ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

蘇った約30年前の記憶 ~ 高校野球の決勝戦の応援を観て思い出したこと ~

2023年09月06日 | 日々の出来事

 先月の話になりますが、いつもの午後はワイドショーを観る母親が私に「今日は甲子園の高校野球の決勝みたいよ。最後だから観ようか。」と声をかけてきました。

 「外で運動するのはひかえましょう。」とニュースでテロップを流しながら炎天下の午後に行われている高校野球の放送を行なっているNHKに対して私は否定的なので観たくなかったのですが、母親がNHKにチャンネルを合わせてしまったので仕方なくタブレットで漫画を読みながら高校野球の中継も観ました。
 尚、決勝に進んだ某高校の応援が凄い、と言うのはネットのニュースで読んだ記憶がありました。

 そして、決勝戦のテレビ観戦。
 高校野球の応援とは思えない某高校を応援する甲子園の映像を観ていたら、「あれっ、これってどこかで見たぞ。」と言う記憶が蘇ってきました。すぐに「あ~、あの時だ。」と思い出しました。私が20代のサラリーマンだった時の記憶です。

 当時、私は某コンピューターメーカーの販売店(ディーラー)の会社に勤めていたのですが、メーカーの社員さんの結婚パーティーに招待されました。

 相手はそんなに親しくない人だったので「なんで俺が呼ばれたんだろう。」と思ったのですが、販売店の我々がお祝い事を断ることはできないので、上司や先輩達数人でパーティーに参加しました(ご祝儀をいくら包んだのか、そもそもご祝儀を渡したのかの記憶が定かではありません)。

 そのパーティーに行って衝撃的だったのは、飲み物も食べ物も人数分用意されていない会場に多くの人が立ちすくんでいた光景です。「東京の結婚パーティーってこんなんなの。ひどくないか。」と思ったのを記憶しています。今思うと政治家の資金集めのパーティーに似ていますね(政治家のパーティーの方が飲み物も食べ物も用意されていますが・・・)。私の人生の中で一番ひどい催し物だったと今でも記憶されています。

 そんな私にとってはイヤ~んな結婚パーティーでしたが、いくつかの余興の後に某大学の同窓生達が肩を組んで歌を歌い始めました。年齢は若い人から老人に近い人まで多種多様です。上司も部下も関係ありません。そして、パーティーの主役の新郎もその軍団の中に混じって歌い始めました。新郎もその大学の卒業生だったみたいです。

 その肩を組んで大声で歌っていた軍団が今年の高校野球で優勝した高校と同じ校名の大学の卒業生達です。その学校の卒業生は母校愛が強いと当時から聞いていましたが、大勢の人間が肩を組んで『私の知らない歌』を大声で歌う様は壮観でした。

 その光景を見て、同窓とか群れるのに全く興味がない私は「なんじゃこれ。」と思い、その大学のライバル大学出身の私の上司は冷ややかな目で無言で見つめ、六大学とかとは無縁の大学出身の私の先輩達は唖然として立っていました。

 メーカーの社員の人達や新婦側の出席者もたくさんいましたが、なんだかしらけていました。
 歌の輪に入っていない人は全て他校の卒業生だと思うので、しらけるのも当たり前ですね。六大学マニアの人ならば何の歌を歌っているかは判ったと思いますが、一緒に歌を口ずさんでいる人はいなかったと記憶しています。

 そして、一番印象に残っているのが、舞台にひとり残された新婦さんの表情です。
 「これぞ、無表情。」と言う見事なお顔をしていました。新婦さんもその大学の卒業生ならば嬉しい気持ちになって明るい顔になったと思いますが、嬉しそうにして盛り上がっているのは肩を組んで歌っている人達だけですからね。あの能面のような表情から推測するに新婦さんも別の学校の卒業生だと思います。これ以上ない笑顔で歌っている新郎さんとは本当に対照的でした。温度差があり過ぎです。歌を聴きながら「この結婚はうまく行くのかなぁ。」と少し心配したのも記憶に残っています。

 と言うような記憶が今回蘇りました。他人の目を気にすることなく自分達だけ楽しく盛り上がって歌えるのは私が経験した結婚パーティーも今回の甲子園も同じですね。
 今回の対戦校に配慮をしない応援に一部批判が出ているみたいですが、「昔からこうだったよ。仕方がないじゃん。歴史と伝統だもん。」と私は思いました。部外者はあの日の新婦さんのように無表情で対応するしかないです。


 以上、蘇った若き日の私の記憶の話でした。

 応援と言えば、今回の高校野球よりも私が気になったのは男子のバスケットボールのワールドカップの相手チームに対するブーイングです。
 試合中ずっと相手チームにブーイングを送り続けるのは本場アメリカでは当たり前のことだと聞いていますが、正直あまり馴染めません。フリースローの時もブーイングを浴びせ続けるのは私にはできないですね。『相手の失敗を祈る』と言う応援方法が嫌だとしても、「これがバスケットボールだ。」と選手やファンに言われたら返す言葉がないので、バスケットボールが私の生きる糧になることはないと思います。

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