桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

桜燕日記 May 9, 2019

2019-05-09 | 桜燕日記
 大阪生まれ沖縄在住の10歳のYouTuber、ゆたぼんさん。先日、沖縄の地元紙・琉球新報に取り上げられ、一躍、時の人となった。
 YouTubeでは少年革命家 ゆたぼんを名乗り、ハイサイまいど!で始まる楽しい動画を提供しつつ、いじめや不登校に悩む子や親に、不登校は不幸じゃない、と強いメッセージを発信している、という。 

 彼の活動には父親の教育方針が絡んでいるという情報もあり、もちろん手放しでは応援できないところもある。学校に通い続けることでロボットになってしまう、ロボットになるな、と訴えているゆたぼんさん自身が親のロボットになっているのでは、と心配する声も上がっているという。
 もしも彼が自分自身の意思ではなく、父親の影響によって学校に行かないという選択をしたのであれば、ネグレクトにあたる可能性もあり、あまり褒められるようなことではない。

 一方で、学校を絶対視する考え方にも、やはり同意はできない。
 私の場合、新学期の初日に渡された教科書は、だいたいその日のうちにひと通り目を通していた。もちろん、その時点ですべての内容を把握、理解していたわけではない。しかしながら、仮に毎日学校に通い続けなくても、自分で考えたり覚えたりすることはできていたと思う。
 自学自習でもそれなりに勉強が進みそうなこどもに、学校に通って他の児童や生徒と机を並べる、というスタイルを義務として課す必要があるのだろうか。

 また、私は小学生の頃、いじめにも遭っていた。
 特に最後の2年間は、毎朝猛烈な吐き気に襲われながら、なんとか気持ちを落ち着かせ、ぎりぎりの状態で通い続けていた。学校には通わなければならないものである、という絶対的価値観が、自分のまわりにもあったし、自分自身にも強迫観念のように存在していた。
 中学や高校では、多少の嫌がらせは受けたものの、小学生の頃に受けたいじめで免疫がついたためか、辛い思いをすることはそれほどなかった。

 ところが。
 私が高校3年生になった頃から、いじめにより児童・生徒が自死を選ぶ事件が相次ぎ始めた。そんな中、文部省(現在の文部科学省)の幹部による、いじめで自死を選ぶくらいだったら学校に行かなくてもよい、という主旨の発言があった。
 ちょっと待て。冗談じゃない。私は、学校に行け、といわれたから行っただけだ。行きたかったから行っていたわけではない。登校を渋りかけたときに担任が自宅に押しかけてきたことがあり、これ以上ややこしいことにしたくなかったから、また当時PTA会長をしていた私の父親の顔を汚したくないという思いから学校に通い続けただけだ。毎日猛烈な吐き気に襲われながら通い続けたあの日々は、いったい何だったのか。
 いじめで壊れかけながら、それまでどうにか誤魔化し、取り繕ってきた私のココロが、完全に崩れた瞬間だった。

 改めて、言いたいこと。
 学校に行くか行かないかは、自分自身で決めていい。学校に行け、という言葉も、学校になんて行かなくていい、という言葉も、そのままストレートに受けず、自分で考えて選んだ方がいい。
 学校に行け、と強制するおとなは、学校に行ったことでこどもがココロを壊されても、責任をとらない。学校になんて行かなくていい、というおとなは、学校に行かなかったことでこどもが将来苦労することになっても、責任をとらない。おとなは、無責任である。
 だから、学校に行くも行かないも、こどもが自分自身で考えて、選んだ方がいい。学校に行ったことでココロを壊された、元・こどもより。