虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

バーゲンセールの続きのおつり・・1円

2006-08-27 05:23:51 | 宗教


残暑が続いていますが、皆さん、如何お過ごしでしょうか?


私たちはよく”神”という言葉を使いますが、果たして”神”ってなんでしょう?
日本には八百万の神様がいますが、ユダヤ教-キリスト教-イスラムでは唯一者の神と言います。
ヒンズー教でも色々な神々がいます。
仏教には神が出てきませんが、仏が神の代用でしょうか。

私はこの1年間に自分のブログを書きながら、考え続けてきました。
そこで気付いたのですが、単に視点の違いであるに過ぎないということです。
唯一、仏教で神という言葉を使わないのは、大乗仏教(日本の仏教)の依怙地にすぎません。
古典的仏典には神々が多々でてきますから、仏教にも神は存在します。

そこで、私のブログでは”神”を整理したいと思います。

皆さんは”神”というと、どんな存在だと思いますか?
普通に考えると、自分を含めて、人々を助ける存在だと思うでしょう。
”神様、助けて!”と、困難に陥った時に、助けを求める相手が神ではないですか?
でも、大半の場合、”神”は”よっしゃぁ~”と言って助けてくれません。
助かった場合を、奇跡といいます。
私もそんな通俗的な思考から、出発したのです。

この1年、私は主に神話の本を、多少意識して読んできました。
その締めくくりとして、読んだ「ホピ 宇宙からの聖書」によると、神とは次のような存在として語られています。

『最初の世界はトクペラ(無限宇宙)といった。
だが、ホピによれば、初めは創造主タイオワしかいなかった。それ以外は、すべて無限世界だった。始まりもなく、終わりもなく、時も、空間も、形も生命もなかった。始まりと終わり、時、形、生命をタイオワの心の中にもつ、推し量ることのできない無の世界のみがあった。
次に、無限者は有限をはらんだ。』

ホピはアメリカの先住民族(通称、インディアンの一部族)ですが、アメリカ大陸に渡る以前の記憶から現代に至るまでを、伝承として残してきたという点で、貴重な(宗教的な意味において)価値があります。
特に、特定の権力者に毒されていないという点で、その純粋性が貴重なのです。

さて、皆さんは、ホピが伝えている最初の神(現初神)についてお伝えしても、”ふ~ん”という感じでしょうね。

では、カバラを知らずして聖書の意味は分からないと言われる「カバラ」から引用してみましょう。

『カバラによれば、何らの動きもいかなる特性も創造されない原初のはじまりに、ただ一つだけの存在状、つまり、存在があった。このただ一つの存在とは、空虚の状、つまり、無であって、それはグレートアビス、つまり、大いなる空虚と言われており、ここから総てのものが造られたのである。』(「カバラの信義」M・ドーリル)

ほとんど同じですね。

カバラは、アトランティスの末裔であるメルキジデクがアブラハムに教えたと伝えられています。

カバラは、神自身の創造とその展開過程を述べた伝承ですから、長い間、秘密にされてきたようです。
あのブラバッキー夫人ですら、カバラを知らずして聖書の意味は分からないと言いながら、カバラについては一切触れなかったようです。
現代では、その辺の本屋に解説本が売っています。
占いではないので、要注意!

神話の世界をみると、ほとんどは”無”から神が生じたと語っています。

ギリシャ神話をみてみましょうか。

『「いかにも最初にまずできたのはカオス」・・・このカオスとは・・・空間や隙間の、何もない拡がり、あるいはもやもやと煙霧の立ちこめた無限』(「ギリシャ神話」上巻 呉茂一著)

さて、私たちは、この無のような、空虚状態を神と言っていいのでしょうか?
どうも、それを神とするには抵抗があります。
取敢えず、それを神を形成する素材としておきましょう。

何もない=無から何かが生じるということは不思議に思えるのですが、現代物理学では常識かも知れません。

皆さんが使っているコンピューターは、0と1という二進法で動いているのですが、0=無、1=有ですから、ひょっとすると神創造の原理かも知れませんね。
しかし、そこからは具体的な物は生じません。

神が偉大なのは、具体的な物を無から生み出したことにあるのでしょうか?
神が存在しなければ、私たちも存在しないのですから、私たちの苦しみ、悲しみ、喜びもありえませんね。

にもかかわらず、私たちは厳然と存在します。
何故に、神は私たちを生み出したのでしょうか?
この答えは、まだ、私にも分かりません。

バーゲンセールの続きのおまけ

2006-08-23 02:03:41 | 宗教
予報ではのち

私は、何故か盆踊りの曲を聞くと、さびし~い気持ちに襲われます。
北海道では、北海盆歌という曲が流れるのですが、寂しいというか、悲しいというか、一人ぼっちになった気分になるのです。
深層心理学的にみると、我が生母は3歳の時、7月に亡くなっているので、8月のお盆は母なしの時期ですから、そうした幼い時の影響があるのかもしれません。
その当時、北海盆歌があったかどうか知りませんが。

今年は一刀斎、珍しく墓参りをしてきました。
お盆に墓参り・・・?
はて?
仏教にご先祖様なんてあったけ?
あれれ?
大乗仏教(=日本の仏教)はハッキリ霊魂の存在を否定してますから、何故、ご先祖様なの?
お墓だのご先祖様の魂などは、多分、日本の土着信仰・・・神道?から剽窃(ひょうせつ)したものだろうと思われます。

とはいえ、別に仏教を責める気はありません。
現世の風習に迎合したからといって、否定する以上のものを持っているいるからです。
しかし、ゴータマさんの本当の説法を知ってるお坊さんは、現代では少ないのではないでしょうか?
私は、仏教は苦手です。
何故なら、ゴータマさんはニルバーナ(彼岸)のことは、何一つ語らないからです。
自(みずか)ら獲得する世界だから、回答は与えないという態度が、ゴータマさんの信念だったのでしょう。
長い間分からなかったゴータマさんの意思が、最近、理解できるようになりました。少しですが・・・。

バーゲンセールの続き

2006-08-18 03:01:35 | 宗教
、ほぼ1ケ月振りの雨です。

さて、私の体験をお伝しましたが、何故、そんなことを書くのかな?と思った方もいるでしょう。
でもね。貴方もそのような年齢の頃、貴方は本当の神を知っていましたか?
霊を信じていましたか?
そう、私はな~んも信じていませんでした。
でもね。よ~く考えてください。
若い時分に、宗教にはまったらどうでしょう?
イエス様が私の恋人です・・・はい、少子化ですね。
今は、物と自分の快楽だけが恋人ですかな?

若い時は恋をし、働き、未知の世界のために懸命になる・・・それが法則なのかも知れないのです。
ですから、若い人々が宗教に反発することは、ある意味、自然なことかも知れません。
まして、現代では神は否定され、日本においては、宗教は悪の根源のような存在といっていいでしょう。
ある意味、それはまともな感性なのかも知れませんね。
何故なら、宗教の名の下に、現時点でも人々は殺し合いをしているからです。


多分、宗教など信じない事態は、今日に始まったことではないでしょう。
過去にもあったことは、大洪水の話からも分かります。

では、何故、人間は宗教や自ら持つ霊性を信じていないのでしょうか?
答えは簡単です。
神に祈ろうが、自分の霊性を高めようが、今流にいえば、貴方は金持ちになれる訳ではないからですね。
とすると、この世の世界と神や霊の住む世界は価値観が違うことに思い至るわけです。
そうすると、現世利益を得られないということで、宗教や神はつまらないものになるわけですね。
とどのつまり、現世利益を宣伝する宗教は流行るわけですが、実際には偶然の産物にすぎません。
ですが、人間の業は深いもので、やはり、現実に救われないかぎり信じれないというのも事実でしょう。
スプーンを曲げた(元に戻せぇ~)ぐらいで、神を信じる人はいないでしょうねw。
要するに、本質的な宗教と似非宗教には、現世との関わりが深く絡み合っているのであって、まぁ~、壺を売る宗教はウソといっていいかも


一周年記念・バーゲンセール

2006-08-08 03:16:49 | 宗教
が続いてます。暑いです。ついに、この北海道にも”夏”が来ました。すぐ終わりますが・・・w。

私が、このブログを始めてから1年がたちました。
今、現在、前回お伝えした事態は進行中ですが、敢えて、大サービス、1周年記念、自論、宗教講座を開きたい、というより、何となく分かったことをお知らせしたいと思います。
この1年、あっち、こっちへ話しが飛んだような気がしているので、まぁ~、途中経過の総集編みたいなもんです。
現在進行中の話題を交えて、思いつくまま、いつも通り、付けたし、付けたしで進めていきたいと思います。

第1話は、何故、人間は・・・貴方はと置き換えてもいいかも・・・自分の霊性を信じないのかという話から始めます。

まず、私の旅から話さなければなりません。
私は、今、現在ある宗教をまったく信じていません。
仏教、キリスト教、イスラム、神道、etc.

ですから、真実の宗教とは、いったい宗教とは何かを求めて、心の旅をしている訳です。
私の旅の始まりというか、切っ掛けは猫の霊に出会ったことから始まりまったのです。
その猫が伝えた情報は、飼い主に確認したところすべて事実でした。
現代の科学では再現性を求められますが、再現は不可能です。
ただ、すべてが事実であるという個人的な認識以外、何も証明するものはありません。このような事態においては、現代の科学は何の役にも立たない訳です。
この不思議な出来事から、私は宗教関係の様々な本を読むようになりました。
私はマーケティングリサーチとコンサルタントという職業をしていましたから、ある意味、社会科学というレベルでは科学者の端くれでした。


そんな私でしたが、結構、霊的なものには興味を持っていたのも事実です。
というのは、中学生の頃、奇妙な体験をしたからかも知れません。
一つは金縛り、もう一つは奇妙な声を聞いたことかな。
金縛りは、中学1年の時で、ある日曜日の朝10時頃、私は母の和裁の台で因数分解の勉強をしていたのです。
強い朝日が差し込んでいました。
と、突然、キーンという鋭い音が聞こえた途端に、身動きも声もでなくなったのです。
ある時間が過ぎ、ふっと、その状態は元の状態へ戻りましたが、傍にいた母に聞いてみると、それは金縛りというのだという話でした。
金縛りは、その後20代中盤までありませんでした。
通常、医者の話では、浅い睡眠時におきる事態と言われますが、私は完全な覚醒時におきたわけですから、現代の医者の話は非科学的だということが分かります。
科学的と言われる人々も、理解不能なことに関しては適当な回答をする良い例だと思います。
もう一つの声の方ですが、中学校の廊下を歩いていた時、突然、後ろ上部で光が感じられ、”お前は20歳で死ぬ”という声がしたというものです。
しかし、私は大病もしなかったし、事故死することもありませんでした。
というより、その声をすっかり忘れて過ごしていました。
まったく、気にしていなかったからかも知れません。

そうした少年時代のことを思い出したのは、25歳を過ぎてからです。
何故、思い出したかというと、金縛りに会うようになったからです。
布団に入り、寝ようとすると、何か重苦しい空気が感ぜられ、キターという感じでしょうか。”う、動けん!”
慣れてくると、解決策が分かりました。
私の場合は、なりそうな雰囲気を感じた時、お腹に力をためておきます。
息を止めて、お腹の部分、腹筋を緊張させておきます。
それで、金縛りになった瞬間に、腹筋の力を”ふっ”と抜いてやると、即座に金縛りはとけるわけです。
これを、金縛りの時に何度か繰り返していたところ、まったく掛からないようになりました。

若い頃は、そのような不思議な体験もあったわけですが、神や霊などというものとは無縁で過ごしてきたといっていいでしょう。
特に信じるということもなかったですし、今流にいえば無宗教だったといえます。