電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

彼の背中~お釈迦さん~

2005年04月27日 | 雑感
寝釈迦顔
今回は、タイのバンコクにあるワット・ポーWat・Pho内の有名な寝釈迦像を取り上げてみます。

寝釈迦像というモチーフは、各地の仏教寺院などでよく見られますが、その中でも(ネットなどの写真を見比べて)ここの寝釈迦はかなり「いい仕事をしている」とおもいます。デザイン的にも技術的にもレベルが高いです。

この格好は、涅槃(ねはん)の境地に達し悟りを開いたことを意味するらしい。僕にはただ目を半開きにしてお昼寝をしているようにしか見えません。

「悟り」ってなんなんでしょうねぇ。煩悩を捨て去るようですが、悟りを開きたいと思うことがすでに煩悩だと思うのですが・・・。
「悟りを開く」を辞書で調べると「悩みを脱して真理を会得する」とのこと。真理なんて座禅を組んだり修行したりすることで果たして得られるものなのでしょうか?科学者や生物学者の方がよほど真理に近づいている気もします。しかし、「開く」という意味は「結局は分からない」という「開き直り」ということか。
おそらく、そういうことも「凡人には分かるまい」ということですね。

僕の考えは、仏門に入って煩悩を断じる為に修行するよりも、世俗の中で煩悩をコントロール(制御)し日々の生活を普通におくる事の方がよほど大切だと思います。

寝釈迦足元から
そういうことは置いといて、この寝釈迦の大きさは全長49m、高さ12mだそうです。このアングルで足の裏まで写っている写真をたまにみかけますが、それは結構 広角なレンズを使っていると思います。欲しいなぁ・・。

寝釈迦足裏
そして、これが足の裏。物凄い偏平足です。
ココに描かれているのが、バラモン教の宇宙観。螺鈿細工が施されてます。

寝釈迦ナーガ
螺鈿細工がきれいに仕上がっている芸術品をみると、それだけで「こいつヤルな!」と思います。
この図案は、頭が一つですが、ナーガだと思います。
ここまでは、誰でも撮影する定番のカメラアングルでした。後ろに廻ると・・・

寝釈迦背中
寝釈迦の背中です。かなりシュールな空気が漂ってます。
70年代のアニメロボット(ゲッターロボ・マジンガーZなど)か、ロボコンの後姿を彷彿とさせます。

寝釈迦後頭部
最後に後頭部。枕が二段積んであるのにもかかわらずさらに腕で頭を支えてます。なぜでしょうか?枕が硬くて頭のブツブツが痛いのか、ブツブツに手を押し付けて手のひらのツボを刺激しているのか・・・。

「凡人には分かるまい」か。

南十字星の下で

2005年04月23日 | 雑感
スーツを着慣れた頃
いつのまにか空なんて見上げることはなくなった。

オーストラリアのとある田舎で
夜空を見上げ
はっきりとそれと分かる天の川を見たとき

これに出会うために ここにきたんだな って

目的とか理由なんていらないよ
旅にでちゃえよ!

きっとそれは見つかるから




オーストラリア航空のラジオCM依頼されたら・・・てな感じで書いてみました。
BGMはNatalie Imbruglia(ナタリー・インブルーリア)の「TORN」で。
 
ここのブログを覗いてくれている人のいったい何人が僕がもう一つブログを持っていることを知っているだろうか、いや知らない(反語)。
・・・ということで長かったシドニー生活を離れ(過去の日記の中で)旅をしてる最中ですので、写真だけでもいいので見て オーストラリアに興味を持ってくれたら幸いです。→「オーストラリア ワーホリな旅

暴れん坊将軍、落ち着く!?~ブログタイトルとその考察~

2005年04月15日 | 雑感
バンコクの王宮内の石像
いつも読ませてもらっているブログ「小林Scrap Book Heartlogic」で「小学生の指導法に見る、ブログのタイトル改善法」という記事を読んだ。まずは以下の記事を読む前にそちらのブログをリンク先も含めて読んでいただきたい。

 僕も小学生の時は、作文のタイトルは「修学旅行の思い出」とか「走れメロスを読んで」だった気がする。タイトルのつけ方なぞ教えてもらった記憶が無い。
 
 さて自分のかつての記事タイトルはどうだろうか?

クレクレ詐欺」「油断できないカンボジアのコンビニ」「ジャカルタネコ事情?
枠という制限」「地球(テラ)へ」「Innocent Insects
「深夜特急」というスタンス」「大沢たかお版「深夜特急」に憧れて
トコロ変わればマックも変わる
歴史的慣性 」「US20ドル札とテロ」「イースター島に着きました
物乞いについて思うこと 」「ブラウン管の中の世界遺産

どうだろ?一応 合格点か。ちなみにこの記事のタイトルは、スポーツ新聞風にキャッチーに決めてみたがメインタイトルが記事と関係ない。一応、トップの写真でこじつけてみる。


 先ほど紹介した タイトルのつけ方は、ブログ記事のタイトルについて言及したものだが、ブログそのもののタイトルにも多かれ少なかれ同じ事が言える。さてこのブログのタイトルは、

「東南アジア一人旅 32日」

・・・そのまんま・・・_| ̄|○

このブログ始めた当初は、どうせ期間限定のブログだからと気軽な気持ちで 分かりやすいタイトルをつけようと思ってつけたが、もし次に海外へ行ったときなどこの名前ではマズイ。あたらしいタイトルを考える必要がある。

小学生の指導法に見る、ブログのタイトル改善法」を参考にすると、「副題をつける」が応用が利きそうだ。

「旅日記~そして伝説へ~」・・・ちょっと大げさだ
「旅日記~君は生き残ることができるか~」・・・そこまで命がけではない
「旅日記~栄光への掛け橋だ~」・・・ラストは感動の嵐

うーん、イマイチだ。

いつも楽しく読ませてもらって、たまにコメントもさせてもらってるブログを参考にしてみる。みんなステキな名前をつけてますね。

地球のどこか片隅で」→「地球のどこか片隅にて」・・・微妙に変えてみた
ドコデモドアblog」→「旅の四次元ポケット」・・・ちょっとメルヘン過ぎか
someday,somewhere」→「subway,somewhere」・・・地下鉄は関係ない
橙色の豚」→「ピンク色の豚」・・・タダの豚だ
旅のひとコマ」→「旅のふたコマ」・・・二ヶ所しか行かない
バックパッカー日記」→「バックパッカーニョッキ」・・・もう響きだけ

 こんなタイトルにしたら、上記のブログ主に失礼だ。却下。

 旅日記や旅をテーマにした記事がメインのブログなので「旅」という単語をタイトルにぜひ入れたい。

●文学作品を参考にしてみる
「我輩は旅をする」・・・なんか偉そう
「旅人失格」・・・ダメ旅人の独白
「限りなく透明に近い旅日記」・・・存在感なし

●日本の歌を参考にしてみる
「心の旅」・・・そのまんま。他の旅ブログを紹介し、脳内旅行できるブログ
「旅人宣言」・・・旅人の主張をフォーク調に語る
「何も言えなくて…旅」・・・旅の出来事は恥ずかしくて言えない

●映画を参考にしてみる
「七人の旅人」・・・仲間を集め、詐欺やひったくりと戦いながら旅をする。
「幸せの黄色い旅人」・・・愛する人に貰った黄色いTシャツを着て旅する人の日記
「旅と共に去りぬ」・・・全然帰国しない
「アジアの休日」・・・またアジア限定だとまずい
「タービネーター」・・・旅ネタ満載
「タビリアンVSタビデター」・・・旅自慢合戦

●宮崎アニメを参考にしてみる
「風の旅のナウシカ」・・・さすらいの旅って感じ
「天空の旅ラピュタ」・・・変なおばさんに追いかけられる旅
「となりの旅人」・・・移動手段は ねこバス
「旅の宅急便」・・・ステキな旅話をお届け
「紅の旅」・・・「飛ばない旅はタダの旅だ」陸路移動せず飛行機乗りまくり
「もののけ旅」・・・入国審査で止められる
「千と千尋の旅隠し」・・・旅の話は内緒
「ハウルの動く旅」・・・キムタク目当てでブログに来られても困る

●名作マンガを参考にしてみる
「あしたの旅」・・・「旅立つんだ!旅立つんだ、ジョー!」帰国したら真っ白な灰に
「火の旅」・・・どこの国に行っても 鼻デカの人に遭遇
「旅人28号」・・・残りの27人が気になる

・・・ていうか どれもパクリじゃん!却下!
どこを旅しても 今のままのブログタイトルでいい気がしてきました。

ブラウン管の中の世界遺産

2005年04月10日 | 雑感
乳海攪拌のヴィシュヌ
 NHKで「探検ロマン 世界遺産」(番組HPはここ)が始まった。
 既に、第二回が放送された。番組のスタイルは、TBSの「世界 ふしぎ発見」のクイズ部分を無くしたもの と説明するのがぴったりかもしれない。ちなみに「世界 ふしぎ発見」は何の面白みのないクイズ回答のやりとりがウザくて一年に5回くらいしか観ない。

 昔からやってる(ほとんど観ないが)TBSの「世界遺産」(番組HPはここ)は、対象の建造物や自然などを 芸術作品として撮影し、一歩距離をおいて解説しているのに対し、NHKの方は どちらかというと観光者寄りの親近感がある。

 TBS「世界遺産」は 以前(5年程前)、番組プロデューサー(? ←とにかく番組関係者)の参加したシンポジウムを見に行ったことがある。撮影は結構大変らしいという話を聞いたがほとんど内容は忘れてしまった。唯一覚えているのは「あんな地味な番組をあの時間にやらせてもらえたのは奇跡だ」と言ってたくらいか。
 観て思うのが、あんな有名観光地なのに、どうやって 観光客ひとりも映さなくて撮影できるんだろうか?観光客シャットアウトなんて、できるんだろうか?それとも早朝のみの撮影か?

 2月末、NHKがこの番組についての発表をしたあと、TBSがNHKに、「世界遺産」は私たちの努力により高めたコンテンツでフリーライド(タダ乗り)するな と抗議をしたというニュースを読んだが まあこの抗議はナンセンスだろう。

話をNHK「探検ロマン 世界遺産」に戻して、

 第一回は「ナスカの地上絵」第二回は「カンボジア・アンコール遺跡群」だった。ナスカは自分はほとんど興味がないので どうでもいいですが、第二回は まあまあだった。しかし、専門用語などをあえて使わないようにしていたようなのでイマイチ物足りなさを感じる。
 
 アンコールワットの東の壁画の「乳海攪拌」の図のナレーションで中央にいる人物を「音頭をとるのは、アンコールワットを築いた王その人です。王自身が神の姿になって登場しています」と解説していたが 少し変だ。太古の神話にアンコール建設当時の王が姿を変え登場するというのはおかしいだろう。神→王ということはあっても 時間をさかのぼってまで王→神とする解説はおかしい。ここの解説で王を持ち出す必要などないはずで、単純に中央はヴィシュヌ、下の亀はヴィシュヌの化身クールマ(ヴィシュヌが二人いることになるが神は分身するのでかまわない)だ。

 そんなつっこみはさておき・・・、遺跡の修復の場面で 片桐正夫さんという方が出ていて、ふと自分の部屋の床に転がっていた2日前に図書館で借りた「アンコール遺跡の建築学」の著者をみると その人だった(4ページしか読んでないけど)。浮力を利用しての石の運搬方法は、なるほどと思った。

さて第三回は「モロッコの迷宮都市フェズ」。もうこの番組は、HDレコーダーで「毎週」で予約しているので見逃すことはない・・・ハズ。


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物乞いについて思うこと

2005年04月06日 | 雑感
カンボジア国境の子供
このブログを始めた時から いつかは書くつもりだった「物乞い」についての思い。
以前、ブログ「アジアンゲストハウス」のLOOさんからトラックバックを頂いた時から、いつも引っ掛かっていた。重いテーマだけに 筆が進まなかった。上記のブログの記事は旅ブログに限らず お子さんを持っている人へもトラバを送っているようで多くのさまざまなコメントが載せられています。こういうことはとても意義のあることではないかと思います。

いろいろ思ったことを一挙に書き上げましたが、相変わらず文章力がないので まとまりがありません。文の内容が飛び飛びになっているところがありますが、完璧を目指しているといつまでたっても更新できませんので、その点はご了承ください。

今回の記事は、「物乞いにお金をあげるか?」という点についてのみ書くことにします。

旅をしていると多かれ少なかれ「物乞い」に遭うことがあると思います。僕が会った物乞いは・・・
オーストラリアシドニーで 駅の近くでメッセージを書いたダンボールを片手に座り込んでいる4,5人。
インドネシアのジャカルタ・ジョグジャカルタの屋台でご飯を食べていると、手を出してくる人達。
タイからカンボジアへの国境をくぐったすぐに 5,6人の子供に囲まれる。
タイのバンコクのカオサン通りでの数人の物乞い
アンコールワットの遺跡群(ライ王のテラス・プノンバケンなど)で、片足がない人が通路に座って手をだしている。

ちょっと特殊と思われるカオサン通りの物乞いについて・・・
一人は、盲目なのに大音量の音楽をかけ、歩きながら歌っているおばさん。目が見えない人にとって音というのは重要な要素ではないのか?疑問・・・。
コンビニの前でゴザを敷き、上半身裸で腕をあちこちに振り、身体の向きもよじったりして奇妙な動きをしている男。なんらかの重い病気で身体の自由が利かないという印象だ。しばらく観察していると、ピタっと止りそばに置いてあるペットボトルで普通に水分補給をしていた。それをそっと置き、また動く。うーん・・・。


カオサンの話は 置いといて

僕の意見は、結論から言うと 物乞いに対しては「お金はあげません」です。

僕は幸運にも「(いわゆる)豊かな国 日本」に生まれて、普通の家族の下、普通の暮らしをさせてもらってきた。もちろん、現在 自分は働いており ある程度の収入を得ることが出来ている。
だから自分の価値観というのはそういう状況下で育まれたものであるし、そうそう変わるものではない。


以前、観たTV番組「あいのり」で、訪れたアフリカの村の現状を見たメンバーの女の子が、「かわいそうだ」と発言したことをうけて、ひとりの男が「オレはかわいそうだなんて思わない。あれはアレだ。自分達の基準で判断すべきじゃない」(←セリフははっきり覚えてない)というようなことを言ったら、他のメンバーから、かなりの非難を浴びていた。
面と向かった状況で「かわいそうとはおもわない」と言うものならこのように鬼畜扱いされてしまう。

「物乞い」を見たときに「かわいそう」という感情を持つことは 一般的に言えば「正しい」ことになる。しかし、本当にそれでいいのだろうか?


『物をあげると、その子はずっとそうやって生きていく事になるかもしれない。でも、あげないとその子は死んでしまうかもしれない』
(ブログ「橙色の豚」より)


しかし、旅をする人に、「物乞いをする子供」の人生の決定権までを背負わせるのは酷なことではないだろうか?
正直 (酷い!と言われるかもしれないが)自分は、その国に旅をしに来ているのであって、ボランティアに来ているのではない。

カンボジアを例にすれば、カンボジアのビザ代で950B(約2500円 手数料込)・アンコールワットの遺跡群の為に(3日券)US40ドル・ベンメリア遺跡にUS5ドル払っている。ホテルにも泊まったり、周辺の屋台などで物を買ってお金を落としている。
子供の売り子から遺跡の写真集のようなものも買った。3日目のバイタクの対応が凄く良かったのでチップも挙げた。
しかし、無条件でお金はあげない。


(話が飛びますが・・・)
中国や韓国の現在の反日の根本原因の一つに、日本政府による戦後保障という名の「資金援助」がある。中国にはODAとして6兆円ものお金がつぎ込まれてきた。それが本当に国の発展に純粋に使われてきたんだろうか?否。歴史の捏造による有形無形のさまざまな虚構を生み出し、軍備を増強し、ミサイルがこちらに向いているという訳のわからない状況。中国はカンボジアのポルポト政権時に裏から援助を行っていたりもしていた。
日本は韓国に対しても同様に有償無償あわせて5億ドル(約1800億円)の援助をおこなっている(情報ソースはこちら)。学校やインフラなどの整備に日本の税金が使われてきた。しかしその援助が今何を生み出しているのか?
戦後保障としてお金をもらえる→日本は残虐なことをしたという反日プロパガンダ→まだ賠償してない、賠償しろ!→お金をもらえる→はじめに戻る。
中国や韓国政府は「反日」であることで得をするのである。この得をする状況がある限りゆがんだ「反日」は終わらない。
日本はこの「虚構の残像」から解き放たれない限り、いつまでたっても前進しない。

物乞いを中国と韓国と比べるのはナンセンスといわれそうだが、資金援助による「ねじれ」の例えだ。


日本は、お金持ちの国と言われているが どうだろうか?国の借金は、現在719兆円にも及ぶ。もっとも貧乏な国とは言えないか?
日本人ひとりひとりはどうか?日本人の給与は、為替も考慮すればアジアにくらべれば破格だろう。しかし、それは、あくまでもアジアの国と比べた場合であって、日本国内で裕福かといわれれば、そうでない人がほとんどではないか?

だけど、「お前は海外旅行をしているんだからお金があるじゃないか!」といわれるかもしれないが、それとこれとは話が別だ。
カンボジア トンレサップ湖の子供
実際、オーストラリアで過ごした8ヵ月半。2週間だけバイトして収入を得たが、それ以外は「消費生活」だ。日本で会社に勤務していた頃は、お金を払うのは、昨日働いて稼いだから とか明日も働いていてお金が入ってくるという深層心理が働きお金を使うことに対しての不安は薄い。
しかし、会社を退職し旅に出て、帰国した後のことも不透明なまま、長い間の消費生活をおくると、消費することに少なからず恐怖に近い不安が付きまとった。その消費することの不安というのは物価の安い東南アジアにおいてはかなり薄らいだが、旅している最中にはいっさいむだづかいはしていない。
宿もできるだけ安いところを選ぶし、移動手段(トゥクトゥクやバイタク)に対しても交渉して値段を下げる・・。もちろん詐欺には騙されない努力もする。どこに行っても、必要なこと以外に 余計なお金は使えないのである。お金の大切さということはつくづく感じた、これも長旅の収穫でもある。
だからこそ、無条件でお金をあげることに疑問を感じる。

「自分が物乞いより裕福だからお金をあげる、物乞いが貧しいと思うから お金をあげる。」
なにか腑に落ちない。


『インドではカーストの影響が強く、生まれたときからちゃんとした仕事につけない人もいます。
その中の一部の親には、生まれた子供の足は切断し、ワザと物乞いをさせるという話もあります。』
(ブログ「アジアンゲストハウス」さんの記事のコメント覧より)


働きたくても働けないという状況が問題なのは理解はできるが、その根本原因である「カースト」は、一人の旅人がどうこうできることではない。
「生まれた子供の足は切断」というのは、僕にはこれが本当かどうかを判断する材料をもっていないが、もし本当なら あまりに不幸ではないか。


ブログ「報道写真家から」(gooブログさん、たまにはこういう有益なブログが自分のサービス下にあるんだから、こういうブログも取り上げるべきなんじゃないか?)の「(10)カンボジアの地雷 余話」の記事で
『カンボジアの屋台などで食事をしていると、松葉杖をついた人や手作りのボロボロの義足をした人が近づいてくることがある。観光客へ、いくばくかの施しを求めにくるのだが、実は、カンボジアの地雷被害者への義足の供給率は、ICRC(国際赤十字協会)等の努力によって、ほぼ100%に達しているのだ。いや、だからといって、彼らが観光客を欺いているとは、思わないで欲しい。そのくらいのささやかな生きる工夫は許されたい。カンボジアでは健常者でさえ仕事がないのだから』


本来は義足をつけ歩けるようになるのに、物乞いするためにそうしない(足があるとお金をもらう率が下がる)場合があるという事実は 悲しすぎる。


『僕のタイ人の友達は、「困ってる人がいるんだからあげれば?」という感じで、いつもすぐにお金をあげます。そいつに、「親切にするのは人のためじゃなくて自分の為って考えれば?」って言われました。』
(ブログ「アジアンゲストハウス」さんの記事のコメント覧より)


こういう考え方は、僕は好きではない。本当に「困ってる」と全くの他人に判断がつくんだろうか?
「親切にするのは人のためじゃなくて」というが、純粋に相手に対しての愛がない「親切」はその人に対して失礼ではないかと思う。


『おまえが何かやるから、物乞いがはたらかない。という考えはエゴ。喜捨するよ。僕は。でも気持ちしだい。
インドなんかだと崇高な物乞いもいるし。なんとなく、あげたくない物乞いもいるし。働きたくても働けない人もいる』
(ブログ「アジアンゲストハウス」記事のコメント覧より)


と書かれている方がいますが、「何かやるから、物乞いがはたらかない」という考え方がどうしてエゴと簡単に切り捨てられるのか。「崇高な物乞い」というのがどういうものかは分かりませんが、結局は「喜捨する」対象の人をエゴにより選択していることになる。この考え方も 自分は疑問だ。

よく宗教で「信じるものは救われる」というが「信じるものしか救わない」神のエゴのようだ。道に 5匹の子猫が捨てられていたら 自分が気に入った子だけ選んで 助ける。
いや、目に映る範囲で 自分ができるだけのことをすればいいんだとも考え方があるし、正しいと思う。しかし「物乞いにお金をあげる」という行為は 自分の中では 相手にとって必ずしも良いこととは思っていない。
「働きたくても働けない人もいる」これは確かに問題であるが、この点は外国が支援することかどうか・・・。

カンボジア トンレサップ湖の子供
『一回きりの物をあげるのが支援じゃない。そんなことよりもっと大きな支援を私達はしているんだ、と顧問のインド人教授は言いました。皆もそうだと同意しました。』
(ブログ「アジアンゲストハウス」記事のコメント覧より)

物乞いに対する根本的な解決は、教育・医療などの福祉援助。いわゆる先進国とよばれている国々ができることはコレだろうが、今回の記事は「旅人が物乞いにお金をあげるか否か」についてであるし、福祉援助については僕は論じるだけの人間ではない。


そもそも豊かとは何か?アジアの貧しいといわれている国の暮らしは本当に貧しいといえるか?発展途上国という言葉はなにを示すのか?


『物乞いにあげてもあげなくてもその人の価値観でいいんじゃないかな???そう思います。ほとんどの人たちは見えないものよりも今日の空腹。なのですから・・・・』
(ブログ「アジアンゲストハウス」さんの記事のコメント覧より)


そう・・・物乞いに出会っても 何もしない。とにかく僕は無力で冷たい男なのです。


文章の中に矛盾が生じている部分もあるかと思うしエゴを言っているかもしれない。
でも 今の自分が思うことを残しておく意義はあると思い書きました。

建設的な意見や批判コメントは歓迎ですが、「バカ~」「死ね~」とかは却下です。

イースター島に着きました

2005年04月01日 | 雑感
先ほどイースター島に到着しました。
 
今は 島の端にある観光案内所からネットしています。
もう長かった。飛行機を何回も乗り継ぎ、時差ぼけで今日が何月何日かすぐにはわかりません。

ここの島には、もちろんモアイ像があります。先ほど 見てきましたがいろいろな顔があっておもしろいですね。なかには帽子を被っているのもあります。顔の掘りが深い平井堅 顔 してますが、昔は ちゃんと別パーツで目があったんですよ。

ところでこの島には、まだ完全に解読されていない、「ルフルリ・プイエ」という文字盤があります。ブストロフェドン(牛耕法)と呼ばれる 少し変わった読み方をしなければいけません。まず左から右へ読み進み、次の行になったら(文字が逆さになっているので)板を180度回転させて また左から右に進みます。おもしろいですね。

では、これから島を観光してきます。


↓下のコメントも見ておいてください。

※(追記)この記事はエイプリルフールの悪ふざけです。イースター島には行ってませんヨ。