長距離ノート7

大阪市立大学 陸上競技部 長距離パートと申します。

epilogue

2021-04-12 22:46:00 | いずはらさんJr.

気持ちの整理がてら勝手に更新します。

現長距離パート長が見たら、「そんなコソコソせんと堂々とやれや」とかツッコミ入れてきそうな気がするけど、コソコソ更新します。

マジでクソ長いうえに内容まとまりないので、読まなくて大丈夫です笑。

なんかやってるわ、くらいのノリでお願いします。


大学で陸上を続けようと思った動機は、「高校時代の後悔をやりなおしたい」でした。

高校時代の後悔は主に3

 他の部員とコミュニケーションをとらなかったこと

 なんとなく練習していたこと

 同期に勝てなかったこと


これが大学で陸上を続けようと思った動機であり、大学陸上で意識していたことでした。


順番に。

①他の部員とコミュニケーションをとらなかったこと

高校時代、自分以外に興味がなかったというか、今以上に自分からコミュニケーションをとったりしませんでした。無視とか拒否じゃなくて、話しかけられたら反応するだけの超受け身。それで問題なかったし、別に不自由も感じませんでした。

でも、同期の長距離女子が誰にも何も相談せず退部するという出来事がありました。陸上競技が好きで、実力もある人でした。俺は、その人とほとんど話したことがないです。普通にコミュニケーションをとってさえいれば、退部することはなかっただろうと思います。

相談される位置、引き止めることができる位置に俺はいなくて、結局何も言えませんでした。普段話さない人が引き止めるのはただの自己満足だと思ったし、部活を続けることで受ける苦痛を本当に理解することもできない、苦痛を分け合うこともできないかもしれない。まあ、言い訳ばっかりで動かなかっただけなんですけど

で、新しい環境に入ったら同じ後悔を繰り返さないようにしようと思ってました。具体的には、辞めたい人がいたら辞める前に話して欲しい、そのとき「引き止めることができる位置」にいたい。だから、大学に入ってからは、出来るだけいろんな人に話しかけるように意識してました。どんな風に見えてたかわからないけど、自分なりの精一杯です。いっぱい話しかけてもらえたし、いろんなこと話せて楽しかったので、あまり頑張ってやってた感はないです。


でも、辞めると言った人(入部するか迷ってしなかった人)を積極的に引き留めることは結局しなかったです。熱く語りかけて引き留めてあげるべき、って言われたりもしたんですけど。

個人的な話をすると、中学のときずっと辞めたいと思いながら部活してて、その苦痛を自分以外の誰かが本当に理解することはできないと思うし、人に言うまでに悩んで躊躇した上で放ったであろう「辞めたい」って言葉に見合う言葉がわからなかったからです。その場限りの引き留めで残っても却って苦しむだけなのでは?と思うし、辞めたい理由をすべて理解することはできない、とも。引き留めてもらえて救われることもあるんやろうけど。

これに関しては何が正しいとかないと思います。ただ、少なくとも誰にも辞めてほしくなかったです。薄情に見えたかもしれんけど、これは事実です。



 なんとなく練習していたこと

これは単純です。陸上についての知識をつけようとせず、ただメニューをこなし、主に気分だけで走ってたのが高校時代。やる気ある時はめっちゃ走るけど、やる気ない時は全然走らんし、メニューこなせんし。それでもタイムは順調に伸び続けてたから、当時は何の問題意識もなかったです。

死ぬほど後悔したのは高29月のナイター試合がきっかけです。それまでは、某同期(和大の元エース)に5000mベストで勝ってました。で、そのナイター試合で田中は念願の初15分台PBを出します。某同期、それよりも15秒速いタイムで走ります。タイム自体は目標達成して嬉しいのに、それ以上に悔しいPBでした。

そのあと、自分なりにがむしゃらに練習頑張ったんです。でも、引退までの残り半年じゃ絶対に巻き返せないのが走りから伝わってきて。自分が気まぐれでただ走ってた期間に、めちゃくちゃ努力してきたのが見えるんですよね。練習でうしろ走りながら、ひたすら絶望してて。努力の真似事をすればするほど、絶対に勝てないという遠さを実感して焦るわ荒れるわでもう笑。あのときめっちゃピリピリしててヤバかった、って後から別の同期に言われました笑。

で、高校の部活引退のときにどうしていたら良かったか考えた結果、あまりにも気分の波が大きいのがダメやったという結論に至りました。「やる気あるとき200%で頑張るけど、ないとき30%で堕落」よりも、「やる気あるとき120%に抑えて、ないとき70%くらいで耐える」みたいな。別の例えすると、「もっと飛びたくても高度を上げすぎず、休みたくても地面に足をつけずにギリギリでいいから低空飛行を維持する」みたいな。

某同期は努力の天才やったけど、俺には大前提の継続する力がありません。しんどいことが嫌いで自分にも甘いから、頑張り続けることはどうしてもできない。焦ってもがき続けてた時ですら、できなかった。だから、まずは継続することを目標にして、それから最低限の努力レベルを上げていけばいいと考えていました。


だから、大学入ってからは頑張りまくるよりは、末長く維持できるように頑張りすぎない、を心がけてました。ハイになって走りまくったりもしましたが。高校に比べれば、かなり安定してメニューこなせてて、こんな風に走れるんやなあって正直びっくりしてました。でも、思ってたほどタイムは伸びなかったです。

この意識って「消極的な努力」なので、新しいこと・しんどいことを積極的にしなくなるんですよね。継続だけを重視し過ぎたのかもしれないです。最低限の努力レベルをいつまで経っても上げられなかったのもあると思います。もっと強い選手は、継続的な努力は当然で、最低限の努力レベルが高いんだと思います。そりゃそうでしょうけども。

自分が正しいと思ったことをある程度貫けたので、この点に関して後悔はないです。ただ、好不調の波がベストを出すためには必要だという意見もあるので、波と継続のバランスなのかなとも思います。



 同期に勝てなかったこと

某同期に努力の差を見せつけられ、惨敗したのが悔しすぎて大学陸上を続ける直接の理由になりました。それは一年の浪人を挟んでも消えなかったし、むしろ某同期のリザルトを見てメラメラしてたくらいです。

でも、大学に入って半年くらいでライバル視出来なくなって、自分から実力の壁を作ってしまった点はすごく後悔しています。会う機会が減って、高校の時みたいに意識することが難しくなったのもあります。あと、一時の感情で頑張りすぎるから、嫉妬とか焦りとかを見て見ぬ振りしてたのもあると思います。頑張る原動力を抑えてでも継続しようとするすることが正しかったのか、今でもよくわからないです。原動力を正しい頑張り方に投資できるなら、それがベストなんだと思います。


さて、ここまで長々と書いてきましたが、自分の考えを書くのって、過去の行動に対する言い訳をズラズラ並べてるみたいで罪悪感ありますね。他の人からだと、どんな風に見えてるんでしょうか。

大学陸上において、自分の根底にあった意識について勝手に語りました。

①は概ね良し、②はいま一歩、③はダメ。総合60点くらいでしょうか。

参考にする形でも、反面教師にする形でも、誰かの糧になれれば嬉しいです。



もし読んでくれた方がいるならば、ここまで読んでいただきありがとうございました。あと、こんなクソ長い文章を勝手に投稿してすみません。偉そうなことを言える立場ではないですが、後悔のないように頑張ってください。応援してます。