カウリ博物館の展示を見ていると、ブッシュマンという表記が繰り返し繰り返しでてきます。
「ブッシュマン」
映画にもなったぐらいで(セスナから捨てられたコーラのビンを拾ったアフリカの原住民ブッシュマンが、「神様の贈り物」とビンを巡って大騒ぎとなるコメディーで、主役の二カウが有名になったあの作品)
「それはアフリカでしょう~」
と思ったら、つい最近までNZにもいたという
カウリを伐採していた人やカウリの樹液「カウリガム」と呼ばれるものを採集していた人など、19世紀半ばからカウリの伐採が禁じられるまで、カウリ関係の仕事に従事していた人たちの総称のようです。
このお父さんとか・・・・
かなりの人が独身の若い男性でしたが、独り身のままブッシュマンとして生涯を終えた人も珍しくなかったようです。
この老人ジェームス・ゴードンは64年間カウリガム採集に従事した94歳
仕事を終え、ベッドに入るまでトランプに興じる4人もブッシュマン。
1921年撮影
彼らが住んでいた小屋
これは模型ですが、残っている写真から見てもかなり実物に近いよう。
素材や建て方などはマオリの教えも請いたよう。
カウリ博物館の説明では、
「ヨーロッパからの入植者はマオリに魚の釣り方や生活の仕方を習った」
というような友好的な関係を語っていて、
「ホントかな」
と訝っていたのですが、帰ってから歴史の授業でノースランドのフィールド調査をしてきた温(17歳)の話を聞くと、この地の移民は移住ブームの中でもかなり後から入植してきたため、酪農に適した平野部のカンタベリーやワイカトにはすでに土地がなく、消去法でこの地にやってきたそうです。
ワイロア川をマオリたちが小舟で行き交い、道はなく、カウリの巨木に覆われたレインフォレストがどこまでも続くような、酪農とはほど遠い土地を前に、彼らの生きる術はブッシュマンになることしかなかったようで、馴れない土地で生き延びるために、かなりマオリの力を借りたそうです。
何万年もかけてできたカウリの森は100年足らずで消滅し、彼らはやっと牧草地となる土地を手に入れることができました。しかし、皮肉なことに、そこからノースランドの衰退が始まり、カウリがもたらした繁栄は永遠に過去のものになってしまいました。
今でも傾斜地の多いノースランドは決して牧場に適した場所ではなく、平野部と比べて生産性が劣るんだそうです。(泊ったタンゴワヒネのオーナー談)
NZの牧場経営で一番規模が大きいのが酪農ですが、毎日牛を集めて集乳することひとつを考えても、平らな土地の貴重さが想像できます。
(この写真のワイカトでの酪農の様子はコチラでも)
実物大の模型として残されたブッシュマンの小屋
新聞がベタベタ張ってあります。
新聞は湿気取りと暖房の効果もあったそうです。
いくら暖かいノースとはいえ、冬は寒かったでしょうね。
これはブッシュマンたちのコックだった人の家の再現。
マオリの家と見分けがつかないほど似ています。
この写真は入植者がイギリスにいた頃に住んでいた家。
相当な生活の落差を強いられた人も大勢いたのでしょう。
カウリガムを採取しているところ。
カウリの幹に傷をつけ、カウリ自らが傷を癒すために出す樹液が固まってガムになり、それを集めて高級ニスなど工業原料にしていたそうです。
驚いたことに、ガムディガーはゴールドディガー(19世紀のゴールドラッシュのときに世界中から一攫千金を夢見てやってきた金鉱掘り)と違い、
1960年代まで存在した職業だったのです
64年といえば、ワタクシ2歳。東京オリンピックの年です。日本では高速道路や新幹線が開通していた頃に、NZでこんな生活をしている人がいたとは・・・・
(当時のNZは相対的に今よりもずっと豊かだったはずですが・・・)
「ブッシュマン」
映画にもなったぐらいで(セスナから捨てられたコーラのビンを拾ったアフリカの原住民ブッシュマンが、「神様の贈り物」とビンを巡って大騒ぎとなるコメディーで、主役の二カウが有名になったあの作品)
「それはアフリカでしょう~」
と思ったら、つい最近までNZにもいたという
カウリを伐採していた人やカウリの樹液「カウリガム」と呼ばれるものを採集していた人など、19世紀半ばからカウリの伐採が禁じられるまで、カウリ関係の仕事に従事していた人たちの総称のようです。
このお父さんとか・・・・
かなりの人が独身の若い男性でしたが、独り身のままブッシュマンとして生涯を終えた人も珍しくなかったようです。
この老人ジェームス・ゴードンは64年間カウリガム採集に従事した94歳
仕事を終え、ベッドに入るまでトランプに興じる4人もブッシュマン。
1921年撮影
彼らが住んでいた小屋
これは模型ですが、残っている写真から見てもかなり実物に近いよう。
素材や建て方などはマオリの教えも請いたよう。
カウリ博物館の説明では、
「ヨーロッパからの入植者はマオリに魚の釣り方や生活の仕方を習った」
というような友好的な関係を語っていて、
「ホントかな」
と訝っていたのですが、帰ってから歴史の授業でノースランドのフィールド調査をしてきた温(17歳)の話を聞くと、この地の移民は移住ブームの中でもかなり後から入植してきたため、酪農に適した平野部のカンタベリーやワイカトにはすでに土地がなく、消去法でこの地にやってきたそうです。
ワイロア川をマオリたちが小舟で行き交い、道はなく、カウリの巨木に覆われたレインフォレストがどこまでも続くような、酪農とはほど遠い土地を前に、彼らの生きる術はブッシュマンになることしかなかったようで、馴れない土地で生き延びるために、かなりマオリの力を借りたそうです。
何万年もかけてできたカウリの森は100年足らずで消滅し、彼らはやっと牧草地となる土地を手に入れることができました。しかし、皮肉なことに、そこからノースランドの衰退が始まり、カウリがもたらした繁栄は永遠に過去のものになってしまいました。
今でも傾斜地の多いノースランドは決して牧場に適した場所ではなく、平野部と比べて生産性が劣るんだそうです。(泊ったタンゴワヒネのオーナー談)
NZの牧場経営で一番規模が大きいのが酪農ですが、毎日牛を集めて集乳することひとつを考えても、平らな土地の貴重さが想像できます。
(この写真のワイカトでの酪農の様子はコチラでも)
実物大の模型として残されたブッシュマンの小屋
新聞がベタベタ張ってあります。
新聞は湿気取りと暖房の効果もあったそうです。
いくら暖かいノースとはいえ、冬は寒かったでしょうね。
これはブッシュマンたちのコックだった人の家の再現。
マオリの家と見分けがつかないほど似ています。
この写真は入植者がイギリスにいた頃に住んでいた家。
相当な生活の落差を強いられた人も大勢いたのでしょう。
カウリガムを採取しているところ。
カウリの幹に傷をつけ、カウリ自らが傷を癒すために出す樹液が固まってガムになり、それを集めて高級ニスなど工業原料にしていたそうです。
古いカウリガムは独特の光沢を放ち、装飾品としても珍重されました。
カウリ博物館の日本語訳では「琥珀」と訳されていました。
彼らはガムディガー(ガム採掘者)と呼ばれていました。
ダーガビルに立つ銅像もこんな彼らの1人だったわけです。
カウリ博物館の日本語訳では「琥珀」と訳されていました。
彼らはガムディガー(ガム採掘者)と呼ばれていました。
ダーガビルに立つ銅像もこんな彼らの1人だったわけです。
驚いたことに、ガムディガーはゴールドディガー(19世紀のゴールドラッシュのときに世界中から一攫千金を夢見てやってきた金鉱掘り)と違い、
1960年代まで存在した職業だったのです
この写真は1964年に撮影された、自宅の前に立つガムディガー。
64年といえば、ワタクシ2歳。東京オリンピックの年です。日本では高速道路や新幹線が開通していた頃に、NZでこんな生活をしている人がいたとは・・・・
(当時のNZは相対的に今よりもずっと豊かだったはずですが・・・)
一番の晴れ着で自宅前に立つ、独り暮らしのガムディガー
「彼はここで亡くなるだろう」
とあります。本当にそうだったのでしょう。
役牛を飼っていた牛飼いも時代とともに消えていったのでしょうね。
牛が大きいのか、人が小さいのか、妙なほどの縮尺。
その一方で、木材やカウリガムの売買で一財をなした人たちがいて、
彼らのための仕立て屋があり、写真館があり、使用人がいて・・・・
ハリー・ポッターにそっくりな子がつまみ食いをしている、
裕福な暮らしぶりもあったわけです。
歯医者とブッシュマン
なんとも複雑な思いで博物館を出ると、目の前には、
ガムディガー・カフェ
一雨きそうな空を見ながら、温かいコーヒーでまずはひと息つきました。
【おまけ】
映画ブッシュマンでは主役が二カウですが、NZで二カウといえば、
この木!
博物館の展示品でしたが、レプリカがあったらほしかった
「彼はここで亡くなるだろう」
とあります。本当にそうだったのでしょう。
役牛を飼っていた牛飼いも時代とともに消えていったのでしょうね。
牛が大きいのか、人が小さいのか、妙なほどの縮尺。
その一方で、木材やカウリガムの売買で一財をなした人たちがいて、
彼らのための仕立て屋があり、写真館があり、使用人がいて・・・・
ハリー・ポッターにそっくりな子がつまみ食いをしている、
裕福な暮らしぶりもあったわけです。
歯医者とブッシュマン
なんとも複雑な思いで博物館を出ると、目の前には、
ガムディガー・カフェ
一雨きそうな空を見ながら、温かいコーヒーでまずはひと息つきました。
【おまけ】
映画ブッシュマンでは主役が二カウですが、NZで二カウといえば、
この木!
博物館の展示品でしたが、レプリカがあったらほしかった