電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2006年2月28日(火) いざパタゴニアへ

2011年02月28日 | '06南米旅行記
南米チリ・サンチアゴ
朝は、同室の日本人が一緒の時間に起きてくれて、電気をつけながら準備が出来て助かった。通常は早朝の出発は同室の人の気を遣ってコソコソと準備をしなければいけないので有難い。

5:55AM、真っ暗な中、宿をでてホテルNIPPONの前にに行くと、すでに車が到着していた。中には二人乗客が乗っていた。そのまま空港へ。

15分ほどで到着。
チェックインを済ませ、待合ロビーで待つ。フライトタイムは8:20AM。国内線なので一時間前でよいはずだが、チケットを購入するときに二時間前といわれた。よく南米はオーバーブッキングのトラブルが多いとの話なので早めに行って損はないかな。

通常フライトの30分前くらいに搭乗を開始するのではないだろうか、しかし搭乗手続きを開始したのは8:15AM。早くチェックインしたので窓側になったのはいいとして、なんで自分は毎度毎度 翼の近辺なのだろうか。

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ
隣は5歳くらいの女の子、その隣にお母さんが座る。この女の子が落ち着きがなく、立ったり座ったり声をだしたり・・・。

南米チリ・パタゴニアへの飛行機機内食
9:30AM機内食が配られる。席をグループで分けアテンダントがそれぞれのグループの先頭から配りだすのだが、自分が一番最後、なかなか順番が回ってこなくてお腹が空いた。ハムチーズ入りのクロワッサン、とフルーツ。

一度、プエルトモンで降りて客を降ろす。この経由があることを知ったのは搭乗してからのアナウンス。数人が乗り降りをしてすぐに出発。
しばらくして寝てしまう。

目を覚ますを隣の親子が機内食を食べている。プエルトモンで乗った客だけでなく全員へのサービスだ。
今度は配るのを逆の順序にしたらしく、他の客に配っているのが見える。自分のところにでるはずだったが機内食はおかれていなかった。結局後ろのアテンダントがやってくるのを待つ羽目に。またもや最後になってしまう。
メニューはクロワッサンの形状が三日月状から四角に変わっただけ。でも二食食べれたのは得した気分。

ここで横で落ち着きのなかった女の子が椅子の上に立った弾みで彼女の机を蹴っ飛ばしジュースをこぼした。
床においていたカメラを入れている小さいバッグが汚れてしまった(涙)。お母さんは僕のジーパンがぬれたことは気づいていたようだが、カバンは見えていないようだ・・・。うーん、まぁ女の子は写真撮影にも応じてくれたしかわいかったから許す。

パタゴニアに近づき高度が下がりパタゴニアの大地が見えてきた。まさに絶景。写真を撮りまくる。
飛行機の翼が入らない写真も撮りたかったなぁ。しばらくこの景色に酔いしれる。

予定より10分遅れ12:50PMプンタアレーナスに到着。
機内に持ち込んでいたサブバックを見るとべたべたに塗れている・・・。中に入れたオレンジジュースがこぼれていたのだ。紙パックのジュースだったが余った分が惜しくてカバンに入れたのは間違いだった・・・。ノートパソコンのスポンジの入れ物も少し塗れた(涙)。バッグの背中部分が全面的にぬれてオレンジ臭い。しかも食材のたまねぎの一つがなにか腐っているようで、その二つの臭いがかなりヤバイ。

バックパックを回収しロビーへ。
一度空港からプンタアレーナスの町までバスで移動してから、プエルトナタレスへのバスチケットを買わなければいけないかと思ったが、ちゃんと空港から直でプエルトナタレスに行くバスがでているようだ。

南米チリ・プエルトナタレス
チケットを買い、白い大型バスへ。
なぜか乗ってから40,50分程待たされただろうか、2:00PM頃出発。

4:00PM頃、レストランでトイレ休憩。

3:00PM頃町に到着。
さっそく客引きが寄ってくる。ビーニャの汐見荘の情報ノートで「日本語で書かれた紙を持ったCasa de Chilaには絶対に行くな」と書かれていた。一番に近寄ってきたが無視。

次に情報ノートにお勧め宿として紹介されていた「Geminis(ヘミニス)」の紙を持った英語を話せる女性が来た。情報ノートには3500ペソと書かれていたが4000ペソと提示してくる。二泊するから7000ペソにしてと交渉するが折れない。そんな交渉をする自分をあっさり諦めてしまう。
なぜ?仕方がないのでこちらから話しかけ決める。

南米チリ・プエルトナタレス 宿Geminis
宿は、歩いて2分ほど。
中に入り始めはNo5の部屋を見せてもらう。狭い二畳ほどの窓のない部屋にベッドが一つ。ちょっと暗くて雰囲気が良くないというと、となりのNo5のツインベッドルームでもOKとのこと。キッチンは二つ(後に奥の大きな方は おそらくこのホテルの家族用らしいことが判明)、広々としている。
案内した彼女はやはりツアーオフィスのエージェントで、さっそく一階のカウンターでツアーの話に。

こちらも明日のパイネ国立公園1Dayツアーを申し込むつもりでいたので、申し込み。ついでに二日後の、アルゼンチンのエル・カラファテ行きのバスも購入。

南米チリ・プエルトナタレス

南米チリ・プエルトナタレス
さっそく外にでて町散策。大きなスーパーもある、値段を見るが、パタゴニアは物価が高いと散々言われていてビーニャで買い込んだ訳だが、それも杞憂だったかな。あまり値段が違うという印象はない。

南米チリ・プエルトナタレス
町の小さな教会のあたりを回りつつ海岸へ。広々と公園が整備されていて気持ちがいい。結構多くのレストランが町中に存在しているが、客が入っている気配がほとんど感じられない(時間がずれているからか?)。

南米チリ・プエルトナタレス
スーパーでいろいろ購入して7:00PM頃、宿に戻る。

南米チリ・プエルト・ナタレス 宿Geminis
いつもパスタばかりではなんなので、日本から持ってきた米を使ってご飯を炊く。持っていたたまねぎとさっき買った玉子で玉子丼。日本から持ってきた醤油とかつおだしが活躍。

南米チリ・プエルト・ナタレス宿Geminis
この宿の一階は道に近い側がレストラン(なにか料理を出している気配がないが)、奥が家族の家。子供の女の子が二人いて、ちょくちょく覗きにくる。特に妹と思われる方はかなり人懐っこくてかわいい。料理をしながら写真を撮ってあげたりした。玉子丼という料理も相当気になったらしい。


南米チリ・プエルト・ナタレス
レストランのスペースで食事。
この宿 他に宿泊客が二人いただけ、しかも一度チラッとみただけ。キッチンも自由に使えたし、宿の家族もいい感じ(おじいちゃん・おばあちゃんもいる)で なんか落ち着く。

夜もまったく物音しない。部屋でまったりしていたら電気をつけっぱなしで寝てしまった。


※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月27日(月) 再びサンチアゴ

2011年02月27日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
9:30AM頃 目が覚め、シャワー。朝食に再びガーリックトースト。
H口さんも起きて、朝から貝を醤油などで煮込んでいて美味しそう。まったりした朝食の時間を過ごし、パッキング。

12:00PM、チェックアウト。H口さんと?さんが玄関まで出てきてくれお別れ。H口さんはグァデマラで採ったという黒曜石をくれた。こういうのすごくうれしい。
宿の前の道で88番のコレクティーボに乗りビーニャの町へ(400ペソ)。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
教会の前で降りる。まだ全然ビーニャの町を見ていないので、そのままバスターミナルに行くのではなく、少し町を散策。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
広場の北あたりに行くと人だかりが。何かテレビの中継をやっているようだ。よく観ると、汐見荘にいたときに朝テレビでやっていた番組だ。毎日やっているのか今の音楽祭に関する番組なのかはわからないが、観衆は盛り上がっていた。

ぐるっと町を遠回りしてターミナルへ。
学割が使えると聞いていたCONDORの窓口へ。しかし学生証を見せるが首を横に振る。おかしいなぁ、チケットを購入し(3300ペソ←後で金額確認)、10分ほど待つ、バスの前に行き先と出発の時刻が出ているので分かりやすい。

1:15PM出発。

南米チリ・サンチアゴ
ぴったり2時間後の3:15AMサンチアゴのバスターミナルに到着。

南米チリ・サンチアゴ
ターミナル内の写真を撮っていると、小さい女の子を抱いた男性に声をかけられる。子供の写真を撮ってとのこと。最後に危ないからカメラを隠せとのこと。もう南米に入ってから二日に一度くらいの割合で地元民に言われるなぁ。

近くのメトロ(地下鉄)に乗り、Baqu?駅で降りる。
歩いて南にいき教会のところで右折。レストランJAPANの看板があるとなり、ペンション内藤。どこかの情報ノートに書いてあってそのメモだけを頼りに来た。
しかし、ドアは閉まっていて、叩いても反応無し。汐見荘で隣のレストランJAPANがここのホテルの経営者と聞いていたのだが今は昼休みで店が閉まっている。どちらの扉もなんども叩くが反応無し。
しょうがないので向かいのホテルNIPPONに行って聞いてみる。カウンターに一人日本人女性がいた。親切な人で、このホテルに泊まっている人でペンション内藤に泊まったことがある人(←多分)の部屋に内線で事情を聞いてくれた。
ドアにブザーがあるとのこと。そんなの無かったはずだが、と思いもう一度行ってみると、ちょうどドアから年配の日本人が出てきた。てっきり、ちょうどいいタイミングで出てきたので、さっきの内線の相手は実はこのオーナーにかけてくれて、そのオーナーが出てきたと思ったのだが、ただの宿泊客だった。その人に鍵を開けてもらう。

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ
中に入ると一人ドミトリーに日本人がいた。
彼にトイレの場所などを案内してもらう。なんだろオーナーがいないのに泊まっていいのだろうか・・・。外に出ようとするとまた別の年配の人がいて、鍵がないと不便だろということで、オーナーの娘(?)と話してくれて鍵をゲット。

一階がレストランJAPANという寿司屋、二階が家族が住むリビングなどや個室、そして余った二部屋をドミトリーとして貸し出しているという感じ。なんだか片手間に宿を経営しているのかな。壁の注意書きを見ると日本人しか泊まれない宿のようだ。

南米チリ・サンチアゴ
3:00PM、外に出て歩いて?の丘へ。

南米チリ・サンチアゴ
ここはあまり期待していなかったがすっごく良かった。門には立派な噴水。もともと砦の跡のようで多くの階段でどんどん上に登っていくことが出来る。頂上は小さな展望スペース。なかなか眺めがいい。

南米チリ・サンチアゴ
帰り際、噴水のところで遊んでいた子供たちが僕のカメラを見てニタニタするので近寄ってそばにいたお母さんに許可を撮ると快くOK。撮ったデジカメのモニタを見せるとむちゃくちゃ子供がうけていて楽しかった。

南米チリ・サンチアゴ
一時間この丘で過ごし、旧市街のアルマス広場の南のハンバーガー屋がたくさん並んでいるところへ。
ここの一軒でハンバーガー・ポテト・ジュースのセットを食べる。1470ペソ、安いなぁ。改めて国境の町サンペデロデアタカマで食べた4500ペソの料理が贅沢だったのが分かる。

アルマス広場のベンチでゆっくりする。汐見荘のM浦君が怪しげなCAFEのことを教えてくれたので、さっそくいっていたとおりの外観の店を発見し、中へ。ドアを開けたら薄暗い中にすぐに水着の美女がいてその周りでおっさん達がコーヒー(?)を飲んでいた。いまいちスペイン語が出来ない自分が堂々と入れる雰囲気じゃないのでやめた。

歩いて宿へ。
スーパーで水とビール(多分390ペソ)を購入。宿に一端戻る。オーナーがまだ帰ってきてないのは明らか。明日の朝早いのでそれの交通手段が心配だ。「地球の歩き方」にミニバスをホテルまでに迎えに来てもらうように手配するとは書いてあるが、どうせ英語も通じないだろうし、自分で電話するのは自信が無い。まだお金も払っていないので隣のレストランに行く。オーナーに会いたいが応対したのは日本語も英語も通じない従業員のおばさん(おそらくオーナーの奥さん)が応対。宿代は私に払ってといわれるが、空港バスのことがきになるので結局店の奥に行って寿司を握っていたオーナーに出てきてもらった。なにか淡白な人で空港バスについてきくと朝早いからバスがないのでタクシーしかないよなぁ・・・などと言われてしまう。まぁとりあえずそうしますと返事して、宿代をはらって外へ。

昼間対応が親切だった向かいのホテルNIPPONへ(ちなみにここのロビーを通る客は皆外人だった)。カウンターには日本人はいなかったが大きな体の男が英語が話せて助かった。
相談すると電話をして6:00AMに迎えに来てくれるように手配してくれた。宿泊客でもない自分に親切な対応をしてくれたし、チップを要求するそぶりもまったく見せなかったので、500ペソを渡す。僕が渡すとは思っていなかったのかすごくうれしそうにしていた。

安心して宿に戻って、ビール。
同室の日本人は昨日日本からサンチアゴについたばかり、今は12時間の時差があるので時差ぼけなのだろうか、僕が部屋に戻ると寝てしまった。

廊下に机(近くに電源あり)があるのでそこで日記を書いて過ごし、2:00AM頃就寝。


※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月26日(日) 一緒にバルパライソ

2011年02月26日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
9:30AM頃、目が覚め、シャワーを浴びる。外ではS根さんが覚えたてのギターを弾いている。

朝食にパンとヨーグルト。
朝からいい天気、宿のM本さん・M浦くん・H口さんと4人でバルパライソに行くことになる。全員が起きるのが遅めで朝食も皆10:00か10:30AMに食べたので12:00PMに出発し、お腹が空いたら向こうでエンパナーダなどを食べるなどしましょう ということに。

12:15PM頃、出発。海岸まで歩く。
天気がむちゃくちゃ良い。少しさびしげな海岸や町並みも今日は見違えて綺麗に見える。
大通りでバルパライソ行きのバスを捕まえる(400ペソ)。
昨日 歩いた魚市場をあっという間に通り越し、埠頭へ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
日曜日だからだろうかかなりの人でにぎわっていた。なにやらスペインっぽいダンスをしていたり。なにやら威勢のいい呼び込みで多くの人がボートに乗っている。

湾内の遊覧30分は1000ペソ(ちなみに少人数でのるボートは2000ペソ)。
次から次へとたくさんの客を乗せボートが出て行く、僕は消極的だったが、3人とも乗ろうかということになったので、列に並ぶ。
しばらくするとH口さんがやっぱりいいや、しばらくあたりを見ているよということに、M本さんもあとにつづきぬける。M浦君に再度確認すると乗りたいというので 一人だけにさせれないので自分は付き合うことに。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
小さいボートにたくさん人を乗せる。ちゃんとオレンジ色の救命道具をつける。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
最初はあまり気づかなかったが、湾内には軍艦や貨物船、ドック(船の修理などをする船)などたくさん見所があって充分楽しめた。


湾から遠くのバルパライソの坂の様子などがありありと観て分かった。軍関係のものは写真にとってはいけないということのはずだが、乗客は写真を撮りまくりなので自分も遠慮しない。
あっという間の30分だった。

船を上がるとH口さんが待っていて、軍艦にどれくらい近づきました?とか後で写真くださいなど。
彼は、汐見荘にある「沈黙の艦隊」を1巻から読み続けているので、かなり軍艦などへの興味が高くなっていたようだ。ちょっとボートに乗らなかったことを後悔しているようだった。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
まず一番古い建物がならぶ西側のソイマール(?)広場よりさらに西へ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
ここの名物アセンソール発見。かなり距離が長い。ここのアセンソールが有名なのか長い列ができていた。
10分くらい待っただろうか。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール
乗客を乗せた広い4畳ほどの広さの箱が斜めにゆっくり登っていく。単純ことだがなかなか楽しい。登った先で料金徴収(150ペソ)。

出口を抜けるとほんの少し観光客用のショップが並んでいた。出たところの見晴らし台でしばらくゆっくりし。南のほうへ適当に歩いていこうということに。
なぜか皆僕に行き先を聞く、僕が今回皆をさそってバルパライソに行こうといった言いだしっぺだからか?

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
今日はすごく晴れていて明るいから それほど感じないが、やはり噂どおり少し治安は悪そうな気配はある。
昨日ネットの外務省のチリのページでも最近バルパライソで強盗被害などが多発しているので注意などと出ていたのもうなずける。そのために4人で来た甲斐があった。

二人姉弟と思われる子供二人と目が合ったので写真を撮ると非常に人懐っこく接してきた。H口さんが少しスペイン語が出来るので通訳してもらう。手を出しているのでお金が欲しいかと思ったら、日本のコインが欲しいとのこと。なぜか自分の財布に100円玉があったので見せてあげるが、微妙に100円は惜しいので見せただけ。いつも外国に行くときに5円玉を持って行こうと思っているのだが毎度忘れてしまう。
分かれても何度も遠くからチャオと手を振っていた。こういう出会いが楽しい。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
町の壁には、らくがきともアートともとれるペイントがたくさん描かれていた。
坂を降り、近くのメルカド(市場)へ。時間が遅いせいか市場自体はほとんどの店が閉まっていたが、二階のレストランが庶民の店っぽくて見ていて面白かった。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
外に出ると、なにか路上で魚とか貝をさばいていたおっさんにH口さんが捕まる。味見をさせられていたがまずかったようだ。
広場のそばの売店でパンを買って休憩。

南米チリ・バルパライソ アセンソール
再びアセンソールに乗り上へ。上にある青空美術館なるものを見に行く予定だ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
行ってみるが、うーんどこに?みんな壁の書きまで指差し「アートだねぇ」とみんな馬鹿にしたようにつぶやく。もっとアートエリアとしてしっかりしているのかと思ったが、違うのか?たしかに町のいたるところの壁にペイントがされている。なかにはおもしろいもの力作などがあったが微妙だなぁ。諦め、階段を下りていくと壁の穴まで利用したアートが。3人でポーズをつけてもらい、おバカ写真に。

町に戻り、スーパーで買い物。パタゴニアは物価が高いので買い込む。少し買いすぎたか・・・。バスに乗り宿へ。こういう宿でしりあった仲間と観光するのは楽しい。いい思い出が出来た。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
宿に帰り早速パスタ。にんにく・マッシュルーム・クリームソース。フランスパンでガーリックトースト。フライパンでやったので見た目は良くないが美味しく出来た。宿のメンバーに食べてもらって好評だった。

部屋に戻り、まったり した後、リビングに行くと、皆寝てしまったらしくH口さんだけが沈黙の艦隊を一人で読んでいた。しばらく今までの旅のことなど聞いた後、彼がメキシコ(?)かどこかの日本人宿で日本の太平洋戦争について是か非かに2対2に分かれて討論をしたという話がきっかけで、僕とH口さんと一緒に戦後保障などについて議論がはじまってしまう。

H口さんは非常にまじめな人で僕の話も真剣に聞いてくれる。僕が読んだことある本も被っているのが多く話が合う。僕が今までの国でインディヘナの人がキリスト教の教会でお祈りをしている姿に関して違和感があるという話から、神や宗教についての話にまで議論が及び及び二人で延々討論、止まらなくなる。

結局4:30AMころ、ある宿泊客(夜型の人)が「まだ起きてたんスか?」と歯を磨きにリビングに入ってきたのをきっかけで議論終了とした。こういう話はなかなかできないので非常に面白く有意義だった。

全然眠くないが二人で部屋に戻り(同じ部屋)就寝。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月25日(土) ビーニャの魚市場

2011年02月25日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
7:20AM、今日 朝の市場に宿の4人と一緒に行く予定なので 起こしてもらう。

すぐに用意し出発。
バルパライソ方面にその市場があり、30分ほどの道のり。市場につくまでほとんど町を歩いている人がいない。土曜日ということもあるのだろうが、静か過ぎる朝だ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
住宅街を歩くコースで行き、市場に到着。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
普通に外で魚介類をならべて商売をしている。中には水揚げされた状態のままボートの上で魚やイカを売っている店もある。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
市場のおっさんも写真撮影には快く応じてくれ楽しい。

?さんが今回のメインとなるレイネッタと呼ばれる魚を購入。
すぐそばでチップを払い捌いてくれる。
H口さんはムール貝と名前のわからない貝を買っていた。女性のM本さんはカニを3匹買っていた。自分はホタテを買うつもりで行ったのに、市場に行ったらすっかりそのことを忘れていた。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場 エンパナーダ
30分ほど過ごし、市場をでるときに露店でおばちゃんがエンパナーダを売っていた。はじめ安い200ペソのものを買おうとしたら、よく観るとそれはチーズ入り。もう一つ400ペソの海産物入りのエンパナーダが看板に出ていたので購入。
貝が具に入っていて美味かった。食べながら宿に帰る。

M本さんが世界一周中でその写真を持っていた(外付HD)ので、ノーパソにつないで見せてもらう。南極の写真とか美しかった。
その間、Hさんがムール貝のバター醤油焼きをつくる。なんとスペイン語の「バター」と「ラード」の単語が似ているらしく間違えて買ってしまったらしい。だから正確にはラード焼きとなる。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
それが終わって、買ってきた魚をS根さんとM本さんとが準備。
S根さんが結構先頭を切って計画を立てていたし、この宿に居る期間も長いのでてっきり捌くのが上手いのかと思ったら、初めてとのこと。二人とも結構苦戦していた。

しばらくしたらS根さんのうわぁという声が。観ると寄生虫?か何かで白い1センチくらいの大きさのナメクジのようなものが魚の端から出てきた。微妙に動いている・・・。
うーん。切り身も現地の汚いまな板できっただけあって怪しげなので「水で洗いましょうよ」と提案するがS根さんは断固拒否。身が水分を吸って水っぽくなるからという理由だが、それよりも安心して食べたいのが僕の心情だが。
・・・とちょうど皿に盛り付けられたころ、宿に到着したばかりのM浦君が到着。一緒に刺身会となる。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
みんなそれぞれ醤油を持っている。僕もマイ醤油を出す。ちゃんとチューブのわさびを持っている人がいて使わせてもらう。
味は美味い。寄生虫を観ていないM浦君にも食べさせる。もちろん前もって虫の情報を与えインフォームドコンセントを得ておく。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
刺身を5切れほど食べただけのM本さんは持っていた味噌で魚を茹でて味噌スープを作る。虫を見てげんなりしていた彼女がそのスープのおいしさに饒舌に。
6人で刺身などを食べながら談話するが、3分に一度の割合で虫の話になるから面白かった。

自分は洗濯をして、外へ出てネットを一時間。

パン屋でいろいろ買い物。果汁のジュースのパック三つで1100ペソと安いので購入。パンも量り売りで1kg750ペソ(購入は210ペソ分)。
チリも買い物を工夫すれば安く済む。

宿に帰り、おやつとしてさっき買ったバターを塗ってパンを食べる。安いパンだがフライパンで少し焦げ目をつけて食べると充分おいしい。

部屋でDVD「義経」や「この夏は忘れない」を観るなどして過ごす。うーん、まったりし過ぎかも。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
7:30PM頃になったので、サンチアゴで買っていたトマトソース(といってもほとんどケチャップの味)とH田さんのムール貝を5つもらい、パスタ。
コンソメスープ・玉ねぎ・にんにくでソースにコクを出してみたりする。なかなかおいしく出来た。

宿のメンバーでおしゃべりし、自分の部屋で日記を書くなどして就寝。
たまには海外で何の観光もせず過ごすのもいいもんだ。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月24日(金) ビーニャデルマルの日本人宿

2011年02月24日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャデルマル
ゆっくり起床。シャワーを浴びる。
今日サンチアゴ観光にするか、ビーニャデルマルに行くか悩むが、サンチアゴはイースター島から帰ってきてからも観光できるし、いったん海鮮の町ビーニャに行くことに。

チェックアウトタイム11:30AM間際の11:15AMに宿を出る。
LosHeroes駅の地下鉄からバス停のあるUniversiad de Santiago駅に行き、ビーニャ行きのバスチケットを購入。
ターミナルの売店でエンパナーダを買い食べ、10分ほど待つバスが来た。なんというかチリは時間にしっかりしているし安心だ。
11:55AMバスに乗り、すぐ寝る。

1:40PM頃、ビーニャデルマルのターミナルに到着。
外へ出て歩く。町散策をしたいのは山々だが、今日は宿として汐見荘に宿泊する。そこは町から3kmほど離れている。「地球の歩き方」にAlvares通りから86、88番のコレクティーボに乗ると書いてあり、さっそくその道に行くが・・・そこは一方通行の道で汐見荘へ向かう方向とは反対方向。いいかげんな情報書きやがって。
反対側の大きな道に行き、86、88番のコレクティーボが通らないかしばらく待つが来ない。バスに適当に乗っても3kmほどの距離だと憶測で乗るわけにも行かない。

インフォメーションが近くにあるのでそこで聞いてみようということで歩き出す(今思えば宿に電話すれば良かったのだが)。
するとタクシー乗り場があり運転手が声をかけてきた。
宿の住所を見せると、すぐに分かった顔。いくらか聞くと何か数字をスペイン語で言っている。聞き取った数字が350だったのでそれを紙に書いて見せると「Si(イエス)」とうなずく。なにか怪しいのでバックパックをトランクには入れさせず、助手席に置く。車に乗ってサイド紙を見せて確認。彼はうなずく。

安心して乗り、7分くらいで到着。
到着して小銭でちゃらちゃら350ペソを渡そうとすると、彼のポケットから1000札を出し、違う違う3000ペソだという。あぁまたか・・・。さっき自分が書いた350を見せる。
するとペンを取り上げその下に3000を書く。さらにレシート(機械で出てくる紙)を見せてくる。強い口調(日本語と英語)で抗議で応戦。
荷物を強引に降ろす。すると運転手は逃げるように汐見荘の玄関に行きチャイムを鳴らす。
この宿は看板などをだしておらず外観は普通の家のよう。だが彼がここが宿だと知っているかのようだ、何回も来たことあるのか、それともただガイドブックを見せてつれてきているので宿だと判断したのか分からないが。
チャイムで少し運転手は中の人間と話、ひとり優しげな日本人の年配の方(宿のオーナー山岸さん)が出てきた。
運転手が彼に何か言っている。山岸さんに状況を聞かれ答える。彼はスペイン語で僕にもともと正規の値段を言ったんだ、と主張。
だいたい最初の接触からこちらがスペイン語わからないことは運転手は分かっているし、その確認で乗る前に紙に書いて確認したんだ。
自分は運転手に350の数字を見せしばらく抗議。
しかし、運転手は山岸さんにしか話そうとしない(スペイン語で話すので当たり前といえばそうだが)。
これから泊まろうとする宿のオーナーに迷惑がかかるのも嫌なので結局払った。運転手の態度からはじめからしらばくれるつもりだったのは間違いない。
しかし、悔しいなぁ。たかが日本円に直すと600円くらいなものなのだが、根負け。

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘
宿の建物は手前は普通の家のよう。奥が客室の建物で中庭があってマッタリ出来そう。共有スペースには日本の本がたくさんキッチンは狭いが必要なものはそろっている。
一通り壁に貼られている地図を見ながら、この周辺の説明を親切にしてもらう。

南米チリ・ビーニャデルマル

南米チリ・ビーニャデルマル
一息ついてから、町を散策。
さすが金持ちの避暑地。別荘らしきリッチな建物が立ち並ぶ。小さい八百屋とかパン屋とかもあっていい感じの町だ。
日本語が使えるというインターネットを宿でメモしておいたのでそこで二時間もネット。今まで読むだけはしてきたが久々の日本語で書き込むことが出来るのでブログの返事書きやmixiの日記更新、メールの返事書きなど。
パン屋でパンを購入。

南米チリ・ビーニャデルマル

南米チリ・ビーニャデルマル
一端宿に戻る。宿にいる日本人で明日の朝 市場に買い物に行く約束をする。ちょうど自分も翌朝行きたかっただけに楽しみだ。
しばらく宿で過ごし、夕焼け空になったので再び外へでて、今度は海沿いを歩く。

宿に戻ると8:50PMだった。日が長いので、まだ7時くらいの間隔だった。
僕を待っていたかのようで、すぐにリビングで翌朝の市場に行く予定を話し合いをした。
自分は夕食。サンチアゴで買っておいたたまねぎと宿にフリーでおいてあったコーンスープの元でスープスパ。

南米チリ・ビーニャデルマル
今日はここビーニャで大々的な音楽祭が行われている。それをサンチアゴで聞いていたが音楽祭という名前からなにかオーケストラなどのコンサートかと思ったら、世界中の多くの有名アーティストがスタジアムでコンサート。A-HAのTake on meなど 知った曲も。
しばらく宿の皆で観てから部屋へ。

部屋で同室の男性と宗教や神の話やら色々と熱く語り合い、結局寝たのは3:00AMくらいか・・・。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月23日(木) 中央市場でウニ

2011年02月23日 | '06南米旅行記
南米チリ・サンチアゴ
7:30AM頃目が覚め、シャワー。
一階にあるインターネットで30分ネット(150ペソ)。朝食抜きにしようかと思っていたが、朝食を買うために昨日行ったスーパーでパンと1リットルジュース(200+600ペソ)を購入。

南米チリ・サンチアゴ
テレビルームで食べながらノートパソコンで日記を書く。

11:30AMに昨日のメンバーで中央市場にウニを食べに行くという約束だったので、チェックアウトを済ませロビーにいた美鶴さんと合流。残りの二人は少し遅れてきて、出発。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場
電車に乗り、駅を出てすぐの市場へ。中は思っていた市場というイメージとは違い、一階にはレストランの座席が広がるスペース。
日本人の自分たちを見ると皆「ウニ・ウニ」と声をかけてくる。しばらく一階の店などを見て、「地球の歩き方」に載っているDondeAugustoの客引きがきたのでそれにつれられ二階にあがる。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ
美鶴さんがウニとライスを注文。由紀さんはアナゴ(?)のフライ。自分はPastel de Jaivaというカニグラタン。恵美さんは魚介類系の臭いがするところが苦手らしく気分が悪いのでなにも注文しなかった。
他の人の料理もつまませてもらったがどれも美味い。ウニにはちゃんとわさび(韓国産)と醤油付。たしかに美味いが量が多い。美鶴さんも量にはうんざりしていた。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場
食べ終わって一階を観て回っているとやはり「ウニ・ウニ!」と客引き。安いという言葉を知らず、皆「No高い」を繰り返していた。なぜか日本に留学していたという甘い顔のチリ人女性がいて少しおしゃべり。

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ
外へ出て、モールを通って南へ。モールはもう本当に先進国という感じの風景。アイスを食べたりしながら歩く。今回、サンチアゴ館という日本人宿が安いとの情報を聞き皆で見に行くという目的もあった。

南米チリ・サンチアゴ
探し出した住所は、インターネット屋。おかしいとおもいつつ、カウンターの男に聞くと、日本語で書かれた宿の料金表を出してきた。どこにホテルがあるというんだ・・・?不審がる皆を見て、すこしネットの客を捌き、待たされた後、カウンターの横のドアをあける。なんで物置なんかこんなときに覗いているんだと思ったら、それが宿への入口。
階段があり登っていくと屋根裏部屋のような感じのところに日本の本がたくさん並ぶ。電子レンジテレビ・将棋などもある。奥が部屋になっていて窓が無い。ある部屋で電気つけて見せてというが点かない。
うーん、なんだこの宿は。何か税金対策で違法に営業しているんだろうか。なにか独特な空気というか怪しいというか。まぁ、ある意味面白い。話のネタになった。

外へ出て、ハンバーガー屋やピザ屋などがずらっと立ち並ぶ通りを歩く。どこも似たようなお店だが安いしすごくそそる。今度飯の時間にまた来たい。

南米チリ・サンチアゴ
南へ歩いて地下鉄に乗りTobalabaで降りる。その駅から歩いて日本語が通じる旅行会社アンデスニッポンツーリストへ。対応にあたってくれたのはかわいい女性だが声が小さく少し自信がなさげな人。パタゴニアの旅や航空券の相談をいろいろしたかったのだが、彼女はパタゴニアにいったこともないし、とにかく元気が無い・・・。チケットの値段はいろいろ見せてもらったが思ったよりずっと高い。由紀さんと恵美さんも日程は違うが同様の相談をしたかったようだが、いまいち消化不良。
一端 近くのラインチリオフィスに行ってさらに安い航空券が無いか確かめに行くことに。いったん駅の近くのマックで時間をつぶしていてくれた美鶴さんと合流し、一緒にオフィスへ。

相談すると、ここ4日間の出発では、サンチアゴ→プンタアレーナス往復422USDという金額。ちょっと高すぎ。
結局悩んだ末2月28日発・3月6日にサンチアゴに戻ってくるチケットを購入。322USDといわれて決めたがTAXがつくということで380.68USDに・・・。高いなぁ。いずれにせよ、どうせランチリのオフィスで買うならカラマなどにいたときに購入するべきだった。
これでパタゴニアまで余裕が出来てしまったのでビーニャでも明日から行こうかな。

4人でスーパーへ。由紀恵美二人組みは明日からイースター島なのでそのための買出し。美鶴さんはこのあとアントファガスタに行ってしまうが宿で9:30PM頃まで時間があるので一緒にワインでも飲もうと二人で話し盛り上がったが、そういえばグラスがない(宿にキッチンが無い)ので、購入は止める。かなり二人はじっくり品定めをして時間がかかった。

地下鉄で宿へ向かう。パタゴニアのバスのチケットを取りに由紀恵美二人組みはさらに地下鉄に乗りターミナルにいく。美鶴さんと宿に併設しているバーでワインで飲みながらおしゃべり。彼女はお酒が入るとすごく饒舌になる。短い期間だけ某通信社のバイトをやっていたようで少し裏話を聞けた。
それよりもけっこうエロ話で非常に盛り上がって楽しかった。女性からそういう話を聞く機会がないので本当に面白かったなぁ。

バスの時間なので9:30PMまだ話していたかったが切り上げ、地下鉄へ。暗いので駅まで見送り。駅のそばでちょうど由紀恵美に会ってちゃんと3人で見送ることが出来た。

宿に帰り、日記をつけようとノートパソコンをもって誰もいない静かなテレビルームにいくが、なんだか過去一週間の自分の旅の行程をみていたらイグアスにむりやりにでもいけたかなぁといろいろ地図を見ながらあれこれ後悔。
そうこうしていたら由紀さんが来て最後のお別れに来た。テレビルームの閉鎖時間なので廊下で少し話しお別れ。
部屋に戻り就寝。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月22日(水) 都会サンチアゴ到着

2011年02月22日 | '06南米旅行記
南米チリ・サンチアゴ
7:30頃だったか、目が覚める。しっかりとしたリクライニングシートのおかげでぐっすり寝れたようだ。あたりを見るとほとんどの人が毛布を使っていたようだ。自分は夜早いうちから寝てしまい貰い損ねたみたい。
係員が紅茶を配っている。コーヒーか紅茶かどうか聞いていて、自分は朝どちらか聞かれたらコーヒーと決めているので、身構えているとなにも聞かれずに紅茶をくれた。それとジャムのようなものが挟んであるクッキー。
隣の男がある場所で降りて別の男が乗ってきた。

1:50PM頃、昼食として弁当が配られる。ピラフとスコーンとリンゴのシロップ漬。なかなか悪くない。自分はバスの左側の窓側に座っているが、右側はずっと綺麗な海岸線が見える。窓も大きく見晴らしがいい。

4:40PM頃、住宅街にさしかかり、周りがそわそわし始めた。片言のスペイン語で「ここはどこ?」と隣の男に尋ねると、もうサンチアゴだという。たしかにカラマを昨日の16:15に出発して23時間の走行時間ということはもうついてもいいころだ。セミカマクラスのこのバスが結構居心地良かったのでもう少しくらい乗っていても平気なくらいだ。

南米チリ・サンチアゴ サンチアゴバスターミナル
4:55PM、サンチアゴバスターミナルに到着。
同じTurBusのバスがたくさん停まっている。

南米チリ・サンチアゴ サンチアゴバスターミナル
ターミナルは規模も大きく綺麗だ。サンチアゴには4つターミナルがあってどこに到着するか不安だったが一番便利がよさそうなこのターミナルでよかった。

南米チリ・サンチアゴ UniversidadSantiago
早速、地下への階段を降り、地下鉄へ。ここはUniversidadSantiagoという駅にあたる。
今回ユースホステルに泊まる予定なので、LosHeroes駅まで4区間。自販機らしきものが見当たらない、窓口で370ペソを払い購入。さっそく切符は自動改札機に吸い込まれてしまう。

南米チリ・サンチアゴ 地下鉄
地下鉄も陰気な感じもせず、近代的で綺麗だ。列車も座席が少なめで立つスペースが広く取ってある。海外の地下鉄というのは、なぜか乗るだけでわくわくする。それに行き先が明確で町中を動きやすいというのも分かりやすくて良い。日本の公共交通機関のように馬鹿みたいに値段が高くないし。路線図が車内に張ってあるし駅名表示もはっきりと示されていて今自分がどこの駅にいるのかも用意に把握できる。

LosHeroes駅で降り、SALIDA(出口)という南米に来て初めて覚えたスペイン語の単語の看板に従い外へ。外へ出るとちゃんと周辺地図が張ってある。2ブロック程歩きユースホステル「Hostel lingInternational Santiago」に到着。
うーん、さすが先進国・・・初めての土地なのに全然迷わない。

中に入ると、さっそく奥から女性から「こんにちはぁ」と声をかけられる。日本人の女の子3人。いきなりどこから来たのかとかウユニ塩湖の話やらいろいろ尋ねられる。まだバックパックを背負って落ち着かない状態なので、軽く答えてチェックイン。鍵の他に白いシーツを渡される。さすがユース。

部屋がある4階に行こうとすると、さっき女性から「今から夕食行くので一緒にいきませんかぁ?」とのお誘い。二段ベッドが二つあり、ちゃんと鍵付きの大きな荷物入れがあるドミトリ荷物を置き早速外へ。

南米チリ・サンチアゴ
お目当てのレストランが決まっているかと思ったら、そうではないらしい。
最初に入った店は、サンドイッチしかないので隣の店へ。メニューを見せてもらっても皆スペイン語がわからずひたすらウェイターに質問攻め。片言の英語で答えてくれる。結構注文に時間がかかっているのにウェイターは嫌な顔一つしない。さすが先進国チリ、ホスピタリティーもしっかりしている。
自分はハンバーガーとポテトとビールを注文(1700ペソ)。ビールはカラマでCRISTALを飲んだので今回はESCUDO。
女の子二人(恵美さんと由紀さん)は一緒にワンワールドのチケットで世界一周中。すでにオーストラリア・ニュージーなどを回り今日の午後サンチアゴに到着したばかりだ。もうすぐイースター島に行くらしい。もう一人は美鶴さんでユースに二泊している。明日の夜アントファガスタに向った後、ウユニ塩湖に抜けるようだ。
僕も旅の前にみた世界不思議発見のチリ特集を観たらしく、そこで紹介されたところに行くという。ちなみにNARUTO好きなアニメオタクらしい。
ひさびさのビール、ただの一杯だけだけどほろ酔い。

店を出て宿の近くのスーパーで買い物。
ユースは残念ながらキッチンが無いらしいが、次に行く予定のパタゴニア用にパスタの麺とトマトソース、チキンスープストックなどを購入。

南米チリ・サンチアゴHostel lingInternational Santiago
宿に戻り、外のテラスやテレビルームでおしゃべり。自分のペルーやボリビアの旅情報を彼女らに伝授。ここにピースボートに参加中の女の子がいて彼女とも会話。いまいちあの団体のノリに嫌気が差し、現在は集団から離れているらしい。

11:30PM頃になったので自分はシャワーを浴びたかったので、明日皆で中央市場に行くと約束して部屋へ戻る。

戻ると既に部屋が真っ暗で二人がベッドでお休み中。がさかさシャワーの準備とかで音を立てるのもいやらしいのでそそくさと自分も寝ることに。すぐにもう一人バックパックを背負って部屋に入ってきて結局がさがさ音を立てられたが・・・。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月21日(火) 休息のカラマ

2011年02月21日 | '06南米旅行記
南米チリ・カラマ
8:30AM頃目が覚め、レセプションのおばさんに「チェックアウトタイムいつ?」と聞くと12時とのうれしい返事。これでしばらくだらだらと過ごせる。

シャワー室でお湯がでるか水を出しながら確認していると、後ろからぬっと登場宿のおばさん。今から火をつけてあげるわよとガス湯沸かし器のようなところにマッチに火をつけてくれた。うーん、湯が出るようにするという当たり前のことかもしれないが、何かチリ人は親切な雰囲気が漂う。
シャワーを浴びた後部屋でDVD「義経」を観るなどしてまったり。

11:50AM、チェックアウト、バックパックを預ける。昨日買ったパン屋で昼食としてのパンを購入。3月23日広場で食べながらまったり。

南米チリ・カラマ
どこにも行かないのも癪なので南へ歩きエル・ロア公園へ。敷地は広いがなんか設備とか微妙・・・。
あいかわらずベンチでチリ人カップルが昼間っから濃厚にいちゃついている。屋根があるベンチでノーパソを広げ日記を書く。

4:00PM頃になったので宿に戻る。バックを回収し、出発。

今日の午前中にバスターミナルへの行き方をおばちゃんに聞いていた。No1~4、11~23のTaxiに乗りなさいということだったので町を走るその番号のTaxiを止めるが違うといわれる。運転手に手帳を渡すとLineA 11と書く。でもおっちゃんの車の上には11Aと大きく書いてあるんだが・・・。
次から次へ客を乗せていく・・・と思ったらこれはTaxiでなくコレクティーボだ。番号だけじゃ、よく分からないので近くの子供づれのお母さんに助け船。その女性に車を止めてもらう、親切だなぁ。バスターミナルの住所を見せるとOKだとのこと。女性にお礼をいい車へ。5分ほどで到着(350ペソ)。

南米チリ・カラマ
ターミナルをうろつく警備員に一応ここがチケットどおりの場所か確認。万が一トラブルがあってはいけないと思い、早めに出発したが、こうもすんなりターミナルにつけるとは。

南米チリ・カラマ

南米チリ・カラマ
1時間ほど待ち、バスに乗り込む。ちゃんとバスの前面にSantiagoの文字と時計板(手で針を動かせる板)で出発の6:15の表示。分かりやすい。今回バスのランクは購入時選択しなかったが「セミカマクラス」となっていた。車内はゆったり、前の席との間隔も余裕だ。上には読書灯までついている。

乗客が8人しかいない状態で発車。昨日チケット購入時どれも満席であれだけ苦労したのはなんだったんだ?昼に行ったエル・ロア公園近くで客を10人ほどピックアップ。こんなところ(歩いていけるところ)からも乗れたんだと思うが、こんなところ指定されてもおそらくわからなかっただろう。しばらく走り、あたりが夕焼けに染まる7:40PM頃、バスが停まりエンジンを切ってしまう。すぐに出発するだろうと小説を読みながら待つがずっと止まったまま。

南米チリ・カラマ

南米チリ・カラマ

南米チリ・カラマ
外に出ると道の工事中・・・。完全に通行止めさせてしまうとはすごいなぁ。止まっている最中。バスやトラック・工事のおっさんなど写真を撮る。

南米チリ・カラマ
お母さんと一緒の4歳くらいの女の子がいたのでカメラを向けると快くOK。やはりチリは前の二カ国と少し気質が違う。何枚か写真を撮ったらお母さんからメールを交換しようと申し出。初めてのパターンだ。でも撮らせて貰ったのでそれくらいさせてもらうことにしよう。

結局出発したのが8:30PM頃だった。

南米チリ・カラマ
11:30PM頃夕食(夜食?)のサンドイッチとジュースが配られた。ジュースは切り口を破ると中からストローが。こんな商品もあるんだぁ。

そんなこんなでいつの間にか夢の中。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月20日(月) 何かうまくいかない一日

2011年02月20日 | '06南米旅行記
南米チリ・カラマ
一端6:30AM目覚ましで起床。しかし二度寝をしてしまい、7:25AM頃起床。
慌ててパッキング。財布の中にチリペソが無かったが宿泊代の支払いはUSD払いでいけると思っていたのでレセプションでチェックアウト時に払おうとすると、断られる。両替屋で変えて来てとのこと。

慌てて町に出るがこの時間どこも閉まっている。広場近くにATMがあったことは把握していたので引き出しを試みるがやはりカードを受け付けない・・・。宿に戻りお金がゲットできない旨を伝えUSDで少し多めに支払おうとするが断固ダメ。バスオフィスなら出来るとのことなので走って行き、20USDを5100ペソに交換。レートが悪いがしかたない。

宿代を払い、バス停へ。
指定の番号の席に向かうとおっさんが座っていた。チケットを買うときに窓側で買ったし、ちゃんと表示も窓側だ。おっさんにあんた通路側だぞとジェスチャーで伝えても「ここ(通路側)座ればいいじゃん」と受け付けない。まあ、たった二時間程度の移動なのであきらめて通路側に座ると、今度は女性が私はここだとチケットを見せる。なぜかおっちゃんと同じ番号が被っている。女性が自分に抗議しかけたのでおっさんに強く言って窓側にやっと移ることが出来た。おっさんは頑として動かず、女性が立った状態でバスが出発。別の席の男が女性に席を譲っていた。

窓側ゲットは良かったが、眠いし、景色も荒涼とした退屈な景色が続くだけなので結局眠りこけ、気づいたら9:25AM、カラマの町にあっというまに到着した。

バスを降りる。
今日サンチアゴに行くバスに乗りたいがとにかくお金がないのでATMに。しかし、やはりカードが受け付けない。銀行のおっさんに操作を尋ねるが問題はないようだ。ちゃんと「PLUS」のステッカーが付いているのに・・・。おっさんがすぐそばCITIBANKにオフィスがあるからそこへ行けとのこと。歩いてすぐのところにそれがあり、ちゃんと英語の話せる女性が一人だけいた。非常に親切でいろいろ電話をかけてくれたりしたが、解決せず。モール・カラマと呼ばれるショッピングセンターがここから歩いて15分のところにありCITIBANKの本部?があるので、そこにいってみたらとのこと。

重たいバックパックを背負い、しだいに暑くなるなか歩いた。USDのT/Cが150ドルありそれを換金すれば今日はなんとかなるのだが、意地になっていた。
その前に、予約だけでもと駅そばのTurBusというバスオフィスに行きサンチアゴ行きを尋ねると「No(ノ!)」とあっけない返事。「マニャーナ(明日は?)」と言っても「No(ノ!)」・・・。このおばさんの後ろにちゃんとサンチアゴの名前と料金が書いてあるのに何でだよ!隣のPullman-Busに行くように指差す。行ってみて聞き対応したおばさんはすごく親切な印象だったが今日の分は無いとのこと・・・。

南米チリ・カラマ
とりあえずお金だ と思い、ショッピングセンターへ。店とかがあるエリアから少し離れたところにそれがあった。すごく近代的で綺麗。たくさんの店が入っていて興味があったがさすがにバックパック背負ったまま入っていくわけにもいかない。一通り歩くがCITIBANKは見つからない。インフォメーションで聞き指差すほうに行くが見つからない、あきらめ切れず一応外に出てみると、それがあった。入って英語が話せる人を聞くと、一人女性が「pencil」「desk」「window」とか知っている単語を言って陽気に答える程度。
しばらくソファで待っていると、眼鏡をかけたいかにも上司っぽい男性が来て、一応それなりの英語で相談を聞いてくれた。ちょっとここのATMで実際に試して見なさいと言われ指示通りの項目を押しながら進むと・・・現金(100000ペソ)ゲット!何で?小さい事務所で周りの女性職員なども自分の状況が分かっていたようで、この光景を見て笑っていた。
ここはたまたま「English」と答える項目があったので分かりやすかったが今までのところはそれがなくスペイン語。適当に押していたからいけなかっただけなのか・・・?うーん。

外へ出た時は11:50AM。何やってんだか。
しかし一つ問題が解決したので町に向かう足取りも軽い。
この町には用が無いのでなんとしても今日行きたいので、「地球の歩き方」に載っていたFlotaBarriosやFronteraなどに歩いて行くが、サンチアゴ行きバス自体ないよう・・・。再びPullman-Busに行くと行列、並んでいる最中「サンチアゴ」の単語が客から聞こえ不安がよぎる。ひたすら待って明日の分を尋ねるとパソコンのモニタを見せてもらい「0(セロ)」「0(セロ)」「0(セロ)」・・・といわれる・・・。うーん。

だめもとでさっき対応悪かったので行くのは嫌だがTurBusへ。
ここでも行列。二つの窓口があり今度は別のお姉さんの方へ。そしたら明日の6:30PMのバスの席が取れた。でもバスの出発がここの前ではなく少し離れたところ。筆記体で住所を書いてくれたが読みづらい・・・。一文字づつ確認したかったが後ろに後ろの並んでいる客がせかすので聞けなかった。

南米チリ・カラマ
出発まで時間があるのでなんとかなるかな。結局この町に宿泊するしかなくなったので宿へ。
メインストリートRamirez沿いにある「Hostal Splendid」へ。古いが清潔感はあるかな。おばちゃんもいい感じだが、キッチンが使えない(あるが従業員用のよう)。せっかく時間があるのにもったいないな。

南米チリ・カラマ
町中を散策するがあまり面白い町じゃないなぁ。ピーチネクターの1.5リットルのジュース(840ペソ)と肉屋で肉詰めパンとチーズ入りパン(750ペソ)を買い宿で食べる。
DVD義経を見ていたら寝てしまった。

南米チリ・カラマ
起きたら6:30PM。まだ外は明るいので少し散策して見つけたパン屋でピザとクリーム入りパン(450ペソ)を買う。なんか今日は無駄な一日を過ごしてしまったので(?)ビールでも飲むことに。お酒が売っている店がなかなか見つからなかったがミニスーパーのようなところで250ccのビンビールを購入(350ペソ)。
宿に帰って食べる。ビールは1リットルが700ペソくらい(←うろ覚え)で買えて割安で迷って小さいのにしたが後悔、ビールはすぐ飲み干してしまった。外国は特に大きなものほど割安になるので一人旅は損だ。DVDを観まくる。




※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月19日(日) ウユニ塩湖ツアー三日目 ラグーナベルデ

2011年02月19日 | '06南米旅行記
ボリビア・火山口
5:00AM起床。
昨日なかなか寝付けなかった。ジェルミンのいびきが凄いという理由の他にいろいろ将来のことなど漠然と不安になったから。
キムはこの時間に起きるのを知らなかったらしく状況が理解できておらず皆から笑われていた。カトリーヌの布団の上にネコが乗っていた。見ると部屋のドアが開いている。夜ドアをカリカリ音がしていたのはやはりネコだった。まさか開けてしまうなんて。

月が真上に輝く中、準備をして荷物を車に積み出発。

6:00AM、最初の目的地に到着。
朝日が昇る前の薄暗い中、あたりが煙が立ち込めている。地面から硫黄の臭いのする暖かい水蒸気が出ている。こんなところにくるとは知らなかった(スペイン語では説明はあったのだろうが・・・)から余計に驚きだ。

南米ボリビア・火山口

南米ボリビア・火山口

南米ボリビア・火山口

南米ボリビア・火山口

南米ボリビア・火山口
たくさんくぼみがあり下を覗くと白くにごった水からゴボゴボッっと泡が出ている。ウユニ塩湖が天国のような地だとしたら、ここは地獄のようだ。一度のツアーで天国と地獄の光景を味わえるとは。

南米ボリビア・火山口

南米ボリビア・火山口
水蒸気が立ち込める場所を歩いた先に車が移動しており、朝日が昇った頃 皆が車に戻り、6:40AM頃 出発。

南米ボリビア・温泉
25分ほど車を走らせたところで、今日のお楽しみ、温泉に到着。
川が流れるほとりに石で丸く露天風呂がつくってありうっすらと水面から湯気が立ち上っている。自分たちが到着した時には、すでに一台のツアーが到着しており、何人かが入っていた。
自分が写真を撮っている間にジェルミンがあっという間に着替え 自分たちのツアーの中で一番に入った。

南米ボリビア・温泉
夜行でウユニに到着したとたんにツアーに参加、そして二泊ともシャワーを浴びれていないので自分にとっては待望のお風呂となる。マチュピチュ村で温泉に入ったままの乾かすのをすっかり忘れビニール袋に入ったままでしまってしまい濡れたままの海パンを履きいざ中へ。熱い。ここの温泉の為にと さっきの場所までサンダル(靴下は履いている)で行ってしまい、足先と手先が非常に冷えていたので余計にそう感じる。
ゆっくりと中に入る。日本人にはちょうどいい温度だと思う。多分42度か43度、気持ちがいい。温泉のすぐそばでカトリーナは ただタオルを巻いただけですばやく水着に着替えていた。彼女に限らず他のツアーの女性もそうしている。ホント外国人の女性というのは大胆というかあっけらかんとしているな。

次々とツアーの車が到着し、20人くらいが同時に入ることになった。ジェルミンが外に上がった頃、ぞろぞろと皆上がりだした。非常に心地よく約30分も入っていた。結局キムは遠くに泊まっているランクルの周りをうろうろしていただけで入らなかった。後で聞くと昨日の夕食を食べすぎ気分が悪かったらしい。

南米ボリビア・温泉
ランクルに戻るとちょうど朝食の準備が出来ていた。スポンジケーキのようなパンとスクランブルエッグ、飲むヨーグルトもある。ここを離れるとすぐに 国境を越える自分とキムの二人と他の4人とはお別れになってしまうので、ここでeメール交換。
ついでにカトリーナが以前から自分の名前を日本語で書いてと言っていたので書いてあげた。日本語には3種類の文字があるという前置きをした上で、「カトリーナ」「かとり~な」「加藤利奈」と書いて渡した。

南米ボリビア・ラグーナベルデ
9:30AM頃、富士山に似た山が見える湖ラグーナベルデに到着。

それから、車で走ってすぐ 建物のあるところに到着。すでに国境越えのバスと思われる車がある。15分ほど待っただけでバスへの乗車を開始し始めた。皆とドライバーとコックも一緒になり記念撮影をしてこのツアーが終了。情報ノートなどで国境越えのバスが来ないとかそういうトラブルを聞いていて心配したが非常にスムーズで気持ちがいい。

少し走ったところで出国手続き、15Bsを払いあっさりと手続き完了。
みんなバスに戻るがキムだけが帰ってこない。建物に入るとまだ何かやっていた。彼は実は数日前にアルゼンチンから入国する際にボリビアの入国手続きをやり忘れていたらしい。ここで20USDを払い解決。お金さえ払えばなんとかなるようだが、痛い出費だ、キムはプチブルーになっていた。

南米チリ・国境越え
それを終えると、道は突然舗装道路になり、さっそくチリの先進国ぶりが伺えた。延々とまっすぐな道をひたすら下る。かばんに入れていたペットボトルが気圧が上がったためかへこんでいた。チリでの入国手続きは、非常に厳しい。野菜やら果物やらの持込が禁止されているのだが、ただの自己申告では終わらず、荷物の検査室で手荷物を念入りに検査員に開けて見られて、結構細かな袋にまでチェックする徹底ぶり。
チリはサマータイムを採用している、時計を一時間プラスする。

再びバスに乗り、サンペドロデアタカマの町に到着。
いかにも砂漠の町というような建物だが、店の看板など木製に統一されていてなかなかおしゃれ感が漂う。バスに降りる寸前に車窓から道の名前をチェックしていたので 降りてすぐホテルに向かった。
不慣れなホテルの客引きがいたが高いので無視。目的のホテル レジデンタル・ビラコジョへ。

南米チリ・サンペドロデアタカマ
感じのいいおばさんが迎えてくれた。部屋はシングル(といってもベッドは二つ)5000ペソ。やはりチリは物価が高い。中庭がなかなかGOOD。トイレにちゃんとトイレットペーパーもあるし清潔。ホットシャワーもでるようだ。キッチンも綺麗だ、なかなか良いかも。

南米チリ・サンペドロデアタカマ

南米チリ・サンペドロデアタカマ
外へ出て町を散策。たまたまシェパードがレストランの前にいて写真を撮ろうとしたら陽気な客引きに捕まってしまった。セットメニューで4500ペソ。日本円に直すと約900円だからいいかなとこのとき思って入ったが、今思うとちょっと奮発したなぁ。
チリは自炊をしようと決めていたが、何回かはレストランでチリ料理を食べるつもりでいた。「地球の歩き方」に載っていたカスウエラ・デ・アベという鶏肉の料理をメインにパン・野菜・アイス。
外に机が置かれなかなかゆったりした時間を過ごせた。

外に出るとちょうどキムと会った。今日カラマにバスで向かうと言っていたのに、結局チケットが取れなかったらしく、今日宿泊し明日の8:00AMに出発らしい。

一端宿に戻りトイレに行き再度出発。
Tramacaのバスオフィスに行く。向こうも手馴れたものでオフィスに入って2分ほどでチケット購入完了(1300ペソ)。
キムと同じ8:00AM発に合わせた。彼はカラマから飛行機でアルゼンチンに戻るらしいが、自分は明日カラマでバスを探しサンチアゴへ夜行で行く予定だが上手くいくか。
この町で当初はアタカマ砂漠のツアーに行くつもりだったが、なんだかここサンペドロの町から出ている行き先はウユニツアーと同じような雰囲気のところばかりで行く気が失せた。この町で何もしないのも癪なので、歩いていけそうで且つ入場無料なプカラ遺跡へ行くことに。

とりあえず「地球の歩き方」に載っている「→」の方向に進み途中のチリ人に道を聞き確認しながら歩く。チリ人道を聞いても人当たりがいい。チリは楽しく過ごせそうだ。
「地球の歩き方」に川が増水していると渡れないこともなんて書いてあったが最初の川越えには橋が架かっていた。ただ増水とは「橋が埋まるほどの」という意味かと思ったらしばらく歩いたらそうではなく本当に川をざぶざぶと渡ることになる。道がそこで途切れているし、そこにいた地元民も渡れ渡れという。幸いサンダル・・・ジーパンの裾をまくって川越え。しばらく歩いてもう一度ざぶざぶ川越え。なかなか楽しい。
誰も自分のように歩いて向かっている人はいない。唯一マウンテンバイクで後方から走ってきたヨーロピアンカップルがいたのでプカラ遺跡に行くんでしょと尋ねると「どこそれ?」という反応。有名じゃないのか・・・?

南米チリ・サンペドロデアタカマ・プカラ遺跡

南米チリ・サンペドロデアタカマ・プカラ遺跡

南米チリ・サンペドロデアタカマ・プカラ遺跡
カラカラに乾いた道を歩き遺跡に到着。
なぜか「1500ペソ」と入場料の看板があったが誰もいない・・・。入ってみるが地元の女の子が3人いるだけ・・・。人気が無いのね。
とりあえず上まで登る。遠くの富士山のような山が美しい。

ちょうど降りるころ一人男が登ってきた。日本人だ。他に全然観光客がいないのに会った人間が日本人とは偶然。

南米チリ・サンペドロデアタカマ
二人で話しながら町へ。偶然 同じ宿だった。

南米チリ・サンペドロデアタカマ
いったん写真をパソコンに落とす。さっき干しておいた海パンがぱりぱりに乾いている。調子にのり靴下を洗濯。
アルマス広場まで出かけインターネット30分(500ペソ)。宿へ遠回りして帰る。意外にレストランがたくさんある。ハンバーガーが安く出ている店などがあって、やはり昼の出費は後悔。
小さいが食料品を置いている店があって衝動買いでフィットチーネ(パスタの平たい麺)を350ペソで購入。

8:50PM、宿に帰るとさっきの日本人ケンジが中庭にいた。パスタを買ったことを伝えるとコンソメの固形スープの元を少しくれた、ありがたい。ひさびさの宿での自炊。オーストラリア以来か。マラスの塩田で買った塩で作る。シンプルだが腹の足しにはなる。

シャワーを浴び、DVDを観るなどして過ごす。



※1Bs=15円として計算
※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。