ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

無条件の肯定

2013-08-26 | 私事・リタイア・人生
歳をとるにつれ、自分自身に対して
より優しく、批判的ではなくなった。
私は自分の親友になった。
(As I've aged, I've become kinder to, and less critical of, myself.
I've become my own friend)


友だちからのメールにあった一文に目を奪われました。
最近の自分の気持ちを代弁してくれているかのようでした。


自分に優しくなる。
自分に批判的ではなくなる。



それは歳とともにハードルを下げてなあなあになることではなく、
自分を信じる
という、より先の段階に進んだ証のように思えます。


「こんなんじゃダメだ。」
「まだまだ。もっとできるはず。」
「なぜこれしかできないのか?」
「どうしてこんなに○○なんだろう?」

(※○○は「要領が悪い」とか「根性がない」とか批判的な言葉)


など、向上心があって前向きな人なら、反省し自分を叱咤激励し、
前へ前へと進み、少しでも夢や希望に近づこうとしてきたはず。
真摯な生き方は人生を豊かにし、経験と自信ももたらしたはず。


し・か・し、
半世紀も生きると、さすがに状況が違ってくるようです。
「これでいいのでは?」
「もう十分。けっこうがんばった。」
「こんなにやったではないか!」
「どうしてこんなに○○なんだろう?」

(※○○には「幸運」とか「恵まれている」とか感謝の言葉)


「そんなの自分に甘くなって、楽しようとしてるだけじゃん
と思われるかもしれません。
ほんの数年前まで私もそう思っていました。


子どものためには心身・財力ともにできる限りのことをする
依頼された仕事は断らない
「やるべき」と決心したことは寝る間も惜しんで邁進する
など、ハードルをどんどん高くしてキャパを上げてきました。


「そんなのムリ
と思っていたことが、あっという間に日常になり、
さらにハードルを上げて一段上を日常化していく・・・
子どもが生まれてからは、ずっとそんな毎日でした。
それに合わせて心身も財布もずい分鍛えられたと思います。


温(19歳)を名古屋に送り出し、善にも手がかからなくなり、
ふっと20年ぶりに『自分』が自分のもとに帰ってきました。
より正確に言えば、やっと『自分』に巡り会ったというか


そして、
「これでいいのでは?」
「もう十分。けっこうがんばった。」
「こんなにやったではないか!」
「どうしてこんなに心が落ち着いているんだろう?」

いつしか、心の中で自分に語りかけ、労を労っていました。


それは自画自賛などという、薄っぺらな空しい過程ではなく、
長い人生でもなかなか味わうことのない
深い深い信頼の過程です。


より優しく、批判的でなくなれるのは、
そこに深い信頼があるから。


投げかけた優しさが裏切られたり宙に浮いたりすることがなく、
例えそれが向上のためであっても、「もっとできるはず」という
不信の余地が全くない、無条件の肯定・・・・


自分を練習台にしながら、夫、子どもたちと身近な人から順番に
無条件に肯定していける底なしの心の広さを得るために
(※思わず下線つき!試験勉強かっ
より先の段階に足を踏み入れたように感じています。


これは長く生きてこないと実感できない感覚でしょう。
頭での理解ではなく、気がついたら一線を越えていた
というようなもので、人により越えるタイミングも違うはず。
確実に言えるのは、歳を重ねないと越えられないということ。


As I've aged, I've become kinder to, and less critical of, myself.
I've become my own friend.



歳をとるって、素晴らしい


こっちは生まれたときから

兄弟で親友だニャン
(※私に「無条件の肯定」を教えたのは猫です)






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