虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

今日不思議な夢(?)を見て目が覚めた!

2013-05-24 06:40:05 | 宗教
どんよりとした空。今日は曇りのち時々の予報になっていますが、どうなることやら。

朝の3時半近くに突然目が覚めました。
奇妙な夢をみて、目覚めたのです。
夢というのは全く理解のできない情景を創造しますが、今日みた夢に、何故か!?あのア、ソウーが出てきて私と会話を交わしているのです。
彼が私に問います。
「君は何故、政治の世界に入ってきたのかね?」
私が答えます。
「マルクスが想像した共産世界を超えた自由な人間の世界を創りたいと思うからです。そのためには、個々人が自立した意思を持たなければならないのですが・・・。」
とここまで答えた時、突然、エデンの園とR.A.モンローが霊体離脱してみてきたという概ね百万年前の世界が折り重なっていることに気づいたのです。
そこで、ハッと目覚めました。

スェーデンボルグやモンローも言っていますが、夢を見ている時の多くは霊体離脱しており、あの世で訓練しているのだそうです。

そのことはさて置き、モンローの「究極の旅」は3度ほど目を通しているのに、そのことに気づきませんでした。
多分、あちらの人が教えてくれたのでしょう。

『「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。・・・
・・・「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」』(聖書・創世記・2-24.25/3-22)

『二人は男性で二人は女性だった。これは簡単にわかった。みな、服を身につけていなかったから。・・・
「言いたいことはわかる。でも、虫もウイルスも我々と協調しているんだよ。ロバート。対立はないんだ。死ぬということについては・・・君の言う<死ぬ>ということを、我々は遠い昔にやめてしまったよ」・・・』(「究極の旅」39p~44P)

モンローが案内されて見てきたという約百万年前の人々は裸体で過ごし、会話はテレパシーにより行います。物は意識によって創造でき、天候も左右できます。天候を左右できるという能力は、霊能者の竹内満朋氏が晴天の日に雨を降らせてみせたというエピソードがあります。

まぁ、そいうわけで、エデンの園はこの地球上に存在し、神に管理されたアダムとイブではなく、そこにいた200万人強という人々は自立した超能力者であり、かつ、強力な連帯意識で結ばれていたということです。
モンローによれば、彼等は一斉にあるところに向かって旅立ったということでした。

旧約聖書の創世記にみられるアダムとイブの物語は、脚色された神話でありますけど、モンローが見せられた世界が事実であるとすれば、私たちは彼等のように物の支配の世界から抜け出し、精神の世界へと入ることができるということを意味しています。
とはいえ、私たちは”あちらの世界から来た住民”であるわけですから、死があろうが無かろうが、やはり、あちらの世界へ帰らなければならないのかも知れません。
こんなことを書いていましたら、ふと、かぐや姫の物語を思いだしました。


夢で見た話を、取り急ぎ、まとめてみました。

また、お会いしましょう。



2次元の”ひらめ”と3次元の”ねずみ”

2013-05-18 11:00:05 | 宗教
ようやく春らしい気候が訪れ、桜満開です。
今日は
軟弱者のハク(♂)が、家で寝ていますが、ほかのたちは外で遊んでいます。

最近、秦郁彦という人の「南京事件」を買いました。
南京虐殺はなかった!という歴史認識の人がいるようですが、秦氏の著書を読むと少しはその認識も改まるかもしれません。
秦氏は、多分、南京事件は認めたくないが、様々な証拠により南京虐殺はあったという結論に至り、この論争の中では中間派と言われているようです。
私は読んだ感想では、感情的には”南京虐殺”は認めたくないけど事実としてあったという良識派の部類でしょうか?
そういう意味では、かなり突っ込んで様々な資料に当たっている点は評価してもいいでしょう。

スーパーに買い物へ行きましたら、古本市をやっていたので「CIAとビンラディン」(400円)と「ホーキング、宇宙を語る」(300円)を買いました。

「CIAとビンラディン」は宮田律という静岡県立大学の方が書いた本で、CIAの実態と主にパキスタンの関係について述べています。
パキスタンの情勢については、余り知られていないので参考になりました。 
CIAの行動については相当、裏と表がありますから、ビンラディンとの関係についてどれが正しい情報かはよくわからないところがあります。
ただ、CIAはビンラディンなどのテロリストと言われる集団を育てたことは衆目の一致するところです。
つまり、アルカイダと言われるテロリストを育てたのはCAIであり、後にアルカイダは反アメリカになったと宮田氏はみていますが、現状の国際情勢の動きをみていると今でもCIAはアルカイダ風のテロリストを利用しているのは確かな事実です。
例えば、今、内戦中のシリアでは反政府軍にアルカイダ系がいるし、シリア政府をイスラエルが爆撃しているし、アメリカはシリア政府がサリンを使用したという理由で武器供与を反政府側にしようと機会をうかがっています。サリン使用は反政府側が行ったと国連調査団が発表しましたので、でっち上げに失敗しましたが、何れにしろ、シリア政府を倒そうとしているのはアメリカ+イスラエルを支配しているニセユダヤであり、その連中が傭兵である反シリア軍を陰で支援しているのは事実なのです。
そして、その支援されている傭兵軍にアルカイダ系がいるという構図は、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する<CAIとアルカイダの関係>をそのまま表現しています。
このような事実関係を眺めていると、アルカイダのようなテロリストはニセユダヤ、あるいはNWOの連中が実施している”偽旗”作戦であることは疑いようのない事実だと言えるでしょう。

要するに、構図はこうです。
CIAが育てたアルカイダのような国際テロリストがいる。彼等はイスラム原理主義を信奉して反アメリカという標語を掲げているが、何故か、反欧米、反アメリカ、反イスラエルを唱える国で反乱を起こします。しかも、何故か、都合よく欧米、アメリカ、イスラエルはそれらの国で反乱を起こしている国際テロリストを支援し、国家転覆をはかろうとするのです。
反面、欧米、アメリカ、イスラエルは国際テロリストを非難し、国際テロリストを支援していると見なされるイスラム諸国を軍事的に攻撃し、その政府を転覆させ、国内を混乱(カオス状に)させています。
イラク、アフガニスタン、エジプト、リビアそしてシリア(現状)と続いています。
アルジェリアは出だしで失敗していますが、今後も狙われることでしょう。
日本人が殺されましたが、何故、日本人が政権交代後、タイミングよく殺されたかを推察してください。
誰が、彼等を殺したかはハッキリしています。

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2944542/10752962(「シリア政府支持者を処刑する武装組織の映像、人権監視団が公開」AFP BB Nwes 2013年05月17日 09:57 発信地:ベイルート/レバノン)


さて、本題は「ホーキング、宇宙を語る」の方なので、CIAの話題はこの辺でやめておきます。

ホーキング博士は、最近、”神”はいない!と断言したようです。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2800427/7226101(『ホーキング博士、天国を否定 「暗闇が怖い人間のための架空の世界」』AFP BB Nwes 2011年05月17日 13:01 発信地:ロンドン/英国)

一刀斎にとって、物理学の最先端の細かい話はチンプンカンプンなんですけど、大雑把な意味では理解しました。要するに、まだ、何もわからないということですw。
この話で気づいたのですが、自然科学を取り扱う科学者は、最初から解明不能と思われることは、”横に置いておき”、今、眼前にある課題のみを探求するということでした。
以前、noga先生が孔子の弁をもって皮肉ったのは自然科学者としての態度だということが理解できました。

このことを考えていましたら、共産党宣言で神を否定したマルクスとエンゲルスのことを思い出しました。
宗教の否定=神の否定についてはエンゲルスが果たした研究の役割が大きい(「反デューイング論」エンゲルス著などをご覧ください)のですが、彼が神を否定している論理は実に単純で、私にとっては検討するに値しないのですけど、ホーキング博士の論理と似ているところがあります。

どだい、現代科学によって”神”の存在を証明することは不可能なわけですから、”神”云々を論じるのは避けるべきなのかも知れません。
ただ、言えることは、ホーキング博士にしろエンゲルスにしろ、神に関する知識はキリスト教の通俗的理解であり、その域で判断しているようです。

エンゲルスの哲学に関する把握は、古代ギリシャの哲学からヘーゲル、フォイエルバッハまでで、インドの宗教思想、原始キリスト教周辺に存在した宗教哲学について研究したふしがうかがえません。
また、「家族、私有財産および国家の起源」においてもアメリカインディアンの研究を通じて論をすすめていますが、彼等がもっていた宗教的観点にはまったく触れていません。
マルクス主義では、ヘーゲルの哲学を逆立ちしていると評しますが、宗教的視点については逆にマルクス主義が思考の逆立ちをしているとみるのが正しいと思います。

私は、三次元世界に神(=創造主)は基本的に介入しないと理解しました。
理由は再三書いてきましたので、過去ブログを参考としてください。
つまり、私たちの世界で”神”を見つけることはできないというのが、一刀斎の結論であり、神の実態的世界は多次元界にあると判断したのです。

このような判断に立てば、マルクス主義の主張は三次元界で唯物弁証法は有効かも知れませんが、神について判断する論理として有効ではないということになります。
結局、三次元界から神を論じても、それはマルクス主義者の嫌う”観念論”にならざるを得ないのです。
何故なら、三次元界に”神”はいないのですから、いない存在を”いない”といっても当然のことなのです。
同様なことは、最先端の物理学研究をしている天才ホーキング博士にもいえるわけで、三次元(時間軸をいれると4次元界)をどんなに思弁してもそこには”神”はいません!

http://www.youtube.com/watch?v=yqzCwcL9xDc(千の風になって 秋川雅史)

”天国はない”のではなく、この三次元界に今のところ”天国はない”のであって、三次元界に天国を創りたければ、人間の欲を制御して”自由で平等な世界”を人間自ら創るしかないということです。

以上のような訳で、天才ホーキング博士は2次元界でせっせと世界を思弁し、宇宙を見つめる”ひらめ”に、エンゲルスは三次元世界で世界には物しかない!と駆けずり回っているネズミに似ていると感じました。
凡人である一刀斎が、天才である二人を評するには、尊大な気もしますけど、宗教観については天才二人に論を譲る気はありません。


今回は最近読んだ本について、思い付いたことを書いてみました。

また、お会いしましょう。






新約聖書で不思議に思った言葉

2013-01-22 05:08:32 | 宗教
雪が積もって氷となり、玄関のドアより高くなったので、ドアが凍りつき開かなくなることがしばしば
スコップでドアを持ち上げ、ようやくドアが開くようになりますが、何か今の社会状況に似たものを感じます。
少し、力仕事が必要なのかも。
最近の右傾化という現象が若い人の間であるような気がしますが、これは歴史をきちんと勉強してないからではないかと思う今日この頃です。
民主主義を否定する人を見かけますが、では、どのような社会がいいのでしょうか?
歴史をきちんと調べておくと、時代時代の社会の構造、そしてそれを変えてきた人々のエネルギーがあるわけで、民主主義も人々の抑圧と苦悩と血の上に成り立った制度なのです。
現状の問題点や欠点をあげつらって、改善する提案をするわけでもなく、ただ古(いにしえ)を美化して利用する人々に踊らされている人々が”愛国”を語る資格はありません。
”民ありて国あり”なのです。
その民を見殺しにしておいて、愛国もへちまもないでしょう。
亡国の支配者に踊らされている人々がなぜ”愛国”の民なのでしょうか?
尖閣諸島がどうのとアメリカの置き土産と中国の政治姿勢に踊らされ、国内の今ある災害と死につつある民を忘れさせようとしている支配者どもを何故しっかりと批判しないのでしょうか?
支配者に踊らされている人々は”亡国の民”なのです。
戦争、戦争、戦争・・・戦争は人を狂人とし、正常な思考を破壊します。
南京虐殺はなかった? 従軍慰安婦はただの売春婦? 歴史を愚弄するにもほどがあります。
日本軍は現地調達を主眼にしているため、兵士をどれだけ餓死させたのですか?
食糧を奪うため、どれだけその国の人々を虐殺したのですか?
兵士の強姦事件を少なくするため、軍(最初は陸軍)が慰安婦制度を作ったことは歴史的事実です。
そこには日本人をはじめ、朝鮮人、台湾人、中国人、フイリピン人、その他捕虜とした欧米人婦女子が含まれていることは歴史的事実です。
戦争は人間を狂気とします。
そこには強制が関与し、命令に従わないものは暴行か死が待ち受けているからなのです。
何故、平和が悪いのですか?
国を守りたい!
であるなら、全国民に”銃と機関銃とバズーカ砲”でも持たせてください!
守ってあげましょう!
悪政を行う為政者は、絶対に国民による武器の管理を任せようとはしません。
何故なら、自分たちが甘い汁を吸えなくなるからです。


さてさて、前置きが思わず長くなりました。
余りにも、無知蒙昧(むちもうまい)が蔓延(はびこ)っているので、つい愚痴(ぐち)りました
実は新約聖書を読んでいて、長い間、疑問に思っていた文章があります。
この文章です。

「人には、その犯(おか)すすべての罪も神を汚(けが)す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対するいい逆(さか)らう者ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」(マタイ12-31~32)

「人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」(マルコ3-28~29)

マタイとマルコでは少々表現は異なりますが、出処(でどころ)はおなじソースだと思います。
何が変かというと、”神やイエス(=キリスト)を侮辱してもいいが、聖霊はダメ”ということですね。
簡単にいうと、”神様のバカヤロー、イエスのバカヤロー”と言ってもいいけど、”聖霊のバカヤロー”はダメだと言っているのです。
これって変じゃありませんか?

神様1番、キリスト2番、聖霊3番のはずですから、神様を馬鹿にしては一番いけないはず!
ところが、1と2は馬鹿にしてもいいけど、3番は馬鹿にしてはいけないとイエスは言うのです。

この答えはあの世を理解してから、ようやく分かりました。
多分、キリスト教の牧師さんではわからないでしょうね。

答えは、一刀斎が書いてきたあの世と創造(=神)の存在のあり方にあるのです。
私は、”神は人を助けない”と言ってきました。
当然、神の傍(そば)に行ったイエスも人を助ける位置にはいませんね。
そうすると、人を見守り、時には手助けするのは、誰ですか?ということになります。
そうです。聡明な貴方はもうわかると思います。
貴方を日々助け、見守っている貴方の守護霊(=聖霊)たちなのです。
悪霊に取りつかれている人は、悪霊を馬鹿にするととことん不幸な人生となること請け合いです。
ま、そういうわけで、貴方とともにある聖霊を貶(けな)すことは許されないのです。
わかってしまえば、簡単なことなのですが、通説に縛られていると絶対に理解できないでしょう。
こうして、イエスの言葉をひも解いていくと、イエスはよくあの世について熟知していたことがわかりますね。

では、また、お会いしましょう。



悪霊は貴方のすぐ傍にいる!

2012-12-27 21:21:02 | 宗教
北海道は12月にもかかわらず、寒波に見舞われ、1~2月並みの低温と大雪です。それでも我が家の猫群は、外に出ていくとなかなか帰ってきません。私が特に可愛がっている今年春生まれの熊五郎君は、家にいるときはムッツリしていますけど、ちょいと帰りが遅くなると、”いやー、寒かったぁ~”とか”野良に襲われて、逃げたけど帰り道が分からなくなったぁ~”とかニャン、ニャン言いながら帰ってきます。
”猫が喋(しゃべ)るわけないだろう”と思う貴方は、動物について全く無知であることに気づいていません。
話し好きの猫は腐るほど喋ります。
私のところに最初に来たソックス君は、冬に引き戸を開けるうえ、下駄箱の上に乗って”早く開けろよ!”と怒鳴ってました。部屋のドアを開けて、入れてあげると”ほんとに、早く開けろよ!”と文句を言いながら入ってきます。
その時、猫が喋ることに気づいたのです。その時の言いかたを言葉にすると、”ニャニャニャニャニャ”となりますw。明らかに怒りながら喋るのですよ。
猫の話をすると、永遠に書いてしまいそうなので、このくらいにします。

さて、今日は、私の体験を元に、悪霊はすぐ傍(そば)にいるという話をしてみたいと思います。
人間が死を迎えると、多次元界へ行くのですけど、自分が死んだという自覚がない者は、三次元界に浸透した次元界に止まるようです。
その辺の事例については、「ローム大霊講和集」(竹内満朋・寺見文夫 共著)に死亡時の事例別に詳しく述べられています。
ロバート・A・モンローも多次元界からみると、三次元界に同時並行的に”死んだことを自覚しない霊”がたくさんいると言っています。
つまり、気味が悪いですけど、私たちの世界には肉体を持たない霊たちが私たちのすぐ傍にたくさんいるということです。
肉体を持つ私たちは、余程、霊感の強い人でなければ、それらの霊は見えないので問題なく生きていけます。

ところで、私が35歳くらいの時だったでしょうか?
誕生日の夜、独りで飲みにいき、帰りはタクシーだったのですが、信号で止まったとこへドスンと後続車が追突。事故を起こした運転主、タクシーの運転手、私の3人は交番に事故を報告し、私は特に怪我はないということで、そのままタクシーで家に帰りました。
これが始まりだったのです!
次の日、会社に出勤すると、頭は痛いわ、首から上は張ってるわでムチ打ちだということになり、事故証明が必要なのでタクシー会社に連絡、すると、昨日のタクシー運転主は鞭打ちで入院したから、連絡取れないとか、うちも被害者だからだとか、訳のわからないことを言う始末。
すったもんだの末、タクシーの運転主と警察に行き、被害届をだし云々で病院通いとなりました。
で、次の月、やはり飲んでタクシーで帰ったのですが、自宅マンションの前で料金を支払っていたら、ドスン!
若いおにーちゃんが突っ込んできましたw。斜め向かいに交番があり、即、警官がきたのですが、先月も追突されて、今、病院に通ってると話したら、”そうですか。じゃ、分かりませんねぇ~、示談にして下さい。”といって交番に戻ってしまいました。
”なんだこりゃ?”と思いましたが、おにーちゃんに名刺を渡し、明日、来るように話しました。
次の日、タクシー会社の交渉係の人と運転主が、被害者であるにも関わらず、菓子折りを持って謝罪にきました。
同じ、タクシー会社でも対応の違いに驚きますね。
その間、こまごまと問題が起きていたので、何か変なことが続くなと思っていました。
仕事が立て込んでいたので、一部を外注したのですが、何とそれを担当していた相手が失踪!
締切が迫っているのに何も進んでいないことがわかりました。
依頼先に謝罪し、納品を伸ばしてもらいましたけど、その後、メインの相手先だったのに半年間干されました
鞭打ちもそろそろ良くなったので、相手方の保険会社に病院代を払うよう要求しました。
すると、なんと! 病院通いが長いので支払わないというではないですか。アメリカ資本の保険会社です。
それ以来、アメリカの保険会社は大嫌いになりました。
結局、保険会社が入っている保険機構みたいなところが代理で支払しましたけど、100%相手が悪いのに、支払を拒否するのですから、儲けるのも当然でしょう。何がスリーAですか。単なる詐欺商売をしてるにすぎませんね。
まぁ、何だかんだと問題が生じるのですが、何とかクリアーし前へ進んでいくのですけど、全て私に責任がないところで問題が発生するのです。
周りの人は、早くお祓いにいけよ!と言ってましたけど、その辺の神社でお祓いしても解決しないことは分かっていますから、笑って誤魔化していました。6ヶ月間、様々な事故、問題が次々と生じたのですが、ついに止めがきました。
6ヶ月目に近くの床屋・・初めてだったのですけど、行ったところ、髪をシャキシャキと鋏で切っていたのですが、ジョキ! 耳が切られました
鞭打ちで通っていた病院にいったのですが、お医者さん曰く、”今度はどうしたのぉ~”
床屋代と病院代は当然ただになりましたが、床屋さん曰く、”私、50年床屋をしていますが、耳を切ったのは初めてです!”

そんなわけで、これはどうみても異常だ!と考え、祟られているのは確かだと確信しました。
そこでどう対処したら良いか?
私が歴史好きでしたし、雑学ですから歴史的に魔除けとして”あること”をしていることに気づきました。
早速、実行! 
ピタっと、何事も起きなくなりました。
見事、成功したのですね。ヤレヤレ

その後、しばらくして、世の景気も良くなり、友人と仕事で東京に行ったおり浅草寺を見学にいきました。
おみくじを引くと、大凶!
2年くらい経って、また仕事で東京にいったので同じ友人と浅草寺にお参りに。
おみくじを引くと、また、大凶!
一緒に行った友人曰く。”おみくじの大凶は一番少ないのに2回も大凶を引くのは、運が良いのかもしれないぞ”
引いた当人としては、運が良いなんてとても思えません。
”浅草観音に嫌われているな”と感じ、それ以来、浅草寺には行っていません。

悪霊による大きな嫌がらせは、上に書いた時期が第1回目です。
その時は、嫌がらせ程度でしたが、第2回目は明らかに命を狙ってきました。
それも私と愚息の命を狙っていたことは確かです。
それは、今から14年前に始まり、2~3年続いたでしょうか?
そのため、私は物という物、全てを失いました。
周りの女性たちが何かと色々と助けてくれたので、何とか生き抜いてきたというのが現状です。
今でも細かい嫌がらせはあります。

今、思うに、私がこのような霊界の真実を明らかにすることが、悪霊たちにとって嫌なのかも知れません。
しかし、私の守護霊は私を守り、私にこのような話をするよう促(うなが)してきたのです。

ここ数日にわたって、一刀斎の個人的な祟りの経験が何度も頭を過(よぎ)りました。
封印してきたことに許可が下りたらしいのです。

2回目の話はお知らせできません。
それは現在進行形であり、私の守護霊たちが戦っているからです。

人生には偶然起きると思われる事故と明らかに悪霊が起こしている事象があるように思います。
すべては科学で明らかにはできないのです。

また、お会いしましょう


霊は創造する潜在能力を持っている。

2012-12-25 09:17:05 | 宗教
猫が顔を洗うと天気が崩れる・・・これは迷信ではありません。
天気予報より確実に当たります。
ですから、天気予報でも、今日はたまちゃんが10回顔を洗ったので、大荒れとなるでしょう、とか紹介すればいいのに
科学を信奉する我が社会で、そんなことを言えば即物笑いにされるでしょう

しかし、野性味を失った猫は、聞いたところによればあまり顔を洗わないらしく、天気予報もできそうにありません。
私のところにいる猫は全て野良出身ですから、野性味は充分、毎日、外で遊んでいるので、鳩は取るはねずみは取るはで、日々、研鑽しているようです。
時々、ほかの野良と喧嘩になるようで、大けがをして帰ってくることがあります。5cm四方くらいの皮がはげ、肉がむき出しになった状態でも、2~3週間もすると、あらら、すっかり治っています。幸い、過去に怪我をした猫たちを病院に連れていった時の残りの薬がありますから、我が家でそれなりに治療はできます。
病院に連れていけよ!という言う向きもあるでしょうが、何だ、かんだで9匹の猫がいますから、食費だけで精一杯、貧乏一刀斎の家計はそれだけで火の車なのですよw。

そういうことで、猫は猫なりに不思議な能力を持っているらしいのですけど、実は人間にも特殊能力は備わっているのです。

ですが、その能力をこの世=三次元世界で発揮できるのは、せいぜい世界で2~3人くらいかも知れません。
体外離脱能力を持っていたロバート・A・モンローの父は、死後、多次元界で自分の家を造り(創造し)したそうです。そこは三次元界そのもの、確かに存在を確認でき、モンローは父がどうやってこれを創ったか?と疑問を呈しています。

「もしある人がある特定の宗教によって、特定の宗教的信念によって高揚させられていれば、彼は死後にバルド界の一つで同じ宗教的信念が実現され、形態化されているところへ行くことであろう。それは彼らの内なる自我が知っているところの状況を、自分自身の意識と想念とが作ってきたのであり、地上に住んでいた前世において形成形態化してきたものなのである。
であるから、キリスト教とキリスト教の天国と地獄とを固く信ずる人たちは、非常に長い期間にわたって彼ら自身が自分たちの信念でつくった天国か地獄かへ行っているということは本当に事実なのである。」(「ヨガの真義」M. ドーリル p263)

私たちは、肉体をまとった霊(魂)ですから、本体の霊(魂)は創造(神)からでた分霊であるといえます。
このことはイエスもはっきりと、そう言っています。
イエスだけが、神の子(光)ではありません。
人間の魂(霊)は全てそうなのです。
旧約聖書に神の姿に似せて人間を創ったと書いてありますけど、人間の外見のことを言っているのではありません。
人間の外見だと思うところに、真の意味を理解しなかった人間達の無知があるのです。
創造が創ったのは”霊”であり、似せてという意味は、神=創造の能力を付与してということなのです。
これでお分かりになるでしょう。
霊には創造する力が潜在的に備わっているのです。
旧約聖書の創世記は、ユダヤ人たちの記録ではなく、古代メソポタミアの記録を拝借したものにすぎません。
古代人は優れた霊能力を持っていたと言われており、多次元界に対する感応力はすばらしいものがあったのでしょう。
そうした古代人が神と多次元界について語り継ぎ、そして記録化したものをユダヤ人が最終的に自らの聖書に取り入れ、編集したのです。
現代まで残っているのは、一面では儲けものですが、その解釈を表面的にしかできない聖書解釈者の無能さは驚くほどです。

旧約聖書の創世記は三次元界からみても何も理解できません。
多次元界内のできごとと理解すると、すべてが氷解します。
数年前まで、私はまったく理解できませんでしたが、宗教の本質を大枠で理解した現在は、スラスラと分かってしまうのが不思議です。
多分、もう、私にはあまり時間が残されていないせいでしょう。
折りに触れ、できるだけ皆様にお知らせするのが、私がこのブログを書かされている使命でしょうから、参考程度にご覧ください。
そして、貴方自身で自問自答して頂きたいのです。
いつか、貴方自身の答えが見つかるでしょう。
回答は一つではないのです。

多次元界(あの世)は広大であり、三次元界の全ての宇宙を包含した世界です。

前回ブログで書いたように、4次元界が消滅し、5次元界が消滅し・・・などと考えることは妄想なのですけど、人間(霊=魂)が創造できるという作用を想定すると、気が付いたら自分の逝き場がないということになります。
余計な妄想はしないに限りますね。

今日は、霊(人間)は創造する能力を持っているということについて、少しだけお知らせしました。

では、またお会いしましょう。









この世とあの世では、構造も価値感も違う

2012-11-27 05:08:58 | 宗教
本格的な冬到来で、体調を崩す方もいると思います。暖かくしてお風邪をめさないようご注意ください。

ここのところ、”ふっ”と思いいたることが多々あります。
なるべく、気が付いたらすぐ記録するようにしたいと思っています。

風呂に入っていて気が付いたのですが、どうも我々、人間は自分の立ち位置からしかものごとを判断しない傾向が強く、この世とあの世との関係をみても
この世の思考がそのままあの世に持ち込まれていくと考えるようです。
あの世にはあの世のルールがあり、ある次元毎に決まったルールがあるように思います。
我々の次元=この世に近い次元界では、地獄=天国の事例でみられるように、割とこの世の現象に近いものがあります。

我々の次元界=この世には、どうもルールなどというものは無いようように感じますが、この世は基本的に”自由”であって、その中で下降した魂=人間の行為によって形成していく、あるいは組み立てていくように仕組まれているのでしょう。

そういう意味ではあの世のルールが貫徹しているのですが、我々人間からすると、余りにも理不尽な事態が人間界には蔓延しており、”神も仏もあるもんか!”と言いたくなるような現実が横たわっています。

見方を変えてみると、あの世は既に完成した、創造(=神)の意思が貫徹した世界、この世は創造が創り出した”未完”の世界なのかも知れません。
弱肉強食の世界もあれば、人々が共生する世界もあります。
どういう世界をつくるかは、この世の魂=人間たちに任されているのでしょう。
ただし、創造の大まかな目標は明らかですから、この世での間違いは、あの世のルールでたっぷりと<地獄=天国>で矯正されることになるのだと思います。

創造は、私たちの世界を含めて”創造”したわけですが、最後に造った”この世界”=この世では、下降した魂たちが”自ら創造するチャンス”を与えたのかも知れません。
そう考えると、世の中へのアプローチも少しは積極的なものになるのかも知れませんね

短いですが、思い付いたことを記録にとどめてみました。

また、お会いしましょう



あの世に天国はあるのか?

2012-11-24 04:31:14 | 宗教
冬も本格的になってきた北海道です。
薬のせいか、鼻風邪のような状態が続き、芳(かんば)しくありません。まぁ、回復途上ということなのかも。
今年の冬は、全国的に放射性物質の影響がでると思います。
基本的に体の抵抗力が落ちてきますので、奇妙な病気が増えるでしょう。
お体には充分お気をつけてくださいね
大阪でも放射能をばら撒くそうで、日本全国総放射能汚染状態になるようです。
馬鹿な首長を選択したばかりに、貴方も加害者になり、かつ、被害者になるのです。
たかが1票、されど1票です。
貴方の1票が、貴方の命と家族の命を守るのです。
絶対に”戦争をしたい!”という愚か者を支持してはいけません。
貴方や貴方の家族が戦争に行かされ、死ぬのであって、”戦争したい”連中はノウノウと生きるのですから。
何百万人も死んだ戦争で、天皇の血の一滴でも流されましたか? 天皇の許可なく軍隊の一兵卒も動かせなかったという事実の前で、あの戦争の責任が誰にあったかなどは、自明のことなのです。
責任体制が不明であるが故に、戦後も戦争遂行者たちが政治の主導権を握ったままでした。
そして、敗戦後は日本をアメリカに売り渡し、国民を騙し、血税をアメリカに貢ぎ続けてきたのです。
日本は1000兆円の借金があるって?
何のことはありません。アメリカに貢いだお金を返してもらえば、せいぜい200兆くらいの借金になるでしょう。
売国奴の官僚を締め上げ、財政を組み替えると2~3年後には借金なんてなくなるかもw
しかし、革命でもおきない限り、そんなことにはならないでしょう。
そもそも、アメリカは日本からの借金を返しませんからね。

まぁ、そんなこんだで、この世は大変な事態に突入している今日この頃なんですが、今年の12月で世界は終わると騒いでいる人々もいるくらいですから、しっちゃか、めっちゃかな世の中になりそうな気配です。


話し変わって、以前、一刀斎は”地獄はない”と言いました。
何故、地獄はないと言いきれるのかといえば、何せ、神の心は”愛”ですから、欲望にまみれた魂といえども見捨てたりしないのです。
よく、”地獄に落ちる”と言いますけど、これは言葉の綾(あや)であって、”落ちる”のではなく本人の希望で勝手にいくのです。
例えば、人を苛(いじ)めるのが大好きな人は、苛めあう人々の集団にはいっていきます。
好き好んで本人がいくわけですから、”地獄に落ちる”ではないことは自明です。
スゥエーデンボルグによる地獄の情景も同類が集まると言っていますし、モンローが描写している性欲に囚われた人が同じ仲間のなかに入っていく様子など、そのシステムが自己の欲求によって決定づけられていることがみてとれます。

まぁ、そのようなシステムがあの世の構造にあるわけですから、本人の希望どうりにすすむので、そこは”天国”なのです。
ですから、あの世には地獄などなく、全てが”天国”であることは言うまでもありません。

さて、私たちが”天国”という場所を想定する場合、何か”素晴らしい場所”を想定しますよね。
でも、よく考えて下さい。
貴方が天国へ行きたいと欲するそのことも、貴方の”欲望”なわけです。
ですから、その”天国”もいわゆる”地獄=天国”と同じ場所であることに気づいてほしいのです。
貴方にとって”素晴らしい理想の場所”であっても、そこは”仮の場所”なのです。

本当の”場所”は貴方の欲望を越えた向こうにあることに気づいてください。
そこに”平安と愛”の世界が広がっているはずです。
それが天国であるかどうかは一刀斎は知りません。
ただ、そういう世界に到達することが、ゴータマさんが目指した世界だろうと推測するだけです。
そこには転生はもうありません。
モンローも、転生のないランクの世界があることを語っています。


貴方はどこへ行きたいですか?
貴方の欲望の先は全て”天国”です。
何故なら、貴方が真に欲している世界は、貴方にとって”天国”だからです。

あの世に”天国”あるのでしょうか?
それはあります。貴方の欲望と共に存在するのです。
何故なら、貴方はその世界を創り出す一員(一因)だからです。


また、お会いしましょう

あの世は多彩であり、一つの宗教観でみることはできない!

2012-11-21 11:54:47 | 宗教
18日に雨からみぞれへ、そしてに変わりました。今年の初雪です。11月18日の初雪は、明治以降、観測史上一番遅い初雪とか新聞でみたような?w

宗教研究のブロブでありながら、最近はこの世的な記事を多く書いています。

今日は、総集編的な意味で、私が得た宗教の本質的な内容について、詳しく述べてみたいと思います。


(1) 宗教の基本について

宗教とは何か?という問いに対し、私は「この世からみたあの世への希求」、或いは、「あの世から啓示(メッセージ)を受けたこの世のあり方」だと思います。
つまり、「この世」と「あの世」の関係なくして、宗教は成立しないと考えます。
ただ単に、”宇宙の法則”などと答える論理は、私は哲学であるとみなし、”宗教”とはみなしません。
”宗教”とはかなり”具体的で、生々しい現実”であるのです。
仏教にしろキリスト教にしろ、現実世界を描写し、この世での生き様を正し、そしてあの世的な場所に移動しなさいと言ってます。
ただし、あの世には”地獄的な場所”もあり、この世での行いによって”地獄的な場所”に移動してしまうことも充分語られています。
このように、この世とあの世の相関は、かなり生なましい現実が語られるのです。
それは抽象的な世界観ではありません。
私たちは、現実に生きており、その生なましさをある意味”あの世”へも持ち込む存在なのです。
ですから、宗教は”具体的で、生々しい現実”なのです。

宗教にシャーマニズムであろうが、一神教であろうが、多神教であろうが、上下はありません!
一神教は唯一正しく、シャーマニズムが邪教だと決めつけるのは例えばキリスト教などが持つ思い上がりにすぎません。
では、一神教の”神”なるものをキリスト教的な宗教において証明したのでしょうか?
もし、証明できる、あるいは証明したなどという者は、大嘘つきか詐欺師に違いありません。
"神”を証明することなどできないのです。
私たちは”創造”の中にあり、”中”にある者が創造を外から眺める、或いは客観的に証明することは不可能なのです。
人間の科学なるものがどんなに発達したところで、それを証明することはできません。
私たちは”直観”のみにより、彼=”神”を知ることができるのです。
”知る”こと=”証明”ではありませんね。
”知る”ことは主観的なことであり、”客観性”を欠きます。自分にしかわからないことなのです。
このように、宗教は”主観的な直観”によって成り立ちます。
それが集団的な形態をとろうが、最後は主観的な個人へと還元されるのです。


(2) あの世は多次元界である

創造の世界は、多次元界によって構成されています。
私たちが住む3次元界は、その一つの表現にすぎません。
色々な宗教関連のHPなどをみると、やはりあの世は多次元界であると書いてある記事を目にします。
ただ、私が気になるのは、多次元界の表現において、かなり一面的な表現が多いということです。

例えば、キリスト教では第一天から第十天までとかあるように書いてますが、ものによってはものすごい数の次元界があるとしています。
しかし、ある特定の宗教観にとらわれているため、どの多次元界の表現は一面的であるといって良いでしょう。
ですが、これらは全て正しくもあり、間違いでもあるのです。

具体的に説明しますと、人間の魂(霊)は”主観的な意識”によって全てを判断します。
例えば、貴方の現状意識が、全ての世界観を形成するのです。
それは歴史的でもあり、貴方の現状の知識であり、貴方の主観的な感情であり、貴方の現状の理性など、もろもろの現在意識があの世の世界を認識させるのです。
例えば、スゥエーデンボルグはアンチキリスト者でありましたが、やはりキリスト教世界に住んでおり、その知的影響を受けていますから、彼の見るあの世の構造は色濃くキリスト教的世界となるのです。
日本の優秀な霊能者である竹内満朋氏が見てきたあの世は極めて東洋的です。
一方、ロバート・A・モンロー氏の見たあの世は、極めて現代的で宗教観の少ない世界でした。

これらを総合的に分析しますと、現状の主観的な意識構造が、あの世を見せる土台となっていることが分かります。

つまり、あの世の多次元界は、”貴方の持っている現状意識によって見え方が異なる”ということです。

このことは普遍的な事実と考えられますから、特定の宗教による”あの世はこれが正しい!”とすることはできないのです。
それは”一つのあり方”としては正しいのですが、全体的な見方としては間違っているということです。
あの世は多次元界であり、かつ多面的であるということを覚えておいてください。


(3) 多次元界を支配する基本理念は”愛”の一言

この多次元界は、創造の”意識”により形成されたと言われています。
ですから、創造から派生した”意識”として、私たちの”魂(霊)の基本は意識により形成されている”といって良いでしょう。
この”意識”なる存在は不確かなるものであるが所以に、私たちの”真実の実態である”とは信じがたいのですが、物質としての肉体は解体するわけですから、実態として残るのは実際に”意識=魂=霊”のみなのです。

このように、私たちの”意識=魂=霊”は創造の意識から派生した存在なのです。
故に、私たちは”神”であるといわれる所以なのです。
”意識体”はすべて”神”の分身であるわけです。
ただし、人間だけが”意識体”であるわけではありません。
”意識体”は低級なものから、より高級なものまで、多様に存在します。人間意識はその一部にすぎません。
キリスト教系の驕(おご)っているところは、人間の魂のみを崇高としている”無知”にあります。
この部分は、宗教としての大きな欠点であると言ってよいでしょう。
現状の欧米文明は歴史の一つの過程にすぎませんが、欧米文明がその野蛮さを持っているのはキリスト教の驕りと密接な関係があります。
そしてそのキリスト教の驕りを煽ったのは、ユダヤ教徒であるということです。
ここに歴史の秘密があります。
そして現代の歴史の秘密があるのです。

さてさて、イエスが人々に教えたのは”神”とは”愛”であるということです。
”神”とは意識の存在ですから、それは”愛”だと言って間違いないでしょう。
しかし、一刀斎は凡人ですから、その”愛”なるものは理解できません
まぁ、言葉で言えば、それは”無限の愛”ですから、善も悪も包括する大きな許(ゆる)しなのでしょう。
具体的には、心の小さい一刀斎では、理解不能ですw。

色々な霊能者が理解した言葉を、一言でいえば神の心は=愛であるようです。
とりあえず、現状の創造がなした意識は”愛”から派生し、そして”愛”帰るということなのでしょう。


(4) 創造もやがて上昇する

新約聖書に”この世の終わり”という言葉がでてきます。

イエスの言葉では、ユダヤ人がユダの地から追放されるという”終わり”と真実の意味で”この世の終わり”という二重の説明がなされています。
ユダヤ人がユダの地から追放されるという”終わり”は、歴史的にイエスの預言通りローマによって実行されました。多くのユダヤ人がユダの地から追放され、奴隷とされ、流浪の民となったのです。これは歴史の教える通りです。

さて、もう一つの終わりですが、これは”神”のみぞ知るであって、イエスだって知らないと言っています。
つまり、いつそうなるかはわからないのです。あと千年後かも知れないし、10万年後かも知れないし、百万年後かも知れません。
まぁ、そんなわけで、”この世の終わり”なんて気にする必要はないのです!

ところで、”この世の終わり”とは何でしょうか?

三次元の物理的法則から言えば、この地球もいつかは太陽に飲み込まれて消滅する運命にあるようですが、イエスの言った”この世の終わり”はそれとは別でしょう。

”この世”という意味では、”創造が終了する”という意味と同意語と思います。
何故なら、イエスはこの世をベースにあの世についても語っているからです。

よく、この世で肉体が引き上げられ、より高度な人類に進化するような”超アホ”な主張をする宗教者がいるようですが、信じてはいけませんねw。
次元界の法則は厳然と守られていますので、それを超えることは通常できないのです。
ま、たまに乗り越える人もいますが、それは稀(まれ)です。
一人、二人が超人になったところで、何の意味があるのでしょうか?
そういう人はマンガの読み過ぎ、空想の世界だといっていいでしょう。
特殊な人間がいることは、私は否定しませんが、空想もほどほどにした方がいいということです。

さて、”この世の終わり”の話に戻しますが、”この世の終わり=創造の終わり”とは何もなくなることではありません。
それは新たな始まりを意味します。
創造が終わる=新な創造世界が始まるということです。
それは現在の創造界の多次元界が、更に高度な多次元界へと飛翔する展開を意味しています。
そこへ創造と共に移行できる精神(=魂=霊)たちは、少なくとも現創造において選ばれたものたちであることは確かでしょう。

では、新な創造へと移行できなかった精神たちはどうなるのでしょうか?
聖書では”打ち捨てられる”と書かれていますけど、悲観しなくて大丈夫

現在の創造世界はそのまま残るからです。
そこに”打ち捨てられ”た貴方はそのまま残るから、心配無用です。
思い出して下さい。神の心は”愛”なのです。
決して見捨てるわけではありませんねw
永遠の時間をかけて、貴方は次の飛翔へと意識を成長させればいいのです。

この世の終わりとは、そういう意味なのです。

決して、悲観することも恐れることも必要ないのです。
おどろおどろしい宣伝に騙されてはいけません。
それが、真実なのですから。


以上、わかったような、わからないようなことを書きましたが、私が辿(たど)りついた宗教の世界とはこんなところです。

また、何か思い付きましたら宗教の話をするかもしれません。
それまでは、この世の話を続けたいと思います。


また、お会いしましょう。














自力と他力

2012-10-10 11:12:26 | 宗教
あらら、間違って書き始めのものを公開していまいました


今日(10月9日)はで、秋らしく、清々(すがすが)しい一日です。暑からず、寒からずの気温はまさに北海道の”秋”そのものです。

さて、昨日、息子にPCを占領され、ボーとしながら経済関係の本を読んでいたのですが、”ふっ”と宗教の基本は”自力だなぁ~”と思い浮かびました。
何故、そんなことに思い至ったかといえば、ネットサーフィンをしていると、宗教関係のブログやHPで、2012年に”アセンション(次元上昇)”がおこるとか、5次元に引き上げられるとか?訳のわからないことを言っている人々がいます。
昔、ノストラダムスの預言で1999年に大魔王が降りてくるとか、騒いでいた人々がいましたが、ノストラダムスの預言本をよく読むとそんなことではないとこが分かります。
いつの時代にも、下らない戯言(たわごと)を言って人々を惑わす人間がおり、また、それに乗せられる多くの人々がいるわけです。

一刀斎は断言しておきましょう。2012年にアセンシヨンだろうと何だろうと決しておきません!
これほど馬鹿らしいことはありません。貴方が次元上昇するということは、貴方は”既に死んでいる!”ということなのですよ。
確かに、魂=霊の状態で、多次元界へ移動は可能でしょう。
ただ、そのためには、貴方自身が”自覚的”に存在(霊であるという)を知りえる状態でなければなりません。
どこか超自然の力で、他力的な力が発現して”次元上昇(アセンション)する”などということはないのです!
その為に準備せよ!などということは”マヤカシ”です。

まず、ゴータマさんの教えもイエスの教えも基本は”自力”であることを念頭におかねばなりません。
日本に伝えられた仏教は大乗ですから、他力的(=救ってくれる)でしょうが、ゴータマさんの教えは間違いなく”自力”なんです。
イエスの教えも他力的(=イエス様が救ってくれる)と思っている方が大半でしょうが、イエスは明らかに”自力”を説いています。
”貴方の信仰が貴方を救ったのです”と何ども言っていますね。
イエスの時代当時は、キリストが人々を救うと考えられていたので、人々はイエスをキリストとして縋(すが)ったのですが、そうした人々に”自力”により救われることを説いたのです。
新約聖書をよくよく読んで理解してください。
個々の人々が”自らの信仰”によって救われることを宣言しています。
イエスはその信仰を支える礎(いしずえ)にすぎません。
言わば、事例や見本のようなものです。
ところが、人々は当時の思考から離れられず、他力的にキリストが来て、人々を救うと信じ、そうした他力的な思考は現在まで続いています。
こうした愚かなキリスト教の思考は、まるで大乗仏教のように根付き、延々と歴史の中で続いてきたのです。

そのような土壌の中から次元上昇などという馬鹿げた発想が生まれ、人々を惑わすのでしょう。

もっとよくこの世とあの世の構造について理解してください。

この世も複雑であり、あの世はもっと複雑怪奇なのです。
一元的に次元を乗り越えるなどという”夢想”に、騙されないでください。

”ふっ”と念頭に浮かんだことについて書いてみました。

また、お会いしましょう。

最近いただいたコメントについて考えたこと。

2012-09-30 08:45:50 | 宗教
「恐れることはない、人はもともと天上の種族である」(ピタゴラス)

古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは、ピタゴラスの定理で有名ですが、輪廻転生や魂の存在について深い理解を持っていたようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9(ピタゴラス)

さて、最近、随分と古いブログにコメントをいただきました。7年も前に書いたブログですので、一刀斎、覚えておりません!
もともと、このブログは宗教について考えるブログでしたので、初心にもどってコメントされた方の意見に沿って、少し考えてみたいと思います。
コメントの内容は、以下の通りです。


「宗教における客観 (宗教機関を離れた信徒) 2012-09-27 15:41:08

>宗教は極めて直感的であり、主観的であるからである。一方、学者はそれを相対化し、客観化しようとつとめるので、宗教の直感的かつ主観的な部分は欠落する可能性がある。

以前某教会に通っていた信徒です。
宗教の客観性は

1)歴史・哲学・地学等他分野との関連性を通じて、宗教の姿を他分野から浮かび上がらせる

2)人間の数だけある信仰・解釈に数多くあたる

事だと思います。
私は、ある宗教組織の説教が肌に合わなくなり、信仰としての宗教よりも学問としての宗教を学びたいと思っています。
個人的には、観念論である宗教を分析するには相当な知性(知性の定義も曖昧です)が欠かせないと思います。
直感と主観が優勢である宗教分野においては、どうしても押しつけや対立が起きやすいと感じています。

大学院以上の教育を受けずして「特定の宗教」を客観的に語れるようになるのだろうか?というのは常々感じる疑問です。
この分野に親しむ人間の8割強は主観に溺れているのではないでしょうか。」


宗教を離れた信徒さんを”X”さんと呼んでおきましょう。

私の意見では、Xさんの言われているような、現代の学問によって宗教の”姿”が現れるかというと非常に疑問に思います。
私は、宗教とは”実践”にあるのであって”学問”するものではないのだと思います。
かく言う一刀斎が”実践”をしてるかと言うと、何もしておりませんが

個人的に宗教を”学問”として学びたいというのは自由ですが、それで宗教の本質が知りえるかというと、ほとんど不可能でしょう。
何故なら、現代における宗教に関んする”学問”の範囲は上っ面を触る程度の深みであり、その本質に到達しえるものではないからです。
宗教を”学問”するということは宗教の本質を獲得する過程の”通り道”に過ぎず、大枠を知る程度にすぎないと思います。

宗教の歴史を眺めてみますと、実践から学問へと変遷するにつれて堕落し、最後はほとんど”化石”化してしまったのは事実です。悪くすれば”悪魔教”へと内実そのものが変化してしまいます。
イエスが教えたことを思い起こしてください。中世のキリスト教は明らかに”悪魔教”です。近代のキリスト教は、欧米の信者以外の原住民(日本人も入るんですよ!)を人間ではないと宣言し、大量虐殺、奴隷制への道を切り開いた張本人達なのです。これが”悪魔教”以外の何なんでしょうか?

仏教! 今、目の前にある日本の仏教を見てください。ゴータマさんが教えた内容と全く違うものが我々日本人の前に繰り広げられていませんか?

学問することと、教えの根本を思考することは全く違うという発想法から、私はこのブログを書いてきました。
長い年月を費やして、今の結論に至っています。
”宗教とはこちら側からあちら側への逝き方だ!”ということであり、”その逝く過程において、こちら側で獲得すべき、正しいあり方を認識し、生き、そして実践することである!”ということだろうと思っています。

人間の本質は”魂=霊”であり、これは不滅ではありますけど、ある次元に束縛されるという認識は必要に思います。それはこの世のあり方によって決定され、自らがそれを為すという点において、この世=あの世における自由が保障されているのです。

宗教は色々な時代、時代におき、地域によって異なるように思われますが、その”本質的を絞り出す”とある一貫した共通点が見出されるのです。
現代の宗教学は、多分、思うに宗教の本質を追い求めるというものではなく、各宗教の外ずらを触る程度のもでしかないと思うのです。
何故なら、宗教を語る学者は”真実”を求めているわけではなく、単に知識としての”宗教”を知っているだけだからです。

宗教についての解釈についてですが、私のブログをご覧になると答えが書いてあります。
あちらの世界は多次元界であり、様々なアプローチが向こうからくるのです。多様であるのが当然の現象なのです。
無論、それを受け取る側の人間も多様になり、宗教に対する理解、解釈も多様であるのも当然であると思います。
ですから、この宗教は正しく、この宗教は正しくないという態度を一刀斎はとりません。
日本の神道はアミニズム的ですが、八百万の神という発想法は、必ずしも間違いではないのです。
一方、一神教の神を想定することも間違いではありません。正しくは、創造(主)は取りあえずは”一つ”なのですから。ここで、取りあえずと言っている意味は明かしません。

学問としての宗教を学びたいということでしたら、あくまでも”宗教の本質とは何か!”という点を追及する手段として学問することをお勧めします。
そこに新たな信仰が”X”さんに生じるのではないかと期待して


また、お会いしましょう。



人間の魂に死はないというけれど・・・

2012-08-19 12:48:08 | 宗教
どんよりとしたの日が続いたけれで、今日はそうです。

相変わらず、あちこちで地震の話しがありますが、関東方面で<1日>にどのくらいの地震が発生しているか、あなたは知っていますか?

http://eoc.eri.u-tokyo.ac.jp/harvest/eqmap/tkyMAP1.html(自動更新地震活動(最近1日間))

この地震発生地図は、直近の1日分のもので、1ヶ月になると地図が見えなくなるくらい生じています。微妙な振動が続いていることがわかりますね
”災害は忘れた頃にやってくる”とは言いますが、忘れる前にやってきそうな今日この頃です。
関東方面にお住まいの方は、毎日、このような<大地の微動>に気づかず暮していることと思います。
充分な地震対策をお忘れなく!

さて、前回のブログで「ふくしま集団疎開裁判」について取り上げておきましたが、調べていくとどうもこの裁判に東大医学部の鬼畜・中川が係っているようなのです。

http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-794.html(「竹野内真理さんが、東大准教授の中川恵一氏へ質問ツイートしました」放射能メモ)

一刀斎も昨年から鬼畜・中川については紹介し、批判してきましたけれど、こんなところでも悪事を働いているのですね
どうしようもない小悪魔・鬼畜です。

神様!何とかしてください!と祈っても、残念! 特に、何もしないのが創造主の法則なのです。

前回、ロバート・A・モンローの本から抜粋しましたので、モンローの知る「知識」の創造主をもう一回掲載(以前に掲載しました)しておきましょう。

 『この、我々の創造主とは、

 ・我々が人間として生きている限りは、我々の理解を越えている。
 ・我々の理解の及ばないようなことにも、目的を持っている。
 ・我々もその一部として参与している進行中のプロセスの設計者(デザイナー)である。
 ・右のプロセスにおいて、必要に応じて調節、微調整を行う。
 ・万人、万物に適用される単純な法則を定める。
 ・崇拝も賛美も、おのれの存在を認めることも要求しない。
 ・「悪」や「あやまち」を罰しない。
 ・我々の人生での行いに関して、勧めたり妨げたりしない。』(p246~p247「究極の旅」ロバート・A・モンロー)

はい! このように小悪魔・鬼畜・中川は罰せられないのです

私が何度も皆さんに申し上げてるように、創造主は”霊”(=人間の魂)に自由を保証しているのです。
ですから、やりたい放題、嘘八百でも構わないわけです。
無論、大きな意味では”愛”を実践するという大目標が空気のようにあるわけですけど、まぁ、空気のようなものですから、誰も気にしないのです。
”自由だぁ~~”と何処かのお笑いのように、自分が出世するためには騙そうが、踏みつけようが、死のうがお構いなしです。

出世が一番!
お金が一番!
名誉が一番!
支配が一番!
欲張るのが一番!

という訳です。

善良なあなたは怒るでしょう。
何もしない、そんな創造主(神)はいらない! と。

でも、ご安心下さい。

自由にも法則があるのです。

私たちは”自由”であるからこそ、動物体である人の中に生息できるのです。
モンローはどこかで人間を”閉じられた、偏ったエネルギー体”であると書いてあったと思います。
そう、本来の”霊”(魂)は”解放されたエネルギー体”であり、創造主と同質のものなのです。
ですから、”霊”は創造することも可能なのです。

自由だということで動物体の法則=弱肉強食に拘(こだわ)りすぎると、そこから抜けられなくなるのです。
"霊”は創造するのです。
ですから、”拘泥しすぎた霊”はあの世でも自らを動物体として”創造”します。
つまり、欲にかまけた霊は、自らを解放されたエネルギー体へ戻すことができず、動物体のままで閉ざされたエネルギー体としてあの世でも過ごすことになります。
彼・彼女は当分、この世にすら戻ることもできません。
チャンスは自らの行為によって与えられないのです。

これが”自由”による”結果”(法則)なのです。

ここに仏教で言われる”因果の法則”が、あの世で貫徹されるのです。

でも、あの世での話でしかないでしょう! と、あなたは言うかも知れません。

確かに

しかし、自由の側面は、この世で”この世の悪”を正すことが許されているということでもあるでしょう。
ですから、一刀斎は”あなたが世界を変えなさい”と言っているのです。
空気のような宇宙の法則を忘れずにです。(出かけるときは忘れずに!・・・コマーシャルにありましたw)

何か、政治向きの話をしているようですが、一刀斎は”宗教”の話をしているのです。

この世の矛盾は、この世で正せばいいのです。
あの世には、あの世の法則が厳然としてあり、この世のことはこの世の魂(人間)が一歩、一歩正していけばいいのです。
人間の歴史は、僅かずつ、人間(魂)の命を大切にする方向に進んできています。
私たちの魂が人間として生まれるのは、”因果応報”の故ではなく、この世でやらねばならないことがあるから、”自ら”やって来るです。
為さねばならぬこと、それを見つけだし、実現してください。
決して、人間的な”欲”に拘泥(こうでい)しないように、注意しながらです。
ですから、この世での”命”は大切なのです。
そうしたこの世の”命”(使命)を閉ざそうとする行為は、明らかに宇宙的な意味でも”悪”なのです。
何故なら、人間になる自由も許されているからです。
その自由を汚(けが)すこと(=殺すこと)は、この世的な事象であり、あの世的な事象ではありません。

確かに、人間の魂は死にません。

ですが、創造主が与えた自由を汚す行為は、説明したようにあの世でも許されるわけではありません。
モンローは”罰しない”と言っていますが、”自らそこに赴(おもむ)く”法則がありますから、創造主は罰しませんが、自らが自らを罰するのです。
それが”法則”なのです。

そうそう。

前回の連載で、”健康被害”と言いながら、その被害について書きませんでしたね。
実は、おどろおどろしい写真もあったのですが、どこへいったのか? 見当たらないということは紹介するなと理解しました。

今日は2人の方を紹介します。
夢野さんは、何度かメールを交わした方で、以前からこっそりとブログを拝見していました。

http://yumeno.blog.eonet.jp/misuzu/2012/08/post-6888.html(「被曝の最大症状は脳障害<罹患率100%>」電子書籍作家 夢野美鈴のブログ)

http://ameblo.jp/mashiroryo/entry-11167377608.html(「<爪検査結果1>大阪の4歳児からセシウム、ウランが基準値越えで出ました。」腹は真っ黒ですが、名前は真白です。)

二人とも携帯小説家というところが、偶然のなせる技でしょうか!?


また、お会いしましょう


一刀斎は全ての原子力発電所の即時廃止を支持します!






あちらの世界に確定的なものは何一つない!

2012-07-02 03:03:45 | 宗教
最近は寒い日々が続いています。毎日20度以下の温度で、肌寒いです。(6月29日以前の状況です)
実は、ここ2~3日は暑い日が続いていますw

さて、一刀斎が思うに、何故、大雑把なあちらの世界観で思考を停止し、それ以上の探求を止めたかということですが、読んだ本によって色々だということから、これが正しいということができないという結論に至ったからなのです。

あちらの世界はどのような構造になっているか、ということは様々な方々がHPで紹介しています。
参考までにあげておきましょう。

http://www.h2.dion.ne.jp/~ayan/Yohogo-Kaisetsu/Tazigen-Ucyu.html

http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-5-tajigenn.html

まぁ、このようにあの世の世界についてはもう調査済みのようですが、人それぞれで何が正しいのかわかりません。
ですが、言えることは、あの世は多次元世界だということだけです。
人の心情、生き様、理想、空想、エトセトラによって、あの世の構造は変化するし、見れる場所は異なります。
そこで、これが”あの世の構造だ!”などというのは、釈迦の指に小便をかけている孫悟空のようなものなです。
そのことに気づきなさいというのが、一刀斎の背中を押す人の意見のようです。
私もなるほどと思っています。

人は何か確信的なことを知りたいと思うのが常でありますけど、向こうの世界にはそのようなものはないようです。
私にしろ貴方にしろ、信じようが信じまいが、あの世は厳然と存在し、そしてそれが現世より真実の世界に近い(?)ということです。
但し、この世が幻想だというなら、あの世の大半も幻想ではないでしょうか?
また、この世が現実だとするなら、あの世の全ても現実なのです。

一刀斎は宗教について考察してきましたが、あの世が存在しない限り、信じない限り、宗教は存在しないのだと思います。
もし、あの世を否定したうえで宗教を論じるならば、それは哲学でしかないといえましょう。
ですから、宗教を論ずる場合は、あの世の存在を前提としたうえで論じないといけないのだと思います。
”信じること=宗教”という考えもありますが、それは空論にすぎないと思うのです。
現代科学を信じるのも宗教、共産主義を信じるのも宗教、神を信じなのも宗教、お金を拝むのも宗教となってしまいます。
信じること=宗教ではないとしなければ、”宗教”の定義なんてできないと思います。

まぁ、そういうわけで、”宗教とは、あの世があるという「前提」のもとで、あの世からの情報が得られる”というところで存在するわけでしょう。
例えば、仏教では魂を認めないなどという戯言(たわごと)を言っていますが、いい加減にしなさいと言いたいですねw。
また、キリスト教は転生を認めないという立場ですが、これもいい加減にしなさい!ですねw。
もともとあった原初の宗教的真実が、時代とともに捻じ曲げられ、変質することは避けられないのかもしれません。
しかも、世俗的になり原初の宗教的原理さえ忘れ、”欲におぼれる”というのが現代の宗教界であるといえましょう。

今はヒーリングなどというあちらからのお話はあるらしいですが、それを信じるのは、これも一つの宗教でしょう。
ただ、このヒーリングなるものは”この世の終わり”を語ることが多いようなんですが、残念!、そう簡単にはこの世は終わりません!
よくお聞き下さい。
あの世には色々なニセ情報を語る御仁はゴマンといるのです。
この世に詐欺師がいるように、あの世にも詐欺師はいるのです。
よくよく注意しないと、この世の詐欺師に騙され、あの世の詐欺師にも騙されるのですね
そのようなことは、全てこの世で反映されます。
何故なら、この世は詐欺師たちの活動できる唯一の場所だからです。

さてさて、ずいぶんと表題からかけ離れた話しになってしまいました。
一刀斎が”あの世は多次元世界だ”と結論した以外に言葉が詰まったのは何故か?
自分なりに実は考えていたのです。”これが結論?”と。
そんなことを言っている人はたくさんいるわけで、何故、ここで終わりなのか?という疑問です。
そのことを考えたというか、教えられたというか、そのへんは分かりませんが、要するにあの世は多次元であるが故に、”色々は入口があり、こうだ!というものはないのだ!”ということなのだということに気づきました・・・気づかされたと言ってもいいかも知れません。
人々はそれぞれ好む入口から入っていけばいいのです。
ですから、自分の宗教が正しいなどというのは愚かなことなのです。
入口はたくさん用意されているのです。
無論、無神論者にも用意されているのです。何故なら、あの世が還る場所だからです。
そこにはちゃんと入口は用意されています。
何故なら、創造主(神)の意思には”愛”しかないからです。
それは絶対的な”愛”だからです。
私たちはそこへ帰る”旅”を続けるのです。
だから、恐れずに自由に旅立ちましょう。
この世も、あの世も。

また、お会いしましょう





多次元世界である意味

2012-06-19 05:15:37 | 宗教
最近、現政府のしていることは、国民をないがしろにしていること甚だしいようです。官邸前で1万1千人規模のデモと抗議集会があったそうで、Tvは全くそれを無視して報道しなかったそうです。私の家にはTvがありませんので知りませんが、まぁ、事実でしょう。日本のTv、新聞などはもう終わっています。多くの人々がそのことに気づいています。
さて、さて、このような政治の世界は多くの人々がブログやツイッターで語っていますので、その方々におまかせします。
私はたまに眺めているフランスにお住まいの方が書いているブログを紹介します。

http://blog.goo.ne.jp/veritas21/d/20120615(晴れのち曇り、時々パリ)

私も含め、多くの心ある人々の怒りを代弁しています。

今日は一刀斎が、何故、このような宗教の研究にハマったかということについて話したいと思います。

私が最終的にだした結論をご覧になって、皆さんは”なんだぁ~~”という気持ちになったのではないかと思います。

ですが、私のだした答えは、私の意思ではなく、あちら側の人が導いた答えなのです。
私は地獄はないと言いましたが、同じように残念ながら”あちら”に天国もありません。
あるのは私たちが”この世で得た意識の積み重ね”によって、あちらに逝った時に獲得できる世界があるというだけのことです。
人類は何十万年もこの地球にあって、その持てる意識により、あちらの世界に理想の世界=天国を造ったであろうことは理解できます。
それは創造主(=神)が造ったものではありません。
この世の人々の意思が創造したものなのです。
ですから、キリスト教の天国、仏教の極楽浄土、イスラムの天国、ユダヤの?(天国はありません!)等々。

それらのものが全て架空のものだということを知らなければ、私たちの魂(=霊)は次の飛躍を果たせないのです。

私はその飛躍の向こうになにがあるのかなんて知りません!

ですが、今あるこの世の多くの誤解や似非説教、デタラメな宗教の言辞を正さなければならないのです。

私は無神論者でした。宗教なんて信じられませんでした。
にも関わらず、このようなブログを書いているのは、不思議な力が背後から語れ!と背中を押すからなのです。
私は小さい時から不思議な体験をしています。
それがなんであるかなんて、ちとも気にしませんでした。
突然聞こえる上からの声!

私は能力者ではありません。今でも、そんなものは皆さんもお持ちなのだろうと思っています。
何故なら、魂は肉体の中に存在するのですから、みな同じなのです。
たまたま選ばれるだけなのかもしれませんね。

私が気づいたことのなかで、スェデンボルグにしろ、モンローにしろ無神論者だったということです。
時々、あちら側の人は無神論者を選択して情報発信をするようです。
そして既存の宗教観を叩き壊します!
何故、そうするかはだいたい気が付いています。
というのは、一つの宗教観に囚われている人の情報は偏っているからなのです。
実は、”あちらは違うんですよ”という情報発信をする人があちらにいるようです。
それが私を突き動かしている人なのです。
とはいえ、私が操(あやつ)られているわけではありません。
最近思うのですが、周到に準備され、教育されて一刀斎という人間が創られたのだと思います。
無論、私には色々な選択肢はあったと、人生を思い起こすと思えるのですが、何故かこうなってしまったとしか言えません。

宗教の欠陥は、マルクス・エンゲルスがいったように、この世の問題をスルーさせるからなのです。
嫌われている創価学会は、この世をそのまま捉えているし、ユダヤ教は”この世にユダヤ人の天国を”なのかもしれません。
私たちはこの世にいる間に、様々なことを、知識と感性を得てあの世へ旅立たなければなりません。
確かに、ゴータマさんが言うように、この世のすべての欲を捨ててあの世に逝くと再びこの世に還ることはないのかも知れません。
何故なら、この世は”欲の世界”だからです。
イエスの言い方によれば、この世は悪魔の支配する世界だからです。
この場合、悪魔の世界とは”欲の世界”と同義なのです。

皆さんは、宗教論議だと思うかも知れませんが、目を見開いてこの日本で起こっていることを見ると何が起こっているのかよく見えるでしょう。

私は無神論者であったが故か、ゴータマさんにもイエスの態度には賛成はできません。
とはいえ、ゴータマさんは自らの国が攻められると知った時、二度、無言でそれを止めたといいますし、イエスは多くの人間の罪を一身に背負って処刑されたのです。
しかし、それは無益だったのでしょうか?
私にはわかりません。

何れにしろ、捻じ曲げられた宗教の世界が現在はびこっていることは確かです
中身がないのです。
ですから、そのようなもので救われる?わけがありませんね。
貴方が救われたいと思っているかも知れませんが、実は、救うのは貴方自身なのです。
私でもなければ、他の教祖様でもありません。
貴方が貴方を救うのです。
そのことに気づけば、貴方はこの人生を豊かに過ごすことができます。
貴方は創造から生まれた霊であり、人間の中に存在する魂なのですから、貴方自身の意思で声を出しましょう。
選択するのは貴方であり、他の誰でもありません。
この世には色々な欲としがらみがあり、欲としがらみに囚われた人々がゾンビのように徘徊しています。
彼らは既に逝くべき世界が定められています。”欲としがらみ”の世界へ逝くのです。それは彼らが造った世界なのです。

さてさて、多次元界には色々な世界があります。
そしてそこには貴方の意思が反映し、新たな世界が創造できるのです。
それが、貴方の持っている能力であり、この世で生きている意味なのではないでしょうか?
そこで、貴方に問います。
貴方は地獄を造りたいですか? 
それとも、天国を造りたいですか?
貴方がこの地上でなすことは、多次元界で創造することなのです。
貴方はなにを造りたいと思いますか?

それは貴方の意思が決めることです。他の誰でもありません。

多次元界、この三次元界で向かうべき世界を貴方自身がこの世で意思し、行為することで決まるだけのことです。

はっきりいいますが、人間の魂=霊は死にません。消滅するのは肉体だけです。
肉体は三次元界のものであり、上位の次元に行くことはできません。
魂=霊は上位の世界から来たものであり、三次元界より上に行くことはできますが、肉体的=精神的欲に囚われている限りでは三次元界かあるいはそれに近い次元に止まることは確かです。
この場合、転生もありません。長い間、そこに止まるからです。

長くなりました。

そろそろやめますが、ゴータマさんは個々人が解脱することを指導しました。イエスは密かに祈れと言いました。皆で渡れば怖くない!なんてことはないのです。確かに仲間がいれば心強いですが、最終的には個々人なのです。
貴方が貴方を救うのです。

またお会いしましょう

老子を通して現代を考える

2012-05-16 19:43:52 | 宗教
3ヶ月くらい前、街に用事ができたのでついでに本屋に立ち寄りました。これといって読みたい本があるわけでもないので、ブラブラと宗教関係とか思想関係の陳列棚を眺めていると、ふと、”老子”という名前が頭に浮かびました。
”老子”・・・名前は知っていますが、よく知らない人物です。高校の漢文にちょこっとあったような?
ま、そんなわけで、「老子(全)-自在に生きる81章ー」(王明 校訂・訳)というのを買ってきました。
その日のうちに全編目を通したのですが、”なるほど”と思いました。

老子が書いたという「道徳経」というのは、古代中国に伝えられた古代宗教をまとめ、解説したもので、その視点から現世の生き方を表現したものだということが分かりました。
「道徳経」いわば、古代中国の宗教書だといえます。
なかなか含蓄(がんちく:意味に深い味わいがひそんでいること)のある本なんですが、表面的な言葉尻しかとらえないおバカさんも多いようです。
「道徳経」は、以下の二つを参考までにあげておきます。

http://www.asahi-net.or.jp/~qh4s-kbym/TaoWorld.html
http://www.geocities.jp/ixtutou144/rousia.htm

中国では老子も孔子も同列に語られますが、老子と孔子とではぜんぜん位(くらい)が違います。
老子はあの世の視点からこの世をみていますが、孔子はこの世の視点(理想的な政治)を肯定するために”天”なるものを想像しているにすぎません。
老子が書いた「道徳経」は、古代オリエントの宗教観、カバラ、アメリカインディオの宗教観と同じような視点から語られています。
この点については、ずーと以前に書いてあります。

”無から有が生じる”という宗教的視点は、古代の宗教ではみな同じ立場にたっています。インドでも同じでしたね。
何故、老子がふっと頭に浮かんだかは、これで理解できました。
宗教の原点を追求している私にとって、老子の「道徳経」は中国版の宗教の原点だということだったのでしょう。
そういう点では、多くの学者はほとんど無知といっていいかも知れません。
何故なら、諸子百家という思想家の一人として並べてしまう程度の認識しかないからです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90(老子-ウィキぺディア)

老子の日本語訳は結構堅苦しい訳が多いのですが、私の買ってきた本はわかりやすく意訳しています。
すこし、抜き書きしてみましょう。

「いま仮に 宇宙の始まりを 無と名付けるならば 万物を生み出したものを 有と名付けてよいだろう」(第1章)

「根源に還ることを安息といい 安息とは天命にゆだねることであると 言い換えてもよい この永遠の法則を知ることが悟りであり・・・」(第16章)

「仁だとか義だとか騒ぎ立てるのは すでに正道がおかしくなっているからだ ・・・ 良い大臣が待望されるのは 国がすでに崩壊しかかっている 証拠にほかならない」(第18章)

「私には三つの至宝がある 一に慈愛 二に決して生命エネルギーを浪費しないこと 三にあえて天下の先頭にたたないこと この三つである」(第67章)

「世の災いを己の身に引き受ける者こそ 国の本当の守り手であり 世の罪を自ら背負う者こそ 世界の王の中の王であると」(第78章)

何やら、仏教的、キリスト教的な言い方がありますね。第78章の部分はイエスの行為そのものかも知れません。
このように、老子の書いたことは非常に根源的な宗教に基づいた”言葉”だということに気づくはずです。

18章の言葉は、同じようなことをスエデンボルグが言ってます。向こうからくる言葉は多少の表現は異なりますが、似ているといえるでしょう。

「良い大臣が待望されるのは 国がすでに崩壊しかかっている 証拠にほかならない」(第18章)は、現代日本の状況そのものかも知れませんね

最後に、この言葉を抜き書きしておきます。

「貪欲(どんよく)より罪の大きなものはなく 足るを知らないことにより 大きな災いはないのである 

「欲得しか知らない者は ただ惨(みじ)めな咎(とが)めを受けることになるのである 

「足るを知る者は絶対に 戦争を起こすことはないのである」(第46章)

今、現在、日本で起きていること、そしてアメリカが何故戦争を引き起こしているのか、この言葉の中に言い表されていると思います。

老子・・・一度、触れてみていい”宗教書”だと思います。

また、お会いしましょう。




宗教関係でこれまでにわかったこと-その2

2012-04-04 11:15:36 | 宗教
少し暖かい日が続いたかと思えば、また寒波><;
融けた雪が凍って、歩道はツルツル
まぁ、毎年のことですが・・・・。

さて、前回の続きです。

(8)宗教は何故、色々な種類があるのか

あの世の構造が分かれば、この世に様々な宗教が生じるのは自明のことです。
あの世は3次元以上の多次元構造であり、そこには多様な存在形態があります。
3次元の現世から感じられる、あるいはその能力があれば移行できる多次元世界(あの世の一部)は非常に多様であり、多分、3次元空間である全宇宙より更に広大だと言っていいでしょう。
端的に言うと、3.1次元世界に3次元の全宇宙空間がスッポリとはまり、3.2次元世界は更に広いと考えればいいのです。
そこには膨大な霊達が存在し、彼らから得られる情報も多様なのです。
この3次元地球に関する限り、ある限定的な霊達が関わっているようですが、それでも彼らの表現をどのように受け取るかは、霊と交信できる人間の能力によって変化しますし、現代の宗教を眺めると、相当、いい加減な人間が教祖として偽宗教を広めているようです。
まぁ、それはさておき、一人ひとりの精神的・霊的向上が非常に大切なのだと思います。
私たちは遠い昔にこの地球上に降りてきた霊であり、それが連綿と現在の人間としての”命”を保ってきたのです。
ですから、”人間としての命”は大切なのであり、この世で為すべきことを完成させねばならないのです。
それが、私たち一人ひとりに課せられたこの世での課題であり、この世で為すべき課題を”思い出す”こと、或いは、前世に為した間違いを正し、或いは、前世で得られなかった情報を獲得し、或いは、前世で得られなかった生存を達成するなど、人それぞれで為すべき課題が異なるのでしょう。
現世の宗教はその手助けにすぎません。
シャーマニズムだって立派な宗教です。
むしろ、腐敗した現代宗教より、その純粋さにおいて人々の役に立つと言ってよいかもしれません。
宗教行為に優劣をつける行為は、最も真の宗教から遠い考えですし、恥ずべき非宗教的思考です。

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以上は2月7日に書いた部分です。

ここまで書いて、書くことがないことに気づきました。
そのうち、何か書くことに気づくだろうと思ったのですが、だんだんと気力も失せ、あっという間に4月になってしまいました。

今日は4月4日、昨日はだったのですが、今日はというより吹雪です。もう2~3cm雪が積もりました。
折角の春らしい土の香りがフイになりました

まぁ、そんな北海道ですが、もうすぐ春になります。今日降った雪もすぐにでも融けてなくなるでしょう。


さて、自分なりに宗教の勉強をしてきましたが、このような展開になるとは思いもよりませんでした。
当面の結論は、個々の宗教を云々しても埒(らち)があかないということです。
何故なら、向こう側から提供される情報は多岐(たき)にわたり、決して一面的な情報ではないからです。
しかし、情報を受け取る側-ここでは霊能者としておきます-は、一定の時代、民族的・歴史的体験と情報、個人的体験などに制約されており、受け取るべき情報も限定的にならざるをえません。
そのため、キリスト教ならばユダヤ教をベースにその教理が述べられ、仏教ならばバラモン教を土台として新しい教理を人々に提示したのだと思います。
そのような理由からどの宗教が正しいなどということはできないと言っていいでしょう。
ただし、胡散臭(うさんくさ)い宗教も世にはびこっていますので、その点は注意したほうが貴方のためになるでしょう。

現在はあまり書く気がしません。
また、何か思い付いたら宗教の探求をすると思います。
それまで、少々、”宗教の旅”はおやすみになるかも知れません。
ということで、途中まで書いた部分を復活してみました。

では、また、いつかお会いしましょう。