観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

モンゴルの動物を調べるまで

2012-06-25 07:54:08 | 12.3
4年 野呂ほづみ

 卒業研究でモンゴルのフスタイ国立公園に生息する草食獣4種(モウコノウマ・アカシカ・ユキウサギ・マーモット)の食性を解明しようと決めたのは4年生になる少し前でした。それまでは動物園でオカピの実験を計画していたため動物園に実習に行ったりしていました。しかし、どうやらオカピの実験は難しいという話になり断念せざるを得なくなりました。研究室に入室する前から動物園での研究を希望していたので残念なことではありましたが、モンゴルでの研究はとても興味をそそられたので、やりたい、と思えました。実際にモンゴルに行けた事は良い経験にもなりました。公園内とはいえ広大な土地に放たれた動物たちは動物園で見る姿とは異なり、いきいきしているように思えました。この時感じたギャップやインパクトを忘れてはいけない、と思いました。しかし、限られた日数の中では限界があり、私は対象動物の一種であるモウコノウマを近くで見る事はできませんでした。帰国して卒業論文を書いていると「去年も行けばよかった、ゆっくり観察したかった」と何度も思いました。二度行ったところで満足する事はないと思いますが、やはり一度きりでは分からない事や後悔もありました。「一度しか行った事ないのにそんなこと言い切れるの?」と訊かれると返す言葉がありませんでした。きっと、事前の準備をしっかりとして、勉強をしてから行けば、調査地に行く回数が少なくても十分なデータがとれていたのだとも思いますが、同輩が何度か行ける調査地で研究をしている事を羨ましく思う事もありました。これから研究をする後輩が私と同じ思いをしないといいなと思います。
 最後に、野生動物学研究室に入った2年は長く、その中で学びや発見も多くありました。ここにいた2年間を糧に、今後の生活につなげられたら、と思います。
 お世話になった、先生方、モンゴルでお世話になった方々ならびに同研究室の皆様、ありがとうございました。

卒業をむかえて~何を守り、なぜ守るのか~

2012-06-25 07:51:37 | 12.3
4年 杉浦 義文

 もうすぐ、2年間の研究室生活が終わろうとしている。正式に入室したのは3年生の時だったが、1年生のときから研究室に出入りしていたので、実質は4年間。自分の人生が変わった4年間だった。今までならば見えてこなかった(視界に入らなかった)、家の周りに飛んでくるジョウビタキやアスファルトを突き破って生えているエノキ、そして実家の裏山にあるたくさんのタヌキやノウサギの糞。この4年間でこれらが自然と目に入るようになった。そして、血を見ることが苦手な自分が解剖をバリバリするようになった。命というものに悪い意味でクールだった自分が、タヌキやシカ、キョンの解剖をおこない、死体と向き合うことで、心を動かされるようになった。
 そして、ここでの活動が、野生動物保護管理事務所への就職にもつながり、本当に人生が変わったと思う。大学に入学した当初は、「動物園で絶滅危惧種の保護に携わりたい」というよくある目標を持っていたが、野生動物学の第一回目の講義を受けてこれが変化した。その講義で、高槻先生は「一羽の傷ついた小鳥を救うことも命を守るという意味では大切だが、生態学的に考えた時、山一つを、生態系全体を守ることの方がより多くの命を守ることにつながるのではないだろうか」と。自分のなかで、これだ!と思った。動物園で希少種を守ることも大切だが、その動物がその場所(ニホンジカが日本の森で、タヒはモンゴルの大草原で)にいることこそ、本当に守るべきではないかと思った。こうして、私は野生動物やその動物たちが生きる自然をもっと知りたいという思いと、それらを守っていくことに貢献したいという思いからこの研究室に入室した。
 この研究室に入ったときに、私はある目標を掲げていた。それは、「なんで野生動物を守っていくのか?」をはっきりさせたいということだ。本には、野生動物の絶滅は回避すべきことであり、生物の多様性は新しい医薬品の開発など人間社会に貢献するから、と書いてある。しかし、人間生活のためということでは、薬にならないようなものは守らなくていいのかということになるし、理由もなくただ守りましょうでは万人の理解は得られないだろう。自分自身がこの部分を理解していないでは、周りの人たちに野生動物を守る意味を説明できないと思い、日々の講義やフィールドワークではこのことを考えていた。
 2年間、考えてみたが、納得する答えがでたかというと疑問である。しかし、何かを掴んだ感触はある。教科書に書いてあるような理屈的なことではないが、野生動物を含めた生態系を守っていくことは、やはり感情的な部分が大きいのではないかと感じた。歴史的な建造物は、直接的に人間に利益を生み出すものではないが、それを見ることで歴史を感じ、一種の感動を与えている。自然に暮らす生き物たちもこれと同じく、長い歴史と進化によって今存在していて、動物たちの暮らしや生き物同士のつながりの複雑さを知ったときには感動を覚える。教科書的な何かよりも、動物が好きだ!自然ってすごい!というような感情的なものが、こんな素晴らしいものを自分の子供や孫たちにも見せたい、残していきたいとなっていくのではないかと思う。
 もちろん、教科書に書いてあることも、経済活動が優先する社会では、意義付けとして重要だということはわかっているが、人の気持ちを変えるには、心に響くものも重要ではないかなと思う。言いたいことがうまくまとめられていないが、これが私の掴んだ、野生動物を守る意味である。今後も、私は野生動物と近い距離で関わっていく。そうしたときに、理屈をこねるだけではなく、いい意味で感情的な部分も持ち合わせていこうと思う。

木を伐るということ

2012-06-25 07:39:58 | 12.3
4年 神宮理沙

「木を伐らないから、人工林が荒れていく。」
最初は説明されてもよくわかりませんでした。このことを初めて知ったのは大学1年生の5月で、サークルに入ったばかりの私たちに4年生の先輩たちが嵐山を案内してくれた時です。その時の私は、人工林を管理していく積極的な意味がわからないでいました。使わないのなら、管理する必要なんて無いのではないか。放っておけばいつかスギの木は枯れて、人工林になる前の森に戻るのではないかと、漠然と考えていました。

けれど自分で森に入ってみて、いろんなことを経験させてもらって、いろんな人の話を聞いて、その考えは変わっていきました。
管理放棄された人工林からは土の流出が止まらなくて、山は本当に砂利だらけになっていました。私が活動している森でも、沢が潰されて砂防ダムができました。砂防ダムを作る前にやることがあるではないかと、一緒に活動しているおじさんたちは怒っていました。その人たちは、森は100年かけて1cmしか土を作れないから、雨の日は山に入って土を踏んではいけないと教えてくれました。それだけ土を大切にしないといけないと。そしてこの地域にも木を植え森を育ててきた人たちがいたことを知り、今もそのために頑張っている人たちがいました。
人が木を使う限りどこかで人工林は必要とされる。そして実際に、日本の森の半分弱は人工林になっている。そうであるなら、私も“人工林の中の”生き物のことをもっと考えたいと思うようになりました。

そんな理由で研究室に入ることを決めましたが、具体的に何を知りたくてそのためには何を調べれば良いかもわかっておらず、テーマもなかなか決まりませんでした。
けれど、自分たちが木を伐っている嵐山で、木を伐った効果を調べたいと思いました。間伐しているのといないのとでは森の様子が全然違っていたから、生き物も違うだろうと考えていました。そして、違ったらいいなという願望もありました。きっと、自分たちがやっていることの証明がしたかったのです。管理の仕方によっては、生き物が戻ってくるのだと。

高槻先生からは本当に面白いテーマをいただきました。木を伐れば森が明るくなって植物が増える。では、その植物の先の生き物同士のつながりがどうなっているのか。それを調べるために、花と虫の関係を見ることになりました。
結果は思ったよりきれいに出ました。間伐した人工林では植物は成長して花を咲かせ、虫が来て実が成るものもありました。

卒論発表の予行練習の時、高槻先生に言われたことがあります。「国や林業組織ではなく、一般の人たちが間伐整備してきたことが生き物のつながりを改善することになったのだから、こういう活動がもっと広がると良いということを謝辞のところで入れたらいい」と。
本当にうれしく思いました。たくさんの人たちが頑張ってきたことの効果の一端を卒業研究で示すことができたのだと感じました。サークルと研究室と、両方やっていたからこそ考えられたこと、得られたことがあったと思います。

初めて自分たちで木を伐った時、とても怖かったのを覚えています。大きな木を倒すことに対する単純な怖さもありましたが、いろんな人たちが育て、自分の3倍も生きている木を伐るという事実はとても重いのだと思いました。だから、なぜ木を伐るのか、木を伐ることで森がどうなるのか、その木をどう活かしていくのかをちゃんと考えていかなければいけないと教えられました。

私が今度就職するのは、里山の森づくりを行っているキャンプ場のような場所です。人工林や林業と直接は関係ありません。けれど、何に価値を見出してどう森に手を入れていくのか、どう森と付き合っていくのがよいのかということは、つねに考えていきたいです。






測ることの出来ない成長

2012-06-24 15:02:26 | 12.3
4年 寺内麻里絵
 卒業式を目前に控え、今パソコンに向かって書き始めたこの文章が、私にとって最後のオブザベーションだ。そう思うと、どこか悲しいような寂しいような、なんとも複雑な心境になる。
 研究室に配属されてから2年間。私は何をやって来れただろうか。小さい頃から好きだった動物。特に、とても大きくて、しかし、すごく優しそうな目をもっているゾウが一番好きだった。それから少し大きくなって、地球の環境や野生の動物たちにたくさんの問題が起こっているのだということを知った。私はやっぱり動物が大好きだったから、もっと動物たちについて知りたい、何かできることはないだろうか、どうすれば解決できるだろうか、と考えた。
 中学、高校は普通の学校に通った。みんなと同じように一般的な科目を学んだけれど、動物に対する興味は消えていなかった。大学になって自分の学びたい分野が選べるようになると、私は迷わず動物学について学べる学校を選んだ。その時々で夢中になったものや趣味は変わったけれど、動物に対する関心だけはどうしても消すことができなかったからだ。
 大学に入り、二年間基礎的な動物学を学んだ。そして研究室を決める時期になって、それまでもっとも興味のあった野生動物学研究室への所属を希望した。こうして私はこの野生動物学研究室の一員となった。
 研究室に入ってからは、長いようで、実にあっという間だった。決して多くの調査地に行けたわけではないし、たくさんの実績を残せたわけではないけれど、それでも自分なりにたくさんの経験と成長ができたと思う。これは、動物学、そして野生動物に関することだけではない。もっと自分自身を作り上げてくれるものだと考えている。研究室での生活を通して、そのような勉強ができたこと、本当に心から大切だと思える友達と出会えたことに、これ以上ないほど感謝している。もうあとわずかで、この大学、研究室から卒業してしまうが、この場で学ぶことのできたこと一つ一つが今後の自分にとって大きな糧になるということを信じて、新しい方向へと進んでいきたい。
 二年間、本当にありがとうございました。

卒業式を控えて

2012-06-24 14:52:28 | 12.3
3年 安田慧美

 もう研究室に入ってから1年ほどとなり、もう少しで後輩もたくさん入ってくるようです。私は大学生になってから部活動等で後輩はいなかったので、高校生の時以来3年ぶりに後輩ができます。当時は運動部に所属していたので主に練習中に指導をしていましたが、来年度以降はどんな感じに接すればよいのかがよく分かりません。今まで何度か解剖に参加しましたが、まだまともに頭を落とせた試しがないし、ほんの少し山道を歩けば真っ先にダウンすることも知ったので、後輩には「きっとあなたの方が私よりできるから大丈夫!」というアドバイスをしてしまいそうです。
 さて、いよいよ先輩方が卒業されるということで、月日の流れがとても速いことに驚いています。私の体感時間としてはあと8ヵ月くらい一緒にいられると感じていたので、さびしい限りです。でも、ということは、「私もあと1年で卒業なんだなぁ」と思ってしまいます。「ちゃんと動物について勉強(卒業論文など)したかったなぁ…」と思うのは早すぎる、「むしろこれからじゃないか」と思い直しました。
 いずれにしても、4年生の皆さまご卒業おめでとうございます。私も充実した卒業論文が作れるようにこれから精進します。卒業後も研究室にも遊びにいらして下さい!