ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

祭りだ、わっしょい

2015-10-05 | 日記

 

あちこちに神社の祭礼の幟を見かけます。

地元の神社でも、昨日、神輿が出て、町内を練り歩いていました。

わっしょい、わっしょい、の掛け声で、窓の下を見たら、神輿が通るところ。

 

神様を上から目線で見下ろしちゃいかんぞ、と思いながら、ベランダに出て撮影。

子ども神輿が2基、前が小学生、後ろは中高生が担いでいるようでした。

周りに見守り?の大人たち、それと子どもの父母たち、お巡りさんもいて交通整理。

 

子どもたちの祭り半纏の背には、宝町、の文字。

まだ、新しそうなところを見ると、町会あたりで新調したのでしょうか。

年寄りの半纏は色がグレー、背中の文字は宝木塚(ほうきづか)、これは旧町名です。

 

何人かの大人が揃いの紫色のTシャツを着て、Houkiduka PTAの文字。

近ごろはPTAでもこういうものを作って着るようです。

昔の町名の宝木塚は、近くの小学校の名でしか残っていませんが、個人的にはこちらが好き。

 

昭和30年代の住居表示変更で宝町に変わったようです。

それまでは本田宝木塚町、さらに遡ると宝木塚村になります。

宝木塚町の1字だけ残して宝町、簡略化すればいいというものではありません。

 

ここに住み着いたのは偶然ですが、カミさんの父親の名が宝(旧字で寶)でした。

もっとも、たから、とは読まずに、ゆたか。

その昔は、庄屋だったということですが、義父の先代の頃にはだいぶ没落していたようです。

 

本田宝木塚町(現在の宝町2丁目)。

そこに、彫刻家の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)のアトリエがありました。

義父の寶の末の息子が彫刻家、これも偶然。

 

同じく宝木塚町には有限会社佐藤ビニール工業所。

なんじゃい、それは? おもちゃのタカラトミーのタカラの前身の会社。町名からタカラを社名に。

だっこちゃんブームが1960年、50年以上も昔のことです。

 

わたし自身は神輿を担いだことがありません。

子どもの頃、家の近くにも神社がありましたが、なぜか祭りそのものの記憶がほとんどない。

遊び場のひとつにはなっていたのに、どうしてなのでしょう? 忘れてしまっただけ?

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