どんよりとした空。今日は曇りのち時々の予報になっていますが、どうなることやら。
朝の3時半近くに突然目が覚めました。
奇妙な夢をみて、目覚めたのです。
夢というのは全く理解のできない情景を創造しますが、今日みた夢に、何故か!?あのア、ソウーが出てきて私と会話を交わしているのです。
彼が私に問います。
「君は何故、政治の世界に入ってきたのかね?」
私が答えます。
「マルクスが想像した共産世界を超えた自由な人間の世界を創りたいと思うからです。そのためには、個々人が自立した意思を持たなければならないのですが・・・。」
とここまで答えた時、突然、エデンの園とR.A.モンローが霊体離脱してみてきたという概ね百万年前の世界が折り重なっていることに気づいたのです。
そこで、ハッと目覚めました。
スェーデンボルグやモンローも言っていますが、夢を見ている時の多くは霊体離脱しており、あの世で訓練しているのだそうです。
そのことはさて置き、モンローの「究極の旅」は3度ほど目を通しているのに、そのことに気づきませんでした。
多分、あちらの人が教えてくれたのでしょう。
『「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。・・・
・・・「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」』(聖書・創世記・2-24.25/3-22)
『二人は男性で二人は女性だった。これは簡単にわかった。みな、服を身につけていなかったから。・・・
「言いたいことはわかる。でも、虫もウイルスも我々と協調しているんだよ。ロバート。対立はないんだ。死ぬということについては・・・君の言う<死ぬ>ということを、我々は遠い昔にやめてしまったよ」・・・』(「究極の旅」39p~44P)
モンローが案内されて見てきたという約百万年前の人々は裸体で過ごし、会話はテレパシーにより行います。物は意識によって創造でき、天候も左右できます。天候を左右できるという能力は、霊能者の竹内満朋氏が晴天の日に雨を降らせてみせたというエピソードがあります。
まぁ、そいうわけで、エデンの園はこの地球上に存在し、神に管理されたアダムとイブではなく、そこにいた200万人強という人々は自立した超能力者であり、かつ、強力な連帯意識で結ばれていたということです。
モンローによれば、彼等は一斉にあるところに向かって旅立ったということでした。
旧約聖書の創世記にみられるアダムとイブの物語は、脚色された神話でありますけど、モンローが見せられた世界が事実であるとすれば、私たちは彼等のように物の支配の世界から抜け出し、精神の世界へと入ることができるということを意味しています。
とはいえ、私たちは”あちらの世界から来た住民”であるわけですから、死があろうが無かろうが、やはり、あちらの世界へ帰らなければならないのかも知れません。
こんなことを書いていましたら、ふと、かぐや姫の物語を思いだしました。
夢で見た話を、取り急ぎ、まとめてみました。
また、お会いしましょう。
朝の3時半近くに突然目が覚めました。
奇妙な夢をみて、目覚めたのです。
夢というのは全く理解のできない情景を創造しますが、今日みた夢に、何故か!?あのア、ソウーが出てきて私と会話を交わしているのです。
彼が私に問います。
「君は何故、政治の世界に入ってきたのかね?」
私が答えます。
「マルクスが想像した共産世界を超えた自由な人間の世界を創りたいと思うからです。そのためには、個々人が自立した意思を持たなければならないのですが・・・。」
とここまで答えた時、突然、エデンの園とR.A.モンローが霊体離脱してみてきたという概ね百万年前の世界が折り重なっていることに気づいたのです。
そこで、ハッと目覚めました。
スェーデンボルグやモンローも言っていますが、夢を見ている時の多くは霊体離脱しており、あの世で訓練しているのだそうです。
そのことはさて置き、モンローの「究極の旅」は3度ほど目を通しているのに、そのことに気づきませんでした。
多分、あちらの人が教えてくれたのでしょう。
『「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。・・・
・・・「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」』(聖書・創世記・2-24.25/3-22)
『二人は男性で二人は女性だった。これは簡単にわかった。みな、服を身につけていなかったから。・・・
「言いたいことはわかる。でも、虫もウイルスも我々と協調しているんだよ。ロバート。対立はないんだ。死ぬということについては・・・君の言う<死ぬ>ということを、我々は遠い昔にやめてしまったよ」・・・』(「究極の旅」39p~44P)
モンローが案内されて見てきたという約百万年前の人々は裸体で過ごし、会話はテレパシーにより行います。物は意識によって創造でき、天候も左右できます。天候を左右できるという能力は、霊能者の竹内満朋氏が晴天の日に雨を降らせてみせたというエピソードがあります。
まぁ、そいうわけで、エデンの園はこの地球上に存在し、神に管理されたアダムとイブではなく、そこにいた200万人強という人々は自立した超能力者であり、かつ、強力な連帯意識で結ばれていたということです。
モンローによれば、彼等は一斉にあるところに向かって旅立ったということでした。
旧約聖書の創世記にみられるアダムとイブの物語は、脚色された神話でありますけど、モンローが見せられた世界が事実であるとすれば、私たちは彼等のように物の支配の世界から抜け出し、精神の世界へと入ることができるということを意味しています。
とはいえ、私たちは”あちらの世界から来た住民”であるわけですから、死があろうが無かろうが、やはり、あちらの世界へ帰らなければならないのかも知れません。
こんなことを書いていましたら、ふと、かぐや姫の物語を思いだしました。
夢で見た話を、取り急ぎ、まとめてみました。
また、お会いしましょう。