虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

宗教の疑問について、少しだけ答えてみる(天使の「歌声」付き)

2011-09-28 13:10:47 | 宗教
台風が去って、晴天の日が続いています。暑からず、寒からずでちょうどいいですね。

原発問題やら政治問題やらで、宗教の研究ブログが変化してますが、久々に宗教がらみで書いてみました。


○向こう側の構造

宗教をよくよく考察してみると、基本的にあの世=向こう側の問題だということがわかります。
例えば、ゴータマさんは、この世の生活は苦悩だらけだから、二度とこの世に転生しないように、この世にいる間に転生しない方法=解脱してしまおうと
人々に説いたにすぎません。要するに、この世の苦悩からの脱却・脱出は解脱=全てのこの世的な欲を捨て去ること=この世的な苦悩から解放されること=因果から解放され転生する必要がなくなるということでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1(解脱)

あまり簡単に言ってしますと、識者に怒られそうですが、難しく言ったからといって本質的なことに変わりはありませんね。
しかし、”解脱”などと言ったところで、なかなか凡人にはできない相談です。
私も”解脱”できません

イエスについてみると、新約聖書の言葉は、”あの世”の世界を基準にしないと全く理解できないということがわかります。
イエスの弟子達が、イエスの言葉を理解できなかったのは、この世を基準に物事をみているからで、イエスの復活後でも理解できなかったのではないかと思います。
同じ”神”を信奉していると言っても、ユダヤ教は極めてこの世的・俗っぽい宗教ですから、”救世主=キリストはユダヤ人だけをこの世で救う”という視点があるのだと思います。
ですから、相当ネジ曲がった宗教解釈をしています。
イスラムは、コーランを読むかぎり、この世とあの世のバランスを考慮した面があり、あの世は”天国いいとこ一度はおいで! 酒はうまいし、ねーちゃんは綺麗だぁー♪”的なことも言ってます。
どちらかと言えば、”家父長的”で”男性優位”な宗教だと思います。

さて、あの世=向こう側なんですけど、これが意外と難しい。
向こう側を覗いた能力者の意見をまとめて、客観的に総合化すると、どうも向こう側は多次元界であり、この世はその多次元界内にある一つの次元界にすぎないのだろうと考えられます。
あの世の中に、この世が含まれているということです。
宗教的には、この世は”幻”であり、あの世が”現実の世界”だなどという言い方がありますが、"幻(まぼろし)”に住んでいる人間としては、どうしても”この世”的理解や認識から抜け出すことができません。
それが私たちの実際的な感覚だと思うのです。


○危ない宗教の見分け方

私が解釈した宗教感からすると、”この世”的なものを中心に据えた宗教は危険な宗教の部類に入ります。
ユダヤ教は、その一つだと思います。
ユダヤ教徒が迫害され、ユダヤの地から追放されることは、新約聖書の中でイエスがハッキリと預言しています。
確かに、ローマによりユダヤの地は廃墟とされ、多くのユダヤ人は奴隷にされたのです。
にもかかわらず、現在、古代のユダヤの地はユダヤ人ではない人々によって、自分たちの土地だといってその地に住む人々を追い出し、自分たちの国(=イスラエル)を建国しました。
おかしな話ですが、ユダヤ教徒=ユダヤ人だと言います。
ですから、日本人でユダヤ教徒の人達は、皆、ユダヤ人と認められますw。
この論理から言えば、日本人全員がユダヤ教徒になるとイスラエルは占領できるということになりますね。
神道はユダヤ教だなんていう人もいますから、放射能に汚染された祖国を棄て、大挙してイスラエルを占領するのも良いでしょうw。
核兵器も既に所有していますし、アメリカを逆支配できますw。
まぁ、あり得ない冗談ですが、理屈上はあり得るのです。

日本にある宗教で、どの宗教が危ない宗教かは、具体的に書きません。
日本にある神道でも仏教、キリスト教でも、余りに現世的に傾斜すると”危ない宗教”に入りますから、線引きは難しいのです。
明治以降の国家神道は、現人神(=天皇)を中心として現世を支配しましたから、どういう末路を辿(たど)ったかは、我々、日本人みんなが知るところです。
多くの人々を殺し、傷つけ、資産を失いました。
日本の神道は、多分、縄文→弥生の移行期あたりで大きく変化したのではないか?と私は考えています。
古事記、日本書紀あたりの記述からすると、大和政権が成立するあたりで現世的に変質したものと予想しています。

それはさておき、危ない宗教だといえる宗教は現世的利害に必ず絡(から)んできます。そして時の権力者達に繋(つな)がろうとします。
歴史的にみても、中世のカソリックはその最たるものでしょう。
ほとんど”悪魔教”といってよい所業をしていました。

現代でどの宗教が”危ない”かは皆さんの感性にお任せします。


○何故、占いはダメだと言われるのか?

私も結構、占いは好きなほうなのですが、ゴータマさんもイエスも、”占いがダメだ!”と言ってます。
理由については言ってませんが、強(し)いて言えば、”人々を惑(まど)わす”という点でしょう。
そうであるなら、預言も惑わすのではないかと思いますが、預言と占いがどう違うのか、いま一つハッキリしません
例えば、偉大なノストラダムスは預言をしていますが、個々人の占いみたいなこともしていますw。
但し、ノストラダムスの預言は、内容を凡人には理解できないように書いていますから、ほとんど役に立ちません。
ノストラダムスの預言で1999年の件がありますが、この預言は”その前後”にアメリカが支配すると読めるので、危機なんてないことがハッキリしているのに、解説者が危機を煽(あお)って赤っ恥をかきました

つまり、”占いがダメ”ということは、それに便乗する軽い人間がでてくるからかも知れませんねw
占い師より、その周辺にいる軽い人間のほうが余程”人々を惑わしている”ように感じる今日この頃ですが。

少し、真面目に検討してみると、人間の魂(=霊)は創造から発していますので、”潜在的に創造する能力”を持っています。
最近、放射能に危険性がないという医者は、”心配する方がリスクは大きい”などと説明しています。
つまり、心配する=病気になる、心配しない(=気楽に生きる)=病気にならないという論理です。
病気は”気”からですね。
よく、どこそこの宗教に入信して、拝んだらガンが治ったなんていう人がいますが、宗教が治したのではなく、自分で治したのです。
人間はそういう能力を”潜在的”に持っているのです。何の不思議もありません。
西洋医学の世界では、”気(=気持ち)”が不思議なことに病気を治すことを経験的に知っています。これは西洋医学でも常識なのです。
私のように宗教の本質について研究していると、当然のことでも、医者には不思議でしかないのです。
そういう訳で、人間は様々の能力を”潜在的”に持っているのですが、それを発揮できるかどうかは、その個人の有りようや生き様によります。
占いに話を戻すと、占いで固定観念を植え付けると、”潜在能力”を解放できないようになるのではないか?ということだろうと思います。
要するに、可能性を占いによって閉ざしてしまうのが良くないのだと思います。
気にしない程度の占いは構わないのではないか?と、私は思っています。


○天使の歌声

これは単なる個人的な趣味の問題かもね。天使の歌声をお聞きください。

http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded(表示されない時は「●このコンテンツを新しいウインドゥで開く」をクリックしてね


では、またお会いしましょう

一刀斎は、日本にあるすべての原子力発電所の即時停止と即時廃止を支持します!

時代の風潮-何が変わりつつあるのか?

2011-09-27 10:04:12 | 社会
昨日、陸山会事件(?)-事件だかどうかも疑わしい-の判決がありました。
全員、禁固+執行猶予付きの有罪。

法律(農地法)を守ると、ほかの法律で起訴されたようなものですから、起訴した方も裁いた方も相当頭がいかれてると思います。
まぁ、詳しい内容は色々なブログで解説されているので、興味のある方はそちらをご覧あれ。

そもそも、小沢に関する事件と称されるものは政治的な弾圧であり、既成(寄生)利益集団が寄ってたかって罪に陥れようとしているだけですから、正義なんてそこには元々ありません。
そもそも、陸山会事件の起訴事由変更を認めた段階で、判決は”黒”と決まっていたのでしょう。

例えば、窃盗で起訴したけれど、証拠がないので道路交通法違反に起訴内容を変えたようなものです。
素人考えでも、同一裁判で、このようなことが許されるのか?と疑問に思います。
もし起訴されたら、永遠に起訴され続けるようなものです
また、裁判では起訴内容が道路交通法違反なのに、窃盗犯(例えですw)だと論告して、あたかも証拠のない事件をでっち上げるという陳腐な内容の裁判でした。

そのため、検察側調書の大部分が証拠として認められないという事態になり、小沢支持者を喜ばしたのですが、実際は裁判に都合の悪い調書をはずしたということだった訳です。
この判決は、”小沢事件でっち上げを指揮した関係検事が左遷されるか検事を辞める”という犠牲を払ったのだから、”理由はどうあれ、お前たちは有罪だ!”という、<検察=判事>によって”その代償を支払ってもらう”という報復判決だということでしょう。

だいたい、裁判所に正義があるなどと思っている貴方は相当お人好しです。
私も個人的に訴状などを裁判所に提出したことがありますが、まず、書記官=単なる事務員ですがwが言うには、司法書士か弁護士に頼めとのたまいます。
何故かといえば、同業者が儲かるように仕向けるわけです。将来、自分の食い扶持になるかも知れないからですね。

あるとき知り合いのおばーさんが、年金と生活保護を受けている通帳を差し押さえられました。親類の保証人になったためですが、私のところに相談にきました。
そんな馬鹿なことができるはずはない!と思い、調べたところ、やはり生活保護や年金などの差し押さえはできないことが分かり、早速、差し押さえを解除するために地裁へでかけのです。
で、地裁へ提出する申立書の見本をコピーしてくれるよう言いますと、”素人にそんなことができない!”とか”年金などが支出される前は差し押さえができる!”とかわけのわからないことを書記官が言い始める始末です。
要は、司法書士か弁護士に頼めと言いたいらしいのですが、私に言い負かされるので、”まぁまぁ書記官”がでてきて、給与の差し押さえに対する申立書をコピーしてくれました。
4~5日で差し押さえ解除の判決がでて、一件落着になったのですが、貧乏人には裁判所の敷居は非常に高いところです。
とても正義がまかり通る役所とは思えません。

原発の差し止め訴訟で、今まで差し止めが認められたことがあったでしょうか?
原発を推進した一端を担ってきたのが裁判所であり、今回の原発事故で裁判所はこれまでの判決に対して反省の声明を一言でもだしたでしょうか?
裁判官は”ヒラメ”と言われるそうですが、これは目が上についているという意味だそうです。
上を見て判決を出すということです。
そんなところに正義なんてあるわけがありません!
中には客観的な判断をする判事もいるのでしょうが、多分、少数で簡易裁判所へ回されるのが落ちです。
出世するためには、不当だろうが何だろうが、お上の目にかなった判決をだすのが常道なのです。

最近、古い本を整理して投げようと思い、40年以上前の本を読み返しています。
もう、すっかり内容は忘れていて、何か新鮮な気もします。
こんな文章を見つけましたw。

「いまでは官史は、公的強力と徴税権とをにぎって、社会の機関でありながら社会のうえに立っている。」(「家族、私有財産および国家の起源」(フリードリヒ・エンゲルス)

その通りですね。
中国の歴史をみても、官僚と宦官がのさばって、結局、国民の怨嗟(えんさ)の的となり国を滅ぼします。
エンゲルスはドイツ人ですが、ヨーロッパでもそうだということで、いつになっても、どこの国でも大差はないのだなとつくづく感じます。
現在のアメリカはステルス(目に見えないという意味)専制国家です。
非常に危険な方向に進んでいます。

そして、その支配下にあるのが我々の国、日本であり、”ヒラメ”たちの目はアメリカに向いています。

ようやく多くの日本市民が、そのことに気づき始めています。
それが唯一の希望かも知れません。

もう一つ、言葉を上げておきましょう。

「奴隷がまだ自我意識にめざめないかぎり、奴隷はいつでもじぶんの主人の頭でものを考える。」(「風俗の歴史 2」エードゥアルト・フックス)

よく、言い当てていますね。”主人”=アメリカと置き換えると、世の中のものごとがよく見えるようになります。

アラブ諸国で、庶民の革命(?)が起きていますが、これは民主的な政治を求める庶民の動きと、石油支配を求める欧米支配層の動き、イスラエルに対する潜在的な敵対政権を倒すという複層的な歴史の流れを表しています。

単純に、民主主義的な運動だと思ったら大間違いです。
何故、カダフィー政権に対してヨーロッパの軍隊が空爆するのでしょうか?
何故、反カダフィー政権側を応援して、内政干渉をするのでしょうか?
そこには、私たちが知らされない利権が渦巻いているのです。

第二次世界大戦後、植民地は独立を果たしましたが、その多くが独裁国家となりました。
日本は敗戦国となり、形式だけの民主主義国家となりましたが、支配の構造は先勝国アメリカがいまだに握っています。

戦後半世紀以上が過ぎ、アラブの独裁国家は民主化へと進み、日本の形式民主主義の仮面は剥(はが)がれ落ちつつあります。
そのような時代の流れが、いま、現在進行中であるということでしょう。
情報手段の革命が、世界のまやかしを暴(あば)きつつあります。

では、またお会いしましょう

一刀斎は、一切の原子力発電所の即時停止を支持します!


データの改ざんと事実の曲解は常に行われる

2011-09-20 06:07:50 | 社会
9月に入ってから、の日が多いようです。秋雨といいますが、ジトジトしていい感じではありません。

さて、8月に入ってから、関東・東北・北海道の下水道からヨウ素が検出されるなど、おかしな現象が生じています。
どこから飛んできたのでしょうかね?

話は変わりますが、福島原発人災事故から放出された放射性物質を過少評価し、かつ、危険性がないものとする事例として、1945年(昭和20年)~1980年(昭和55年)にかけて行われた大気圏内核実験による放射性物質の降下による影響と比較されることがあります。
例えば、こんな風に・・・。

「昭和の列島全体と平成の福島原発周辺の内部被曝は同レベルで、どちらも健康への影響は無視できるレベルです。その放射能のせいで、だれも禿げないし、白血病にもならない、ガンにもならない、寿命は短縮しない、遺伝の影響もないのです。」

こんな調子で、御用学者はよく発言していました。
そんな内容を取り上げ、ブログに書いている御仁がいましたので、参考までに載せておきますね。

http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34772537.html(「あなたが子供だった時東京の放射能は1万倍!」週刊新潮記事を読む:Ddogのブログレッシブな日々)

御用学者がたくさん登場しており、その話をつなげて”低線量”の放射能は危険ではないという方向に話を持っていくのですね。
因みに週刊新潮は、電力系PR広告出稿ランキング4位に堂々入賞している週刊誌です。(2010年3月11日~2011年3月11日の1年間)
原発を客観的にみることはできない週刊誌ですから、反原発などとんでもないわけで、提灯記事しか書きませんw。

私が前回のブログで勝川先生の記事を利用し、解説したのは、実は上記のような見解があるため、勝川先生の記事内容を精査しておかなければならないと思ったからです。

「検出限界が108Bqぐらいの所にあり、現在は検出限界近傍を行ったり来たりと思われる。311以前の比較的クリーンな状態であっても、京都府全体では何百MBqというオーダーで、Cs137が降下していたのだ。
ちなみにデータベースの最新の値は、2010年3月の322910000Bqである。陸前高田の護摩木の表皮から京都府が検出したCs137が588Bq/kgだから、護摩木の表皮549167kg分に相当する。
陸前高田の護摩木の表皮を燃やすかどうかを議論する前提として、その何十万kg分もの放射性セシウムが毎月降下していることは前提として知っておいた方が良いだろう。」(「京都府へのCs137降下量の経年変化」勝川俊雄 公式サイト)

陸前高田から持ってきた護摩木からセシウム137がでたので、燃やすのを中止したという事態に対する問題提起として勝川先生の記事が書かれています。
護摩木からでたセシウム137の55万倍(549,167Kg)のセシウム137が、京都では現在(?)も降っていると読める内容です。

取りようによっては、「護摩木のセシウム量なんた大したことないよ!」ともとれますし、御用学者の意見を裏打ちするような見解にも受け取れ、誤解を生む内容といえます。
無論、勝川先生にそういう意図があったとは思いませんが、”これが事実です!”みたいなことはちょいと不味(まず)いなと思いました。

そこで、勝川先生の意見を精査することにしたのです。

その精査した私なりの見解が前回のブログ内容です。

確かに、大気圏内核実験があった時期に、世界中に放射性物質が降ったことは事実でしょう。
ですが、それがどのような影響を与えたかについては、あまり問題意識がなかったように思うのです。
ほとんどの人が知らなかったし、知らされもしませんでした。
にも関わらず、何の影響もなかったなどと発言している無責任な御用学者がたくさんいます。
私もわかりませんが、多分、その影響は調査されていないか、或いは調査していても知られていないかだろうと思います。

私が以前に指摘したように、僅かな放射性物質でも人体にとって危険なことは明らかです。
ですから、私たちは大気圏内核実験によって降下した放射性物質の影響によって、何等かの影響を受けたと考えておくことが妥当だと思います。
ガンによる死亡が第1位になったことなどもその影響かも知れませんが、今は何ともいえません。

さて、大気圏内核実験終了以降の放射性物質の降下について、私は黄砂の影響だろうと推測しましたが、農業環境技術研究所という機関が、同じ見解にたつ調査をしていました。

http://www.niaes.affrc.go.jp/sinfo/result/result24/result24_68.html(「黄砂とともに飛来する放射性セシウム(137Cs)」農業環境技術研究所)

ただし、報告書を見失いましたが、地面に積もった放射性物質-ここではセシウムですが-風で舞い上がって記録されたと考える報告書もありました。
降下の時期が一致するので、私は黄砂説を取りますが・・・。

さて、余り注目されていませんが、日本でも低線量被ばくの大規模調査が行われていました。

「福島原発事故以降、放射性物質拡散と低線量被曝の危険性について政府は、国際放射線防護委員会(ICRP)の基準を元に、安全との見解を示してきた。だが8月1日、参議院復興特別委員会で自民党の古川俊治議員が放射線影響協会の資料を示し、低線量被曝の国内調査結果が存在すると主張。」
そのデータがこれです。

http://www.rea.or.jp/ire/pdf/report4.pdf(文部科学省委託調査報告書「原子力発電施設等
放射線業務従事者等に係る疫学的調査(第Ⅳ期調査 平成17年度~平成21年度)」)

読んでみると分かりずらい報告書ですが、低線量被ばくでもガンの発症は高まるという結果なのですが、そう言わないのがこの報告書の”味噌”ですw。

調査の趣旨に、

「近年公表された15ヵ国合同解析、英国放射線業務従事者の調査結果では、白血病を除く全がんについて統計学的に有意のリスクの存在することが報告されているが、喫煙を含め交絡因子の関与の程度が不明確である。」

として、「喫煙を含め交絡因子の関与」についても明らかにしたそうです。

欧米の調査では、放射線業務従事者は-100mSv以下の低線量被ばく者ですが-「全がんについて統計学的に有意のリスクの存在する」のだそうです。
平たく言えば、100mSv以下の低線量被ばく者でも、一般の人に比べてガンによる死亡者は多いといっているのですね。

さて、日本の結果はどうであったかと言えば、一般のガン死に比べて放射線業務従事者はガン死が1.04多いという結果になってます。
これは一般のガン死を100人とすれば、放射線業務従事者は104人がガンで死亡しているということです。

この放射線従事者の平均被曝線量は”累積”で13.3mSvです。
それで、この影響がでているのです。
20mSv/年まで「健康に影響を与えない」などと言っている官僚達は、こんな報告書はみたくないでしょうねw

無論、この報告書ではそんなことは認めていません!

「累積線量にともなって白血病を除く全悪性新生物の死亡率に有意の増加傾向が認められたのは、喫煙等による生活習慣等の交絡による影響の可能性を否定できない。
一方、非新生物疾患についても悪性新生物(固形がん)と同様に、喫煙関連疾患、非喫煙関連疾患に分類して調査したが、双方の死亡率には累積線量にともなう有意の増加傾向は認められなかった。
喫煙関連の悪性新生物と喫煙関連の非新生物疾患で、死亡率と累積線量との関連が異なるのは、喫煙による影響(リスク)は、悪性新生物が非新生物疾患より大きいことに起因していることが考えられる。」(同報告書より)

何やら、訳のわからないこと言ってますが、要するに、タバコ等の影響で放射線従事者のガン死が増えたといいたいようです。

ですが、これには明らかなゴマカシがあります。

タバコなどが悪るいとするならば、この様な関係が成り立ちます。

[非喫煙者]<[喫煙者]で、[非喫煙者+喫煙者]=[全ガン死亡者]=[放射線従事者の非喫煙者のガン死]と同じだとすれば、[一般の非喫煙者のガン死]<[放射線従事者の非喫煙者のガン死]の関係が成り立つはずです。(報告書ではそう言っている)

これは比較できないのですが、彼らの論理からすればそうなります。
つまり、喫煙があろうが無かろうが、低線量被ばくによるガン死は増加するということであり、低線量被ばくは明らかに危険だということになります。

欧米の調査結果を覆(くつがえ)そうとしたのでしょうが、かえって低線量被ばくの危険性が明らかとなり、「喫煙等による生活習慣等の交絡」などという言葉で誤魔化そうとしたことは明らかです。

このように、広範囲な調査によって低線量被ばくの危険性は証明されているのですが、”認めたくない”というのが官僚どもや御用学者の立場です。

小難しい話になりましたが、自民党の議員が低線量被ばくの危険性を言うのも時代の流れでしょうか?

何とか誤魔化そうとする人達に、いくら調査させても無駄なのでしょうね。

では、またお会いしましょう

一刀斎は、すべての原発の廃止を支持します!



データの利用とその見方-原発事故に関連して

2011-09-01 17:54:32 | 社会
9月に入って、秋本番と言いたとこですが、この2~3日暑いです。
今日は、室内で30度もありました><;
はいいのですが、暑いのは疲れます。

さて、奇妙な見出しだと思うでしょうね。
今日は、折角、一刀斎のブログに来て頂いていますので、少し、勉強してからお帰りください。

今日、取り上げるテーマはデータの利用方法です。
私たちは、よく色々なデータに遭遇しますが、その数値をそのまま捉えていい場合とそうじゃない場合があります。
生のデータが必ずしも正しいとは限りません。
最近、面白いサンプルを発見しましたので、これを参考に勉強しましょう。

http://katukawa.com/(「京都府へのCs137降下量の経年変化」勝川俊雄 公式サイト)

ここにあげたサイトは、三重大学生物資源学部准教授 勝川先生のサイトです。
と言っても、面識ありませんが・・・。

あなたは、このデータを使った見解についてどう思われますか?

一刀斎は、”何か変だぞ?”と感じました。

最初は、その”変な感じ”がわかりませんでしたが、考えていくうちに気づきました。
勝川先生は、データの置かれた状況の変化に関わらず、一貫して同じ状況を想定してデータを使っているという過ちをしているのです。
同じ観測所のデータですが、[Aの状況]と[Bの状況]があり、Aの状況の延長線上ではBの状況は説明できないということなのです。

具体的に説明しましょう。

Aの状況とは、核実験があり地球規模で放射性物質、ここではセシウム137ですが、が拡散・降下した時期に当たります。
先生のデータによると、1963年~1983年秋ころまで、一貫してセシウム137が記録されています。(”こちら”という場所をクリック)
1983年冬ころから翌年にかけて「検出されず」が記録され、その後は多少の検出時期があったにしろ、量は少なく、かつ「検出されず」の時期が増加していきます。

時期的に判断すると、Aの状況は1984年頃からBの状況の変化していったと判断されます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7(核実験一覧)
http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/kaku_jikken99.html(世界の核実験)

放射性物質が降下する原因である世界の核実験一覧は、上記データの通りです。また、大気圏内の核実験は以下の通りとなってます。

○アメリカ :1945年~1963年 215回
○旧ソ連  :1949年~1962年 219回
○イギリス :1952年~1958年 21回
○フランス :1960年~1974年 50回
○中国   :1964年~1980年 23回
○イスラエル:1979年      1回

地下核実験は1980年以降も続けられましたが、放射性物質を大気中に放出する<大気圏内核実験>は1980年に行われた中国の1件をもって終了しています。
つまり、1980年以降は、セシウムが大気圏の放出される<原因>がなくなったのです。
核実験の事実関係からすると、転換点は1981年ということになります。

そこで勝川先生のデータを検討してみましょう。
1981年2月から6月まで1MBq/km2~6MBq/km2程度のセシウムを記録し、その前後の1MBq/km2未満と明らかに異なります。中国の大気圏内核実験が影響したことは明らかでしょう。

もう一つ、1986年4月に51.8MBq/km2という異常な数値が記録されています。
これは調べてみると、「1985 – 86 チャリオッティア作戦 (Charioteer) 18 ネバダ核実験場 1986年4月10日にMk21再突入体を使用して行われた”マイティ・オーク”実験では、封じ込めの失敗で放射能漏れが発生した。漏洩した放射性物質は36,000キュリーに及び、これはスリーマイル島原子力発電所で発生した事故の2,000倍の量になった」ものによることがわかります。
この事故によるセシウム降下期間とみられるのは、1986年3月~1987年9月までの1年6ヶ月で、その後4ヶ月は「検出なし」となり、1988年2月~6月にかけて僅かな量が検出、その後再び「検出なし」となってほぼ終息状況へと進んだと判断されます。

さて、大気圏内核実験という原因が無くなったのちでも、時々、セシウムが検出されています。
これは何故か、ということを考えなければなりません。

つまり、

Aの状況:大気圏内核実験が行われ、放射性物質が大気圏内に放出され、世界各地に降下した時期、

Bの状況:大気圏内核実験という原因が無くなり、空気中に浮遊していた放射性物質が地上に降下し終え、通常は放射性物質の浮遊が観測されないにも関わらず、時々、放射性物質(セシウム)が検出される時期、

に分かれるわけです。

これが、第一の問題点です。

第二の問題点は、「一地点の観測をもって、京都府全域に降下したということができるのか?」ということ。
[1地点の観測値]×[京都府全体の面積]=総降下量とするのは正しいのか? ということです。
勝川先生のデータはそうなっていますね。

私が思うには、原則として間違っていると考えます。

例えば、同じ街の中でも雨や雪が降っている場所と降らない場所があったりしますね。
1ヶ所の観測だけでは、正しい判断や総量の計算はできません。

同じように、京都府内で何ヶ所かの観測所があり、その平均をもって総降下量を算出するなら相当事実に近い総量となるでしょう。

にも関わらず、Aの状況では、多分、勝川先生の計算した総量は”当たらずとも遠からず”ではないかと思います。
その理由は、時系列的に降下が確認できるという点にあります。
地域による降下の濃淡は別にして、その観測所にだけ継続して降下することはありえませんから、京都府全域にセシウムが降下しただろうと推定できるはずです。

そこで、もう一つ、観測所を増やして確認してみましょう。
その方法は、他の都市での観測結果と比較することです。
東京都の観測データはなし、大阪府と新潟県はあったので比較可能です。
確かに、Aの状況では大阪府も新潟県も継続してセシウムの降下が認められるので、京都府全域に降下したと言えそうです。
ただ、量的には相当差がみられますから、総量は”当たらずとも遠からず”の範囲だと思われます。

次のBの状況ですが、これについては原因不明です。
相当期間にわたって「検出なし」があっても、突然「僅かな量」の検出が認められるのです。
時期的にみると3月~4月に多いことが分かります。
そこで考えられるのは、中国大陸から流れてくるのではないかと思われることです。
その一例が「黄砂」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%A0%82(黄砂)


予想ですが、中国の核実験場から風などで巻き上げられたセシウムが風に乗り、風の道に位置する京都の観測所を通過するのだと思います。
京都の観測所が、風の道に位置していることは、大阪や新潟に降下した1986年4月の量と比較するとその異常さがわかります。
勝川先生が示してくれた「環境放射能データベース」を利用して見比べるとよくわかります。

もう一つ考えられることは、観測所付近に降下したセシウムが風で巻き上げられ、再度、観測されたかもしれませんが、多分、時期との関係から中国飛来説(予想)が正しいのではないかと思っています。

いずれにしろ、Bの状況では、京都府全域にセシウムが降下したとは考えられませんし、せいぜい、「僅かな量ですが飛来することはありますよ!」くらいの意味しかありません。

まぁ、そんなわけで、データの使い方には充分注意しなければならないということです。

今回利用させていただいた勝川先生のHPは断りなしに利用していますので、コッソリと利用しましょうね。
消されると、利用できませんし・・・。なかなかいい教材ですし。

(本当はお断りしょうかと思ったのですが、何やら色々と登録しなければ受付ないので止めましたw)

今日は、データの見方について勉強してみましたw。

また、お会いしましょう

一刀斎は、すべての原子力発電所の即時停止を支持します! 事故ってからではもう遅い