10周年記念誌の原稿を書かなくては。
そう思っていたところへメールが来て、「1件原稿が届いたので、300字ほどでいいです」。
そう言われてもねえ、10数年の想いを300字に盛り込むのはかえってタイヘンです。
書いては直し、直しては削り、増やしてはまた直し・・・やっと書き終えた原稿が306字。
6字の字余りが気になって、よし、300字ちょうどにしてやるぞ。
でも、この6字削除が意外と難しく、結局そのまま送って終わりにしました。
さて、おからのことを、なぜ、うのはな、と言うのか。
その前に、おからとは、豆腐を作る際にできる搾りかすのことです。漢字で書くと御殻。
卯の花という呼び方は、生け垣などに植えられているウノハナに形状が似ているから。
何だ、そうなのか。でも、ウノハナの形状が思い浮かばない。たぶんオカラに似ているのでしょう。
ついでに、キラズ、という呼び方もあることを知りました。漢字だと、雪花菜、と書く。
包丁で「切らず」に済むからキラズ。それじゃミもフタもないので、雪のようだと洒落てみた。
と、わかってしまうと、残っていたモヤモヤが消えます。
どうやら、人は、わかりたい、という衝動を持つイキモノのようです。
猫や犬などのイキモノが、わかりたい、と思うのかどうかはわかりません、だからわかりたい。
でも、すべてのことがわかるはずもありません。
といって、わからないとモヤモヤしたものが残るし、ことによっては不安にもなります。
そうすると、わかる、わからない、にも、幾つかの状態があることがわかってきます。
よくわかった、何とかわかった、わかったような気がする、少しわからない、全然わからない・・・。
と段階をつけてみましたが、自分のわかり加減というのも、なかなかわからないものです。
時々、すべてのことについて、わかったような気がしているだけではないのか、とも思います。
ともかく、人はわからないと不安になり、わかると安心することはたしかなようです。
それでは、わかったと思うと、なぜ、安心するのか。
色々なことが予測できたり、コントロールできる気がするからなのでしょうか?
そこはわからないのでまだまだ安心できません。ん?