長距離ノート7

大阪市立大学 陸上競技部 長距離パートと申します。

自己紹介と独り言

2021-10-22 10:36:55 | 部活くん

かんにち、きんにち、くんにち、けんにち、こんにちは~!

初めまして!大阪市立大学陸上部一回生の深津新太郎です。

軽く自己紹介をしておきたいと思います。

 

名前:深津新太郎

学部:法

専門/自己ベスト:800m/1分56秒01

アルバイト:パン屋、個別塾

趣味:東海オンエアの動画鑑賞、小説を読むこと、古着を集めること

 

実は1浪しておりまして..... 陸上からは丸二年離れていました。

しかし、7月から陸上部に入部することになり、現在は徐々に体力が回復してきました。

矢守さんから「最初の一年は記録がでなくてもいい。焦らず頑張れ。」とのお言葉をいただいたので、その言葉を胸に日々の練習に励んでいます。

さて中距離パートの話をします。

中距離パートは少子高齢化が加速する日本の縮図のようなパートです。

1回生は僕以外中長距離はいないので、一層少子高齢化が進んでしまいました.....

しかし!来年は府大と合併して大阪公立大という新大学になるので、中距離パートの人数が倍ほどになります。やった!

合併することで練習の質や競争力を高めて、競技力の向上に繋げていきたいですね。

市大の中距離パートはすごく明るい方ばかりで、つらい練習でも頑張れます!僕みたいな下っ端にも気軽に接してくださいます。

また少人数体制なので結束力を感じます。特に誕生日プレゼントを渡す風習はその一例ですかね。

最後に、僕の今のモチベーションは800m二分切り&山名さんとまきおさんに競り勝つことです。まだ手は届きませんが、早く達成したいですね。

 

前置きが長くなってしまいました。失礼。

僕が今回のブログで書きたかった内容は「1浪後、なぜ陸上を再開したのか」です。

以下、そのことについて書きたいと思います。独り言なので聞き流してください。

正直、陸上は高校までと考えていたため、大学では一ミリも続ける気はなかった。しかし、800m1分56秒、マイルで準決勝までという中途半端な記録で引退してしまい、不完全燃焼だったことは確かである。

しかし自分にはやりたいことがあった。それはバトミントンである。オリンピック後、謎にバトミントン熱が自分の中で最高潮に達し、背が低くても活躍できるのではないのか、と考えたからである。そこで、勉強の合間にバトミントンを友達や先生とひそかに練習。そこでバトミントンは自分には適正なスポーツだと確信する。大学ではバトミントン部に入る一択でそれ以外の光はすべて遮断していた。

3月、自分は大阪市立大学を受験し、落ちる。すべてのプランがそこで崩れた。また新型コロナウイルスの感染拡大が拍車をかける。浪人時はバトミントン熱もいつのまにか冷め、すべてのやる気を失っていた。勉強も。夏頃には自分の状況を理解し、勉強を再開し学力が少しづつ伸びてきた。そして冬頃には学力が安定するようになり、模試ではA判定が多くなった。

そして3月もう一度大阪市立大学を受験し、合格する。この時点でバトミントン熱は全くなく、どの部活に入るか模索している最中だった。そこで突然そんな自分に手を差し伸べてくださった人物が我が陸上部の主将であり、生野高校の先輩でもある細谷雅貴。彼が自分に「陸上部の体験きてみやん?」と気軽にラインをする。この一文で人生が変わるのだ。自分はこの言葉に乗せられるように陸上部の体験に参加する。そこで陸上の不完全燃焼がフラッシュバックする。「自分は大学でも陸上をしたいのか」「つらい練習に耐えることができるのか」「バトミントンという選択肢はないのか」等のことを自問自答。

その後は何かの魔力に吸い込まれるように陸上の練習に参加するようになり、入部していた。そして今がある。1浪してなかったらバトミントンをしていたのかもしれない。しかし、一回受験に落ち、大阪市立大学をもう一度受験することを決めた段階で陸上を続ける運命は予め決まっていたのかも知れない。このようなことを色々考えて、堂々巡りにならないうちにこのブログを締めたいと思う。

 

次のブログは東海オンエア好きの稲葉さんに回したいと思います!よろしくお願いします。

ではこのへんで終わっておくでごわす。(ブログを更新することを完全に忘れて、更新が遅れてしまっていたことは秘密です笑)