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電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2005年7月18日(月) 前見ろ!前!!~陽気なドライバー~

2006年07月18日 | '05中国旅行記
チベット ネパール行きのバス
6:00AMに起床し、自分だけカップヌードル(今麦郎)で朝ごはん。
自分達の部屋以外は まだどこも明かりがついていなかった。
6:50AM頃ようやく他の人の姿が見え出した。バスの後部座席の荷物スペースは無くなっていて後ろまで座れるようになっていた。

7:25AMファーマーズホテルを出発。しばらく走ってからは恐怖の道路工事区間が始まる。
カイラスツアーで一度通ったところだ。このオンボロバスでどうなることかと思ったが、一度坂を登れず皆バスを降りるようなことがあったがなんとか通過。このバス、HINOという日本の車であるせいか、そこそこパワーがある。しかもドライバーがかなり無茶なスピードを出すので恐ろしい揺れと振動だった。


チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス 陽気なドライバー
標高5220mのパン・ラという峠を越える。


チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス OLDティンリ昼食
OLDティンリに2:20PM到着し、そこで昼食。
助手の指示で皆同じお店へ。自分は卵チャーハン(10元)。

3:30PM出発。ここでまた乗客を乗せていくようだ。7人のチベット人が新たに乗り込む。
彼らは僕達の荷物を適当に後ろに放り投げ、彼らの大きな荷物を上に載せる。一体何考えてんだ全くぅ!男二人が車内でタバコを吸いだす。サンポ氏とSada氏が怒りながら注意して ようやく吸うのを止めた。Sada氏・・・旅に出て怒りの沸点が下がってないか?


チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス 陽気なドライバー

チベット ネパール行きのバス 陽気なドライバー
ここからは少しは道が良くなるだろうと期待していたが、それ程状況は変わらず、ガタガタの道を進む。


チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス チベット人はビリヤード好き

チベット ネパール行きのバス ヤク

チベット ネパール行きのバス
二つの峠を越え、久々に海抜3000m以下に下がって来た頃、辺りは深い霧が立ち込め、雨が降る。今までのチベットは荒涼とした風景だったが、この辺りから木に覆われてきた。ネパールに近づいてきたんだと実感がわいてくる。


ニャラムの町でチェックポスト。皆パスポートを見せるように言われ係員に見せようとするが、最初の2,3人見ただけで「OK OK~」って・・・いいかげんだなぁ。

なぜかドライバーは相変わらずのハイテンション。後ろに座っているやたらと笑いっぱなしのおばちゃんと盛り上がりまくり。ドライバーは運転中なんども後ろを振り向いたり、おばちゃんにちょっかい出したり、もう子供のようにはしゃぐ。霧で視界が見えづらいところでも相変わらず。その様子を見ながら盛り上がっている僕達にも気づいている様子だ。
一度 前方から来たトラックに ぶつかりそうになる。危ねぇ・・・もう、前を見ろよ 前!


チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス

チベット ネパール行きのバス
9:15PM頃、ダムの町につくが、(おそらく)ネパールのトラックなどが道の片側にずらっと並んでいる。その横を数100m進んだ先に前方からトラックが来て立ち往生。向こうはいっさい引こうとしない。少し揉めた後、こちらが後ろに下がりなんとかすれ違うことが出来た。本当にスレスレで通過。このドライバーなかなかヤル。

9:30PM頃、剛堅賓館に到着。皆ここに泊まるようだ。一泊30元。スペイン人との4人で一部屋。
1Fの食堂で炒面(15元=約195円)。ここのホテル、ホットシャワーがあるのだが有料(8元=約100円)というので止めた。


['05中国旅行記]

2005年7月17日(日) ネパールへの道

2006年07月17日 | '05中国旅行記
チベット ネパール行きのバス
出発の朝、Sada氏達のドミトリーに入る。
ヴィッキーはいつものように眠たそうに起きて壁にもたれかかっていた。何か照れくさいので簡単に「Bye Bye」とだけお別れ。
寝ていたタクマ君を起こし、8:00AMキレーホテルへ。

少し遅れて8:15am頃、バスが到着。ボロい・・・。
前日にTashiさんが15人くらい乗れるバスだと言っていた理由がわかった。バスの内部の後ろが改造してあり変な荷物置き場になっている。ボロいが座席の間のピッチは広い。
タクマ君とミミが見送りにきてくれ、ここでお別れ。
乗客は自分達三人とスペイン男性一人、イタリア女性一人、ポーランド女性一人、そしてのちに日本人と判明する女の子の合計7人。

チベット ネパール行きのバス

チベット 修理道具
出発して早々の村でなぜかタイヤ交換で時間を食われる。

このままのメンバーでネパールまで行くのかと思ったら、途中の道でヒッチハイク(?)なのか三人家族と老人をピックアップする。
道中三人家族の娘が車内でゲロを吐く。母親が看病、しばらく見ていると母親もゲロゲロ・・・おそらく釣られゲロだ。トイレ休憩の際、外でゲロagain。見ないフリ聞かないフリ匂わないフリをした。

2:15PM、シガツェに到着。
日本人の女の子も誘い昼食。5元(約65円)の砂鍋面。本当は手持ちのカップラーメンが余っているのでそれを食べたかったが状況がそうさせてくれない。
女の子は かなり天然少女20歳。3月から旅しているようでニュージーランド・メコンの国々・インド・ネパール→ラサ→ネパール→という旅。その先は、カナダ→アメリカ→ヨーロッパ→ロシア→中国→日本、今年中に旅を終わらせるつもりらしいが 少し無謀だろう。

3:20PMシガツェを出発。
このバスのドライバー、でこぼこ道でも容赦なくスピードを出す。Sada氏のi-podが音飛びするほどのすさまじさ。
おかげで あっという間にラツェに8:00PM到着。

この町は結局3回目。今日泊まるところはまたもやファーマーズホテル。1泊20元(約260円)。
ドライバーの溜まり場にラパさんがいた。また日本人が乗客のようだ。あんたよく働くねぇ。
以前泊まった部屋と同じ。ホットシャワーが前は使えなかったが、今日はでると言われるが結局ダメ。

以前行っておいしかった成都飯店でメシ。ひさびさの三人だけの食事(一人17元=約220円)。
超市(スーパーマーケット)に立ち寄ってから宿に帰り、しばらくして就寝。


['05中国旅行記]

2005年7月16日(土) ラサ最終日

2006年07月16日 | '05中国旅行記
チベット ラサ ユースホステル
6:30AM起床。外は小雨が降り、朝日は見れなかった。
どうも中国では「湖」には縁が無い。蘇州の次に通過することになった杭州の湖、チベット仏教の聖地マナサロワール、そしてナム・ツォ。
今雨ならなんのために一泊したのだろうか・・・。まぁ考えないことにしよう。

7:10AM出発。上り坂は非常にスピードが遅い。

一度だけ休憩し、12:00PMラサに到着。ユースホテル前あたりで降ろしてもらい解散。

ドミトリーにチェックインし、いつもの店で昼食。キレーホテルに行きネパール行きのバスの話をしたかったがTashiさんがいなかったので3:00PMもう一度くるようにとのこと。
適当に過ごしたあとATMでお金を下ろし、キレーホテルにサンポ氏とSada氏と集合。謎の日本人女性と少し話した後、Tashiさんに尋ねると、明日 8:00AM発のネパール行きのバスがあるとのこと。何日かバスを待たなければいけないと思っていたので最短で行けてラッキーだ。

二人とお別れ。自分は小昭寺へ。入場する気がなかったので外から眺めただけ。
近くのDVD屋で日本映画を探し、ナウシカ・ラピュタ・座頭市・ターミネーターを購入。
パンや菓子を買い、一時間ネットして宿に帰る。

部屋にSada氏とタクマ君がいて おしゃべり。

7:00PM、いつものバナクショーの前のお店で夕食。
台湾人のヴィッキーをサンポさんが誘った。昨日 僕と彼女が仲良く話しているのをみて、何とかくっつけたいらしい。カイラスメンバー・ミミ・ヴィッキーの6人。もう常連と化してしまった。ここのお店とも最後だ。従業員の二人もママさんの娘と判明。食べ終わってママさんも交えて集合写真。

宿に帰ると、階段の部屋を取り壊し1階のネットカフェとつなげる工事が完了していて、プロジェクターで美しい写真が映し出されていた。しばらく皆で眺めていたが、僕とヴィッキー二人で並んで見ているのを他の人が気を使い(?)、一人ずつ部屋に帰っていった。ヴィッキーと階段でずっと話していたが、その後 シャワー室の前の机でまた長話。昨日は話が歴史についての内容になってしまったが、今日は彼女のプライベートなこととか聞くことが出来た。「Do you have a boyfriend?」と直接的なことを聞いてみたがが 適当に交わされた。彼女と話していてすごく楽しい。あっという間に時間が過ぎてしまった。

自分の部屋に戻ると別のドミトリーのはずのSada氏が来ていた。彼の部屋のK氏とミミの関係が良い感じなので気を使ってこっちの部屋にきたようだ。そのうちミミが戻ってきてK氏と話をつけてきたらしく、いろいろ相談される。もう一度チェレンジということでK氏のドミトリーに戻っていった。その部屋のドアが開いているので三人とも素直にシャワー室に行くことが出来ず、ユースホステル内をコルラする羽目に。気を使うなぁ・・・。

シャワーを浴び、部屋へ。
その他の4人で何か話して盛り上がっている(?)ようでミミが呼びに来たがメンドクサイし、眠いのでそのまま就寝。


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2005年7月15日(金) 天空の湖 ナム・ツォ

2006年07月15日 | '05中国旅行記
ナム・ツォ
4:30AM、朝の準備でドミトリーの二人を起こしてしまった。

5:10AM少し遅れてマイクロバスが到着。自分とタクマ君は助手席に座る。ヤクホテルでさらに二人をピックアップし、ラサを出発。

ほとんど寝ていないのでバスの中ですぐに寝てしまう。隣のタクマ君は運転手のすぐ隣でギアチェンジの際、足に当たってつらかったようだ。途中の休憩で後ろの席に変わってもらった。

10:45AMナム・ツォに到着。
思っていた以上にテントやゲルがたくさんある。


ナム・ツォ

ナム・ツォ
日本を離れる前に見たTVではもっと秘境っぽかったのだが、その雰囲気は無い。番組はシーズンオフの冬だったことも関係はあるだろうが、メディアの情報のトリミングは巧みだな。


ナム・ツォ ゲル
ゲルに一泊一人25元。円形の内側にベッドが4つ。布団も綺麗で悪くない。心配していたが、寝袋は全く必要ない。

さっそく昼食。
少し歩いたところの看板が立派なところの店へ。サンポ氏とタクマ君はチャーハン(18元、高い!!)、Sada氏と自分は10元の麺。チャーハンはどうやったらこんなまずくできるのかというデキ。麺もはっきり言ってインスタントラーメンの方が良かったくらいだ。


ナム・ツォ

ナム・ツォ

ナム・ツォ
ミミと5人で宿の裏手の岩山に登る。タルチョがたくさんありすぎて汚い。


ナム・ツォ

ナム・ツォ

ナム・ツォ
岩山をずっと先まで歩いて5人でまったり。眼下の湖は美しいが少し雲が多すぎか。各自湖沿いを歩きテントへもどる。
近くで雨雲、雷まで鳴っている。テントで昼寝して待つことに。

一時間半ほど寝た後 2:00PM頃起きる。皆は外へ出る気がないようだが、もったいないので一人で外へ出かける。


ナム・ツォ

ナム・ツォ
歩いている途中、馬に乗るように進めてくるチベタンがいて何度も断る、もうこれ以上ついてくるなというジェスチャーを示してもしつこく付きまとってくるので思わず相手の足に蹴りを入れてしまった。しつこすぎるから悪いんだ。


ナム・ツォ
天気はよくないが、岩の上などでまったりするのを繰り返しながら進んでいると、よくパンフレットなどで見かけた合掌岩を見つけることが出来た。天気が悪いのでいまいちいい写真が撮れない。30分くらいそこで過ごすが、全く人が来ない。

宿に帰ろうと歩いているとパラパラと雨が降ってきた。ヤバイと思い、すぐ近くの民家に逃げ込む。すると奥さん(?)が出てきて居間に迎えられる。おばあちゃんと子供含めて4人家族が夕食中だった。ハルサメのようなスープなどを勧められたが、揚げ菓子と白湯をいただくだけにした。
10分して外へ出ると雨は止んでいた。お礼を言い外に出ようとすると、奥さんに呼び止められ家の奥へ。立派な祭壇があった。これがナム・ツォよと指差された人形は龍のような動物にまたがった肌が青い神様(?)だった。ナム・ツォとは天空の湖という意味と聞いたが、神様の名前でもあるのか?

お別れして、パオに戻ると皆 ぐた~と布団に入っていた。どうやらあれから出かけてないらしい。パオのそばの店で夕食。やはり少し高いがここはおいしかった。

テントに戻り大富豪。大貧民になったら 大富豪が指定した「恥ずかしい話」を披露しなければいけない。


ナム・ツォ 夜のゲル
外で別のメンバーと寒い中 少しおしゃべりしたり。

10:30PM就寝。


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2005年7月14日(木) 丘に登ってガンデン寺

2006年07月14日 | '05中国旅行記
チベット ガンデン寺
8:00AM発のガンデン寺行きのバスに乗る予定で6:00AMにSada氏の目覚ましで起きる。しかしどちらも起きなかったので二度寝してしまう。
7:35AM朝日で目覚めたSada氏に起こされる。
お寺三昧でお腹一杯のサンポ氏とタクマ君は今日は宿でまったりするらしい。

バスになんとか間に合う時間なので慌てて用意して、Sada氏と二人でジョカン前のバス乗り場に慌てて向かう。
運転手が窓から「ガンデン!ガンデン!」と呼んでいるバスに乗り込む。
8:10AMバスは満員になり出発。バスの中で20元(約260円)の往復運賃回収はなぜか自分のところをスルー、ラッキー!

二時間とガイドブックに書いてあったがくねくねと山道を登り、9:20AMにガンデン寺に到着。
35元(約450円)の入場料を払い中へ。
まずは左手の高い丘を登る。この旅に出発する前日に「地球の歩き方 チベット」の冒頭の少し上から見下ろしたガンデン寺の全景の写真にひどく感動した、だからすぐにこれと同じ景色を見たかった。
標高のせいか歳のせいだか知らないが、少し登っただけで息がきれる。何度も振り返り写真を撮りながら登る。あいにく天気は曇りでスカッとしない。しかし、ロケーションはいい。チベット人は山の上もしくは斜面に建物を配置するセンスに長けている。

チベット ガンデン寺
メインの建物の上部にはまだ文化大革命で破壊された建物の痕跡がある。


チベット ガンデン寺
丘の頂上の電波塔に絡められたタルチョは少し汚らしく見える。
丘の峰づたいに降りる。結局この丘だけで一時間使ってしまった。


チベット ガンデン寺
上部の建物の路地を歩くが道に迷う。そこを通った通行人についていくと分かりづらいところに階段がありようやく下の方の建物にいけた。相変わらずドラクエのような世界だな。
まだ建設途中の建物が多く、未完成の建物に入っていってしまう。しかし未完の部分のそれは作業行程がわかりおもしろい。


チベット ガンデン寺
ちょうど覗いた部屋に工事現場のおっさんがいて、おもむろに僕のカメラを奪い、なぜか僕達の記念写真を撮る(上の写真は他の作業員が休憩しているところ byおっさん撮影)。仲良くなって少し建物の中を案内される。


チベット ガンデン寺
照れるおじさんを一枚だけパシャリ。


チベット ガンデン寺

チベット ガンデン寺

チベット ガンデン寺
その後メインの建物に入り内部をコルラ。
内部の壁画などとてもユニークでおもしろい。地獄をあらわす絵でもなぜか愛嬌がある。


チベット ガンデン寺

チベット ガンデン寺

チベット ガンデン寺

チベット ガンデン寺
バスが出発するのは2:00PMということで、4時間半時間があり 余裕だと思っていたら残り一時間。

チベット ガンデン寺
入場口そばの店で昼食。出来合いの炒め物など角パンに入って並べられており注文しやすい。ご飯を注文するがまだと言われオカズだけ外のテラスで食べているとおっちゃんが持ってきてくれた。24元(約310円)。

チベット ガンデン寺
建物を見ている間くらいから晴れてきたので、くやしいので昼食後再び丘へトライ。10分くらい登ったところで2,3枚撮ってバスへ。

チベット ガンデン寺
坊さんや地元の作業員なども乗せて明らかに人が増えている。一つだけ空いていたチベタン作業員の隣に座り、1:55AM出発。

この隣のチベタンが汚くて臭い!!しかも体が必要以上に大きくて自分は席ギリギリに端に寄るがくっついてくる・・・。非常に辛かった。
帰り、桑阿寺というところに20分くらい(だったかな)立ち寄る。興味が無かったので外で座って待つだけ。

3:50PM、ラサのジョカンの南に到着。
今日は明日のナムツォのツアーの打ち合わせがあるのでキレーホテルの旅行会社へ。すでに一緒に行く日本人の女の子達もいた。肝心のTashiさんがいないので、また7:00PMにくるように言われる。かわいい女の子を必要以上に期待していたサンポ氏は肩を落としていた。宿でまったりした後、7:00PMにキレーホテルへ。

13人乗りのマイクロバスを確認。一人120元(約1550円)を支払う。
ツァンダで会ったミミちゃんがラサに昨日戻ってきていて一緒に行くことになった。宿にいたアサヒ君とチャリダーのシマダ君も入れ7人でいつもの店で夕食。人数が多いのでたくさんの種類が食べられる。Sada氏がメニューにあってずっと気になっていた「水で煮た肉」を注文。それも美味かった。

一時間ネット。
他のドミトリーの筈のミミちゃんが自分達の部屋に遊びに来ていた。自分は同室の台湾人の女の子と会話。あれよあれよと歴史の話に。長いこと話してしまい、3:00AM部屋に戻るとミミちゃんは同じドミトリーの日本人K氏のベッドで寝ていた・・・。うーん・・・。
電気を消しシャワールーム前の机で日記を書く。
3:30AM就寝。


['05中国旅行記]

2005年7月13日(水) ラサ自由日

2006年07月13日 | '05中国旅行記
チベット ラサ・ヤクバーガー
まったり起床。
朝 サンポ氏のノーパソにデジカメの写真を入れてもらいDVDに焼いてもらう。ここの4ベッドルームは今日から誰かの予約が入っているのでドミトリーに移動しなければいけない。

11:30AM頃、6つの二段ベッドの202号室へ移動。同室にエベレストBCを下山したときに会った台湾人の女の子がいた。
タクマ君がどこかで会ったことがあるという日本人がもうすぐ西チベットに行くというのでその人に今回余った水のペットボトル一箱、カップラーメンなどを安く売る。

皆でキレーホテルに行く。サンポ氏は明日のネパール行きの話、僕・タクマ君・Sada氏の三人はナムツォ行きの二日間ツアーの話をするためだ。事務の男しかおらず、待ってもこないので、隣のTashi2レストランへ。
まだチベットへきて食べていなかったヤクバーガー(12元)とミルクティー(1.5元)・玉子焼き(2.5元)。

旅行会社に戻ると先客に女の人二人がいた。彼女らはナム・ツォに行く話をしているが自分達とは予約の日が合わない。車一台1200元だから自分達3人だけでは辛い。Tashiさんに話をするとすでに日本人の女の子が4人あさっていく予定になっていると言う
するとネパール行きの話をしようとしていたサンポ氏もナム・ツォに行くことに心変わり。Tashiさんに「その子達、かわいい?」と聞く。Tashiさんはうれしそうに「かわいいです」と言う。Tashiさんが彼女の携帯に連絡をするとさらに別に4人メンバーを集めてしまったらしい。こうなると8人乗りのワンボックスがいっぱい・・・。ダメか・・・と思っていたら、さらに大きな車を手配できるらしい。丸坊主のタシさん・・・デキル男だ。

チベット ラサ・ジョカン
その後は皆 自由行動。
久々に一人で行動できる。ジョカンの周りの露店でおみやげとしてネックレスを購入。ホテルに帰るまでの道すがら揚げパンやらマフィンを買っておやつ。

一度宿に戻り、また外へ。
市バスでポタラ宮の西側まで行きうろうろ。ここでリンスを買う(実は買ったのは間違えてシャンプーだった・・・)。


チベット ラサ・ポタラ宮 北面

チベット ラサ・ポタラ宮 北面

西チベット ラサ・ポタラ宮 東面
ポタラ宮の北まで歩いて行き、公園内を少し歩いて壁沿いを東へ。


チベット ラサ・市場

チベット ラサ・市場
すると大きな市場があって結構おもしろかった。


チベット ラサ・ポタラ宮 東面

チベット ラサ・ポタラ宮 南面
本屋でドラゴンボール中国版を買う。人力車(4元)でYHに戻る。

いつものメンバーと別の部屋の二人の日本人と一緒にいつもの店で夕食。いろいろな種類をたらふく食べて一人10元、安い!
ネットを一時間半して宿に戻る。


['05中国旅行記]

2005年7月12日(火) ツアー終了 ラサへ帰還

2006年07月12日 | '05中国旅行記
西チベット
8:10AM、拉孜賓館(ラツェ賓館)を出発。
朝からラパさんはごきげんだ。今日はもうラサに到着できる日。皆も出発の時「Let's go,Lasa!!」と叫び盛り上がる。

そんな盛り上がりもつかの間すぐに8:15AM、ファーマーズホテル(農民賓館)に車は入ってしまう。ここで「お茶タイムだ」とラパさん。外のテーブルにはドライバー仲間らしき人達がたまっている。彼らと話したがっていたようだ。
自分達はおきまりのジャ・ンガーモ(ミルクティー)をポットで注文(10元)。となりのラパさん達の饅頭(具が入っていない中華まん)がうまそうだったので、それも注文(1個0.5元)。8:45AM出発。


西チベット
11:00AM頃、急に道路状態が良くなる。


西チベット シガツェ・家常豆腐
12:40PM、シガツェで昼食。ここも美味かった。いままで注文したことがなかった家常豆腐がおいしかった。

1:30PM、シガツェ出発。
久々に信号を見る。道路が綺麗で非常に快適。道を整備している人が、日本でみるような「工事現場のおじさん」ではなく、いかにも近くの住民(女性を含む)が借り出されているという感じ。
ラサに近づくにつれ車の量も増えていく。

ダサい街灯がたくさん見え始めた後、久々のポタラ宮が見えたとき、皆 歓声を上げる。やっぱポタラ宮はかっこいいなぁ。やっと帰ってきた。今までが田舎だった分、かなり都会に見える。タクシーも久々に見る。
ホテルまでの北京中路には人が溢れている。火曜日なのになんでこんな人が多いんだ?こんな人が多かったっけ?車中やっとシャワーを浴びれるんだなどと皆浮き足立つ(11日間、ちゃんと全身シャワーを浴びていない)。

6:30PM、キレーホテルに到着。
旅行会社のタシさんが出迎える。旅の報告を少しして、残りのツアー代一人1000元を支払う。サンポさんがこっそりラパさんにチップ200元(チップ合計300元となる)を渡す。
ユースホステルまで車を移動してもらい、チェックイン。ラパさんともここでお別れ。明日予約が入っているらしいので今日のみ4ベッドルーム(一人30元)に泊まる。
皆到着するなりシャワールームに直行。シャワーを浴びれるということがこんなにうれしいとは。


チベット ラサ
下着などを洗濯して、8:10PM夕食へ。
やはりお決まりのバナクショー前のお店へ。ここの料理はハズレが無い。店のおばさんもいい人。皆この店で食べるのを待ち焦がれていた。ツアー終了祝いとしてラサビール。ビールなんてトルファン以来だな。料理も奮発。玉子トマト炒め・ホイコーロー・肉とキノコの炒め物・野菜スープ・玉子チャーハン・豚肉チャーハン。やっぱり最高に美味い!


チベット ラサ
あっという間に平らげる。これだけ食べて全部で55元(約700円)、安い!

チベット ラサ
(写真解説;真ん中の赤い看板が ラサでのいきつけ食堂です。超お勧め。右の青い看板が いきつけのネット屋)
食べ終わってネット屋に直行。ネットをやるようになってから、13日間ネットに触らなかったというのは初めてなんじゃないだろうか。メールが大量に溜まっていた。
おきまりの中韓ウォッチングのブログを読み、再び中韓に憤慨。二時間やって10元(約130円)、宿へ。

今日はカイラスメンバーで4ベッドルーム、久々の綺麗な布団ふかふかのベッド・明るい照明・・・こんな当たり前のことがうれしい。


['05中国旅行記]

2005年7月11日(月) ひたすら移動 ラパさん頑張る

2006年07月11日 | '05中国旅行記
西チベット
8:10AMバルヤンを出発。

ひたすらラサ方面に向けて走り続けていると、11:35AM、あるチャリダーを追い抜く。見覚えがある後姿にひょっとしてと思い、あわてて車を止めてもらう。車を降りてみると、カイラス山で会った小峰さんだ。カイラスで別れてからバルガで自転車を回収し、それからずっと自転車で走っていたというのだ。彼から話は聞いていてが、じっさいに走っているところをみると感動もの。
すこし話をしていると前方からカイラス方面へ走っていたランクルが止まり、台湾人の女の子3人とハワイアンの男一人が降りてきて一緒に談笑。
150mほど離れたところにいたチベタン達もなぜか集まってきて、賑やかに。自分は調子に乗ってチベタンの写真を撮りまくり。近寄ってきたチビ羊をチベタンの子供に追いかけて捕まえてきてもらったり。
台湾人の女の子達はチャリダーの小峰さんに興味津々。いろいろ質問攻めにあっていた。
彼は水を持っていなかったので僕らからペットボトル(1.25リットル)2本、台湾人からも2本プレゼント。聞くとまだまだ一年半旅をつづけるらしい。がんばってほしい。


西チベット サガ
1:45PM、サガ到着。
昼食をとる。「プー・ヤオ・ラーダ(辛いの抜いて)」と頼んで出てきたヌードルはコクが無いものに・・・。
店の前でランクルの右後輪あたりのショック吸収の板バネを修理。
子供に一度カメラを向けたら、皆凄く調子にのって、撮って撮って攻撃。

3:10PMサガを出発。
3:15PMチェックポスト、パスポートを見せる。

延々と走り続け、サンサンという町に着いたときが8:00PM、今日ここで宿泊かと思ったら、ラパさんが「まだ行くぞ」と言う(←ジェスチャーでそう言ってる)。実は昨日サンポさんが100元チップを渡し、ラサまで急いでくれとお願いしていた。100元もらったからかどうかは別としてラパさんは人に頼まれると頑張る性格のようだ。

真っ暗な中を走り続け、ラパさんの予言どおり11:00PMちょうどラツェに到着。
前回ラツェに来たときに泊まったファーマーズホテルに行くがランクルがたくさん止まっており部屋も満室だという。しかたがないのでラツェ賓館へ移動。一泊一人25元。なかなか良い部屋。
すぐにラパさんに連れられ、ここのホテルのレストランへ。シャッターは閉まっているがOKらしい。もう仕事終わりでうかれてうるさい店員の声を聞きながら食べる。
結構高かったが美味かった(全員で79元)。


['05中国旅行記]

2005年7月10日(日) 三大聖地って・・・コレがぁ?

2006年07月10日 | '05中国旅行記
西チベット ムンツェル(門士)
8:30amムンツェル(門士)を出発。


西チベット ティルタプリ

西チベット ティルタプリ
8:45am、ティルタプリに到着。
ここはカイラス、マナサロワール湖と共にチベット三大聖地の一つ。温泉が湧き出るところであるが、前評判から元々あまり期待していなかった。通常こういう場合、行ってみると意外に良かったというパターンが多いが、ここはダメだった。
白い川に湯気が出ていたが・・・うーん・・・。数枚だけ写真を撮って去る。

9:15am、ムンツェル(門士)に戻り、昨日の夕食をとった江河源飯館で昼食(朝食)をとることに。昨日、僕が食べた拉面がおいしかったので皆それを注文することに。調理場からおっさんが出てきて、なにやら説明。面は違う種類のものになるようだということは分かっていたが、出てきたラーメンは昨日とは全く別物になっていた。しかも辛いよ。「拉面(←通常 具の名前がこの前に付くのだがここのメニューはコレだけ)」とは日替わりラーメンのことなのか??
食べ終わった後、ウンコがしたくて外のトイレに行くがハエが大量に壁に張り付いていて気持ちが悪かった。それに加え「穴」の周りがきたなかったので外の草むらで野グソ。近所のちびっ子に見られた。

10:30pmムンツェル(門士)を出発。

西チベット マナサロワール湖
走っている途中雲行きが怪しくなってきて、マナサロワール湖に着いたときには本格的に雨が降り出した。周りの遠くの方を見ると明るい場所(雨が降っていないところ)が見えるので、もしかしたら数十分待っていれば、雨は上がったかもしれないが、ここで観光スポットは最後なので、皆 すでに気分はラサ。「Go To ラサー!!」とメンバー一致で掛け声。
写真を1,2枚 義務感で撮るだけでここを立ち去る。
もう 一度通った道なので、車内で「深夜特急」を読み過ごす。

4:00pm、マユム・ラ通過。

4:45pm、その先の検問でパスポートを見せる。



西チベット
6:00pm、テント村(以前 ランクルがトラクターにぶつけられたところ)に到着。


西チベット
ジャ・ンガーモ(ミルクティー)(10元)を頼んで休憩。


西チベット
ラパさんはヤクの干物を食べて上機嫌。6:30pm頃 出発。


西チベット バハヤン・礼西旅館(タシ旅館)

西チベット バハヤン・礼西旅館(タシ旅館)

西チベット バハヤン・礼西旅館(タシ旅館)><br>
7:50pmにバハヤンに到着。ここの礼西旅館(タシ旅館)に宿泊(一人25元)。<br>
<br>
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夕食として「成都飯店」でいつものお気に入りのメニューを注文。味はかなり良し。
しかし会計のときメニュー表(ただし手帳に書いてあるもの)のホイコーローが15元だったはずなのに25元と請求される。サンポ氏とSada氏が抗議。Sada氏がキレだすと、おっさんが証拠隠滅の為、メニュー表を破り捨てる。当初の料金を払って店を出ることに。
冷静に考えると、店の人の言い訳を見ていたら(過去の会計のメモなどを見せてきた)わざと余分にお金を取ろうとしたのではないようだが、まぁ 始め自分達が見た金額より10元多かったのは、たかが130円程度のことだが問題なのだ。キレている二人を引き止めに出てきた店の主人に二人は「警察・警察」と脅していたらショボーンと諦めた。
外は雷が鳴っていた。

部屋の電気はつかず、ろうそくを用意して貰いしばらくして寝る。


['05中国旅行記]

2005年7月9日(土) 忘れられた天空の城 グゲ

2006年07月09日 | '05中国旅行記
西チベット グゲ遺跡の反対側
8:00AM出発の予定だったが、皆 目を覚ましたのは7:55am。
あわてて準備。せっかく今日は昨日の店で久々に朝食を食べる予定(饅頭)を食べる予定だったのに・・・。

結局8:30am出発。小さな工場のようなところでガソリンを入れた後、遺跡へ。


西チベット グゲ遺跡
9:45amグゲ遺跡に到着。
入場料として一人105元(約1300円)・一グループ10元(約130円)を払い、英語のガイドと共に中へ。


西チベット グゲ遺跡 入口

西チベット グゲ遺跡 入口

西チベット グゲ遺跡
岩山にそびえるグゲ遺跡、かっこ良すぎ!砦として機能していたと思われる壁や宮殿のような建物は「文化大革命」の破壊活動で無残にも壊されている。建物内部の美しかったであろう仏像もほとんど見る影も無い。


西チベット グゲ遺跡

西チベット グゲ遺跡
途中でガイドが帰り、自分たちだけで探検。まるでドラクエのような世界だ。
ずっと登りで大変なはずだが、楽しくて疲れない。周りのロケーションも素晴らしすぎる。カンボジアのベンメリア遺跡で感じたよりも高揚感は上かも。


西チベット グゲ遺跡

西チベット グゲ遺跡

西チベット グゲ遺跡
なによりも観光客が他にいない。ほとんど有名でない 遺跡にいるという満足感もある。


西チベット グゲ遺跡

西チベット グゲ遺跡
ここもおそらく将来 世界遺産になり、アリ(←この町から数時間はなれた町)に空港が完成したら、どっと観光客が押し寄せてくるだろう。


西チベット ツァンダ(札達)
12:20pm、グゲ遺跡を出発し、同じ道を通り、再びツァンダ(札達)の町へ。
1:15pm昨日の食べたおいしい店で昼食。ホイコーローなど注文、やっぱり最高においしい。

2:25pmにツァンダの町を出発。ここからはほとんど観光もせずひたすらラサへ戻る移動となる。
途中、車が故障。タンクの給油口からもガソリンがたらたら漏れている。自分達が丘の向こうで野グソをしている間に直ったようだ。
延々、走り続ける。

6時間後、ティルタプリ目前の町ムンツェル(門士)に到着。
美満招待所のおばちゃんとサンポ氏が値段交渉。一人30元(約390円)と言っていた。交渉して4人で110元となるがなかなか譲らない。他の店に移ろうとしたら105元(約1300円)となる。それでもサンポ氏は4人で100元を押し通そうとし この場を去ろうとする。その瞬間あまりに人のよさそうなおばちゃんが悲しそうな顔をするので、僕が105元で手をうったら?と提案。交渉成立。
まあまあ綺麗で布団もOK。すぐに外の店で夕食。拉面(10元=約130円)と書かれたものを注文。大正解 美味かった。

皆それぞれの時間を過ごし就寝。


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