電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

グーグルで見つけたブログを書く理由

2007年01月24日 | 雑感
Google Earthのマチュピチュ
NHKのニュースや報道番組というのは、内部に「ある勢力の人間」がかなり入り込んでるせいなのか、かなり腐ってきているご様子なのだが(詳しいことは話がそれるのでココではしないけど)、数ある報道番組の中で「NHKスペシャル」だけは非常に優良な番組だ。

1月21日に放送された「"グーグル革命"の衝撃~あなたの人生を"検索"が変える~」を観て自分のブログについて考えた。

番組内で、情報だけでなく収入までもGoogleに依存している若者として、ジョン・ゲールさん(21歳)を紹介していた。
彼が番組の終盤 以下のようなことを語っていた。


 「ある日、僕がGoogleで自分の名前をキーワードで打ってみたら、
 自分が完全に忘れていた過去のことが検索結果で出てきました。
 その時は面白かったな。
 (中略)
 自分の記憶に存在しなくなったことも
 インターネットの世界では永久に存在する時代になったのだと知りました」


ペルー マチュピチュ ワイナピチュからの眺め

よく考えてみると自分がブログを書く理由を挙げてみると、

(ア)自分はこんな素晴らしいところへ旅を(面白い体験を)したんだという自慢
(イ)その土地を将来 旅する人への情報源
(ウ)そこを旅したことがない人に対し、自分の感動・その土地の良さを感じてもらう為
(エ)旅ネタで楽しませる為
(オ)「その時の自分」の記録

ブログを開設した際の動機は(ア)の理由だと思う・・・といってもリアルに付き合いのある人には、ほとんど自分のブログの存在自体を教えていないので、リアルな自分に対する評価のプラスアルファをブログに求めてはいない。面白かったマンガ・良いCDを友達に貸すように、良い物を紹介したいという想いがメインだ。

書きながら効果を期待しているのは(イ)と(ウ)。自分は旅をするときは可能な限り情報を集めてから行くタイプなので、行きたい土地があるときはネット上の誰かが書いた旅日記などを検索したりして調べることが多い。
世界一周系の旅をしている人は まめに宿情報など詳細に記載してくれ非常にお世話になった。僕はマメなほうではないので、詳細は書かない(例えば宿の住所や電話番号などは書かない。必要なら名前から調べて)が、日記の中に宿の名前・交通手段・値段などを盛り込むようにはしている。
僕が他の人のHPを参考にしたように、どこかの誰かの手助けになればという想いから。また、旅をしたいけどできない人、全く外国に興味なかった人、旅はするがバックパッカー的な旅は未体験な人が僕のブログをみて疑似体験してくれれば幸せだ。

東南アジアの旅日記が終わり、その後 旅ネタを書いたりしていると妙に良い反応が返ってきたり、リンクしてくれる人が増えてきて楽しくなったのでしばらく(エ)がメインの書く動機付けになった気がする。

ペルーピサックのお土産
そして最近ブログを書いていて良かったと思うのが(オ)。
旅をしてしばらくはそのインプットした情報をなんのためらいもなくとアウトプットできていたのだが、さすがに時間は残酷で多くのことを忘れてしまう。しかし、自分の書いた日記のたった一行・たった一枚の写真で、その前後に起こった出来事を鮮明に思い出すことができる。
(ちなみに、時々 僕のブログの旅日記を読んだ人が「よくそんなこと覚えているネェ」と勘違いする人がいるのだが、旅日記に関しては、「旅している当時に書いたもの」をWeb上にUPしているだけ。)

先日、南米旅行を予定している友人に、ペルーやボリビアの情報を教える為に会ったのだけれども、宿の名前や町の名前が口から出てこないことがしばしば・・・。「ちょっとここ地図を描いてあげるよ!」と得意げに言いつつ紙とペンを持ってもスラスラ線がかけない自分がいた。頭では記憶していることなのに、もう詳細にアウトプットできない状態になってきている。
ツアー旅行と違い、自分で調べ自分の力でその土地に行った記憶というのはなかなか失せることはないと自信を持っていたのだが。生活が変わり、旅とは別のインプットすべき情報が増えたからだろうとは思う。
プライベートに関しては他人に見せても面白くないものなので、このブログでは書くつもりはないが((ア)~(エ)の理由がないので)、旅をした思い出は大切なもの・・・将来の自分に対しても残していきたいなぁと思う。

昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分・・・気づかないうちに良くも悪くも変化している。今は自分の記事に検索をかけるほど膨大でもない量だが、過去の記事を読み直してみると、今の自分とは違う過去の自分を見つけることができる。


ペルー チチカカ湖 タキーレ島 都市までの距離看板
 「グーグルの上位5位が理想です。
 上位15位に入らなければ、あなた方はこの世に存在しないのと同じです」


現在、ネットの検索結果が会社や店舗の業績を左右する時代になってきているそうだ。
上記は、依頼主のホームページをGoogleの検索結果の上位にするビジネスをしている会社 ブルース・クレイ社の社長による講習での言葉。
ネットユーザーが欲しい情報を検索して(沢山のHPが検索にひっかっかって)も、ほとんどがトップページに表示される上位5位くらいしかクリックをされないのだ。「あなた方(企業や店舗)」にとって、検索の上位に表示されなければ「この世に存在しない」のと同義だと言い切る。

自分にとっては、「へぇ~」っと他人事。
自分のブログには、しょぼいが検索単語とリンク先がわかるようになっている。このブログに検索から辿り着いてくる人は少なくない。Googleの検索結果に飛ぶと、いくつかの単語は検索の上位になってしまっていて、よくその単語から来る人も多いわけだが、4ページ目・5ページ目などからでも訪れる人はいる。本当にその情報が知りたい人はちゃんと僕のブログを発見してくれるのだ。「過去の自分」を見つけてくれたといってもいい。

しばらく更新をしていなくてもチェックに来てくれる有難い読者もいる。しかし、いづれ自分がこのブログを書かなくなることもあると思う。そうすると定期読者も誰も来なくなるだろう。そうなるとこのブログを読んでくれる人は検索で探し当ててくれる人だけになる。
しかし、例え検索結果の上位には表示されなくても、発見してくれる少数の人と、将来「過去の自分を検索する自分」がいるのだから、今ブログを書く意味があるんじゃないかなぁと思う。

「彼ら」がいる限り、僕はこの世に存在する。



[写真1]Google Earthで表示させたマチュピチュの鳥瞰図
[写真2]ペルー;マチュピチュの先の山ワイナピチュから見たマチュピチュの遺跡
[写真3]ペルー;ピサック・マーケットのお土産
[写真4]ペルー;チチカカ湖タキーレ島の世界の都市への距離の看板



※追記
まなめはうす」さんに
『私は文中リンクで本筋に触れてなくてもトラックバックは欲しいな。自分の記事が相手にどのような形で印象に残ったかが分かっておもしろいもん。』
と書かれていたので、まなめさんのブログのこの記事にトラックバックしてみる。
『インターネットの素晴らしさは、exist にある』という部分に共感してこのエントリを書きましたので。

新年を迎える有難さ

2007年01月10日 | 雑感
ボリビア 子豚?

ずいぶん出遅れてしまいましたが、
新年 あけましておめでとうございます。

ところで、僕も含め多くの人が、毎年毎年なんの疑問もなく「おめでとう」と言っていますが、一体 なぜ西暦の数字(または日本の年号の数字)が一つ増えたことに対して お祝いの言葉を言うのでしょうか?
「昨日」という日から「今日」に変わっただけのことなのに。
いつもと同じ朝の太陽なのに「初日の出」といって特別視。
地球上のほとんどの動物はいつもと同じ朝を迎える、しかし人間だけがこの新年を祝う。
特に暦にしたがって生きている人間が。

ひとつの考え方として、以下の流れ

「私」が「新年を無事に迎えることができた」→良かった→(自分に)おめでとう。

こう考えることもできなくは無い。
しかし、こういう意味で「おめでとう」と言っているのは、よほど毎日を楽しく生きている感性が豊かな人か、いつ死ぬか分からない身体・環境にいる場合の人達くらいと思うがどうだろうか。
大抵は、何も考えずに言っているか、もしくは、「暦」が「新しくなった」→良かった→おめでとう、という考え方ではないだろうか?

ところで、↓こんな記事を見つけた。



(引用開始)ーーーーーーー

<世界の2007年>新年反対のデモ開かれる - スイス
【ジュネーブ/スイス 1日 AFP】ジュネーブでは31日、新年に反対する団体「Fanacon」による2007年反対デモが行われた。Fanaconは新年を間近に控え、「カレンダーを変えず、2007年への突入を阻止する」ことを求めた「議会への嘆願書」の署名を集めた。この活動はフランスから始まったもので、ナント(Nantes)でも同様のデモが行われた。写真は31日、「2007年をやめよう」と呼びかけながらデモ行進をする活動家ら。
(引用元;AFP BBNEWS)


ーーーーーーー(引用終わり)



うーん・・・わけわからん・・・

しかし、この記事に書かれている団体が、もし本当にいるのなら・・・、
世の中には新年を迎えたくないという人達がいるということだ。
「2007年への突入を阻止する」・・・なんてシュールでとんでもない主張だ。

ところで

年賀状は、返事しか書かない僕みたいな人は別として、多くの人たちは、大晦日より以前に年賀状を書いていると思います。
その年賀状には、こう書かれる・・・「あけましておめでとう」と、
・・・年が明ける前に、だ。

なぜ人々は、「年があける」ことを必然のこととしているのか?
まだ新年を迎えてもいないのに。
一般の人々において、この年賀状だけであろう、未来の出来事を完了形で記述するのは。
しかも、それをお祝いしている・・・。

だがちょっと待って欲しい、
これは古来から伝わり日本人の骨の髄まで染み込んでいる独特な文化「言霊」なのではないか。



(引用開始)ーーーーーーー

言霊(ことだま、ことたま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。
(引用元;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ーーーーーーー(引用終わり)



結婚式で「別れる」「切れる」、受験生に「すべる」「落ちる」を禁句とするのは、この言霊文化の由縁である。

さて、
ジュネーブやフランスでのデモのような秘密結社が、この世界に暦ができて以来、毎年毎年 大晦日にさまざまな妨害活動をする・・・単純に新年の暦(カレンダー)を燃やしたりする単純なものから、超科学兵器もしくは時を止める能力者(例;スタンド使い)を利用するなど、新年の突入を妨害してきたことだろう。
この活動を知った我ら日本人の祖先は、大晦日より以前に、多くの葉書にあたかも「新年が無事に明けた」かのような文字を書き綴り、沢山の人にそれを配った。

秘密結社による新年突入妨害活動を阻止するためのこの大作戦は、やがて年賀状という風習と化し、日本人に浸透していった。
しかし、いつしかその目的は忘れ去られていく・・・。

近年、年賀状が送られる枚数は毎年減少しているとのことだ。
今年も僕の元に数枚の年賀状が届いた。
それらの年賀状には、美しい日本語による言霊の力を信じ行使してきた先人達の涙ぐましい努力と功績を忘れた暗号のような言葉が書かれていた。


「あけおめことよろ」


2008年を迎えるのは難しいかもしれない・・・




[写真;ボリビア・ティワナク遺跡にいた子豚?]