電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

路地裏からの贈り物(後編)

2006年04月26日 | 世界の子供
チベット ラサ・路地裏
ラサの路地裏、さらに歩いて フト覗き込むと子供達。

この後の旅のネパールで たくさんの子供達を撮ることになるのだが
まだこの頃の自分は、子供の撮影に少し恐る恐る。
子供達が自分のことを「外敵」とみなさないか不安なのだ。

チベット ラサ・路地裏
しかし、そのお互いの緊張を破ってくれたのが このピンクの服の女の子。
この下につづく写真を見てもらえば分かるが、いつでもカメラ目線で かなりの おませさんだ。

チベット ラサ・路地裏
つづいてちょっと年上のお姉さんがやってきた。
チベットの女性の典型的な美人顔だ。

チベット ラサ・路地裏
右の子は まだ遠慮している。

チベット ラサ・路地裏
別の子供達にカメラを向けると このようにまだ距離がある。
まだまだ警戒しているのだ。

チベット ラサ・路地裏
二人の楽しそうな様子を見て・・・

チベット ラサ・路地裏
他の子たちも寄ってきた。

チベット ラサ・路地裏
前回の記事の「第一子供」までも近寄ってきている。
デジカメで撮った写真をみんなに見せてあげると
みんなおおはしゃぎ。

チベット ラサ・路地裏
おそらく一番年上と思われる黄色い帽子の女の子がみんなを一箇所に
集まるように指示
なんか学校の集合写真みたいになった。
ピンクの女の子がすました顔でピースしている。
みんないい顔してます。

チベット ラサ・路地裏
デジカメのモニタを見せた後、お礼を言ってお別れ。
ピンクの服の女の子はまだポーズしてる。

バイバ~イと言って この場を離れる。

チベット ラサ・路地裏
と思ったら、10メートルほど歩いたら後ろから呼び止められ
再び集合写真となった。

チベット ラサ・路地裏
乗り遅れた二人もカシャッ

もう僕は彼らにとって完全に「外敵」ではないんだ。
彼らの素直な笑顔がうれしかった。



こうやって路地裏探検は、素敵な贈り物を僕に与えてくれる。

でも もうそろそろ・・・

チベット ラサ・路地裏
おウチにかえろ~っと。


[チベット・ラサ]

路地裏からの贈り物(前編)

2006年04月25日 | 世界の子供
チベット ラサ・路地裏
チベット最大の目的は、ランクルをチャーターして西チベットを旅すること。
その手続きで旅仲間といろいろ行動していたが、ちょっと時間があったので一人で探検にでた。

チベット ラサ・路地裏
探検といっても簡単なこと。

地図も持たずに大通りから 細い路地に入り込むだけ。

チベット ラサ・路地裏
そこにはもちろん観光客の姿は無い。
大きなカメラを抱えている僕を大人たちは気にも留めないのだが・・・


チベット ラサ・路地裏
第一子供発見。
彼が記念すべきチベット子供の第一号。
「なんだろこの人?」そう思ってみているのかな?

チベット ラサ・路地裏
写真を撮っているのを見ていたのか、二人の子が近寄ってきた。

チベット ラサ・路地裏
お姉さんと弟なのかな?

チベット ラサ・路地裏
賑やかな声につられて覗いた先では、子供達がサッカーをして遊んでいた。

チベット ラサ・路地裏
さらに歩いていると、ある子供がこちらを見ていたので、
写真を撮っていいかアイコンタクト、すると家の中に駆け込み逃げた。

それを見ていたお父さん、面白半分で子供を連れ出そうとする。

チベット ラサ・路地裏
嫌だぁ!嫌だぁ~!

チベット ラサ・路地裏
でもカメラ目線( ・∀・)


つづく・・・


[チベット・ラサ]

消え行くチベットらしさ

2006年04月20日 | 写真でヒトコト
チベット・ラサの町並み
今回の旅の最大の目的はチベットだった。
その古都ラサに到着した際に撮影した最初の数枚をアップします。


チベット・ラサの町並み
本当はここでラサやチベットについての説明や感想などを丁寧に書き込むのが 良識あるブログの姿なのでしょう・・・
ですが、このブログは、まったり・なげやりをモットーとしているので適当に写真を貼っておきます。


チベット・ラサの町並み
南米の旅 以前に先行して作った記事を前回で全部消化してしてしまいました。
それ以降、書く時間と気力がないというのは あえて言わないでおきます。


チベット・ラサの町並み
チベットのことを詳しく知りたい方は、こちらをどうぞ
→Wikipediaチベット
→Wikipediaチベット自治区
→Wikipediaラサ市

人はコレを「丸投げ」と呼びます。


チベット・ラサの町並み
まだ かろうじて残っているチベットらしさ・・・
しかし、この町にも、もうすぐ本土から敷かれた鉄道が開通し、どんどん漢民族が押し寄せてきます。
共産党政府の民族浄化が進み「チベットらしさ」が薄れていってしまうでしょう。


チベット・ラサの町並み
あるホテルの屋上から町をみる。


チベット・ラサ ポタラ宮
遠くに見えるのがポタラ宮
のちにチベット各地で人民解放軍によるむざんな破壊の痕跡をみせつけられることになるのだが・・・
この宮殿は破壊から免れた数少ない建物。


チベット・ラサのお茶屋
市内で見つけた茶屋。
細長い満員の店内にチベット人がお茶だけを片手に語らっていた。


チベット・ラサ ジャ・ンガーモ
チベット風ミルクティー「ジャ・ンガーモ」・・・3角(約4円)


こういう空間はいつまでも残っていて欲しい



[チベット・ラサ]

中国看板を読む

2006年04月16日 | 写真でヒトコト
今回は、中国で見つけた看板をいくつか紹介したいと思います。
どこの地域で見つけたかは写真にマウスポインタを合わせてもらうと分かります。

武漢 マクドナルド看板
マクドナルドですね。
多分 音を似せているのだと思います。

武漢 ケンタッキー看板
KFCです。
外国語の漢字での表記はなかなか大変そうです。

しばらく前のライブドア騒動の際、中国の新聞がこれを報道したとき、ライブドアのことを「活力門」と表記していました。
しかも、これは中国読みをすると「ホリエモン」に近い音になるそうです。
何千年も続く漢字文化、なかなか熟練されてます。

上記以外の中国の外来語看板は、ブログ「地球のどこか片隅で」の「北京 同じ漢字の国だから」の記事がさらに詳しく紹介されています。


ここからは ちょっと変(?)な看板

成都北 冷山火鍋看板
冷たいんだか熱いんだか…


中国・ウルムチ 素人看板
素人が「売り」になるのは日本の風俗産業だけでしょう


中国・チベット 谷子 麦看板
姉妹店は「沢子・米」


中国・チベット ホテル看板
えーっと…なんて読むのかな…ジサレヤクホテイ…?
あ~!「 THIS ARE YAK HOTEL 」ね!
もう…わかんないなら英語使わない方がいいと思うよ


最後に紹介するのは看板ではないですが…
中国・チベット 不冷不新鮮ジュース
あの~
このオレンジジュース 飲んじゃったんですが大丈夫でしょうか…


[追記]
ブログ「ちゃいな時々にっぽん」の おまささんに「不冷不新鮮」の訳をお伺いしたところ、

”冷たくしないと新鮮じゃない”だから、冷やしてねっ♪

ということだそうです。
うーん、婉曲的だぁ。

中国小僧が現れた!

2006年04月10日 | 世界の子供
中国小僧
中国小僧が現れた!

中国小僧
こちらの様子をうかがっている

中国小僧
→逃げる
ザッザッザッ

中国小僧
しかし まわりこまれた

→ずっと覗いていたファインダーから ヒョイッと顔を出してみる

中国小僧
あっ笑った!
なんだ敵じゃないじゃん

チベット子供
仲間も現れ、なぜか照れ笑い
どうやら闘わずにすんだようだ



[中国・ゴルムド→ラサ]

ブログの向こうには「人」はいない

2006年04月01日 | 雑感
敦煌と影

BLOG STATION『ブログの向こうには「人」がいる』より引用~~~~~~~~~~

僕は、少なくとも巡回先のブログに関しては、書かれている情報よりも、それを書いた人のほうに興味を持ちます。その人ならではの意見が読めるからこそ、そのブログを読みに行くのです。そして、相手とコミュニケーションを行いたいと思うから、コメントを書いたり、トラックバックを送ったりするわけです。
必ずしも、プロフィールなどの個人的な部分に興味を持つわけではありませんが、「この人が書いた記事だから面白い」、「この人が読んでいるブログは面白い」と思うからこそ、僕はそのブログを読み、そして、記事を書くのです。

~~~~~~~~~~~~~~引用終わり

上記の記事でブログ作者のkenさんにとって、誰かのブログを読むという行為のベクトルは「ブログ記事そのもの」ではなく「ブログを書く人」へ向かっているという話です(と解釈しました)。

自分は、どちらかというとおそらく前者かなぁと思います。
ブログを始めた当初は、ブログランキングの海外カテゴリーからブログを探しにいったり、見つけたブログのブックマークを見にいったり、「旅行記 タイ」「アンコールワット 写真」などで検索して新しいブログの開拓をしていたのですが、そういう行為は数ヶ月で落ち着き、それからは一定数のお気に入りブログを巡るだけです。

現在、毎日とはいかないまでも週に三回以上チェックするブログは、30~40程度あります。
新規開拓しなくなったのは、質の高い もしくは自分に興味のある記事をコンスタントに公開しているそれらのブログを読むだけで充分満足だし、時間的にも一杯一杯だからです。
それらはどちらかというと、そのブログの作者に興味があるというスタンスで「この人が書いた記事だから面白い」として読んでいるのではなく、何個かの記事を読んで「この人が書く記事は面白い確率が高い」というわけで定期読者になっているという感じです。
どちらにしろ、どの巡回先も半年以上読み続けているものばかりで、なんとなくそのブログ作者の人物像を無意識的に自分の中に作り上げている場合が少なくありません。

記事の内容はもちろんのこと、改行の仕方・レイアウト・字体・文章量・写真の撮り方(対象物の選び方)・テンプレートの選択のセンスなどから作者の性格がにじみ出ます。
毎日かかさず更新する人・「しょこたん☆ぶろぐ」みたいに一日に10~20記事もUPする人もいれば、10日に一回くらいの割合しか更新しない人もいる。
更新頻度が一定のブログの場合、ある時期にその規則性が崩壊した際、読者が勝手に作者に何かあったんじゃないかと心配するコメントを書き込む人がいます。読者が勝手に更新頻度から作者の生活環境の「正常」「異常」を想像してしまうのでしょう。



敦煌 砂漠

僕は、このブログ内で2004年の11月から約一年半に渡って旅行記・エピソード・旅の写真などの記事を書いてきました。
少ないながらも、有難いことに このブログにも定期的に読みにきてくれる読者さんが存在しています。その読者の中で僕と面識がある人はほとんどいません。
僕はこのブログの中で自分の写真も載せないし、コメント欄も含めてプライベートな情報は書き込まないようにしてきました。
プライベートなことを書かないのは、そんな日常のことを書いても、読んできてくれる人を楽しませることが出来ないからです。「僕」という存在やその感受性や文章力が平凡であっても「旅」というある特殊体験を書き込むことで、いくらかこのブログに興味を持ってくれている人がいてくれるわけです。

しかし、この記事を読んでいる人は考えて下さい。
はたしてこのブログに書かれている体験は本当のことなのでしょうか?このブログに載っている写真は本当のものでしょうか?「僕」という一人称で書いているが作者は本当に男でしょうか?年齢は60歳を越えているかもしれないし、日本人ではないかもしれない。
読者はそれらの真偽を確認する術は無いでしょう。

僕と一緒に一時でも旅をした人でさえもリアルな僕がはたしてこのブログの「僕」と同一かどうかなんて分かりはしない。ネットがここまで普及し、一生かかっても見切れない情報が溢れている中で、例え海外を旅していなくても現地の情報を集めるのは難しくない。旅行記はガイドブックやネット上の他人の旅行記を見て書くことも出来る。他人の旅写真を拝借してきて載せようがよほど有名サイトで無い限りバレはしないでしょう。漫画「ヒカルの碁」のsaiのように実体の無い人格が書いているのかもしれない。
ネットの特徴の一つが匿名性と言われるが、たとえ「僕」が山田太郎という実名をだそうが、リアル世界の僕を知らなければそれは限りなく匿名に近い。ブログで個人情報を書いてあっても本当のところは本人以外 誰にも分からないのです。
その分からないところがネットの醍醐味であるし面白いところだと言えるでしょうが・・・。



ペルー マチュピチュとワイナピチュ

前置きはこのヘンにしておいて。

このブログ上では内緒にしていましたが、2006年1月30日~3月15日の45日間、南米を旅していました。

<日本>名古屋⇒成田
⇒<カナダ>トロント(トランジット)
⇒<ペルー>リマ→ナスカ(地上絵)→アレキパ→クスコ→マチュピチュ→クスコ→プーノ(チチカカ湖)
→<ボリビア>ラ・パス(ティワナク遺跡)→ウユニ塩湖
→<チリ>サンペデロ・デ・アタカマ→カラマ→サンティアゴ→ビーニャ・デル・マル→サンティアゴ⇒プエルトナタレス(パイネ国立公園)
→<アルゼンチン>エル・カラファテ(ペリトモレノ氷河)
→<チリ>プエルトナタレス⇒サンティアゴ⇒イースター島(モアイ三昧)⇒サンティアゴ
⇒<カナダ>トロント(トランジット)
⇒<日本>成田⇒名古屋
※「⇒」;空路   「→」;陸路

上記のように移動しました。
南米は危険といわれ、当初ドキドキでしたが、結果的に特に事件はありませんでした。
子供の頃からの憧れのナスカの地上絵・空中都市マチュピチュ・モアイのイースター島にいくことができ充実した旅でした。
ナスカはネットなどでは がっかり観光地として有名ですが この目で実際に見ることが出来てよかったです。
マチュピチュは、晴天ではなかったのですが、霧のマチュピチュは幻想的でした。
そしてイースター島はは飛行機チケットが高かったのですが思い切って購入。最終日の「夕日withモアイ」は感動で涙しました。

ブログは記事を未公開状態で前もって沢山アップロードしておき、現地のネットカフェでポチっと公開ボタンを押して更新していました。
旅以前も1週間から10日に一度くらいのペースでしか更新していなかったので、それほど更新頻度において違和感はなかったのではないでしょうか?
いかんせん、日本語が使えないところが多くコメントの返事が遅くなりました。旅前はいつも翌日にはコメントの返事を書いていたのでこのあたりでおかしいなぁと思われた方もいたかもしれません。
旅に出たのを秘密にしていたのは、インド・中国のネタ記事が途中だったために流れを途切れさせてしまうのが惜しかったからというのが理由です。

今回のこの記事のタイトルの『ブログの向こうには「人」はいない』は、冒頭引用した記事のもじりですが、
タイトルの真意は『ブログの向こうには「読者が無意識的に想像している場所に人(作者)」はいない』という意味です。
いつもどおり記事を更新していたのだから、読んでいる方は「作者は日本にいるのだろうなぁ」となんとなく思っていたはずですが、僕は海外を旅していました。


イースター島 夕日とモアイ

今日は4月1日エイプリルフール。
ちょうど一年前「イースター島に着きました 」というタイトルで嘘記事を書きました。ありがたくも何人かが一瞬信じてくれて自分的には成功でした。
イースター島に行ったという、一年前に半分願望で書いた嘘記事ですが、意志さえあれば叶うものですね。

今日はエイプリルフール、あなたはこの記事信じますか?


[中国・敦煌]
[ペルー・マチュピチュ]
[チリ・イースター島 モアイ]