虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

宗教とユダヤ教と秦氏

2008-01-25 12:58:53 | 宗教
異常な低気圧のせいで、大荒れの天気・・・のはずが、です。

ここ3~4日、ほとんど眠れず、漸く、昨日、睡眠がとれました。永遠に眠らないのかと思うほどでしたから、相当、脳から覚醒剤が放出されたでしょうねw。

そういうわけで、秦氏についてHPを調べてみました。5000件以上ありました。無論、重複表示があるので5000件以下ですが、相当、人気のある歴史上の謎の氏族だということが分かります。

秦氏人気は、日本の主要な神社に大きな影響を与えているからでしょう。
日本の神社は、日本人の伝統に根ざした宗教ですから、興味深い課題だといえます。

果たして、秦氏がもたらした宗教は何だったのでしょうか?
秦氏が朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたことは、多分、歴史的な事実だと思います。
定説とされるのは、3世紀ころ朝鮮半島南部にあった加羅・加耶の国から渡ってきたとされるようですが、元々、その国にいた人達はどこから来たのでしょうか?
何れにしろ、3~5世紀(はっきりした時代考証はされていないようです)ころ、日本に渡ってきたらしいことは確からしいですね。
そして、彼らが日本人の一部を形成し、特に、宗教的な影響を強く与えただろうといえます。

秦氏がもたらした宗教は、それ以前にあった宗教形態と混合しただろうことも、また否定できない事実だと思います。
秦氏の宗教的対応は、歴史的に極めて柔軟だからです。
自らの宗教的形態を持ちながら、あっさりと新来の仏教施設を造るなど、外面的に柔軟性をもっています。
こうした面から、秦氏は支配層には逆らわないが、自らの宗教的信念は貫く民であることが分かります。

こう言うと、すぐユダヤ人に結びつける人がいますが、その典型は日ユ同祖論です。
例えば、失われたイスラエル10部族の人達の一部が日本に来たなどですね。
まぁ、話半分にしておきましょう。否定も肯定もできませんからw。

ユダヤ教の経典(旧約聖書:律法、預言者の完成)は紀元前400~200年頃、ネヘミヤとエズラが完成させたと言われています。(ユダヤ人の歴史・上:ポール・ジョンソン著)
一方、北イスラエル王国が滅亡したのは、紀元前722年です。イスラエルの失われた10部族は、この時に起きています。
ユダヤ教の経典の一部が完成する300年以上も前のことです。
そして、彼らが混血し、他の宗教と混交していったことも明らかな歴史的事実なのです。
ですから、安易に日ユ同祖論を支持すべきではないというのです。
にも関わらず、日本の神社形式などに、ユダヤ(イスラエルというべきかも)教的な痕跡が残されていることも確かだろうと思います。
ダビデの星や菊の紋などは論外(古代の遺跡ではあちこちにあります!)ですが、ユダヤ的ではないかと思われるものもあるからですねw。

だから否定もできないw。

ところで、旧約聖書にあるモーセの話は作り話であることを、皆さんはご存知ですか?歴史的事実ではない?・・・確認されていないのです。

古代エジプトの王朝は、細かい歴史的出来事を記録したようです。
そこには、モーセも100万人を越すといわれるイスラエルの民もいないのです。
都合の悪いことは残さなかったのかも知れませんが、2~3人の逃亡者(エジプトからの)すら記録しているのに、全く痕跡がないということらしいです。
定説という言葉は使いたくないですが、モーセの話はキリスト教の歴史学や考古学では根拠がないとされています。

しかし、旧約聖書にはこと細かく記録されていますね。

元々、旧約聖書に記されている前半部分は、メソポタミアの様々な歴史や伝承から組み立てられています。別にユダヤ教の専売特許ではないのですね。
それが、一つの宗教の経典として、現代まで残されたにすぎないということに注意しておくとよいのではないでしょうか。

もう一つ。現代、ユダヤ人と称している人々は、旧約聖書にいわれるアブラハムの子孫ではありません。中には少々いるのでしょうが、大半は他の人々なのですね。ここは重要なポイントなので、覚えておく必要があります。
現代のユダヤ人は、ユダヤ教を信奉している人々なのであって、誰でもいいんですw。貴方もユダヤ人になれます! 神の恩寵をうけることができますので、ご安心を。

少々、脱線しました。

私は前回のシリーズで、ソロモンのシールや古事記の数字の話からカバラ的なものがあることを明らかにしました。
ですが、そこで秦氏=ユダヤ教と誤解を生むのではないかと危惧し、今日、この文書を書いています。

秦氏ですが、HPをあちこちみると、一つの疑問がでてきます。
どうも、誰も疑問に思っていないようですが、秦氏は一つの系統なのかという疑問です。
徐福の伝説があります。彼らも中国の文献では”秦”と呼ばれているというらしいですね。日本にも伝説が残っていますから、徐福たちが、日本に住み着いたということも充分ありえます。そして彼らは、秦(しん)から来たので”秦(はた)”と称したとしてもおかしくありません。
そして、弓月の君などの話。彼らも秦(はた)と称します。
どこかで錯綜しているのではないか?そんな疑問です。

新撰姓氏録は漢文なので、正確に読めません><;。

隋書倭国伝(608年)に”秦王国”の記述がみられ、秦王国の人々は中国と同じだと記されていますが、弓月の君の後裔が”秦王国”だとすると、当然、朝鮮半島南部からの渡来説が吹っ飛びます。つまり、弓月の君らは朝鮮半島を経過したに過ぎないという根拠になるからです。

これ一つをとってみても、定説なるものが如何に根拠のないものであるかわかりますよね。

特に、日本の歴史学者は宗教的視点を備えていないのではないか?と疑問に思っています。
神話は、神と神との戦いの歴史です。それほど重要な民族的位置を占めているにも拘わらず、どうもその視点が抜けているように思えてなりません。

その良い例が、様々なところで顔をだす道教説です。
定説となっていると書かれたHPをみると呆れてしまいます。
どうも呪術=道教らしいのですが、根拠を明らかにして欲しいですねw。

呪術なんて古代史や古い民族的な歴史ならどこでもでてきます。
シャーマニズムは自然発生的に生じます。宗教を紐解くと、それは自明のことだからです。
何故なら、霊的な世界に感応できる人がいれば、いつの時代でも呪術は生じるからです。現代でもそれはあります。

ですから、シャーマニズムから様々なものを飲み込んで発達した道教・説は根拠のない暴論といっていいでしょう。
更に研究して欲しいと思います。
逆に、私も少し道教を勉強することにしたいと思います。
批判がましいことを書きましたが、秦氏は謎だらけです。
今後、何か気が付きましたら、また、秦氏と宗教との関係についてご報告したいと思います。

では、またお会いしましょう。



















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