(その1からの続き)
(2)金沢
午後は仕事の為、富山城見学後すぐに同僚のOさんと合流し、16時30分くらいまで仕事をして、17時10分発の金沢行きのサンダーバードに乗車(Oさんとは駅で別れた)。18時には金沢駅に無事到着。
駅と隣接している「○○ホテル」に着いたのが18時10分くらいだったので「今日金沢城に行っておけば明日が楽になるぞ」と思い、すぐにタクシーで金沢城へ移動。「もう閉まっているかもよ。」と言うタクシーの運転手の言葉を無視して城へ向かったが、やはり閉まっていた(開園時間は7時から17時とのこと)。
落ち込んでいても仕方ないのでタクシーの運転手に「それなら、どこかおいしい所がありますか?」と聞いたのが間違いの始まりで、人の良い運転手さんは一軒一軒店の前まで車を停めて「ここの店はまずい」とか「ここの店は接客態度が悪い」とか案内を始めてしまった(よっぽど暇なのか、よっぽど人がいいのか)。
最終的に「どこの店がお勧めですか?」と聞くと「味覚は人それぞれなので、自分で決めなさい。」との事。思いっきり脱力してしまった。
一応観光案内をしてもらったので、2500円くらいのタクシー代だったのを3000円渡して、金沢駅前で19時くらいに下車。その後、色々歩き回ったのだが、手頃な店がなかったので、結局マクドナルドでハンバーガーを買ってホテルで食べて金沢の夜は終った(なんだか無意味な金沢の夜)。
※運転手さんの名誉の為に言っておくが、やはり10月を過ぎないと北陸ではおいしい物がないので、特定の店を紹介できなかったようだ。カニの地引網も10月かららしいので、北陸の味覚を楽しむ気ならば、冬に訪問しないとダメなようだ。
また、金沢の飲食店は店の規模が小さいところが多く、金曜日の夜の19時台というのもあって、ほとんどの店が満員だった。マクドナルドで落ち着いたのは、そう言った背景もある。『冬の再訪問』を硬く誓った金沢訪問だった。
(2日目/9月18日/土曜日)
(1)金沢城&兼六園
さて、怒涛のスケジュールの2日目の開始である。
この日も5時くらいには自然と目が覚めたので、準備をしながら6時10分にチェックアウト。朝食付きで料金を払っていたが、7時から朝食を取っていたらスケジュールがおしてしまうので朝食はカット(バイキングだったのでバイキングマニアの俺としては非常に残念)。6時15分に駅前からタクシーに乗り、金沢城に向かう。
今度の運転手もサービス精神旺盛で「観光案内するから昼まで付き合わんね」としきりに勧誘してきたが、ナチュラルに拒絶。6時40分くらいに金沢城に到着(約1500円の距離)。
運転手の話で面白かったのが『金沢の2階建ての家の2階の天井は低い』と言う話。普通の2階建てを建てると税金が高くつくらしく、高さの低い2階を建てる事が多いらしい(新しい家を見る限り、東京や福岡の2階建てと変わらないので、現代の話ではなく、昔の話だと思うのだが・・・)。確かに古そうな家の2階は低かったので半信半疑ながら納得。
開園時間にはまだ早かったのだが、既に城門は開いており、散歩をしている人もいたので、そのまま入場。
入り口にあたる『石川門』は写真とかでは良く紹介されている有名な門で、石垣がしっかりとしていて実物もなかなかの出来。金沢城全体で言える事なのだが、石垣の保存状態が良いので、石垣の見本市のような城だ。ちなみに石垣の石の積み方には大きく
①野面積み(のづらづみ) → 自然石をただ単に積む
②打ち込みハギ積み → 形や大きさを揃えた石を積むが、空いた隙間には小さな石を詰める
③切り込みハギ積み → 加工した石を隙間が出来ないように積む
の3種類のやり方があるらしく、石川門のメインは③なのだが、場所によっては②と③が混在している所があり、そこが観光の売りになっているようだ(石垣を積んだ当時、現場の職人が「こんな積み方は邪道だ」と言ったという文書が残っているとガイドには書いてあった)。金沢城は①②③の全ての石垣が見ることができる珍しい城だ。
石川門を通って城内に入ると綺麗に整備された芝が一面に広がる広場に出た。早朝にも関わらず広場を散歩する人がチラホラいて、非常にゆったりとした気分になれる気持ちの良い空間だ。通常は公園として使用されている感じだ。
天守閣は復元されていないが、『五十間長屋』や「三十間長屋」と言った非常に横長の建物が復元されていて、その長さに圧倒される(『五十間長屋』は平成13年に復元されたとの事。これが復元していなかったら結構殺風景な景観だったのかもしれない)。
ちなみに金沢城は『加賀百万石』の中心にあたる城で、前田利家が1584年に建てた城だが、富山城と同じで高山右近が設計したようだ。元々は加賀一向一揆の拠点だった『金沢御坊』を柴田勝家が攻め滅ぼし、その後地を修正&加工して大きくなっていったとの事で、1から前田利家が作った城ではないとの事。
で、結構歩き回って探したのだが、城跡には必ずある英雄像、ずなわち『前田利家像』がどこにも見当たらない。「普通目立つ位置にあるよな」と思いながら探したのだが城内には見つからず、結局城外の目立たないところで発見。なんだかかわいそうな気がしてきた。ただで配っているガイドブックにも『前田利家像』の記述はないので、なぜか前田利家氏は金沢では冷遇されているようだ。
『前田利家像』を探しているうちに城外に出てしまったので、そのまま兼六園に移動(道路を挟んですぐの所にある)。
ちなみに兼六園とは、5代藩主の前田綱紀(つなのり)が1676年に作った庭を歴代の藩主が手を入れた物で、兼六園と呼ばれるようになったのは、1822年に12代藩主の前田斉広(なりひら)が作った庭を奥州白河藩主の白河楽翁が『兼六園』と命名してからとの事です。
で、私の兼六園の感想は「綺麗でした。以上。」です。
誰もが良いと認めている兼六園なので「趣があって素晴らしい」とか発言すべきなのかもしれないが、あいにく『わび・さび』とか判らない俺には単なる『松の品評会』の場所にしか見えませんでした。完全に俺の趣味の範囲外(還暦過ぎて再訪問すると印象が違うと思うけどね。現にお袋は「凄くよかった」と発言しているし)。
と言った感じで、6時40分から8時までの約1時間20分で金沢城&兼六園を散策終了。兼六園のすぐ下にあるバス亭からバスに乗って、約15分で駅に到着。次の目的地の丸岡城に移動開始。
(その3に続く)
(2)金沢
午後は仕事の為、富山城見学後すぐに同僚のOさんと合流し、16時30分くらいまで仕事をして、17時10分発の金沢行きのサンダーバードに乗車(Oさんとは駅で別れた)。18時には金沢駅に無事到着。
駅と隣接している「○○ホテル」に着いたのが18時10分くらいだったので「今日金沢城に行っておけば明日が楽になるぞ」と思い、すぐにタクシーで金沢城へ移動。「もう閉まっているかもよ。」と言うタクシーの運転手の言葉を無視して城へ向かったが、やはり閉まっていた(開園時間は7時から17時とのこと)。
落ち込んでいても仕方ないのでタクシーの運転手に「それなら、どこかおいしい所がありますか?」と聞いたのが間違いの始まりで、人の良い運転手さんは一軒一軒店の前まで車を停めて「ここの店はまずい」とか「ここの店は接客態度が悪い」とか案内を始めてしまった(よっぽど暇なのか、よっぽど人がいいのか)。
最終的に「どこの店がお勧めですか?」と聞くと「味覚は人それぞれなので、自分で決めなさい。」との事。思いっきり脱力してしまった。
一応観光案内をしてもらったので、2500円くらいのタクシー代だったのを3000円渡して、金沢駅前で19時くらいに下車。その後、色々歩き回ったのだが、手頃な店がなかったので、結局マクドナルドでハンバーガーを買ってホテルで食べて金沢の夜は終った(なんだか無意味な金沢の夜)。
※運転手さんの名誉の為に言っておくが、やはり10月を過ぎないと北陸ではおいしい物がないので、特定の店を紹介できなかったようだ。カニの地引網も10月かららしいので、北陸の味覚を楽しむ気ならば、冬に訪問しないとダメなようだ。
また、金沢の飲食店は店の規模が小さいところが多く、金曜日の夜の19時台というのもあって、ほとんどの店が満員だった。マクドナルドで落ち着いたのは、そう言った背景もある。『冬の再訪問』を硬く誓った金沢訪問だった。
(2日目/9月18日/土曜日)
(1)金沢城&兼六園
さて、怒涛のスケジュールの2日目の開始である。
この日も5時くらいには自然と目が覚めたので、準備をしながら6時10分にチェックアウト。朝食付きで料金を払っていたが、7時から朝食を取っていたらスケジュールがおしてしまうので朝食はカット(バイキングだったのでバイキングマニアの俺としては非常に残念)。6時15分に駅前からタクシーに乗り、金沢城に向かう。
今度の運転手もサービス精神旺盛で「観光案内するから昼まで付き合わんね」としきりに勧誘してきたが、ナチュラルに拒絶。6時40分くらいに金沢城に到着(約1500円の距離)。
運転手の話で面白かったのが『金沢の2階建ての家の2階の天井は低い』と言う話。普通の2階建てを建てると税金が高くつくらしく、高さの低い2階を建てる事が多いらしい(新しい家を見る限り、東京や福岡の2階建てと変わらないので、現代の話ではなく、昔の話だと思うのだが・・・)。確かに古そうな家の2階は低かったので半信半疑ながら納得。
開園時間にはまだ早かったのだが、既に城門は開いており、散歩をしている人もいたので、そのまま入場。
入り口にあたる『石川門』は写真とかでは良く紹介されている有名な門で、石垣がしっかりとしていて実物もなかなかの出来。金沢城全体で言える事なのだが、石垣の保存状態が良いので、石垣の見本市のような城だ。ちなみに石垣の石の積み方には大きく
①野面積み(のづらづみ) → 自然石をただ単に積む
②打ち込みハギ積み → 形や大きさを揃えた石を積むが、空いた隙間には小さな石を詰める
③切り込みハギ積み → 加工した石を隙間が出来ないように積む
の3種類のやり方があるらしく、石川門のメインは③なのだが、場所によっては②と③が混在している所があり、そこが観光の売りになっているようだ(石垣を積んだ当時、現場の職人が「こんな積み方は邪道だ」と言ったという文書が残っているとガイドには書いてあった)。金沢城は①②③の全ての石垣が見ることができる珍しい城だ。
石川門を通って城内に入ると綺麗に整備された芝が一面に広がる広場に出た。早朝にも関わらず広場を散歩する人がチラホラいて、非常にゆったりとした気分になれる気持ちの良い空間だ。通常は公園として使用されている感じだ。
天守閣は復元されていないが、『五十間長屋』や「三十間長屋」と言った非常に横長の建物が復元されていて、その長さに圧倒される(『五十間長屋』は平成13年に復元されたとの事。これが復元していなかったら結構殺風景な景観だったのかもしれない)。
ちなみに金沢城は『加賀百万石』の中心にあたる城で、前田利家が1584年に建てた城だが、富山城と同じで高山右近が設計したようだ。元々は加賀一向一揆の拠点だった『金沢御坊』を柴田勝家が攻め滅ぼし、その後地を修正&加工して大きくなっていったとの事で、1から前田利家が作った城ではないとの事。
で、結構歩き回って探したのだが、城跡には必ずある英雄像、ずなわち『前田利家像』がどこにも見当たらない。「普通目立つ位置にあるよな」と思いながら探したのだが城内には見つからず、結局城外の目立たないところで発見。なんだかかわいそうな気がしてきた。ただで配っているガイドブックにも『前田利家像』の記述はないので、なぜか前田利家氏は金沢では冷遇されているようだ。
『前田利家像』を探しているうちに城外に出てしまったので、そのまま兼六園に移動(道路を挟んですぐの所にある)。
ちなみに兼六園とは、5代藩主の前田綱紀(つなのり)が1676年に作った庭を歴代の藩主が手を入れた物で、兼六園と呼ばれるようになったのは、1822年に12代藩主の前田斉広(なりひら)が作った庭を奥州白河藩主の白河楽翁が『兼六園』と命名してからとの事です。
で、私の兼六園の感想は「綺麗でした。以上。」です。
誰もが良いと認めている兼六園なので「趣があって素晴らしい」とか発言すべきなのかもしれないが、あいにく『わび・さび』とか判らない俺には単なる『松の品評会』の場所にしか見えませんでした。完全に俺の趣味の範囲外(還暦過ぎて再訪問すると印象が違うと思うけどね。現にお袋は「凄くよかった」と発言しているし)。
と言った感じで、6時40分から8時までの約1時間20分で金沢城&兼六園を散策終了。兼六園のすぐ下にあるバス亭からバスに乗って、約15分で駅に到着。次の目的地の丸岡城に移動開始。
(その3に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます