ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

Life is Gift

2011-03-13 | 経済・政治・社会
東北・関東大震災から2日目。
覚悟をしていたこととは言え、被害者の拡大は燎原に火を放つような勢いで、とうとう「万人単位」という関係者の予測が出てしまいましたね。

おとといの夜、ラグビーの生中継を観ようとテレビをつけると、そのままになっていたNHKが映し出され、画面の下をテロップが流れていました。一目で異常事態が発生したことが見て取れ、「津波」の文字に緊張しました。

日本時間で午後3時25~30分ぐらいのことで、最初の地震発生後30分足らずの時間でした。


画面はすぐに巨大津波が押し寄せる、まるで映画の一コマのようなシーンに変わり、私たちはこの歴史的な現場をNZに居ながらライブで目撃したのです。

次々と飲み込まれる家々、大きな漁船が丘に向かって波頭を走り続け、ミニカーのように見える避難するクルマがあっと言う間に波間に消え、それでも津波の勢いはまったく衰えず、奥へ奥へとまるで意思があるように、躊躇うことなく進んでいきました。


あの映像を見たとき、
「犠牲者は万単位になるだろう」
と思いました。それは決して認めたくはない辛く冷酷な現実でした。


今日やっと電話で話せた敬愛する叔母は、
「東京大空襲よりひどい。空襲は焼け残った場所もあるけれど、津波はすべてを襲った。」
と感想を漏らしていました。あの地獄を生き延び、そこを起点にその後の人生を生きる叔母にとり、あれ以上の地獄を見た初めての経験だったようです。


避難したものの、まだ建物の屋上などで孤立している方が大勢いて、3日目の夜を迎えようとしています。屋内でも朝晩の寒さが厳しい場所で、暖房も多分食料もなく迎える夜はどんなに辛く苦しいことか。一刻も早く、こうした孤立した方々が救出されますように。


そして、福島第一原発1号機の爆発以降、放射線漏れが最大の二次災害として浮上してきましたが、政府の発表を信じる限り、今のところ、チェルノブイリのような最悪の事態は回避できているようですね。


「爆発」という二文字には足がすくみましたが、その後の慎重かつ冷静な対応には拍手を送りたいと思います。特に枝野官房長官の記者会見での対応は久々に日本の政治家を見直す、貴重な機会となりました。


クライストチャーチ地震でもボブ・パーカー市長、ジョン・キー首相と要人の記者会見を何度も見ましたが、まったく遜色がありませんでした。書いたものを読み上げるのではなく、報道陣を見据えながら自分の言葉で語り質問に答える、日本の政治家には稀な姿に希望を感じました。


被害の規模の大きさ、未曾有の原発事故という国家としてよりも、人類として前人未踏の難局にありながらも、慎重かつ丁寧に舵捌きを続けていることは、一国を預かる政治家の役割としては当然でありながら、決して容易なことではないでしょう。なにが最適なのか、誰にも答えはありません。


そんなとき、一番連絡がほしかった友人からメールが入りました。


まだ余震がすごいので安心できませんが、猫もわたしも今のところ生きています。

海岸は死体の山と聞き、体が震えています。

拾った命、これからです。

安否の確認ができない親戚もいます。
日本沈没、そんなことが現実に思えます。

でも、目の前のことをひとつずつ。

Life is Gift. これほど実感したことはありません。



仙台に住む、20年来の友人からの消息です。
目の前のことをひとつずつ
本当にそうですね。


「ここから何ができるだろう?」
と思ったとき、出てきた答えは2つ。

寄付

自分の生を一生懸命、丁寧に生きること


生きたくても生きられなかった人たちを想いながら、与えられた人生を精一杯生きることで、遠くからでも犠牲者を弔いたいと思います。

がんばりましょう!