虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

鉄人山田さん

2005-12-31 00:39:03 | 宗教

雪が山ほど降りました。
もう、体がガタガタなので、雪掻きはほとんど拒否。
近所の人がしてくれるので、何とか通路は確保。
まぁ、そんな毎日です。

私は、明日も仕事です。
今日は、約1名使い物にならない状況でした。
多分、肘が痛くて物を持てないのでしょう。
私も左の肩と肘が炎症を起こしていますが、気合で動かしていました。

今日は鉄人山田さんが休みなので、気合あるのみ!

鉄人山田さんは、私の腕の2倍はあります。
猛烈なスピードで重量のあるものを処理していきます。
スゴイです。
私がそのスピードでやったら、10分もたないでしょう。
ですから、鉄人なのです。
夜6時からのアルバイトですから、その前にどこかで働いているはずです。
仕事に来ると、バリバリ働きます。
一時として、ジッとしているのが嫌なようです。

その鉄人山田さんが、2日前に音(ね)を上げました。
流石(さすが)に、腕が上がらなくなったそうです。

何故、そのような状況になるかといえば、雪のせいです。
トラックの搬送が遅れるので、夜になると急に忙しくなるのです。

だから昼間の勤務の人たちは暇を持て余してる状況ですし、人も多いので楽勝!

夜組は人が少ないうえに、昼間の分も集中するので荷物で溢れかえるわけです。
鉄人も流石にマイッタという感じみたいです。

鉄人山田さんは、あまり話しはしません。
温厚な感じの人です。

その山田さんが怒って違う部署に移されたのが、月曜日から水曜日まで働いている
部署の責任者(若者)なのです。

仕事場の中年以上の男性からは嫌われています。

年明けから、私はその部署から、再び、前の部署に戻されるそうですが、その責任者(若者)を柔している最中だったので、ちょい残念!

何故、鉄人山田さんのことを書いたかというと、私が月曜から水曜までの部署についていると不思議と誰かが手伝いに来てくれます。

ふと、神の作為について考えました。

神は自らなにもできません!
そのような存在なのです。
ですから、人を通じて何かを作為するのではないか?と思ったわけです。

旧約聖書の中で、何故、イスラエルやユダヤがバビロニアなどに襲われ、征服されたことが神の意思であったか疑問であったのですが、人と通じて表現されるとしたら納得できるわけです。

世の中には無常なことが山とありますが、我々の知らないところで神の意思が働いているのかもしれません。

新たな1年が始まります。

昨日と今日、明日に何の変わりがないかも知れませんが、2006年、良い年であればいいですね。

今年は、これでお開きにします。

皆さんも、良いお年を!













自由を獲得した人間は何処にいくのか?

2005-12-26 05:28:31 | 宗教

知恵の実の話については、まだ、自分なりに了解してないが、そろそろ終わりにしなければ・・・。
旧約聖書の前段部分とエノク書は深い関連がありながら、エノク書は偽典とされている。
少なくとも旧約聖書は様々な話の中から、パッチワークのように自分たち(ユダヤ人)に都合の良いようにつなぎ合わせたものであることは間違いないであろう。
エノク書を客観的に眺めてみると、話のストーリーは地上界に権限を持つ天使達の堕落と人間との関わりについて語ったものであろうと思われる。
エノクは生きながらにして天に引き上げられたと言われる人だそうだが、そこで見たことを記述したのがエノク書である。

エノクはノアの祖先なのであるが、エデンの園の話からノアの箱舟までの話を一括して述べているのがエノク書ではないかと思われてしかたない。

その理由は総合的に考えると、奇妙に話のストーリーが重なり合うからである。

(旧約聖書)
蛇に騙されて知恵の実を食べるアダムとイブ→自分で考える力が生じる→エデンの園からの追放→天使達が人間の娘と同衾する→巨人が生まれ英雄といわれる→人間が堕落する→神が後悔して地上の生き物を滅亡させることを決意する→ノアの一族のみが選ばれ生き残る。

(エノク書)
地上を支配する権限を与えられた天使達が人間の娘と同衾する→人間の娘達に天上の様々な知識を与える→巨人が生まれ、人間を食う(地上におびただしい血が流れる)→人間が神に訴える→堕天使達を地獄へ繋ぎ止めるとともに、巨人達を合い争わせ滅ぼす決定が降りる→天上の知識を得た人間も滅ぼすことが決定される→ノアの一族のみ救われるように伝えられる。

さて、この2つの話のエキスを集約すると、<知識を得ること>と<滅ぼされる(追放も含む)>の2点である。

何故、天上の知識を得ることが<罪(つみ)>といわれるのかは分からないが、その利用方法にあっただろうことは確かなことのようだ。

ノアの一族が生き残されるとされて部分は、彼らが義(ただ)しい人であったからと言われる。

つまり、色々な知識を得たとしても、それを義しい方法で利用するならば、それは神の意思に添うものだということなのだろう。

まとめてみよう。

知恵の実を食べるということは、魂=霊が自由な思考・思惟(しい)を許されているということであるが、その利用方法を間違った方向で利用することは許されないという神の意思が示された話が、エデンからの追放とノアの箱舟までの話なのではないだろうか?

神は個々の霊に自由意志を持たせることで、より良いものを持ち帰ることを期待したのではないだろうか?

だから、神が新たに転生する時に、正しくないものは「打ち捨てられる」のではないか?

そう考えると、イエスの言葉はよくみえるのではないだろうか?

とりあえず、結論じみたことにしておきたい。

では、また、次の旅に出かけよう!









麻薬中毒になった一刀斎

2005-12-19 03:51:04 | 宗教
だったかな?

最近、不眠症になったことをず~と考えていたら、昨日、ハッと気がついた。
仕事を始めた頃は、鎮痛剤を貰ったので使っていたが、次に張り薬の鎮痛剤を使って凌(しの)いでいたのだ。

張り薬もなくなって、そのまま痛みを我慢しながら仕事をしていたわけだが、朝起きると腕をつけることも出来ないくらい痛むのに、仕事をするとそんなに感じないのだ。

そして精神は、奇妙にハイなのである。普段、口数が少ない私が随分とオシャベリになっている。

不眠症とともに何かが変だな、と気づいたのは土曜の仕事が終わってからである。

結局、こういうことなのだ。

特に、腕と指の痛みは、普通では耐えられない位なのであろうが、脳の指令により何らかの鎮痛麻薬が生成・放出されていると考えられる。

そのため、肉体はジャンキーよろしく、どっぷりと麻薬付けになっているので、ハ~イの精神状態と痛みが感じない肉体になっているのだ。

それで、仕事が終わっても肉体はハイの状態が続き、興奮状態なので寝付かれないのだという結論に至った。

酒を飲んだら更にハイになるから、ハイハイ状態かな?

不眠症の原因は分かったが、まだ、解決の方法がわからない。
肉体が耐えれるようになるか、麻薬中毒になるかのいずれかであろう。

ま、なるようにしかならん。

そうそう、猫の話はなんだったんだ!と言われそうなんで、少しだけ。

要するに本能と理性について言いたいわけ。

猫は多分、本能としては近親相姦が起きないように、オスを追放するのであろうが、人間が狭い範囲で飼い続けると、そこではニャンニャンである。近親相姦も起きるようである。

ついでに知沙さんが飼っていた猫が近親相姦で、メスのみ死んだということは、片方のⅩ染色体に障害があったということで、オスのほうが生命力が強いというわけではないと思う。

普通はメスのほうが生命力が強く、オスは弱いのが一般的だと思うが・・・。
因みに、老人ホームは女性が圧倒的に多いですね。(オスは弱い動物です。哀れんであげてね。世の女性諸君!)

んで、何が言いたいかというと、人間の場合、近親相姦は悪いこと、いけないことなんだが、猫の場合は状況がそうであれば自然にそうなるだけで、悪いなどという感情や理性は働かないんだよね。

人間だけが「悪い」=「悪」という感情や理性的判断をするのですよね。

では、この理性や感情はどこからきたのだろうか?

脳の前頭葉が発達したから?

・・・眠くなりました。次回に続きはまわします。では、









猫がニャンニャン

2005-12-15 01:47:23 | 宗教
かな?

我が家の居候猫には彼女(多分、自分の初めての子供のメス)とその子供達がいる。
もう、一刀斎と同じように爺なんだが、どうも近親相姦らしい。同じ爺なのに、彼女ができるだけ羨(うらや)ましいが、そこはそれ、猫と人間の違いなんじゃな。

観察していると、母と子猫集団は全部で6匹いたのだが、最近は子猫は3匹しかいない。

母猫と3匹の子猫を捕らえてみると、皆、メスであった。どうも、猫族は母系社会らしい。

オス猫は追放されるようだ。(私はオスです。追放しないでニャン。)

猫の話と「知恵の実」の話に何の関係がある? 実は関係があるのだ。

てなことで、寝不足と過労が続いているので寝るのだ。


眠れません(△_△)

2005-12-13 04:51:45 | 宗教


仕事をしてから2ヶ月になりました。
身はボロボロのようですが、一応、心は健全です。

余りにも疲れすぎると、ブログを書く気力もなくなりますねぇ~。

今、一緒に働いている人が言いました。
「俺は元土方をしてたけど、ここはもっとキツイ・・・。」(え~、そうだったのぉ~と一刀斎)

といっても、後には引けませんね。

夜、アルバイトで働きに来ている人の中には、私の腕の2倍はある人がバリバリ動いていますが、なにせ、あたしゃ~、元頭脳労働者ですからねぇ~。

といっても新人ですから、せっせと働きました(セッセ、セッセ)。
よく見ていると、皆さん、それなりにちんたらしてることが分かりました。
適当に手抜きしないと、持たない訳ですね。

で、セッセと働いていたら、この間、3人が辞めた最もキツイ部署に移されました。何ということでしょう!

今日は奇妙に寝付かれません。

この仕事を始めてから、息子に言われました。
「パパ、ブログ書いている時はお金なかったけど、生き生きしてたよね。でも、今は半分死んでる・・・。」(ガ~ン)

考えてしまいますね。

てな訳でず~とサボっていましたが、今日は眠れないこともあり、気になっていたこともあり、ミーナさんへの返事がてら書くことにしました。

前回の続きで、「知恵の実」のことですが、スウェデンボルグはこれを「地上的な知覚」のことだととっています。

生命の樹を「霊的、天国的知覚」と捉え、それより下位にある知覚として考えた訳ですね。

人間は「知恵の実」を好んで食べた故に、堕落したとも言っています。

そうでしょうか?

スウェデンボルグは偉大な科学者であり、偉大な霊能者ですが、この解釈については納得できないわけです。

前回のブログで私は「自由を得た」と書いたと思いますが、思考の自由を得ることにより「善悪」が生じたと思うわけです。

神の思考に善悪などというものはありません。元々、神から出たものですから、善も悪もあろうはずがありませんね。

スウェデンボルグ流に言えば、”神の思考”が「霊的・天国的知覚」で、「地上的な知覚」が善悪を考える自由をえた”人間的な思考”ということになるかも知れませんね。

実は、スウェデンボルグも神から自由を与えられたことには言及していますが、ちょっとニュアンスが違うのですね。

スウェデンボルグから引用してみると、次のように言っています。

「生命の樹の実を食べるということは、『天の理』からその生命と知恵を直接受け入れるということである。これに対し、知恵の樹の実を食べるということは人間が自分の知恵によってものごとを理解するということである。」(「霊界からの手記」より)

正しいような、そうでないような気分です。

何が引っかかるかといえば、”人間”というところなんですね。

肉体的・人間社会的な意味において、残念ながら自由などというものはありませんね。

我々は自然に支配されていますし、自然の一部である肉体に支配されていますから、肉体的な意味では一寸したホルモンのバランスを崩しただけでも肉体的・精神的におかしくなります。

しかも、人間が創り出した社会の中でアクセクしているのが実態ですね。

人間は、二重の意味で縛られて生きているわけです。

さてはて、自由はどこにあるのでしょうか?

とどまるところ、思考すること、意思することにのみあるのですが、それさえも人間社会の様々な情報操作によって縛られているとしたら・・・。

とはいえ、思考すること、意思することは自由であるといえるでしょう。

そこで問題となるのが、霊界との関係なのですね。

思考することは実現する、というのが霊界の一つの法則だと言われています。

はて、困った。現状のままでは、霊界は大混乱になりはしないでしょうか?

知恵の実について考えてき始めてから、「思考する自由」「霊界の秩序」「輪廻転生=生まれ変わり」は密接な関係にあるのではないかと思い至ったわけです。

キリスト教などにおいては、輪廻転生などありえないことになっていますが、スウェデンボルグも霊界において生まれ変わりがあることを不思議なこととしながらも、例外的な事実として認めています。

元々、初期キリスト教(ユダヤ教の一部)では、生まれ変わりについて認めていました。

聖書をよく読むと出てきますので、興味のある方は探してみてくださいね。

そろそろ寝ないと・・・。朝の7時になろうとしてます。

では、また、次を書きますが、間が空くかもしれません。お許しあれ!



















知恵の実とは何か?

2005-12-04 13:01:29 | 宗教


雪が少し降りました。北海道の他の街では、もう積雪もみたところが多数あるようです。

この間、知恵の実について考えているのですが、まだ、よく分かりません。

「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また、園の中央には、命の木と善悪の知識の木をはえいでさせられた。」

知恵の実というのは、「善悪の知識の木」になる実のことですが、無論(むろん)木といっても、その辺にある”木”ではありませんね。

聖書の創世記部分は比喩(ひゆ)=例えで語っていることが多いので、木に例えているわけです。

「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべて木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』」

このように言われていたのに、蛇に騙(だま)されて、知恵の実を食べてしまうのですが・・・。

その後に奇妙な文章があります。

「主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。』」

『人は我々の一人のように』ということは、神は沢山いるのかな? そうではないでしょう。

聖書に”主なる神”として出てくる言葉は、多分、後から付け加えた言葉であり、エノクの黙示録で明らかにされているように、我々とは神ではなく、天使達だと考えられます。

命の木がある=永遠の命が保証されていることから、エデンの園とは霊の世界であり、アダムがいたのは最上天のことだろうと推察されます。

前にお話した”神の子ら”が人の娘を選んで妻とした話と、このアダムとエバがエデンの園から追放される話は、多分、連続した話だと考えられます。

エノク書によると、天使=堕天使が人間の娘に子供をつくり、その娘たちに様々な知識を与えたことになっています。

動物的な生物でしかなかった人間に霊が入り込む過程が、この知恵の実を食べるという行為なのではないでしょうか?

そのことによって、霊界と人間に入った霊との交流が分断され、肉に縛られる霊=輪廻転生する霊となったのではないでしょうか?

このように考えてくると、旧約聖書の創世記から洪水までの部分は、一連の原データがあり(データといっても記憶かも知れません)、それが都合よく分断され、自分たちの歴史に合うように整理されたものと思われます。

私は、知恵の実を食べる=善悪を知るとは「”自由”を手にする」と読み込めます。

故に”命の木”からその実をとって食べることが出来るということになり、”我々(天使)の一人のように”自由になったわけです。

無論、自由といっても思考・思惟する自由であり、肉体的な自由を意味していません。

何故、思考・思惟する自由を得た魂=霊達を肉体(=死ぬ=消滅する)の中に閉じ込めたのでしょうか?

私は多分、霊界の仕組みに深く関係するからだろうと思われます。

長くなりました。今日はこの辺まで。では、またねぇ~。

プラスとマイナス

2005-12-01 13:01:27 | 宗教


居候猫の子供が寒そうに泣いていたので、仕方ないので家に誘い込もうとしていたら時間がなくなった。

なにせ、子猫にとっては私は鬼に等しい存在であるから、顔を見ると逃げるのである。
そのくせ、ちゃっかりエサだけは食べている。(この恩知らずめぇ~^^)

昨日、知恵の実について少し書いたが、ミーナさんが壮大なテーマなどとちゃかしていたので、仕方なく壮大なテーマについて、少し取り組もうかな。

表題にプラスとマイナスと書いてあるが、知恵の実とはこのことに関係あるのではないかなと思うので、そうした。

どう関係あるんだぁ~と思うかも知れませんね。

昔、昔、一刀斎が若かった頃、二元論の単純さはありえないと思っていたことがある。もっと複雑だぞと思っていたのだ。

プラスとマイナス、陰と陽、太陽と月、月とスッポン(違うか^^)、女と男、猫と猫じゃらし(これも違うな)etc。

時間がないので、仕事から帰ったらまた書きますね。


帰ってきてから、PCの掃除をしたらファンはゴミの山でした。これじゃ、まともにPCが動くはずはない!

ということで、深夜になってしまった。明日、続きを書く予定です。

あさぁ~。こんなギャグが漫画にあったような。

さて、2元論であるプラスとマイナスとは、神が分化した最初の形態を現しているから、2つの形態として表現されるものと思われます。

旧約聖書の最初(天地の創造)に、「初めに、神は天地を創造された。」とありますが、無論、これは空(天)と地上(地)という意味ではないでしょう。

神なる一者は自生した時、その周辺は無であったという意味に解されます。

”天”とは意志により生まれでた”神”そのものであり、"地”とは天=神を取り巻く神を創造した原物質=無=深淵であると考えられます。

但し、原物質といっても、無論、我々が考えているようなものではないことは当然ですが、表現できないのでそう言っておきます。

聖書によると、「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。・・・神は光と闇を分け、・・・第一の日である。」と光について言ってます。

この言葉は、神そのものの創造過程を表現したものであることは間違いないでしょう。

霊太陽へと変化していく”原神=第一創造神”の生まれいく過程を言ったものですね。

その過程で生まれでのが闇であり、霊太陽をプラスとするとマイナスが闇です。

共に、神から創造された神自身でありますから、闇=マイナスといっても否定的な意味はありません。

プラスがマイナスを取り込み、調和していく過程が神の意志であり、神の成長過程であると思われますから、創造そのものに2原論があったわけだと思います。

さて、知恵の実まで行く前に、神は6日間働いたと聖書ではなっています。

この部分は、神の分岐過程を表現しているものと思われます。

スウェデンボルグは、この部分を人間に霊が入る過程と解釈していますが、多分、解釈の間違いでしょう。

ヨーロッパ人は人間中心主義なので、つい、人間そのものに引き付けて物事を解釈する癖(くせ)があるようですね。

おっと、時間になりました。

続きは、改めて書きます。では、今日はここまで。