新元号「令和」が万葉集から出典されたことで、
愛媛にゆかりある
「熱田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今漕ぎ出でな」
(661年3月 額田王:女性、皇族、また采女との説も)が注目されています。
この熱田津は、一般的には松山道後温泉ように書かれいるようですが、
松山には、斉明天皇関係の伝説はどうやら皆無のようで、
どう見ても、
伝説だらけの朝倉でしょう!
温泉もありました。
(600年代終わり頃の大地震で温泉が止まったとの記述があります。)
その昔は、海岸線が今よりずっと山の方まで来ていたようで
朝倉港と呼べるくらいらしいです。
遠浅の浜で、潮の満ち引きで、舟の出発が左右されます。
潮が合って、さあ、出発だ!ということでしょう。
そして、行き先は(百済ですが、)九州の朝倉です。
そこで、斉明天皇はなくなってしまったのですが、
一説には、大好きな今治の朝倉に帰ってきて亡くなったとも。
今こそ、斉明天皇、夏姫、遠智娘の
一大ブーム、おこらないでしょうか?
どう、おもしろいでしょう。