ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

身をもって知った高齢化社会 ~ 52歳のハローワーク(2) ~

2018年07月09日 | 就職活動関連

 今回は生活が安定していた今のガス会社を辞めることを決心したいくつかの要因の話です。

 2010年10月から働き始めた今のガス会社の生活は、何度か記事にも書きましたが私の今までの人生で一番『穏やかな日々』を与えてくれました。
 残業がほとんどなく、18時には家に帰れて、好きな趣味に時間をかけることができました(一番恩恵を受けたのは映画館での映画鑑賞)。残業が当たり前だったコンピューター業界での約20年間とは全く違う日常でした。65歳定年なので、「このまま定年まで安泰だなぁ。」と思っていた時期もありました。給料も年々上がっていましたしね。

 そんな安定していた生活から離脱するのを決心した大きな要因は以下の3点です。

(1)高齢者のお客さんと日々接して実家の両親のことを考えるようになった。
(2)エネルギー業界が大きく変わった。
(3)毎月毎月同じことを繰り返す仕事に飽きがきた。

 上記3点については、本ブログの記事でもちょこちょこ触れていたので、勘が鋭い方は、「こいつ会社辞めるつもりだな。」と、かなり前から感じていたかもしれませんね。

 さて、今回は(1)の『高齢者のお客さんと日々接して実家の両親のことを考えるようになった。』に関して書きます。

 ガス会社で地域密着の個人相手の仕事(B to C)をするようになって、高齢者と農家の人達と接することになりました。これは企業相手に商売(B to B)をしていたコンピューター業界にいた時には全くなかったことです。私は検針と集金がメインの仕事だったので、高齢者のお客さんと毎月会って話をする日々が6年以上続きました。集金に行くと色々な話をしました。話を切り上げて帰るタイミングを見極めるのが難しいお客さんも少なくなかったです。

 この6年間で、天に召された方、施設に移られた方、入院された方がたくさんいたので、身をもって日本の高齢化社会の現実を知りました。
 知り合いのお客様が天に召されるのも辛いのですが、会う度に少しずつ様子が変わっていくのを見るのが一番辛かったですね。年々会話が成立しなくなっていって、最後は、「あなた誰。」とか言われるのは辛いです。お金の計算ができなくなって、「わからないから財布から取って行って。」と言われるようになるのも接していて悲しかったですね。

 そんな日々を毎月おくっていると、私の実家(福岡)の両親のことが自然と脳裏をよぎります。お客さんからも、「親を大切にしなさいよ。」とか「子供達が全然実家に寄り付かない。」等の助言や愚痴を毎月聞いていますしね。

 そして、両親が2人とも80歳を超えた去年、「福岡に帰ろう。」と決心しました。
 失業して2010年に福岡に帰った時にハローワークの窓口で、「なんで帰ってきたの。福岡で仕事なんかないよ。関東に戻ったほうがいいよ。」と言われていた頃とは状況が変わっていますしね。去年の秋以降は私が登録している転職サイトからも、「面接を受けませんか。」と頻繁に連絡が来るようになりましたからね。労働者の人口が減って確実に求人は増えていますね。40代、50代、60代のシニア層の求人も前よりも確実に増えましたね。


 以上、安定している今の生活から離脱することを決心した理由の1つめの話でした。
 今の時代、同じような決断を下した人は私以外にもたくさんいるのではないでしょうか。
 次回は2つめの理由の『エネルギー業界が大きく変わった。』について書きます。

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