土曜日に、木枯し一番が吹きました。
とはいっても、寒暖の差が大きく、今週にはまだ25度を越える日もあるとか。
また、空気が乾燥することも多く、老人性掻痒症の身にとってはつらい季節です。
というように、「わたし」不在の文章が書けるというところが日本語のいいところ。
これが英語なら、「I」抜きというわけにはいきません。
I think・・・わたしは思う。メンドくさいなあ、思うのはわたしに決まっているだろうが・・・。
そういうメンドくささがイヤで英語がキライになりました。
Je pense・・・わたしは思う。仏語も同じです。これもキライになりました。
日本語をぜひ世界共通語にしてほしいものです。
日本人は自己主張が足りないとよく言われます。
現役の頃、海外育ちの上司がいて、その人もしきりにそういうことを言っていました。
何かにつけて、わたし、わたし、わたし、でした。あまり続けると、たわしになるぞ。
こういう人は少ない。会議などでも、何となく結論が決まってしまいます。
といって結論に必ずしも賛成ではなく、あとになって、おれは反対だったんだけど・・・。
だったらそう言えば。でも、なんだか反対できる空気じゃなくて・・・。
色々な不祥事が起きた時、責任の所在がたいてい曖昧のまま終わります。
空気でものごとが運ばれていくことが根本にあるからかもしれません。
なぜ、空気でものごとが決まるかというと、わたしが不在だからなのでしょう。
わたしが不在であるなら、わたしの責任も不在になるのは理の当然。
と考えると、わたし抜き、わたし不在の言語文化がその背景にあるのかもしれません。
ラクだと喜んでばかりもいられませんが、やはりラクだ、ラクだ・・・そのうちラクダになるぞ。