若いころ、失恋を経験しました。10代後半、思春期の頃。
自分が想うほどには相手は思ってくれず、片思いでした。
想う人には想われず……世の中、ままならぬものと知った最初の経験です。
人それぞれに思っていることは違う、ということも学びました。
同時に、他人は決して自分の思い通りにはならない、ということも。
こうした体験は、けっこう、その後の人生に影響を与えたような気がします。
それから数年、われ思うゆえにわれあり、の言葉を知りました。
疑おうと思えばすべては疑える、ところが疑っている自分そのものは疑えない。
というようなところですが、そうなんだろうか、と違和感が残りました。
昨日、パソコンに飽きて寝転んでいて、その二つのことが思い出されました。
たぶん、脳の中にトゲのように刺さった記憶になっているのでしょう。
それから50年経っていますから、わたしも様々な経験をしているはずです。
ただ、わたし、思う、他人、というのは、人生の基本ワードです。
そういうこともあって、忘れられない記憶となって、わたしの一部になっているのでしょう。
この世界とわたし、わたしとあなた、知らない人の存在……。
とりとめのない想念のままに時間だけが過ぎてゆきました。
仏教には、無我、という言葉もあります。
われ思うところのわれは無し……デカルト先生とは真逆の考えなのか、そうでないのか。
思うわれだけを信じるデカルト先生は精神主義か。
別に恋愛関係でなくても、あなたなくしてはわたしもないのではないのか。
すべてはひとつではないのか、あるいはすべて関係性だけで尽きるのではないか……。