桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

桜燕日記 Jul. 31, 2019

2019-07-31 | 桜燕日記
 早いもので、7月も今日で終わり。
 あと2か月足らずのうちに、またひとつ歳を重ねる。

 先行き不透明な現状の中、それまでに何か一つでも変われば良いな。
 ‥‥いや、変わらなければならない。

 何から手を付ければ良いのか分からないくらい、雑然とした気持ち。
 一つひとつ、ゆっくりでも着実に、片付けてゆくしかない。

 明日は明日の風が吹く、とは限らない。
 風が吹かないならば、自分から風を吹かせてみせる‥‥なんて、言ってみる。

桜燕日記 Jul. 30, 2019

2019-07-30 | 桜燕日記
 スマートフォンに買い替えて、2週間が経過した。絵
 使いこなすまでにはまだ相当の時間がかかりそうだけど、操作にも少しずつ慣れてきた。

 それにしても‥‥。
 機種にもよるけど、最近は取扱説明書が付いてこないのか。とりあえず、インターネットで検索して、オンラインの取扱説明書はお気に入りに登録したけど、スマホの操作をパソコンで確認する、というのも、なんか変な感じ。

 今日の夕食は、訳あって、久しぶりの丸亀製麺。
 夏季限定メニューの、鶏チャーシューねぎだれぶっかけうどん。軟らかい鶏チャーシューに、スパイスが効いてピリ辛な感じが、なかなか良い。
 ‥‥スマホを持っていたのに、写真を撮るのを忘れてしまった。残念。

 夜は、ソフトバレーの練習。
 20時だというのに、体育館に設置された温度計を確認すると、33℃を示していた。とにかく、こまめに休憩し、しっかりと水分を補給しながら練習に励んだ。

 こんな感じで、今日という日は慌ただしく通り過ぎていった。

桜燕日記 Jul. 29, 2019

2019-07-29 | 桜燕日記
 今月8日に予定されていた、地域のコミュニティー事務局がある建物の草刈り。
 降雨のため、直前になって延期となった。

 梅雨も明け、雨の心配もしばらくは無いだろう、ということで、今朝、草刈りに行ってきた。
 前回同様、集合時間は午前7時。かなり眠かったけれど、どうにかこうにか身体を起こして出かけた。約1時間の作業で、だいぶ草を刈ることができ、建物周りがすっきりした。

 考えなければならないことはあるけれど、とりあえず、目の前にあるものを一つひとつ片付けてゆこう。
 一度っきりの人生、後悔しないためにも。

 ‥‥なんとなく、今日はそんな感じでした、ハイ。

桜燕日記 Jul. 28, 2019

2019-07-28 | 桜燕日記
 今日は過去のお題から、ブログ記事のネタを拾うことにする。
 そんな訳で、今回のお題は今日のごはんについて。

 我が家の日曜日の夕食は、弁当屋へ弁当を買いに行くことになっている。
 以前はほっかほっか亭にも買いに行くことがあったが、ここ数年はほぼ毎回、ほっともっとで買うようになった。その一番大きな理由は、ほっともっとではインターネットを通じて注文することができる、というところにある。
 店頭で待つ時間の短縮を図るために、前もって予約を入れ、指定した時間に取りに行くことにしている。仕事をしていた頃は職場でしょっちゅう電話をかけていたので、電話で注文するのもそこまで苦手ではなくなったけれど、それでも変に緊張してしまうときがある。その点、インターネットで注文する方が気楽でもあるし、また、内容を目で確認しながら注文できるので、注文間違いなどのトラブルを減らすこともできる。

 ちなみに、今日のメニューは、カルビ焼肉。
 炊飯器の中にご飯が少し残っていたので、おかずのみメニューを選択。

 ここ最近、体重の減少傾向に歯止めがかからないので、少しでもスタミナの付くものを摂らなければ、ということで。
 ‥‥なんて理屈を捏ねてみたけれど、実際のところは、ただ単に肉が食べたかっただけである。

桜燕日記 Jul. 27, 2019

2019-07-27 | 桜燕日記
 神奈川・相模原市で発生した、知的障碍者施設における大量殺傷事件から、昨日で丸3年が経過した。
 事件を起こした犯人は、その施設の元職員。逮捕後の取り調べで元職員が語った動機に衝撃を受けたことを、いまでも覚えている。

 私自身、先天性の難病を抱えて生まれてきた。
 幸い、幼い頃に受けた手術が功を奏し、知的障碍を抱えることはなかったが、一歩間違えれば、被害者の方達と同じ立場になっていたかも知れない。そう思うと、決して他人事とは思えなかった。

 また、事件を通して明らかになったのは、元職員の供述を支持したり、元職員と似たような考えをもったりする人が、世の中には少なからず存在する、ということ。
 私自身、まったく長生きしたいとは思わないし、安楽死を選択することができるのであれば選択することも考えなくはないけれど、誰かに殺されたり、安楽死することを強制されたりしたいとは思わない。ああいう人達は生きている価値はない、などと勝手に決めつけることなど、決して許されるものではない。

 一方、戦後最大の犠牲者が出た殺傷事件であるにも関わらず、事件そのものが風化してきている、という一部報道もあった。
 犯人を支持する声を聞くのも辛いけれど、無関心でいられるのも、それはそれで辛い。

 この事件、私は死ぬまで、関心を持ち続けていきたい。