電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

040724(土) 帰る場所へ

2005年01月27日 | '04タイ2旅行記
 4:20AMの目覚まし。
 ずっといろいろと考え事をしていて、結局1時間も寝ていない。昨日の屋台づくしの食事がいけなかったのか、アジア最後の夜にして初めての下痢だ。

 4:50AMチェックアウト。昨日お金を使い切った(空港TAX500バーツ以外)と思っていたら、キーデポジット100Bが戻ってきた。まあいいや、タイはまたいつか来ることがあるだろう。

 外へ出ると昨日から飲んでいたと思われる連中が何人かたむろしていた。あれだけ立ち並んでいた出店もない。それにしても汚くてくさい。道路にたくさんのゴミが散らかっている。
 
 セブンイレブンでヨーグルトを買い、エアポートバスを待ちながら食べる。予定の5:00AMになってもバスがこない。昨日もらった伝票を見ると5:00PMとなっている。もしかして午前と午後を間違えて予約されてしまったか?
 5:15AMになってやっと到着。マジでタクシーで行こうかどうか迷っていたところだった。

 このドライバーおそろしくスピードを出す。高速に乗ってたくさんの車がいる中、次々と抜いていく。本当に死ぬかと思った。20分くらい(?)で到着してしまった・・・。
 
 チェックインして8:25AM発の飛行機。
 隣に座ったのはチェンマイに家を建てているという日本人夫婦。老後をゆっくりチェンマイで暮らすようだ。4時間のフライトで1:20PM 頃(時差+1時間)台湾の台北に到着。

 2時間ほど待った後、日本行きの飛行機に乗る。隣は外国人風の女性。しばらく話さずにいたが名古屋に到着する20分ほど前にその人が日本人であることが判明。
 具体的な地名は忘れたが ダライラマが住んでいるところに現地の人と結婚(正確には宗教上結婚できてないらしい)しているらしい。姿が完全に現地人化してる。今回は久しぶりの一時帰国らしい。しまったぁ、もっと早く話してればよかった。
 とにかくこういう旅先での人との会話が最高におもしろい。
 
 人生は人それぞれ、旅は、その土地の自然や建造物を訪れることの他に自分と全く違う人生を歩んでいる人と話すための時間でもあると思う。
 
 そして名古屋到着。ひっそり家に帰るつもりが家族が迎えにきてくれていた。あー、帰ってきたんだ、と思った。・・・帰るところがあるんだ。
 
 
 ただいま
 
 
久しく言ってなかったな・・・


 これで2003年10月14日に日本を出て、ワーキングホリデーとしてオーストラリアをラウンド、つぎに1ヶ月東南アジアを数カ国まわった9ヶ月と10日間、長かった旅の終わりだ。

040723(金) 海外生活最後の夜

2005年01月24日 | '04タイ2旅行記
サイヤムオリエンタルイン
 朝10:00AMくらいに外へ出て、MPツアーのに抗議しようとしたが肝心の2人がいない。
 今回のパックツアーを申し込む時は丁寧に対応(わがままいろいろ聞いてくれた)してくれたし、そのこと自体は大変感謝している。しかし現地での対応が最初の営業トークと全然違う、これについて今後の改善を含めモンクを言うつもりだった。

 朝ごはん(昼食?)としてあんかけメシを食べる。美味すぎる。なぜいままで何度もバンコクに泊まっていたのにここで食べなかったんだろう。

 昼1:00PM頃ネットカフェに入ろうと歩いていると向こうから見慣れた顔が!オーストラリアパースのCity&Surf B.P.で何日間か一緒だったテツ&ヒロだ。すぐに向こうも気がついてくれた。
 彼らとはパースにいる時に同じ東南アジアに行くもの同士として情報交換をした仲だ。彼らはバリ島・ジャワ島そこから船でシンガポールに渡り、鉄道でマレーシアと移動していて、3日前にバンコクに着いたそうだ。しかもジャワ島とシンガポールとそこにいた日付が自分と重なっていた。
 パースで5月半ばに別れてからこんなバンコクで再会するなんて。しかも日本に帰るギリギリの日になって。かなり長く立ち話しをしてしまった。

チャイナタウンの門 
 ネットをしてタクシーに乗りチャイナタウンへ。ここは凄い。ものすごい数の店が路地裏までぎっしりと並んでいる。こんな似たような雑貨屋がたくさん、本当に商売やっていけるんだろうか。
 
 バイクタクシーに乗りカオサンへ。バイクは渋滞関係ない、少し怖かったがいろいろな交通手段を楽しむのも旅の目的。
 
 最後にもっていたマレーシアのお金を両替所で交換。飛行機のチケットを受け取り。空港へのバス(60B)も申し込む。バーツを余らせても仕方が無い。

 まず、カオマンガイ屋、頼んでタレをたっぷりかけてもらう。次に調子に乗って朝食を食べた屋台で再び野菜炒め、短時間に2食も食べた。お腹がイッパイだ。この行為が後悔する事になる。

 おみやげにお香のセットを買う、もちろん交渉してディスカウント。自分のためのT-シャツも買う。

 残り40バーツ、宿に戻り荷物整理など、明日の帰国に備える。

040722(木) 移動日(シエムリアップ→BKK)

2005年01月22日 | '04カンボジア旅行記
バイタクドライバーのナッツ
 6:50PM頃、チェックアウトしFUNANまで歩いていると、あのバイクタクシードライバーのナッツが声をかけてきた。偶然、最後に再会だ。
 FUNANまであと300M程だが、タダで乗せてくれた。しかし財布の中のリエル札はいらないので残っている600リエルだけあげた。

 FUNANでバスを待つ。予定の7:30AMを過ぎた7:40AMにバスが来て係員がチケットを見せろという、やはり・・・。ホテルのオーナーに抗議するがなぜかしらばっくれる。バスの係員はここでチケット代を払えと言う。あれほどチケットのことを何度も言ったのに彼は心配ないと言っていたのに・・・。タイのMPツアーに電話をしろと抗議するが(当然だが)ブツブツモンクを言う。弱い日本人ならここでお金をしかたなく払っただろうが自分はこういう訳のわからん 騙し にやられるわけにはいかない。いろいろ猛烈にモンクを行った後 なんとかチケットを発行した。

 満員のマイクロバスに乗り出発。自分が一番最後のようだ。
 
 一度トイレ休憩が入り次に昼食休憩。ここで最後に残った1ドルを使い切った。
 この休憩が終わってバスに乗ると隣の女性が声をかけてきてくれた。彼女はアメリカ人で韓国で英語教師を2年程やっていて、それを辞めた後ここに旅行に来ているとのこと。ボーダーまでの1時間半くらい楽しく時間を過ごすことが出来た。

 ボーダーに着き手続き。相変わらず時間がかかる。皆が集まったところでトラック(後ろにベンチがついている)に15分ほど乗り、違うバスに乗り換え。
 
 今度のバスは凄く豪華だ。2階建てでテレビも付いている。すごい。一番後ろの席でゆったり座る。

 バンコクに着いたのは8:00PMくらいだろうか。カオサンの近くで降ろされ再びサイヤムオリエンタルインにチェックイン。
 カンボジアのツアーに関してMPツアーに抗議しようとしたが閉まっていた。となりの航空券扱うところで(ここもMPツアー)でチケットの相談。一番安い飛行機でなるべく早く帰りたいと伝えると、明後日にあるとのこと。9980バーツ(約27000円)、悪くない。残ったT/Cを変換し購入。
 
 ついに9ヶ月と10日ぶりに日本に帰る事になるんだ・・・!

040721(水) トンレサップ湖と北朝鮮の踊り

2005年01月19日 | '04カンボジア旅行記
トンレサップ湖で魚など取引していた
 朝、帰りのバスの予約のためFUNAN ANGKOR PALACEへ。明日のAM7:30発バンコク行きの予約。それにしてもチケットをもらえない。大丈夫か?と聞くと問題無い、という。本当はタケオG.H.でピックアップしてもらいたかった(MPツアーで可能と言われていた)が、このチケットの問題があり、やはり不安なのでFUNANピックアップのままとした。

 前のマーケットでクメール料理の店でカレーを食べる。
 
 今日は帰ってタケオで漫画でも読んで、まったりしようかと思い歩いてタケオに向かっていると、一人のドライバーが声をかけてきた。そういえばキリングフィールドに行ってない。聞くと1ドル30というので、まあいいや行ってみよう。

 到着するが、凄く小さい・・・。お堂のようなところの開口部に透明ガラスが貼ってあり、そこに骸骨が集められていた。ポルポト派がここでたくさんの人殺しをしたところだ。なんてむごい・・・、さすがにこれにカメラを向けることは出来なかった。

 すぐにそこを後にし、タケオへ。
 しかし今度はドライバー、西バライやトレサップ湖に行かないか?と言い出す。もうプラス3ドル出せと・・・。昨日11AM~6PMまでナッツは3ドルで廻ってくれた。なのになんでそれ以上出さなきゃいけないんだ。確かに今日漫画読んで過ごすよりどこか行った方がいい。交渉するがなかなか引かない。
 呆れてタケオに帰ろうとすると、9000リエル(2ドルプラス1000リエル)でどうかという。まあいいやドルも余りそうだし、それで手を打って、トンレサップ湖に行くことにした。タケオにいた誰かがトンレサップ湖の水上集落がよかったと言っていたからだ。
 ドライバーに聞くとボートで10ドルかかるがそれに乗らなくても集落は見えるとのこと。
 
 バイクに乗り田舎道を進む。あるところに行くとボートのチケットを買うところがあり、そこで「ボート乗りません」と伝える必要があるらしい。しかし、係員が「買わないとバイクで行けるところから湖は遠いので行ってもしょうがない」という。
 ドライバーに騙されたと思い、激しくドライバーに抗議。すると自分を信用しないなら、今からここで引き返せばいい、お金なんていらないといいだす。もう喧嘩状態。しかしここまで来て引き返すのは時間の無駄。行ってみて判断したい。とにかく行ってみることに。


子供 ピースサインを知っている・・・この笑顔がたまんない
 しばらくバイクを走らせ、着いた。確かに大きな湖が広がっていて、そこに家がずらーっと建ち並んでいるイメージとは違うが、ボートが並び魚なども売り買いしていたり、活気があり非常に面白かった。

あれ人が増えてる・・・ お気に入りの写真
 まわりの様子を見たり、子供の写真を撮ったりして過ごし帰る。ホント子供達は無邪気で良い、大好きだ。
 ドライバーは「どうだ、言った通りだろ」と得意顔。まあいいや。
 タケオに着き、すこし余分にお金を払ったら凄く喜んだ。宿に帰り眠たくなり、ついに寝てしまった。
 
 4:30PM 青木君に起こされる。やばかったぁ 本当は平壌レストランに5:00PM現地集合だった。2人で歩いていく、途中スコールで少し濡れてしまう。
 5:30PM頃3人がそろい、スープを注文。ついでにライスもタダでつけてくれた。しかも他の2人はおかわりまでしている。こんな米不足の国に・・・。
 食べていると店の女の子の一人がカラオケを歌いだす。すごく上手だ。それがおわると3人ステージの前で唄にあわせて踊りだす。それが古臭いとも言えるが少し懐かしくかわいらしい踊りだ。こういうのを良いと思うのは、既に自分がおっさんになった証拠だ。
 4回くらい歌い終了。終わりかけ10人くらいの団体客が入ってきて、その客の為か10分後もう一度ショータイム。たった3ドルのメシで充分楽しめた、満足満足。

040720(火) 探検!ベンメリア

2005年01月17日 | '04カンボジア旅行記
ベンメリア 入り口
 7:00AMの出発に間に合うように外の屋台で肉まん(1000リエル×4個)を買う。
 
 出発の時間になるが一人足りないらしい。あの山田君だ。部屋に起こしに行くが反応が無い。ドアが開いている・・・そーと中へ入ると・・・死んだように寝ている・・・。激しく叩いたりゆすったりしたら、なんとか起きてくれた。後で聞くと睡眠薬でねたらしい。
 
 少し遅れて7:30AM出発。10人乗りのワゴン車、1人(当然山田君)は入り口のところでイスが無いところ。
 
 1時間30分程でクバールスピアンに到着。途中30分程 凄い悪路だった。BKK→シェムリアップよりガタガタだった。
 ここから30分程歩いたところに川がありなかなか良い雰囲気らしい。しかし最近になってアンコールワット入場券が必要になったところだ。ここの遺跡のために一日券20ドルは高い。すごく行きたかったが我慢。
 警備員に「5ドル払うから入れさせてくれ」と迫るがダメだった。カンボジアはワイロで何でもできると聞いたがそんなに甘くないようだ。

 自分以外に4人残った。11:30AM頃、行った人たちが帰ってくるまでの間、お土産物やの女の子達の「買って買って」攻撃。片言の日本語で責めてくる。「T-シャツ買って」「いくら?」「3ドル」「高いよ」「高くないよ」これの繰り返し。
 でも彼女達からバナナ貰ったり、こっちからは市場で買った果物をあげたりしてなんだかんだで楽しく過ごせてあっという間だった。
 
 そこから引き返しバンテアイ・スレイへ。ここは自分は既に行った所。少しお土産物屋で時間を潰しお店で昼食。

 次に長い道のりの後、ついに本命ベンメリアへ。ここまでの道は思っていたより綺麗な道だった。しかし途中から雨が降ってきた、タイミングが悪い。あるところのゲートで警備員に皆5ドルを払う。ゲートのバーが手動式で上がるのが笑える。
 少しの間 40分程お店のテーブルのあるところや近くの民家の子供達と遊びながら待つことに。しばらくして小降りになってきた。3:20PM遺跡に入ることに。


回廊から外へ

回廊が崩壊している
 少しだけウッドデッキが作ってあるが、それ以外はそのまんまの状態。遺跡の半分くらいは崩壊している。

濡れた苔がイイ!

経蔵
 その崩れて積み重なる石の上を乗り越えたりしながら進む、まるで初めてこの遺跡を発見した人の気分になれる。雨に濡れた苔がいっそういい雰囲気だ。とにかく素晴らしい。

崩れた形状がかっこいい

探検中 写真にうつっている人は僕ではない
 ところどころレリーフを見つけたり、あっ ここ通れるんじゃない?などといいながら歩き回って凄く楽しい。ラピュタだと言っていた人の気持ちもよくわかる。本当に来て良かった。

 時計を見ると5時もう少し居たかったが、もう帰らなきゃいけない。車に戻り、宿へ向かう。みんなすっかり疲れて眠ってる。
 
 6:30PM頃 到着。すると皆が平壌レストランに行こうという。聞くと、北朝鮮の直営のレストランだそうでカンボジアに2件、中国の北京に1件しかないお店らしい(噂)。そこで数分ショータイムがあるらしい。おもしろそうだ、行ってみよう。ベンメリアに行ってない人も含めて12人ほどぞろぞろとトゥクトゥクに乗っていく。

 タケオから3分程か。普通の韓国レストランという感じ。そこにいるのは北朝鮮人、直接見るのは初めてだ。たしかに綺麗な人もいる。皆 同じ服、同じ髪型、同じ化粧だ。
 お金が無いので3ドルのキムチスープ(?)withライス、結構辛かった。お客は自分達以外は韓国人のようだ。彼らは調子に乗って5人ほどが次々とカラオケを歌う。
 8:00PMからはショーが始まるという話しだったのに、一向にやる気配が無い。尋ねると この後予約が入っている という理由で追い出される形に。せっかく見に来たのに。
 同じテーブルの青木君と盛り上がり明日もここに来ることに。予約をするとショーをやってくれると聞いたからだ。5:00PMに予約。

040719(月) 一人の遺跡めぐり(後編)

2005年01月13日 | '04カンボジア旅行記
スラ・スランと空
 10分程で雨が止み、次はスラ・スランへ。
 
まったりするヨーロピアン
 昨日バンテアイクデイに来た時にはすぐ近くなのに、こっちにはこなかった。いってみるとなかなか良い眺め、テラスの向こうに大きな池が広がる。

カラン・カランと牛につけたベルの音が静かに響く・・・のどかだぁ
そこに牛が2頭。その番をする子供。

写真に写りたくてしょうがない
 一人ヨーロピアンのカメラマンがその子の写真を撮ろうとすると次々とたくさんの子供が集まってきた。カメラマンは階段の一段に一人ずつ座らせる考えのようだが子供は言うことを聞かない。自分が側によって行きジェスチャーでなんとか座らせる事が出来た、しかし・・・そうこうしてるうちにまた一人また一人と増えていき結局一段に2人いる状態になってしまった。なぜかここカンボジアの子供達は写真に写りたがるようだ。みんな無邪気でかわいい。


ニャックポアン 独特の形状だ
 次はニャックポアン。四角い池(今は水は無い)の中央に円形の中央詞堂がある。下部に2匹のナーガが巻きついている形で他の遺跡と違い新鮮だ。


不気味に笑う。なぜこの独りだけ笑っているのか?製作者のいたずらか?
 つづいてアンコールワット。
 おとといサンディが教えてくれなかった笑っているテパダーと昔の日本人による落書きを確認する為。
 テパダーはなかなか見つからない、ちょうど一人の日本人を連れたカンボジア人ガイドが通りかかったので場所を聞くと今からそこへ行くと言う。あった すごく分かりづらい所だ。歯をだして笑っている。ほんの5分程このガイドの説明を聞いていたが、サンディと雲泥の差だ・・・。情報量がまるで違う。

落書き?
 次に森本右近太夫一房の墨書の書いてある柱がどこかわからず、うろうろしていると係りの人が話し掛け教えてくれた。おそらく自分のような日本人は何人もいるのだろう。行くとすぐにガイドが説明していた。
 その後、写真を撮っていると他のガイドがやってきた。日本人に対するガイドは必ずくるところのようだ。サンディは・・・・・・・・。
 
 次はエコーが響くポイントへ。2畳くらいの小さな部屋。ドンと胸を叩くが響かない。するとそばに座っていたおじいちゃんがもっと端っこに立てというジェスチャー。たしかにボーン と響く、おもしろいね。
 その後は中央詞堂を見ながらまったりして外へ戻る。

カメラをむけると ジーと見つめられる
 それにしても バイクタクシーの溜まり場に行くとナッツがすぐに自分を見つけてくれる、すばらしい。
 あと30分ほどで夕日の時間だが雲が多すぎるので諦めて宿に帰る事に。このドライバーのナッツ、すごく気持ちよく観光させてもらうことが出来たので約束の3ドル渡した後、1ドルチップとしてあげた。
 明日、もしベンメリアにタケオメンバーが行かないのなら15ドルくらいで連れて行ってもらえそう。明日7:30AMに待ち合わせにした。
 
 宿に帰り ショウガ焼き定食(さすが日本人宿)とシェイクを頼む。
 
 ドミトリーにもどり、このタケオG.H.に15年ほど前にきた初めての日本人というおじさん(50歳以上)の長話を聞く。

 いいかげん9:00PM 過ぎになりベンメリアのことが気になるのでラウンジへ行き、そこに集まっている皆に話を持ち出す。すると巨人の星の左門大作に似た人がどうやら隣のチェンラゲストハウスからも人を集め11人にしてくれたらしい。やった集まった!
 車チャーターが55ドル、つまり1人5ドル。安い。それとあわせてベンメリアの入場5ドルだ。聞くとクバールスピアン・バンテアイスレイ・ベンメリアの3つ行ってくれるとのこと。まさかこうもうまく人が集まってくれるとは!明日が楽しみだ。

040719(月) 一人の遺跡めぐり(前編)

2005年01月10日 | '04カンボジア旅行記
青空とバイヨン
 アヤ・ケイタさん・ヨウコちゃんは今日バンコクに帰る。7:15AMのバスに乗って行った。本当は7:30AMの予定だったが、なぜかバスが早く来てしまい、出会い帳、簡単にしか書いてもらえなかった。

 お別れの後、少し部屋でまったりし、チェックアウト。
 なぜか受付にサンディがいる。暇なのか?
 
 歩いて今日から泊まることになるタケオG.H.に向かっていると、荷物を引きずっているので何人もバイクタクシーやトゥクトゥクドライバーに声を掛けられる。もちろん無視。
 しかし、今日まだ1日分のアンコール入場券が残っているのでまだ見ていない遺跡やバイヨン・アンコールワットなどもう一度行ってみたい。
 あるやさしい顔をしたバイクタクシードライバーに話し掛けられる。1日チャーターいくらか聞くと6ドルという。今は10:30AMだから、もう少し安くしろと言うと「いくらならいいか?」と。ダメもとで「3ドル」と答えるとOKと言う。まさか3ドルでいけるとは思っていなかったのでこのバイクタクシーで乗ることにした。きくとこのドライバー日本人が好きらしい。

 一度タケオG.H.で降り、チェックイン。2ドルのドミトリーだ。シェイクを飲み、11:00AM出発。

 彼の名前はナッツ。田舎から毎日通っているらしい。奥さんと一人の子供がいるとのこと。結構マジメでいいヤツだ。

 まずバイヨン寺院へ。北側にある解説付きのボードは興味深い。
 ガイドがいた時は遺跡を落ち着いて眺めることが出来なかったので、外の離れたところからボーと20分ほど過ごす。

バイヨン この空間は今は21世紀であることを忘れる
 次に経蔵の上に登り、さらに20分まったり。なんか全てのことを忘れられる・・・。
 それにしてもこの2日間、人が多かったのは土日だったからか?それともピークの時間とずれているのか?ほとんど観光客の姿は見えない。写真とってもまったく人の姿が写らない。

なぜか きおつけ Tシャツの柄が・・・
 写真を撮りまくってると、ある男の子が自分を「撮って」というので撮ってあげた。世界遺産で遊べるなんていいなぁ。
遺跡中をいろいろ歩き回り、バイクに戻る。

休憩所からバイヨンを望む
 水を買い売店で休憩。


タ・ケウ全景
 次はタ・ケウへ。ここは途中でなぜか工事が中止してしまったらしく、壁面にはレリーフは彫られていない。

タ・ケウ 職人の技!
 その分 綺麗に切り出された砂岩どうしの納まりをはっきりと見ることができる。そのシャープさと重量感は他には無い素晴らしさだ。
 
 中央の塔に登った時に急に大雨が。この遺跡にたった一人。天井が崩れているので少し雨が入ってくるが、塔の上でただ一人 雨のシェムリを眺める、なんともいえずいい感じだ。

世界を想うブログ?

2005年01月08日 | その他
 昨日からOCNさんの「ブログ人」のコーナー「週刊粋人観察」において、このブログが紹介されてます。
 この「週刊粋人観察」は、ブログ人だけじゃなく、すべての日本語ブログの中から毎週 ブログ人編集部の方が選んだブログを紹介するというもの。
 
 今回のテーマは「家に居ながら世界を想うブログ」で他に2つのブログが紹介されています。それらのブログは凄い情報量、そんなすばらしいブログと一緒に紹介されるなんて、なんか恐縮。アジアの旅日記限定として書き始め、1ヶ月という短い旅行期間を逆手に取り、バシバシ写真を貼りまくったおかげ?

 選んで頂いた編集部の方、大感謝です。


 旅日記もあと僅かですが、もう少しだけお付き合いください。(数回分だけコラムのようなものは書く予定です・・・)
それとエキサイトでオーストラリア版も展開中です。

040718(日) アンコールワット ガイド付ツアー 2日目(後編)

2005年01月07日 | '04カンボジア旅行記
地雷博物館 内戦の状況もよくわかる資料が展示してある
 車に乗り今度は自分達の要望で地雷博物館へ。てっきりエアコンの効いた建物かとおもったが外だったとは・・・。かなりディープな内容。地雷の見つけ方、爆破の仕方が原始的ですさまじい・・・。

重量感と軽快感を二つ持ち合わせている不思議な木です

真下から撮影 お気に入りの一枚
 プリヤ・カーン、

ガルーダ こいつはいつも自慢下に胸を張っている 2005年は酉年
 タ・ソウム、
  
東メボン
 東メボンへ。うだるような暑さの中、まさに遺跡合宿のようだ。アヤとケイタさんはもう階段を登らなくなったり、ヨウコちゃんはかなりぐったりだ。自分だけひとりではりきってる。

 4:30PM頃、シエムリアップに戻ってきてツアー終了。
 
 4人でアイスを食べる。一度宿に戻り、それぞれ夕食まで休憩タイム。
 
 自分は明日からタケオG.H.に移る予定だし、ここで(秘境?)ベンメリアに行くため同志を集めると車を安くチャーターできるので その同志集めと宿の予約もかねて行ってみることに。

 タケオに着くと、そこは手前側が建築中。工事現場を通り宿へ。ここは宿泊客は日本人しかいない。まあなんかみんなとおしゃべりできたし楽しい。
 ベンメリアは11人集めることができれば一人あたり5ドルでいけるとのこと。でも今は誰も行く予定はないらしい。何人かに自分が行きたいと言う意思を告げると自分を合わせ4人ほど乗り気。
 夕食の時間になってきたので帰る事に。再び歩いて 宿へ。
 
 オールドマーケット辺りの屋台で夕食。突然雨が降ってきた。それを予想してケイタさんが屋根のあるところにテーブルを用意してもらっていて助かった。
 これで4人でのアンコール遺跡めぐりの日々は終了。
 
 まあ ガイドのサンディの解説はがっかりだったが、悪いやつじゃないし、他の3人と思い出を共有できて良かったと思う。

宿に帰りそれぞれの部屋にもどり就寝。