50年前、初めてコンピュータに触れました。
パソコンはまだ存在せず、大きな広い部屋を占有するどでかい機械でした。
汎用コンピュータ・・・機械だけでも数十億、数百億円かかる代物。
その割に性能はチャチなもので、大型コンピュータといえども今のパソコン以下。
しかも、ソフトが無ければタダの箱。
必要とするソフトを開発すれば、膨大な人件費もかかります。
それでも、企業はこぞってコンピュータを導入し、自社業務のOA化を図りました。
経済の高度成長期だったからです。
儲かるぞ、わたしの勤めていた会社もそれでコンピュータのシステム開発事業を始めたわけ。
その頃、流行った言葉が、プログラマー25歳定年説。
技術進歩が激しすぎて、若い人でないと追いついていけないからです。
わたしはもともとプログラマーの適性に欠けていたので、職種はシステム設計職。
そのシステム・エンジニアにも30歳定年説がありました。
これまたシステム開発技術の高度化などで、技術面では使い物にならないのです。
で、30歳で早くも技術定年。
以後は社内的にはプロジェクトの人・物・金の管理が主な仕事。
社外的には顧客との折衝、あるいは新規顧客の開拓など。
というわけですから、スペシャリストとは到底呼べず、ゼネラリスト的会社人生・・・。
どちらが良い、という話ではありません。
自分の性格から、そうなるべくしてなったのだろうと思います。
なるようにしかならないさ・・・それがわたしの性格の根っこですから。