虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

突然ですが、イエスについて

2008-02-13 16:10:06 | 宗教
昨日の夜から。今年は積雪も少ないと思っていましたが、ちゃんと帳尻を合わせてきます。

最近、私のブログにコメントは来ないのですが、久々に「宗教への思い」というトラックバックがありましたので、拝見させていただきました。
ご挨拶ていどのコメントを書いてこようかと思ったのですが、「怒り」についての記事だったため、余計なことを書きそうで中止しました。
この場を借りて、お礼申し上げます。

私もイカ玉人間なんで、「怒り」について思うことはあるのですが、やはり人間、怒らないに越したことないですよね。

ただ、人間社会、人間関係においてはどうしても「怒らなければならない」事態も生じます。

何かの仏典に書いてありましたが、釈迦族(ゴータマさんの部族)が攻められ、殆ど皆殺しにされたようですが、ゴータマさんの心中はどうだったのでしょうか?
無論、解脱したゴータマさんが、怒りに燃え、復習を誓うなんてことはありませんね。

新約聖書をみると、イエスがエルサレムに行き、神殿の庭で商いをしていた人々を追い払う場面があります。

『宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。』(マタイ21-12~13)

星一徹なみですねw。:解説・・・星一徹は、巨人の星にでてくるちゃぶ台返しの親父です。(皆、知ってるかw)但し、ちゃぶ台返しは一回だけだそうです。

この、イエスの場合、<怒った>ということなんでしょうか?
イエスも怒る時は怒るんですね。きっと。イチジクも実が無いといって枯らしてしまうし。

ん~。これはちょっと違うかも。イエスは神殿批判をしてますから、かなり演技ぽいですね。書くのをやめて、飴をなめっていたら、そんなことに気づきました。
先ほどの引用の次がこうなってます。

『そして彼らに言われた。「わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである」と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている』(マタイ21-13)

神殿体制で裕福な暮らしをしている祭司達に対する痛烈な批判なんですね。
両替商やはとを売る商人は、とばっちりを受けたというところでしょうかw。

ですから、かなり演技臭いと思います。敢えて、そうした行為をとったということでしょう。

怒りの話から、イエスの話に入ってしまいました。

最近、「ヨハネによる福音書」をなんとなく読んでいたのですが、良く考えてみると、聖書の言葉は少々知っていても、肝心のイエスについて余り知らないのではないかと思ったわけです。

聖書=イエスのことを思うでしょうが、そうでもないんですね。だいたい、イエスの生年月日さえ、分からないのが現状です。
西暦なんて暦で使っていますが、イエスの生誕年を元年としています。が、これは間違いで-どうも計算違いだったらしい-、イエスの誕生はBC4年~6年と考えられています。BC4年=AD1年とすると、現在は2012年ということになるんですね。

12月25日はクリスマス=イエスの誕生日とされていますが、これは嘘らしい。ハッキリしたことは分かっていませんが、焚き火をしたという記述から寒い時期だったことが確認できます。(「イエス降誕の奇跡」に関する調査報告-ユダヤ議会に宛てたヨタナンの書簡:『封印のバチカン文書』)

また、イエスが伝道を開始する以前の動向は、全然、分かりません。
そんな訳で、日本にイエスが来たなんていう話が生じるわけです。日本に来たなんていうことはありませんけどw。鵜呑みにしている人もいるようです。残念でしょうが、日本には来ていません!
妄想に取り付かれる人の話と、本当の意味で霊視できる人の話は分けていかねばなりません。


妄想と霊視の話は、何れしなければならないのですが、今回はナシにします。

そういう訳で、ナザレのイエスについては意外と知らないことだらけなんです。
で、一回、まとめてみようかな思うわけです。
少々、<妄想>も入りますが、その点は大目にみて下さい。

では、次回から、開始!しょうかなw。




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