桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 15

2018-05-12 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、岡山駅での滞在時間は、2時間弱。
初日と異なり、この日は晴天ではありますが、初日に目をつけておいたあのお店に行くとなると、いろいろ見物する時間は無さそう。

‥‥ということで。
行ってきました、いきなりステーキ・岡山一番街店。



まずは、サラダにスープ。



ヒレステーキ・250g。

焼き上がりはレアで、美味しくいただきました。
ピンボケしてしまったのが残念ですが‥‥。

4月ということで、新入りと思しき店員さんが、先輩店員さんにいろいろ指導されていました。
心の中で思わず、頑張ってください、とエールを送ってしまいました。

さて、少し早いですが、新幹線改札を通り‥‥。



改札内にあるカフェ・マスカットで、アイスカフェラテを堪能。



岡山駅・新幹線下りホームの駅名標。



岡山駅・22番のりばに入線してきた、新幹線N700系電車

岡山 1758 -【九州/山陽新幹線・さくら567号】- 2015 新大牟田

帰りの新幹線でも、行きの新幹線同様、ホットコーヒーとアイスクリームをゲット。
ゲットした直後に到着した福山から、隣に客が乗ってきたので、ぎりぎりセーフ、でした。

‥‥以上で、今回の旅日記、おしまい。

今回で、2014年より毎年続けてきた"乗り鉄"の旅も、いったんお休みしようと思います。
岡山県の鉄道全線完乗を果たしたことで、九州に続き中国地方も制覇し、自分の中にある程度の達成感が生まれた、というのもありますが、先立つものがないので、旅に出るどころではない、というのが一番の理由です。

‥‥とはいえ、そのうち、またふらっと次の旅に出てしまうかも知れませんが。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 14

2018-05-11 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、いよいよ、高松を出る時間となってしまいました。



高松駅のスマイルを、正面から撮影。



高松駅・5番のりばに停車中の、岡山行き快速・マリンライナー。
5両編成で、前方2両はJR西日本223系電車(5000番台)、後方3両はJR四国5000系電車となっています。

後方の車両、写真を撮るのを忘れてしまった‥‥。



なんとなく、綾鷹。

実はこのとき、ちょっとしたハプニングが発生してしまいました。

電車に乗り込んだものの、飲み物が欲しくなり、いったん降りたんです。
‥‥で、お茶を買いました。電車に戻りました。

あっ、最初に私が座っていた席に、他の人が座っちゃってる。
‥‥まあいいや。

そういえば、最初に乗り込む前に撮った電車の写真、ちゃんと撮れているだろうか。
デジカメ、確認しよう。

‥‥って、あれ?無い!
というか、さっき電車の写真を撮ったばかりのに、なんでデジカメが手元に無いんだ?

そのうち、座られてしまった席の隣に、後からもう1人、乗り込んでこられました。
どうやら、最初に座っちゃっていた人と、後から座った人は、夫婦だったようです。

‥‥そこで、私、ピンと来た。

急いで駅事務室へ行き、駅員さんに問い合わせ。
‥‥やっぱりね。

忘れ物として、届けられていたのでした。

列車の発車時刻までには余裕があったし、すぐにピンと来たので事無きを得ました。
現在のところ、これが今年最大の"ヒヤリハット"案件ですね、ハイ。

一方、発車を待つ間に、とある案内放送が。
これについては、また後ほど。

高松 1440 -【瀬戸大橋線・マリンライナー40号】- 1532 岡山

高松駅を出ると、電車はしばらく予讃線を西進。
坂出駅を出て、しばらく行ったところで‥‥。



いよいよ‥‥。



見えてきました。



右へ大きくカーブし、上下線が大きく分かれます。
この後、岡山方面へ向かう上り線は、宇多津・丸亀方面へ延びる線路の下を通過。



宇多津から延びてきた線路と、合流。

瀬戸大橋線の一部、本四備讃線の正式な終点は、宇多津駅。
ただし、高松方面からのマリンライナーは、宇多津駅の手前で分岐する短絡線を通って、瀬戸大橋へ向かいます。

"またのお越しを"の文字が見えます。
また行きたいですね、ハイ。



今度は、瀬戸中央自動車道の高架橋が近づいてきました。



徐々に、間近に迫ってきて‥‥。



線路の上に。



下が線路、上が道路の二層構造となっています。
正面に見える、ひょうたんみたいな形の島が、小瀬居島。



向こう側に、五色台と、沖合に浮かぶ小槌島が見えます。



中央やや左寄りに、大槌島も見えます。



手前が鍋島。
鍋島は、与島と繋がっていて、歩いて渡ることができます。

左奥にあるのが、小与島。



電車は、与島の上を通過していきます。
橋の下に海が見えないから、ここはすぐ分かります。

四国本土と与島との間は、南備讃瀬戸大橋と北備讃瀬戸大橋という2本の橋で結ばれています。
ただし、電車内からは、この2つの境界はほとんど分かりません。

なお、"備讃"というのは"備中"と"讃岐"を結んでいるという意味だと思いますが、両大橋とも全体が香川県に属しています。



進行方向右側に、次の橋がちらりと見えます。
橋桁の間の撮影、タイミングが難しかった。

なお、電車で与島へ行くことはできませんが、自動車道にはインターチェンジが設けられていて、本州や四国本土からのバス路線もあります。



与島橋。
大槌島、橋桁に隠れてしまっています。



途中から岩黒島橋になりますが、この2本の境界線もよく分かりません。



岩黒島の上を通過。
こちらも有人島で、与島と同じく電車で行くことはできませんが、自動車道上にバス停が設けられており、バスで行くことは可能です。
ただし、インターチェンジは島民のみ利用可ということで、マイカーでは行けないようです。



正面に見える平べったい島が、室木島。
その左にあるのが、釜島。

室木島は香川県坂出市ですが、釜島は岡山県倉敷市。
両者の間に県境があります。

ちなみに、電車はまだ、香川県坂出市を通過中。



櫃石島橋を通過中。

釜島の向こう側に広がるのは、児島半島。
その奥に、直島。

室木島の奥に大槌島があって、その向こう側に女木島や男木島があるものと思われます。
小槌島と五色台の奥に見える陸地は、屋島あたりでしょうか。

こう見ると、本州と四国って、意外と近い。



櫃石島に入ります。
手前に見える島は、歩渡島。

与島と鍋島同様、櫃石島と歩渡島も繋がっていて、文字どおり歩いて渡ることができます。
もともと砂州によって自然に繋がった陸繋島なのか、それとも人工的に繋げてあるのかは、橋の上からは確認できませんでした。



櫃石島の上を通過中。
島の真上を通っている部分は、橋桁もないので、視界も良い。



櫃石島も岩黒島同様、自動車道上にバス停が設けられており、バスで行くことは可能です。

櫃石島は、瀬戸大橋の通る島では人口が最も多く、面積は与島の次に大きい、とのこと。
人口が多いといっても、200人台ですが。



電車は下津井瀬戸大橋へ。
橋の中ほどで、香川県から岡山県に入ります。



右手前に見えるのは、松島。
奥は釜島です。



いよいよ、本州が間近に迫ってきました。



以上、瀬戸大橋、でした。

電車は、瀬戸大橋を岡山側に渡った最初の駅、児島駅に到着。

児島駅は、JR四国とJR西日本との会社境界駅となっています。
乗務員も、JR四国の乗務員さんからJR西日本の乗務員さんに交代します。

さて、高松駅を出発する前に、とある案内放送があった、とお伝えしました。
内容は、当日の14時過ぎ、備前西市駅で、信号機のトラブルが発生した、というもの。

その影響で、児島駅に到着した時点で、交代する筈の乗務員さんが、まだ到着していなかった。
乗務員さんが到着するのを待って、10分ほど遅れて出発。

なお、ダイヤが乱れた関係で、私が乗った電車の1本後、マリンライナー42号は、運転とりやめとなりました。
当初の予定では、マリンライナー40号・42号・44号のいずれかに乗ることにしていましたが、42号は運転とりやめ、1本後の44号は42号に乗るはずだった客も乗るだろうから激混み必至、ということを考えると、結果的に40号に乗って大正解でした。

そんなこんなで、岡山へ。
時刻表上の時刻より、10分ほど遅れての到着となりました。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 13

2018-05-10 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

高松港界隈の散策もひと通り終わったところで、高松観光、最後のスポットへ。



玉藻公園。
高松城跡に整備された公園です。



高松城・西門。
高松城跡には天守閣は無いのですが、入園料は200円と手頃な感じなので、入ってみます。

なお、上の2枚の写真、撮ったのは初日の夕方。
このときは、公園内に入るつもりはなかったのですが、せっかくだと思ったので。

こちらは窓口で入園料を払い、手渡しでパンフレットをもらいました。



栗林公園ほど大規模ではありませんが、こちらもツツジが綺麗でした。



鞘橋。
二の丸から本丸へ続く唯一の動線となっていて、攻め込まれたときはこの橋を落として本丸を守るしくみになっていたそうです。

現在の鞘橋は、老朽化により1971年に解体修理されたもの。
さらに、2011年には、天守台石垣の復元に伴い、本丸側の一部が解体修理されています。



鞘橋内部を、西門のある二の丸跡から本丸跡へ。



逆に、本丸跡から二の丸跡へは、こんな感じ。



本丸側の、鞘橋入口。



鞘橋から、西方を望む。
お濠の向こうに、ことでん・高松築港駅のホームが見えます。



お濠に、魚が泳いでいました。

高松城のお濠は、瀬戸内海と水門で繋がっています。
なので、城のお濠に、真鯛が泳いでいたりする、とのことです。

‥‥ということは、この魚って、もしかして、鯛?



反対側の東方は、こんな感じ。



少し、角度を変えて。



本丸跡の天守台(展望デッキ)から、西方を望む。



こちらは北東方。
お濠の向こうには、披雲閣庭園が広がっています。



天守台については、もともと築城された当時の原型が再現されています。
天守台に向かう石段も、段差や幅が不揃いだったりするので、下りるときは特に注意が必要です。



本丸跡、天守台を下りたところも、藤の花が咲いていました。
余談ですが、藤の色、私が一番好きな色だったりします。

再び二の丸に戻り、水門を通って東側へ。
水門の近くには、城舟体験や鯛へのエサやりが体験できる場所があります。



先ほど、天守台から見えていた披雲閣庭園に、やってきました。



披雲閣の建物に、白いツツジが映えます。
中央に聳え立つ松は、昭和天皇のお手植松。



白い花の中に、ピンクがちょびっと混じっています。



こちらは、一面ピンク。



川っぽくなっていますが、水は流れていません。



園内は、ご覧のような飛び石が敷き詰められています。



ちっちゃな辛夷の木を発見。
これからの成長が楽しみです。

"こぶしファクトリー"も、いろいろあったけど、これからも頑張っていってほしい。
‥‥うん。



小さな石橋の上を歩きます。
下を通る川には、水は流れていません。

枯山水‥‥じゃない。
枯川です。

披雲閣を出て、公園の北側へ。



渡櫓。

櫓の中央に、縦の線が見えます。
高松城が生駒家から松平家に引き継がれた際に、継ぎ足されたといわれています。

どちら側がもともとあった石垣で、どちら側が継ぎ足された石垣なのかは分かりませんが。



渡櫓から続く、水手御門。



そこからさらに、月見櫓へと繋がっています。



月見櫓を、別の角度から。



塀の向こうは、瀬戸内海。
かつては、もっと海岸線が近かったものと思われます。

ここから先は行き止まりなので、先ほどの披雲閣庭園を抜け、お濠の脇の道へ。



お濠の向こうに、鞘橋。



披雲閣は、こちらが表側。

明治維新後に老朽化のため取り壊されていましたが、1917年に再建されました。
2012年には、国の重要文化財に指定されています。


現在は、部屋の一部を予約制で貸し出されているようです。



日本一を誇る高松の松盆栽。

松は、盆栽程度が一番いいかも知れません。
個人の家に大きな松があると、とにかく手入れが大変なので。



外側が薄いピンク、内側が濃いピンクの花をつけた、ツツジ。



桜御門跡。
披雲閣の方から出てきてから、振り返って撮影したものです。

こちらも、修復工事が行われていました。



松の馬場。



恐らく、ここで集合写真を撮るのでしょう。



西門から入ったので、帰りは東門(大手門)から出ることにします。



東門を出たところから、艮(うしとら)櫓を撮影。

本当は公園内から撮りたかったのですが、艮櫓へと続く階段のところで、おっちゃんが座って何かやっていたので、外から撮りました。
‥‥他人の姿は、できるだけ写真に収めたくない。

東門は高松駅とは反対側になるので、いったん西門の方へ戻らなければなりません。
なので、南側をぐるりと回ります。

ことでんの踏切を渡り、瀬戸大橋通りへ。



ことでんの線路。
瀬戸大橋通りとお濠に挟まれているのが分かります。



高松築港行きの電車が、やってきました。



列車は、そのまま高松築港へ。
お濠に沿って走るので、この先、線路はかなり急なカーブを描いています。

瀬戸大橋通りをしばらく進み、中央通りとの交差点で右折。
そこから少し歩いていると、踏切の警報機の音が鳴り始めた。



ほんの5分ほど前に高松築港へ向けて走った電車が、早くも折り返してゆきました。
一応、ここは踏切ですが、踏切を渡った先はすぐに行き止まりとなっており、なぜこんなところに踏切が?という感じでした。



中央通り沿いの緑地帯を北に進むと、高松築港駅のホームが見えてきます。

高松築港駅を通り過ぎ、サンポート高松玉藻交差点から、水城通りを東進。



水城通りを挟み、月見櫓を撮影。



報時鐘。

松平家の初代藩主・松平頼重公が、城下の人々に時を知らせるために設けた鐘楼です。
明治維新後、高松市庁舎にサイレンが設置される1928年まで使われていた、とのこと。

もともとは高松城の西南方、外濠土手に設置された報時鐘ですが、その後、数度の移転を経て、1980年に現在の水城通り沿い、高松城址の北側に設置されました。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 12

2018-05-09 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

栗林公園北口 1018 -【高徳本線】- 1024 高松



高松駅に到着しました。

高松駅は予讃線と高徳線の始発駅。
予讃線は松山を経て宇和島まで、高徳線は徳島までを結んでいます。
ただし、駅番号は予讃線が"Y00"と高松から付番されているのに対し、高徳線は終点の徳島から付番され、高松は"T28"となっています。



栗林公園北口から高松まで乗ってきた、JR四国1500形気動車
前日に志度から造田まで乗った列車と同じ形ですが、こちらは2両編成でした。

高松駅から、再びの高松港へ。



一日目に乗った、四国フェリー(四国急行フェリー)。

運航本数が少なくなった現在では、この"第一しょうどしま丸"が、1隻で高松・宇野間を往復して頑張っています。
もともとは小豆島航路で使われていた船が、名前を変えることなく高松・宇野航路へ転属したため、小豆島に行かない"しょうどしま丸"となっています。



沖合に延びる防波堤と、その先にある赤灯台。
せっかくなので、行ってみます。



防波堤、赤灯台に向かって右側。
四国フェリー(四国急行フェリー)が、宇野へ向けて出航してゆきました。



左側に目を向けると、女木島が手前に見えます。

奥に薄く見えるのは、対岸の児島半島。
この日は晴れていたので、初日より鮮明に見ることができました。



再び右側。
後ろを振り返り、サンポートのビル群を望む。



今度は小豆島フェリーが、小豆島の土庄港に向けて出航してゆきました。
小豆島フェリーも、四国急行フェリーと同じく四国フェリーの子会社です。



今度は高速艇が、高松港へと入ってきました。
いろんな船の往来を眺めるのも、なかなか楽しいものです。



赤灯台、到着。
沖合右側にあるのが小豆島、一つ島を挟んだ左奥が、豊島(てしま)です。

豊島といえば、かつては産業廃棄物問題で揺れた島、ということで有名でした。
その後、廃棄物の処理は終わりましたが、依然として環境への影響は残っているそうです。

本来は瀬戸内の美しい島の一つであるだけに、そういうことで名が広がるのは残念な話。
私の住む大牟田も、未だにマイナスイメージで語られることが多いし。

‥‥大牟田の話はここでは関係ないので、先に進みます。



防波堤、赤灯台に向かって右側の沖合。
先ほど出航していった小豆島フェリーと、こちらに向かってくる別の船が見えます。



防波堤、赤灯台に向かって左側から。

右端に見えるのが女木島。
真ん中に見える、三角形の小さな島が、大槌島。
左端は、高松市の西、五色台から瀬戸内海に突き出た大崎ノ鼻と、その沖合に浮かぶ小槌島。
向こう側に広がる陸地が、児島半島です。

女木島の横を通過しているのは、先ほど宇野へ向けて出航していった、四国フェリー(四国急行フェリー)です。



再び、赤灯台に向かって右側から高松市街地を撮影。
右に行ったり左に行ったり、さっきから忙しい。

防波堤では釣りを楽しむ地元の方も多く、四国方言が飛び交っていました。
関西弁じゃないけど、関西弁に近い、そんな感じ。



先ほどからこちらに向かってきていたフェリーの姿が、大きくなってきました。
こちらは、小豆島国際フェリー。

先ほど出航していった小豆島フェリーとは、別の会社です。
また、小豆島フェリーが高松港と小豆島の土庄港を結んでいるのに対し、小豆島国際フェリーは高松港と小豆島の池田港を結んでいます。

高松港と小豆島を結ぶフェリーとしては、ほかに小豆島の草壁港を発着する内海(うちのみ)フェリーがあります。
土庄港は土庄町に、池田港と草壁港は、それぞれ小豆島町として合併する前の旧池田町と旧内海町にあり、平成の大合併が始まる前の3町それぞれに高松からのフェリー発着港があることになります。




防波堤から中央埠頭へ。
海へ下りていく階段から、再び児島半島方面を撮影。



こういうモニュメントって、真ん中の部分に人が入って撮影するのが正解なんでしょうけど。
せっかくなので、撮ってみます。

このモニュメントには、"MATAKITENE"という名が付いているそうです。
"また来てね"か‥‥また来る機会、あるといいな。



サンポート広場の一角にある、噴水。
写真ではまったく分からないかと思いますが、中央の柱から、絶え間なく水が滴り落ちています。



サンポート高松、中央埠頭にあるレストハウス・ミケイラで、少し早めのランチ。
まずは、サラダに、アイスコーヒー。



鉄板に乗ってきた熟成ハンバーグに、パン。
値段の割に、ハンバーグ、ちっちゃ!と思ったけど、肉厚で美味しかったので、まあ良しとします。



サンポート広場より、シンボルタワーを望む。



サンポート広場の一角にある、どでかいアート作品。

タイトルは、"国境を越えて-海"。
台湾を襲った大型台風により崩れた山から流れ出た流木をメインに、台湾原産の木材を使って造られています。

この作品のモチーフは、船。というか、宇宙船かな?
船首に子どもを乗せ、北極星を頼りに、宇宙へと旅立っていくところを表している、とのこと。



高松港旅客ターミナルビルの1階にある、宇高連絡船鉄道線路モニュメント。

高松港周辺は再開発が進み、宇高連絡船が運航していた当時の面影はまったくありませんが、密かにモニュメントとして残されていました。
高松駅とフェリー乗り場を行き来するときは、ペデストリアンデッキから旅客ターミナル2階部分を経由する形となり、わざわざ1階に下りると遠回りになるし、この場所自体がとにかく目立たないので、思わず見逃してしまうところでした。



サンポート高松・シンボルタワーのホール棟屋上広場より、児島半島方面を望む。
初日はタワー棟の屋上広場に上がったので、最終日はホール棟の屋上広場に上がってみた。

両者とも建物の8階部分にあり、場所的にも隣り合っていて、高さもほぼ同じ。
ただ、タワー棟の屋上広場は、30階まであるうちの8階なので、屋上というよりはテラスに近い。
一方、こちらのホール棟は正真正銘、この8階が最上階です。

ところで、ホール棟のエレベーター、8階まで行くものと、7階までしか行かないものがある。
ただ、▲ボタンをいくら押しても、やってくるのはなぜか、7階までしか行かないものばかり。

エレベーターホールの向かって右側のやつは8階まで行きますが、左側のやつは7階までしか行きません、って書いてあるから、右側の▲ボタンを押しているのに、なんで左側のやつばかりが来るんだい?
このままじゃ、8階、行けないじゃないか。

‥‥あ、そっか。

とりあえず、2回目にやってきた、7階までしか行かないエレベーターに乗り、7階まで行く。
で、7階のエレベーターホールで、▲ボタンを押す。

こうして、無事に8階まで辿り着くことができました。
やれやれ。



ホール棟の屋上広場より、防波堤や赤灯台方面を望む。



屋上広場より、高松港の東方を望む。

正面に見える平たい丘は、屋島の戦いの舞台となった、屋島。
平家物語に出ても出てくる、弓の名人・那須与一が、扇を矢で見事に射抜いたとされる場所です。



高松港に停泊中の、オリーブマリン。
高松と土庄港を結びます。

高松と小豆島を結ぶフェリーや高速艇、路線が豊富ですね。



サンポート高松から10分ほど東に歩いていったところに、宇高国道フェリーのりばがあります。

一日目のレポートでも紹介しましたが、宇高国道フェリーは、2012年に運航休止となっています。
フェリーポートには、運航されないままのフェリーが、静かに佇んでいました。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 11

2018-05-08 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、最終日。

ホテルでチェックアウトを済ませ、高松駅のコインロッカーに荷物を預け‥‥。



駅構内にある商業施設・COM高松にある、UCCカフェプラザで、モーニングを堪能。

高松駅前から中央通りへ出て、ひたすら南へと歩くこと、約25分。



栗林公園に、到着。
国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中でも、最大の広さを持つ庭園です。



入口を、正面から。

栗林公園は日の出とともに開園され、日の入りとともに閉園となります。
4月は、朝の5時半から開園、とのこと‥‥早っ。



券売機で入園券を購入し、いざ、入園。
相変わらずのピンボケぶりですが。

入園券を千切ったりハンコを打ったりされることなく、そのまま入園してしまったのですが、良かったのか?
係員さんの姿も見当たらないまま、その辺のおっさんみたいな人が、タメ口で"パンフレットもろた?"なんて声をかけてきたので、慌ててパンフを取った。
‥‥もしかしたら、その辺のおっさんみたいな人が、係員さんだったのか?

とりあえず、入園。



この時期に綺麗なのは、やっぱりツツジですね。



ツツジ、もう1枚。



石梁にて。



水面に、無数の浮草。



芙蓉沼の一角で、気持ちよさそうに歩くアヒル。
‥‥って、これ、レプリカですが。

芙蓉沼、夏には一面に蓮の花が綺麗に咲く、とのことですが、この時期は枯れ草のようなもの覆い尽くされていたので、写真は撮りませんでした。



群鴨池。
高松市街地のビルが、水面に映ります。

水面にビルが映る風景、個人的に好きなのです。
都会のオアシス、という感じがして。



少し広いところに出てきて、もう1枚。



花菖蒲もまだ開花していないので、花菖蒲園の傍のツツジを撮影。



以上、北庭回遊コースの模様をお伝えしました。

北庭回遊コース、パンフレットには所要時間・約40分とありましたが、結果的に15分ほどで回ってしまいました。
蓮や花菖蒲の開花時期だったら、もう少し時間をかけていたかも知れませんが。

続いて、所要時間・約60分とされている、南庭回遊コースへ。



国内外の皇室や貴族の方々が訪れられた際に植えられたという、お手植松。
ここは北庭回遊コースと重複している地点ですが、北庭回遊のときに普通に通り過ぎてしまっていたので、南庭回遊のときに撮影しました。



鶴亀松(百石松)。
凡人の私には、どの部分が"鶴"でどの部分が"亀"なのか、さっぱり分かりませんでした。



なんか、観たことがない形の松がある。



箱松、だって。



根上り樫。



肝心の根っこの部分が看板で隠れているという、痛恨のミスを犯してしまいました。



はてさて、またまた変わった形の松を発見。



屏風松と箱松だって。
さっきの写真の奥の背丈の高い松並木が屏風松で、手前が箱松かな?

"ほかには見られない本園ならでは~"って、確かに、こんな形の松、観たことがない。



梅林橋。
緑の中にある朱い欄干が、目を引きます。



梅林橋より、北湖を望む。
よく見ると、魚が泳いでいます。



ぼたん石と見返り獅子。
見返り獅子はなんとなく分かったけど、ぼたん石は結局分からんかった。



日暮亭。



土・日・祝日には、こちらで雑煮や抹茶を嗜むことができます。
この日は平日だったので、ご覧のとおり、閉まっていました。

香川県の雑煮は"あん餅雑煮"といって、雑煮に入っている餅の中にあんこが入っている、全国的にも珍しい雑煮です。
私はこの曲で、それを知りました。



‥‥さて、本題に戻ります。



西湖。
この一帯は、恐らく紅葉の頃が一番綺麗でしょう。



フジの花も、綺麗に咲いていました。



栗林公園の西側、西湖を隔てて石壁が続いています。
左端が、なんとなく濡れた感じになっていますが、水が流れていない。



‥‥と、いうことでした。



‥‥ん?なぜにこんなところにソテツ?



なるほど、薩摩藩からの贈与品だったんですね。納得。
鳳尾塢(ほびう)というらしい。

どうでもいいけど、"塢"なんて漢字、初めて見た気がする。



涵翠池(かんすいち)。



睡竜潭(すいりゅうたん)と慈航嶼(じこうしょ)。
西湖の南端にあたるこの辺の池だまりを睡竜潭といい、その中の島を慈航嶼といいます。
中の島までは津筏梁(しんばつりょう)という橋を渡って行くことができます。

幅が狭くてややスリルがありますが、せっかくなので渡ってみます。



慈航嶼からみた、小普陀(しょうふだ)。
室町時代に作られた築山で、栗林公園はここから始まったといわれています。

本来はもっと広範囲に大小の石が積まれているのですが、この日は作業員さんがこの辺一帯を草刈り作業中で、作業員さんが写り込まないように撮ったため、中途半端な感じになってしまいました。



慈航嶼から到岸梁(とうがんりょう)を渡ると、小普陀のある方へと行くこともできます。
今回はそのままバックし、津筏梁を渡って元の道に戻ります。



青空に映える、松の木。



大正天皇のお手植松、でした。



南湖。
中央に見える島は、楓嶼(ふうしょ)。



なんとなく、木漏れ陽。



緑色の楓というのも、それはそれでオツなものです。



こちらの島は、天女嶋(てんにょとう)。



またまた、意味もなく、木漏れ陽。



橋が見えてきました。



偃月橋(えんげつきょう)。

それにしても、栗林公園にある島や橋、難しい読みのものが多いです。
もっとも、栗林公園自体、"くりばやし"ではなく"りつりん"なので、難しいといえば難しいけど。



橋の反対側からも撮影。
途中でほかのお客さんが来たため、角度を斜めにして撮りました。



偃月橋の真ん中から、西方を望む。
正面にある島は、杜鵑嶼(とけんしょ)です。



吹上。
栗林公園の南東側にある湧水で、ここから園内の湖や池に向かって水が流れています。



水の湧き出る様子を撮りたかったのですが、イマイチよう分からん。
実際に訪れてみないと分からないかも。



鶏林石。



飛来峰から、南湖を望む。



栗林公園、ミシュランガイドの三つ星施設にも選ばれているそうです。



飛来峰を下り、再び偃月橋を撮影。



恋ツツジ、だって。



先ほど、偃月橋の上から何気なく撮影した杜鵑嶼ですが、よく見ると、確かに正面にハートの形をしたツツジがありますね。
しかし、偶然というか、剪定作業をした人が密かに狙って形作ったのではないかと、思わないでもないのですが。



迎春橋。
南湖と北湖を結ぶ水路に架かる橋です。



また別の角度からの南湖。
南庭回遊コースは、南湖をU字型に回るコースとなっています。



南湖を遊覧する和船の姿が見えます。



根上り五葉松。
こちらも人が映り込まないように斜めに撮ったので、全体を入れきりませんでした。



涵翠池。
ここも、先ほどとは反対側からの撮影となります。



揚橋。
先ほどの迎春橋と同様、南湖と北湖を結ぶ水路に架かる橋です。
木に隠れてよく見えませんが‥‥。

昔、和船が南湖と北湖を行き来する際、この橋を揚げて通していたそうですが、現在では揚げることができなくなったため、和船は揚橋の袂から南湖へ向けてのみ出るようになった、とのこと。



芙蓉峰という小高い丘から、北湖を望む。
こう見ると、梅林橋、確かに朱色が映えますね。



もう一枚。

飛来峰や芙蓉峰は階段状になっているので、スニーカーとかの方がいいかも。
私が履いていたウォーキングシューズ、足裏が若干滑りやすい素材でできているので、足元が若干心許なかったです。

以上、南庭回遊コースの模様をお伝えしました。
南庭は季節に関係なくそれなりに見所があり、見て回るのに50分ほどかかりました。

さて、どう帰るか。
来た道を帰るのは、やはり面白くない。

ということで。



またもや、意味もなく木漏れ陽なんぞを撮影しつつ。



北門へと出てきました。



栗林公園北口駅。
北門を出て、250mほどの所にあります。

神社の鳥居の隣に入口があるという、珍しい駅。



階段を上ります。



栗林公園北口駅の駅名標。



ホームが一本あるだけの、無人駅。
トイレもありません。

こちらは徳島方面。



高松方面を望む。

栗林公園北口駅に停車するのは普通列車のみで、特急はもちろん通過していきます。
ただし、列車の通過時刻についての案内板はあるものの、通過列車の案内放送などはないため、注意が必要です。

ここでも列車の写真を撮ったものの、ブレ方が半端なかったので、やむなくボツにしました。

‥‥今回だけで70枚もの写真を紹介した訳ですが、最終日、まだまだ続きます。
写真を撮るのはいいけど、纏めるのも結構大変だ。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 10

2018-05-07 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

志度 1332 -【高徳本線】- 1340 造田

そんな訳で、志度から2つ徳島寄りの、造田で下車。
しかし、私にとっての"JR四国"の初乗車区間が、まさか志度・造田間になるとは。



造田駅の駅名標。
駅はぞう"だ"と、"田"を濁って読みますが、地名はぞう"た"と濁らないそうです。



無人駅で、駅舎も待合室と近距離券売機があるだけの小ぢんまりとしたものとなっています。
ここから、しばらく南西方向へ歩きます。

‥‥この辺りは観光地でもなんでもなく、住宅と田園が混在したごくありふれた地方の町で、デジカメを持ち歩いてうろちょろしていると不審者扱いされそうなので、写真は一切撮っていませんが。
しかも私、未だにガラケーだったりするので、地図検索も一苦労なのですが、おおまかな位置さえ分かれば、あとは何とかなるものです。

歩くこと、約30分。
Wikipediaには約1時間とありましたが、実際にはそんなにかからないと思います。



長尾駅に到着しました。
ことでんのもうひとつの路線、長尾線の終着駅。

四国八十八箇所霊場の第八十七番札所・長尾寺の最寄駅です。
今回の旅でお遍路さんの姿を見たのは、ここだけでした。



長尾駅の駅名標。
長尾線のラインカラーは、グリーン。



長尾駅のホームより、瓦町方面を望む。

長尾駅は終着駅ですが、もともとここから先へも延伸する計画があったらしく、駅舎は行き止まり線の先ではなく右側にありますし、この東側にある長尾寺の境内を避けるためか、ホームは若干左へカーブしています。



長尾駅に入線してきた、高松琴平電気鉄道1300形電車
もとの京浜急行1000形で、この車両は1974年に製造され、2011年にことでんが譲り受けました。

琴電志度駅同様、長尾駅でも、到着した電車がそのまま折り返して出発します。
ただ、琴電志度駅と異なり、長尾駅では、折り返して出発するまでに少し時間があるので、こうして電車の写真を撮ることができました。

長尾 1428 -【高松琴平電気鉄道長尾線】- 1500 瓦町

この車両も、志度線で乗った600形電車同様、運転室のすぐ後ろに座席がなく、ドアを挟みます。
幸い、運転席と反対側の最前方の座席を確保できたので、"かぶりつき"ではないものの、前方の景色を楽しみながら移動することができました。



再びの、瓦町駅。この時点で、ことでん、完乗達成です。
なお、長尾線は瓦町・長尾間が正式な区間ですが、ほぼ全列車が瓦町から高松築港まで乗り入れているので、駅番号は高松築港から付番されています。

15時になった、ということで、そろそろ、おやつが欲しくなりました。
‥‥って、子どもか。

そんな訳で、瓦町駅でいったん駅を出ることに。



瓦町駅・東口。



高校野球の古豪、高松商業へは、こちらから。



瓦町駅・西口。



高松市の中心部へは、こちらから。

瓦町駅は、"瓦町FLAG"という商業施設を併設した駅ビルとなっています。
もともとは"コトデンそごう"として開業し、その後"高松天満屋"を経て、現在の商業ビルの形態となりました。

エスカレーターで、10階まで上がり‥‥。
10階まで上がるんだったらエレベーターの方が普通に早くない?と思いつつ。

カフェ・ド・エルという、カフェレストランに入ってみた。



ウィンナーコーヒーと‥‥。



チョコバナナパフェを堪能。

‥‥パフェ、一番上の部分がほんのちょこっと見切れちゃってます。
それなりの値段はしましたが、その分ボリュームがあったので、私的には大満足でした。



瓦町FLAGの10階から見た、高松市街地。

左側に見えるのっぽの建物は、香川県庁舎です。
高松シンボルタワーが完成するまで、こちらが四国一の高さを誇っていました。

瓦町駅に戻り‥‥。



謎の顔はめパネル、発見。
どういうシチュエーションで、ここで記念写真を撮るのでしょうか。

ことでんのマスコットキャラクター、"ことちゃん"と"ことみちゃん"は、イルカを模したもの。
ことでんのマスコットキャラクターにイルカが採用された理由は、香川県さぬき市に"日本ドルフィンセンター"というイルカと触れ合える施設があるから、ではなく、ことでん(高松琴平電気鉄道)がかつて民事再生法適用となったときに、"ことでんはいるか、いらないか"という話し合ったことに由来する、とのこと。
キャラクター採用後に導入されたことでんのICカードも、"IruCa(いるか)"になりました。



瓦町駅、1番のりば。

瓦町 1553 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 1558 高松築港



高松築港駅で、瓦町駅から乗ってきた電車を撮影。
朝に琴電琴平まで乗ったのと同じ高松琴平電気鉄道1080形電車ですが、こちらは京急のラッピング電車で、車両全体が赤色となっています。

そんなこんなで、予定より大幅に早く高松築港まで戻ってきてしまいました。
しかも、16時ということで、これから名所を見物するにも、非常に中途半端な時間。

‥‥そういえば、朝からサンドイッチとパフェしか食べてない。
という訳で、再びサンポート高松へ。



サンポート高松にある、うどん匠・郷屋敷で、肉ぶっかけうどん。
少し、というか、だいぶ遅い昼食となりました。

本当は温かい方が美味しいんだろうけど、猫舌なもので、冷たい方にしました。
もう4月だし、まあいいでしょう‥‥意味不明ですが。



いったんホテルに戻ったものの、特に何もすることがないので、メモだのなんだのを整理して、再び高松サンポートへ。

夕食は、フレッシュネスバーガーで、クラシックアボカドバーガーに、アイスカフェラテ。
マスタードとケチャップを、お好みでかけることができます。

写真を撮った後、マスタードをかけて食べました。
‥‥バンズに比べて具が多いので、食べるのに少し苦労したけども。

そんなこんなで、二日目のレポート、おしまい。
次回からは最終日の模様をお伝えします。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 9

2018-05-06 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

琴電琴平 1143 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 1238 瓦町

高松から琴平まではことでんに乗りましたが、琴平からの帰りはJRを利用するのも悪くない。
‥‥が、せっかくことでんの一日フリーきっぷを買ったし、琴平駅から出る次のJRの電車は多度津行きで、乗り換えないと高松まで戻れないし、ここはおとなしく、ことでんで引き返すことに。

そんな訳で、終点・高松築港の2つ手前、瓦町駅で下車。



瓦町の駅名標、琴平線のりばバージョン。

ことでんには琴平線のほか、志度線、長尾線があります。
その3路線が、この瓦町駅から放射線状に延びています。

この3路線はもともと、琴平線は琴平電鉄、志度線が東讃電気軌道(のちに四国水力電気を経て讃岐電鉄に経営引き継ぎ)、長尾線が高松電気軌道という、それぞれ別の会社でしたが、1943年に3つの会社が合併し、高松琴平電気鉄道が発足しました。
戦時中には、こうした私鉄会社の合併が、全国各地で行われています。

また、かつては琴平線と長尾線のホームに挟まれるように志度線のホームがありましたが、1994年に瓦町駅の駅ビル建設工事が始まると同時に、志度線のホームが移設され、線路も分断されました。
現在は琴平線・長尾線のホームが並び、志度線についてはやや離れた場所にあります。



そんな訳で、動く歩道、登場。
この先、右に曲がったところに、動く歩道がもう1本あります。

志度線とほか2線とを結ぶ連絡通路は2階にあり、下は道路が通っています。



長尾線は右。
志度線は動く歩道に乗って、まっすぐ。

連絡通路を経て、志度線のりばに到着。
間に道路を挟んでいるためか、志度線のりば側にも改札口が設けられています。

乗車口は離れていても改札外乗り換えではないため、琴平線・長尾線と志度線との乗り換えでも改札を通る必要はなく、志度線のりばの改札口から琴平線・長尾線のりばへ向かうこともできます。



瓦町の駅名標、志度線のりばバージョン。
志度線のラインカラーは、ローズピンク。



志度線のホームに停車中の、高松琴平電気鉄道600形電車
こちらは、もともと名古屋市営地下鉄名城線で走っていた1800形電車(1974年製造)を、1999年に譲り受けたもの、とのこと。

なお、ことでんは琴平線こそ終点の琴電琴平まで日中は30分に1本(途中の一宮までは15分に1本)ですが、志度線や長尾線は終点の琴電志度や長尾まで日中でも20分に1本運行されています。
高松自体がそれなりに大きな都市だし、琴平線を除けば路線の総延長が15kmに満たないなどコンパクトだから、それなりのフリークエンシーサービスを実現できているのかも。

瓦町 1246 -【高松琴平電気鉄道志度線】- 1320 琴電志度

高松と志度の間には、ことでんのほか、JR高徳線も走っています。
本数はことでんの方が多い一方、所要時間や運賃の面ではJRに軍配が上がります。

ことでんの車両は、すべてロングシート(窓を背にして座るタイプの座席)。
また、琴平線で乗った1080形電車と異なり、この600形電車は運転室のすぐ後ろに座席がなく、ドアを挟むため、座ったままで"かぶりつき"をすることもできません。

なので、最初は適当に見つけた座席に腰掛けていたのですが、
折角なので‥‥ということで、数駅進んだところで立ち上がり、運転室のすぐ後ろのスペースから、前方の景色を眺めていました。
‥‥席から立ち上がったのは他にも理由がありますが、長文になりそうなので割愛します。

ことでんの3路線のうち、琴平線は高松から南西方向、長尾線は南東方向と、それぞれ内陸部へと向かっていきますが、志度線は高松から東、瀬戸内海沿岸に延びています。
もっとも、実際には屋島や庵治半島の付け根の部分を通るので、瀬戸内海はほとんど見えませんが。



それでも、塩屋駅を過ぎたところで、海が見えてきます。
写真は、房前(ふさざき)駅を出たあたり。



海をすぐ傍を、電車は走ります。



正面に見えるのは、小豆島‥‥か?
もちろん、手前の濃い方じゃなくて、向こう側の薄い方ですが。



手前側に見えるのは、さぬき市の小串岬。
この辺りは志度湾といい、瀬戸内海から海岸線が内陸部へ大きく入り込んでいます。



さて、琴電志度駅に到着。

琴電志度駅の駅舎。

琴電志度駅では、到着する電車と同時刻に出発する電車があります。
それは、事前に時刻表で調べていたので、把握済み。

なので、電車が到着するのを待って、反対方向に別の電車が出発するのだとばかり思っていました。
まさか、到着したばかりの電車が、そのまま引き返してゆくとは‥‥ことでん、恐るべし。

この様子だと、琴電志度駅で停車中の電車を撮る余裕は無い。
駅に戻ってくるのは、次の電車の到着間際で大丈夫。

‥‥ということで。



琴電志度駅からほど近い場所にある、JR高徳線の志度駅へ。

時刻表を見ると‥‥あれ?
‥‥次の列車、意外とすぐに来るじゃん。

ということで、琴電志度からことでんで引き返す予定を、急遽変更。
志度駅の自動券売機で、きっぷを買い‥‥。



志度駅の駅名標をしっかり撮影。

ことでん同様、JR四国でも駅番号(駅ナンバリング)が導入済み。
ちなみに、九州では西日本鉄道が駅ナンバリングを導入済みですが、JR九州は未導入です。



志度町は平賀源内生誕の地。
江戸時代中期、多方面で活躍した人物で、土用の丑の日にウナギを食べる風習が広まったのも彼が発祥である、ともいわれています。

歴史の教科書に出てきたのは覚えているけれど、具体的に何をした人物かまでは覚えてない。
解体新書を清書した杉田玄白と親交があった、というのだけは、なぜか覚えているけども。



志度駅3番のりばに停車中の、JR四国1500形気動車
私がホームに着いたときには既に入線していましたが、特急の追い抜き待ちのため発車までには少し時間があり、列車の写真を撮ることができました。

ところでこの列車、行先は"徳島"です。
ことでんで瓦町まで引き返す予定を変更したというのに、ことでんと並行する高松方面ではなく、逆方向の徳島方面の列車に乗り込む。

‥‥乗り間違いではありませんので、念のため。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 8

2018-05-05 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、お参りも済んだし、あとは帰るだけ。
でも、なんかおかしい。

‥‥そうだ。
私、朝から、ポテチ以外、まだ何も食べてない。

そこで。

金刀比羅宮の参道の中ほどにある資生堂パーラー・神椿に立ち寄ることに。
時間が早かったのでレストランはまだ開店しておらず、カフェに入りました。



オリーブ豚のポークカツのサンドイッチに、アイスのカフェラテを付けてみた。

とりあえずお腹が満たされたところで、さらに下りてゆきます。



上るときになんとなく無視して通ってしまったので、下りに書院に立ち寄ってみた。
前回のレポートでいうところの、桜馬場西詰銅鳥居から40段ほど上ったところの右手にあります。

さて、桜馬場西詰銅鳥居まで下りてきた。
ここからの選択肢は、2つ。

上ってきた参道を、そのまま帰るか。
それとも、
左手に分かれてゆく、裏道を帰るか。

もともと、同じ道を往復するのはできるだけ避けたい主義。
迷わず、裏道に回ります。



11時を過ぎ、ぼちぼち参拝客も多くなってくるであろう表参道とは異なり、裏道は人の通りも少なく、思わずひゃっほうとダッシュしてしまいたくなるほど。
‥‥いい大人が走るなよ、と思わなくもないですが、そこは"旅の恥はかき捨て"ということで。



金刀比羅宮の図書館。
月に3回、4時間ほどしか開館せず、また、入館は予約制、とのこと。

‥‥なんで誰もいないのに写真を斜めに撮ってしまうんだ、私は。



図書館の東側にある建物には、裏側には"學藝館"の文字が。
こちらも常時開館という訳ではなさそうです。



そんなこんなで、琴平の街に下りてきてしまいました。

表参道でお土産を買うなどの予定のない方は、こちら側に下りてくるのも、悪くないかも。
ただし、うどん屋さんなんかもこちらには無いので、注意が必要です。

私はサンドイッチとカフェラテを堪能したばかりだったので、今回はうどん屋もパスしたけど。



大宮橋より、金倉川の上流方を望む。

金倉川の上流には満濃池という、日本最大の灌漑用のため池があります。
瀬戸内海沿岸は雨の少ない地域なので、灌漑用のため池が各地にあり、ことでんの車窓からも、いくつかのため池を見ることができます。



大宮橋より、金倉川の下流方を望む。

川のすぐ横に、琴電琴平駅のホームがあります。
というか、停車中の電車、よく見ると、高松築港からここまで乗ってきた電車だ。



ついでなので、JRの琴平駅にも立ち寄ってみました。



琴平駅の一角に展示されている蒸気機関車の動輪は、"四国鉄道発祥之地"のモニュメント。

国鉄の前身、讃岐鉄道が丸亀・琴平間を開通させたのが1889年のこと。
現在のJR四国の路線としては、ここが初めて開通した区間ということになります。

ただし、その前年に伊予鉄道が松山(現在の松山市)・三津間で開業しているので、"四国で最初に開業した鉄道"は伊予鉄道、ということになります。



琴平駅の入口。

"駅"の旧字体である"驛"が用いられているところに、歴史を感じます。
ただし、これは復刻版っぽいですが。



琴平駅のホーム。
上屋にも、ちょっぴりレトロ感があります。

琴平駅界隈には現在のJRとことでんのほか、琴平参宮電鉄や琴平急行電鉄といった路線が延びていましたが、いずれも廃止後50年以上が経過しています。

そんなこんなで、琴電琴平駅に戻ります。
琴電琴平駅では発車10分前より改札が始まるため、それまでは駅舎内の待合室で待つことになります。



高松電気鉄道1080形電車
高松築港からここまで乗ってきた電車と、同じ形です。



1080形電車の前方。

同じ1080形電車ですが、この車番1081・1082の編成は1959年の製造で、ほかの車番の製造年よりも一年早くなっています。
なので、来年にはこの編成も"還暦"を迎えることになります。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 7

2018-05-04 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

琴電琴平駅を降り立ち、金刀比羅宮へと向かいます。



琴電琴平駅を出てすぐのところにある、大鳥居。
袂に架かる橋は、大宮橋です。

この道を真っ直ぐ歩いて、突き当たりを左に曲がります。
200mほど進み、点滅信号のある交差点の角を右に曲がると、金刀比羅宮の参道へ。

朝一番に行ったにも拘らず、既に参拝客の姿が多く見られました。
しかも、途中で修学旅行だか野外活動だかの中学生と思しき集団と出くわしたので‥‥。



一之坂鳥居。
思いっきり見切れちゃってますが、中学生集団がぞろぞろ歩いている中での撮影は難しく、これが精一杯でした。

ちなみに、金刀比羅宮の石段は全部で785段あるそうですが、ここはまだ100段ちょっとの地点。
件の中学生と思しき集団の中には、"もう無理"なんて言っている子もいましたが‥‥。

こちとら、きみらの親世代の40過ぎのおっさんやが、まだ全然へっちゃらやで。
‥‥日頃から"一万歩ウォーキング"を続けている成果でしょうか。この先も、すいすい上っていくことができました。



365段上ったところにある、大門。

人が写り込んでしまっていますが、これくらいの大きさだったら大丈夫でしょう。
解像度があまり高くないデジカメって、こういうとき、逆に便利だったりします。

中学生の集団はこの手前の広場でいったん集合となったらしく、この時点ではいませんでした。
その代わり、今度は外国人の集団が大きな声で喋っていて、結構煩かったです。

どこの国の人、というのは、敢えて言いませんが‥‥。



笑顔でしあわせ。こんぴらさん!!



この辺り、桜馬場といって、数十株の桜が並び、桜の季節には爛漫に咲いた桜が左右から枝を交え、すばらしい桜の道となる、とのこと。
もちろん、この時期はすっかり葉桜となってしまっていますが、新緑の季節に訪れるのも、それはそれで、悪くない。



正面から撮影すると、こんな感じ。



桜馬場西詰銅鳥居。
この鳥居の手前で、石段を
431段上ってきたことになります。



祓戸社(はらえどのやしろ)。



そして、石段はまだまだ続く。

この石段を上りきったところに旭社がありますが、正しい参拝ルートは、旭社の手前で右に折れ、廻廊に沿って進みます。



青銅鳥居。



ブレまくり、しかも逆光で、完全な"失敗作"ですが、折角なので載せておきます。



賢木門。
賢木は"さかき"と読みます。

この先にある手水舎で、心身を清めます。
手水の作法は、事前に金刀比羅宮のサイトでチェックし、シミュレーションも行ったので、たぶん間違わなかった、と思う。



真須賀神社。
ここを左に曲がると、いよいよ最後の直線です。



ゴールが、見えてきました。
そして、ついに‥‥。



着いた~!!

天気がイマイチなのが残念ですが、それでも、785段、上ってきた甲斐がありました。
写真ではまったく分かりませんが、肉眼では瀬戸大橋も微かに見えました。



この先、奥社へは、ご覧のとおりお参りが不可能となっていました。
今年の10月には復旧工事が完了する見込み、とのことですが、奥社まで行くと石段をさらに600段近く上ることになるので、体力的にも時間的にも余裕があるときに参拝した方がよさそうです。



御本宮の右側にある、神饌殿。



御本宮。

拝礼作法についても、事前にチェックして行ったので、間違えてはいない、はず。

この一角で、"開運こんぴら狗みくじ"なるものを引いてみました。
賽銭箱の中に100円を入れ、ワンコの背中に入っているおみくじを、蓋を取ってひとつ引きます。

結果は"小吉"でした。
‥‥ここ数年、"大吉"が全然出ない。

高校生の頃には2年連続で"凶"を引いたこともあるので、それに比べればマシですが。



御本宮から、南渡殿という長い廊下があります。
この下を潜って反対側に出ると、睦魂神社や神庫・神輿庫があります。



南渡殿の先にあるのが、三穂津姫社

御本宮に祀られている大物主神の后にあたる、三穂津姫神が祭られています。
南渡殿は、いわば"夫婦の絆"なんですね‥‥なんて、しみじみ。

‥‥独り身の私には関係のないことでございますが。



三穂津姫社の南側にある絵馬殿。
金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから、
船の模型が展示されていたり、船の絵馬や写真が多く掲げられていたりしています。



三穂津姫社の正面より延びる下向道の階段を下りて、帰路に就きます。
雨上がりで滑りやすくなっていることもあり、上りより下りの方が却って怖かった。

実は、この時点で、琴電琴平駅を出て、まだ1時間ほどしか経っていませんでした。
途中、中学生の集団やら外国人のグループやらを追い抜き、彼等がやってこないうちに参拝を済ませようと思ったら、あっという間に御本宮まで来てしまった。
今となっては、少々もったいないことをしてしまったかな、とも思います。

まあそれも、独り旅の醍醐味、ということで。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 6

2018-05-03 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、二日目です。

今回泊まったホテル、朝食なしのプランでした。
前日に近くのコンビニで購入しておいたポテチがあったため、それを朝食代わりに。



二日目の始まりは、高松琴平電気鉄道・高松築港駅。

平日は、朝ラッシュ時の終わりがけに、中心部から郊外に動くに限ります。
人の動きとは逆になるので乗る電車自体の乗客は多くなく、かつラッシュ時には車両が増結されていることが多いため、その分一両あたりの乗車率はさらに低くなる、というワケ。

なお、上の駅舎の写真を撮ったのはことでん乗車当日ではなく、最終日の日中だったりします。
ラッシュ時は人の動きが活発過ぎて、駅舎の写真を撮りづらかったので。



高松築港駅で、ことでん一日フリーきっぷをゲット。
高松琴平電気鉄道(ことでん)全線を一日乗り放題で、1,230円。

ちなみに、ことでん琴平線の高松築港から琴平までは、片道620円。
つまり、片道ずつきっぷを購入するより、一日フリーきっぷを購入した方が、10円安い。

それに、一日フリーきっぷを買えば、ほかに志度線や長尾線にも乗れます。
また、回収されずに手元に残るために旅の記念になる、というところも、フリーきっぷのいいところ。

高松築港駅では、ホームに駅名標が見当たらなかったため、駅名標の写真はありません。



高松築港駅・1番のりばに入線してきた、高松電気鉄道1070系電車

もともとは京浜急行電鉄(京急)で走っていた2代目600形電車(初代700形電車)を、1980年代にことでんが譲り受けたもの。
製造から60年が経過しているため、車体には多少"レトロ感"がありますが、まだまだ現役で頑張っています。



ラッシュ時ということで、琴平行きの電車は4両編成で運行されていました。

琴平方の2両は、高松琴平電鉄1080形電車
こちらももともとは京急で走っていた電車(初代京急1000形電車)で、1988年から1991年にかけて、ことでんが譲り受けたものです。

いったん1番のりばから乗り込んだ後、この車体を撮影しようとしたときに、誤って降車専用の2番のりばへと降りてしまった私。
車体を撮影して電車に戻ろうとしたところ、2番のりば側の扉が全部閉まってしまいました。

慌てて1番のりばに戻り、何とか事なきを得ましたが。

高松築港 830 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 932 琴電琴平

発車間際のとんだハプニングはあったものの、電車の最前部、運転台の反対側の先頭部分という、絶好の場所を確保することができました。
終点まで、前方をしっかり"かぶりつき"してしまったのは、言うまでもありません。

各駅停車でコトコト揺られること、約一時間。



終点・琴電琴平に到着。

ことでんは各線にイメージカラーや路線記号、駅番号が導入されています。
琴平線のイメージカラーは黄色、路線記号はK。

琴電琴平の駅番号はK21。
起点駅である高松築港の駅番号がK00なので、高松築港駅を出て21番めの駅(高松築港駅を含めると22駅)ということになります。



琴電琴平駅の2番のりばに停まっていた、"バーバパパ号"。

ことでんとバーバパパに何の関係が?と思ったのですが、高松市に本店を置く地方銀行・百十四銀行が今年で創業140周年を迎えるのを記念して、期間限定で走っているそうです。
バーバパパの作者が高松や琴平と特に深い関わりをもっている、ということではなさそう。



こちらは電照式の駅名標。
少々年季の入った感じが、いい味を出しています。



琴電琴平駅の駅舎。

駅のすぐ横を金倉川が流れています。
駅前の道路を向かって左(駅を出て右)に進むと金刀比羅宮、逆方向はJR琴平駅です。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 5

2018-05-02 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

高松港に到着。



車が乗り込むスペースの両側、黄色い部分が歩行者用の通路です。
この時間、宇野から高松へ向かう客より、高松から宇野へ向かう客の方が多い気がしました。



雨の高松港。
小豆島国際フェリーが、小豆島へ向けて出発してゆきました。
左側にあるのはフェリーのりば(きっぷうりば)。

高松港一帯は、1999年よりサンポート高松として再開発が進められた地域で、貨物駅跡などを利用した広大な敷地に、シンボルタワーや商業施設、高松港旅客ターミナルビル(フェリーのりばとは別の建物)などが建設されました。

高松駅までは屋根つきのペデストリアンデッキで結ばれ、雨の日でも傘を差さずに駅と港を行き来することができます。
宇野行きのフェリーに乗り込むときに、ちょっと濡れるくらいですね。

予定時刻よりは大幅に早かったのですが、とりあえず荷物を置きたいので先にホテルに向かいチェックインを済ませ、それから夕食を摂るためにサンポート高松をうろうろ。

‥‥よし、ここに決めた。
ということで入ったのは、カフェレストラン・BAYCAFE アゼリア。



あまり観たことが無い、瓶のようなグラスに入った、アイスのカフェラテ。
写真には写り込んでいませんが、ストローの飲み口の側がクランク状に曲がっているのも、あまり見たことがないので、お洒落っぽく感じました。



昼に続き、夜もパスタ。

ただ、このパスタ、普通のスパゲティに比べて、幅がリボンみたいに太い。
リボン状のパスタには"パッパルデッレ"、"タリアテッレ"、"フェットゥチーネ"があるようですが、メニューを控えていなかったため、どれか分かりません。

中央に卵がでーんと鎮座しているのを見て、しまった!と思った私。
実は、半熟卵、あまり好きではないのです。白身は固まっているのに黄身はどろどろの液状になっている状態のヤツが、特に嫌い。

このときは、意外と白身の部分が固まっておらず、生卵にほど近い状態だったため、どうにか食べることができました。
せっかく注文したんだし、全部食べないともったいないのでね。

食事を済ませた時点で、日没までにはまだ少し時間があったので、シンボルタワーの屋上広場へ。



サンポート高松・タワー棟の屋上広場より北方向。
高松港の玉藻防波堤、赤灯台方面を臨む。

手前に見えるのが女木島、奥に男木島、さらにその奥にあるのが豊島。
右側にちょこっと写り込んでいるのは、小豆島かな。

なお、女木島には、桃太郎伝説に出てくる"鬼ヶ島"であるという言い伝えがあります。



こちらは北西方向。
右側の島は女木島ですが、奥に広がる陸地は、もしや児島半島?

‥‥こう見ると、意外と近いものです。
実際には10km以上ありますが。

なお、左側に見える三角形の島は、大槌島という無人島。
島のほぼ中央を県境が通っていて、北側は岡山県玉野市、南側は香川県高松市となっています。



サンポート高松のランドマーク、高松シンボルタワー。
高さは約151mで、四国一の高さを誇っています。

なお、屋上広場はタワー棟・ホール棟のそれぞれ8階にあります。
シンボルタワーの最上階である30階と、その一つ下の29階はマリタイムプラザ高松の天空レストランとなっていて、レストランの営業時間外には無料の展望スペースとして解放されている、とのこと。



高松港と、女木島や男木島を結ぶ、雌雄島海運の
フェリー。
四国急行フェリーに比べれば小ぶりな船体ですが、両島住民の通勤、通学や買い物などの足として重要な役割を担っています。



雨の高松駅。



高松駅の駅舎内に、アンパンマンの記念写真スペースがありました。
作者のやなせたかしさんの出身が四国(高知)だから、ということでしょうか。

‥‥以上、一日目のレポートでした。
次回からは、二日目の模様をレポートしていきます。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 4

2018-05-01 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

茶屋町 1411 -【宇野みなと線】- 1434 宇野

茶屋町を出た電車は、しばらく瀬戸大橋線とともに高架上を進みますが、やがて進行方向に向かって右側(西側)に分かれて地上に下り、さらに瀬戸大橋線の高架下を通過して東へと向きを変えます。
進行方向左側は児島湾の干拓地が広がっていますが、海はほとんど見えません。

そんなこんなで、宇野駅に到着。



例によって、駅名標を撮影。

宇野の一つ手前は、備前田井駅。
九州人としては、つい"ここが備前田井たい!"と言いたくなります。

‥‥いや、ならんか。

いらんことばっか言わんで、先に進みます。



2番のりばに、ここまで乗ってきた電車が停車中。
電車は折り返し、茶屋町行きとなります。

かつては四国との連絡口として発展し、広い構内を誇っていた宇野駅も、瀬戸大橋の開通(瀬戸大橋線の開業)によってその使命を終えました。
現在の駅舎やホームは、1994年に移転新築されたもの。ご覧のとおり、1面2線のみの簡素な造りとなっています。



宇野駅の駅舎。

宇野駅に限らず、宇野みなと線には、独特のデザインが施された駅舎があります。
2016年に開催された"瀬戸内国際芸術祭"に合わせ、このようなデザインになったそうです。



高松行きのフェリーののりば。
すぐ隣には直島行きのフェリーのりばもあります。

宇野駅からは、徒歩5分程度で行くことができます。




時間はまだまだたっぷりあるので、ついでに船を撮ってみた。
雨模様だったのが、なんとも残念です。



港の近くにあった看板。



手前から、豊島経由小豆島行き、直島行き、高松行きの揃い踏み。
それぞれ、"小豆島豊島フェリー"、"四国汽船"、"四国急行フェリー"という別の会社ですが、"小豆島豊島フェリー"と"四国急行フェリー"についてはともに"四国フェリー"の系列会社です。



穏やかな瀬戸の海。

右端にある建物は、宇高国道フェリーのターミナル。
なお、宇高国道フェリーは、2012年より運航が休止され、ターミナルも閉鎖されています。

海を挟んで左側の島は、葛島。
香川県直島町にある無人島です。

香川県、近っ。



宇野港の大型客船バースに停泊中の、クルーズ船。
フランス船籍の"ロストラル"だそうです。

クルーズ(船旅)も、一度くらいは行ってみるのも悪くないかな。
‥‥財布、一気にぶっ飛びそうですが。



宇高連絡船の、記念碑。



宇高連絡船があった当時の遺構がありました。
移転前の宇野駅周辺は駅前広場や道路などに生まれ変わりましたが、ここだけは昔の佇まいを残していました。



直島行きの旅客船のりば。
のりばの陰に隠れてしまっていますが、高速船が停泊しているのがわかります。



宇野港の一角に、銅像が立っていました。



檜垣直右像、だって。
第8代の岡山県知事で、宇野港築港の立役者だそうです。

三池港でいう團琢磨さんみたいなものですね。
もっとも、團琢磨像は三池港ではなく、なぜか新大牟田駅の前にありますが。



乗船券を購入。

なお、船体やのりばなどには"四国フェリー"と表記されていますが、高松・宇野間の航路は2013年に子会社の四国急行フェリーに移管され、現在は四国急行フェリーが運航を担当しています。



乗船口。
車両が乗り込む通路の左側に、細い歩道スペースがあり、徒歩や自転車などの乗客はここから船内に乗り込みます。

ぶっちゃけ、大型車が通行するすぐ隣を歩くのは、ちょっぴり怖い。
これまでに何度も乗ったことがある有明フェリー(多比良・長洲航路)の場合、一般旅客の通路は車両が乗り込むところとは完全に分かれていますし、船体の規模自体は高松・宇野航路もそう変わらんから、ああいうのをイメージしていたのですが。

とにもかくにも、無事に乗船。

宇野港 1545 -【四国急行フェリー高松・宇野航路】- 1650 高松港



船旅の定番、プリッツ。
自販機で牛乳を買い、いざ、出航。

雨が降っているし、靄がかかっているので、何も見えん。
遠くの方に瀬戸大橋っぽいのが見えたけど、あれ、本当に瀬戸大橋だったのか?

出航してからしばらくすると、進行方向右手に島が見えてきた。
なんだ、この島?

‥‥って、まさかの、四国じゃん。

あとで地図を確認してみたところ、宇野からみて高松は南東方向にあり、しかも高松の西側に、五色台という瀬戸内海に張り出した部分があるのを発見。
宇野から高松に向けて半分ほど行ったところに現れた陸地って、これだったのね。

船旅では必ず甲板に出て潮風を感じることにしている私ですが、何度も繰り返すとおり、この日は小雨がぱらつく生憎の空模様であったため、船室からはほとんど出ませんでした。

例のプリッツと牛乳を船内の売店や自販機で購入中、私の荷物に触れようとする輩を発見、危険を察知して、ほとんど席を離れなかった、というのもありますが。
混雑していたら座席に荷物を置いて場所を取るのはマナー違反だと思うし、そういうときにはどかされても仕方がないと思うけど、400人以上の定員に対して、乗客は50人いるかいないかの超ガラガラだったのに、他人の荷物に触れる必然性、ある?みたいな。

お笑い芸人のバカリズムさんに似た、ネクタイを締めたリーマン風の、私よりちょい下くらいの年代の人でしたけど。
何やったんやろ?あいつ。

せっかくの久しぶりの船旅なのに、なんとなく気分を害されてしまった。
本当は、フェリーの中でうどんでも食べようかと思っていたところだったのですが、結局、プリッツと牛乳以外、何も飲み食いしませんでした。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 3

2018-04-30 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

岡山 1245 -【瀬戸大橋線】- 1306 茶屋町



岡山から乗ってきた児島行きの電車は、4番のりばに到着。
4番のりばはおもに瀬戸大橋線の電車が発着するため、駅名標にも瀬戸大橋線のラインカラーである青が採用されています。

また、ジョイフルトレイン"La Malle de Bois(マルド・ボァ)"(フランス語で「木製の旅行鞄」という意味)
を運行している関係か、のりば案内には英語表記のほかフランス語表記もあります。



一方、こちらは4番のりばの反対側、3番のりばの駅名標。
こちらは宇野みなと線ののりばとなっているため、宇野みなと線のラインカラーである水色が採用されています。

宇野方面へ向かう宇野みなと線と、児島・四国方面へ向かう瀬戸大橋線は、茶屋町駅から分かれていきます。
つまり、茶屋町駅は、路線の正式名称でいえば、宇野線の中間(ちゅうかん)駅であるとともに、本四備讃線の起点駅でもあります。

ただし、岡山・茶屋町間では日中、基本的に児島方面へ向かう瀬戸大橋線の電車がメインで運行されていて、宇野方面へ向かうには茶屋町駅で乗り換える必要があります。
一方、本四備讃線の起点駅ではあるもののの、茶屋町を起終点とする児島・四国方面の電車はなく、すべてが瀬戸大橋線として岡山まで乗り入れています。
なので、線路の正式名称上では、岡山から茶屋町を経て宇野までの区間が宇野線で、茶屋町から分岐した本四備讃線が児島を経て宇多津までを結んでいますが、運転系統上は、岡山から茶屋町を経て児島・四国方面に結ぶ瀬戸大橋線がメインで、宇野線(宇野みなと線)の茶屋町・宇野間が支線、という感じです。

以上、前回に引き続き、どうでもいい薀蓄、でした。

さて、本来、茶屋町では別の電車にすぐ乗り換える予定だったのですが、この時点で入線していた電車、そこそこ乗客が多そうだったので、その次の電車を待つことに。
そのときの状況によって変更を利かせられるように、旅の計画を立てる段階で、あらかじめ時間に余裕を持たせるようにしています。

そんな訳で、茶屋町駅で二度めの途中下車。



茶屋町駅西口。

茶屋町駅は1988(昭和63)年、瀬戸大橋開通(本四備讃線開業)に合わせて高架化されました。
茶屋町の中心部へは、こちらから。



東口。
こちらは駅舎を出たらすぐに道路を挟んで住宅街、という感じでした。

茶屋町駅は倉敷市にありますが、倉敷駅に電車で向かうときは、いったん岡山駅まで出て、そこで乗り換えることになります。
ただし、茶屋町駅から倉敷駅までの直線距離は意外と近く、美観地区はさらにその手前にあるので、例えば宇野方面から美観地区へ向かうときは、茶屋町駅で降りて
バスやタクシーなどを使った方が断然早いです。



干拓三百年の記念碑。
茶屋町一帯はもともと海で、江戸時代に行われた干拓事業によって陸地となりました。



茶屋町の鬼。



駅西口にある、児島湾干拓についての案内地図。

児島半島はもともと"児島(吉備児島)"というひとつの島で、吉備の穴海と呼ばれる浅海で隔てられていましたが、奈良時代に始まったとされる干拓事業が進められる中で、江戸時代に陸続きとなり、児島半島や児島湾が形成されました。
その後、干拓事業はさらに進み、1959年には締切堤防が完成、児島湾の奥部が人造湖・児島湖となりました。

なお、本四備讃線の開通に伴い快速電車が停車するようになり、岡山駅と快速で20分足らずで結ばれるようになったことから、駅周辺ではは急速に宅地化が進んでいます。



ようこそ茶屋町駅へ。



右上に描かれているのは、JR西日本・岡山支社のゆるキャラ、"くまなく・たびにゃん"。



茶屋町駅の改札口。



4番のりばに、高松行きのマリンライナー35号が入線してきました。
しかし、ここでは、これには乗りません。

岡山駅では"どうせ帰りに撮るから"なんて言いながら、結局ここで電車の写真だけ撮るという。



3番のりばに入線してきた、国鉄213系電車
こちらに乗り、先へ進みます。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 2

2018-04-29 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

そんなこんなで、岡山に到着。



山陽新幹線・岡山駅の駅名標。

岡山で途中下車します。



岡山駅東口(後楽園口)。
岡山市の中心部へ向かうときや、路面電車(岡山電気軌道)へ乗り換えるときは、こちらから。

一方、西口(運動公園口)では、JR西日本の職員さん達が通路に並んで立ち、代表の方が通行人に向かって演説していて、とてもそういう雰囲気ではなかったので、写真撮影は断念。
東口同様、昨秋の旅でもレポートしているので、こちらをご覧ください。

何年も訪れていない、というのであればともかく、さすがに半年ほどで、その辺の雰囲気ががらりと変わっている、なんてことはない。

岡山駅の地下街・岡山一番街にあるパスタ屋さん・Pelcolaで、ランチ。





パスタ、めちゃくちゃ久しぶりに食べた気がする。

さて、お店を出てしばらくしたところで、別のあるお店を発見。
ここって、噂の、あのお店ではないか。

よし、最終日の夕食は、ここにしよう。
‥‥最終日の夕食の模様につきましては、また後日レポートしたいと思います。

さて、ここからの選択肢は、2つ。

早めに岡山駅から電車に乗り、途中で乗り換えて、余裕を持って次の目的地へ向かう。
または、岡山駅界隈を一時間ほどぶらぶらしてから、次の目的地へ向かう。

結論。今回の旅の目的地は岡山ではないし、小雨がぱらつく生憎の天気でもあるので、早めに次の目的地へ向かう。

そんな訳で、再び改札を通り‥‥。



瀬戸大橋線・宇野みなと線のりばへ。
5・6・8番のりば、と書いてありますが、7番のりばへもこちらから行くことができます。

ちなみに、瀬戸大橋線と宇野みなと線、いずれも鉄道路線の愛称です。
瀬戸大橋線は、宇野線の一部(岡山・茶屋町間)と本四備讃線の全線(茶屋町・宇多津間)、予讃線の一部(宇多津・高松間)から成っています。
一方、宇野みなと線は宇野線の全線(岡山・宇野間)の愛称です。

なので、岡山から茶屋町までの区間は、正式名称は宇野線、愛称では瀬戸大橋線と宇野みなと線の重複区間、ということになります。

以上、どうでもいい薀蓄でした。



瀬戸大橋線・宇野みなと線の駅名標。

JR西日本の岡山支社管内では、路線にラインカラーが導入されていて、駅名標の下部もそれぞれのラインカラーで色分けされています。
宇野みなと線も乗り入れていますが、瀬戸大橋線がメインということで、このホームでは瀬戸大橋線のラインカラーである青が採用されています。



8番のりばに停車中のJR四国8600系電車
今回の旅では、これには乗りません。

高松行きのマリンライナー31号に乗る、という手もありましたが、この時点でかなりの乗客がいたので、そちらも見送りました。
また、マリンライナーについては、どうせ最終日に乗るので、ここでは写真撮影も見送り。



7番のりばに停車中の、国鉄115系電車

今回は、これに乗ります。

ちなみに、岡山駅の5・6・7・8番のりばは、1本のプラットホームで、東側に5番、東側の切欠け部分に6番、西側の切欠部分に7番、西側に8番のそれぞれののりばがあります。
東側の切欠け部分は西側の切り欠け部分よりも長く、5・7番のりばに比べると6・8番のりばの方がホームの有効長が長いのが特徴です。

1本のプラットホームに4箇所ののりばがある、という変則的なホームも、多くの路線が乗り入れるターミナル駅ならでは、という感じです。

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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 1

2018-04-28 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

先月末で前職の任用期間が満了となり、"フリー"の身となった私。
有給休暇をたっぷり残したままとなってしまったけれど、特に後悔はしていない。

その代わり、"フリー"になったら、鉄道の旅に出たい。
在職中から、ぼんやりと考えていた。

そんな訳で‥‥行ってきました。

人生初の、四国上陸。
そして、中国地方の鉄道線、全線制覇。

計画の段階では当然、テンションは上がりまくっていました。
しかし、その日が近づくにつれて、少し憂鬱な気持ちに。なぜなら‥‥。

週間天気予報によると、出発の日に合わせて、天気が崩れる見込みだったから。

そんな訳で、今回の旅のタイトルは、"センチメンタル・ジャーニー"に決定。
‥‥天気のことばかりではなく、なんとなく、そういうタイトルをつけたい気分でした。

そんなこんなで、結局天気予報は当たってしまい、出発日である24日の朝の大牟田は、雨。
旅の始まり恒例となっている駅界隈での撮影は断念し、そのまま待合室へ。

なお、今回の旅の出発点である新大牟田駅については、昨秋の旅でもレポートしておりますので、こちらをご覧ください。

基本的にはこのときと変わっていないのですが、一つだけ、変わったところが。



新大牟田駅のキヨスク、先月28日で閉店、とな。

徒歩圏内にコンビニ(ローソン)があるから、めちゃくちゃ困る、というほどでもない。
それでも、この日みたく雨が降っているときなんかは、不便になったように思う。

ところで、今回、駅の写真を撮るのを断念した理由が、もうひとつあります。
私が駅に着いた少し後、中学生の集団を乗せた貸切バスが、駅構内に入ってきた。

貸切バスのフロントガラスの表示を見ると、佐賀の中学校だった。
近隣の学校なら分かるけど、なんでわざわざ佐賀から貸切バスで新大牟田駅?

しかも、彼らが向かったのは、私と同じ上り線ではなく、下り線のホーム。
その時間、下り方面の列車は熊本止まりだし、佐賀から大牟田まで来たなら、もう直接熊本まで行った方が早いような気がしないでもないんですが。

そんな訳で、新幹線の列車の写真を撮ろうにも、反対側のホームにいる中学生たちがどうしても写り込んでしまうため、撮れませんでした。
いままでにもさんざん列車の写真は撮ってきたから、別にいいけど。

新大牟田 917 -【九州/山陽新幹線・さくら544号】- 1134 岡山



ホットコーヒーとアイスクリームを、車内販売でゲット。

私は基本的に指定席は窓側の席しかとらないし、通路側にほかの人が座っているときは車内販売でモノを買うことはないんですが、この日は小倉を出た時点でも隣に客が座ってこなかったので、久しぶりに車内販売でコーヒーを飲むことができました。
車内販売で買うコーヒーって、冷静に考えれば、大型商業施設などにあるドリップ式のコーヒーとそんなに変わらんと思うんだけど、なぜか美味しく感じるのです。

その後、広島駅では隣に外国人の乗客が乗り込んできました。
岡山駅で私が先に降りたのですが、前を横切るときに小声で"すみません"と言ってしまいました。

あそこはやっぱり、"Excuse me."と言うべきだったのか、否か。
相手が避ける仕草をしているのに"Excuse me."と言うのは逆に失礼にあたる、という話をどこかで聞いたこともあるので
、結局"すみません"になってしまいました。

英語、勉強し直さないといけないな。

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