秋の彼岸の頃は、台風襲来の特異日なのだそうです。
今年も16号が向かっている途中、どうやら日本縦断の可能性も。
25日には会議や講座があるので心配・・・・願わくば日本海を抜けて行って欲しいものです。
さて、彼岸というのは、川の向こう岸の意。
川のこちら側の岸が此岸(しがん)ですが、此岸から彼岸へはなかなか行けないようです。
なぜかというと、その川には橋がかかっていないから。
しかも、日々荒れ狂う大河、泳いで渡ろうにも決して辿りつけません。
それでも大勢の人が彼岸を目指す。そこにはいったい何があるのでしょう・・・・。
てなことを勝手にイメージしてみましたが、これはあくまで比喩。
わたしが今いる俗世間がが此岸、そのわたしが永遠に辿りつけない彼岸は「悟り」の境地。
迷い、煩悩、執着・・・・この世に生きていてそんなもの無くせるわけないがな。
でも、煩悩だって死ねばみんななくなるんじゃないの?
ところがどっこい、煩悩は死なない!
生きているうちに、迷い、執着、煩悩・・・・みんな消してしまわない限りダメ。
ダメだとどうなるの?
死ねない、というか、いったん死ぬのだけれど、またこの世に戻ってくることになる。
再び同じように消えなかった煩悩をいっぱい抱えたまま・・・・、それが輪廻転生。
悟れなかったら永遠に生死を繰り返す、なんて考えてみたら恐ろしい話。
よくこんなことを考えついたよね。
なにしろ無とかゼロとかの発明者?だものね、インドの人たちは。
わたしも死んだら生き返らないように、これから修行を始めるかな・・・・。
そう不真面目に考えた彼岸の一日なのでした。