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電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

040722(木) 移動日(シエムリアップ→BKK)

2005年01月22日 | '04カンボジア旅行記
バイタクドライバーのナッツ
 6:50PM頃、チェックアウトしFUNANまで歩いていると、あのバイクタクシードライバーのナッツが声をかけてきた。偶然、最後に再会だ。
 FUNANまであと300M程だが、タダで乗せてくれた。しかし財布の中のリエル札はいらないので残っている600リエルだけあげた。

 FUNANでバスを待つ。予定の7:30AMを過ぎた7:40AMにバスが来て係員がチケットを見せろという、やはり・・・。ホテルのオーナーに抗議するがなぜかしらばっくれる。バスの係員はここでチケット代を払えと言う。あれほどチケットのことを何度も言ったのに彼は心配ないと言っていたのに・・・。タイのMPツアーに電話をしろと抗議するが(当然だが)ブツブツモンクを言う。弱い日本人ならここでお金をしかたなく払っただろうが自分はこういう訳のわからん 騙し にやられるわけにはいかない。いろいろ猛烈にモンクを行った後 なんとかチケットを発行した。

 満員のマイクロバスに乗り出発。自分が一番最後のようだ。
 
 一度トイレ休憩が入り次に昼食休憩。ここで最後に残った1ドルを使い切った。
 この休憩が終わってバスに乗ると隣の女性が声をかけてきてくれた。彼女はアメリカ人で韓国で英語教師を2年程やっていて、それを辞めた後ここに旅行に来ているとのこと。ボーダーまでの1時間半くらい楽しく時間を過ごすことが出来た。

 ボーダーに着き手続き。相変わらず時間がかかる。皆が集まったところでトラック(後ろにベンチがついている)に15分ほど乗り、違うバスに乗り換え。
 
 今度のバスは凄く豪華だ。2階建てでテレビも付いている。すごい。一番後ろの席でゆったり座る。

 バンコクに着いたのは8:00PMくらいだろうか。カオサンの近くで降ろされ再びサイヤムオリエンタルインにチェックイン。
 カンボジアのツアーに関してMPツアーに抗議しようとしたが閉まっていた。となりの航空券扱うところで(ここもMPツアー)でチケットの相談。一番安い飛行機でなるべく早く帰りたいと伝えると、明後日にあるとのこと。9980バーツ(約27000円)、悪くない。残ったT/Cを変換し購入。
 
 ついに9ヶ月と10日ぶりに日本に帰る事になるんだ・・・!

040721(水) トンレサップ湖と北朝鮮の踊り

2005年01月19日 | '04カンボジア旅行記
トンレサップ湖で魚など取引していた
 朝、帰りのバスの予約のためFUNAN ANGKOR PALACEへ。明日のAM7:30発バンコク行きの予約。それにしてもチケットをもらえない。大丈夫か?と聞くと問題無い、という。本当はタケオG.H.でピックアップしてもらいたかった(MPツアーで可能と言われていた)が、このチケットの問題があり、やはり不安なのでFUNANピックアップのままとした。

 前のマーケットでクメール料理の店でカレーを食べる。
 
 今日は帰ってタケオで漫画でも読んで、まったりしようかと思い歩いてタケオに向かっていると、一人のドライバーが声をかけてきた。そういえばキリングフィールドに行ってない。聞くと1ドル30というので、まあいいや行ってみよう。

 到着するが、凄く小さい・・・。お堂のようなところの開口部に透明ガラスが貼ってあり、そこに骸骨が集められていた。ポルポト派がここでたくさんの人殺しをしたところだ。なんてむごい・・・、さすがにこれにカメラを向けることは出来なかった。

 すぐにそこを後にし、タケオへ。
 しかし今度はドライバー、西バライやトレサップ湖に行かないか?と言い出す。もうプラス3ドル出せと・・・。昨日11AM~6PMまでナッツは3ドルで廻ってくれた。なのになんでそれ以上出さなきゃいけないんだ。確かに今日漫画読んで過ごすよりどこか行った方がいい。交渉するがなかなか引かない。
 呆れてタケオに帰ろうとすると、9000リエル(2ドルプラス1000リエル)でどうかという。まあいいやドルも余りそうだし、それで手を打って、トンレサップ湖に行くことにした。タケオにいた誰かがトンレサップ湖の水上集落がよかったと言っていたからだ。
 ドライバーに聞くとボートで10ドルかかるがそれに乗らなくても集落は見えるとのこと。
 
 バイクに乗り田舎道を進む。あるところに行くとボートのチケットを買うところがあり、そこで「ボート乗りません」と伝える必要があるらしい。しかし、係員が「買わないとバイクで行けるところから湖は遠いので行ってもしょうがない」という。
 ドライバーに騙されたと思い、激しくドライバーに抗議。すると自分を信用しないなら、今からここで引き返せばいい、お金なんていらないといいだす。もう喧嘩状態。しかしここまで来て引き返すのは時間の無駄。行ってみて判断したい。とにかく行ってみることに。


子供 ピースサインを知っている・・・この笑顔がたまんない
 しばらくバイクを走らせ、着いた。確かに大きな湖が広がっていて、そこに家がずらーっと建ち並んでいるイメージとは違うが、ボートが並び魚なども売り買いしていたり、活気があり非常に面白かった。

あれ人が増えてる・・・ お気に入りの写真
 まわりの様子を見たり、子供の写真を撮ったりして過ごし帰る。ホント子供達は無邪気で良い、大好きだ。
 ドライバーは「どうだ、言った通りだろ」と得意顔。まあいいや。
 タケオに着き、すこし余分にお金を払ったら凄く喜んだ。宿に帰り眠たくなり、ついに寝てしまった。
 
 4:30PM 青木君に起こされる。やばかったぁ 本当は平壌レストランに5:00PM現地集合だった。2人で歩いていく、途中スコールで少し濡れてしまう。
 5:30PM頃3人がそろい、スープを注文。ついでにライスもタダでつけてくれた。しかも他の2人はおかわりまでしている。こんな米不足の国に・・・。
 食べていると店の女の子の一人がカラオケを歌いだす。すごく上手だ。それがおわると3人ステージの前で唄にあわせて踊りだす。それが古臭いとも言えるが少し懐かしくかわいらしい踊りだ。こういうのを良いと思うのは、既に自分がおっさんになった証拠だ。
 4回くらい歌い終了。終わりかけ10人くらいの団体客が入ってきて、その客の為か10分後もう一度ショータイム。たった3ドルのメシで充分楽しめた、満足満足。

040720(火) 探検!ベンメリア

2005年01月17日 | '04カンボジア旅行記
ベンメリア 入り口
 7:00AMの出発に間に合うように外の屋台で肉まん(1000リエル×4個)を買う。
 
 出発の時間になるが一人足りないらしい。あの山田君だ。部屋に起こしに行くが反応が無い。ドアが開いている・・・そーと中へ入ると・・・死んだように寝ている・・・。激しく叩いたりゆすったりしたら、なんとか起きてくれた。後で聞くと睡眠薬でねたらしい。
 
 少し遅れて7:30AM出発。10人乗りのワゴン車、1人(当然山田君)は入り口のところでイスが無いところ。
 
 1時間30分程でクバールスピアンに到着。途中30分程 凄い悪路だった。BKK→シェムリアップよりガタガタだった。
 ここから30分程歩いたところに川がありなかなか良い雰囲気らしい。しかし最近になってアンコールワット入場券が必要になったところだ。ここの遺跡のために一日券20ドルは高い。すごく行きたかったが我慢。
 警備員に「5ドル払うから入れさせてくれ」と迫るがダメだった。カンボジアはワイロで何でもできると聞いたがそんなに甘くないようだ。

 自分以外に4人残った。11:30AM頃、行った人たちが帰ってくるまでの間、お土産物やの女の子達の「買って買って」攻撃。片言の日本語で責めてくる。「T-シャツ買って」「いくら?」「3ドル」「高いよ」「高くないよ」これの繰り返し。
 でも彼女達からバナナ貰ったり、こっちからは市場で買った果物をあげたりしてなんだかんだで楽しく過ごせてあっという間だった。
 
 そこから引き返しバンテアイ・スレイへ。ここは自分は既に行った所。少しお土産物屋で時間を潰しお店で昼食。

 次に長い道のりの後、ついに本命ベンメリアへ。ここまでの道は思っていたより綺麗な道だった。しかし途中から雨が降ってきた、タイミングが悪い。あるところのゲートで警備員に皆5ドルを払う。ゲートのバーが手動式で上がるのが笑える。
 少しの間 40分程お店のテーブルのあるところや近くの民家の子供達と遊びながら待つことに。しばらくして小降りになってきた。3:20PM遺跡に入ることに。


回廊から外へ

回廊が崩壊している
 少しだけウッドデッキが作ってあるが、それ以外はそのまんまの状態。遺跡の半分くらいは崩壊している。

濡れた苔がイイ!

経蔵
 その崩れて積み重なる石の上を乗り越えたりしながら進む、まるで初めてこの遺跡を発見した人の気分になれる。雨に濡れた苔がいっそういい雰囲気だ。とにかく素晴らしい。

崩れた形状がかっこいい

探検中 写真にうつっている人は僕ではない
 ところどころレリーフを見つけたり、あっ ここ通れるんじゃない?などといいながら歩き回って凄く楽しい。ラピュタだと言っていた人の気持ちもよくわかる。本当に来て良かった。

 時計を見ると5時もう少し居たかったが、もう帰らなきゃいけない。車に戻り、宿へ向かう。みんなすっかり疲れて眠ってる。
 
 6:30PM頃 到着。すると皆が平壌レストランに行こうという。聞くと、北朝鮮の直営のレストランだそうでカンボジアに2件、中国の北京に1件しかないお店らしい(噂)。そこで数分ショータイムがあるらしい。おもしろそうだ、行ってみよう。ベンメリアに行ってない人も含めて12人ほどぞろぞろとトゥクトゥクに乗っていく。

 タケオから3分程か。普通の韓国レストランという感じ。そこにいるのは北朝鮮人、直接見るのは初めてだ。たしかに綺麗な人もいる。皆 同じ服、同じ髪型、同じ化粧だ。
 お金が無いので3ドルのキムチスープ(?)withライス、結構辛かった。お客は自分達以外は韓国人のようだ。彼らは調子に乗って5人ほどが次々とカラオケを歌う。
 8:00PMからはショーが始まるという話しだったのに、一向にやる気配が無い。尋ねると この後予約が入っている という理由で追い出される形に。せっかく見に来たのに。
 同じテーブルの青木君と盛り上がり明日もここに来ることに。予約をするとショーをやってくれると聞いたからだ。5:00PMに予約。

040719(月) 一人の遺跡めぐり(後編)

2005年01月13日 | '04カンボジア旅行記
スラ・スランと空
 10分程で雨が止み、次はスラ・スランへ。
 
まったりするヨーロピアン
 昨日バンテアイクデイに来た時にはすぐ近くなのに、こっちにはこなかった。いってみるとなかなか良い眺め、テラスの向こうに大きな池が広がる。

カラン・カランと牛につけたベルの音が静かに響く・・・のどかだぁ
そこに牛が2頭。その番をする子供。

写真に写りたくてしょうがない
 一人ヨーロピアンのカメラマンがその子の写真を撮ろうとすると次々とたくさんの子供が集まってきた。カメラマンは階段の一段に一人ずつ座らせる考えのようだが子供は言うことを聞かない。自分が側によって行きジェスチャーでなんとか座らせる事が出来た、しかし・・・そうこうしてるうちにまた一人また一人と増えていき結局一段に2人いる状態になってしまった。なぜかここカンボジアの子供達は写真に写りたがるようだ。みんな無邪気でかわいい。


ニャックポアン 独特の形状だ
 次はニャックポアン。四角い池(今は水は無い)の中央に円形の中央詞堂がある。下部に2匹のナーガが巻きついている形で他の遺跡と違い新鮮だ。


不気味に笑う。なぜこの独りだけ笑っているのか?製作者のいたずらか?
 つづいてアンコールワット。
 おとといサンディが教えてくれなかった笑っているテパダーと昔の日本人による落書きを確認する為。
 テパダーはなかなか見つからない、ちょうど一人の日本人を連れたカンボジア人ガイドが通りかかったので場所を聞くと今からそこへ行くと言う。あった すごく分かりづらい所だ。歯をだして笑っている。ほんの5分程このガイドの説明を聞いていたが、サンディと雲泥の差だ・・・。情報量がまるで違う。

落書き?
 次に森本右近太夫一房の墨書の書いてある柱がどこかわからず、うろうろしていると係りの人が話し掛け教えてくれた。おそらく自分のような日本人は何人もいるのだろう。行くとすぐにガイドが説明していた。
 その後、写真を撮っていると他のガイドがやってきた。日本人に対するガイドは必ずくるところのようだ。サンディは・・・・・・・・。
 
 次はエコーが響くポイントへ。2畳くらいの小さな部屋。ドンと胸を叩くが響かない。するとそばに座っていたおじいちゃんがもっと端っこに立てというジェスチャー。たしかにボーン と響く、おもしろいね。
 その後は中央詞堂を見ながらまったりして外へ戻る。

カメラをむけると ジーと見つめられる
 それにしても バイクタクシーの溜まり場に行くとナッツがすぐに自分を見つけてくれる、すばらしい。
 あと30分ほどで夕日の時間だが雲が多すぎるので諦めて宿に帰る事に。このドライバーのナッツ、すごく気持ちよく観光させてもらうことが出来たので約束の3ドル渡した後、1ドルチップとしてあげた。
 明日、もしベンメリアにタケオメンバーが行かないのなら15ドルくらいで連れて行ってもらえそう。明日7:30AMに待ち合わせにした。
 
 宿に帰り ショウガ焼き定食(さすが日本人宿)とシェイクを頼む。
 
 ドミトリーにもどり、このタケオG.H.に15年ほど前にきた初めての日本人というおじさん(50歳以上)の長話を聞く。

 いいかげん9:00PM 過ぎになりベンメリアのことが気になるのでラウンジへ行き、そこに集まっている皆に話を持ち出す。すると巨人の星の左門大作に似た人がどうやら隣のチェンラゲストハウスからも人を集め11人にしてくれたらしい。やった集まった!
 車チャーターが55ドル、つまり1人5ドル。安い。それとあわせてベンメリアの入場5ドルだ。聞くとクバールスピアン・バンテアイスレイ・ベンメリアの3つ行ってくれるとのこと。まさかこうもうまく人が集まってくれるとは!明日が楽しみだ。

040719(月) 一人の遺跡めぐり(前編)

2005年01月10日 | '04カンボジア旅行記
青空とバイヨン
 アヤ・ケイタさん・ヨウコちゃんは今日バンコクに帰る。7:15AMのバスに乗って行った。本当は7:30AMの予定だったが、なぜかバスが早く来てしまい、出会い帳、簡単にしか書いてもらえなかった。

 お別れの後、少し部屋でまったりし、チェックアウト。
 なぜか受付にサンディがいる。暇なのか?
 
 歩いて今日から泊まることになるタケオG.H.に向かっていると、荷物を引きずっているので何人もバイクタクシーやトゥクトゥクドライバーに声を掛けられる。もちろん無視。
 しかし、今日まだ1日分のアンコール入場券が残っているのでまだ見ていない遺跡やバイヨン・アンコールワットなどもう一度行ってみたい。
 あるやさしい顔をしたバイクタクシードライバーに話し掛けられる。1日チャーターいくらか聞くと6ドルという。今は10:30AMだから、もう少し安くしろと言うと「いくらならいいか?」と。ダメもとで「3ドル」と答えるとOKと言う。まさか3ドルでいけるとは思っていなかったのでこのバイクタクシーで乗ることにした。きくとこのドライバー日本人が好きらしい。

 一度タケオG.H.で降り、チェックイン。2ドルのドミトリーだ。シェイクを飲み、11:00AM出発。

 彼の名前はナッツ。田舎から毎日通っているらしい。奥さんと一人の子供がいるとのこと。結構マジメでいいヤツだ。

 まずバイヨン寺院へ。北側にある解説付きのボードは興味深い。
 ガイドがいた時は遺跡を落ち着いて眺めることが出来なかったので、外の離れたところからボーと20分ほど過ごす。

バイヨン この空間は今は21世紀であることを忘れる
 次に経蔵の上に登り、さらに20分まったり。なんか全てのことを忘れられる・・・。
 それにしてもこの2日間、人が多かったのは土日だったからか?それともピークの時間とずれているのか?ほとんど観光客の姿は見えない。写真とってもまったく人の姿が写らない。

なぜか きおつけ Tシャツの柄が・・・
 写真を撮りまくってると、ある男の子が自分を「撮って」というので撮ってあげた。世界遺産で遊べるなんていいなぁ。
遺跡中をいろいろ歩き回り、バイクに戻る。

休憩所からバイヨンを望む
 水を買い売店で休憩。


タ・ケウ全景
 次はタ・ケウへ。ここは途中でなぜか工事が中止してしまったらしく、壁面にはレリーフは彫られていない。

タ・ケウ 職人の技!
 その分 綺麗に切り出された砂岩どうしの納まりをはっきりと見ることができる。そのシャープさと重量感は他には無い素晴らしさだ。
 
 中央の塔に登った時に急に大雨が。この遺跡にたった一人。天井が崩れているので少し雨が入ってくるが、塔の上でただ一人 雨のシェムリを眺める、なんともいえずいい感じだ。

040718(日) アンコールワット ガイド付ツアー 2日目(後編)

2005年01月07日 | '04カンボジア旅行記
地雷博物館 内戦の状況もよくわかる資料が展示してある
 車に乗り今度は自分達の要望で地雷博物館へ。てっきりエアコンの効いた建物かとおもったが外だったとは・・・。かなりディープな内容。地雷の見つけ方、爆破の仕方が原始的ですさまじい・・・。

重量感と軽快感を二つ持ち合わせている不思議な木です

真下から撮影 お気に入りの一枚
 プリヤ・カーン、

ガルーダ こいつはいつも自慢下に胸を張っている 2005年は酉年
 タ・ソウム、
  
東メボン
 東メボンへ。うだるような暑さの中、まさに遺跡合宿のようだ。アヤとケイタさんはもう階段を登らなくなったり、ヨウコちゃんはかなりぐったりだ。自分だけひとりではりきってる。

 4:30PM頃、シエムリアップに戻ってきてツアー終了。
 
 4人でアイスを食べる。一度宿に戻り、それぞれ夕食まで休憩タイム。
 
 自分は明日からタケオG.H.に移る予定だし、ここで(秘境?)ベンメリアに行くため同志を集めると車を安くチャーターできるので その同志集めと宿の予約もかねて行ってみることに。

 タケオに着くと、そこは手前側が建築中。工事現場を通り宿へ。ここは宿泊客は日本人しかいない。まあなんかみんなとおしゃべりできたし楽しい。
 ベンメリアは11人集めることができれば一人あたり5ドルでいけるとのこと。でも今は誰も行く予定はないらしい。何人かに自分が行きたいと言う意思を告げると自分を合わせ4人ほど乗り気。
 夕食の時間になってきたので帰る事に。再び歩いて 宿へ。
 
 オールドマーケット辺りの屋台で夕食。突然雨が降ってきた。それを予想してケイタさんが屋根のあるところにテーブルを用意してもらっていて助かった。
 これで4人でのアンコール遺跡めぐりの日々は終了。
 
 まあ ガイドのサンディの解説はがっかりだったが、悪いやつじゃないし、他の3人と思い出を共有できて良かったと思う。

宿に帰りそれぞれの部屋にもどり就寝。

040718(日) アンコールワット ガイド付ツアー 2日目(前編)

2004年12月27日 | '04カンボジア旅行記
破風レリーフ インドラかな?

バンテアイ・スレイ外観
 今日は昨日要求した通りワンボックスカーになった。かなりゆったり座れる。
 まずバンテアイ・スレイ。ここの彫刻は素晴らしい。
 
深い彫刻 凄すぎ
 彫りが深く赤い良質の砂岩の燃えるような赤。
 
東洋のモナリザ 遠いなぁ
 いわゆる東洋のモナリザと呼ばれる彫刻は修復中のため遠くから拝むことに。


泰造の墓らしきもの・・・
 その帰り、一ノ瀬泰造の墓へ。
 シエムリアップに向かう前、バンコクのネットでアンコールワットについてかかれている掲示板を見ていたときにちょくちょくとこの墓の話題が出ていたし、昨日プノンバケンで会ったヨシノちゃんもここへ来たと言っていた。浅野忠信主演の「地雷を踏んだらさようなら」という映画で結構有名らしい。
 それでバンテアイ・スレイからの帰りに行くことにした。

 車を降りてから長い田舎道を歩く、いつのまにか3人、村の女の子がついてきていた。1km程歩いた先に墓があった。1人30歳くらいの男がいた。コンクリートの墓に下手な字で一ノ瀬泰造の文字がかかれている。

髪を結ってあげてる女の子 ドラえもんの絵を描いてあげたけど いらないよなぁ
 周りはゆっくりとした時間が流れる田園風景。子供達と過ごす30分程、まったりとした時間を過ごす。
 
 ここを離れようとすると、男がWait!といい 1ドル出せとまじめな顔で言う。4人皆そのセリフにびっくり、4人それぞれに指を指し「1 doller,each」と言う。
 その当然払えという態度にムカッとしたが4人払うことに(後になってタケオで友達になった青木君曰く、この男勝手に墓を作りT-シャツまで作ったりして、泰造の親族はここでこのようにお金を取っていることを不快に思っているらしい・・・この墓も本物かどうか怪しい)、donationとして自分の気持ちから払うならいい、この強制がムカツク。まったりとした時間が台無しだ。

帰り道 のどかな風景
 車に戻る帰り道、子供達がついて来る。ゆったりとしたいい時間。ホントにカンボジアの子供達は良いなぁ。
 
 ちなみにバイヨン寺院でも仏陀像のあるところでお坊さんっぽい人が線香を差し伸べてくるのでそれを受け取り、お祈りすると、何枚かお金の置いてある箱を指差し、寄付をせがむ。アジアではこのように「自然とお金を取られる」ということがおこる。特に 親切でしてくれたと思った後・善意と思ってした後や当初 当然無料と思っていた後など、お金を払わされることになると興ざめしてしまう。
 東南アジアの人に比べれば外国人旅行者などは裕福だろう。彼らは人たちからお金を貰うのを当然と思っている(極端に言えば いいカモだと思っている)。しかし彼らにお金を払う道理はない。このように「墓に来てしまった」、バイヨン寺院のように「線香をあげてしまった」ときはしょうがないが、そこに気持ちはない。いつも「やられたぁ」と後悔するだけだ。
 善意を利用し人を騙したり努力をしない金銭欲をもった人々は嫌いだ。
 
プレループ 上から撮ってみる
 次にプレ・ループ、

バンテアイ・クデイの門の内側から向かい側のスラ・スランを眺める この写真お気に入り
バンテアイ・クデイと行き、お昼タイム。
 
 ガイドのサンディはやたらと昼の休憩タイムを長く取ろうとする。聞くとカンボジア人は昼休憩は長く取るそうだ。しかし時間を無駄にしたくない。サンディの申し出の3時間休憩を2時間に短縮(当たり前だ!)。

040717(土) アンコールワット ガイド付ツアー 1日目(後編)

2004年12月24日 | '04カンボジア旅行記
アンコールワット 列柱

アンコールワット 開口部より望む

アンコールワット 外観

アンコールワット 池越し
 昼食後は、アンコールワットへ。お堀越しにみるアンコールワット、美しい。
 長い参道を歩き、まずは第一回廊から周り、少しずつ中へ。
 
 
アンコールワット レリーフ

アンコールワット 閻魔様

アンコールワット 列柱 こういう柱が並んでるだけでも ウットリ
 回廊のレリーフは壮観だ。相変わらずサンディの解説の情報量は少ない。


アンコールワット 須弥山

アンコールワット アバダーが沢山見えるポイントです

アンコールワット 階段 この写真は下り専用
 急な階段を登り中央詞堂へ。石造りの建物なのに重苦しさは感じない。


タ・プローム 根っこ 粘土の高い液体を上からどろ~と垂らしたようにも見える

アンコールワット 根っこ
 次にタ・プローム。よく宮崎駿の「天空の城 ラピュタ」の世界といわれている。人間の造形物を押しつぶすかのように大きな木の根が這っている。遺跡の屋根に根付いた木が土の養分を求め怪物のように何本もの根を伸ばしていった結果だろう、それが一箇所だけじゃなくかなり沢山ある。おかげで後で写真をみると同じようなものばかりに・・・。


プノンバケン 夕日を見る人々
 つぎにプノンバケンへ。ガタガタの階段を登り山の上にある遺跡へ。ここは既にサンセットを見るためたくさんの人がいた。


プノンバケン 夕日
 そこでヨウコちゃんがアユタヤであったというヨシノちゃんというこがいた。5人でサンセットを見る。

 ここで今日のツアーは終了。5人で再び北京餃子大酒楼に行き夕食。

040717(土) アンコールワット ガイド付ツアー 1日目(前編)

2004年12月23日 | '04カンボジア旅行記
南大門
 8:00PM、皆準備万端。フロントロビーで待っていると、今日のツアーガイドが声をかけてきた。サンディという名前、若いカンボジア人だ。
 さっそく彼から今日の予定の説明。午前中アンコールワット、午後アンコールトムへ行こうと言う。
 しかし通常 東を正面とする遺跡が多い中、アンコールワットは西向きになっている。もしここを午前中に行くと逆光となり良い写真が取れない。ということで却下。

 4人のメンバー+ガイド+ドライバーで6人となる。MPツアーの説明ではワンボックスカーになると言っていたのに、セダンタイプ。カップルのアヤとケイタさんがいるのでなんとか後部座席に4人座ることが出来た。
 それとこのガイド、アンコールワットの入場券のことをすっかり忘れている。ツアー代金込みなのに彼はお金がありません、という。わざわざホテルまで引き返し、一日券(20D)×4人で80Dをオーナーから借る。しかし自分は3日券(40D)が欲しい。ヨウコちゃんからお金を借りることに・・・全く めんどくさい。


欄干 乳海攪拌
 まずは南大門。今まで写真でしか見たことなかったそれが目の前に。
 橋の両側 ナーガを神と悪魔が引っ張っている像が立ち並ぶ。門の上には3つの仏の顔が見える。


バイヨン寺院 入り口
 続いてバイヨン寺院へ。自分の中のアンコールトムのイメージは南大門だったが こっちは凄い!顔顔顔顔顔顔・・・・。
 

中央の男に注目 亀にお尻を噛まれて不満顔

ワニに食べられる~!!
 (上の画像にマウスを当てると・・・)
 壁にかかれているレリーフの説明をしてくれるが、彼は日本語がそれほど上手じゃない。しゃべるのにすごい神経を使っているのがわかる。すぐ後ろから別の日本人観光客のガイド(カンボジア人)は流暢な日本語でスムーズに語り情報量も多い。ちょっとがっかりだ。
 正直「地球の歩き方 アンコールワット」片手に自分達で周ったほうが良かった?などと思えてきた。


顔いっぱい

顔屋根

外観
どこを見ても顔だらけである。

パブーオン列柱
 つづいてパブーオン。ここは円柱で支えられた200メートルほどの空中参道がある。この周囲より高くなった参道は新鮮だ。残念ながら回廊から先は修復工事のため入ることが出来なかった。


王宮
 それから王宮


象のテラス

ライ王のテラス
 象のテラス・ライ王のテラスと歩いて周る。
 
 一度ホテルに戻り、サンディお勧めの近くの北京餃子大酒楼で昼食。ここはライス・冷たいお茶がフリー。どの料理もおいしかった。

040716(金) BKK→シエムリアップ(後編)

2004年12月22日 | '04カンボジア旅行記
ボーダー ゲート
 アンコールワットに似た彫刻があるゲートをくぐり、初めての「歩きの国境越え」。白線があればまたいでいるところの写真を撮りたかったけど、そんなの無いし微妙な絵にしかならないので撮らなかった。
 現地人は手続き無しで自由に国境越えしているように見えるんだけど、どうなんだろ。
 入国審査も無し?と思っていたら何人かが小さな建物に入っていくのが見えた。そこで入国手続きだ。こんな混沌としたところ簡単に不法入国できそうだが・・・。
 
 10分ほど待ち終了。
 9ヶ月前、オーストラリアという初めての海外旅行の時は、何もかもが初体験でドキドキだったが、こういう入国も既に6カ国目、慣れたもんだ。外へ出るとまた物乞い・・・。こころが痛い。
 
 レストランから同行した係員がある程度集まった人を見てバスに乗せる。本当に人数等を確認しているかが疑問だ。
 このマイクロバスには車体にハングル文字が書いてある、どうやら韓国(北朝鮮?)のおさがりらしい。エアコンもほとんど効かないし、それに古くて汚い。埃っぽいし不満だったが、5分程であるところに到着。

 ちゃんと待合室がある。ここで40人くらいの観光客が集められた。30分程待ち、2台のバスに分かれて出発。こういう待ち時間等、非常に効率が悪い。
 やはりここでも両替所(レートが悪すぎ)待合室のドリンク等の収入を得るためだろう。そうでなければバスが時間差で到着する意味がないからだ。
 
 今回のバスは綺麗だしエアコンもバッチリ。シエムリアップまでの時間、ふたたびCDプレイヤーで音楽をききながら車窓を楽しんだ。
 カンボジアの道はさすがにでこぼこ。道路と家の間には池があるところが多く、その奥に民家があるという形だ。子供たちが池で泳いでいたり、裸でサッカーやっていたり。バイクのうしろに仰向けにされた豚を乗せて5,6台が走り去っていったり、自転車の荷台に載っている子供が裸だったり、いろんんな光景がみれて非常におもしろい。
 
 ある男の子がこっちを見て手を振ってくれた。反射的に手を振り返すとニコッと純粋な表情で笑ってくれた。ほんの一瞬だったが、自分とその子と心が通じた気がして嬉しかった。その後も3人程手を振る子がいて必ず振り返すようにした。なんとも良い光景だ。


武器を捨て平和へ という看板だとおもう。別に武器を奪い合い戦え という訳じゃない
 あるところでトイレ休憩(?)で道端にバスが停まった途端、まわりからバスを取り囲むように10人ほどの物売りの子供が絵葉書とかアクセサリーなどを売り込みに来た。10~15歳くらいの子供だがしっかりと英語を使っている。さすがに生活がかかっているだけのことはある。

 あたりも暗くなり8:00PMころあるホテルに到着。バスを降りるとやはりバイクタクシーのドライバーたちに囲まれる。こういうまっくらな夜に到着する、というのもバス会社の手だ。暗いし、疲れている、他の宿を探す気を起こさせない為だ。
 途中の休憩所などでバスの係員(?)「今日の宿は決まっているのか?」など聞いてきた。ヨーロピアン連中は当然のようにこのホテルに入っていく・・・。完全にカンボジア人のお金儲けにはまってしまっている。

 自分達3人はもうツアー申し込みで宿が決まっている。しかし、ここでMPツアーで貰った名刺とパンフレットが違うホテルと判明。バンコクを出るときにドライバーに貰っていた名刺の方が可能性高いと思い。そこに行くことにしようと皆で話ていると・・・。いきなりある大男がそのホテルFUNAN ANGKOR PALACEのスタッフだと言ってきた。トランスポートもフリーだという。
 こういうのは怪しい。おもいっきり疑ったが、アドレスもe-mailもすらすらという。5分で着くと言うし、他のドライバーも本物だというのでなんとか信用して車に乗ることにした。

 本当にそのホテルに着いた、ふう、とにかく疲れる、こういうの。
 別のバスでバンコクから来ていたヨウコちゃんは先に来ていて、ちゃんとこのホテルで会うことが出来た。彼女は1時間遅れの出発だったが30分前に着いていた・・・。


屋台の子供 フットワークがGOOD
 お腹も空いたし外の屋台で夕食の為、4人ですぐにホテルを出る。
 北へ3分程歩いたところに屋台が建ち並ぶところがあった。
 いろいろ見て周ろうと思っていたところ、ある小さい男の子に呼び止められ、物凄くすばやいフットワークでMENUを僕達4人に渡し、テーブルのイスをひいたりしていた。もうこの子供のかわいさにここで食べるしかないと4人は思わされた。
 それぞれ別の料理を頼み、みんなで食べた。結構日本人好みの味付けだ。この子供いろいろと かまってもらいたいらしく、ちょっかいをかけてくる。ゴールドコーストでミッチーに貰ったプーさんのマスコットがやたら気に入ったのであげたら凄く喜んでくれた。

 食べ終わり宿に帰り、それぞれの部屋に戻り就寝。
 
 ちなみにカンボジアの通貨はリエル(R)だが、USドルもタイバーツも使える。初め、円を含め頭が混乱しかけていたが、よく考えたら結構変換は簡単だ。

1B=2.7円→3円、100R=3円つまり100R=1Bとなる。そして1USD=107円→100円、1USD=40B=4000R。

 だから1000Rという値段なら、ゼロを2つ消せばバーツになるし、それを3倍すれば円となる。1ドル札を払った場合は3000Rのおつりを貰えばいいことになる。両替所より店でドルで払いリエルをゲットした方が変換率はいい。