できないでしょう。
ましてや、日本における稀有の霊能者といわれた竹内氏が、嘘をいっているとは考えられません。
とすると、どういうことか?

そんなことを考えながら眠りについたのですが、脳みそが勝手に思考を開始しました。
竹内氏の話(ローム)は、一つの霊界と人間の創造であるのではないか?
スウェデンボルグも霊界には様々な団体があると語っていたが、竹内氏も幽界行脚で様々な場所、団体、世界をみてきたと語っていた。

この類似性からみて、既存の思考・宗教が霊界において役立たなくなると新たな思考や宗教の入り口が開かれるのではないだろうか?
それは霊界・人間界において相互に作用するものとして、将来の霊界に新たな新世界を創造するのではないかと閃いた。
古い扉(宗教など)は既に幾多もある。
そしてその扉から入る人も沢山いるであろうが、時代の変遷によりその純粋性が失われてくることは明らかな事実である。
そこで新しい扉が用意される。
その一つが、竹内氏(ローム)の試みではないのだろうか?
霊界は、各人の”創造の世界”である。
とすると、神は創造の坩堝(るつぼ)を創造したことになるのではないだろうか?
そう考えると、私たちはお釈迦様の掌(てのひら)にいる孫悟空であることがわかる。

「さぁ~、自由に創造しなさい。それが貴方方の役割なのだから。
でも、拾うべきは拾い、捨てるべきは捨てます。
それが私(神)の意思(役割)です。」

「ローム太霊」を読みつつある感想から、急に思いついたことを記してみました。
では、また、お知らせします。お休みなさい


「ローム太霊講話集」の感想(その2)

2006-10-18 01:05:33 | 宗教
秋から冬に至る天気は日替わりです。
昨日(17日)は

さて、竹内満朋氏が霊媒となって語ったというローム太霊とは、”太霊”と言うとおり霊界の人だそうです。
解説ではヒマラヤで修行したといいますが、どうも話している内容は”仙道”というものが主流らしいです。事例の一つかも知れませんが。

体調を崩してしまったので、まだ1/3程度しか読んでいませんが、どうもロームさんと竹内氏の知識がごっちゃになって語られている感がします。
その辺は、少し差し引いて読んだほうがいいかも知れません。

第一話から第六話までが、東西南北の神々とその祈りの方法、ご利益。
第七話から第十六話までが、死の原因別による幽体のあり方。(「うしろの百太郎」に詳しく描かれていたと思う。)
第十七話から四十五話までが、仙道関係のお話らしいです。(まだ、全部読んでいません。)

全部で百話ですから、まだ続きはありますので、もう少し読んで考えがまとまったら私なりの感想をお話したいと思います。

では、またね。

「ローム太霊講話講話集」の感想(その1)

2006-10-15 22:05:51 | 宗教
今日はお休み・・雨の予報でしたがでした。
良かった。
今日は職場の飲み会があって、飲みに出ました。
職場では色々あり、来るべき人がこないなど、つまらん世界です。

さて、お約束の「ローム太霊講話集」の解説ですが、まだ、少ししか読んでいません。
ですが、大まかなところで分かりましたので、分かる範囲でお知らせします。

”つのだじろう”という漫画家をご存知にの方もいられると思いますが、つのだじろう氏が「うしろの百太郎」という漫画を描く契機になったのは、竹内氏から啓示を与えられたかららしいです。
つのだじろう氏のPHに書いてありました。
実は私が霊に関する興味を持った当初、この漫画を読んだのですよ。
ですから、大体、ローム太霊の話は私には理解できます。

大雑把にいうと、この本は人間の死と死の直前のありかた、死後の存在についてかなり細かく記されています。
多分、その名称などを気にしなければ、全体的に事実を述べていると感じます。
人間の死とは何かについて詳しく書かれている点で、皆さんも参考とすべきと思われます。
人間→死→幽の世界まで、様々な事例をあげています。
次回から、少しづつお知らせしますね。

では、また。



祝! 北海道日本ハムファイターズ・リーグ優勝!

2006-10-13 00:30:08 | 生活
本日というか、深夜0時を過ぎたので昨日はでした。

仕事帰りの車ニュースで、北海道日本ハムファイターズが、無事、2連勝してリーグ優勝を果たしました。
ということで、目出度い!
本日は、祝い酒ですね。(どのくらい飲むかは秘密です・・・。)
ま、便乗ですが。
明日は、北海道で便乗セールが百花繚乱!でしょう。
パッとしない北海道経済にとっては、いいことですね。

今日、「ローム太霊講話集」が、セブン・イレブン経由で届きました。
なかなか便利な世界になったものです。
深夜、働いている店員さん、ありがとう!

ということで、便乗祝勝酒を飲みながら・・・。



脱皮

2006-10-10 23:29:32 | 生活
でした。
明日は雨らしいです。
今日は風邪のため、仕事を休みました。
もう、一週間も風邪でしたが、脂汗を流しながらワッセ、ワッセと荷物を積み上げていました。
しかし、汗をかいて冷やし、汗をかいて冷やしでは、風邪が治るはずがありませんね。
休むと給料が減るので我慢してましたが、風邪をこじらせててはまずいので、本日は休養日としたはずでしたが・・・愚息がぁ~。
で、1日てんてこ舞い。
低体温症だったので、少々熱がでても丁度いいかも。
本来の体温に戻ったようで・・・でも、熱を感じるのは(?_?)。
微熱は37度前後ですから、通常の体温でいえば39度くらいの感覚のはず。
体のセンサーが狂っているということは、こんな場合にいいのかも。

ふと、思ったのですが、人間も脱皮するのではないか?
無論、肉体が脱皮することはありませんね。
ウニュ~と脱皮すれば、成長がみえていいかもしれませんが。

脱皮するのは”心”ですね。
脱皮は、結構、苦しいのかも知れません。
ウンウンと苦しみながら古い”心”から新しい”心”へと脱皮していくのですね。

毛虫がやがて蝶になるなどと、毛虫自身は思ってもいないでしょう。
でも、卵から毛虫へ、やがて蛹へ、そして脱皮して蝶になるのですね。
毛虫が蝶になる過程で、どれほど苦しいのか分かりませんが、人間の心が脱皮するには相当の苦しみが伴うのではないでしょうか?
苦難があり、殻をおび、その中で少しずつ心の生態変化が起こり、やがて脱皮して羽ばたく魂へと成長する、それが人間の心-魂の変遷かもしれないと先ほど思いました。
大空で自由に羽ばたく魂、いつか到達できるといいですね。

微熱に浮かれながら、ふと、考えたことを書いてみました。

では、また。




風邪と酒とコーランと竹内さん?

2006-10-08 00:16:46 | 宗教
うぅ、でした。

にも負けず、風邪にも負けず、今日も精一杯働いて参りましたぁ~。
ミーナさんの祈りにも負けず、お酒が美味い!(でも、2合飲めんとこが負けてるかも・・・。)

んで、何故コーラン?と思うでしょう。
竹内さんとコーランには全くつながりがないようですが、竹内さんの本を読んでいて、”ほほぉ~”と思った点があるのですよ。
思い出したのが、コーラン。
イスラムの聖書、コーランは結構好いこと言っているんですよ。
かなり現実的なことが書いてある点でも、キリスト教などと異なるかも知れませんし、実用的という点で人気があるのかも。

コーランから引用してみましょう。

『「さあ、思う存分お食べ、お飲み。これもみなお前たちのして来たことの報いにほかならぬ。ずらっと列になって臥牀(ねだい)に身をもたせ、目(まなこ)すずしい美女を妻にいただく。・・・お酌して廻るのはそっとひそんだ真珠のような専属のお小姓(こしょう)たち。』(コーラン・五十二 「山」より)

天国の描写です。他にもありますが、一応、一箇所だけ。

竹内さんが、水神に招待された時の描写。

「小姫が板を三度叩くと、前方に凡そ五十人位の舞姫がパッと現れて、東洋風の音楽に合わせて舞いをはじめた。・・・また、私のために山海の珍味や珍酒が出され・・・その美酒を飲んでみた。すばらしい味だ。山海の珍味の味も格別なら、そばにいて世話してくれる美姫のサービスも満点だ。」

ど、ど、どんなサービスを受けたんだい!!
なんて思うのは、私だけでしょうか?

コーランの一節と似てませんか?

マホメットは天使(ジブリール)に連れられて、天国を見てきたという話ですが、竹内さんと似たような体験をしたのかも知れませんね。

そ、そ、そんなところなら私も行ってみたぁ~い!、なぁ~んて思うのは私だけでしょうか?

美酒なら一升くらい飲みたい、などと思う一刀斎でした。

では、またね。